虹の軌跡   作:テッチー

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アキナイ・スピリット(後編)

 屋台勝負は続く。

 

 ――A班。

 やはりコーヒーとセットでハンバーグを頼んだのはジョルジュくらいのものだった。

 あの後もまばらに屋台に寄ってくれる学生はいたのだが、当初の予想通り単品での購入が主だった。

 客の入りだけを見れば、今の所B班の方が多いようだ。

「向こうの方が盛況なんでしょうか?」

「いや、客足だけだ。屋台に寄ったから買うとも限らねえしな。それよか委員長、早く薄着にならねえか」

「な、なりません!」

 呼び込みのクロウとエマがあれこれ言い合う中、屋台の中ではユーシスがハンバーグの空気抜きの真っ最中だ。混ぜ合わせたタネをキャッチボールの要領で、両の手の平に交互に打ち付けている。

 ぱんぱんと規則的な音が響き、鮮やかに舞うハンバーグのタネは、さながら踊っているようでもあった。

「ふっ」

 本人もまんざらではない様子である。

 料理とは言えあくまでも優雅に。高貴な者にしか成すことのできないノーブルクッキング。

「わー、ユーシス上手くなってるねー!」

 ミリアムはひき肉と卵、パン粉をひたすらこねる係だ。一応こねたものをハンバーグの形にまとめるまでも担当しているが、ユーシスの検品によって何度もNGをくらっている。ちなみにさすがの彼女も生肉には手を出さないらしい。

 一方のマキアスだが、ユーシスのしたり顔を向けられて心中穏やかでいられるわけもなく「余計な動きが多いんじゃないのか」と鼻を鳴らした。

「お前こそ飽きもせずゴリゴリと豆を挽いて辛気臭い」

「君だって肉を焼いている時は地味だろう!」

「ほう、ならばフランベでもしてやろうか」

「勝手にしたまえ。屋台に燃え移っても僕は知らないからな」

 そんな二人をいつもの事だと、一歩下がって見ていたガイウスは、第二学生寮に向かう覚えのある後ろ姿を見つけた。

「あ、クレイン先輩」

「おう、ガイウスか」

 先日、ガイウスが成り行きでクレインの弟妹の面倒を見て以来、何かと話す機会が増えていた。生来の気も合っているようだった。

「屋台か? 面白いことやってんな」

「ちょっとした屋台を開くことになりまして。どうですか?」

 少し迷ったようだったが、すぐに「うし、一つもらうか」と、にっとした笑みをガイウスに返した。

「かわいい後輩の勧めだからな。ハンバーグを一個焼いてくれ」

「ありがとうございます。ユーシス、頼む」

「任せるがいい」

 油を引いた鉄板の上に、手の平大に固められた肉が置かれる。たちまち香ばしい匂いを立ち上らせた。 

 ハンバーグが焼き上がるのを上機嫌に待つクレインだったが、そんな彼に反対側の屋台から「クレイン先輩」と凛とした声が飛んできた。

 声の主はラウラだった。屋台の奥に見える彼女は腰に手を当て、むすりとした表情を浮かべている。

「お、おお、ラウラか。そう言えば今日は部活に出れないって言ってたな」

「先輩、かわいい後輩ならこちらにもおりますが」

 ラウラもクレインと同じく水泳部なので、日常的に先輩後輩の付き合いがある。じとりとした目を注がれ、言わんとしたことを察したクレインは肩をすくめた。

「わかったよ。そっちはフィッシュフライだよな。練習後で腹も減ってるし一つ包んでくれ」

「練習後でしたら一つでは足らないでしょう」

「……二つ入れといてくれ」

 ややあって、小袋を二つ手にしたクレインは「俺は苦学生なんだぜ」と言い残して第二学生寮へと帰っていった。

 クレインと立ち代わるように、今度は一人の女子生徒がA班の屋台を興味深げに覗いている。

 ショートに揃えられたブロンドの髪と、穏やかな性格をそのまま映したような優しげな瞳。

「ああ、お前か」

「こんにちはユーシスさん」

 彼女に気付いたユーシスは、心なしか柔らかい声音になった。

「今日も礼拝堂に行くのか? ロジーヌ」

「はい。今日は子供達と堂内のお掃除をするお約束なんです」

「よくやるものだ」

「あら、楽しいんですよ?」

 ロジーヌはしとやかに笑う。それを見たエマは「まあ……うふふ」と意味ありげに口許を手で覆った。

「な、何だ? 委員長」

「いえ、何も。さあ注文を聞いてあげて下さい。そして全力でハンバーグを焼いてあげて下さい」

「全力……火力のことか? まあいい。ロジーヌ、なんなら子供達の分を買っていくか?」

「あ、えーと。さすがに子供達全員分となると手持ちが……ごめんなさい」

 しゅんとして謝るロジーヌ。

「何だ、そういうことなら心配するな」

「え?」

 ユーシスはハンバーグの形を整えているミリアムの元へ向かった。

 こねたひき肉を丸形にしたと言っても、半ば粘土遊びのように作っているミリアムである。傍らには、あぶれた小さな塊や形が悪く売り物にならなさそうなものが多く置かれていた。

 ユーシスはいくつかそれを取って来るなり、鉄板の上で焼き始める。

「形は悪いが味は変わらん。不良品の処分に付き合ってくれると助かるのだが」

「でも……いいのですか?」

「売り物にならんものを勝手に押し付けるだけだ。一つ分の値段で釣り合うだろう」

「いや、形を整え直したら正規品として出せるんじゃ――」

「何か言ったか?」

 ぎろりと凄みのあるにらみを利かされて、さすがのマキアスも押し黙るほかなかった。

「おいおい、さすがに一つ分てことは――」

「ええ、適正価格ですわ。……ね?」

 間髪入れずクロウも異を唱えようとしたが、エマの丸眼鏡の奥に垣間見えた謎の眼力に、有無を言わさず閉口させられる羽目になった。

 焼き上がったハンバーグを受け取ったロジーヌは何度もお礼を述べて、嬉しそうに礼拝堂へと向かった。

「ユーシスさん、優しいですね」

「その優しさの一欠けらでも俺達に分けて欲しいもんだぜ」

「同感です」

 そんな意見はさらりと流し、ユーシスはどこか満足げにハンバーグの空気抜きへと戻るのだった。

 

