虹の軌跡   作:テッチー

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夏夜の幽霊騒動(後編)

 

 ――B班、音楽室

『やっほー、ミリアムだよ!』

 昼の大人しさはどこへ行ったのか、大音量で聞こえた声にエリオットはたまらず《ARCUS》を耳元から離した。

「や、やあミリアム。寮は変わりない?」

『みんながいないから暇だよ。シャロンがブレードで遊んでくれるんだけど、強すぎてつまらないんだ』

「シャロンさんってカードゲームもできるんだ……」

 ラインフォルトのスーパーメイド。彼女ならなんでもこなすのだろう。

 エリオットは本題に入った。

「一つ聞きたいんだけど、ミリアムは正規軍の所属なんだよね?」

『そーだよ』

「暗号通信の解読とかできたりしない?」

『できるよ。クレアに教えてもらったから、でも簡単なのしかわからないよ?』

 それで十分だった。ピアノの音はすでに止まっているが、一度聞いた音をエリオットは忘れない。手元の小さな紙にはいくつかの音符がメモされていた。

 そのメモをのぞき込んだラウラは、

「やはり信じられんな。先ほどのピアノの音色が何かの暗号だったとは」

「音を使った伝達方法は珍しくないよ」

 フィーがピアノを見やる。

「導力通信が発達してきたから、今では廃れてきてるけど。でも数年前までは結構使われてたんだって」

 フィーに言わせると、短音と長音の組み合わせで簡単な言葉を伝達できるのだという。

 エリオットが暗号の可能性に気づいたのにはもう一つ理由があった。明滅する蛍光灯だ。

 光って消える明滅の仕方、その間隔がピアノの音色の長短とほぼ一致していたのだ。

 かつて航海中の船はこれで連絡を取り合っていたと戦史の授業で聞いたこともあった。とはいえ学院の授業では通信技術に関する説明はあっても、暗号解読の授業はない。

 それでミリアムを頼ったのだ。半分はダメ元だったが。

 エリオットは音のリズムを口ずさんでミリアムに伝えてみる。

「んー? ちょっと待っててね」

 しばらくすると、ガサゴソと何かを探すような音が聞こえてきた。

『ふいー、やっと見つけた。信号通信解読書。さっきの音でいいんだよね』

「う、うん。ミリアム、今のでわかるの?」

『大丈夫だよ。さっきのは暗号化はされてない、少し前まで使われていた信号通信だよ。すぐに音を記号化するから』

「す、すごい」

 改めて”鉄血の子供達”の異名を思い出す。ミリアムは確か白兎――ホワイト・ラビットと呼ばれているのだったか。

『解読が終わったよー。ちょっと意味わからないけど、そのまま伝えるね』

「うん。お願い」

 ミリアムは言葉に変換した一音一音を口にする。

『ワ・レ・ノ・ゾ・ム』

 ――我望む

『で、次がね……』

 続く言葉を聞いて、エリオットは困惑した。

 

 

 ――C班、生徒会室

 思えばおかしなことだったのかもしれない。明かりがつかないのは導力供給のブレーカーが止まっているからだと思い込んでいたが、考えてみれば学院の捜索許可を出されているのに、そんなことがあるのだろうか。そもそも学院内の導力供給が、夜になると止められるなど聞いたことがなかった。 

 夜の生徒会室。十二年前にこの部屋を使っていた生徒会長の手がかりを求めて、リィンたちは薄暗い部屋を散策していた。差し込む月明かりだけを頼りに、棚の上、テーブルの下など思いつく限りの場所を探してみる。

