九月下旬。平日。授業を終えた放課後、私とドロテ部長はトリスタの町へ続く長い坂を駆け下りていた。
「エマさん、急いで!」
「は、はい」
九月に入っても続いていた残暑の日差しは、ようやく和らぎを見せ始め、過ごしやすい日々がやってきていた。正面から吹き抜けていく涼やかな風が、私の三つ編みおさげを揺らしていく。
「はあ、はあっ」
ただ三つ編みが揺れているのは、風のせいなのか、全力疾走しているからなのか。
咳き込み交じりに吐いた荒い息が、私の丸眼鏡を曇らせて、視界を薄白色に覆う。
「あと二分ですよ!」
前方を走るドロテ部長は腕時計を一瞥するなり、焦った声を発した。振り返らずに前方だけを見据える彼女は、実際相当焦っているのだろう。
「あと59秒……!」
一分を切った所で、ついに秒カウントに切り替わった。秒針が進む度にドロテ部長の走る速度も上がるので、置いていかれないよう私も必死だった。
「あと30秒! こうなったらエマさん、眼鏡を捨てるしかありませんよ」
「そんなことしても私の足は速くなりませんから! そもそも重たくないですし!」
「そんな……あと重いものといったら」
ドロテ部長の目が一瞬、私の胸に向く。それは一体どういう意味ですか。彼女は「女神様のいじわるっ」と声を詰まらせると、さらにスピードを上げて疾走した。私が部長にいじわるされたんですが。
ともあれ、目的のトリスタ駅はもう目の前だ。
「あと15秒っ!」
駅の入り口扉を勢いよく押し開けて、なおも止まらず走る。
「ヘイムダル行き二枚! おつりはいりません!」
駅員さんの前にお金をだんっと叩きつけ、半ば奪うようにして切符を手にするとドロテ部長は改札を突破した。半歩遅れて私も続く。
「あ!」
発車のベルが鳴り、扉が閉まっていく。
間に合わなかった。やっぱり眼鏡を捨てていれば良かったのだろうか。
そんな詮無い思考が頭をよぎった時、
「エマさん、まだよっ!」
ドロテ部長は閉まりかけた扉の隙間に手を差し込み、力任せにこじ開けた。
食いしばった歯がぎりぎりと軋むと、重い扉がぎしぎしとスライドし、人一人分は通れるスペースができた。
「ドロテ部長!?」
「私の事はいいから、あなただけでも行って! 団体としての受付を先に済ませておけば、私が遅れても問題はないですから!」
なんという執念。この事態に気付いた二人の駅員が血相を変えて走ってきていた。
「お願い。必ず追いつくわ。早く……早く!」
「わ、わかりました!」
扉を押さえ続けるドロテ部長の腕の下を潜って、私は車内へと転がり込んだ
同時に二人の駅員に両脇から捕縛されるドロテ部長。扉が閉まる寸前、力を振り絞り彼女は叫んだ。
「行くのよ、エマさん……乙女達の祭典へ!」
列車が動き出し、ドロテ部長はどこかへ連行されていく。
扉の窓から見える彼女の顔は、何かをやり遂げた――そんな満ち足りた表情だった。
「ふう……ドロテ部長、大丈夫かしら」
ガタンガタンと揺れる車内。流れていく景色を眺めながら、私は一息ついた。
今日は文芸部にとって大切な日だ。チェス部という例を除けば、他の運動部とは違い、文化系の部活には当然ながら試合というものはない。かといって、自分達の作品を外に出す機会がないわけでもないのだ。
写真部や美術部には展覧会があるし、吹奏楽部には演奏会がある。ちなみにオカルト研究会は、怪しげな集会が定期開催されているらしく、目深にフードをかぶった女子が、ぶつぶつと呪文のような言葉を呟きながら出掛けるのをまれに見ることがある。確かベリルさんという名前だったと記憶しているけど、最近は写真部の男の子とよく外にいるのを目にする。
――それはともかくとして。今日は私達文芸部が出席する品評会が開催される日なのだ。文芸部にとっては数少ない大舞台なので、ドロテ部長の意気込みも並以上のものがあった。今頃は駅員さんのお説教を受けているまっ最中かもしれないけど。
「確か『ノベルズ・フェスティバル』という名前だったかな」
小説の祭典。そう、今回出展したのは創作小説だ。
一つ気になるとすれば、ドロテ部長は先程“乙女の祭典”と叫んでいたことか。
「言い間違い……よね?」
列車は走る。ヘイムダルはもうすぐだ。
《☆☆☆ノベルウォーズは突然に☆☆☆》
道すがら品評会の要項を思い返してみる。
受付は十七時から。会場は例年と同じで、ヘイムダル郊外の多目的ホール。導力トラムに乗って近くの停留所まで来たら、あとは徒歩にて約十五分。
地図を書いてくれたらよかったのだが、何かしらの理由があって、そのような情報は書面に残せないらしい。ドロテ部長が口頭で伝えてくれた目印を探して、私は迷いそうになりながらも歩を進める。
「もしかして、あれかしら」
大通りからは外れ、人通りの少ない脇道を何回も曲がった先に、そこそこ大きな建物が見えてきた。
外観は古めかしく、数世代前の貴族のお屋敷という印象を受ける。周囲はブロック塀に囲まれていて外からだと中の様子を伺えないが、正面の門には『ノベルズ・フェスティバル』と銘打たれた看板が立てかけてあった。
どうやらここで間違いないらしい。
門をくぐり、敷地内に入ると、玄関の前にスーツ姿の女性が立っていた。彼女は私に気付くと「品評会参加の学生様ですね」と丁寧に頭を下げてくれる。
「お名前と学院名をお願いいたします」
「エマ・ミルスティン。トールズ士官学院です」
名簿をチェックしていた女性は「あら?」と小首を傾げた。
ああ、そうか。多分、
「もう一人ドロテという女子学生が後で来ると思います。電車に乗り遅れてしまったので、先に私だけで受付を済ますようにと」
「そういうことでしたか。ではエマ様、本日はどうぞごゆっくりお過ごしください。お連れ様のことはご心配なく、お越しになった際にご案内致しますので」
「すみませんがお願いします。そういえば随分入り組んだ所にあるんですね。何回か迷いかけてしまいました」
「あら、初めて参加される方ですのね……色々と事情があるのですよ。あの門もね」
門、と言われて今しがた通ってきたばかりのそれに目を向ける。今は開かれているが、鉄格子のような扉で、最上部には外部からの進入を阻むように幾重もの棘が突き立っていた。何とも物々しい。
