「失礼します。部長いらっしゃいますか」
ドアが開き、彼女は室内へと入ってきた。
「あら、いませんね。誰かいたような気がしたんですけど……」
視界の中に足が近付いてきて、頭上に何かが置かれた音がした。
私がとっさに身を隠したのは部屋の真ん中にある大きめの机の下だ。というかここ以外に物陰なんてなかった。だけど四足の机なので角度を変えれば私の姿は丸見えになってしまう。
見付かったら見付かった時の事だけど、できれば今はやり過ごしておきたい。
「うーん、品評会はともかく、他に聞きたいこともあるんですが」
だったら早く部長さんを探しに行きなさい。
急にドサッと目の前に何かが落ちてきた。
厚みのある一冊の本。
さっき机に置いたものみたいだけど位置が悪かったのか、何かに重ねて乗せていたのか、ともかくそれは私の前に落ちてきた。
「あ、借りてきたばかりの本なのに」
何て間の悪い。本を拾おうと腰を屈めている。
まず三つ編みのおさげが、続いて垂れた前髪が、そして丸眼鏡をかけた横顔が、順番に見えてくる。
近い、近い、近いって。これはもうアウトね。こっちを向かなくても余裕で視界に入る距離。
「エマさん、もう来ていたの?」
「あ、ドロテ部長」
半ばあきらめかけた時、件の部長さんがやってきた。何て間のいい。
彼女はやってきた部長さんの方に顔を向けながら、本を拾って立ち上がる。私に気付くことはなかった。
「お訊きしたいことがあるんですけど、品評会の事とそれと――」
「よかったら食堂でお茶でも飲みながら話しませんか? 品評会の件、私達にとって初の大舞台なんだから」
二人は話しながら部室を出ていく。足音が遠ざかったのを確認して、私は机の下からようやく出ることができた。
「まったく。あの部長さんのおかげね」
膝のほこりを一払いして、私も部屋を後にする。
……文芸部ね。まあ、似合ってると思うわよ。
食堂に下りてそっと様子を窺うと、奥の席で二人は何かを話し合っていた。あの子は入口側に背を向けているし、私に気付く心配はなさそう。
カウンターの店員さんが不思議そうに私を見てきた。学院関係者を装って何食わぬ顔で食堂を抜け、扉の外に出る。
三十分も屋内にはいなかったはずだけど、久しぶりに外の空気を吸った気がした。
ほんとに濃い部活ばっかりだわ。おかげでトークのネタにはなりそうだけどね。
「そうね、この後は――」
本校舎内も回ろうと思っていたけど、やっぱり長居すると何かと面倒事になりかねない。
でも逆に考えれば、今あの子は学生会館にいるわけだから、そっちのリスクは低くなっている。
「せっかく来たんだし、もう少しネタも欲しいし……」
うん、全部回ってみよう。
進路に沿って本校舎に向かおうとしたら、途中で左に曲がる道を見つけた。
何とはなしに立ち寄ってみると、学生会館ほどじゃないけど、ここにも大きな建物があった。
「えーと、この建物って何だったかしら?」
一応施設の位置は知っているつもりだったけど、ここはちょっと記憶にない。
気になったので入ってみることにした。
「ああ、そうだったわ」
扉を開いて一歩目でその施設が何なのかを理解した。視界一面を埋め尽くす膨大な蔵書の数々。ここは図書館だ。
そこまで重要な施設ではなかったし、すっかり忘れていた。
でも図書館で活動する部活なんてなさそうね。
「ご来館の方ですか?」
貸出カウンターの司書の女性が声をかけてきた。
私は笑顔を浮かべながら会釈をする。
「ええ、そうなんです。この後学院長とお会いする予定があるんですけど、時間潰しでお邪魔させてもらいました」
さらりと言ってのける。仮にもラジオパーソナリティーだもの。
適当な内容だったけど、学院長というワードは効果的だったみたい。特にそれ以上聞かれることはなく、司書さんも笑顔を返してくれた。
「まあ、そうでしたか。ゆっくりしていって下さいね」
「お構いなく」
とは言ったものの、部活がなければ用はない。かといってすぐに図書館を出てもセリフの辻褄が合わなくなる。
五分程度、本でも眺めてから行けばいい。
そう考えて奥の本棚に足を向けた時だった。
扉が開いて、誰かが入ってきた。
「こんにちは、キャロルさん。本を返しに来ましたよ」
「あらエマさん、この前借りたばかりなのにもう全部読んだの?」
ちょっと待って。部長さんとの話はもう終わったの?
