虹の軌跡   作:テッチー

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貴族達の放課後

「そなた、このあと何か用事はあるか?」

 放課後の正門前。寮に帰る途中のリィンをラウラが引き止めた。

「今日は生徒会の手伝いも無いし、空いているが」

「そ、そうか」

 リィンがそう答えると、ラウラはどこかほっとした様子だ。

「実は剣の調子が悪くてな。振っていて何か違和感があるというか。一度専門店で見てもらおうと思っているのだ」

「そうなのか。だったら修理じゃなくて新調してもいいんじゃないのか?」

「それも考えたのだが、今週末は特別実習だろう。新調は現地でもできるし、まずは使い慣れた物を持って行こうと思ってな」

 今週末の特別実習。リィンはルーレ、ラウラはオルディスに向かうことになっている。

「それで今日ヘイムダルの武具店に行くことにした。学院の売店ではさすがに見立ては出来んだろうからな。それでそなたにも付いて来て欲しいのだ」

「構わないが、どうして俺なんだ?」

 リィンが問うと「フィーには断られてしまってな」という前振りの後、ラウラは続けた。

「せっかくの機会だし、同じ剣士として剣選びの話など色々聞こうと思ったのだ」

「ああ、なるほど。俺も参考になりそうだ」 

 ヘイムダルまでは列車に乗っておよそ三十分。さっそくトリスタ駅に向かおうと、リィンとラウラが肩をそろえて歩き出した時だった。

「そういうことなら俺も同行させてもらおう」

 背後からそんな声が届いた。

 振り向いた二人の視界の中に、腕を組んだユーシスが立っている。

「………」

 ラウラが物言いたげな目でユーシスを見やるが、彼は「ふっ」と自信ありげに笑うだけだ。

「ちょうど俺も武具店を見に行こうと思っていたのだ」

「ユーシスも剣を使うしな。武具店に用事があるんだったら一緒に行くか。構わないよな、ラウラ?」

「……無論だ」

 わずかばかり低い声音で答えたラウラ。その些細な変化に男たちは気付かない。

 公爵家、子爵家、男爵家。

 Ⅶ組の貴族剣士達は、武具店目指してヘイムダルへと向かうのだった。

 

 

 《☆☆☆貴族達の放課後☆☆☆》

 

 

 道中、列車内。

「それでユーシスは何をしに武具店まで行くんだ?」

「俺も実習に備えて剣の修理だ。剣先の刃こぼれを直そうと思ってな」

 ラウラの大剣、リィンの太刀と違って、ユーシスのサーベルは打突技も多用する。

 刀身に反りがある太刀での突きは、切先を面に押し込むようにして繰り出すが、直刀であるサーベルは、面に対して垂直に剣を突き立て刺し貫く。

 インパクトの際に求められる技術の精細さもあり、手元が寸分でも狂うとサーベルは剣先を痛めやすいのだ。

「まあ、俺は突き技はあまり使わないからな。今の所は“疾風”くらいか」

 もっとも太刀は太刀で、切り下ろす際の手の内の絞り込みや、物打ちで相手を捉える為の間合い取りなど、高等な技術を求められるのだが。

 だがいかなる用途で、どのような扱いをしても、やはり武器である以上金属疲労は避けられない。使用毎の手入れと定期的なメンテナンスは、剣士としては礼法と共に、技の前に覚えるべき心構えの一つだったりする。

「そういえばラウラの大剣はいつから調子が悪いんだ? 手入れなんてしっかりやってそうなものだが」

 リィンがラウラに話を振ると、若干言い辛そうに「ああ、それはだな」と、窓の外に向いていた視線を正面に戻した。

「先日マルガリータと戦った時だ。あの時、彼女が打ち込んできた拳を防ぐ為に、とっさに剣の腹で受け止めてしまってな。多分、あれが原因だろう」

 己の未熟を口に出すのがためらわれたのか、ラウラは小さく嘆息を吐いた。

「もっともああしなければ、とても耐えられなかっただろうがな。そなた達がのんびり気絶している間の話だ」

「う……」

「ふん」

 どことなくご機嫌斜めなラウラは、じとりと二人を一瞥する。

 そのことを言及されると男子勢は弱い。女子グループがマルガリータと交戦中、ユーシスは二階廊下で、リィンは屋上で、それぞれ意識を失っていたのだ。

 回収された彼らが保健室で目を覚ました時、全ては終わった後という不甲斐ない結果だった。

(なんだかラウラ、機嫌が悪そうだな。正門であった時はそんなことなかったと思うが……)

(またお前が何かしたのではないか。朴念仁も程々にすることだな)

 小声でひそひそ話していると「何をしている。私にも聞こえるように話すがいい」と今度こそ険を乗せた声音が発せられて、男子二人は沈黙せざるを得なかった。

「あ、あー。そういえばヘイムダルは実習以来だな。店の場所とか曖昧だから、現地で市街マップでももらおうか」

 場を持たせるためにリィンは話を変えてみた。

「俺はつい最近行ったばかりだから大丈夫だ」

「ほう? 私もだ。いつ行ったのだ」

「この前の自由行動日だ」

「それも奇遇だな。私もだ」

 何か気になったことがあったらしく、わずかばかり瞳を揺らしたユーシスが問う。

「その日何をしていた?」

「特には。帝都を散策していただけだ」

 みっしぃになってブリジット達を護衛していた――とは言えない。

「そなたこそ、何をしに行っていたのだ?」

「同じようなものだ」

 不良になってアラン達にちょっかいをかけていた――とは言えない。

「もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれんな」

「広い帝都だ。そうそう遭遇することはあるまい」

 ちなみにラウラみっしぃに連行され、こっぴどく説教されたマキアスだったが、力添えしたガイウスとユーシスのことは最後まで口に出すことはなかった。その為、この二人はあの日のお互いの関係を知らない。

 しかし、どちらも人には知られたくない話の為、余計な口を滑らす前にと双方同時に押し黙る。

「………」

 再び訪れた沈黙。

(俺はまた何か間違えたのだろうか……?)