「まあ念の為ですので、あまり気になさらなくても宜しいですよ」
ギイィと重い音を立てて扉が開かれる。少しの緊張を感じながら私は足を踏み入れた。
通路の奥まで伸びた赤い絨毯の上を歩いていくと、突き当たりにまた扉が見えた。
今度もスーツ姿のお姉さんが立っていて、彼女は一礼するとドアを開けてくれた。
「ええ!?」
途端に拡がる空間。眩しいシャンデリアの輝き。そして大勢の人、人、人。急に別世界に入ったかと錯覚するほどだった。
奥には舞台もあり、造りのイメージとしては学院の講堂が近いかもしれない。しかし内装の華やかさはそれと比べ物にならない。
会場の両脇には彩り豊かな料理が多く用意してあって、ビュッフェ形式で楽しめるようになっていた。純白のクロスでしつらえた丸テーブルも随所に設置されており、雑談に興じながらの立食パーティといったところだろう。
「す、すごい。学生の品評会でこんな豪華な……」
もちろん出たことはおろか見たことも無いけれど、社交界というのはこんな雰囲気なのだろうか。
というかどうしよう、普通に学院服で来てしまった。
「……ドレスコードとかは大丈夫かな」
早くも場に呑まれかけた私は、辺りを見回してみる。
同年代くらいの女子ばかりだけど、みんな学生服だ。少しほっとする。
「あれは聖アストライア女学院の制服? 十代部門だから年下の子も来てるんだわ。えーとあっちは」
「ジェニス王立学院の制服ですよ。リベールの学校です」
背後から掛けられた声に振り向く。走ってきたのだろう、ぜえぜえと肩を上下させたドロテ部長が立っていた。思っていたよりもずいぶんと早い到着だ。
「ドロテ部長、間に合ったんですね。心細くて私どうしようかと」
「ふふ、ごめんなさいね。でも駅員さんに分かってもらえて何よりでした」
「大丈夫でしたか? 怒られませんでした?」
心配そうに私が聞くと、ドロテ部長は急に押し黙った。やっぱり相当注意されたのかもしれない。
「エマさんは私の妹」
「はい?」
いきなり突拍子もないことを言われ、私は目を丸くする。
「私の妹は難病を患っていて、名医に掛かる必要があった」
「え。何を言ってるんですか?」
「しかし手術には莫大なお金が必要。女手一つで育ててくれた母は資金繰りの為に過労を繰り返し、先日とうとう亡くなってしまったの」
「あ、あのドロテ部長?」
「姉である私は学業の傍ら、寝る間を惜しんで内職に励み、ようやく手術代を工面することが出来た。でも今日になって妹の容体が急に悪化。一刻も早くヘイムダルにいる名医の元へ向かわなければならない」
……まさか。
「迫る刻限。列車が出てしまえば、妹は助からないかもしれない。いけないことだとは分かっていても姉は列車の扉を開かざるを得なかった」
待ってください。ちょっと待って下さい。
「そう言ったら駅員さんは滝のような涙を流して、緊急車両を用意してまで私をヘイムダルに送ってくれたのです」
「なんてことを……」
だれが難病の妹ですか。しかしさすがは文芸部部長。さらりと設定を作り、駅員さんの心を打つだなんて。ばれたら停学は必死だ。奨学金差し止められたら、私泣いちゃいますよ?
「それはそうと、エマさんにはこの品評会のことをもう少し詳しくお話ししておかないといけませんね」
場面転換もお手の物ですね。すでに駅員さんの件は過去の話になりました。
「学生だけの品評会ですが、見ての通り帝国内だけではなくリベール、クロスベル、カルバードの学生さんも来ています。カルバードとは緊張状態と言っても、戦争中ではないので入国はできますからね。入国審査自体は厳しいそうですが」
この会場内にはざっと百人以上の学生が集っている。数こそ少ないものの、確かに東方の顔立ちをした女子学生達もちらほら見えた。
「文学に国境はないのですよ。毎年一回開かれるこの品評会は、各国友好の場としての意味合いもあるんです。世論や情勢に惑わされず、私達の世代が手を取り合うことは大切なことだと思いませんか?」
「それは……私もそう思います。素敵ですね」
文学に国境はない。素直にいい言葉だと思った。
「平日の夕方から会が開かれるのも定例でして、遠方からの学生さんは今日この会場に泊まることもできるんですよ」
「開催日時は変だとは思っていましたが、そういう事情があったんですね。でも授業とかは大丈夫なんですか?」
「なんでも社会見学も兼ねた学校行事という名目で、ある程度の融通が利くらしいんです。聖アストライアくらい校則が厳しいとさすがに泊まりはダメらしいですが。あ、私達のような士官学院生もですね」
「あはは、納得です」
「それに、気軽に足を運べない日程の方が都合がいいのです。万が一がありますからね」
「え?」
最後の一言は理解できなかったが、考えてみれば当然だった。各国から文芸部が集まれば百人規模ではすまないだろう。つまり今日ここに集っているのは日帰りが可能な近隣の学院勢と、学校の許可によって参加できた一部の団体勢ということになる。
それでも百人は多いと感じるが。
「そういえばあれは何でしょう?」
会場の一角。その場所だけ黒山の人だかりができている。
「ねえ、ゆっしゃん派?」
「んー、私はまっきゅんですわ」
そこでは、そんな不明な言語が行き交っていた。
ドロテ部長が説明してくれた。
「今日はプロの作家さん達も来てくれていて、その人たちの新作小説を先行販売しているわけです。あれが目的の人も多いくらいでして。あ、そうそう、小説の優秀賞を選定して下さるのもその方々なんですよ」
「はあ、そうでしたか……」
私達の小説は販売コーナーから離れた大きめの卓上に並べられており、誰でも試読することが可能だ。
原稿はすでに製本された冊子になっていて、私の小説もそこに置かれている。知らない人が私の本を手に取っていると思うと、それだけで少しドキドキしてしまう。
そんな折、「あら、あなたは」と私には聞き覚えのない声が聞こえてきた。
人の隙間を抜けて私達の前までやって来たその女子学生は、軽く会釈をするとドロテ部長に向き直った。紺のブレザーに胸元の赤いリボン。知らない学院服だ。そもそも知っている服の方が少ないが。
「今年も来たのね。お久しぶり。“夢のヴォワヤジェール”。ご機嫌宜しくて?」
え、夢の……何ですか?