 ――B班 

 下校者が増えていくにつれ、客足は好調になった。

 動けばまだ汗ばむという気候も相まって、丸絞りジュースは好調に売れ行きを伸ばした。塩気のあるフッシュフライも一緒に勧めるという商法で、一時は列もできた程だ。

 話を聞きつけたトリスタ町民が、少ないながら足を運んでくれたのも嬉しい誤算だった。

 何だかんだと残りの材料は三分の一にまで減っている。

「あ、ラウラだ。そっか今日なんか屋台をやるとか言ってたよね」

「へえ、なに売ってるのよ?」

 客の入りも落ち着きを見せ始めたころ、下校してきた二人組の女子生徒がB班の屋台に歩み寄ってきた。

「そなた達か。よく来てくれた」

 二人に気付いたラウラは顔を明るくする。

 やってきたのはモニカとポーラ。

 モニカはラウラと同じく水泳部なので以前より友人としての付き合いがあるのだが、ポーラと仲良くなったのはつい先日のことだ。

 エリオットとガイウスの強制特訓の折、力を貸してもらったことがきっかけである。

「せっかくだから何か頼んじゃおうかな。喉も乾いたしジュースにしよっと」

「じゃあ私もそれちょうだい」

 あまり深くも考えずにオーダーしたモニカとポーラだったが、一瞬だけラウラの表情が曇ったことを二人は見逃さなかった。

 同時にその理由を脊髄反射の速さで弾き出し『あとフィッシュフライも!』と声を合わせて追加の注文を飛ばす。

「任せて欲しい。精一杯作らせてもらおう」

 頬を緩めたラウラは、すでに用意していた二人分の白身魚をフライヤーへと滑り込ませた。

 直後、勢いよく油が跳ね上がり、思わずラウラはその場から後じさった。

「まさか、ここにきて抵抗するとは……!」

 背後の壁に張り付く程に退避しているラウラは、フライヤーからを飛び出して激しく跳ねまわる油と、その元凶たる白身魚を忌々しげに睨みつけた。

 モニカがフライヤー越しに言った。

「ね、ねえラウラ。ちゃんと魚の水気を取った?」

「いや、しっかりパン粉をつけようと思い……水に浸してみたのだが」

「ああ……ラウラ――」

 さっきまでみたいに、普通に小麦粉とパン粉で作ってくれれば――

 出かかったその言葉を、モニカは無理やり喉の奥へと押し込めた。

 それは大切な友人達に美味しいものを食べてもらいたいというラウラの心遣い。それがわかっていたから、モニカは二の句を継ぐことができなかった。

 たとえその心遣いが、あさっての方に向いていたとしても。

「そ、その……」

「待ってモニカ、ここは私が」

 言いよどむモニカの前に、ポーラが歩み出る。

 まるでトゲを体中にまとったかのような、攻撃的な雰囲気が漂っていた。

「呆れたものね。武門の家の息女として、しかも海辺の町で育ったあなたが、たった一匹の魚に遅れを取り、油ごときに後退を余儀なくされるなんて」

 滑稽だわ、と吐き捨てたポーラの口調は本気だった。

 ラウラの横で「ひっ、ポーラ様!」と怯えるエリオットに一瞥もくれず、「ちょっとポーラ!?」と制するモニカにも構わず、ポーラはさらに続けた。

「あなたは剣を手にして、たくさんの相手と戦ってきたのよね? あなたは目の前の敵から一度でも逃げたことがあって?」

「そんなことあるわけがなかろう。私は戦いから逃げ出したことはない」

「だったらこの状況と何が違うの? 今! あなたの戦うべき相手はフライヤーの白身魚! そして持つべきはトング! ねえ、ラウラ教えて。剣とトングは何が違うの!?」

 店頭で成り行きを見守っていたリィンは「全てが違うだろ……」とぼそりと呟くが、拳を固く握って熱弁するポーラには届かなかった。

「……そなたの言う通りだ。得物は違えど、アルゼイド流の理念は何も変わらぬ」

 ラウラはトングを手にし、高温の油が跳ねるフライヤーに一歩踏み出した。もうその目に恐怖はない。

 モニカはポーラを押しのけながら叫ぶ。

「危険よ! あたし、フィッシュフライなんていくらでも我慢する。だからお願い、無茶はやめて!」

「私の矜持だ。許せ、モニカ」

「やめて……お願いよ。もし肌に油が飛んだら……あなたの白い肌に火傷の痕が残ったらどうするの!?」

「私の身の安全など、このフライヤーを任された時から当に捨てている」

 ラウラの足は止まらない。モニカの目が鋭くなり、彼女をフライヤーの担当に仕立て上げた張本人――リィンに向けられた。

 あまりに強烈な敵意に、意味も分からずリィンは戸惑うばかりだが。

 モニカが視線をラウラに戻した時、すでに彼女はフライヤーの前に戻り、トングを構えていた。

「いいのね?」

「無論だ」

 ポーラの最終確認に即答し、ラウラは迷うことなくフライヤーにトングを突き下ろした。

「やめてえええっ!」

 悲痛な声を辺りに響かせ、モニカはその場にへたり込んだ。

 地面についた手の平から冷たい感触が伝わり、己の無力を噛みしめたモニカは、ただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。

「ラウラが、ラウラが……」

「モニカ、顔を上げなさい」

 ポーラに促されるままに力なく顔を上げるモニカ。

「あ……!」

 真っ先に彼女の視界に入ってきたのは小さな紙袋。そして息も荒いままに、それを差し出すラウラの姿だった。

「待たせたな」

 袋の中には出来たての――やや焦げ付いた――フィッシュフライが収まっていた。

 それを受け取ったモニカの瞳が潤む。

「あたしこのフィッシュフライ、宝物にする……ぐす」

 ポーラも高く空を見上げた。まるで目に滲んだ雫がこぼれ落ちないように。

「まったく世話がやけるわね……あたしもしばらくは部屋に飾るとするわ」

「いや、食べなさいよ!」

 ついに耐え切れなくなったアリサが突っ込みを入れるが、三人には聞こえていないようだった。

「そなたらのおかげで、私は大切な何かを思い出せたような気がするぞ」

 晴れやかに告げるラウラを見て、その大切な何かが白身魚を水に浸けないことであって欲しいと、リィンは心の底から願うのだった。

 