 急に黙したユーシスとラウラの様子に、意味のわからないリィンはそれ以上場を取り持つことができず、顔をうつむける他なかった。

 ガタンガタンと列車は揺れる。

 いつもならすぐに着くはずのヘイムダルまでの距離が、今日は妙に長く感じられた。

 

 ● ● ●

 

 帝都ヘイムダル。ヴァンクール大通りの一角、装備品取扱い店《ワトソン武器商会》

 陳列された刀剣の数々と壁掛けの槍や盾は、まさに武器屋に相応しい設えだった。

「柄と刀身の根元に歪みがありますね。違和感の原因はここでしょう」

 店の奥の簡易工場から出てきた店主のワトソンは、預かっていたラウラの大剣をカウンターに置いた。

「よほどの衝撃を一点に受け止めたんですね。中々こうはならないものですが」

「私の扱いが悪かったのだ。何とかなりそうだろうか」

 ラウラは申し訳なさそうに、カウンター上の大剣に目を落とした。ワトソンではなく剣に詫びているかのようだった。

「直せる範囲なので刀身交換は必要ありません。ご心配なく」

 見積もりのメモを片手にワトソンが答えると、ようやく安心したらしいラウラは、後ろのリィン達に振り向いた。

「時間を取らせた。そなた達も武器を見てもらうんだったな」

 リィンの手には太刀、ユーシスの手にはサーベルが握られている。

「俺もついでだし、点検しておらおうと思って」

「店主。剣先を見て欲しいのだが――」

 まもなく、カウンター上に三振り三様の剣が並べられる。

 

 

 剣をワトソンに預けた後、三人は時間潰しの為にドライケルス広場を訪れていた。

「今から二時間ってとこか。まあ三人分の点検と修理を頼んだわけだし、それでも早い方だろうな」

「帝都で店を構えるだけあって、腕は確かなのだろう」

「俺のサーベルも刀身交換ではなく、研ぎ直しで対応してくれるらしい」

 そんな会話を交わしながら、適当に座れる場所を探してみる。平日の午後だからか、人通りはあるも広場脇のベンチのいくつかは空いていた。

「あそこで休憩するか」

「うん、賛成だ」

 リィンとラウラがベンチに向かおうとしたところで、「お前たちは先に行っているがいい」とユーシスだけ反対方向へ歩き出した。

「どうしたんだ、ユーシス」

「少々喉が渇いたので出店で飲み物を探してくる。ついでだからお前達の分も買ってこよう」

 言いながら視線を巡らすユーシス。観光客の絶えないヘイムダル、その名スポットでもあるドライケルス広場には日常的に露店が立ち並んでいる。

「悪いな。じゃあアイスティーを頼めるか?」

「私はオレンジジュースを。感謝する」

 二人のオーダーを聞いたユーシスは「任せておくがいい」と屋台の一つへと歩を向けた。

 ユーシスを待つ間、リィンとラウラはベンチに腰かけながら、学院を出る際に言っていた剣の選び方について話し合っていた。

「――そうか、太刀はバランスが重要なのだな」

「切先に重心があれば斬撃に重さが乗るが、その分取り回しづらい。逆に手元にあり過ぎると、扱いやすくなるが攻撃は軽くなる。あと刀身の長さは身長に合わせる必要があって――」

 やはり剣士同士だからか会話も弾むようで、話題は尽きなかった。

 ユーシスはまだ帰って来ない。気に入るものがないのか、屋台を覗いては首をひねり、また次の屋台まで移動するといった作業を繰り返している。

 にわかに明るくなったラウラの横顔を見つめ、リィンは安堵の声をもらした。

「よかった。調子が戻ったらしいな。どうも機嫌が悪そうだったから心配したんだ」

「そ、そう見えていたのか? 気を遣わせたのならすまなかった。いや、機嫌が悪かったわけではないのだ。ただ――」

 ただ――何だろう? 先の言葉が出て来ず、ラウラは口ごもった。

 正門でリィンに声をかけたのは、実はフィーに促されてのことだった。最初はフィーに声をかけたのだが、彼女はクロウとマキアスの二人と放課後に用事があったらしく、一緒にヘイムダルに来ることはできなかった。

 一人でヘイムダルに行こうか思案していた最中『リィンでも連れていったら? 道中の話し相手には丁度いいんじゃない』というフィーの一言で、うってつけの同行人を思い出した、というのがそもそもの発端である。

「どうした、ラウラ?」

「あ、いや……」

 思い返せばなぜだったのだろうか。

 フィーにそう言われて、リィンを探す自分は息切れするくらいに早足だった――それは早くしないとリィンが学院を出てしまうから。 

 リィンが快くヘイムダル同行を受けてくれた時、自分はほっとした――それは道中に合いそうな話し相手が見つかったから。

 リィンに指摘されたが別に機嫌が悪かったわけではない。しかし今は、自覚できるくらいに機嫌がいい――それは対等の相手と剣の話を存分にできたから。

 全ての問いに対する自分の解は間違っていない。その通りのはずだ。しかし違和感が残る。うまく説明できない。しっくりこないという表現がいいだろうか。その答えは半分くらいしか合っていない気がする。

「おい、ラウラ?」

「うむ……」

 ユーシスがヘイムダル同行に加わってきた時、自分の心はざわついた。――それは……明確な理由がわからない。うまく言葉にできない。

 怪訝な顔をしてこちらを見るリィンを、ラウラも小首をかしげて見返した。

「やっぱり調子が悪いんじゃないのか? 潮風に当たり過ぎたのかもな」

 ドライケルス広場は一区画だけだが、海にも面している。

「私はレグラムで育ったのだ。潮風で体調など崩さない」

 ラウラは肩をすくめて微笑する。リィンもその様子を見て、案じる表情を崩した。

「そうだったな。だけどレグラムか、風光明媚と聞いてはいたが予想以上だったな。いい雰囲気の町だった」

「そなたさえ良ければまた訪ねて来て欲しい。前回は実習だったのでゆっくりはできなかったが、観光がてら案内できる場所はまだたくさんあるのだ」

「景色もいいし、料理もおいしかったし、なんならレグラムに住んでもいいかもな。ははは」

 どきりと心臓の音が高鳴った。

 今のは冗談交じりの軽口だ。社交辞令のようなものだ。分かっている。分かっているのになぜ自分は動揺した。分かりきっているのに、真意を問いただしたいのはなぜだ。

「リィン……い、今のはどういう意味で――」

「待たせたな」

 言葉の最中で、横合いから飲み物の入ったカップが差し出された。

「ああ、ユーシス遅かったな」

「………」

「俺は丸絞りジュースが欲しかったのだが、どこの店も扱ってなくてな。別の店でフルーツを購入して、丸絞りさせてきたのだ。む、どうかしたかラウラ?」

「……なんでもないが」

 オレンジジュースを受け取ったラウラは、むっつりとストローを口にする。

 甘酸っぱい味だった。

 ユーシスを交えての小休憩。ドリンクを片手に三人横並びで座り、近くの噴水の水しぶきを眺めながら、適当な会話で時間を潰す。

 授業の事。今週末の特別実習の事。部活の事。学院に来る前の事。ひとしきり話題が出た後は、シャロンの作る今日の夕飯は何かなどと三人で予想してみたりもした――意外にもこれは盛り上がった。 