「ふふ、貴女こそ“恋のシルビエンテ”」
不敵に言い返すドロテ部長。シルビ……はい?
「先ほどあなたの小説を読んできたわ。さすがは“夢のヴォワヤジェール”といったところね。斬新な切り口からの攻めと責め。見事なバランス感覚だったわ」
「お褒めに預かり光栄と言わせてもらいましょう。私は今来たところなのでシルビエンテの小説は後ほど拝読させて頂くわ」
「よしなに。ところでそちらのお嬢さんは新入部員かしら」
“恋のシルビエンテ”さんが私に視線を向けた。
「初めまして。一年のエマ・ミルスティ――」
「彼女は“
ドロテ部長は私の言葉に、聞いたことのない語彙を重ねてきた。
その名(?)を聞いたシルビエンテさんが途端に「こ、この子が……!?」と驚愕の表情を見せる。
「彼女の小説も読んだわ。控え目な描写の奥にある確かな青春、しかもその実力はまだ氷山の一角であることは明々にして白々……!」
言い回しがくどいのは小説を執筆するからでしょうか? 普通に明々白々でいいのでは。いえ、それすらも日常会話に使うことはまずないですけど。
「ふふ、今年の優秀賞は私達のものでしょうか?」
ドロテ部長が冗談半分、本気半分と言った様子で返すと、シルビエンテさんは「楽観過ぎてよ」と肩をすくめた。
「甘く見てはいけませんわ。今年は“忘却のフレグランス”に“祈りのフォルトゥーナ”も出展しているのよ。そして……」
顔から一切の感情を吹き消して、押し殺した声音で告げる。
「“裏切りのグリム・リーパー”も来ているわ」
途端、ドロテ部長がその表情を固くした。
「な、なんですって。ことごとく読者の予想を裏切る、あの“グリム・リーパー”が? そんな……『ディオス・デ・ラ・ムエルテ』の悲劇が繰り返されると言うの!?」
知っている言葉がどんどん少なくなっていきます。この方達は私と同じ言語を話しているのでしょうか。
「ただ、その子の潜在能力ならあるいは……」
言いかけて私を一瞥すると、彼女は踵を返した。
「一旦これで失礼するわ。私も後輩を待たせているの」
遠ざかるシルビエンテさん。途中、彼女は足を止めるとこう言い残した。
「“紅のグラマラス”……恐ろしい子」
もう世界観がわかりません。というか、というか――
「紅のグラマラスって何ですかー!」
ドロテ部長はうふふと含みを乗せて笑う。
「最後にこれを伝えないといけませんね。この会場ではお互いペンネームで呼び合うのですよ。先ほどの彼女は“恋のシルビエンテ”。本名はもちろん知りません。そして私は“夢のヴォワヤジェール”」
それは正式なものではないが、いつの間にか慣例化されていた、言わば暗黙のルールらしい。
シルビエンテさんはともかく、ドロテ部長のペンネームはひどく呼び辛い。舌を噛んでしまいそうになる。
部長は私の当惑を察したらしく「身内同士なら構いませんよ。普段通り呼んで下さい。私もエマさんと呼びますから」と緊張をほぐすように笑いかけてくれた。
いえ、私の聞きたいことはそれではなくてですね。
「“紅のグラマラス”というのは、もしかして私のペンネームですか? そんな名前を付けた覚えはないんですが……」
「恥ずかしがりやのエマさんだもの。きっと悩んでしまうと思って私が考えてみたんです」
「あ、あの」
「いいでしょう。教えてあげます。“紅”というのはもちろんその真紅の学院服のこと。“グラマラスは”グラマーと、眼鏡を意味するグラスを掛けているんですよ。総称して“紅のグラマラス”。エマさんにぴったりのいいペンネームだと思いませんか?」
ただ恥ずかしい。しかし嬉々として語るドロテ部長にそんなことを言えるはずもなく、
「その、えーと、はい。……いいと思います」
そう答えるしかなかった。
「気に入ってくれて安心しました。安直に“赤いメガネボイン”にしようかとも考えたんですが……あ、そろそろ始まりますよ」
さらりと恐ろしいことを言ってのけたドロテ部長は、視線を壇上へと向けた。先ほど受付にいたスーツのお姉さんが、舞台の端にあるスタンドマイクの前に立っている。
「各国文芸、文学部の皆様、大変長らくお待たせしました。只今より第八回創作小説品評審査会、ノベルズ・フェスティバルを開会致します」
八回目だったらしい。意外に歴史が浅いと一瞬思ったが、百日戦役の年代を考えれば妥当と言える開催回数だ。
「それでは審査員の方々をご紹介致します。まずは『バラ色プディング』でおなじみの“花のエヴァンジル先生”」
「皆さん、ごきげん麗しゅう」
二十代後半ぐらいの女性がにっこりと手を振りながら袖から現れて、舞台上の審査員席に座った。
かなり人気のある人らしく、登場しただけで歓声と拍手の嵐だ。あまり最近の小説には――というかそういうジャンルには詳しくない私の為に、逐一ドロテ部長が解説を挟んでくれる。
「あの方はリベールの人気作家の一人。流行の言葉を取り入れたコミカルな文章が私達世代に受けているんです。若くして業界の最前線にいるすごいお方よ」
ドロテ部長の口調が熱を帯びてくる。
「続きまして『監獄ヘブン』、『チェイン&ウィップ』、『事故か事件か』など数々のヒット作を生み出した文豪女傑、“孔雀のティラトーレ”先生」
「今宵の祭典、共に楽しみましょう」
四十代半ばくらいの人だろうか。凛として審査員席に座る姿は風格が漂っている。
「ま、まさかこの方も来られるなんて! 相容れない恋を描く作風は、哀愁と共に読者を一気に本の世界へと引きずり込むんです。代表作『監獄ヘブン』は囚人と看守の禁じられた逢瀬が見どころですよ!」
それは禁じられて然りでは。……あと囚人と看守って男性と女性ですよね?