「要領を得ないな。せめて何を探すかがわかっていればいいのだが」

 ガイウスが言う通りだった。

 気になる情報と言えば、トワが二週間前に床にばらまいたという十年以上前の生徒会の物品だが、さすがにもう片付けられて見当のつけようがない。

「……特にこれといったものは見つかりませんね」

 エマも同様らしく、開けていた引き出しを閉める。

「ここに何らかの手掛かりがあるっていうのは、あくまで憶測だしな……」

 一度、調査を切り上げて全員に集合をかけた方がいいかもしれない。

 そう思案するリィンは、ふと本棚とロッカーの隙間に棒のようなものが落ちていることに気づいた。取り出してみると、それは三十リジュくらいの筒だった。

「これは……?」

「リィン! 何かが来るぞ!」

 ガイウスが叫ぶと同時に、全身が総毛立った。空気が濃くなり、ぐらりと揺らぐ。

 室内の窓際に黒い人影が滲み出てきた。だが暗い闇に塗られた顔に、目と口は見えない。

 その影は緩慢に蠢き、リィンに顔を振り向けたようだった。

 反射的にリィンは《ARCUS》を引き抜く。

 黒い影はそれまでの虚ろな挙動とは逆に素早く動き、アーツの駆動準備にも入らないリィンに接近した。

 手と思われる部位が影の密度を増し、そのままリィンを弾き飛ばす。腕で防いだものの衝撃は殺しきれず、リィンは背後のロッカーに叩きつけられた。

 手から離れた《ARCUS》が床を転がっていく。

「――ぅぐっ!?」

 体勢を立て直す前に、影がリィンの首にまとわりついた。さっきと同じように影の密度が増して、首が締まっていく。

「リィンから離れろ!」

 ガイウスが影に向かって、ぶんと蹴りを繰り出す。しかし足はすり抜け、わずかに乱れた影もすぐに元の形に戻った。

「下がって下さい! 私がアーツで攻撃します」

 エマの《ARCUS》に導力が漲り、光の紋様が闇に描かれていく。

 その時、エマの足元にまで転がってきていたリィンの《ARCUS》に通信が入った。

 アーツ発動までは時間がかかる。エマは迷ったが、かがんで足元の《ARCUS》を拾った。

『リィン? エリオットだけど』

「すみません、エリオットさん! 今は緊急事態でして!」

『なんで委員長がリィンの《ARCUS》に? 実は幽霊のことなんだけど』

「その幽霊にリィンさんが襲われています。事情は後で!」

 導力の充填まであとわずか。まもなくアーツが発動できる。

『そこに幽霊がいるの!? だったら今から僕の言うことを伝えて!』

「え?」

 

 リィンはほとんど呼吸ができていなかった。振り払う手にも力が入らない。

 遠のく意識の中に何かが見えた。

 見知った廊下、教室、グラウンド、ギムナジウム、図書館。そこかしこを歩く学院生。だがリィンの知る人間はいない。

 いや一人いた。二アージュ近い大柄な男性で、今よりだいぶ若いが眼光の鋭さは変わらない。ヴァンダイク学院長だ。

 これはこの影の記憶?

 場面は変わり、練武場。

 剣を持って相対する不愛想な少年。金髪碧眼でずいぶん端正な顔立ちだが、口元は真一文字に閉じられている。

 リィンはこの少年にもどこかで会った気がしたが、思い出すことはできなかった。

 場面は目まぐるしく移りゆく。

 帝国時報と銘打たれた新聞、年代は1192年3月。

 たくさんの食料品が詰め込んである荷馬車。視界から遠ざかるトリスタの町並。ライノの花はまだ咲いていない。

 壊れた巨大な石の門。掲げる旗は黄金の軍馬。気骨があり、たくましい軍人たち。彼らが自分に向ける笑顔は優しい。

 空を見上げる。青い空。その中に見えた小さな影。それは空を駆け、雲を突き抜け、一直線に向かってきた。船体に刻印されているのは、翼を広げて飛び立たんとする白いハヤブサ。

 あれは――リベールの軍用警備艇だ。

 そこで画面は黒くかき消えた。

 感情が流れ込んでくる。失った悲しみと、心残りと。

 そうか、そうだったのか――

 理屈のない理解が不意に胸に落ちる。しかしリィンの意識は限界だった。視界が狭まり、思考がかすれていく。

「生徒会長さん! 聞いて下さい!」

 エマが叫ぶが、影は止まらない。アーツの駆動はすでに解除していた。

「私たちは、あなたを卒業させます!」

 影の動きがピクリと止まった。リィンの首に巻きついていた闇が、するすると離れていく。

「っはあっ、はあっ!」

 大きくむせ込みながら、リィンは肺いっぱいに空気を吸い込んだ。ガイウスの肩を借りて立ち上がると、改めてそれを注視する。

 先ほどまでと変わり、取り巻いていた黒い影は薄くなっていた。そこに見えたのは間違いなくトールズ士官学院の制服だ。色は緑。平民出身だ。精悍な顔つきだが、どこかあどけなさも残す少年の面立ち。

