セいしゅんらぶこメさあゔぁント   作:負け狐

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書き始めたころのオチと途中で用意していたオチが合体してキメラになった感。


その8

「告白にはいいんじゃないかな」

「そうね」

「……たぶん」

「そうね」

 

 そんな会話を結衣と雪乃の二人がしていたのが遠い昔のように思えてしまう。ライトアップされた竹林を歩きながら、八幡はぼんやりとそんなことを考えた。空の月は頭上を照らし、足元の灯籠は道を照らす。夜道を遮るものはなく、そこで立ち止まる必要もなし。

 だというのに、八幡の歩みは鈍かった。何も見えないように、何かを見ないように。ゆっくりと、慎重に。

 

「どしたの? ヒッキー」

「いや……なんでもない」

 

 そんな彼を不思議に思ったのか、結衣は同じようにスピードを緩めて歩幅を合わせて道を歩いている。そのせいか、帰り支度をしていた隼人達や雪乃は随分と先に行ってしまった。それでもまさか背中すら見えないとは。そんなことを一瞬だけ考え、それがどうしたと頭を振った。

 

「あ、ひょっとして疲れた?」

「……まあ、そうだな。修学旅行、色々あったしな」

 

 本質はそれではない。が、そこは別段否定する箇所ではないので、八幡はそれに乗っかった。自分の答えを隠すように、この三日間を思い返しながら、それでいて月明かりに照らされる結衣をなるべく見ないようにしながら言葉を紡ぐ。

 

「なんだか、あっという間だったなー」

「色々、あったしな」

「恋バナがほとんどだった気がするけど。でも、そうだね」

 

 んー、と彼女が伸びをする。隼人と優美子、翔と姫菜。二組の恋愛模様に関わったからこそ、三日が矢継ぎ早に過ぎたのだろう。そしてそのどちらもが、悪くない結果に終わっている。満足感と充実感があるのは、そのせいなのだろう。

 

「どっちも付き合うとかそういうことになってないけどな」

「あはは。まあ、一歩前進してるし、いいんじゃない?」

「そんなものかね」

「そんなもんだし」

 

 そう言って結衣は笑う。自分の友人達が変わることを、進むことを、本心から喜んでいる。

 それが分かるから、八幡は尚の事それに蓋をした。違う、と。そうじゃない、と。

 

「明日で、もう修学旅行は終わりだな」

「ぶっちゃけ帰るだけだけどね」

 

 変わらなければ前に進めない、と誰かはきっと言うだろう。逃げるな、と叱責するだろう。だが、それがどうした。変わらないことこそ逃げないことだ。変わらず、そこで留まり、今の自分を肯定するのだ。

 

「アホらしい……」

「どしたの?」

「帰るだけが面倒だ」

「ぶっちゃけた!?」

 

 思わず口についたことを適当に誤魔化し、八幡は空を見上げた。自分で自分を騙せない。それが正しいと言い張れない。そんな自分に苛ついた。

 嘘で塗り固めた、上っ面で構成されたそこで立ち止まったところで、一体何が肯定出来る。そこで変わらないことを選んで、逃げてないとどうして胸が張れる。

 何より、諦めることが正しいのかどうかなんて、この三日間嫌というほど見てきたではないか。言い訳をして、そうではないと言い張って。それで一体何が手に入る。

 失わないことを手に入れて、手に入れることを失って。欲しいものは、自分の手元に残るのか。

 

「……ヒッキー?」

「ん?」

「どしたの? いきなり黙って」

「いや……ちょっとな」

「ふーん」

 

 結衣はそこで別に聞くことはない。言わなくても分かる、というほど彼女は傲慢ではあるまい。だが、何でもかんでも言ってくれないと分からないと言うほど知りたがりでもない。そこにあるのは、恐らく、きっと。

 

「……なあ、ガハマ」

「なに?」

「聞かないのか?」

「言いたくないなら、別にいいかな」

「いいのか……」

「何で残念そうだし」

 

 ジト目で八幡を眺めた結衣は、しかしすぐに表情を戻すと、指を組んで前に伸ばす。その拍子に前髪が目元にかかり、彼女の視線を八幡から隠した。

 

