虹の軌跡   作:テッチー

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A/B 恋物語(後編)

 9月15日、水曜日。

「エマ君。僕達を不良にして欲しい」

「はい?」

 依頼の意味が分からずに、呆けた顔を浮かべたエマは、部屋の入口に立つ三人の男子を見返した。

 意気揚々とやってきたマキアスの後ろには、ガイウスとユーシスが控えている。

「前と同じで詳細は言えないが、僕達は不良にならなければならないんだ」

「すまないが、そういう事になったらしい」

「……俺は一刻も早く済ませたいが」

 不良になる、と言ったはいいが、マキアスにはそのような悪漢のイメージが今一つ湧かなかった。

 ヘイムダルの治安は皇族の膝元ということもあって、その警備は厳重になされている。もちろん素行の悪い者はどこにでもいるが、それでも一般市民レベルである。あまり参考にはならない。

 それで意見を求める為、再びエマを頼ることにしたのだ。彼女はまだ意図を呑み込めていないようだが、

「……具体的に私は何をしたらいいのでしょうか?」

「まずは不良の服装、立ち振る舞い、口調。あと登場や撤退の定番シーンを教えてくれるとありがたいな」

「でしたら、私が今までに読んだ小説の中からいくつか抜粋して――」

 記憶を探りながら言う。

「服装は装飾過多で、アクセサリー類には金属製の物を使用します。必要以上にジャラジャラと音を立てるぐらいが丁度いいでしょう」

「なるほど」

「次に立ち振る舞いですが、あごを上げて常に見下すような視線をキープします。基本の姿勢は足を左右に大きく広げて、胸をそらせ、正面から見た体の面積を大きく見せることが重要です。歩き方はとにかく横柄に」

「高等な威嚇方法だ。フォームを持続するにはたゆまぬ修練が必要になるな」

 何をイメージしたのか、ガイウスはしきりに感心した声をもらしている。

「口調に関しては……そうですね。基本的にラ行は巻き舌を用います。また語尾に『おぉ?』や『あぁん?』などを付属させると効果的ですね。言葉の緩急の付け方で熟練の不良か、新米の不良かが分かるほどです」

「ほう、意外にも縦社会なのだな。独自のコミュニティを形成していたとは」

 社会勉強でもするかのように、ユーシスは興味深げだ。

「えーとそれから……登場は大体、下卑た笑い声を上げる舎弟から出て来て、次に風格のあるリーダーが登場するパターンが多いでしょうか。撤退は『覚えておけ』のような捨て台詞と共に去るのが定番です」

 あらかたの説明を終えて、エマは一息ついた。

「こんな感じでしょうか?」

「ありがとう。想像以上の収穫だ。しかし……」

「うむ、果たして俺達に演じられるのだろうか」

 マキアスのとなり、ガイウスが声に不安をにじませる。

「それならば問題あるまい。客観的にアドバイスできる人間がいるではないか」

 さらりと言ってのけたユーシスは、エマに視線を移した。

「次の日曜まで委員長に演技指導を頼めばよかろう」

「え、ええ!?」

 焦るエマをよそに、その提案にはガイウスもマキアスも賛成のようだった。

「それは名案かもしれんな。構わないだろうか、委員長?」

「エマ君、僕からもお願いしたい」

 ひとしきりの狼狽を見せるエマだが、退く様子もない男子達を前にしては受ける以外になかった。

 小さく息を吐き、首を縦に振る。

「わかりました。お手伝いさせて頂きます」

「ありがとう、エマ君。このお礼は必ずさせてもらう」

「ただ――」

 きらりと丸眼鏡を光らせ、エマはこう付け足した。

「私厳しいですよ?」

 

 

「む、案外と入りにくいものだな。それで、頭がこうか?」

 自室にて苦心することおよそ二十分。作業工程は九割がた完了していた。

「ファスナーに手が届かん……ええい、ままよ!」

 勢いよく背中に腕を回し、伸び切ってぷるぷる震える指でファスナー部を摘むと、かろうじてチャックを締める。

「な、何とかできたか。思ったより頭が重いな」

 ぐらつく頭を両手で抑え、バランスを取ってみる。

 ただ立つだけでもそれなりにコツがいるようだ。たたらを踏みかけて留まり、ラウラは部屋の中に視線を巡らせてみた。

「視界も相当に悪いな」

 ほとんど直線上の物しか見えない。しかしこれなら姿を見られても、自分だと気付かれることはないだろう。

「残る問題は……」

 部屋の扉をノックする音がした。

「ラウラ、いる? フィーだけど」

「どうした? 入ってくるがいい」

「この前聞いた課題の範囲なんだけど、もう一回――」

 部屋に足を踏み入れるなり、フィーの動きが止まった。そこに変なモノがいたからだ。

「……?」

 灰色の毛並に覆われた体表と、床に垂れた太い尻尾。肩幅よりも大きな頭と、手足の裏にそれぞれついたピンクの肉球。タヌキとネコの中間をデフォルメしたような愛嬌のあるフェイスデザイン。

「えっと……みっしぃ……?」

 最近、帝国内に置いても人気が上がりつつある、クロスベルの某テーマパークで人気のマスコットキャラクターである。

 戸惑いながら「……ラウラ?」と呼びかけると、みっしぃから「いかにも」とくぐもった声が返ってくる。正確にはみっしぃの着ぐるみの中から、だが。

 これが昨日ラウラが30000ミラでミヒュトから買い取った一品だった。

「何してるの?」

「見ての通りだが」

 両手を軽く広げて見せたみっしぃは、なぜか得意気だ。

「……今育ててるハーブができたら持ってきてあげる。少しは気持ちが落ち着くと思うから」

「ふむ? それは楽しみにしておこう。ところで何か用事ではなかったのか?」

「ラウラの邪魔したら悪いし、アリサにでも聞くからいいよ。委員長もなんか立て込んでたし」

 フィーは「一応内緒にしとくから」とだけ言い残すと、早々に部屋から出て行ってしまった。

「ふふ、フィーですら初見では私とわからなかったようだな。首尾は上々だ。さて、試着はもうよかろう」

 背中に手を回す。肉球がふにふにと柔らかい音を立てた。

「………」

 ふにふに。ふにんふにん。ふにっふにっ。

 ラウラは事態を理解し、切迫した声を上げた。

「も、戻ってくれ、フィー。ファスナーを下ろして欲しい!」

 

 

 9月16日、木曜日。

「ヒィハハー!」

 放課後の屋上に、マキアスの甲高い笑い声が響き渡る。

「もっと小物感を出す方がいいかもしれませんね。ヒィを少し詰まらせてみてはどうでしょうか」

「こうかな? ヒィッハハ!」

「語尾を伸ばして、波打って、さらに高らかに!」

「ヒィッハハ~ッ」

 不良見習いの三人は来たる日曜日に備えて、宣言通りのエマの容赦ない演技指導を受けていた。

 エマが見出した適材適所によりその役割設定は、風格のあるガイウスは不良のボス、落ち着いた風貌のユーシスは参謀兼ボスの付き人、マキアスはケンカっ早い構成員その一となった。