 そして右腕にしっかりと巻かれた生徒会の腕章。

 どこか申し訳なさそうにしている。おそらく自分の行動が制御できなかったのだろう。伝えたい気持ちと、羨む気持ちが入り混じったが故か。

 次第にその姿が薄れていく。

「待ってくれ」

 リィンは〝彼”を呼び止めた。

「リィンさん、あの人は――」

「わかってるよ、委員長。さっき彼の想いが伝わってきた」

 想い、未練、願い。それらを果たさなければならない。

「さあ、先輩。十二年越しの卒業式だ」

 

 ●

 

 ――我望む、学院からの、卒業を――

 それが、ミリアムが解読した彼からのメッセージだった。

 リィンからの連絡で、再び集合したⅦ組一同は状況を理解し、さっそく講堂を使って卒業式の準備にとりかかったのだが。

「なーんでこんなことになってんのよ!?」

 ラクロス部のユニフォームに着替えたアリサは、クラウチングスタートの構えでグラウンドにかがんでいる。

 となりのレーンには同じく体勢をかがめて、スタートを待つ彼の姿があった。

 現在、講堂では急ピッチでガイウス、フィー、それにエリオットが卒業式の準備を進めてくれている。

 その間、彼には微々たるものではあるが、少しでも学院生活を楽しんでもらいたい。それがリィン達が考えた彼への卒業の贈り物だった。ちなみに彼を何と呼べばいいのかわからなかったので、便宜的に”先輩”と呼ぶことにしている。

「ああ、もう。やるからには負けないからね! 手加減抜きよ!?」

「始めるぞ。よーい、スタート!」

 リィンが掲げた腕を振り下ろす。それを合図に両者同時に走り出した。

 まずはアリサがリードする。

 普段から部活で走り込んでいるのだ。幽霊相手でも負けるつもりなどさらさらない。 だが彼はコース中盤から速度に乗り、ゴール目前でアリサを抜き去った。大きく腕を振る豪快な走法だ。

「納得いかないわ。もう一度よ。幽霊だからって空飛んだんじゃないでしょうね!?」

 ずいずいと詰め寄るアリサは、もう恐怖など微塵にも抱いていないらしい。

 その後三レースほど走ったが、結局アリサは一度も勝てなかった。

「ず、ずるいわ。幽霊だから疲れないんじゃないの? リィンもそう思うでしょ」

「それは許してあげて欲しいが……」

 いつの間にか彼を取り巻いていた黒い影はほとんど薄れ、遠目には一人の学院生と見ても違和感がない。

「じゃあ次だ。アリサは講堂の手伝いに入ってくれ。俺は先輩の案内人を務めるよ」 

 

「さて、私の番だな」

 続く相手はラウラだ。水着に着替えてプールサイドに立った彼女は、純粋に勝負を楽しもうとしている。

「聞けば、貴公は先ほどもここで泳いでいたそうではないか。一昔前は水練の稽古も今より厳しかったと聞く。その成果、存分に披露して頂こう」

 なんとも尊大な態度だが、嫌味はなくむしろ清々しい。なにより幽霊相手にもその対応ができることがすごい。

 リィンはちらりと彼を見やる。その姿が学生服から水着へと変わっていた。

「服を変えられるのか……なんでもありだな」

 リィンは驚くが、ラウラは感心した様子で「筋肉のバランスがいいな」と彼の引き締まった肉体をしげしげと眺めていた。

「うん。鍛錬を怠らなかった証だ。私も気を入れてお相手をしよう。リィン、合図を」

 ラウラはスタート位置につき、彼もすぐ横のコースに続いた。

 双方の準備が整ったのを見て、リィンは号令を発した。

 二人ともきれいなアーチを描いてプールに飛び込む。

 前半リードしたのは彼だが、折り返し地点でのターンでラウラが大きく差をつける。そこからは一進一退の勝負が繰り広げられた。

 全身をバネのように使い、しなやかに水中を泳ぐラウラに対し、彼は力強く腕を回して水をかき、強い蹴り足を推力に進む。

 最終的にほぼ同時のゴールだったが、タッチの差で彼が勝利した。

「全力を出したつもりだが、一歩及ばなかったか」

 ラウラは肩で息をしながら、一足先にプールサイドに上がった彼とリィンの元へやってきた。

「いい勝負をさせてもらった。感謝する。」

 ラウラは胸に手を添えてその意を示す。

 一方の彼は、変わらずの無表情でラウラを見ている。

 表情に加えて、言葉が交わせないため、感情がどうにも読みにくい。

 ただこうしてこちらの誘い――というか半ば一方的な挑戦にも応じてくれているので、自分たちの意図は伝わっているようだった。

 