「言いたいなら、言って。でも、無理には聞かない」

「……分かりたいとか思わないのかよ」

「そりゃ、思うよ。あたしはヒッキーのこと知りたいし、ヒッキーに知って欲しい」

「小難しい我儘だな」

「そっちが言い出したんだし! てかこんなやり取り前もやった気が」

「一々覚えてねぇって」

 

 ふん、と八幡は鼻を鳴らしながらそっぽを向く。

 嘘だ。覚えていないのは、嘘っぱちだ。記憶にあったからこそ、彼はそれを口にした。同じ返しを、彼女にした。

 あの時はそう返して、今も同じことを言った。だが、今は。八幡の今の心境はどうだ。それは本当に小難しい我儘だと切って捨てるものなのか。お前は、それで済ませるのか。そう尋ねられた時、何と答える。結衣のことを知りたい、結衣に知って欲しい。そんなことはないと言えるのか。

 

「ヒッキー?」

 

 立ち止まっていた。竹林の出口はまだ先だ。変わらず月は空を明るく染め上げているし、灯籠は二人の足元を照らし続けている。だが、このまま歩いていればもう、すぐにその光景は終わりを告げる。ここを過ぎれば、きっと再び蓋のズレを直して、何事もなかったかのように、比企谷八幡は由比ヶ浜結衣の『親友』を続けるのだ。

 間違ってはいないはずなのに、それで十分なはずなのに。それ以上を求めて、欲しがって。それら全部を投げ捨てて、無かったことにしてしまうのだ。

 

「なあ、ガハマ」

「どしたの?」

「気付いたら、結構お前と一緒にいたなって思ってな」

「一年会えなかったけどね」

「それはお前が髪の色変えてたからだろ」

「そんなにイメージ変わってたかな」

 

 くしくし、と彼女は自分の髪を撫でる。バラエティーでもやってただろ、と言いながら、八幡は結衣へと一歩近付いた。

 

「黒髪から茶髪って、印象かなり変わるぞ」

「そっかな……。不良的な感じに、見えてたり?」

「どっちかって言うと遊んでる系か。……まあ、中身は変わってなくて安心したけど」

「へ?」

 

 視線を隣に向けると、八幡がすぐそこにいた。思わず目を見開き、近い近いと彼女は彼を押し戻す。明るいとはいえ、夜である。結衣の顔が赤いのは、八幡には気付かれていないようであった。

 

「ああ、悪い……」

「いや、悪くはないっていうか、むしろ」

「は?」

「なんでもないし!」

 

 がぁ、と吠えた結衣は、そこで深呼吸をした。気持ちを落ち着かせるように息を吸い、吐く。そうしながら、空を見上げて浮かぶ月を見た。

 

「確かに、一緒に色々やったよね」

「三浦達に巻き込まれたり、料理教室やテニス勝負やったり。……誕生日プレゼント買いに行ったり、花火大会とかも、行ったな」

「うん、花火大会……かぁ」

 

 目に映るのは月。一日目で雪乃と姫菜の話していた例のあれ。それらが混ざり合い、彼女の体温を上昇させる。

 悩むことはない。彼女にとって、比企谷八幡がどういう存在なのかなど、今更論じる必要はないのだ。由比ヶ浜結衣にとって必要なのは、それを行うための勇気と、覚悟。

 気付いてしまったら、自覚してしまったら。後はもう、進むしかない。ここで逃げたら、絶対に後悔をする。親友も、友人も、それだけはしないように、そうならないように足を踏み出した。その姿を見ていたのだから、必要なものは、とうに掴んでいる。

 

「ねえ、ヒッキー……」

「ん?」

 

 あの時は言えた。知らなかったから、言葉に出来た。なら、今は。そういうものだと分かってしまった今は、それを口に出来るのか。

 

「今夜は――」

 

 愚問だ。わざわざ言い直すのは、もう一度言うのは。あの時の言葉を、本当で塗り替えたいからだ。だから。

 

「つ、月が、き、きき綺麗、だね」

 

 そんな彼女の決意は、噛み噛みだったことであっさりと終わりを告げた。明らかに緊張していたのが丸わかりで、唐突さも相まって聞いている八幡もぽかんと口を開け目を瞬かせている。