とっさに身近な本棚の陰に身を潜める。
「面白かったのでつい一度に。あとさっきドロテ部長に頼まれちゃって、資料になりそうな本を探しに来たんです」
「ああ、文芸部のね。小説の方は順調? 書き終えたら私にも読ませてほしいわ」
「そ、その、私の小説なんて人に見せられるようなものじゃないので!」
「何言ってるの。小説はハートよ。その人の在り方が文章にじみ出るものなのよ」
「わ、私そんなんじゃありませんから!」
図書館に来たことが裏目に出るなんて。しかもあの子、こっちに向かって歩いてきてるじゃない。下手には動けないわ。
「えーと、この辺にあったような気がするんですが」
私のいる本棚の表側で本を探している。また間の悪いことをして。
「こっちだったかな……」
目当ての本が見つからなかったのか、首を傾げながら今度は裏側に回ってきた。
勘弁してよね。私は彼女の動きに合わせて表側に回る。
「うーん、やっぱりこっち側だったような」
くるりと体を返してまた表側に戻ってきた。私は出しかけた足をとめて、急いで裏側に引き返す。
そんなやり取りを二回繰り返したあと、ようやく探し物の資料を見つけたらしい彼女は、そのまま貸出カウンターに向かっていった。
さすがに息が切れる。途中でいい加減にしなさいよって、うっかり文句言っちゃうとこだったわ。
「一週間の貸出ね。いつもありがとう」
「こちらこそ。そういえばキャロルさん、探してるものがあるんですけど」
「今度は何の本かしら?」
「いえ本ではなくて――」
司書さんと何か少し話したあと、彼女はようやく図書館から出て行った。
深く息を吐く。
資料を持ったんなら今度こそ学生会館に戻るはず。
念の為、少し間を置いて図書館を出ようとした私に、司書さんが声をかけてきた。
「あら、もう行かれるのですか」
「あまり学院長をお待たせしてもいけませんし。お邪魔しまし――」
言いかけた時、また入口扉が開いた。
「すみません、キャロルさん。一冊返し忘れていた本がありまして――ってどうしたんですか?」
「え? あの、そのー……」
司書さんの目がちらりと向けられる。声が聞こえた瞬間に、私は素早くカウンターの下に潜り込んでいた。
口元に指を当てて、“言わないで”のサインを送る。小さくうなずいた彼女は「え、えーと、なんでもないわ」と意を汲んでくれた。
「そうですか? これ今言った本です」
「あ、ええ、大丈夫よ。ありがとう」
「すみませんでした。では私はこれで」
扉の閉まる音。
屈めていた身を起こし、司書さんと向かい合う。妙な沈黙が流れた。
「あ、あの。もしかしてエマさんのお知り合いか何か?」
「お構いなく」
敷地を一周して、最初の地点に戻ってきた。
前方には本校舎の正面玄関、後方には正門。このまま正門から出れば、問題なくトリスタに帰れるわけだ。
「……もう決めたしね」
さっき思った通り、ネタはもう少し欲しい。
ここで引き返すのも中途半端な感じがするし、それにあの子は今度こそ学生会館にいる。
「校舎内でやってる部活なんて限られてるでしょ。さっと見ていけばいいわ」
それにどんな部活があるか、ここまで来たら全部見てみたいしね。
――吹奏楽部――
一階は授業に使う教室や、保健室、教官室などがあった。
さすがに教官勢に見つかると厄介。来館者の振りをしても詰められれば厳しい状況だ。
ごまかし通すだけの根拠と、その手回しが今日はできていない。まあ、だとしても本来の“ネタを探しに来たミスティ”で押し通せるとは思うけどね。
多少は怒られるんだろうけど、そこから先は局長に謝ってもらえばいいし。
なので一階はスルーして二階に上がる。幸い本校舎で行う部活は、二階の特別教室で活動しているようだった。