 そのまま練武場に移動する。

 そこではユーシスが二人を待っていた。練習用の木剣を手にしている。

「手向けに花を持たせるつもりはないが、それでかまわないな」

「もちろんだ。だけど先輩は今のところ負けなしだぞ」

「ほう、そうでなくては」

 ユーシスは木剣を構えた。様式美と合理性を兼ね備える宮廷剣術だ。

 対する彼はおもむろに手をかざした。練武場の端に置いてあった木剣の一つがふわりと浮き、その手に収まった。

「双方、準備はいいな? 立会人は俺が務めるが、危険と判断したら割って入るぞ」

 リィンは数歩下がると、自身も木剣を持った。

「では……始め!」

 号令を境に一瞬で場の空気が変わる。最初に動いたのはユーシスだった。電光石火で鋭く剣を横に薙ぐ。

 彼は手首を素早く返し、刃の腹でユーシスの斬撃を受け流した。すかさず返す刀で反撃。鮮やかな剣閃が虚空に刻まれる。

 夜の練武場に木剣がぶつかり合う音が響く。上段、下段、中段、フェイントを挟んでまた下段。

 互角に見えた切り結びだが、手数の多さで徐々にユーシスが攻め込んでいく。大きく振るった剣が、ついに彼の体勢を崩した。片足が一瞬沈み、体軸が傾く。

「もらった!」

 しかし崩れたはずの彼の体勢が、急激に芯を取り戻す。沈んだ片足を軸にして、まるでコマのように半回転すると、遠心力の勢いと落とした重心の力を刃に乗せて、渾身の切り払いを放ってきた。

 予期せぬ斬撃の軌道に、ユーシスの反応が一瞬遅れる。

 空気を裂いた彼の剣は、ユーシスのこめかみ直前でピタリと止まった。

「今のは……ヴァンダール流だ」

 彼の体捌きと剣筋を間近で見たリィンは、目を丸くして驚いた。

「あ、勝負あり」

 そして遅れた判定を下す。

 アルゼイド流とヴァンダール流は、帝国における武の双璧と言われる。ユーシスも彼の実力に納得したらしい。

「まさかヴァンダールの門下だったとはな。さすがの剛剣だった。……ところで」

 ユーシスの声音が変わり、ぎろりとリィンをにらむ。

「危険と判断したら止めに入ると言っていなかったか? 俺の顔面近くにまで剣が迫っても、微動だにしなかったようだが」

「すまない。つい見入ってしまっていた」

「何のための立会人だ!」

 やいやい言い合う二人のやりとりを、彼は変わらずの無表情で見つめていた。どこかその目は優しかった。

 