 だが、それも一瞬。それが何を意味するのかを理解した彼は、目を見開くと猛烈な勢いで視線を逸らした。顔半分を手で覆い、その体勢のまま暫し固まる。

 そうだ、こういう奴なのだ。自分の悩みも、迷いも。あさましい考えも、傲慢さも。必死でかぶせていたはずの蓋も。

 気付くと、取っ払ってしまっている。まるでそうするのが当然のように、八幡の見えない部分を、見えるようにしてしまう。自分ですら理解していない箇所を、理解しているように。

 だから、八幡は。彼女を理解しようと、手を伸ばす。お互いがお互いの、知らない部分を知るために。

 

「……ああ」

 

 ならば、ここで言う言葉は決まっている。向こうがそうくるのならば、こっちだってこう返さなければ格好がつかない。

 

「――もう、死んでもいいな」

 

 

 

 

 

 

「え!? 何で!? ヒッキー、いきなりどうして!?」

「……おいマジかよ」

 

 結衣が慌てたように八幡の手を握り、そして握られた彼はこれまでの余韻を全てぶち壊されたような表情で死んだ魚の目を虚空に向けている中。

 がさりと竹林の死角に潜んでいた出歯亀達は、その光景を見て脱力していた。

 

「海老名、雪ノ下さん。いやユイがやらかしたってのは分かるんだけど、あーしもよく意味が分かんないんで説明プリーズ」

「あー、えっとね優美子。一昨日言ってたやつって、夏目漱石と二葉亭四迷があるって話だったじゃない」

「そーいやそんなこと言ってたっけ。夏目漱石はユイの言ったやつっしょ? ……あ、んじゃヒキオがさっき言ったのは」

「ご明察。二葉亭四迷がとある海外文学で、『私はあなたのもの』を『死んでもいいわ』と訳したの。そこから転じて、『月が綺麗ですね』の返しに使われるわ」

 

 へー、と優美子は姫菜と雪乃の解説を聞き頷く。ちらりと隼人を見ると、うん知ってたと返されたのでほんの少しだけ落ち込んだ。

 

「……えっと。つまりあれは、ユイが告ってヒキオがOKしたのに通じてないってこと?」

「そうなるわね」

「うわぁ……」

 

 ドン引きである。これ以上ないほどドン引きであった。あの流れでそれは一番やっちゃいけないやつだろう。そんなことを思いながら優美子は残りの面々の感想を伺おうと視線を動かし。

 

「さて、比企谷くんはここからどう持ち直すかしら」

「いや雪乃ちゃん、普通の男子なら心折れるから」

 

 若干ワクワクしている雪乃を視界に入れ思わずどついた。悪魔か、とついでにツッコミを入れたが、横にいた隼人にそうだよと返され彼女は別の意味で引く。

 

「まあ、でも。少なくとも告白そのものに誤解はないんだし、仕切り直せば問題ないんじゃない?」

「ヒキオがやれんの……?」

「無理かなぁ」

 

 そっと姫菜が視線を逸らしたので、優美子は若干のあきらめムードに入った。無理してカッコつけずに普通に告れば良かったのに。そんなことを思いながら、微妙な空気の二人に声を掛けようと。

 

「待って、三浦さん」

「何だし」

「もう少しだけ、待って頂戴」

 

 振り返った彼女の視界に映ったのは、先程とは違い真剣な表情で向こうを見やる雪乃の姿。悪魔から雪ノ下雪乃に変化しているのを確認した優美子は目を瞬かせ、分かったと頷くと姿勢を低くした。そういうことならば、万が一にも見付かるわけにもいくまい。

 そんな出歯亀ーズのことなど露知らず。完全にムードを破壊された八幡はこの空気をどうしようかと思考を巡らせていた。正直何もかもなかったことにして帰るのが一番の選択肢だと思わなくもないが、しかしそうなるとあのやり取りが有耶無耶になってしまう。

 そうなった場合、間違いなく次のチャンスは来ない。比企谷八幡の用意した蓋は更に強固なものに変わり、今度こそ井戸の底の底へと封印される。

 幸いにして、幻想をぶち壊されたおかげでいい感じに思考もクリアだ。とりあえず慌てる結衣に落ち着けとツッコミチョップを叩き込めるくらいには。

 