 ――A班 

 やめてええええ! とその場一帯を震わす絶叫に、A班の面々はぎょっとしてB班の屋台に振り向いた。反対側の屋台ではまるで劇の一幕のようなシーンが展開されている。

「あいつら何やってんだ?」

「……さあ、とりあえず売れてはいるようですが」

 A班も売れていない訳ではないが、いかんせん取り合わせが悪い。やはりコーヒーとハンバーグでは後手に回ってしまう。となると鍵になってくるのは、どれだけ呼び込みで集客できるかだ。

「ほら、委員長声張れって。ハンバーグ一つお買い上げにつき、一枚ずつ脱いでいきますってよ」

「ぬ、脱ぎませんってば。 七つ売れたら私大変なことになるじゃないですか!」

 ピタリとミルを回す手を止めたマキアスは「な、七つ!?」と驚愕に満ちた声を上げた。

「……マキアスさん?」と疑惑に満ちた目を向けるエマ。

「ち、ちがうぞ、エマ君!」と裏返った声で何かを否定するマキアス。

「何が違うんだ?」と本当にわかっていなさそうなガイウス。

「本性を眼鏡の裏に隠していたか」といつもの責め口調のユーシス。

「マキアス、想像したんだー」とにやつくミリアム。

「なあ、委員長、恥ずかしがんなって」と構わず説得を続けるクロウ。

「君はまだ恥ずかしがっているのかね?」と焦れたように言う――……

 思い思いの言葉が飛び交う中、明らかに知らない声音が混じっていた。

 背中にうすら寒い感覚を覚えて、エマは恐る恐る振り返る。

「きゃあああ!?」

 いつの間にか背後に立っていたその人物を見るなり、彼女は絶叫した。

 時に落ち葉掃きを、時に植木の剪定を、時に校舎の補修を。雑務を一手に引き受ける学院の影の功労者。その温和な性格から物を頼みやすいと、各方面から良い評判を聞くことも珍しくない。

 しかしエマだけは彼の真の姿を知っていた。

 一見して、穏やかな白髪の老紳士。しかしてその実態は、歪んだ愛の伝道師。

 帝国男子の青春を原動力に、秋空に狂い咲いた一輪の用務員。

「ガ、ガガ、ガッ、ガイラーさん!?」

「エマ君、及ばずながら君の力になろう」

 壊れたスピーカーのようにガを連呼するエマの横を通り過ぎ、ガイラーは脇目も振らず屋台へと向かった。

「コーヒー豆は君が挽いているのかね?」

「ええ、そうですが」

 ふむ、とあごをしゃくり、ガイラーはマキアスからユーシスへと、ねめつけるように視線を這わせた。

「このハンバーグ……その綺麗な丸型のものをこねたのは、そちらのお嬢さんかな? それとも君かな?」

「形のいいものはミリアムじゃなくて俺が作ったものだが」

 ユーシスがそう答えると、ガイラーは口の端をにんまりと引き上げて「……実にいいね」と目じりのしわを深くした。

「ではコーヒーとハンバーグを一つずつもらおうか」

「お! いいねえ、ガイラーさん。ハンバーグ焼き上がるまでちょっと待っててくれよ」

 クロウが上機嫌に言うと、ガイラーは「……君もいいね」と小さく呟いた。

 溢れ出す狂気を察知したエマは、魔導杖を持ってきておけばよかったと強く唇を噛みしめた。

 ガイラーはマキアスに言う。

「そうだ。私は甘党でね。スティックシュガーを二本くれるかい?」

「わかりました。お渡しの際に付けておきますよ」

「私は今欲しいのだよ」

 なぜ今必要なのだ。そんな疑問は浮かんだが、断る理由もなくマキアスは箱から取り出したスティックシュガーを、言われたままに二本手渡した。

「ありがとう、さて……」

 何かする。全身が総毛立つ程の嫌な予感が、電流となってエマの体を駆け抜けた。

 ガイラーは二本のスティックシュガーを交差させ、✕印を胸上に掲げてみせる。

 呼び込みを続けるクロウと、売上確認をするガイウスとの間に、その✕印をすっと静かに定めた。

「なるほど、『火遊び好きな先輩と物静かな留学生~黒と白のワルツ』……いいね」

「ひっ!」

 ただ一人、ガイラーの邪な思惑に気付いたエマ。しかし当の本人達が全く気付いていない為、公にそれを止めることはできなかった。

 続いて角度を変えた✕印が、クロウとマキアスの間に移る。

「ほう……『真面目と不真面目のコンチェルト~乱れる放課後の銃撃戦』と言ったところかな?」

「そ、それ以上はさせません!」

 スティックシュガーを奪おうとしたエマをひらりとかわし、立て続けにクロウとユーシス、ユーシスとガイウスといった具合に、鮮やかに、そして滑らかに✕印を躍らせた。

「ふふ、『生意気な後輩エブリディ~本音と建前』に……こっちは『馬乗りフレンドシップ~駆け抜ける禁断の大地』か。いい、実にいい」

 何気に細かな個人情報を掴んでいるらしいガイラーは、ついにメインディッシュへと手を伸ばした。

 ほの暗い欲望を象徴した禍々しい符号が、とうとうユーシスとマキアスの間に添えられる。

「なんと……『素直になれないボーイ・ミーツ・ボーイ~弾ける理性と爆ぜる眼鏡』とは……Ⅶ組男子のポテンシャルはこれほどかね」

 ふんふんと鼻息を荒くしたガイラーは、興奮も収まらないままに、ゆらりとエマに向き直った。

「素晴らしい仲間達じゃないか。大切にするといい」

「いい言葉ですけど、なんだか意味合いが違いますよね!?」

「最高のインスピレーションだよ。さっそく帰って机に向かうとしよう。もちろん、罪深いほどに黒く染め上げられたコーヒーと、焦がれる程に熱を注がれたハンバーグを傍らに置いて、ね」

「とりあえず言葉を勉強し直して下さい……」

 無駄にしなやかな手つきでコーヒーとハンバーグを受け取ったガイラーは、悠然とその場を去っていく。

 学院の男子情報を手中に収めつつ、己の望む道を突き進むガイラー。エマが否応なく抱いたあらゆる危惧は、やがて毒牙という言葉に結実した。

「何か寒気が……?」

「実は俺もだぜ。風に当たり過ぎたか?」

「妙な風は過ぎ去ったようだが……」

「……少し火力を上げるか」

 知らぬ間に身に起きた惨事を、今更ながらに感じている男子達を見て、彼女は一つの決意を固める。

 未だ忍び寄る魔手に気付かない彼らの身は自分が守らねば、と。

 それはⅦ組の委員長として、そしてガイラーをその道に脱線させるきっかけを作った者として。いや、正確に言えば、それは文芸部部長のドロテなのだが。

 エマとガイラー。

 不屈な彼を止める為の、不毛な彼女の戦いは、ひっそりと開戦の狼煙を上げたのだった。

 