「では三人目の方です。審査員には急遽抜擢されたのですが、きっと皆さん驚くと思いますよ。さあ、どうぞ!」
コツコツと舞台に足音が響く。静かに現れたのは黒いタキシードを着た男性。
その姿を見るなり「きゃあああ!」と悲鳴じみた大歓声が会場を揺らした。先に登場した二人の先生より遥かに反響が大きい。
「ど、同志《G》よ!」
歓声にかき消されたが、誰かがそう叫んだのを確かに聞いた。その言葉に私の背は震えた。帝国解放戦線《G》――ギデオン。
そんな馬鹿な。クロスベルで死亡したと聞き及んでいる。もしかしてダミー情報? だとしてなぜこの場に? 各国の子女が集まる会合、何かに利用しようとすれば確かにできなくはないが。
「くっ」
魔導杖なんて持ってきているわけがない。《ARCUS》はあるけどさすがにトリスタの皆までは通信が届かない。加えて攻撃系のクォーツも装着していない。
巡る思考。とっさには弾き出せない適切な対応。絶叫吹き荒れる中、平然と審査員席に座った《G》を私は強く見据えた。
「あれ?」
知らない顔だった。と言っても、顔の上半分を覆い隠す蝶を模した仮面を付けているから、顔の全てを捉えることはできない。ただ――
「………」
あの鼻下で整えられた白いひげには見覚えがあった。マスクから覗く白髪にも。しわ深いあの口許にも。
まさか、なんで、どうして。
はっとした。新刊小説の即売コーナーへ振り向き、嫌な予感に押されるまま私は走る。
「エマさん!?」
ドロテ部長の呼びかけにも応じず、人だかりをかき分けてそこに辿り着き、売り切れ寸前のその本を手に取った。
表紙のイラストを見る。シャツがはだけた学生服の男の子二人が、読者目線で手を絡めあっていた。
「ああ……」
目まいに襲われる。タイトルは確認したくなかったけど、まだ勘違いと言う可能性も残っている。見ないといけない。女神様、私に勇気を。
意を決して表題部を視界に入れた。
《素直になれないボーイ・ミーツ・ボーイ》
間を置かずに落ちる、私の肩。
悪い予感が確信に変わってしまった。
あれは
「ということは……」
冊子を開く。登場人物紹介、主人公は二人。名前はユーシオス・アルバノフとマキュリアス・レグニール。どこかで聞いた名前だ。片方はブロンド髪で、もう一人は眼鏡をかけている。というか容姿はモデルそのままだ。
さっき耳にした、ゆっしゃんとまっきゅんはこれだ。
マルガリータさんと戦ったあの日。グラウンド諸々の補修を頼みに行った際、ガイラーさんから手渡された小説こそが『素直になれないボーイ・ミーツ・ボーイ』だった。
一人になった用務員室で流し読みして、簡単な添削だけして机に置いておいたのだけど、まさか一週間も経たない内に修正して、製本にまでこぎつけるなんて。出版社の協力だっているはずなのに、一体どうなっているのか。
ペラペラと適当にページをめくってみる。
『お前の眼鏡は俺のものだ』
『レンズをさわるな、ユーシオス』
『ふっ、抵抗はしないのだな? マキュリアス』
『……君という男は』
『嫌いか?』
『言わせるんじゃない……』
ばんっと本を閉じ、だんっと台に戻し、急ぎ足でドロテ部長の元へと戻る。
口調がまんまあの二人だ。以前添削した時よりも遥かに描写が生々しく、かつ禍々しくなっている。あの時は挿絵がなかったし気付きもしなかった。
万が一これをユーシスさんとマキアスさんが見て、不本意ながら私が力添えしたことを知ったらどうなるだろう。
きっと四大名門と帝都知事の両子息として、持ちうる全ての力を総動員し、文芸部をひねり潰しにかかってくるに違いない。
「エマさん。急にどうしたんですか」
「あの、ドロテ部長。同士《G》というのはなんでしょうか?」
彼女は待ちわびていたかのように意気揚々と解説を始めた。
「一か月くらい前に彗星のごとくデビューした大型新人で、《G》はペンネームです。懐古的な文章ながら、常に感性に訴える斬新な表現技法。そして予測不能にして限界突破したストーリー。乙女心をくすぐる絶妙な話運びに、幅広い層のファンを瞬く間に獲得しました。同志と言うのはファンの中での愛称ですね」
限界は突破したらダメですから。もう軍に通報した方がいいのでは。
ドロテ部長の熱弁は止まらない。
「デビュー作『高原の中心でハイヤーを叫ぶ』は主人公ダイウスと友人ネリオットの友情物語が秀逸なんです。ラストシーンで病気のネリオットの為に、喉が枯れるまでハイヤーを叫び続けるダイウスの姿に涙を流さなかった読者はいないでしょうね」
領邦軍では手に負えないレベルだ。正規軍に出撃依頼しないと。
「あと二作目の『クロックベルはリィンリィンリィン』は先輩クロックと後輩リィンのすれ違いを描く切ないストーリーで、発売から数日で重版がかかるほどの人気ぶり。乙女メーターの上限を振り切った内容は、彼の辞書に規制という文字が存在しないことを世に知らしめる一作となりました」