 風塵のガイウス、冷笑のユーシス、狂犬のマキアス、三人そろって乗流怒(のるど)組。ちなみにネーミングは劇団ミルスティンのエマ座長である。

「マキアスさんはしばらく自主練習を。あ、ガイウスさん。もっと左右にぶれながら歩いてください」

「このような感じだろうか」

「もっと肘と足のつま先を外側に開いて威嚇するようにノシノシと。その状態で屋上周りを三十周ウォーキングです」

「さ、三十周?」

 ガイウスが歩き始めると、エマは屋上の端でぼそぼそと何かを呟いているユーシスに近寄った。

「ユーシスさんは捨て台詞の練習ですね、はいどうぞ」

「お、覚えておくがいい」

「うーん、まだ照れがありますね。もう一度です」

「く、……お、覚えておくがいい!」

「はい、もう一度」

 エマ座長の厳しい演技指導は続く。

「のしのし? ふむ、のしのし」

「覚えておくがいい、覚えておくがいい……」

「ヒィアッハハー」

 屋上にやってきた生徒が次々と無言で引き返していく中、乗流怒組の三人は黙々と稽古に励むのだった。

 

 

 場所は変わってギムナジウム。

 水泳部のカスパルとクレインは、プールサイドでみっしぃと向かい合っていた。

 クレインはこめかみを押さえながらみっしぃ(の中のラウラ)に聞き返す。

「――つまり、今から俺とカスパルはお前と戦わないといけないんだな? しかも理由も分からないままに」

「申し訳ありませんがお願いします」

 みっしぃは重そうな頭を前に傾けた。あまりやりすぎるとこけるので、会釈程度の角度だが。

「カスパルも協力してくれて助かる」

「俺は構わないけどさ……」

 そう言うカスパルだったが、見えてこない主旨と目的に不安は隠せていない。少なくともいい予感はしていなかった。

「モニカは審判役を頼む。危険と判断したら止めてくれ」

「うん、よく分からないけど皆がんばってね」

 少し離れた所に控えているモニカは、競技用のホイッスルを手にしている。もちろん彼女にも事の詳細は知らされていない。

 ラウラが思うとことの今回の主旨――それはみっしぃの着ぐるみを着たままでも、戦闘を可能にすることだった。

 本来はアランとブリジットが一緒に出掛けるにあたって、想定されうる障害――主に外的要因――を排除することが目的なのだが、彼女はみっしぃとなって初めてある問題に気付いた。

 剣が持てないのだ。

 みっしぃの手には五指がなく、三つの肉球があるだけだ。柄を挟み込むくらいなら問題ないが、とても剣を自在に取り回すことは出来そうになかった。

 もっともアルゼイド流にも無手の技は型として存在するので、大剣がなくとも敵を無力化することはラウラとって難しいことではない。

 難しいのはみっしぃの着ぐるみを着てそれをすることだ。全体のバランスと視界が悪い為、使える技と体捌きも自ずと制限されてくる。戦闘を行わねばならない局面になった時、十分な力が発揮できなければ、そもそもみっしぃになる意味がなくなる。

 まずはみっしぃとしての動きに慣れることが第一だった。

「では、そろそろお願いしましょう」

 通常のみっしぃならまずしない、近接戦の構えを取る。

「……カスパル。相手はあのラウラとは言え、今は何でかみっしぃになって、あの通りふらついている」

「はい」

「俺らの本分は士官学院生。当然白兵戦の心得もあり、しかも水練で毎日のように体を鍛えている。勝てないと思うか?」

「いいえ!」

 力強く答えたカスパルは構え、クレインも拳を握った。

「行くぜ!」

「はい!」

 モニカが戦闘開始のホイッスルを吹き鳴らし、まずはカスパルが先陣を切った。

 素早い身のこなしで間合いを詰める。胸前で交差させた腕からは、ぴしりと揃った指先まで力が通り、まるで鋭利なナイフのようだ。

「悪いけど手加減無しだ! 食らえ、『カサギンの一閃』!」

 クロールで鍛えた強靭な肩から繰り出される、目にも止まらぬ二対の高速チョップ。

「その意気やよし」

 みっしぃが拳を突き出す。カスパルが吹き飛ぶ。プールから上がる盛大な水しぶき。

「……は?」

 プールに落ちて、死んだ魚のように水面をたゆたうカスパルを、クレインは呆然と眺めた。

「うん、正面からの攻撃に問題はないな。ではクレイン部長、私の死角に回り込んで頂きたい」

「ふ、はは……余裕でいられるのも今の内だぜ……?」

 笑い声を震わせて、クレインは弧を描くようにみっしぃに迫った。

 視界から消えたクレインを、ラウラは目で追うようなことはしなかった。頭を動かせばバランスが崩れる。何となく分かってきた。みっしぃ形態では、重心をいかに崩さず攻撃を当てるかが重要だ。ゆえに無駄に相手を捉えに行くようなことをしてはならない。 

 必ず相手から近づいてくる。見えないのなら、音で察するまでのこと。

 はやる心を鎮め、耳を澄ます。聞こえた。床を打つ素足と、わずかに水が跳ねる音。

「終わりだ! 一撃一倒『夕焼けに映えるギガンソーディの背びれ』!」

 おまけに声も発した。ついでに技名が長い。

 とにもかくにも左後方、七十度。そこだ。

「ふっ」

 息を吐いて身を屈める。背を軸に素早く一回転。ぶんと空気を裂いた太い尻尾がクレインの脇腹を直撃した。

「ごふっ!?」

 回転の勢いは殺さずに、肘であばらの隙間を追撃。

「がはっ!」

 無防備に開いた上体に突き上げるような肉球掌底。

「ぶほおっ!」

 浮き上がるクレインの体。その様を見て唐突にラウラは閃いた。水泳で培ったスキルと、みっしぃの特性を生かした、フィニッシュブローを。

 直感のままに繰り出される一撃。

「べっふぁああ!」

 クレインは水の中に落ちることさえ許されず、固いプールサイドの床に叩きつけられた。

 陸に打ち上げられた魚のように、しばらくピチピチと小刻みに跳ねていたが、やがて彼は動かなくなった。

「うん、手ごたえありだ」

 肉球についた汚れをぽんぽんと払うみっしぃ。

 戦闘終了のホイッスルが鳴った。

 

 

 9月17日、金曜日。

「で、こんなルートはどうだろうか」

「ああ、俺もいいと思う」

 昼休み、学生でごった返す食堂。そのテーブルの一つに座るマキアスとアランは、二日後に迫った日曜日のことを話していた。

「しかし、ヘイムダルには色々な店があるんだな」

 アランが卓上に広げられた簡易マップに目を落としていると「帝都だからな、当然だ」とマキアスは眼鏡を押し上げた。

「アランはヘイムダルに行ったことがないのか?」

「もちろんあるが、広すぎてどこに何があるかまでは把握してないぞ」

「まあ住んでいなければそうかもしれないな。当日は楽しんでくるといい。昔はよく遊んでいたんだろう?」

「そうだな、何だかんだでブリジットと出掛けるのは久しぶりだ」

 ふと遠い目をしたアランは、子供の頃を懐かしんでいるように見えた。

 こちらから彼女のことが好きなんじゃないのかと言いもしたし、それでアランが動揺したりもしたが、実際の所、彼がブリジットをどう想っているかは分からないのだ。

 悩んでいる時に感情を揺さぶって、一時そう思い込ませてしまっただけなのだろうか。

 数日前とは違い、アランも落ち着いているし、普通にブリジットと話していたりもする。日曜日を待たずとも以前の幼馴染同士といった関係に戻りつつあるようだ。

 どうも余計なことはしなくてもよさそうな雰囲気だ。

(いや……!)