「悪いが僕も手を抜く気はないぞ?」

 学生会館、第二チェス部。マキアスは机を挟んで座る彼に言う。

 今回の勝負はチェス。マキアスの十八番だ。二人の間にはすでにチェス盤が設置されている。

 ユーシスたちが遅れを取ったところを見ると、どうも彼は体育会系らしい。ならばこちらの土俵で勝負する、というのがマキアスの戦法だった。

 学院内の明かりは、すでに通常通りスイッチ一つで何事もなく点灯している。やはり今までは、黒い影による何らかの力が働いていたようだ。

「では、こちらから行かせてもらう」

 白の駒がマキアスで、黒の駒が彼だ。

 マキアスはポーンを一マス進めた。次に彼のターン。彼はナイトを動かした。そのナイトの駒はふわりと浮き進み、すとんとマスに落ちる。

 マキアスは立会人のリィンに焦った目を向けた。

「こ、これはありなのか!?」

「ルールブックには、駒を浮かす行為は禁止と書かれていなかったと思うが」

「そんなルールがあってたまるか」

「だが駒の進め方は合ってるだろう」

 確かにナイトの駒の動きで間違いない。

 初めの数手は駒が浮かぶ度にうなり声を上げていたが、やがてマキアスの目は盤上に集中し始めた。一手に長考を要するようになる。

 強いのだ。

 常に二手三手先を読んでくる。目先の駒を不用意に取ろうとせず、徐々に、しかし確実にキングを詰めてきた。

 マキアスも後手には回らず、攻めと引きを繰り返し、敵陣を乱していく。

 駒が浮くなど、もう意識の外だ。マキアスが攻め、彼がかわす。彼が仕掛け、マキアスが守る。

 互いの駒を削り、最後のチェックメイトは黒の駒――彼の一手だった。

「ま、参りました」

 白のキングは完全に逃げ道を失った。ビショップとルークが右陣を抑え、絶妙の位置にあるナイトとポーンがどう動いてもキングを刺す。

「クイーンを中心とした戦力に頼らず、個々の特性を最大限生かした戦術で戦う。理想の指し方だ。こんな勝負は久しぶりだな! 先輩、もう一回手合せを願いたいのだが……」

 充実した時間だったらしく、マキアスはすでに二局目の準備に取りかかっている。

「さすがにそこまでの時間はないって」

「むう……」

 それでもと食い下がるマキアスをどうにかなだめ、リィンはその場を離れた。

 

 

「さあ、これが最後だ」

「あ、あの……ほんとにやるんですか?」

 彼との勝負を終えたメンバーは順に講堂の手伝いに向かう。今回が最終のイベントだ。残ったのはエマ一人。場所は講堂の裏である。

「頼む、委員長。マキアスが言うには学園には欠かせないイベントらしいんだ」

「マキアスさん、きっと変な本読んだんですよ……う~、わかりました。やります……」

 しばらくして、講堂裏でエマは一人で立っている。そこにリィンに促され、彼が歩いてくる。

 向かい合う二人。

 無言が続いたあと、「あ、あの」と、エマはおずおずと口を開いた。胸前で組んだ指が落ち着きなく動き、足は内股でもじもじしている。

 彼もどことなく緊張しているようにも見えた。

「わ、私……初めて会った時から先輩の事が……す、すっ、すすっ」

 赤面するエマ。かたかたと唇が震えるが、続く言葉を勇気をもって紡ぐ。

「スパークアローッ!」

 稲妻が轟音と共にほとばしる。乙女の純情が雷の矢と化し、彼の傍らを突き抜け、その後方のリィンに直撃した。

「言えない、言えない、言えません! リィンさんなんか知りませんー!」

「な、なんで俺、が……」

 口から黒煙を吐きながら、リィンはくずおれていく。

 エマは両手で顔を覆ったまま猛スピードで駆け抜けると、そのまま講堂内に飛び込んでしまった。直後にマキアスの悲鳴が聞こえたが、リィンは何も聞かなかったことにした。

「あー……なんだかすみません。げほっ」

 伏したままリィンは彼に声を掛ける。彼は固まったまま、しばらく動こうとしなかった。

 

 ●

 

 講堂内。整然と並べられた椅子にそこかしこを彩る草花。

 時期的に普通は卒業式に飾る花ではないが、鮮やかな色合いは見る者の気分を和ませる。フィーが育てているものを持って来てくれたのだ。

 リィンに連れられて彼が講堂内に足を踏み入れると、Ⅶ組の全員は椅子から立ち上がって拍手で出迎えた。

 彼は全員に向かい合う形で正面に立つと、ぐるりと講堂の中を見渡した。

「急いで準備したからちょっと殺風景かもね」

 エリオットが申し訳なさそうに鼻先をかいた。

「何分、卒業式というのを経験したことがなくてな。もし何か間違っていたらすまない」

 そう言ったガイウスの指先は黒ずんで汚れている。椅子の設置や講堂内の清掃に尽力してくれたのだろう。

「ああ、十分だ。みんな、ありがとう。それじゃあ始めようか。委員長」

 リィンも彼から離れて、Ⅶ組の側に立った。代わりにエマが歩み出て、丁寧に折り畳まれた紙を開いていく。

 エリオットが末席に立てかけてあったバイオリンを手に、柔らかな音色を奏でると、エマは「在校生、送辞」と静かに告げた。

「あなたと過ごした時間はとても短いもので、もしかしたらこのように私たちが送り出すことすら、本来は間違っているのかもしれません」

 本当なら十二年も前に、もっとたくさんの後輩たちに見送られるはずだった。

「ですが、ほんのわずかな間でも……グラウンドやプールで競争したり、チェスや剣で勝負したり、確かに先輩と同じ時間を共有できました。結局私たちは一勝も上げることができませんでしたが――」