 

 ――B班 

「いらっしゃいませー、フィッシュフライいかがですかー」

 誰かが通る度にアリサはにこりと微笑みながら、柔らかな声色で呼び込みを続ける。意外にその効果は高く、足を止める客――主に男子学生――も少なくはなかった。

「さすがにあれは私には真似できんな」

「私にも無理」

 ラウラとフィーはアリサの奮闘を見守るが、リィンは逆に落ち着かないようだった。

「アリサがずっと笑顔だと違和感あるな」

「あなたが笑顔でやれって言ったんじゃない!」

 ふくれっ面で、ずいと詰め寄るアリサ。

「リィンは学院の知り合い多いんでしょ? 顔見知りの一人くらい連れて来なさいよ!」

「そうは言ってもすぐに知り合いなんて……あ」

 ちょうど見知った顔がすぐそばを通り過ぎようとしていた。

 ハンチング帽に水場に適したブーツ、その背に担いでいる筒状のバッグはリィンにも馴染みのあるものだ。

「待ってくれ、ケネス」

「ん? やあ君か」

 名前を呼ばれて、ケネス・レイクロードは足を止めた。釣皇倶楽部の一年生部長で、魚を待つことを楽しむ故か、のんびりとした気性の持ち主である。

「今から釣りに行くのか?」

「そうだよ。今日は橋下のポイントを狙ってみようと思ってるんだ」

「だったら釣りのお共に、丸絞りジュースなんて買っていかないか? 飲み物を片手に魚を待つのもいいと思うぞ」

 ここぞとばかりに売り込んでみる。フィッシュフライも一緒に――と勧めたかったが、これから魚を釣ろうとするケネスに、揚げた魚も悪くないぞとはさすがに言えなかった。

「そうだなあ。うん、だったら貰おうかな」

「ありがとう。じゃあエリオット、ミキサーを頼むよ」

「任せて……あれ?」

 エリオットがミキサーのスイッチを押すも動かない。首を傾げて何回もボタンを押し込むが、モーターの駆動する音は聞こえるものの、肝心の本体がなぜか起動しなかった。

「うーん、故障かな? 結構連続して使ってたし」

「トラブルかい? じゃあ、残念だけどまたの機会に」

 早く釣りに行きたいのだろう。ケネスは川へと歩先を向けた。

「すぐ直すから十分、いや五分待ってくれ」

 リィンが引き止めようとするが、もう体が川へ行こうとしている。

「五分も待ってたら魚が逃げちゃうよ」

「何時間も待つんだろう? 五分くらいいいじゃないか」

「五分でも早く釣り場に行って、僕は何時間でも魚を待ちたいのさ」

「それは何か間違っていないか。修理するから――」

 二人の会話は、突然響いた一発の銃声にかき消された。

 吐き出された薬莢がカラカラと乾いた音を立てて、ケネスの足元にまで転がっていく。

 全員の目が、屋台の中に向けられる。

 重なった視線の先には、涼やかな風に銀髪をそよがせるフィーの姿があった。

 固まった表情でリィンが問う。

「……何をしているんだ」

「ジュース作り?」

「俺に訊かれても」

 今の状況。仮にパイナップルのヘタを髪と表現し、人の顔に見立ててそれを例えるとしたら。

 フィーは左手で髪をわし掴み、右手に持ったガンナイフをこめかみに突き付けて、無表情に、無感情に引き金を絞ったのだ。

 銃弾を撃ち込まれたパイナップルは反対側の外皮を爆ぜさせ、身の詰まった果実を四散させる。

 ヘタを掴んだままのパイナップルをぶら下げ、フィーは呆然としているケネスの前に立った。

「ケネス」

「は、はい!」

 抑揚のない声にビクリと肩を震わす。

 フィーはパイナップルを彼の顔前に持ち上げた。

「ん」

 無残に穿たれたパイナップル。その弾痕からは黄色い果汁が滴っている。

 ケネスは理解した。この年端もいかない少女は、これを飲むように促しているのだと。

「い、いや。実は僕、今そんなに喉乾いてないんだよね、だから」

「早く飲んで」

 感情の読めない瞳の奥に何かがぎらついた。

 冷気をまとった鈍い光が、ナイフの無機質なそれとも重なり、ケネスは記憶の底に沈んでいた悪夢を思い出した。

 かつて早朝に釣り上げたオオザンショを強奪された、あの日のことを。

 なぜ今まで忘れていたのか、あの時ナイフをちらつかせて二匹のオオザンショを奪っていったのは、他ならぬこの少女ではないか。

 途端にケネスの四肢を恐怖が縛る。尋常ではない汗が滲みだして、体が思うように動かせなくなった。

 鈍くなっていく思考の中、ケネスは確信する。これは飲むことを促されてなどいない。ただ強要されているのだ。 

「もしかして飲みにくい?」

 細かく震えるケネスにそんなことを言う。

「ちょっと膝をついて」

 もはや断るだとか、やり過ごすなどという考えすら浮かばない。

 どこからか響く、従えという言葉に従い、ケネスはがくがくと笑う膝を折り、フィーの前に跪く。

 パイナップルがケネスの顔に近づけられる。彼は果汁が滴り続ける破孔に、その口に添えた。

 無遠慮に注がれ続ける甘だるい液体は、それがケネスの口からあふれ出ても止まることはなかった。

「おいしい?」

「は、はい……ごぶふっ!」

 もちろんフィーには悪意も他意もない。戦場における水分補給を、このように済ましたこともあったのかもしれない。

 しかし悲しいことにその光景は、『いたいけな少女の前に跪く危ない男性』というありがたくないタイトルと、明らかに正常ではない背景しか喚起されなかった。

 