 思いかけて、マキアスはその思考を隅に追いやった。

 少なからず気の置けない間柄なのは間違いないが、前回のように些細な行き違いから仲違いを起こす可能性もある。

 だからと言ってお節介すぎる関与をするつもりはないが、それでも次の日曜までは様子を見ておきたい。

 これは乗り掛かった舟なのだ。それも自分から乗り込んだ舟だ。

「急に黙ってどうしたんだ、マキアス?」

「何でもない……いや、アラン」

 マキアスは含みを持たせた言葉でアランに告げる。

「当日は何があっても動じずに、彼女をエスコートしてあげるといい」

 

 

 同じく食堂。マキアス達の席に近い別のテーブルに、ラウラとブリジットもいた。混雑と喧騒のせいでお互いに気付いてはいなかったが。

「それで、その後アランとはどうだ?」

「前みたいに話してくれるようになったわ」

 ラウラが問うとブリジットは嬉しそうに言った。

 ブリジットはすっかり元気になった様子だ。アランと話せなかったのがよほど堪えていたらしい。以前の消沈ぶりと比べると見違えるような明朗さだった。

「そういえば出掛けるのは明後日だったか」

「ヘイムダルに行くことになったの。色々見たいお店があるんですって」

 本当に楽しみにしているらしいブリジットは、その話をする度に笑顔になる。

 テーブルの下で、ラウラは両の手の平を組んだ。

 話を聞く限りだと、二人の関係は改善されている。過分の助力はもはや不要だろう。

 それでも心配ではある。エマから聞かされた不測の事態がいつ何時、二人に襲い掛かるともしれないのだ。余計なトラブルなどに、せっかくの二人の一日を潰されるわけにはいかない。

 やはり降りかかる火の粉を払うのは自分の役目だ。

「急に黙ってどうしたの、ラウラさん?」

「何でもない……いや、ブリジット」

 固い決意は柔らかな表情に隠して、ブリジットに告げる。

「当日は何の心配も無用だ。二人での外出を存分に楽しんでくるといい」

 

 

 9月18日、土曜日。

 劇団ミルスティン、楽屋――というかエマの部屋。

 連日続けられた放課後の演技指導、その最後の特訓を終えた乗流怒組の三人は、エマ座長の部屋に集合していた。

「皆さん、お疲れ様でした」

 エマが労いの言葉を口にすると、三人は一様に頭を下げた。それは厳しい稽古によって刷り込まれた条件反射だった。

「今日で演技指導は終わりです。そこで皆さんを代表して、マキアスさんにお渡しするものがあります」

 エマは椅子に立てかけてあった袋をマキアスに手渡した。

「こ、これは……!?」 

 こほん、と咳払いしたエマは「一応手作りです」と少し照れたように付け加える。

 袋の中には入っていたのは服、諸々の小物類などの不良変身セットだった。

「エマ君、僕たちの為にこれを? しかもこの短期間で!?」

「最近授業中も眠そうにしていたのは、夜遅くまでこれを作ってくれていたからだったのか」

「見上げたものだ」

 三人は口ぐちに感嘆の声をもらした。

「本当は全員にお渡ししたかったのですが、どうしても時間が足りなくて……すみません」

「何を言うんだ、エマ君。十分すぎる程じゃないか」

 他の二人に試着を促されると、マキアスは「ふふ、いいだろう」とそこはかとなく嬉しそうに袋の中身を取り出していく。

 ほどなくマキアスの変身が完了する。

「おお……」

「これは、何とも……」

 威圧的な黒いレザージャケットに、動く度にじゃらりと冷たい音を奏でる大きな鎖の首飾り。やたらとつま先が尖り、さらに先端が上に反り返った攻撃的なデザインのブーツ。小物類も挑発的な光を湛えたものばかりだ。そして目にはクロチルダのサングラス。

 完璧だった。屋上で練習を重ねた笑い声もすでに物にしている。

 エマは少し申し訳なさそうにマキアスの右手に視線を移した。

「本当は一つ用意し忘れたものがありまして……ナックルダスターという不良の必須道具なんですが」

 それはマキアスも見たことがあった。メリケンサックとの俗称もあり、拳にはめて使用する打撃力強化の為の武器で、どちらかといえば暗器に近い属性を持っている。不良の必需品であるとは知らなかったが。

「それがあったらより不良らしいのか……そうだ」

 正規の品ではないが、それくらいなら作れるのではないか。

 サラ教官の『ビールの栓抜き』とリィンがいつも右手に付けている『グローブ』を合わせれば。

「よし、借りて来よう!」

 思い立ったが早いか、マキアスはリィンの部屋へと走って行った。

「あいつ、あの恰好のまま出て行ったが」

「相手はリィンだし、大丈夫だろう」

 遠ざかる鎖の音。しばしの静寂。

 まもなく、二階からリィンの悲鳴が聞こえた。

 

 

 リィンが叫んだ頃、ラウラの部屋。

「どうだ!?」

「ん、十五秒。というか今、何か聞こえた?」

「よし、二秒縮まったな」

 フィーの質問は聞こえていなかったようで、今しがた着たばかりのみっしぃの着ぐるみを脱ぎながら、ラウラは額の汗を拭った。

「で、ラウラは何をしたいの?」

「見ての通り、みっしぃになる為の着脱時間を短縮しているのだ」

「何のために?」

「それは言えんのだ。付き合ってくれた埋め合わせは後日させてもらおう」

 咄嗟にみっしぃになる必要があった場合、着ぐるみをまとうのに手間取っていては話にならない。

 みっしぃとして戦う術を得た今、あと必要なのは迅速にみっしぃ形態へと移行することだった。

 フィーの助言により、着ぐるみの内側にもファスナーが付いていることを知ったラウラは、中側からチャックを開けられるようになり、その着脱速度は大幅に短縮された。

 これぞ目からうろこ、というのはラウラの談である。

 ちなみに今までは着ぐるみの中でひたすらもぞもぞと動いて、ファスナーがずれていくのを待ち続けていたのだった。

 フィーが何気なく言う。

「そんなに早く着る必要があるなら、最初から着てたらいいんじゃない?」

「そんなことができるわけ――」

 みっしぃはマスコットキャラクターだ。町中にいれば目立つには違いないが、何かのイベント行事だと思われ、怪しまれることはないのではなかろうか。

「――できる……のか?」

 

 