階段を上がってすぐ、右手側の教室から様々な楽器の音色が聞こえてきた。
「あら」
奏でられる旋律に、気分が高揚していく。
練習中だからか、少し音にばらつきを感じるけど、ハートが伝わってくるいい演奏だ。
そういえばさっきの司書さんも小説はハートだと言ってたっけ。その通りだと思うわ。
小説でも音楽でも、それ以外でも、ね。
扉の隙間から中を覗いてみると、フルート、コントラバス、サックス、トロンボーン、ティンパニ、多様な楽器がパート毎に整列している。
活動しているのは吹奏楽部らしい。
一つ一つの音に神経を集中させてみる。
個々のパートもいいレベルでまとまっている。中でもチェロを演奏している橙髪の男の子は、頭一つ抜けて錬度が高い。
幼い頃から音楽に触れてきたのだとすぐにわかる。
「へえ、いいじゃない……でも」
演奏が一旦中断した。音のばらつきが大きくなってきたからだ。
「中々そろわないね。もう少しフルートのタイミングを早くしたいんだけど」
眼鏡をかけた優しそうな男子生徒。どうやら彼が部長らしい。
フルートパートに座っていたお団子頭の女子が言う。
「今日はメアリー教官、練習には参加できないんですか~?」
「試験の採点があるみたいでね。でも指揮者がいないとやっぱり細かい調整がやりにくいね」
「あ、じゃあー」
女の子の視線の先にいたのは、先程の橙髪の男の子だった。
彼はきょとんとして彼女を見返した。
「え? なに?」
「エリオット君が指揮をやってよ」
「僕が? 一応タクトは振れるけど……」
眼鏡の部長さんも「ああ、それはいいかもね」と乗り気な様子だ。
「エリオット君、僕からもお願いするよ。音合わせ程度でいいんだ。楽にやってくれて構わないし」
「うーん……わかりました。それじゃあ」
彼は指揮者の立ち位置へと向かった。
あの子は指揮も出来るのね。逸材だわ。
「では、いきます――」
軽く息を吸ってタクトを掲げた時、お団子の女子が「よかったー」と安堵の声をもらした。
「ミント?」
「だって、今日エリオット君は猛将じゃないみたいだし。安心して演奏できるよー」
なに? 猛将?
「ミ、ミント! 変な誤解になるから余計なことは――」
「エリオット君」
部長さんが席から立ち上がった。
穏やかな印象の眼鏡が光って、妖しい雰囲気を醸し出している。音楽室全体に異様な空気が漂い始め、次第にざわざわと「ま、またか?」や「あれが来るのか……?」などの喧騒が大きくなっていった。
なに? 何が起こっているの?
「君はまだ猛将をやっているのかい?」
押し殺したような声音で問う。猛将をやるってどういうことよ。
「ハイデル部長、それは誤解――」
「君の指は綺麗な音楽を奏でる為にあるのかい? それとも綺麗に袋とじを開ける為にあるのかい? 表紙と中身の落差を知った時のように、僕を落胆させないで欲しいな」
「ぶ、部長が何を言っているのかよく分からないんですが」
私にもよく分からないけど、どっちかと言えば部長さんの方が猛将じゃないの、これ。
お団子頭の女子が、急に表情を暗くした。
「エリオット君、私ケインズさんに教えてもらったんだ。猛将列伝のこと。いずれ規制の厳しいエレボニアを抜け出して、自由溢れるクロスベルに行っちゃうんでしょ」
「何それ!? しかも猛将列伝って」
「ケインズさんが最近、嬉しそうにお客さんに話すんだよ。うちの店を贔屓にしてくれる人の中に猛将がいるんだって」
「猛将じゃないし、言うほど利用してないし! そんな話広まったら、僕もう外歩けないよ……」
男の子は肩を落とし、うなだれている。これから曲の指揮をするのにそんなので大丈夫?