乙女メーターとはなんだろうか。今日は知らない言葉ばかり耳にする。そしてなぜかリィンさんだけ本名が使われているという悲劇。
「そして新作の『素直になれないボーイ・ミーツ・ボーイ』では身分の違う二人が禁断の――」
「も、もう大丈夫です! ……ありがとうございました」
料理にはまだ手を付けていないのに、すでにお腹がいっぱいだ。“禁断の――”の先は聞きたくない。聞かなくてもわかる、というかそれを添削したのは他でもない自分なのだ。
一か月あまりで三作も発刊するなんて、執筆速度が尋常じゃない。
大人しく審査員席に座っているガイラーさんを改めて見る。
黄色い歓声には軽く片手を掲げる程度で、愛想笑いを返す素振りも見せない。ドロテ部長が言うには、ファンにも媚びない、その毅然とした態度がいいのだとか。
「ああ……《G》。仮面の下のあなたの素顔を想うだけで、私はもう立っているのも辛い。教えて《G》。普段のあなたはどこで何をしているの?」
トールズ士官学院で用務員をやっています。ドロテ部長も確実に知っている人ですよ。立っているのが辛いということなので、私は彼女の後ろにそっと椅子を置いておいた。
お姉さんが司会を進めようとするも、ざわめきはまだ収まらない。《G》人気の程がうかがえる。
「やれやれ。元気なお嬢さん達だ」
ようやく一言を発したガイラーさんは立ち上がり、そのまま少し歩み出る。彼は両腕を頭上に掲げて交差させると、✕印を作ってみせた。
一瞬で静まり返る会場内。なんというカリスマ性。
しかし、次の瞬間。
「エーックス!」
ガイラーさんが高らかに叫ぶ。
合わせるように会場内の女子学生も✕印を頭上に作り『エーックス!!』と、もはや怒号に近いそれを響かせた。余りの音響にシャンデリアや、壁際に設置されていた照明器具などがビリビリと微震するほどだ。
「こ、これはなんでしょうか?」
周囲と同じく✕印を壇上に向けているドロテ部長は、興奮冷めやらぬ様子だったが、それでも質問に答えてくれた。
「この✕印は絆の刻印。本来なら在り得るはずのない繋がりを実現させる魔法の楔。《G》の作品のあとがきは、必ず『次回もエーックス』で締められているんです。まさか実際に目にすることが出来るなんて……光栄の極みですね」
並び立つ百もの✕印。もうカリスマを踏み越えて、怪しい団体の教祖のようになっている。一体あの人はどこに行こうと言うのか。
「さあ、エマさんも一緒にエーックス」
「や、やりませんから!」
● ● ●
予期せぬサプライズで一騒動はあったものの、無事に品評会は開始された。
最初の二時間程度は親睦会が主で、ビュッフェスタイルの料理を楽しみながら他学生との交流を深める。その間に三人の審査員達が話し合って、受賞小説を決定するという運びだ。
出展された小説は、あらかじめ十作品くらいに絞られてあって、表現、構成、人物などの項目ごとに採点がなされていく。自分の小説がその十作品に選ばれているかは、受賞式の時まで分からないそうだ。
ちなみに審査員の皆さんは、別室に入って最後の選定をしているらしい。
「それにしても……」
辺りを見回すとやはり女の子ばかりだ。
少し違和感があった。文芸部は男女で分かれるような部活ではない。男女別の品評会とも聞いていない。確かに出展されている小説の内容があれなので、男子には居づらい場所には違いないが、一人もいないというのはどうなのだろう。
「男子学生がいないのが気になる……と言ったところですか?」
「あ、ドロテ部長。と、恋のシルビエンテさん」
離れたテーブルで雑談に興じていたお二人は、私が一人でいたことに気を遣ってか、こちらまで歩み寄ってきた。
「楽しんでいるかしら。紅のグラマラス」
シルビエンテさんはまたその名で呼んでくる。恥ずかしさに頬が引きつりそうになるのを堪えて「程々にですが」と笑い返してみた。
「それは重畳。ところでグラマラスはなぜこの場に男子学生がいないのか、気になっているのよね?」
「えーと……はい」
グラマラスの名に即答で返事をするのには、まだ抵抗があった。
シルビエンテさんはドロテ部長に横目を向けると「ヴォワヤジェール、いいわね?」と謎の確認を取った。
「ええ、いずれはエマさんも知らなければいけないことだもの。私達文芸部の“闇”をね……」
「や、闇?」
なぜ学生の文芸部に闇があるのか。多分聞かずにこの場を離れた方がいいと思うが、しかしすでにシルビエンテさんの語りは始まっていた。
「全ての始まりは八年前、第一回ノベルズ・フェスティバル。その時は男女混合での品評会だったの。別段トラブルもなく穏やかに会は進んでいった。……だけど事件は授賞式で起こった」