 9月19日、日曜日。

 時刻は昼前。天気は快晴。

 トリスタ駅構内にベルが鳴り響き、ヘイムダル行きの列車が来る。

「アラン、早く! 列車行っちゃうよ」

「発車まではまだ時間あるし、大丈夫だって」 

 アランとブリジットは切符を手に改札を抜けた。

 二人が車両の一つに入っていくのを見ると、ラウラは自分の顔を隠すように持っていた雑誌を脇に置いた。

「無粋な真似をするつもりはない。あくまで私は護衛のようなものだ」

 自分に言い聞かすように呟いて、待合のベンチから立ち上がる。

 同じ車両に乗る訳にはいかないので、ラウラは一つ後ろの車両に乗り込んだ。その手に大きな荷物を持ちながら。

 列車の発車間際。トリスタ駅の扉が勢いよく開く。

「よし、間に合ったな!」

「お前が支度に手間取るから時間が押したのだ」

「わ、わかっている」

 駅に入ってきたのはユーシスとマキアスだ。二人は切符を購入する為に駅員へと駆け寄った。

「ヘイムダル行きの切符を二枚! あの列車に乗りたいんだ、急いでくれ」

「わかりまし――ひっ!?」

 駅員は二人を見た途端、切符を取りこぼした。

 サングラスをかけ、鎖をじゃらじゃら鳴らし立てるマキアスと、髪をワックスでオールバックに固め、頬に黒いペンで傷を描き込んだユーシスが責め立てる。 

「何をやっているんだ!」

「急いでいると言っただろう。早くするがいい」

「すみません、すみません!」

 駅員は半分泣き顔になりながら切符を手渡す。

「切符を落としたくらいでそんなに謝らなくても……」

「止まるな。列車が出るぞ!」

 ユーシスが声を荒げると、マキアスは思い出したように走る。

 二人が飛び乗ると同時に扉は閉まり、列車はヘイムダルへ向かって動き出した。

 

 

 ――帝都ヘイムダル・ヴァンクール大通り。装備品取扱い店《ワトソン武器商会》。

「こういうお店、初めて入ったけどいっぱい種類があるのね」

 壁に掛かった槍や剣を物珍しげに眺めていたブリジットは、食い入るようにサーベルを見ているアランに向き直った。

「ねえ、アランってフェンシング強いの?」

 手にしたサーベルを置き台に戻しながら、「それは……まあまあだな」と、どこか濁したような口調でアランは答える。

「部で何番目に強いの?」

「……今の所、四番目だな」

「アランすごいわ! ねえ、部員って何人いるの?」

「………」

「アラン?」

 小首を傾げたブリジットの手を引き、アランは店の出口へと向かった。

「ち、ちょっとアラン?」

「気になってたサーベルは見れたし、次に行こう」

 これ以上この店に留まると、触れて欲しくない話題が飛んでくる。

 今日は色んな地区の様々な店を回って、最後にマーテル公園で休憩してからトリスタまで帰るというプランだ。起伏の少ないルートだとマキアスは言ったが、今から回る予定の店は、幸いブリジットが好みそうなものなので、特に問題はなかった。

 アランにとってもブリジットにとっても、今日は行動を共にするだけでよかったのだ。

 店の物を一緒に見る。おいしいものを一緒に食べる。ただ歩く、話す、笑う。幼い頃の様に。

 そう、それだけで十分だったのに。

 アランは思う。

 実の所、ブリジットに対する自分の気持ちは未だによく分からない。

 恰好悪い所は見せたくないし、彼女の前だと強がってしまう自分もいる。マキアスの言うように、もしかしたら淡い想いはどこかにあるのかもしれない。

 けれど、それに囚われてブリジットを傷つけてしまうことは、決してやってはならないことだった。それをしてしまったのは自分が弱かったからだ。

 だから――

「アラン、どうかした?」

「いや、次はどこに行こうかなと思ってさ」

 以前は自分のプライドや体裁を守るために強さを求めた。今は違う。ブリジットを悲しませない為に強くなりたい。強く在りたい。

 もしいつか彼女を守れるくらいに強くなれたら、その時は――

「ははっ」

 憑き物が落ちたみたいにアランは屈託なく笑った。

 悩む必要もなかった。今まで通りでよかった。

 見えていなかっただけで、彼女はいつだって隣にいてくれたのだ。

 今日は目いっぱい楽しもう。ブリジットにも楽しんでもらおう。傷つけてしまったお詫びも兼ねて。埋め合わせにはちょっと足りない気もするが。

「なーに? 変なアランね」

「悪い、ブリジット。この通りには《ル・サージュ》の本店もあるらしいんだ。ちょっと寄ってみないか?」

「本当? うん、行きましょう!」

 やっと自分の心と向き合えた気がする。

 きっかけをくれたお前のおかげだ、マキアス。

 アランは胸中で、トリスタで今日の事を案じてくれているであろう友人に感謝した。

 足取りも軽くアランとブリジットは大通りを歩く。

 じゃらり。

 そんな二人の背後から、鎖の音が近付きつつあった。

 

 

 ――《ル・サージュ》帝都本店。

「わあ、見てアラン。これトリスタの支店ではまだ扱ってないデザインよ。ねえ、似合うかしら?」

「俺はあっちの白いやつの方がブリジットには合うと思うんだけど」

「もう、アランったらわかってないわ」

 楽しげに会話を交わす店内のアランとブリジットを、物陰からガラス越しに見守る二つの人影。

「何かいい感じだな。思ったよりうまくいっているようで良かった」

「だから最初に余計な事ではないかと言ったのだ。未だに詳しい事情を聞かないまま協力してやっている俺達に感謝するといい」

「そ、それはありがたいと思っているが。ところでガイウスは間に合うのか」

「あいつはトリスタ西側の街道を通ってくる予定だ。十五時ちょうどにマーテル公園に来るよう伝えてある」

 大通りの物陰というのは町中に停車している導力トラムの裏だったり、随所に設置されているダストボックスだったり、景観の為に植えられている木の陰だったりだ。

 アランとブリジットにはともかく、通行人にはばっちり姿を見られている。

「道行く人が僕達を避けていくような……」

「待っていてやるから自分の姿を鏡で見てくるがいい」

「その言葉はそのままお返しする。今の君の姿を見たら、日曜学校の子供達がもれなく登校拒否になるぞ」

「誰のせいだと思っている!」

 髪のワックスはマキアスが《ミヒュト》で購入したものだが、ヘアスタイルのセットと、頬の傷ペイントは出発の際にエマが仕立ててくれたものだ。抵抗するユーシスをガイウスと二人掛かりで押さえつけるのは、中々に骨の折れる作業だった。

「二人が店から出てきたな」

 小競り合いは中断して、ユーシスは「それでどうするのだ」とマキアスに横目を向けた。

「そろそろアランの男らしさをアピールするか」

 マキアスはミヒュトから購入したそれを取り出し、付属のゼンマイを巻き始めた。

「なんだ、それは。ネズミの玩具か?」

「高かったんだぞ。アランにはこれからブリジットさんを守ってもらう」

「下らん茶番だな」

 そう言い捨てたユーシスには構わずに、マキアスは限界までゼンマイを巻いたネズミの玩具を石畳の地面に置いた。

「さあ、行け!」

 手を離すと、2000ミラのネズミがじくざぐの軌道を取りながら、アランとブリジットに迫る。二人はまだ気付かない。

 さあ、アラン。男を見せてみろ。

 バキャン。

 そんな音がした直後、ネズミはその姿を四散させた。

 何者かがネズミを足で踏んでいる。

「なっ!?」

 内部機構が飛び散り、ゼンマイや歯車、小型タイヤが大通りに転がっていく。いくつかのパーツは道路にまで出てしまい、走行する導力車によってさらに粉々に粉砕された。

 目の前にネズミの尻尾だけがからからと転がってくると、マキアスは震える手でそれを拾い上げた。

「僕の2000ミラァー!」

「な、なんだあれは?」

 マキアスの慟哭をいつも通り無視したユーシスは、ネズミを踏み潰した物体を愕然と見据えた。

 ショックも抜けきらないまま、マキアスはその名を忌々しげに口にする。

「みっしぃ……!」

 愛嬌のある顔だが、今だけは自分を嘲笑っているように見える。

「とにかく撤退だ。幸いあの二人にも、みっしぃとやらにも俺達は気付かれていない」

「くそっ、仕方ない!」

 停車中の導力トラムの裏に素早く隠れる。

 尚、バックミラーに映ったマキアス達の姿を見て、運転手の顔が激しく引きつっていたが、残念ながら二人には及びもつかないことだった。

「何かのマスコットキャラクターか? 間の悪いことだ」

「多分イベントで来ていたんだろう。まったく」

 その折、みっしぃは足裏の肉球をふにふにと鳴らしながら、人通りのない暗い路地へと姿を消していた。

 