部長さんは少し落ち着きを取り戻した様子で、椅子に座りなおした。
「今はその話は置いておこう。すまなかった、エリオット君。改めて指揮をお願いできるかい?」
「は、はい。では」
改めてタクトを構えた彼に、一言付け加える。
「普通でいいからね。この曲に猛々しさは必要ないよ」
「全然話を置いてないじゃないですか……」
中々演奏に入らないわ。小さな指揮者さんがんばってね。
さてここは……うん、『猛将と愉快な吹奏楽部』。これにしましょう。
――調理部――
「ギイイイィ! あんたあ、何やってんのよおお!」
音楽室から離れようとしたところで、となりの教室から怒号が響いた。
爆弾と言うべき声量が、衝撃波となってドアにぶつかる。
音の砲弾の直撃を受けた扉が勢いよく開く。捻ることさえ許されず、強制的に押し出されたドアノブは破損し、弾け飛んだ蝶つがいが廊下をカラカラと滑っていった。ドアはガクンと斜めに傾いている。
え、なんなの。武術系の部活って練武場でやるものじゃないの? 家庭科室ってドアの上に書いてあるんだけど。
扉は壊れてしまったので、教室の中は覗かなくてもまる見えだ。
「だから味見しただけだってばー」
「はああ!? 五分の四食べたら味見とは言わないのよお!」
小柄な女の子と大柄な女の子が小競り合いをしている。
大柄な女の子はまた「ギイイイィ」と悔しさ全開で、シルクのハンカチを噛んでいる。
って何あれ。ハンカチがぎちぎちと力任せに、へそ下辺りまで引き伸ばされているんだけど。小麦粉からパスタを作ってるんじゃないのよ。どうやったらシルクがあんな風に伸びるのかしら。
収まる気配もなく、やいやい言い合う二人に、エプロンをつけた男子生徒が近づいていく。
「まあまあ、マルガリータ君にミリアム君も。同じ調理部同士仲良くしようよ」
うそ? 調理部? そういえば味見がどうのって言ってたけど。
「ちょっとお、ニコラス部長。聞いて下さらない? ミリアムがまた私のクッキーを食べたのよお」
憤慨した様子で、ぶしゅうと鼻息を鳴らす大柄な女の子。途端、強い風圧に体を押された。
窓が波打ち、危うく私の帽子まで飛んでいきそうになった。
あの子すごいわ。闇ルートで出回った人形兵器じゃないでしょうね。デザインもそれっぽいし。
「ははは、それだけ君のクッキーが魅力的ということじゃないか」
「そうよねえ、グフフ」
大柄な女の子は気を良くしたらしい。
「まあ今回に関しては、ちゃんと謝るんだったら見逃してあげてもいいけどお?」
「んー、味はロジーヌの焼いたクッキーの方が全然おいしかったけどなー」
「グフォオ! 何ですってえ!?」
いきなり鉄塊のような拳が繰り出される。
小柄な女の子はそれをひょいと避け、キッチン台からキッチン台へと飛び移った。それた拳が水道の蛇口にめり込み、パイプ部分をひん曲げる。亀裂から水が噴水みたいに吹き出し、あっという間に床が水びたしだ。
「つかまらないもんね」
「このガキイイィー!」
大柄な女の子が小柄な女の子を追う。
戦車さながら、あらゆる障害物を駆逐しながら、家庭科室を縦断していった。
椅子は踏み潰され、机は引き裂かれ、床はクレバスのようにひび割れていく。
「逃げるんじゃないわよお!」
「やだよー」
まな板、軽量カップ、ボウル、鍋、フライパン、泡だて器などの調理器具は残らず宙を舞い、けたたましい音を鳴らしながら、見る間に飛び散らかっていった。
「こうなったらガーちゃん、リベンジだー!」
「まとめて調理してやるわあ! ムフォオオッ!」
「あっはっは。今日の後片付けは大変そうだなあ」
この部をまとめるのは、あの部長さんじゃなきゃ無理そうね。
あと調理ってやっぱりそういう意味なの? 明日から活動場所を練武場に変えた方がいいわね。
私も巻き込まれる前に、ここから離れるとしましょう。
えーと、ここはどうしようかしら。
『料理しない調理部』。これでいいわよね?