 そんなこんなで一時間は経ち、そろそろ場所を移そうかとリィン達が立ち上がった時である。

「猫が逃げてしもうた~!」

 トラブルは突然やってきた。

 

 

 あくせくしながら辺りを走り回る白髪の老人を、リィンとラウラは知っていた。

 ユーシスは別班だったので面識はないが、ヘイムダルでの特別実習の際、オスト地区で猫探しの依頼を頼まれたことがある。

「ええと、キートンさん。どうしたんですか?」

 記憶の底に沈んでいた彼の名前を拾い上げ、リィンはキートンに歩み寄った。

「ん? おお、しばらくぶりじゃな。お前さんは士官学院の」

「リィンです。それよりも今、また猫が逃げたとか……」

「そうなんじゃ、実は――」

 焦りの色が隠せないキートンだったが、かいつまんで事情を説明してくれた。

 今日は天気も良く、港まで飼い猫を抱えて散歩に行っていたらしい。だが海と魚の匂いで興奮したのか、猫は急にキートンの腕から飛び降りて走り去っていき、そしてタイミング悪く船員が開けた地下水道の入口に入ってしまったとのことだ。

 猫の事を船員に伝えるも、仕事中の為にほとんど取り合ってもらえず、やむなくその場を離れ軍に頼みに来たのだと言う。

「しかし猫一匹の為には軍だって取り合わんだろう。ましてや帝都の軍だ。猫捜索で警備に穴はあけられまい」

「それはそうじゃが……」

 ユーシスの正論にキートンは肩を落とす。

 いつもの流れではあるが、やはり声を上げたのはリィンだった。

「だったら俺達が猫を探します。構わないよな、二人とも」

「私はもちろん構わないが……しかし」

「お前のことだ。そう言うとは思っていたが、わかっているのだろうな?」

 提案には二人とも応じてくれるが、ユーシスから投げられた確認の言葉で、リィンはようやく思い出した。

 地下水道には魔獣が巣食っている。だが今は、

「俺達は武器を持っていないんだぞ」

 

 

 修理途中でも剣を取りに一度武具店に戻る。その案もあったのだが、三人は結局素手で地下水道に入ることにした。

 理由は二つある。

 事態が急を要する為、すぐに向かわなければならなかったことが一つ。そしてもう一つが、素手でも何とかなるだろうという打算があったことだ。

 地下水道にいる魔物のレベルはあらかた把握しているし、以前よりこちらの実力もついている。加えて《ARCUS》があるからアーツは使用できる。

 ヘイムダル港側の入口から地下水道に入って、すでに数回の戦闘を行っているが、実際危なげなくこれを撃退していた。

 流派による打撃技を扱えるリィンとラウラはもちろん、武術訓練で得た技術だけで、ユーシスも十分に対応できていた

「やっぱり広いな」

 独りごちたつもりの言葉は思った以上に大きく、地下水道内に反響した自分の声を聞きながら、リィンは辺りを見回した。 

 魔獣の気配はないが、視界に入る範囲に猫の姿も見えない。

 地下水道は想像以上に広い。しばらく道なりに進むと、三叉路に行き当たった。

「個々に分かれて捜索するしかないな。二人ともいいだろうか?」

「この場では上策と言い難いが、猫の発見が第一だ。捜索範囲を拡げるしかあるまい」

「ふん、この辺りの魔獣なら一人でもやれるだろう」

 即決で意見はまとまり、ラウラは左、リィンは正面、ユーシスは右へと、それぞれで進む形になった。

 

 

 意外なほど早く猫は見つかった。

 ちょっと進んだ水路の奥、少し開けた場所に白い毛並の猫がいた。怯えているかと思えばそんな素振りはなく、こちらに背を向けたまま呑気に毛づくろいをしている。

(あの猫だな)

 見つけたのはラウラだった。声を出して二人に知らせようか一瞬悩み、そして思いとどまる。

 見れば猫に怪我はなさそうだ。大声を発したら逃げてしまうかもしれない。ここは自分が捕まえなくては。

(しかし、猫などどう捕まえれば……あ)

 思い出したことがあった。以前の猫探しの時だ。あの時はフィーが猫を捕まえてくれた。その方法は覚えている。コミュニケーションを取りながらゆっくりと接近し、警戒心を解くというものだ。