 もしそのまま卒業して軍に入隊していたら、今頃は有能な指揮官になっていたのだろう。自分たちの特別実習での縁もあったかもしれない。

「――いつかあなたにも負けないと、胸を張って言えるくらいに成長して、先輩が過ごした大切なこの学院を、これからも守っていきます」

 それが彼にできる唯一の誓い。

「まだまだ未熟な私たちですが、これからはどうか女神の御許で私たちを見守って下さい。――在校生代表、エマ・ミルスティン」

 送辞を終えたエマは一礼すると、再びリィンと立ち位置を交代した。

「先輩にお渡しするものがあります」

 リィンの手にあったのは、生徒会室の本棚とロッカーの間に挟まっていた黒い筒。その筒の蓋を取って、中から丸まった一枚の紙を取り出す。

 金色に装飾された縁取りに、雄々しい角を生やす獅子の紋章が印字されたその紙。

「先輩の卒業証書です。受け取って下さい」

 証書に名前は書かれていないが、間違いなく彼の物だとわかる。きっと十二年前の生徒会役員たちが亡き生徒会長を惜しみ、悼んで、そっと生徒会室の片隅に忍ばせておいたのだろう。

 彼がその時、その場所にいた証を遺すために。

 彼はゆっくりと手を差し出すと、その卒業証書を手にした。

『ご卒業おめでとうございます』 

 全員が声をそろえ、大きな拍手で称えた。

 彼の姿が薄らいで消えていく。まるで柔らかな月の光に溶けていくように。

 彼は初めて笑顔を見せた。その瞳から一筋の涙がこぼれる。頬を伝い、雫が床に落ちた時には、もう彼の姿はそこになかった。

 

 ――ありがとう――

 

 頭の中に声が届く。一人の卒業生から七人の在校生に送られた、たった一言の答辞だった。

 

 

 ●

 

 ――後日談――

 

「以上が昨夜の報告になります」

「うむ、ご苦労じゃった」

 豊かな顎ひげをさすりつつ、ヴァンダイク学院長はそう言った。

 一夜明けて、リィンは幽霊調査の結果を学院長室まで報告に来ていた。

「それにしても彼の卒業式を開いてしまうとはな。いや、よくぞやってくれた。礼を言おう」

「もしかして学院長は黒い影の正体に気づいていたのですか?」

 リィンは自然と”彼”と口にした学院長の言葉に違和感を持った。そういえば彼の心の中に、若い頃のヴァンダイクの姿もあった。面識があった可能性は高い。

「確信まではなかった。軍を退役して、この学院に赴任した時の生徒会長が彼じゃった。もっともその頃はわしもまだ学院長ではなかったが」

 聡明で、毅然とした少年だったと、ヴァンダイクは懐かしむように言う。

「そうでしたか……。ただ結局わからなかったのは、なぜ異常の始まりが十二年も空いた今年の四月からだったのかということです。二週間前から現象が多くなった理由は何となくわかったのですが……」

 二週間前というのは、トワが昔の生徒会の物品をばらまいた時だ。おそらくその際に卒業証書の入った筒があの場所に挟まったのだろう。それがどう影響したのかまでは定かではないが、彼を呼び起こす一因になったのは間違いない。

 だとすれば四月は何がきっかけになったのだろうか? 

「それは君らの入学じゃろうな。彼も元々Ⅶ組だったしの」

「え?」

「彼はⅦ組で、君らは特科Ⅶ組じゃ」

 そこまで言われて、リィンは意味を理解した。

「昔は生徒数も多かったからのう。当然クラス数も多かったのじゃよ」

 そういえばクロウも昨日の通信の時に、昔は今より生徒が多かったと言っていた気がする。

「Ⅶ組の活躍は、生徒の間でも話題になっておった。それがこの学院のどこかで眠っていた彼の耳に届いたのじゃろう。だから君たちに頼んだのじゃよ」

 リィンは依頼の際のヴァンダイクの言葉を思い出した。

 ”じゃったらⅦ組の諸君に任せようではないか”

 普段は”リィン君”だが、今回に限っては”Ⅶ組の諸君”と指定していた。なんとも老獪な手腕だ。 

「彼はなぜ、亡くなったのですか?」

 リィンは最後まで気になっていたことを訊いた。

 沈黙したヴァンダイクは、少しして重い口を開く。

「……きっかけは百日戦役で間違いない。知っての通り、今から十二年前にエレボニアはリベール侵攻を開始した。宣戦布告からの電撃作戦で圧倒的な優勢を得た我が国は、瞬く間にリベール各地を制圧した」