重い口調で彼女は続けた。
「その年の受賞者は全員が女子学生だった。もちろん男子の執筆した小説にも優良な作品はあったでしょう。でも審査員には選ばれなかった。おそらくは審査員の趣味嗜好、ジャンルの方向性の違いでね」
ある程度ジャンル別に審査員を設けるか、そもそも会を一まとめにしなくてもよかったのでは。初回なので想定できなかった事態なのかもしれないが。
「そして文芸部の男子達による暴動が巻き起こった」
いきなり話がおかしくなった。
「何とか収拾は付いたけど、それは深い禍根と確執を残す結果となったわ。以来、文芸部は女子と男子に袂を分かち、未だ仲違いを続ける間柄なのよ。私達の至高とする小説と彼らが崇拝するジャンルは相容れないの。どうやってもね」
知らなかった。文芸部が男女で二分される事態になっていたなんて。しかも各国を巻き込んで。
「水面下での小競り合いは絶えないけど、今はお互いに牽制し合っているから、争いは表面化していないわ。でもいつか彼らが実力行使で勢力図を塗り替えようとしたら、確実に正面衝突することになる。戦争は免れないでしょうね」
「せ、戦争ですか!?」
「このノベルズ・フェスティバルはね。品評会であり、親睦会であり、決起集会でもある。いつか来る小説戦争――ノベルウォーズに備えて団結力を強めるのが目的。私達は小説家であると同時に戦乙女なの。それをよく覚えておきなさい」
やっぱり聞かなければよかった。知らない内に妙な戦いに巻き込まれた。
「士官学院生の貴女は戦闘訓練も受けているのでしょう? 期待しているわ、紅のグラマラス」
そして主戦力に数えられてしまった。
ドロテ部長が申し訳なさそうに目を伏せた。
「これが文芸部の闇。わかります、エマさん。ショックですよね? 落ち着いて深呼吸して下さい」
足元がふらついているのはそれが原因ではなかったが、とりあえず一旦落ちつくのは賛成だ。
「すみません、少し席を外してきます。場酔いしちゃったみたいで」
よろよろと入口扉に向かう。背後から「重すぎる真実を背負わしてごめんなさい」とか「彼女は強いわ。きっと乗り越える」などの声がしていたが、聞こえないふりで歩を進めた。
文芸部って一体なんですか。
「ふう、やっと一息つけた」
なんというか、一言で言うなら予想と違った。何かこう――もっと粛々とした式典のような授賞式をイメージしていた。粛々どころか殺伐とした話を聞かされたわけだが。
「そろそろ戻ったほうがいいかしら。あまりドロテ部長を心配させてもいけないし」
会の最中は外に出られないらしく、私は適当に建物内を散策していたのだった。
どうやら実際のお屋敷を改装してホールを作ったらしく、会場以外の造りは結構複雑になっていた。
使用しない廊下の照明は落とされ、辺りは薄暗い。日はすでに落ち、窓から差し込む月明かりが周囲の輪郭を浮き立たせている。
ホールの喧騒は聞こえるので、とりあえずそちらに向かって歩き出そうとした時だった。
「おや、迷子のお嬢さんかと思いきや――まさか君とはね」
心臓が跳ね上がる。
「女神の小粋な計らいに感謝しよう」
闇の中から声が近付いてくる。
「月が満ち、星が煌めくいい夜だ。体がたぎってしまうね。君もそう思わないか、エマ君。いや――」
現れたのは一見してタキシードの紳士。しかし私は知っている、仮面の下の真の姿を。
「こう呼ぶべきかな。“紅のグラマラス”と」
秋夜に跋扈する、狂い咲きの用務員。
「ガイラーさん……いえ《G》」
長年の宿敵に遭遇したみたいに、私はガイラーさんと対峙した。
蝶の仮面が外される。顕わになるグレーの髪にやや垂れた目じり。しかし瞳の奥に灯るのは、野心を秘めた仄暗い炎。
「……なぜここにいるんですか」
「異な事を問うのだね。私をここまで導いたのは他ならぬ君だというのに」
不意に感じる。ガイラーさんの様子がいつもと違う。一体何が――
「私がここに立っているのは《G》という一人の小説家、そして今宵の審査員としてだ。審査もほぼ終わったので休憩がてら少し屋内を散策していたのだよ」
わかった。いつもの微笑がないのだ。真意の程はともかくとして、頬を緩めて穏やかな空気を醸し出す、あの笑みが。
「今日は笑っていませんね」
「さすがに緊張していてね。魂を込めて書き上げられた作品に、私などが優劣をつけるというのはおこがましい気がしてならないんだ」
それは殊勝な心構えだけれど、何かが違う。まだ見せていない何かがある。私の直感がそう告げていた。
「ああ、案ずる必要はない。たとえ君が知り合いでも審査は平等公平に行ったつもりだ」
「……それはもちろん」
会話を交わすごとに大きくなる違和感。言葉の裏に何を隠して、心の中で何を画策している?