 

 ――アルト通り・音楽喫茶《エトワール》

 クラシックな内装、店内に流れる音楽。そしてあっさりとした味わいのサンドウィッチに、温かい飲み物。

 うっとりと音楽に聞き入りながら、ブリジットは紅茶を口にした。

「素敵なところね。アランってば、こんなおしゃれなお店知ってたんだ?」

「ん、ああ。知り合いに教えてもらったんだ」

「そうなんだ」

 カップを持つブリジットの手が、ぴたりと止まる。

「こんな素敵なお店を知ってる知り合いって、もしかして女の子?」

「いや男子だけど。それがどうかしたのか?」

「いいえ、なんでもないわ」

 店内の温度が一瞬下がった気がした。

「な、なんか寒くないか?」

「気のせいじゃないかしら」

 アラン達が軽食を済ましている頃、アルト通りの一角。

「はあ、はあっ……見つけたぞ」

「お、お前、もう少し移動経路のことを考えておけ」

 マキアスとユーシスもアルト通りに到着していた。ちなみに移動手段は徒歩、というか走りだ。

 同じ導力トラムには乗れず、かと言って次の便を待つくらいなら、距離によっては走った方が早い場合もある。加えて、アラン達が行く場所はあらかじめマキアスも知っているので、停留所経由よりは直接目的地に向かった方が時間短縮になるという判断だ。

「次はどうするのだ。またネズミでも使うか?」

「残念ながらあれはもうない。まだガイウスは来ていないが、場所も悪くないし僕達が直接動いてみるか」

 不良絡み作戦だ。本来の予定なら最後に取っておくものだが、人通りなどにも左右される作戦の為、いいタイミングがあれば先行して実施することになっている。

「ここでやるのか? 確かに店内に客はあの二人だけのようだ。しかし万全を期すならガイウスの到着を待つべきだと思うが」

「それはそうだが、万全の作戦が最高のタイミングで実行できるかは分からないじゃないか」

「……まあ、今回はお前に合わせてやろう」

「え、偉そうに!」

 二人は《エトワール》に向かった。

 出方によっては店内が荒れる可能性もあるが、暴れるつもりは毛頭ない。アランが男気を見せれば、それで撤退である。

「あの人は……!」

 突然、マキアスが声を上げた。

 正面から女性が歩いてくる。橙色の髪に清楚な服、優しげな表情に柔らかい微笑み。

「フィオナさん!」

「フィオナ……ああ、例のエリオットの姉上か。おい、お前!?」

 咄嗟にマキアスは駆け出してしまった。

「ご無沙汰しています!」

「え? きゃあ!?」

 フィオナはのけぞる程に驚いていた。

「ど、どうしたのですか」

 マキアスは心配そうにさらに歩み寄る。鎖をじゃらじゃらと引下げ、尖ったブーツを打ち鳴らし、先ほど走った動悸が収まらず「はあ、はあ」と荒い息を挟みながら。

「こ、来ないで……! 誰か」

 怯えるフィオナに、事情を説明しようとユーシスが急ぎ足で近づいてくる。

「驚かしてすまないが、少し話を聞いてもらいたい」

「な、仲間!?」

 それがとどめになった。ダメ押しの登場だ。

「そうだわ! 今日はお父さんが非番で家にいるもの! あとあの方も」

 フィオナは踵を返すと、家の方へ全力で逃げ去ってしまった。

「ま、待つがいい!」

「ダメだ、ここも撤退する! 猛将が来るぞ!」

 自分たちも走り出そうとした矢先、叫ぶフィオナの声が耳に届いた。

「お父さーん、あそこよ!」

 紅毛のクレイグが、ほうきを持って家から飛び出してきた。

「貴様ら、そこを動くなあ! ナイトハルトも追え!」

「了解しました。待てえ、下郎共!」 

 しかも、ありがたくないおまけつきだ。

 帝国軍最強、第四機甲師団の団長とエースが襲ってくる。

 マキアスとユーシスは導力トラムよりも速く、帝都の街を駆け抜けた。

 

 

《ドライケルス広場》

 広場に入ってすぐ、二つの噴水の間から見えるのは、威風堂々たる獅子心皇帝の像。

 その遥か奥、幾重もの尖塔を青空に突き立てる巨大な建造物こそ、現エレボニア帝国皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールⅢ世の赤き居城――バルフレイム宮である。

「み、見つけたぞ……座ってる」

「ようやくか……」

 そんな荘厳なバルフレイム宮には目もくれずに、息を切らしながら広場にやってきたのは二人の不良。

「まったく、准将のほうきが大剣に見えたぞ」

「少佐が投げてきた皿はさながら円月輪のようだった。どうやったら割れずに皿が壁に刺さるのだ……」

 ナイトハルト少佐とクレイグ准将の執拗な追跡を何とか逃れ、マキアスとユーシスはやっとの思いでドライケルス広場に着いたのだった。

 ずいぶん長いこと追われていたので、その間にアラン達はあらかたの店を回ってしまったらしい。今は木陰のベンチで一休みという所だろう。

「それでどうする。今度こそ絡みに行くか?」

「いや、宮殿前で軍人も常駐している。この後はマーテル公園に行くはずだし、その作戦はやはりガイウスを待とう」

「確かにな。だが他に策はあるのか?」

「アランには景観がよく見えるから、あのベンチに座るように指示したんだ。もう仕込みは済んでいる」

 マキアスは気付かれないよう慎重に、ベンチ横の木に近づいた。

「ここのクレープもおいしいわね。アランは何味?」

「俺のはイチゴとバナナだ。あ、チョコレートもトッピングで」

「そっちもおいしそう。一口頂いてもいいかしら?」

「え、ああ……?」

 アランの持つクレープの端を、ブリジットは身を乗り出して小さくぱくりと食べる。

「ふふ、ちょっとお行儀が悪かったかしら。でもたまにはいいわよね。アランも私の食べる?」

「い、いや、いいよ。俺は」

「遠慮しないでいいのよ。はい、あーん」

「だ、だからいいって。あ、あーん」

 ……ああん? 

 いやダメだ。なぜか一瞬、心に黒い炎が燃え盛ってしまった。ああん? は不良の演技だ。素で言ってはいけない。

 いい雰囲気だ。さっきから邪魔が入ってばかりだが、今度こそ男らしさを見せてもらうぞ。

 木から垂れた細い糸を掴むと、そのまま手繰って伸ばしながらマキアスは二人のそばを離れていく。

「それは何だ? 糸は木に繋がったままのようだが」

「まあ、見ていてくれ」

 マキアスがくいくいと細かく糸を動かすと、アラン達の頭上に一匹の毛虫がぷるぷると下りてきた。

「な、お前!」

「これも玩具だ。心配はいらない」

 ミヒュトから3000ミラで購入した素材がレアだという毛虫のインテリア。確かに見た目はよくないが、その弾力は触っている内にクセになる一品だ。回収した後は密かに部屋の、いつでも触れる場所に飾ろうと思っている。

 毛虫がぷるぷると迫る。

「もう少し……」

 ぷるんぷるん。 

「あとちょっと……」

 ぷるるっぷるっ。

「よし、いける!」

 ブルッシャア!