「な、なんかこれってよくない絵面のような……」

 止めようとして、その世界に踏み込んでいいものか一瞬迷い、エリオットは二の足を踏む。

 そんな彼の耳に、町側から歩み寄って来る足音が届く。

「その光景を背徳的と捉えるその感性。さすがは猛将だ」

 顔を見なくてもエリオットには声の主がわかった。自分を猛将と呼ぶ人間などこの世に二人しかいない。

 一人は先ほどやってきたミント。そしてもう一人が――

「ケ、ケインズさん、どうしてここに?」

 トリスタ唯一のブックストア、《ケインズ書房》の店主だ。

「やあ猛将。いや、カイから屋台が出てると聞いてね、足を伸ばしてみたら猛将の姿をみつけたんだ。ところで猛将は――」

 ケインズはエリオットを猛将、猛将と連呼する。

 その名で呼ばれるに至る経緯は誤解の一語に尽きるのだが、他のメンバーがそれを知る訳もなく、彼らはエリオットを見ながら訝しげな顔をしている。

「父君だけではなく、そなたも猛将なのか?」

 ラウラがそう訊くとエリオットではなく、なぜかケインズが自分のことのように自慢げに語った。

「彼の猛将列伝を聞きたいかい。あれは忘れもしない九月十二日、彼は店の扉を蹴破って入って来るなり言ったんだ。この店で一番たぎる本を出せって――」

「だあああああ!?」

 エリオットは大声でケインズの言葉を打ち消した。

 いつの間にか記憶の改ざんが行われていた。日にち以外全て間違っている。

「ケ、ケインズさん! 何か買いに来てくれたんですよね、さあ早く!」

 これ以上余計な事を言われる前にと、エリオットはケインズを屋台の前に急かす。しかし彼は、フィーとケネスの交互に視線を巡らしたまま動こうとしない。

 ややあって「うむ」と深くうなずき、ようやくオーダーを口にした。

「あれと同じサービスを」

 至極真面目に注文してくるケインズから目をそらし、エリオットは強く思う。それは偶然にも先程エマが思ったこと同じだった。

 魔導杖を持って来ておけばよかった。

 

 ――B班

「フィーちゃんったら……」

「こっちも負けてられねえな。しかしあいつら、ほんとにさっきから何やってんだ?」

 見ればA班の屋台ではトラブルが起きていたようだ。

 ようやくパイナップルから解放されたケネスは転げるようにして走り去っていき、何やら店頭でごねていたブックストアの店長は、エリオットからフィッシュフライを押し付けられ、しぶしぶ帰っていく。

 そんな折、B班の屋台にも新しい客がやってくる。 

「お、やってるね」

「わー、おいしそうだねえ」

「お前らが来るとは思わなかったぜ」

 クロウは少し驚いたようだった。

 物珍しげに屋台を見回すアンゼリカ・ログナー。その隣にちょこんと控えるトワ・ハーシェルである。

「もしかしてジョルジュから聞いたのか?」

「うん。おいしそうなハンバーグ食べながら歩いてたから話を聞いてみたんだ」

「あそこまでハンバーグの似合う男はそういまい」

 どうやら技術棟に辿りつく前に、ジョルジュはハンバーグを完食してしまったらしい。

「何にしても歓迎するぜ。それでハンバーグとコーヒーどっちにすんだ? 両方でももちろん構わねえぞ」

 しかしアンゼリカはかぶりを振った。

「悪いが私は向こうの屋台に行かせてもらう。もっともエマ君が頬を赤く染めながら、いじらしい手つきでハンバーグをこねてくれるのなら、ここに留まる事もやぶさかではないのだが」

「だとよ。委員長出番だ」

「やりませんってば」

「ふーむ、残念だ」

 アンゼリカはスタスタとA班の屋台に向かっていった。

「アンちゃんたら、もー」

「あいつ冷やかしかよ。トワはなんか買ってくれるよな? というかお前もハンバーグ好きそうだよな」

「見た目で判断しないでくれるかな。……好きだけど」

 ぷくりと頬をふくらますものの、一応は肯定するトワである。

「よーし、ユーシス。ハンバーグ焼いてくれ。材料余ってんだろ? ちょっと大きめのやつで頼むわ」

「ク、クロウ君!? 普通! 普通でいいからね、ユーシス君も!」

「任せておくがいい」

 焼き上がったハンバーグはトワの顔が納まるくらいの大きさがあった。

 ずしりと重いハンバーグを受け取ったトワは、困った表情を浮かべてみせるものの、明らかに嬉しそうだった。 

「もー、えへへ。あ、アンちゃんが帰ってきた」

 A班の屋台からとぼとぼ歩いてくるアンゼリカは、肩を落としている。男装の麗人という言葉が誰より似合う、普段の凛然とした態度の彼女には到底見えない。

「ど、どうしたの。何か買いに行ったんじゃなかったの? 何も持ってないみたいだけど」

 トワが心配そうに言うと、アンゼリカは悲しげな瞳で彼女を見返した。

「うん、さっきフィー君がやっていたサービスを頼んだんだが……アリサ君に追い返されてしまったよ」

「アンちゃん……」

「俺の同期ってロクなやつがいねえ……」 

 クロウがげんなりとした口調で言う。

 今回のオーダーでは出番の無かったマキアスが、そんな彼の背中に目を向けた。

「先輩がそれを言いますか」

 

 ――B班

「やっとミキサー直ったよ」

 エリオットは額の汗を拭う。どうやらパイナップルの下処理が甘かったらしく、残った皮がスクリュー部分に詰まっていたようだ。

「反省」

 そう言うフィーだが、くるくるとナイフを手中で回す姿にあまり反省の色は見られない。

 刻限の二時間まであと三十分といった所で、学院からの下校者も徐々に減ってきた。

「もう少し来て欲しいところよね」

 アリサは正門に伸びる坂を見上げたが、やはり下校者は見当たらない。

 その時、正門から一人の女子が飛び出してきて、そのまま坂を駆け下りてきた。白い学院服。豊かな薄紫の髪を振り乱している。

「フェリス?」

「アリサ!? 助けて下さいまし!」

「た、助けるって何を――え゛」

 フェリスに遅れて、正門から姿を見せたのは彼女だ。ずんぐりとしたシルエット。ずしずしと地鳴りのような足音を響かせて、フェリスを追走する肉塊の戦車――マルガリータである。

「こっちよ、急いで!」

「これでも全速力ですわ!」

 坂を下ったフェリスの腕を掴むなり、屋台の中に二人して身を隠した。

 アリサは全員に叫んだ。

「あなた達絶対に言わないでよ! なんとかあっちの屋台に行かせて! 危険だから!」

「ですわ!」

 危険の意味が分からず、二人の怯えた様子に顔を見合わせるB班の面々。

 少ししてマルガリータも坂を下りて広場までやってくる。

「うふふ、ヴィンセント様との会食の場を取り持ってもらうわ。フェリスさん、どこなのお。色んな匂いが邪魔してわからないじゃないぃ」

 びりびりと腹の底が震える程の声量に、屋台が軋みの音を立て、フライヤーの油が波打った。

「ねえん、あなた達?」

 怪しく光る目がリィン達に向けられた。

「薄紫の髪をした女の子を見なかった? 私の未来の義妹なんだけどお」

(か、勝手なことを……)