「そうだ。君は先程、一人だけエックスをやっていなかったね?」
「あの✕印のことですか。私は絶対にやりませんから」
ガイラーさんは無言のまま首を横に振ると、感情の読めない灰色の瞳を私に向けた。
「君は必ず私に屈する」
響く、不吉。漂う、不穏。
「それはどんな予言ですか?」
「これは予言でも予測でもない。確定した未来を口にしただけだ。もう一度言おう。君は私に屈する」
虚勢ではない。自信とも違う。傲慢さも感じない。未来のことをまるで過去のように断ずる口調だ。当たり前のことを当たり前に口にしたという、ただそれだけの言葉。
屈する? それは私が“エックスポーズ”をするという意味だろうか。そんな未来はあり得ない。
「ガイラーさん、あなたは何を――」
「おや、いけないね」
私の言葉をさえぎって、ガイラーさんは腕に巻かれた時計に目を落とした。
「あと少しで授賞式だ。君ももう行った方がいい。二つ先の角を曲がればホールの入口が見えてくる」
それだけを告げると、彼は私に背を向けた。
闇に溶けていく後ろ姿に問う。
「あなたは……あなたは何をしようとしているんですか」
姿はもう見えず、渋みのある低い声だけが淀んだ空気を揺らした。
「今日は小説の選定。明日は植木の剪定だね」
すっとガイラーさんの気配が消える。立ち尽くす静寂の中、薄闇が濃くなった気がした。
ふと窓の外を見上げてみる。灰色がかった大きな雲が、満月を覆い隠そうとしていた。
私がホールに戻って間もなくすると、授賞式が始まった。
三人の審査員が好評を述べながら、賞ごとに作品名と作者名を読み上げていく。今回は佳作賞三名、優秀賞二名、最優秀賞一名の計六名という、例年よりも厳しい審査となった。
「では佳作賞、最後は“海のメルカート”さんで『漁師達のメモリアル』。この作品は荒れ狂う海の男たちの日常を描いた荒れ狂った作品で――」
賞状を受け取った佳作の受賞者達が壇上から下りてくる。
次は優秀賞の発表だ。
「続きまして優秀賞、一人目。“恋のシルビエンテ”さんで『night of knight』。傷ついた騎士が鎧を脱ぎ、頑なだった心の殻を脱ぎ、ついでに色々脱ぐシーンの臨場感と細やかな心情描写が高評価を獲得し、今回の受賞に至りました」
名を呼ばれたシルビエンテさんは「うそ……私が」と口許を手で覆って驚いている。
「では受賞二人目」
固唾を飲むドロテ部長は、傍目にも緊張が見て取れた。
彼女が今日の為に努力を積み重ねてきたのを知っている。
どうか、叶うならば。
「“夢のヴォワヤジェール”さんで『教官室の裏手では』」
弾かれたように顔を上げたドロテ部長は、その目を大きく開いた。
「学園物でありながら、終始息をつかせぬ怒涛の展開は見事でした。主役教官ライトハルトのセリフ一つ一つが胸を熱くしますね。特に水練後のシャワー室バッティングは見事の一言です」
気になる名前はあったけど、今は触れないでおこう。
周りから拍手が贈られると、ドロテ部長の目に涙が滲む。
「それでは受賞者のお二人は壇上へ」
目元をハンカチで拭い、シルビエンテさんと二人でドロテ部長は舞台へと向かった。
賞状を受け取った彼女は、満面の笑みを浮かべている。
「ドロテ部長……よかったですね」
そして最後は、いよいよ最優秀賞の発表だ。
「エマさんなら大丈夫。選ばれている可能性も十分ありますよ」
戻ってきたドロテ部長はそう言ってくれるが、これまでの受賞作品を見ていると、正直なところあまり自信はない。私の小説は柔らかい内容と言うか、当たりさわりのない、オブラートに包んだ表現を多用しているのだ。ストーリーに関しても、あくまで爽やかさを念頭に置き、審査員の目に留まるような突き抜けた構成にはしていない。
「最優秀賞の受賞者は――」
来た。ないとは思っていても、やっぱりドキドキしてしまう。
「“裏切りのグリム・リーパー”さんで『煉獄ぱにっしゅめんと』! 相変わらずの独特な表現と言い回し。予想を裏切り続ける手法はまさにお家芸と言っても過言ではないでしょう。最優秀賞おめでとうございます」
やっぱり駄目だった。少しでも残念に思う気持ちがあるということは、やっぱりどこか期待していたのだろうか。
一際大きな拍手の中、壇上に上がったのグリム・リーパーさんは意外にも聖アストライア女学院の学生だった。ミリアムちゃんとフィーちゃんを足して二で割ったような可愛らしい容姿で、もうグリム・リーパーちゃんと呼びたいくらい。確かに諸々の予想を裏切ってくれた。
「それではあとは――」
全ての表彰を終え、司会のお姉さんが何か言いかけた時だった。
会場後方の出入扉が勢いよく開き、受付をしていたスーツの女性が駆け込んできた。
「逃げて下さい!」
開口一番で叫んだ言葉。突然のことに呆ける会場内の学生。しかし受付の女性は構わずに続けた。
「男子文芸部が攻め込んできました! 正門も突破され、ここにくるのは時間の問題。学生の皆さん、審査員の先生方、早く避難を――きゃあっ!」
「邪魔するぜ」
背後からぬっと出てきた手に肩を掴まれ、彼女は横合いへと押しのけられた。
「ようやく見つけた。こんな入り組んだ場所で品評会なんて開きやがって。いつまでも俺達、男子文芸部の目を欺けると思うなよ」
ホール内に現れたのは学生服の男子が一人。だが大勢の足音が彼の後ろから聞こえてくる。当然仲間がいるのだろう。
「俺の名は“炎熱のリッター”。八年越しの因縁を終わらせにきた。女子文芸部、お前たちは明日以降ペンを持つことはない」
私も人のことを言えないけど、そこそこ恥ずかしい自らのペンネームを名乗り、彼はさらに一歩歩み出た。