「え?」

 毛虫が空高く舞い飛んだ。急に進化して成虫になったとかそういうわけではない。

 へしゃげて透けた緑色の体表を太陽の光にさらし、エメラルドグリーンの輝きを撒き散らしながら飛んでいく。

 噴水を越え、獅子心皇帝を越え、なお遠く。大きくアーチを描いた毛虫は、そのまま柵を越えて海に落ちてしまった。海底に沈む前に魚のエサになることは、もはや免れない。

「僕の3000ミラァァッ!」

「ええい、叫ぶな! またあいつだ!」

 ユーシスの視線の先にはまたしてもみっしぃがいた。

 どこからか飛び出してきたみっしぃが、鋭い裏拳で毛虫を弾き飛ばしたのだ。みっしぃは即座にその場を離れ、広場から走り去っていく。

「ん? 今頭の上を何か通り過ぎなかったか?」

「海が近いんだもの。風くらい吹くわ。でも潮風に当たり過ぎるのもよくないかしら?」

「そうだな、そろそろマーテル公園に向かうか」

 二人は立ち上がって歩き出す。

 少し離れた噴水の陰。

「みぃっしぃいぃ!」

「だから叫ぶな! 見付かるぞ!」

 石の地面をダンと叩くマキアスの肩は、怒りに打ち震えていた。綿密に準備した仕掛けを二つも潰されたばかりか、合計5000ミラの損失だ。

 失うばかりで得るものがない。もうこれ以上の失敗は許されない。

 時刻は十五時前。ガイウスが到着する時刻だ。

 決意を胸に、マキアスはサングラスをかけ直した。

「乗流怒組……出るぞ」

 

 

《マーテル公園》

 水路に囲まれた公園内。水の流れる音が心地良く耳朶を打つ。

 およそ二か月前の帝国解放戦線のテロのせいで、一部復旧中で入れない施設もあるが、それ以外の場所はすでに一般開放されていた。

「やっぱり落ち着くわね。今日は誘ってくれてありがとう」

「別に。俺の方こそ楽しかったしな」

 マーテル公園の端のベンチ。高低差のある水路から流れてくる水は、しぶきをあげながら光を反射し、七色の輝きを生んでいる。水しぶきの音と一緒に鳥達のさえずりも聞こえてきた。

 そんな自然が織りなす音色に紛れて、じゃらりと硬質な響きが近付く。

「明日からはまた授業ね。女子生徒はまた家庭科実習があるの。そういえば十月になったら調理部主催の料理コンテストがあるって」

「ブリジットは料理できるだろ? というかその料理コンテストでるのか?」

「まだわからないわ。吹奏楽部の演奏と重なったら無理だと思うし」

 二人の話は続いているが、ガイウスはまだ来ない。アラン達がこの場を離れたら、作戦は実行できない。

「焦っても仕方あるまい。そもそも街道からとは言え、町中に入れば目立つ装いだからな。どこかで足を取られているかもしれん」

 マキアスの焦燥を察して、ユーシスはそう言う。

「わかっているが……あ!」

 アランとブリジットが立ち上がった。移動する気だ。

「もう僕と君だけで――」

「待たせたな」

 マキアスが動きかけた時、背後から落ち着いた声がした。

「町中で何人かに声を掛けられてな。何とか上手くかわせたのだが、さすがに遅くなってしまったようだ」

 ようやくガイウスが到着である。

「よく来てくれた。さっそくで悪いが最後の作戦だ。今までの特訓の成果を出そう」

「ああ、精一杯やらせてもらおう」

「ここまで来たのだ。任せておくがいい」

 大丈夫だ。何回も練習してきた。改良も加えてきた。協力してくれる仲間達もいる。今は人通りも途切れている。アランの為にもやらなくてはならない。

 マキアスは大きく息を吸う。そして――

「ヒィアッーハーッ!」

 帝都の空に、下卑た笑い声が高らかに響いた。

 

 

「おいおい、誰の許可取ってそのベンチに座ってんだ。ああん?」

「ふっ、女を置いて去るがいい」

 マキアスとユーシスが横柄な態度で二人に近づいていく。

「ア、アラン……」

「大丈夫だ。俺の後ろに下がって」

 よし、そうだ。ブリジットを守れ。

(この後は台本Bパターンだ)

(わかった)

 マキアスは小声でユーシスに囁いた。 

「くくく、何だあ。ビビッてんじゃねえのか。足が震えてるぜ、おいおーい?」

「俺の頬の傷に秘められた忌まわしい過去を話してやろうか」

 にやにやと二人は侮蔑的な嘲笑を浮かべてみせる。ここまでは練習通りだ。

「何だ、お前ら。向こうに行けよ」

 アランは臆した様子もなく言い返してくる。いい流れだが、撤退にはまだ早い。

 とっておきを出してからだ。

「おーっと、粋がるねえ。でもこれならどうかなあ」

 マキアスは振り返って叫ぶ。

「兄貴ぃ!」

「ハイヤー!!」

 遠くの植木を突っ切って、ガイウスを乗せた一頭の馬が走ってきた。

 ガイウスの顔には、腕の紋様をそのまま引き伸ばしたようなペインティングがなされており、一見しただけでその素顔は分からない。馬はユーシスが馬術部で世話をしている白馬だが、白い毛並だと迫力が出ないと言う理由で、その体には黒い墨でガイウスと同じ紋様が描かれていた。 

 ばるるると荒い鼻息を鳴らして、白馬はマキアスとユーシスの間で止まる。

「な、な?」

 さすがに驚くアランと、さらに怯えるブリジット。

「乗流怒組に逆らうとはいい度胸だな。ああーん?」

 好機とばかりに、マキアスはさらにまくし立てた。

「ほらほらどうした。早く謝らないと兄貴が風を感じちまうぜえ」

 ガイウスにセリフはない。練習はしたものの、どうしても棒読みになってしまうのだ。

 ユーシスが馬を使うという案を出し、それを承諾した時点で彼のウォーキング練習はその意味をなくしたのだが、それでも不平一つもらさず付き合ってくれたのは、その温和な人柄を表すところだろう。

「兄貴が風を感じたら、そしたらお前ら、その……あれだからな! おおう!?」

 いけない。覚えたボキャブラリーが底を尽きかけている。ボロを出す前にマキアスは小声で「Eパターンだ」と両どなりの二人に告げた。

「お前ごとき小物。こいつ一人で十分だ」

「さあ、覚悟してもらうぜ。ヒャハハ!」

 ユーシスに促されたマキアスが一歩前に出る。

 グローブと栓抜きで作ったお手製のメリケンサックは右手に装着済みだ。

「お前ら一体何なんだ……え?」

 アランが何かに気付いた。

「……お前、もしかしてマキア――」

「キャラメルマキアートが飲みたいのか! 先にお前を焙煎して粗挽いてやろうか!?」

 まずい。声や顔の雰囲気で気付かれたのか。とっさにマキア絡みでごまかしたが――いや、こうなれば、多少わざとらしくても。

「おら、その女守ってみろよ。お前なんかにできんのか、ああん!」

「お前……まさか……?」

 伝わった。あとは僕の頬を思い切り殴れ。それで退散。十分に君の男気は見せられるはずだ。

「聞きたいことは山ほどあるが……分かったよ」

 アランは拳を固めた。それでいい。多少は手加減してくれよ?