「痛い……」

「自業自得だろ」

「ヒッキーが変なこと言い出すからいけないんじゃん!」

「俺は何も変なことは言っていないぞ」

「言ったし! 何かもう死んでもいいみたいな」

「お前な、月が綺麗を言うんなら返しも知っておけ」

「へ? 返し?」

 

 やれやれ、と溜息を吐いた八幡は二葉亭四迷のエピソードを結衣へと語る。普通の彼ならば絶対にしない行為であり、そもそも一度滑ったギャグを解説するが如しの行動の時点で八幡でなくともハードルは高い。だが彼はやった。クリアなようで結局沸いていたのかもしれない。

 聞いた方は意味を知ったことで八幡のあれが返事だったということを理解。瞬時に茹でダコになるとあーだのうーだのしか言えなくなった。

 

「落ち着け」

「おおおお落ち着けるわけないじゃん! ていうか何でヒッキーそんな落ち着いてるの!?」

「諦めた」

「……なんか、ごめん」

 

 死んだ目を更に抹殺して遠くを見る八幡を見たことで、結衣も落ち着いてきたらしい。しゅんと項垂れ、どうしていいのか分からず胸の前で指をピコピコとさせている。

 暫しそんな状態で立ち尽くしていた二人であったが、ああもうとガリガリ頭を掻いた八幡が叫びだしたことで動きを再開した。それで結局どうするんだと結衣に問い掛ける。

 

「へ? どうするって、何が?」

「いつまでもここにいてもしょうがないだろ。帰るか、戻るか」

「それ同じだよ!?」

「違うぞ。帰るだともう修学旅行を無視して千葉に向かう」

「駄目じゃん!?」

 

 じゃあ戻る一択、と指を突きつけた結衣は、そのまま踵を返し竹林の出口へと向かう。話は終わりだと言わんばかりに。しかしどうにも、聞きたくとも改めて聞けない雰囲気を醸し出しながら。

 八幡はそれに見当がついていたが、しかしそれを自分から言い出すのは憚られた。これ以上恥を重ねると、憤死してしまいかねない。恥ずかしさで死ぬのはおおよそ考えられる死に方でも圧倒的下位にランクしていた。

 

「ガハマ」

「何?」

 

 それでも、動かなくてはならない時というものも存在する。何より、ここをハッキリさせておかないと、彼としてもこれから行動に支障が出るからだ。蓋を蹴り飛ばしてしまった以上、望んでしまった以上、答えを出してしまった以上。やらないという選択肢は、きっと、もう、無いのだ。

 

「……グダグダになってるみたいだから、お前にも分かりやすくしてやる」

「え、と。……な、何が?」

 

 振り向いた結衣は、八幡が真っ直ぐにこちらを見ていることで何かを察したのだろう。口ではそう言いながら、彼から来る言葉を受け止めるべく、拳を握り込み背筋を伸ばす。

 

「いいか、よく聞けよ。ガハマ」

「う、うん……」

 

 大きく息を吸い、吐く。先程とは違う、気の利いたものでは決してない、飾らないそれを、口にする。

 

 

「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」

 

 

 言われた結衣はビクリと震え、言った八幡も羞恥が押し寄せてきたのかプルプルと震えている。先程とは逆の光景が、先程の焼き増しのように、二人の感情を揺らしていた。

 ほんの少し前は結衣が告白し、八幡が返した。ならば今度はどうだ。八幡が告白し、結衣は。

 

「……よ、よろしく。お願い、しましゅ……」

 

 竹林が風で揺れる音にかき消されるほどのそれは。つっかえつっかえで、かつ最後を思い切り噛んだそれは。しかし紛れもなく、肯定の返事。

 恥ずかしさか、それとも感極まったのか。結衣は勢いのまま八幡へと抱き着いた。思い切り彼に体を密着させ、彼の胸に顔を埋める。

 

「お、おいガハマ」

「……もうちょい、このままで」

 

 はぁ、と彼は息を吐く。ガリガリと頭を掻きながら、しょうがないと苦笑しながら。

 空の月も、灯籠も。そこに二人を遮るものはもう、何もなかった。

 

 




そろそろエンディング

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