小説の祭典は、まだ終わらない。
騒然とする会場内。
「なんで男子文芸部がここに……!?」
焦燥の面立ちのドロテ部長は、生唾を飲み下した。
「どこから情報が漏れたのでしょう……この場所は代々文芸部の部長にのみ口伝され、書面を残さない為に要項用紙さえも存在しないのに、一体誰が。まさかこの中に内通者がいるのでは……!」
内通者。その言葉に複数の視線が、裏切りが代名詞のグリム・リーパーちゃんに向けられる。
「あたし、そんなことしないよ?」
声も可愛らしいグリム・リーパーちゃんは首をふるふると左右に振った。
「“裏切り”はペンネームですものね。でも本当にどこから――シルビエンテ、どうしたの?」
シルビエンテさんの様子がおかしい。顔が真っ青になり、肩が小さく震えている。
「……どうして」
彼女は今にも消え入りそうな声で言う。
「どうしてあなたがここにいるの?」
その言葉は明らかに“炎熱のリッター”に向けられていた。
「お前が教えてくれたんだろ。この場所のことを」
リッターさんは当然のようにそう返すと、侮蔑的な笑みを浮かべた。
「シルビエンテ、まさか!?」
「違うわ!」
ドロテ部長が詰め寄るのを鋭く制して、シルビエンテさんはうつろう焦点をリッターさんに合わせた。
「あなたは男子文芸部だったの……?」
「そうだ」
「私に声を掛けたり、私の小説を読んでくれたりしたのは、ノベルズ・フェスティバルの情報を聞き出す為?」
「ああ」
「『俺がお前の騎士になってやる。鎧も、心の殻も、その他の色々も脱いでやる』って言ったのは?」
「俺を信じ込ませる為の演技だ」
「……ねえ、最後に一つだけ教えて」
うつむいて、細い声で言う。
「私の小説を面白いって言ってくれたのは、うそ?」
「……その通りさ。男は冒険活劇が好きなんだよ」
会場内の空気が――変わった。
肌がひりつく。呼吸が重い。
それはシルビエンテさんだけから発せられているものではなかった。この場にいる全ての女子文芸部の静かな怒り。
「許せない……!」
そう言ったのはドロテ部長だ。
シルビエンテさんはもう顔を上げていた。
「いいわ。もういい。男子文芸部、あなた達は今日ここで潰える。没になった原稿のように破り捨てて、まとめて屑カゴに入れてあげる」
リッターさんはふんと鼻を鳴らした。
「雌伏の時は終わりだ。俺達とて雪辱を晴らすべく八年間力を蓄えてきた。詰まったコピー機のようにしゃがれた悲鳴をあげて、お前たちはここで朽ち果てるがいい」
互いの視線がゆっくりと逸れていく。
「あなたとは別の章で出会いたかったわ」
「進んだページはもう戻らないのさ」
それが宣戦布告だった。
シルビエンテさんは右手を振り上げると、決意と決別を乗せて高らかに叫んだ。
「今! この時より我々は戦乙女とならん! かの聖女の如く戦場を駆け抜け、諸悪の根源を穿つのだ!」
彼女はばばっと両手を広げる。
「槍を持て!」
女子達は一斉にフォークを構えた。
「盾を掲げよ!」
続いて皿を手にする。
「男子文芸部を根絶やしにし、物言わぬペン立てにしてやれ! 突撃っ!」
女子文芸部の隊列が地鳴りを響かせて迫る。
リッターさんは動じず、同じく右腕を上げた。
「男子文芸部、諸兄に継ぐ。八年前の屈辱を忘れるな。先駆者達の悲痛を思い出せ!」
ぐっと拳を握りしめる。
「我々は長きに渡りファンタジー小説を読み続けてきた。身体能力は上がった気がするし、何かしらの特殊能力が目覚めた感じもなくはない!」
彼は腕を前方に突き出した。
「女子文芸部に正義の鉄槌を下し、冒険小説のしおりにしてやれ! 突貫っ!」
彼の背後、入口の奥から怒声と共に、男子文芸部が雪崩のように押し入ってきた。
激突する両陣営。
「エマさん、私達も前衛に出ますよ!」
「な、なんでこんなことに~」
審査員達は何をやっているのか。この場にいる唯一の大人達は。一声発して場を収めてはくれないのか。
壇上に目をやるが、“花のエヴァンジル”先生と“孔雀のティラトーレ”先生の姿はすでになく、おそらくは先に退避していた。
「ええ? そんな」
ただ一人、ガイラーさんだけが不動のまま、静かに審査員席に座っている。特に慌てる様子も逃げる様子もなく、ゆったりと椅子に腰かけていた。
私は見た。見えてしまった。
暴れ回る血気盛んな男子文芸部を見て、ガイラーさんが口許を笑みの形に歪ませる瞬間を。
そう、彼は今日初めて笑ったのだ。
「いいね。実にいい」
喧騒の中で聞こえるはずのないその言葉が、確かに私の耳に届く。
思惑入り乱れる文芸部同士の戦争が、ついにその幕を上げた。
~後編に続く
腐ってやがる、早すぎたんだ。
前編をお付き合い頂きありがとうございます。
エマ回ですが、例によって奴が絡み、例にもれず異色の回となりました。
当小説は基本的に本編に登場したメイン、サブキャラクター達で話が進むのですが、各国文芸部ということもあり、この回に限り、本編には出ていない他の学生さん達が多く登場します。その意味でも異色ですね。
ちなみにペンネームですが、遊撃士スタイルで〇〇の〇〇というようになっています。紫電のバレスタインみたいな。全員のペンネームには意味があり、ヴォワヤジェールは“旅人”リッターは“騎士”グリム・リーパーは“死神”などですが、深い意味はなく完全にニュアンスです。さらりと読み流して頂ければ幸いです。
ついに始まったノベルウォーズ。巻き込まれたエマ。巻き込んだドロテ。そして笑ったガイラー。
混沌の争いはどこに向かうのか。
それでは次回もエーックス!