「………」

 柄ではない。だが、策もなく素手で猫を捕らえる自信は正直ない。

 後ろを振り向いてみる。誰もいない。流れる水音は多少の声ならかき消してくれる。

 意を決し、咳払いを一つ。喉の調子は良好だ。

 よし、やってみよう。

「に、にゃー」

 記憶をたどっても思い至らない。おそらく生まれて初めてやってみた猫の鳴きまね。

 しかし猫は気付かない。聞こえなかったのだろうか。

「にゃあー」

 もう少しトーンを上げてみる。それでも反応はない。

「ニャー!」

 三度鳴いてみる。少しばかりの慣れとじれったさが合わさり、そこそこの声が出た。クオリティも中々。猫の耳がぴくりと動く。

「よし!」

「ラウラ」

 いきなり背後からかけられた声。感電したかのようにラウラの肩がびくりと震えた。ポニーテールが逆立つかと思う程に、驚きが電流となって背を駆け抜ける。

 声でリィンだと分かった。弾かれたように素早く立ち上がり、後ろに向き直る。一秒にも満たない動作だったが、その間に彼女は平静を装うことを決めた。

 リィンは何も見ていない、聞いていない。その前提で、動揺を見せずにさりげなく話題を逸らすのだ。

「にゃんだ? リィン」

「……混じってるぞ」

 一言目で失敗した。何が混じっているのか分かっているようなリィンの言葉から、猫まねを目撃されていたことが確定した。

 普段の泰然自若な立ち振る舞いはこの時ばかりはできず、みるみる内に赤面するラウラ。

「い、いつから見ていたのだ」

「それは、その、三回目からだ」

「三回目と知っている時点で、一回目と二回目を見ているではないか!」

「う……すまない」

 三叉路を分かれはしたのだが、中央と左の道は繋がっていたらしく、リィンはすぐにラウラの背に追いついたとのことだ。

「分かっているとは思うが」

 羽虫程度なら視線だけで射殺せるくらいの鋭い目付きで、ラウラはリィンを見据えた。

「も、もちろんだ。誰にも言わない」

「誓うか?」

 ずいと詰め寄るラウラに、たじろいだリィンは「ち、誓うから」と足を引く。

「女神とそなたの剣に誓うのだな?」

 鎖で縛るような強固な念押し。有無を言わせぬ断固たる口調。

「わかった! すまない、俺が悪かった!」

 リィンに非はなかったが、それでも謝罪の言葉を吐き出さずにはいられず、片や宣誓の言葉を聞いたラウラは「ならばよし」とようやく落ち着きを取り戻したのだった。

 平静に戻って、ラウラは気付いた。

 勢いのままにずいずい詰め寄ったせいで、互いの距離が近い。いや、近すぎる。

「っ!」

 反射的に両腕を突き出してしまいそうになったが、寸前で踏み止まる。

 リィンの背後は水路だ。この区画から落ちると、オスト地区――マキアスの実家辺りまで強制水練をする羽目になる。

「ラ、ラウラ?」

 さりとて急に足は引けず、硬直するラウラ。同じく状況が飲み込めず、動くに動けないリィン。

 そんな二人の足の間を、猫が悠然と歩き過ぎていった。

 

 

 そこからは追いかけっこだった。

「リィンそっちだ!」

「ダメだ、ラウラ側から回り込んでくれ!」

 猫は入り組んだ地下水道を縦横無尽に駆け抜け、四方八方に飛び回る。ルビィを追いかけるのとは勝手が違う、猫特有のしなやかな動きに二人は翻弄され続けた。

「早い……!」

「俊敏なことだ」

 リィンとラウラは戦闘時には前衛を務め、それなりに体力もあるのだが、これだけ走り通しだとさすがに息も切れていた。捕まえられなくとも見失うまいと、二人は必死で猫を追う。

「白だから目立ってまだいいな」

「そういうものか?」

 前方を走るリィンと、さらにその先を行く白猫を視界に入れつつ、ラウラも後に続く。

 猫が角を曲がり、数歩遅れてリィンも角に差し掛かった時、その表情は強張った。

「しまっ――」

 迂闊だった。

 ここは地下水道で、魔獣の住処。猫を追うことに集中するあまり、二人とも失念していたのだ。

 リィンの前に黒い影がぬうと現れる。魔獣だ。

「リィン!」

 武器はない。こんなタイミングでアーツなど使えない。切れた息は一瞬で整えて、ラウラは強く地を蹴り、瞬間的に速度を上げた。

 リィンも戸惑いはすぐに打ち消して、拳を構える。

『はあっ!』

 二人の気勢が合わさり、リィンの拳打とラウラの掌底が同時に炸裂する。

 ずんと鈍い音が響き、魔獣はくずおれた。

「ぐふっ、お、お前ら……?」

 そんな声を絞り出しながら。

『ユ、ユーシス?』

 無防備の状態からみぞおちと肺を一度に攻撃されたユーシスは、がくがくと震える膝を折り、地下水道の冷たい地面に顔面から突っ伏してしまった。 

『あ』

 突き出した腕は固まったまま止まっている。クラスメイト、しかもユーシスを仕留めたといううすら寒い感覚だけが手に残り、二人は生唾を飲み下した。

 彼らはⅦ組として半年近くを過ごし、今日に至るまで身分に捉われない関係が築けている。

 それでもあえて、客観的に事実だけを拾い上げるなら。

 男爵家と子爵家が共同で公爵家を潰した。しかも人知れず、帝都の地下で。

 伏したままユーシスの首がぎりぎりと動き、怜悧な瞳が立ち尽くすリィンとラウラを睨んでいる。

「言いたいことがあるなら今の内に聞いておくが」

 弁解の余地はない。冷たい汗が二人の頬を伝った。

 

 

「お前たちは魔獣と人間の区別もつかないのか?」

 皮肉たっぷりの薄い笑みを浮かべて、ユーシスは立ち上がった。が、ダメージは抜け切らないようで、ふらつきながら近くの壁にもたれかかる。

 謝るリィンとラウラにひとしきりの苦言を呈した後、鼻を鳴らして猫の走り去った方に目をやった。

「おい、あの猫まだいるようだが」

 突飛なアクシデントに半ば頭から抜けかけていたが、今は猫探しの最中だ。

 状況がわかっていないのだろうが、ふみゃあと小さい牙を剥いてあくびをした猫は、きょとんとした瞳でリィン達を見返している。

「あの余裕ぶり。どうやらなめられている様だな」

「いや、それはないと思うが」

「……何ともまあ、そそられる仕草だ」

 じりじりと距離を狭める三人。

「この位置からだと挟み込めないな。俺が先陣を切る。後は状況に応じて先回りできるように誘導していくぞ」

 先頭のユーシスは、後ろのリィンとラウラに振り返らずに言う。二人も「わかった」と短く答えて身構えた。

「逃げられるものなら、逃げてみせるがいい」

 大仰な前口上を猫に叩きつけ、ユーシスは駆け出した。

 当然猫は逃げる。敏速に走り、するりとユーシスの脇を抜けた。

「くっ、だが挟み込む形だ。やれ、リィン!」

「逃がすか!」

 飛びかかるが猫は急転回。リィンはずざーっと床を滑った。その間に進路を先回りしたラウラが立ちはだかる。目で追うよりも早く、猫はその足の間を走り抜けた。

「ふ、不埒な!」

 ばっとスカートの裾を押さえ、素早く猫に向き直る。

 忌々しげにユーシスが叫んだ。

「ええい、散開だ! 水路の構造を使って出会い頭に捕縛しろ」

「任せろ! 俺はあっちだ」

「この区画からは出さん!」

 三人は分かれ、入り組んだ地下水道を走り回る。

 猫が向かった先にユーシスの気配を感じて、リィンは声を上げた。

「行ったぞ、ユーシス! そこの角から来るはずだ」

「了解だ」

 予測通り飛び出してきた白い影を、ユーシスはがしりと捕まえた。

「まったく、手こずらせてくれたな」

 嘆息するユーシスに、残る二人もすぐに合流する。

「ふう、ようやくか……ん?」

 ユーシスに掴まれて、じたばたともがく猫を見たリィンの目が細くなった。

 灰色の毛並。猫らしい顔立ち。背中に生えた羽。

 ……羽?