――美術部――
騒音響き渡る中、さらに隣の教室の前へと移動する。
多分ここが最後の部活。さっきの調理部とは打って変わって、とても静かな雰囲気だった。
キャンバスに向かって絵を描く生徒が数名と、その奥で一心不乱に彫刻を掘る女子生徒が一人。
カリカリとキャンバスに下絵を書き込む音と、コツコツと石をノミで削る音だけが響いている。
ここはこれ以上いても動きがなさそうだし、ネタになる話も出て来なさそうね。
美術室から離れようとした時、不意に石を削る音が止まった。
「ふうむ……」
何だか難しい顔をして、制作途中の彫刻を凝視している。見た所、男性をモチーフにした胸像のようだ。
「ウォーゼル、こっちへ来い」
横柄な物言いだったけど、名前を呼ばれた部員も慣れているのか、特に気分を害した様子もなくキャンバスの前から立ち上がった。
「クララ部長、どうかしましたか?」
あら意外。あの目つきの悪い女の子が部長さんだったみたい。
「この通り胸像を彫っているのだが、筋肉の表現が今一つなのだ」
「はい」
「そういうわけでウォーゼル。貴様、服を脱げ」
「はい?」
困惑の表情を浮かべる長身の男の子。いきなりそんなこと言われたらそうなるわよね。だけど部長さんは彼のそんな様子を気にした素振りも見せず、「どうした、早く脱げ」と急かしている。
「ガ、ガイウス君、脱ぐの?」
他のキャンバスに絵を描いていた三つ編みの女の子が、いつの間にか彼のそばまで来ていた。その瞳は恥じらい二割、好奇心三割、期待五割といった感じだ。……期待多めね。
「いや。俺は――」
「リンデからも早く脱ぐように言え。芸術の為だ。恥など犬にでも食わせてしまえ」
「ガイウス君……脱いだら?」
「な、なに?」
戸惑いながらも彼はシャツのボタンに手をかけた。
シャツを脱ぐと、さすがは士官学院生。浅黒い肌に鍛えられた上半身が顕わになる。
「ふむふむ」
「きゃああ」
部長さんが彫刻に修正を入れる横で、女の子は両手で顔を覆いながら、指の隙間から男の子の上体をまじまじと注視していた。それじゃ顔を覆う意味ないじゃない。
「もう少し上腕と腹筋に力を入れろ」
「こうですか?」
「きゃあああっ」
さらに逞しく引き締まる体に、さらにさらに嬉しそうな顔をする女の子。
部長さんが女の子に視線を移した。
「もう少し丸みもいるな。リンデ、お前も脱げ」
「へ?」
「胸と腕に関してはこれでいいが、首周りには柔らかさが欲しい。そういうわけで脱げ」
「ええええ!? む、無理ですよお!」
悲鳴のような声を上げて、彼女は首をぶんぶんと横に振る。
「芸術の為だ。恥など犬にでも食わせてしまえ」
「だったら部長が自分の体を鏡で見たらいいじゃないですかあ!」
「お前の方が肉付きがいいだろう」
「なっ!?」
「脱がんと言うのなら――」
部長さんは立ち上がって、女の子の襟首をむんずと掴んだ。そのままグイグイと無理やり脱がそうとしている。
「な、何するんですか、部長!?」
「四の五の言わず脱げ」
制服の第一ボタンが外れた。
「やだあ! ガイウス君あっち向いてえ!」
「し、承知」
「脱げえ!」
「いやああああっ!」
絶叫が美術室にこだました。
ここは『脱がされた美術部』にしよう。芸術って大変ねえ。
これでようやく全部の部活を見終わった。今日の放送に備えて、局に戻ったら集めたネタを整理しないと。
「それじゃ帰るとしましょうか」
手帳を上着のポケットにしまった時だった。
「はあ、困ったわ」
またあの声が聞こえた。
私が困るんだけど。学生会館に戻ったんじゃなかったの?