(ちょっとフェリス、動かないで)

 憤るフェリスを、屋台の陰でアリサは懸命に抑える。

「つまりヴィンセント様が私の未来のお婿さんなのよお! ムフォッ!」

 これは危険だ。

 意見は心の中で一致し、面々は無言でA班の屋台を指さした。

「あっちねえん?」

 にたりと頬肉を押し上げたマルガリータは、のしのしと反対側の屋台に向かった。

 

「な、何か来たぞ?」

 一方のA班、迫るマルガリータに一早く気が付いたのは店頭にいたクロウだった。

「お、お客さんでしょうか」

「風が彼女を避けていくようだが……」

「あ、マルガリータだ」

 ミリアムとマルガリータは同じ調理部に所属している。マルガリータの調理途中の品を、度々ミリアムがつまみ食いしてしまう為、何かと(一方的な)ケンカに発展してしまうことも多い。

 A班の屋台の前に立ったマルガリータは「ねえ、こっちに薄紫の――」と言いかけて言葉を止めた。

 その視線が鉄板と、その横に置かれた加熱前のハンバーグに注がれている。

「……これ、売ってるの?」

「そうだが、買っていくか?」

「頂くわ」

 ユーシスが尋ねると、マルガリータは即答した。

 ガイウスが会計の為に屋台から店頭に出てくる。

「ハンバーグ一つお買い上げだな。600ミラに――」

「五個よ」

「ごっ……!?」

 平然と告げるマルガリータに、さしものガイウスも言葉を失った。

 ユーシスでさえも焦った様子で、鉄板の上に置こうとしたハンバーグを取りこぼしそうになっていた。

「ばっ、お前ら、ありがてえじゃねえか! ほら早く焼いて差し上げろ」

「あ、ああ、わかっている」

 鉄板の上に敷き詰めるようにして乗せられた五つのハンバーグは、すぐにじゅうじゅうと音を立て出した。

 マルガリータは満足そうに肉が焼ける様を凝視している。その視線から放たれる熱で、肉が焼けているかのような錯覚を覚えたユーシスは、いつのまにか手のひらに汗が滲んでいることに気付いた。

 重圧感、圧迫感。まるで父と対面する時のような居心地の悪さがそこにあった。

(早く焼けるがいい……!)

 物言わぬハンバーグに、焦燥と苛立ちをぶつけるユーシスだったが、もちろん焼き上がる時間が早まるはずもない。

 願い空しく、相応に時間をかけて焼き上がった五つのハンバーグを手早く容器に入れて、ユーシスはマルガリータに手渡した。

「あら、ありがとう。ぐふふ、おいしそうねえ」

 気圧されるメンバーだったが、それでもクロウは果敢に攻める。

「ハンバーグ五つも食べたら、さすがに喉が乾くだろ? 食後の一服にコーヒーなんて」

「いらないわ」

 クロウの言葉に押し被せ、マルガリータはハンバーグの一つを摘み上げた。

 そのまま口許まで運ぶと、肉食魔獣が獲物を捕食する時のように、ぐあとその大口を開く。

 たったの一口でハンバーグ丸々一個が口中に収まり、二噛みしただけで肉の塊はごきゅんと喉を鳴らして、胃まで落ちていった。

「お、おお……」

 絶句するクロウに、マルガリータは言う。

「だってハンバーグって飲み物でしょお?」

 残り四つのハンバーグも、まるでダストシュートでも通るように、あっという間に大口の中へと消えていった。

「フェリスさん、もう寮の中に戻ったのかしらねえ」

 今更ながらに目的を思い出したマルガリータは、固まるA班の面々の間を通り抜け、第一学生寮の階段をずしずしと登っていった。

 

 

 ――終了十五分前。

「リィン、ここらで売上の発表と行こうじゃねえか」

「ああ、客足も落ち着いているし、もう構わないだろ」

 二つの屋台の間に相対して立つリィンとクロウ。

 二人が合図をすると、それぞれの後ろから会計担当のエリオットとガイウスが歩み出た。

 まずはA班、ガイウスが売り上げを読み上げる。

「A班の屋台だが……コーヒーが14杯で5600ミラ。ハンバーグが17個で10200ミラ。合計金額は15800ミラだな。」

 続いてエリオットがメモ紙を広げる。

「B班の屋台は……丸絞りジュースが31杯で6200ミラ、フィッシュフライが26個で7800ミラ。合計金額は14000ミラだね」

「……ということは」

 差し引き、1800ミラでA班に軍配が上がった。

「くそ!」

「作戦勝ちってやつだぜ」

 しかしリィンは諦めなかった。

「まだだ! あと十分あれば逆転できるかもしれない。アリサ、呼び込みを続けるぞ」

「で、でも」

 1800ミラの差を埋めるなら、単純計算でもフィッシュフライが6個。もしくは丸絞りジュースを9個売らなくてはならない。残りの時間と、今の客足を考えると現実的ではない数字だ。