「って、飛び猫だ、それ!」

「何だと!?」

 れっきとした魔獣だ。にゃーではなく、シャーと鳴いている。

 想定外のミスキャッチ。ユーシスは一も二もなく、ぶんと飛び猫を水路に投げ捨てた。

「シ、シャー!?」

 まさかの仕打ちに戸惑いの鳴き声を上げ、飛び猫はオスト地区まで流されていった。

「魔獣と猫などどうやれば見間違うのだ?」

 先程の嫌味を投げ返し、ラウラが呆れ顔を浮かべていると、反対側の物陰からがさがさと音が聞こえてくる。

「む、そこだ!」

 振り向き様に走り、ラウラは物陰から一気に猫を持ち上げた。

「よし、捕まえた。しかしぶよぶよとして、少々太り過ぎではあるまいか?」

「って、ドローメだ、それ!」

 体内の導力を利用しアーツを使う軟体魔獣。すでに駆動状態に入っており、標的はラウラが向けた先にいるリィンとユーシスだ。

「こんな近距離でアーツなんて避けれないぞ!?」

「こっちに向けるな!」

「ど、どうすれば……!?」

 一瞬迷うラウラ。しかし選択肢は一つ。

「たあっ」

 上がる景気のいい水しぶき。じゃばじゃばと水路を流れていくドローメ。

 本日二匹目となるオスト地区への直行便だ。流れ次第ではレーグニッツ邸付近に辿り着くかもしれない。

「はあ、はあ。マキアスには言えんな」

 手に付着したべたべたを拭いながら、ラウラは呼吸を整える。

「ん? そなた、その手はどうした」

 庇うように隠しているリィンの右手に目が留まった。リィンは罰悪そうに笑う。

「気付かれたか。さっき床を滑った時にすりむいたみたいだ。まあ、たいしたことはない」

「雑菌が入ると化膿するかもしれん。衛生的とは言えん場所だからな。消毒液はないが、せめて傷口の処置だけでもアーツでしておこう」

 導力による回復は即座に傷が治るようなものではない。だが、自然治癒効果の促進と多少の免疫向上効果があると授業で習っている。放って置くよりは幾分マシだろう。

「……あ」

 しかしセットしてあるクォーツを思い返すと、攻撃、補助ばかりで回復系のものはなかった。

「やむを得まい。とりあえずこれで傷口を覆うか」

 ハンカチを取り出し、リィンの右手に巻こうとした時、静謐な青い光が薄闇を晴らした。

 ユーシスが回復系のアーツを駆動させたのだ。

「世話のかかるやつだ」

「すまない、ユーシス。助かる」

「………」

 無言でハンカチをたたむラウラ。

 ユーシスはそんな彼女に視線を移す。

「どうかしたのか?」

 リィンを案じての行動。この状況における最適な判断。

 なのに、なぜか小さな口惜しさが心に残る。

「……なんでもない」

 苛立ちではないし、焦燥でもないし、戸惑いとも付かない煮え切らなさ。

 剣で両断した物は例外なく二つに分かれる。剣に限らず、ほとんどの答えはラウラにとって二択で出すものだった。やるか、やらぬか。切るか、切らぬか。勝つか、負けるか。

 今だけは違った。切る切らぬの前に、切れない。……少し違う。何を切ればいいのかが、そもそも判然としないのだ。

「……はあ」

 今日はどうも調子が狂う。ラウラは珍しく深いため息をついた。

 

 

 追いかけっこは継続中。

 三人がかりでも猫は捕らえられない。背には追いつけず、挟み打ちは掻い潜られる。リィンは不屈の精神で飛びかかり続けるが、その都度床を滑らされる。ユーシスも果敢に攻めるが、なぜか飛び猫ばかり捕まえる。ラウラなどもう何回足の間を潜られたかわからない。 

「キートンさん連れてきた方が早かったかもしれないな」

「一理ある……」

「うむ」

 正攻法がダメなら、あとは消耗戦だ。猫の動きも鈍くなってきている気がする。

「もう一度全員でかかってみるか。それで無理ならこの場に二人残って、一人がキートンさんを連れて来よう」

 その案にはユーシスとラウラも異論がないようで、ならば最後の捕獲作戦にと意気込む。

「今だ!」

 リィンの号令で、三人は息を合わせて猫に向かって走った。

 ユーシスの両腕を横っ飛びに避ける猫。間髪入れずに追いすがるリィン。手が尻尾をかすめたが、惜しい所で逃した。さすがに驚いたのか、猫は急に向きを変えた。

 勢いよく駆け、水路を飛び越えようとしている。水路を挟んだ先の道に逃げるつもりだ。

 しなやかに弧を描く跳躍。

「い、いかん!」

 ラウラが焦る声を発した。疲れていたからか、急ぐあまり目測を誤ったか、明らかに跳躍の幅が足りていない。このままでは猫は水路に落ちる。

 迷いもなく、ラウラも水路上に飛び出した。中空で猫を抱きかかえると同時に身を反転させ、片腕を元いた通路側に伸ばす。

 手をかけられるような場所はなかった。

 傾き、落ちる体。せめて猫だけは通路に投げ戻そうとした時、伸ばした片腕をリィンが強く掴んだ。

「ラウラ!」

 だが体勢が悪い。このままではリィンも落ちる。視界の端にユーシスが手を伸ばす姿も見えたが、おそらく間に合わない。

「リィン、無理だ! 猫だけでも」

「何とかする! 猫を離さないでくれ!」

 一息に言い放つと、リィンは自分とラウラの位置を入れ替えるように引き戻し、半歩遅れてきたユーシスにその腕を預け渡した。若干体勢の戻ったラウラはユーシスに引っ張られ、猫を抱えたまま通路側へと着地する。だが反動で位置が入れ替わったリィンは、そのまま水路に落ちてしまった。