「ヒィアッハーッ!」

 わざとらしく腕を大振りに振り上げて、アランに襲い掛かかる。

 さあ存分にやれ。今だけ僕は、君の為に道化となろう。

 マキアスの拳が迫る。アランがカウンターを狙う。

 尖ったブーツのつま先が芝生に絡まった。

「あ!?」

 前のめりにぐらつく体勢。意志とは無関係に加速するメリケンパンチ。アランの拳をかいくぐり、マキアスは逆にカウンターを決めてしまった。

「あ」

「お、まえ……」

 あごにクリーンヒット。アランは口をパクパク動かしながら二、三歩たたらを踏んで後退すると、がくりとくずおれて気を失った。

「アラン、しっかりして! あなた達最低よ!」

 倒れたアランを胸に抱くブリジットは、気丈にもマキアスをにらみつけた。

「い、いや。これは……」

 メリケンサックを外しながら、たじろぐマキアス。作戦は失敗だ。しかも収拾を付けられそうにない。

 いったんこの場を離れるか?

 ――ザリッ

 強く地を踏みしめる音が聞こえた。 

 音のした方向に振り向く。

「ま、またこいつか……!?」

 怒りのオーラを立ち昇らせるみっしぃが、ついに乗流怒組の前に立ちはだかった。

 

 

 相対するみっしぃと乗流怒組。

 もはや言葉もなく、みっしぃは肉球を構えた。

「三度も邪魔立てをして……マスコットキャラクターだからと容赦はしないぞ」

 マキアスとて素手での実技訓練は受けている。さらに5000ミラの恨みもある。立ちはだかるなら手を抜くつもりはなかった。撤退するのは、こいつを地に伏せてからだ。

 しかし『ゴッ』とみっしぃから瞬間的に放たれた闘気が大気を揺らすと、マキアスも足を引かざるを得なかった。

「な、なんだと!?」

 擦過する闘気に乗せられた、尋常ではない怒気と覇気。こいつは並のマスコットじゃない。わずかにでも隙を見せたら途端に殺られる。

 間抜けな風貌をしているが、少なくとも一人で戦える相手ではないのは明白だ。

「二人とも、僕に力を貸してくれ!」

 振り返ると、そこにユーシスとガイウスの姿はなかった。

 見えたのは遠ざかっていく白馬と、その背に乗った二人の姿。

 なんて鮮やかな撤退だ。そしてなぜ僕を置いていく。

 遥か遠く、ユーシスが何度も練習したあのセリフを揚々と叫ぶ。

「覚えておくがいい!」

 それこそ、こっちのセリフだ。

 いつの間にか周囲に観客が集まっていた。イベントだと思っているのか、騒ぎ立てる様子はないが、だとしても簡単に逃げられる雰囲気でもない。

「もう後には引けない。行くぞ!」

 みっしぃを倒せばちょっとしたパニックになるはずだ。その騒ぎに乗じて逃げるしかない。

「はあっ!」

 マキアスの正拳が唸る。みっしぃはその一撃を片手で弾くと、素早く足払いを仕掛けた。すかさず後ろに跳躍。着地の瞬間を見逃さず、肉球の掌底が迫る。交差した腕で受け止めるが、堪えられずマキアスはさらに吹き飛んだ。

 体勢を戻しながら、みっしぃの挙動を捉える。追撃をしてこないのは、さすがにバランスが保てないからだろう。

 しかし、どこか覚えのある身のこなしは気のせいか。

 観客の一人が声を荒げた。

「お、おい、あれ、一週間前にトリスタに出たっていう眼鏡の殺人鬼じゃないか!?」

 ざわつくオーディエンス。

「いや待て。俺は士官学院生の友達から聞いたけど、眼鏡の色が違うぞ?」

「あれはこの一週間で手にかけた人間の返り血じゃないか。それなら黒ずんでいることにも説明がつく」

 何を言っているんだ、あの人達は。

「ついに帝都までやってきたってことか!? これは軍に連絡した方がいいんじゃ……」

 そこで己の身の危うさに今更ながら気付いた。

 カール・レーグニッツ。帝都庁長官、ヘイムダル知事。マキアスの父親だ。

 もし自分がここで軍に捕縛されるようなことがあればどうなる? 間違いなく明日の帝国時報の一面を飾るトップニュースだ。

 見出しはこう。『帝都知事の息子、眼鏡の殺人鬼と断定』。さらに今の恰好が写真として出回れば、言い訳もできない。加えて情勢面を考えると、スキャンダルに乗じて貴族派が勢いづき、オズボーン宰相の政策にも影響がでる可能性は高い。

 いつの間にかマキアスは薄氷の上に立っていた。軍だけは絶対に呼ばれてはならない。

「俺が通報してくる!」

 観客の中の一人がその場を離れようとする。焦って声を出そうとしたが、それを制したのはみっしぃだった。

 みっしぃは大きな首を左右に振り、その腕で自分の胸を叩いた。まるで“私に任せておけ”と言わんばかりに。

 割れんばかりの歓声が巻き起こる。

「みっーしぃ! みっーしぃ! みっーしぃ!」

 観客に味方はいない。ユーシスたちはもう街道に出た頃だ。力になろうとしていた友人は、あろうことか自分の手で沈めてしまった。

 何のために自分は今ここに立っているのか。

 瞬きの間もない油断だった。追撃はして来ないという気の緩み。完全に虚を突かれた。

 みっしぃが稲妻のように間合いに踏み込んできた。反応、反射、反撃。全てが間に合わない。

 肘が腹部にめり込む。回転してきた尻尾が頬を打ち据える。抉り上げるように肉球があご下に直撃した。

 間抜けな顔のまま、容赦なく急所を狙ってくる。なんて残虐なマスコットだ。クロスベル恐るべし。

「ぐはあっ!」

 体が中空へと打ち上げられた。何とか体勢を直さねばと半回転し、直下のみっしぃを視界に収めて、マキアスは戦慄した。

 足を屈め、力を溜めている。さらに追撃を繰り出してくるつもりだ。それは分かったが、この状態からどうすればいいというのか。

 両手の肉球を頭上に突き出したみっしぃが跳躍する。それはさながら、直上に放たれた水泳の蹴伸びのように――

「あ……」

 唐突にマキアスの脳裏を巡りゆく映像。

 水泳の蹴伸び。覚えのある身のこなしと闘気。そして一週間前《ミヒュト》で目にした灰色の毛並。それを持っていたのは――

(……ラウラだ、これ)

 計六つの肉球が顔面に炸裂する。クレインを一撃で戦闘不能に追いやる程の、すさまじい衝撃がその身を穿つ。

 嗚咽を漏らすこともできず、マキアスはさらに高く宙を舞った。

 急に視界が明るくなる。

 ああ、サングラスが外れたからか。それはダメだ。受け止めないと。

 自分よりさらに高く舞い上がったそれを必死に目で追う。うつろう意識の狭間に、ゆっくりと流れていく光景。

 サングラスのフレームが軋みの音を立てた。つるの根元がベキリと外れ、付随するフレームが湾曲していく。ブリッジが真っ二つに折れ、レムと呼ばれるレンズ縁から、レンズ自身が飛び出した。