「くく……ははは、ハーッハッハー!」

 そんなB班をクロウはあざけるように、高らかに笑いあげた。まるで悪の組織の親玉だ。

「さあB班の諸君、罰ゲームだ。男子共は俺のたまりにたまった各講義のレポートを代わりに全部書き上げやがれ。女子共は今すぐ水着に着替えて写真撮影会だ!」

「なっ! 横暴だぞ。そもそも罰ゲームなんてなかっただろ!」

「み、水着~!?」

 踏ん反り返るクロウに、味方からも非難の声が上がる。

「下衆め」

「そのペナルティだと先輩しか得しないじゃないですか」

 しかしクロウは知らぬ存ぜぬで「勝ったんだからいーんだよ」とにやつく笑みを浮かべた。

「お話は伺いました」

 雑言吹き荒れる中、涼やかな声が通る。

 楚々とした佇まいのメイド服が微笑を浮かべていた。ルビィを引き連れたシャロンがそば立っている。いつの間にやってきたのか、誰も気付かなかった。

「ルビィの散歩ついでに屋台の事を小耳に挟んだものでして。Ⅶ組の皆様、万事はこのシャロンにお任せを」

 うやうやしく一礼したシャロンは、A班とB班の屋台を見比べると「今日のお夕飯の一品に加えさせて頂きましょう」と上品に微笑んだ。

「ではオーダーを申し上げます。ハンバーグを3個、フィッシュフライを12個お願いしますわ」

「なっ、そりゃねえぜ」

 上乗せの結果、総額は双方共に17600ミラ。つまりは引き分け状態だ。

 アリサが言う。

「ちょっとシャロン! どうせならフィッシュフライもう一個買いなさいよね」

「まあ、お嬢様。皆様の勝敗を分かつ大事な局面ですもの、そんな重責にシャロンはとても耐えられません」

「よく言うわ……」

「ですので――」

 腕をすっと持ち上げ、静かに坂の上を指し示す。

「最後の判定は、あの方にお任せするのはいかがでしょう」

 全員の視線が正門側に向けられる。

 そこには自分達の担任教官――サラ・バレスタインが鼻歌交じりに坂を下りてくる姿があった。

「では私は夕ご飯の支度に戻りますわ。ハンバーグとフィッシュフライを使ったオードブルでもご用意致しましょう。うふふ」

 万事をサラに投げ渡して、シャロンは早々と寮に引き返していった。

 

 

「あんた達、何やってんのよ?」

 二つの屋台の間で足を止めたサラ。正確にはリィンとクロウが進行方向を立ち塞いでいたので、止まらざるを得なかったのだが。

 そんな彼女をA班、B班が共に取り囲んだ。もはや経緯や意図の説明など必要ない。あと一品買わせた側の勝利だ。戸惑うサラにⅦ組の面々は、まくし立てるように商品を押し勧める。

「サラ教官、お疲れでしょう? 甘いジュースでも飲みませんか」

「いや、ここは温かいコーヒーで一息つくべきではないですか?」

「お酒のおつまみにフィッシュフライなんてどうかしら」

「ハンバーグもおいしーよー!」

 あらゆる方向から、フライにハンバーグ、ジュースにコーヒーが突き付けられる。

「え? え! え!?」

 状況が全く呑み込めず、ぐるぐると見回すサラに、クロウは諭すように言った。

「落ち着け。難しく考えなくていい。要はこの商品を男だと思うんだ。安くて量を買えるフィッシュフライか、高くても質のいいハンバーグか。どちらを選べば失敗がない?」

「あ……」

 ふらふらとサラの手がハンバーグに伸びる。

 させるものかと、リィンが声を張った。

「違います、サラ教官! 質の高さを求めて見送ってきた結果が今じゃないんですか!? もう選ぶ余裕なんてないはずです。一発必中はやめて、百発撃って一発でも当たる可能性を選ぶべきだ!」

「……あ」

 出しかけた手を引き、サラはフィッシュフライに目をやる。

 巻き返せとばかりにA班がさらに詰め、負けじとB班も続いた。

「サラ教官には甘くて優しい方が似合うと思います」とアリサがジュースを差し出すと「教官は渋くてほろ苦い方が好みのはずだ」とマキアスがコーヒーを掲げる。

「私が揚げたフィッシュフライをぜひ食して欲しい」とラウラが出れば「俺が焼いたハンバーグは絶品だ」とユーシスも下がらない。

「私が果物をむいたんだよ」とフィーが言えば「ボクだってハンバーグをこねたよ!」とミリアムが言い返す。

 舌戦に継ぐ舌戦。その渦中でサラはたじろぐばかりだった。

『さあ、どれを選ぶ!?』

 全員から追い詰められたサラは「あ、あんた達……」と震える声を絞り出した。

「あんた達なんなのよーっ!」

 叫んでリィン達を押しのけるなり、物凄い速さで走り去ってしまった。

 同時に刻限の二時間が過ぎる。

 その結果。Ⅶ組による売り上げ勝負は引き分けに終わったのだった。

 

「いやーお疲れさんやったなあ」

「引き分けは予想外だったけどね、でも十分だよ」

 サラと入れ違う形で、ヒューゴとベッキーが広場に戻って来る。

 一通りの労いを済ました所で、今回のモニタリングはそれなりの成果があったことを伝えた。

「屋台の中で一緒に勧められる商品があった方がええな。あとやっぱり季節と環境にあったもんが一番や」

「マシントラブルもあったみたいだし、予備はあった方がいいか。あとは――」

 饒舌に語る口の滑らかさは、やはり商売に適しているのだろう。

 二人の直接対決は一か月後の学院祭とのことだ。

 それまでに二人はまた揉めるのだろうな、とリィンは頭の片隅で思う。

「まあ何にせよ、依頼達成だよな。それじゃあ皆、後片付けに――」

「ちょっと待ちや」

 ベッキーはつかつかと二つの屋台、そこに置いてある余った材料をざっと確認しに回った。

「ふむふむ、まあこんなもんやろうな。むしろ上出来や」

 再びリィン達に向き直ったベッキーは、にっと白い歯を見せた。

「片付けんのはまだ早いで。言ったやろ? お礼も用意しとるって」

 

 ●  ●  ●

 