「リィン!」

 すぐさま水路際に駆け戻るラウラ。姿は見えない。まさかもうオスト地区まで流れていってしまったのか。あの二匹と同じように。

 狼狽が隠せないラウラの耳に、少し離れた所からばしゃりと水を弾く音が届いた。

「あ……」

 心底安堵する。

 ぜえぜえと肩で息をしながらも、リィンは淵際のわずかな窪みに手を掛け、自力で水路から這い上がってきていた。

「ごほっ、少し水を飲んだな。ラウラ、猫は無事か」

 自分の身を案じるよりも先に、リィンは猫の安否をラウラに問う。

 ラウラの腕の中から、もぞもぞと猫が顔を出した。

「はは、っくしょん!」

 安心の笑みとくしゃみが混ざり、リィンはその場に座り込んだ。全身から滴り落ちる水滴が、地面に黒ずみを拡げていく。

「まったくそなたは無茶をする」

「今回に関してはラウラも人のことを言えないぞ」

「……まあ、そうかも知れぬな」

 さっきは考えるよりも早く飛び込んでいた。自分が落ちれば、たとえ猫を掴まえても意味はなかったのに。

 もう少し冷静であれば、合理的な判断が下せたのだろうか。無理と分かって前に進むのは蛮勇と心得ている、はずなのに。

 もしかしたら眼前でずぶ濡れのまま笑うこの男に、少なからず感化されたのかもしれない。

 二択などではなく、助けるというただ一択のみを迷いなく貫いた、この男に。

 我知らず、ラウラは口角を上げた。

「リィン、これで顔を拭いてくれ。その状態では焼け石に水程度であろうが」

 学院服のポケットから先ほどのハンカチを取り出そうとする。しかし片腕で猫を抱えているので、中々取り出せない。

「これを使うがいい」

 まごついていると、ユーシスが横からリィンに手拭いを差し出した。

「助かるよ。ユーシス」

「礼には及ばん。シルクよりは吸水性のよいものだ」

「………」

 ラウラは取り出しかけたシルクのハンカチをポケットの奥に戻す。

「お、本当だ。これすごいな」

「ふっ」

「………」

 明確に分かる。今、はっきりと自分は苛立っている。配慮の欠片もなく、ユーシスがこちらに目を向けてきた。

「どうした? 呆然と立ち尽くして」

「なんでも……ないっ!」

 ついに声が荒ぐ。腕の中で猫がフギャアと鳴いた。

 

 

 帰りの道中。行きと同様に、三人は列車に揺られていた。

 猫をキートンに引き渡した後、《ル・サージュ》でリィンの濡れた代わりの服を買い、その足で《ワトソン武器商会》まで赴き、預けていたそれぞれの剣を受け取った。

 ちなみにリィンの服を選ぶ際、見立てはユーシスとラウラで行ったのだが、センスと言うか方向性の違いで揉めに揉めた結果、結局均整の取れない珍妙なファッションが完成したのだった。

 店員曰く、出来上がったリィンの出で立ちは『時代の二つ先』らしい。

「とりあえず今日の目的は達成したな」

 時代を先取ってしまったリィンが口を開く。

「うむ。私の剣も直ったし」

「猫も無事だったしな」

 応じるユーシスとラウラだが、二人には疲労感が見えた。地下水道を走り回ったあげく、ブティックであれだけ騒げば疲れもするというものだ。

 ラウラもユーシスも爵位ある家柄に生まれ、伴う品位と教養を身に付けてきた。そんな彼らとて十七才の少年少女には違いないのだ。

「ははっ」 

 ぐったりと座席に沈み込む二人を見て、リィンは思わず笑みを拭きこぼす。

 分かってはいたが、やはり自分達と変わらない。改めてそう思った。

「リィン?」

「頭でも打ったか」

 急に破顔したリィンを二人は訝しげに見やる。そして同時に気付いた。

 リィンの首元に小さな泥汚れが付着したままだ。

「まったく、これを」

「これを使うがいい」

 ほのかな甘い香りが鼻先で揺れ、リィンの首すじを柔らかな感触がなでる。

 今度こそラウラは、シルクのハンカチを差し出したのだった。

 

 

 ~FIN~

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日談

 

 昼休み。学生会館食堂のテーブルの一つ。

 円卓を四人の女子が囲み、話に花を咲かせていた。

「とまあ、そんなことがあったのだ」

 ラウラが先日のヘイムダルでの一件を語り終わったところで一息つく。

 この場に座っているのは、モニカ、ポーラ、そして先日仲良くなったブリジットである。

 最初は猫探しの話など笑いながら聞いていたのだが、次第に三人の顔は神妙――というか複雑な表情に変わっていた。

 話を聞き終えるが早いか、ポーラは手にしていたグラスの底を、だんとテーブルに打ち付ける。

「ユーシス~! 空気読んであんたが水路を流れていきなさいよ!」

 グラスを持つ手がわなわなと震え、中身の水を波立たせた。ちなみに話の中でユーシスがリィンとラウラの二連突きを食らって倒れたくだりは、彼女にとっての最高潮だったらしく、天井を仰いで「あーはっはっは、痛快だわー!」と高らかに笑いあげる程だった。