 ひび割れ、亀裂が深くなっていき、ピシッピシッと黒い遮光レンズが悲鳴を上げる。

 待ってくれ、僕の10000ミラ。逝かないでくれ、僕の、僕の――

「クロチルダアアッ!」

 断末魔の叫びと共に伸ばした腕。開いた五指の隙間から見える塵ほどの黒い破片が、まるで雨のように芝生に降り注いだ。

 続くマキアスも地に叩きつけられる。残念なことに意識はあった。

 しばらくして、みっしぃに足を掴まれて引きずられている感覚があったが、マキアスはもう目を開けるつもりもなかった。

 なぜ? 決まっている。どうせ開けたところで、視界が滲んで何も見えないのだから。

 

 ● ● ●

 

 日は落ちて、辺りは薄闇に包まれている。

 鳥の鳴き声はいつの間にか虫の鳴き声に変わっていた。街灯の明かりが二人を柔らかく照らしている。

「うーん……」

「アラン、気が付いたのね? 良かったあ」

 目を開けて最初に見えたのは、心配そうに自分の顔をのぞき込むブリジットだった。

「ん、ブリジット?」

 ここはどこだ。何があった。どうやらマーテル公園らしいが、もう夜なのか。

 確か不良に絡まれて、でも実はマキアスで――ああ、そうだ。あいつめ、今度あったらじっくり問い詰めてやる。

「いっ、てて」

 起きようとすると、鈍痛があごに走った。

「まだ寝てなきゃだめよ。トリスタへの列車はまだあるから」

「ああ、悪いブリジット――って、うわ!?」

 跳ね起きた。体はベンチに横たわっていたが、頭はブリジットの太ももの上だ。ずっとひざ枕をされていたのか。

「ちょっとアラン! そんなに急に動いて大丈夫なの!?」

「た、単なる打ち身だ。一日寝たら治るよ」

 さすがに一日というわけにはいかないが、ブリジットを安心させるためにそう言う。

「ならいいけど……あ」

 ブリジットが空を見上げる。アランも一緒になって視線を上げると満点の星空がそこにあった。

「……綺麗」

「ああ。そういえば子供の頃でも一緒に星を見た覚えはないな」

 アランが言うと、ブリジットは「それはそうよ」と困ったように肩をすくめた。

「だってさすがに門限があるもの。こんな時間にアランと一緒にいたことはないわ。でも――」

 彼女はくすりと笑った。

「これからは一緒に見られるわよね?」

 二人の間を夜風が通り抜ける。

「え? 今なんて言ったんだ?」

「秘密よ。ねえ、駅までかけっこしない?」

「導力トラム使えばいいじゃないか。まだ動いてるだろ」

「私は走りたいの。はい、よーいどん!」

「待てって。ずるいぞ!」

 幼い頃の様に息を切らして、二人は走る。

 煌めく星々の下、赤い街並みはどこまでも続いていた。

 

 

 ~FIN~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《後日談/アラン》

 

「だからすまなかった。なんならピザもう一枚頼むか?」

「まったく……スペシャルピザだ! まだあごが痛いんだぞ」

「一応言っておくが、僕だってあごに肉球食らったんだからな」

 マキアスは《キルシェ》でアランにお詫びのピザを振る舞っていた。

「あの後は地下水道の中でみっしぃに小一時間説教されたし、そろそろ勘弁してくれないか」

「余計な事するからだろ。まあ、心配してくれたことは感謝するけど……」

 手元に残ったピザをたいらげると、アランはふんと鼻を鳴らした。

「別に怒ってはないさ。世話になったし、お礼にフェンシング教えてやろうか?」

「だったらチェスに付き合ってくれた方がありがたいな」

「チェスか。構わないぞ。気が向いたらな」

 二人は運ばれてきたスペシャルピザに同時に手を伸ばす。それぞれのあごに、仲良く絆創膏をつけながら。

 

 

 

《後日談/ブリジット》

 

「ねえ、みっしぃの中ってどんな感じ?」

「蒸し返るような暑さだな……あ」

「やっぱり、ラウラさんだったのね」

「う、それは、その……すまなかった」

 本校舎二階ソファーにラウラとブリジットが座っていた。

 突然振られた話題に、ラウラが墓穴を掘ったところである。

「悪気はなかったのだ。ただ心配で――許してくれないか?」

「うーん、どうしよっかなあ」

 ブリジットはいたずらっぽくラウラを見る。

「私のお願いを聞いてくれるなら許してあげるわ」

「そういうことならば、なんでも言って欲しい」

「私とお友達になってくれないかしら?」

 意外なお願いに呆然としたラウラだったが、すぐに笑みを浮かべた。

「是非もない。それなら、さん付けはやめてもらおう」

「分かったわ、ラウラ」

 微笑み返すブリジット。

「あなたに困ることがあれば必ず力になる。何でも頼ってね」

「もちろんだ。そうだ、そなたに紹介したい友人がいるのだが、モニカとポーラと言って――」

  

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 《おまけ ――あの時のリィン》

 

 9月18日、土曜日。

「思い出した!」

 私室。唐突に叫んだ俺は、勢いよく立ち上がった。ようやく記憶に掛かるかすみが晴れたのだ。

 風邪を引いた理由も、記憶を失った理由も思い出した。一度戻った記憶をまた失った理由もだ。

「マキアス……!」

 そもそもの発端は彼のチェスの駒を散らばらせたことだ。だがこの一週間あまり、彼とは普通に話もしたし、もう怒っていないのは明らかだ。

 今度こそちゃんと謝らなければ。大丈夫。笑って許してくれるはずだ。

 部屋の外から足音が近づいてくる。

「リィン、いるか?」

 マキアスの声だ。丁度良かった。

「ああ、入ってくれ」

「失礼する」

 扉がゆっくりと開いていく。謝罪を先に切り出すことにした。

「一週間前のことなんだが、すまないマキアス。実はあの時――」

「ヒィアッーハーッ!」

 笑って許してくれるどころか、笑って襲い掛かってきた。

「なんてな。驚いたか。実は君の手袋を――リィン?」

「う、あ……」

 やはりチェスの事を根に持っていたのか。鎖がじゃらじゃら鳴っているし、ブーツは尖っているし、ジャケットはなんか黒光りしてるし、眼鏡はサングラスになっているし。

 こんなに荒んだマキアスは見たことがない。全部俺のせいだ。

「うぁああーっ!」

 視界が暗転する。

 繋がった記憶はまた闇の中へと消えていった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 




後編もお付き合い頂きありがとうございます。

余談ですが、ラウラがネズミと毛虫を即断瞬殺できたのは、みっしぃの着ぐるみをまとっていたからです。さすがのラウラも素手ではためらったでしょう。一応そんな描写はいれていたのですが、流れが悪くなりそうだったので割愛しました。というわけでこの場を借りて補足させて頂きます。

では次回予告です。前からちょいちょいセリフには出ていましたが、次回は文芸部のお話となります。久しぶりのエマ回ですね。うん、嫌な予感がしますな。
あと数話で舞台は10月に移りますが、まだまだ彼らの日常は続きますので、どうぞお付き合い下さい。



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