「エリオットさんも知らないっていうし、ミリアムちゃんには話を聞ける雰囲気じゃなかったし……」
うつむき加減で歩いてくるから、距離は近いけど気付かれてはいない。奥の階段へ――だめね。距離があり過ぎて、さすがに後ろ姿ぐらいは見られてしまう。
私はとっさに目の前の美術室に入った。
幸いと言うべきか、先の脱げ脱げ騒動は続いており、私の姿は誰にも見られていないようだった。
後はこのまま、あの子が向こうに歩いていくのをやり過ごすだけ――
「失礼します。ガイウスさんにお聞きしたいことが――」
入ってきたんだけど。
「ええ! なんで!?」
ついに見つかった。
「ガ、ガイウスさん何で上半身に何も着ていないんですか!?」
「委員長か。芸術の為としか答えられんが……」
あ、何とか大丈夫だったみたい。
私が今いるのは、さっきまで男の子が使っていたキャンバスの裏。そのボードで体を隠して、絵を描いている振りをしている。
まだ下絵の途中みたいだけど、ずいぶんと広大な風景画だ。
いえ、今はそれよりも。この絵を描いていた彼が戻ってきたら終わりだ。それまでになんとか美術室から出る方法を考えないと。
「む? 俺の絵の前に誰か座っているようだが」
いきなり見つかったわ。こうなったら最終手段よ。
「え? ガイウスさんの絵が」
「なぜか動いているんだが……」
椅子に座ったままキャンバスを抱え、そのままずりずりと扉側まで移動する。
「なんでしょう、あれ?」
もう少し……
「風のいたずらか?」
「それは違うと思いますけど……誰かの足も見えてますし」
あとちょっと……
「しかし絵を持って行かれては困るな。ちょっと待ってもらおう」
うん、ここからなら行けるわ。
入口をキャンバスで塞ぎながら自分の姿を隠し、振り返ることなく廊下へと走り出る。
なんとか脱出成功だ。
「早くトリスタに戻りたいんだけど……」
私は屋上で風に当たっていた。もちろん休憩しているわけじゃない。美術室を出て、そのまま一階に行こうとしたんだけど、階段を下った先に教官が二人もいたのだ。
まったく君はいつもいつも――とか、すみません、以後気を付けますう――だとか、年配の男性教員が若い女性教員にお説教をしていたみたいで、さすがにその横を通り過ぎることはできなかった。
もし声を掛けられて足を止めている間に、あの子が下りて来ちゃったら困るもの。
そういうわけで一階にも行けず、二階に留まることもできず、やむなく屋上に来ている。ここに学生がいなかったのは幸運だ。
「……そろそろいいかしら」
二十分くらいは経っているし、もう行っても大丈夫よね。屋上のドアを開いて、一応注意しながら階段を下りる。
そのタイミングで誰かが階段を上がってきた。
まさかよ? そんなことある? 何回目だと思ってるの?
「あとはここくらいでしょうか」
もしかしてわざとやってない?
どうしよう。屋上って隠れられる場所がほとんどなかったんだけど。
「部室、図書館、特別教室……今日行った場所は全部探したし、やっぱりセリーヌと屋上で話した時かしら。ルビィちゃんはくわえてなかったってリィンさん言ってたし――」
なんなのよ、もう。
「――どこに落としたのかしら、私のペン……」
え?
ルビィってリィン君が追い掛けていたあの子犬よね。それにペンって。
私は胸ポケットに差していたそれを取り出した。銀のラインが入った、いいデザインだと思っていた黒いペン。
……そういうことね、まったく。
「あっ!」
屋上の扉が開いてすぐに声が上がった。
「よ、良かった。こんな所に落ちてたなんて」
ペンは屋上に出たら目につく場所に、これ見よがしに置いておいた。案の定すぐに見つけたらしい。
「でも疑っちゃったルビィちゃんと、走り回らせることになったリィンさんへお詫びをしないといけないわ」
そんな事を言いながら足音は遠ざかり、扉がぱたんと閉まる音がする。
私は扉を出て右手、ちょっと奥まったスペースに壁を背にしてもたれかかっていた。隠れているとは言えないレベルだけど、屋上に入ってすぐには見えない位置だ。
いつの間にかずれていた帽子をかぶり直し、空を見上げる。
「確かに返したわよ、そのペン。……使わせてもらったし、一応お礼は言っとこうかしら」
ありがとね。
口には出さず、胸中で一言だけ呟く。
吹き抜けた秋らしい涼風が、かぶり直した帽子をほんの少しだけずらしていった。
ようやく。ようやくだわ。
階段を下りて、正面玄関から出て、正門の前まで戻って来れた。
全部の部活を見て回ったし、あとはトークの順番とか決めないと。いえ、もうそれも本番中でいいわ。
「ふふ、楽しかったわ」
校舎に振り返り、空に向かってまっすぐ伸びる尖塔を見上げてみた。午後の西日が、学院全体を鮮やかに染めている。
「――近い内にまた来るわ」
小さく口からこぼれたその言葉は、風の中に溶けていった。
不意に聞きなれない音が鼓膜を震わした。ブォンブォンブォンと何かが唸りを上げる太い音。
紺のスーツを着た女の子が見慣れない乗り物にまたがって、講堂前を横切りながらこちらに向かってくる。
それは鉄の馬と言うのか、外装を陽光に煌めかせて、すごい速さで私の目の前を通り過ぎていった。
彼女の高らかな笑い声が、耳から耳へと抜けていく。
「愛のままに女の子を追いかけ、捕まえ、奪い去る! 自動二輪部部員募集中! もちろん女の子限定だ!」
……説明ありがとう。これが正真正銘最後の部活よね?