「でも、ラウラ大変だったね」

 モニカは軽く肩を落とし、傍らのブリジットもうんうんと頷いている。

「いい雰囲気になりそうだったのに……」

 三人そろって、深く息を吐く。

「いい雰囲気? 地下水道は薄暗くてとてもいいとは言えないが」

 ブリジットは首を横に振る。

「そういうことじゃなくて、もう少しでいい感じになったかもって話よ」

「もう少しではなく、猫はしっかりと保護したぞ?」

 話がどうも繋がらず、困った顔をするラウラ。

 こちらの言わんとすることが今一つ伝わらないラウラに、もっと困った顔をする三人。

 ひとまずラウラを置いて、緊急ひそひそ会議が行われた。

「ねえ、ラウラってさ……」

「んー、話を聞いてるだけじゃまだ分かんないわね。割とさらっと話してるし」

「探ってみる? ねえ探ってみる?」

 きょとんとして「そなた達何をしているのだ?」と困惑するラウラには構わず、まずはモニカがやんわりと球を投げる。

「あのね、ラウラ。リィン君ってどんな感じの男の子?」

「ん? リィンか。そうだな、自分の事を後回しにして他人の為に動くような男だな。水路に落ちそうになっていた私を助けた時も然り。そなた達も何回か世話になったことがあるのだろう」

 心象は悪くないようだ。ラウラが対等の相手として認めていることが分かる。

「それはそうね。だから彼を探してヘイムダルへの同行を頼んだの?」

 続いてポーラが変化球で様子をうかがう。

「いや、同じクラスのフィーに勧められたこともあってな。剣の事でも話せる相手ゆえ、道中の共にいいと思ったのだ」

 人に勧められたと言うが、自分の意からかけ離れたことならラウラは絶対に応じない。彼女自身が選択し、わざわざ探しに赴く相手。

「ラウラはリィン君のことをどう思っているの?」

 最後にブリジットの剛速球が放たれた。

「どう、とは。その、クラスメイトではあるし、気を置かず話をする間柄、だとは思うが……」

 口調が変わった。語調が淀んだ。目線が泳いだ。指を所在なく動かした。発汗確認。呼吸数増加。心拍数上昇。

 三人の乙女サーチによって、ラウラの一挙手一投足がバイタル込みでスキャニングされていく。

 怪しいデータ解析が三人の頭でなされる中、異様な雰囲気にラウラは訳も分からずたじろいだ。

 診断結果。

「自覚症状は無し。断定するにもデータ不足。が、好意かはともかく特別視の傾向あり」

 ポーラがつらつらと精査した情報を並べ立てる。

「簡易測定はBプラスってとこかしら」

 ブリジットがむーとうなる。

「ということは、これから次第かな」

 モニカが含みのある笑みを浮かべた。

 三人の視線がラウラに集中する。

「さ、さっきから何なのだ?」

 意味ありげな目が向けられるが、何のことかは皆目見当がつかない。

「ラウラはリィン君に何かお礼した? 地下水道で助けてもらった時の」

 モニカに“お礼”と言われて目を丸くする。礼は言ったが、したかと問われると、特別なことはしていない。

 ラウラの様子を見て、ポーラはこんなことを問う。

「時にラウラ、あなた料理の心得はあるの?」

「シャロン殿に時々教わってはいるが、自信まではないな」

 なぜこのタイミングで料理の事を聞いてくるのか。ラウラにはどうにも話の筋が見えなかった。

 三人は目配せと随所の頷きだけで、言葉無き会議を続けている。

 ブリジットがまとめた結論を静かに告げた。

「ラウラ。リィン君にお礼をしましょう。そうね、お弁当なんていいんじゃないかしら」

 ラウラは露骨に困惑の表情を浮かべた。

「き、急に何を言い出すのかと思えば……料理には自信がないと言ったであろう。礼と言うのならリィンの稽古に付き合えば――」

『ダメよ! それじゃあ!』

 三人は一斉にテーブルへ身を乗り出し、鋭い声を発した。あまりの剣幕にラウラは椅子ごと後ろに倒れそうになった。

「そ、そなた達どうしたのだ!?」

『そんなのダメ! 絶対ダメ!』

 改めて否定の言葉を口に出し、三人は焦りの色が見え始めたラウラを強く見据える。

 モニカは思う――今こそ、入部当初から泳ぎを教えてもらったお返しをする時だと。

 ポーラは思う――ラウラと出会ったことがきっかけで上達した鞭使い、そのお返しをする時だと。

 ブリジットは思う――先日のアランとのお出かけの際に、尽力してくれたお返しをする時だと。

 三者三様の想いを内に秘め、彼女達は言う。

「大丈夫」

「ぜーんぶ私達に」

「任せといてね!」

 急にいきいきとし出した友人達を見て、ラウラはなぜか一抹の不安を感じるのだった。

 

 

 ~『ガールズクッキングⅡ』に続く~

 

 

 

 

 

 

 ――後日談➁

 

 貴族剣士の三人が帝都地下で猫探しをした次の日の事。

「やっぱり実家は落ちつくな。まあ、誰もいないのは少し寂しいが」

 授業を終えた放課後、マキアスはオスト地区にある実家に帰っていた。明後日は特別実習日、マキアスが所属する班はルーレに行くことになっている。

「昨日は大変だったな」

 リビングのソファーに腰かけて、ひとりごちる。そう、色々あったのだ、昨日は。

 それで今日何をしに来たかと言うと、件の色々あった中で、壊れた眼鏡のスペアを取りに来ていたのだ。 

「最近、僕の眼鏡壊れてばかりだな」

 手に持ったスペアの眼鏡を眺めて嘆息する。レンズに白い曇りができた。

 ラウラの作った焦げたオオザンショを食べて眼鏡破損。マルガリータの剛拳を受けて眼鏡破砕。みっしぃの肉球を食らってサングラス粉砕。そして昨日の一件である。

 九月だけで、計四回眼鏡が破壊されている。しかも全て外的要因によって。

「十月は絶対守るぞ、僕の眼鏡」

 固い決意を胸に、淹れたばかりのコーヒーをすすった時、

 ――かりかり。

 そんな音が足元から聞こえた気がした。

「ん? 今何か……」

 耳を澄ます。何も聞こえない。

「空耳か? まあいい。眼鏡も持ったしそろそろ寮に戻るか。実習が終わったら一度掃除にでも来よう」

 飲み終えたカップを片付けて、マキアスは実家を後にする。

  

 ――かりかり、がりがり。

 誰もいなくなったリビングに音が響く。

 音源は地下からだった。民家のある区画は魔獣の進入を防ぐ為に、専用ネットや柵が張り巡らされている。しかし水路を流れてきたその二匹は、小さなネットのほころびから住居区画へと侵入していたのだ。