「ユーシスまだー?」

「そんなに早く焼けるか」

「マキアス、コーヒー粗びきで頼めるか」

「おお、ガイウスはわかってるじゃないか。少し待っててくれ」

 広場にわいわいとⅦ組の声が響いている。

 これがベッキーの言うお礼だった。初めて屋台に立つ彼らが、全て売り切れないことはもちろん想定内だ。ならば余った材料を使って労働分の対価を払う。

 ただ働きはしない、させない。それが卵とは言え、商売人の末席に座る二人の流儀だった。

 食べ物の匂いの中で動き通しだったので、腹は普段よりも空いている。リィン達にとっては願ってもない申し出だった。

「フィー、フルーツジュースを頼む。オレンジ多めでな」

「了解。ラウラもフィッシュフライ揚げといて」

「最高の一品を約束しよう」

「普通でいいから」

 皆、皿を片手に二つの屋台を往復する。

「アリサもハンバーグ好きそうだよな」

「ちょっとリィン、何でそう思うのよ!? ……まあ、好きだけど」

「あー、結局俺がレポートやんのかよー。なあ委員長、代わりに」

「やりませんよ?」

 ちょっとした立食パーティーの雰囲気に、それぞれが満足しているようだ。

 全ての材料を使い切った一同は、心地良い満腹感を感じながら思い思いに休んでいる。

「ふう、少ししたら今度こそ片付けしないとな」

「いやー、食った、食った。俺ここで眠れるぜー」

 壁に寄り掛かって一服するリィンとクロウの元に、ヒューゴとベッキーが近づいてきた。

「お、もう終わりなんか?」

「ああ、材料もなくなったしな。片付けは少し待ってくれると助かるんだが」

「片付けはうちらでやっとくからええよ。それよりも、ヒューゴ」

「わかってる」

 ヒューゴはメモ用紙を取り出した。

「えーと。焙煎コーヒー5杯、手ごねハンバーグ8個、丸絞りジュース6杯、フィッシュフライ12個。合計金額は11600ミラ。一人あたり約1000ミラだな」

「はあ!? おいおい、何で金取んだよ。お礼なんだろ?」

 憤慨するクロウに目を向けると、ベッキーは鼻を鳴らした。

「そっちこそ何言うてんねん。お礼ってのは場所と機材の提供であって、材料費は含まれてへんわ」

「機材はともかく場所は公共のもんだろ!」

「細かい事気にしなや。全部売り切ってやっと採算取れるって最初に言ったやんか。元々黒字の見込みはなかったけど、だからって赤字でええはずないやろ」

 労働の対価を流儀とする彼らだが、その上に位置するのは利益追求の信条だった。

 当然あちらこちらから非難の声が上がるが、ベッキーもヒューゴも顔色一つ変えず、集金に回り始めた。

「中々有意義な一日やったでー」

「Ⅶ組のみんなには感謝してるよ」

 平然と言ってのけるベッキーとヒューゴ。商売人の魂はどこまでもしたたかだった。

 

 

 ~FIN

 

 

 

 

 

 

 

 

☆おまけ☆

 

「まったく、やられたな」

「まさかお金を取ってくるとは思わなかったわ」

 帰路につくⅦ組の面々は、それぞれに感想をもらしながら第三学生寮に歩を進める。

「私はおいしかったからいいけど」

「ふむ、私も料理が上達した気がするしな」

 日が落ちかけ、辺りは薄闇に包まれている。ベッキーとヒューゴは、片付けは自分達でするからと言ったが、行きがかり上やはりⅦ組総出で後始末をすることにしたのだった。

「やはりお前は豆を挽くだけの男だったな」

「君だって肉を焼くだけの男だっただろう」

 肌に心地良い夜風を受けながら公園を抜け、駅前を横切り、ようやく寮へとたどり着く。

 扉を開くなり、全員の目に入り込んできたのは。

「おいおい、まじかよ」

 大皿に綺麗に盛り付けられたハンバーグとフィッシュフライだった。

 シャロンが厨房から出てくる。

「お帰りなさいませ、皆様」

「シャ、シャロン……これは?」

「はい、お嬢様。皆様がお作りになった品をオードブル風にしつらえております。動き通しでお腹も空かれたことでしょう。追加の料理もございますから、遠慮なく召し上がって下さいませ」

 シャロンはにこりと微笑を浮かべる。

 リィンが言い辛そうに口を開いた。

「俺達もう食べて来てしまいまして……その、お腹いっぱいと言いますか」

 それを聞いたシャロンは「そんな……」と顔をうつむけた。

「……いいのです。シャロンは出過ぎた真似をしてしまいました。ですが、皆様が心を込めてお作りになったものを処分することはできません。わたくしが責任を持って、夜通しで頂きますわ……」

 うう、と肩を震わせて目を拭うシャロン。

「………」

 どうやら食べる以外の選択肢が残されていないらしい。

 重たい胃袋を引き下げたまま、彼らは再びテーブルについたのだった。

 

 ● ● ●                             

 

 

 

 

 

 ☆後日談☆

 

 第三学生寮の厨房にⅦ組男子達、そしてシャロンの姿があった。

「そうですわ、もっと手首のスナップを利かせて――」

「こうか?」

 ユーシスの両手の間を、目にも止まらぬ速さでハンバーグが往復する。

 その一方で、ガイウスとエリオットはぐつぐつと煮立つ鍋に、塩コショウ、スパイスで味付けを行っていた。

「これは故郷から持ってきた香辛料でな」

「へえ、だったら塩は抑えめにして味を際立たせようか?」

 屋台勝負の際、簡単な調理とは言え、やってみると存外楽しかったらしい。

 加えて男子達の中には故郷の料理を習得している者もいる。その披露の場として内々で試食会を開いたりしている内に、あんなアレンジはどうだ、こんな具材は合うのではないか等と話は広がっていき――気付けばシャロンを中心に料理講座が始まっていた。

「クロウも料理できるのか?」

「あー、自然のもんだけで拵えるサバイバル料理とかなら一応な。リィンはどうなんだよ」

「俺も山の食材を使った料理には多少の心得があるんだ。意外に相性のいいメニューが作れるんじゃないか」

 そんな中、マキアスだけは相変わらずコーヒー豆をゴリゴリと挽いている。

「僕はコーヒーを極めるぞ。目指すはどんな料理にも合う至高のコーヒーだ!」

 そんな男子達の様子を見ながら、シャロンは楽しそうに厨房を動き回る。

「殿方でも料理ができるなんて素晴らしいことですわ。お嬢様方にも参加して頂きたいぐらいですが……」

 男子達が充実した時間を過ごす中、一枚のチラシが寮のポストに投函されていた。

 見出しにはこんなタイトルが記されている。

 

『調理部主催・トーナメント制料理コンテスト』

 

 そのチラシが新たなトラブルを呼ぶことになるのだが、それはもう少し先のことである。

 

 

『クッキングフェスティバル』に続く




後編もお付き合い頂きありがとうございます。そのようなわけで引き分け、というかヒューゴ&ベッキー組の勝利エンドでした。

今回のお話は、一日シリーズで原作ではあまり関わらない人達同士に人間関係が生まれたので、突飛なところは一度総ざらいでもしとこうかなあという感じです。

おさらいも兼ねたこの話を起点にして、今後のストーリーが展開していきますので、またまた宜しくお願い致します。

それでは予告です。次は当小説では珍しく、がっつりのバトル展開です。
迫る強大な敵にⅦ組は果たして勝てるのか――力尽きていくメンバーの中、最後まで立っているのは誰だ。
次回『グランローゼの薔薇物語』
大丈夫です。タイトルは間違っていません。

次回も楽しみにして頂ければ幸いです。ご感想お待ち致しております。

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