あっという間にその乗り物は見えなくなり、同時に声も遠ざかって行った。一応メモしとこうかしら。
手帳を取り出したところで気付く。
「あ、もうペンはないんだったわ」
● ● ●
いつもの収録ルームの椅子に座り、マイクの調子を確認する。時刻は二十一時。
手帳を取り出し、デスクの上に置いた。防音ガラスの向こうに見える局長に手で合図をする。
さあ、今日も始めるわよ。
局長が放送スイッチを押し、扉上のランプが赤から緑へと変わった。
『リスナーの皆さんこんばんは。ミスティです。アーベントタイムが夜九時をお知らせします』
好調、好調。
『最近は夏の日差しも和らいで、過ごしやすい時期になってきましたね。でも油断は禁物ですよ、水分補給はしっかりしてくださいねー』
さて、そろそろ行きましょうか。
手帳をめくる。今日はトークがびっしりだ。
そうねえ……何から話そうかしら。
ざっとネタの羅列に目を通してみる。ふふ、どれも面白い部活だもの。選ぶのも一苦労だわ。
よーし、まずはこれにしましょう。今日は楽しい放送になりそうね。
「ねえ、みんな。猛将のいる吹奏楽部って知ってる? 実はね――」
~FIN~
――another scene――
時刻は二十一時。部屋に戻って椅子に腰かける。
「ルビィちゃんにはちょっと良さそうなビーフジャーキーを渡して、リィンさんにはお詫びのクッキーを焼こうかな」
考えてみたらおかしいことだった。
昼にセリーヌと屋上で話したけど、私はその後の授業でこのペンを使っていたのだった。あれから屋上には行っていないから、ペンが屋上に落ちているはずはなかった。
ペンを取り出し、明かりに当ててみる。
銀のラインが輝いて、いつも通りの光沢を放っている。店頭で見て、一目でデザインを気に入り、私にしては珍しくその場で衝動買いしたものだ。文字も書きやすいし、かなり大事に使っている。
何にせよ。手元に戻ってきてくれて良かった。
「それにしても……」
今日はどことなくだけど、無意識の内に足が何かを追っていた気がする。どこか覚えのあるほのかな残り香を追っていた気がするのだ。
「あ、壊れてなければいいけど」
手元に戻ってきてから、まだ試し書きをしていなかった。適当なメモ紙を取り出して、とりあえず自分の名前でも書いてみる。
“Emma Millstein”
うん。大丈夫。もう落とさないようにしないと。
そういえばこのペンは、誰かが拾って屋上に置いてくれたのだろうか。いや、だったら生徒会とかに届けてくれればいいわけだし。
ペンを軽く掲げた時、ふとあの香りが鼻先をくすぐった。
これは――ラベンダーの香り。
「……まさか、ね」
☆ ☆ ☆
後編もお付き合い頂きありがとうございます。
そのようなわけで無事、放送の時間までにネタを集めてこれたミスティさんでした。一応、原作との流れに相違が出ないようセリフや行動にも気を払いましたが、閃Ⅱで司書キャロルさんが黒幕って展開になったら、私死にます。
というかゼリカ先輩って自動二輪部だったんですね。たまたま人物ノートに目を通して知りました。本編で大々的に宣言してたシーンなんてありましたっけ? もう技術部と併合していいんじゃ……。
余談ですが、前回の前編でご感想頂いた皆様のほとんど(多分男性の方々)が、ケネ――ス! と叫んでらしたのを見て爆笑してしまいました。
何気ない一幕のつもりだったんですけど、愛されてるなあ、ケネス。いい装備品と交換してくれるもんなあ。
次回もお楽しみにして頂ければ幸いです。