 通路へと帰還し、水の痕を引きながら辺りをうろつく飛び猫とドローメ。

 二匹は人間に怒りを覚えていた。戦いの末敗れるのなら、それは仕方ない。弱肉強食、自然の摂理。それは是であると本能が知っている。

 しかしあれは何だ。いきなり掴まれたと思ったら、次の瞬間には水の中だ。縄張りを得る為でも、ましてや捕食する為でもない。気まぐれの殺意など自然界で許されるはずがない。

 天敵だ、人間は。 

 全という集合意思から個としての自由意思に目覚めた二匹は、薄暗い地下水道からの脱出を図ろうとする。

 そして暗い天井を見上げた時だった。嗅いだことのない匂いが上から漂ってきた。何だろうか。ほろ苦い匂い。

 それがコーヒーという名であると知る由もないが、二匹は誘われるようにその場所から上を目指した。

 ドローメがアーツを天井に放ち、もろくなった岩盤を飛び猫が牙で少しずつ削っていく。

 ――復讐だ。

 暗い一念の下、二匹はただ進む。 

 レーグニッツ家に魔獣が現れるまでのカウントダウンは、人知れず静かに始まっていた。

 

 

 ~『レーグニッツ王国』に続く~

 

 

 

 

 

 

 ☆おまけ☆

 

 帝都《ル・サージュ》本店にて。

「青がよかろう」

「緑がよかろう」

 ラウラは青のジャケットを手にし、ユーシスは薄緑のセーターを手にし、互いに睨み合っていた。

 あとは預けていた武器を受け取りに行ってトリスタに帰るだけなのだが、さすがにずぶ濡れのままリィンを歩き回らせるわけにはいかず、先にブティックに寄ったという運びである。

 なのだが。

「何でもいいから早く決めてくれ!」

 服を見立てるラウラとユーシスは、かれこれ三十分近くも衣服を物色している。これはどうだとラウラが持ってきたシャツはユーシスが季節に合わないと制し、逆にユーシスがズボンを持ってくればリィンには似合わないとラウラが諌める。

 そんなこんなで服選びは難航していた。

 何でもいいからと叫び続けるリィンだが、マネキンと化した彼には残念ながら意見を差し挟む権利はなかった。

 今二人が揉めているのは上服の色である。

「青などと、これから涼しくなる時期に相応しい色とは思えんがな」

「清潔感を醸し出しているのだ。緑とて暖色系ではあるまい」

「自然色は心身に落ち着きをもたらすのだ」

「ならばそなたが着るがいい」

「それはどういう意味だ?」

 互いの視線の中心で、見えない火花がばちばちと散り乱れる。ちなみに青はアルゼイド子爵家、緑はアルバレア公爵家、それぞれの紋章のパーソナルカラーだったりする。

「な、なあ二人とも。一生懸命選んでくれてありがたいんだが、俺結構寒くなってきたんだが」

 ぶるると震えるリィンは二人に歩み寄るが、

「そなたの服の話をしているのだ。黙して待つがよい」

「店内が汚れるだろう。隅から動くな」

「な、なんでだ……」

 すごすごと定位置に戻るリィンだったが、しかしいつまで経っても意見はまとまらない。

 二人はとうとう実力行使に出た。

「リィン、とにかくこれを着ろ」

 ラウラがファーのついたジャケットを手渡す。

「待て、先にこれだ」

 続けざまにユーシスからレザージーンズが投げ渡される。

 成すがままにリィンは試着室に連れ込まれ、あれやこれやと着せ替えられる。

「待て、お前は外に出ろ」

「そなたが残ったら、好き放題のコーディネートをするであろう」

 どったばったと狭い試着室が揺れる。

「二人とも出てくれ!」

 さすがにリィンも声を上げ、不承不承の呈でラウラ達は退室する。が、二人の戦い――と言う名の意地の張り合いは継続中だ。

「リィン、これも履け」

 カーテンの隙間からユーシスが、ブラウンのカントリーブーツを投げ入れる。

「そなたもアクセサリーを付けてみるのはどうだ?」

 負けじとラウラがシルバーチェーンを放り込む。

 その後もぼんぼん装飾品が投入され、その都度「いてっ ちょっ、痛いって!」とリィンの悲鳴が聞こえてきたが、二人はお構いなしだ。

「案ずるな。代金は今回俺が持つ」

「見くびらないでもらおうか。ここは私が支払おう」

 ユーシスもラウラも金銭感覚は一般常識の範囲内で、金遣いは決して荒くない。だがここぞの時の出費を一切惜しまないのは、さすがに名家の貴族気質と言ったところだろう。

 ややあってリィンの着替えは終了する。その時点で三人が三人とも息切れしていた。

「……会計は折半でいいな」

「やむを得ん。よかろう」

 そっちの話も折り合いがつく。

 服は着たままで会計を行う為、リィンはよたよたとカウンターに向かった。

「はい、ありがとうございます。お会計ですね――……っ?」

 リィンの立ち姿を見て、店員の女性は硬直する。

 首元には獅子のたてがみのようなファーが巻かれており、黒光りするレザージーンズはなんとも好戦的だ。装飾過多とも言える、要所に巻き付けられた銀の鎖はぎらぎらと目に痛い。ついでに背には純白のマントコートを羽織っていて、月夜に遭遇したら、わき目も振らず軍の詰所にスライディングで逃げ込むような、怪し過ぎる出で立ちだった。

「……似合っていますか?」

 泣きそうな顔でリィンが問う。

 心中を察した店員は答える。

「じ、時代の二つ先を捉えた前衛的なファッションかと」

 その言葉を聞いたリィンの後ろの二人は満足げな様子で、

「よかったな、リィン」

「帰ったら皆にお披露目だ」

 などと言って頬を緩めるのだった。

 

 

 ~END~

 

 




最後までお付き合い頂きありがとうございます。予告とはタイトルが変わってお送りしていますが、内容は変わりありません。お買いものが初題でしたが、おまけパート以外ではさしたる買い物をしていないという……
しっかりしているようで天然なところがある二人と朴念仁が共に動けばこうなる感じですね。
そういうわけで貴族達の放課後でした。
あ。帝都地下に飛び猫はいませんでしたが、バリアハートの地下にはいたし、環境的にいてもおかしくないだろうというところで登場しています。
後日談から他の話にも繋がりますが、それは十月のお話となります。ラウラがんばって! 

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