 それはリィンも知っていた。

 導力通信の利点を最大に活かして、宣戦布告文書をリベールのアリシア女王が受け取ったのとほぼ変わらないタイミングで、ハーケン門に砲弾を撃ち込んだという。

 傍目に見てもグレーゾーンな開戦の仕方だが、当時の情勢を鑑みると自国の非難を強くすることもできない。

「各重要拠点も抑え、抵抗の規模も日増しに少なくなっていったが、軍人も人間。補給物資は必要じゃった。もちろん補給運搬は基本的に軍が行うが、それとは別に民間の有志による救援活動も、当時は盛んに行われておった」

 民間有志なので戦地に直接赴くわけではなく、あくまで駐屯地に食料や衣類などを届ける程度だが。

 エレボニアに限らず、戦争の歴史が長い国ではそのような慣習も珍しくない。

「彼は補給物資を届ける民間団体に志願した。わしは学生が行くところではないと止めたが――」

 彼は応じなかったという。卒業も間近に控え、授業もない。士官学院を束ねる生徒会長として、自国のために何かしたかったのだろう。愛国心も強い少年だったらしい。

 開戦から二か月後。彼は制圧後に拠点としていたハーケン門に、補給物資を届けにいく団体に同行した。

 タイミングが悪かったという他ない。

「その日、戦局が大きく変わった」

 それは近代史を語る上で避けては通れない出来事だ。

 リベールのレイストン要塞で開発されていた、三隻の軍用警備艇を起点に反抗作戦が実行されたのだ。

 当時エレボニアでは、実用に耐えうる飛空艇の実戦配備はほとんどなく、遥か上空から降り注ぐ導力兵器に成す術はなかった。

 制圧した関所から次々に奪還され、やがて警備艇の一隻がハーケン門の上空に到達した。

「そして巻き込まれた。上空からでは民間人がいたなどわからなかったじゃろうし、仮にわかったとしてもどうにもならなかったじゃろうな。リベールも奪還作戦に命がけだったはず」

 リィンに言えることはなかった。自分と年齢も変わらない少年が戦火で命を落とすなど。無念だっただろう。いや、その想いは昨夜すでに感じている。

「今となっては昔の話じゃ。リィン君が気にすることではない。それに君たちは彼の心を救ってくれている」

「そんな……」

「それに、彼は無意味に命を落としたわけではないぞ」 

「……? それはどういう――」

 コンコンとノックの音がし、ドアが開く。

「失礼します。学院長、先月の件なんですが……ん? いたのか、シュバルツァー」

 軍用ブーツの踵を鳴らして、姿勢よく室内に入ってきたのは帝国正規軍、第四機甲師団所属、ナイトハルト少佐だった。

 学院へは出向という形で、特別教官として度々足を運んでくれている。

「……あ」

 愛想の無い実直剛健な顔立ちを見て、リィンはようやく思い至った。

 彼の心の中に見た金髪碧眼の少年と、ナイトハルトの顔が重なって映る。ナイトハルトは現在二十九歳、十二年前というとちょうど自分たちと同じ年の頃である。

 彼とナイトハルトは同期だ。

「なんだ、シュバルツァー? 人の顔をじっと見て」

「し、失礼しました」

 ヴァンダイクが笑った。

 ナイトハルトは不思議そうにヴァンダイクを見る。

「学院長?」

「確かに彼の死は不遇だったが……そんな彼と切磋琢磨し、競い合ったかつてのライバルが君たちを指導し、育ててくれている。常々言っておるじゃろう? ”若者よ、世の礎たれ”と」

 その時は普段の威厳に満ちた学院長ではなく、年相応の好々爺としての表情をのぞかせて、ヴァンダイクは晴れやかにこう続けた。

 それは”彼”にとって、どんな勲章よりも価値ある言葉だったに違いない。

「これを礎と呼ばず、なんと言うのかね」

 

 

 ――FIN――

 

 

 

 

 

 

 ★おまけ★

 

「んー……う~ん」

 リィンはベッドから身を起こした。真夜中である。窓から見える外の景色は、まだ真っ暗だ。

「俺、何してたんだっけ。……幽霊騒ぎを解決したあと、みんなで第三学生寮に戻って、それから――」

 おそらく疲れ果てて眠ってしまったのだろう。きっと他のみんなも同じだ。今日は大変だった。

 喉が乾いている。一階に降りて、水を飲んで来よう。それから寝直しだ。朝までは時間がある。

 リィンは部屋の外に出た。

「た、助けてくれー!」

 いきなりの叫び声にぎょっとする。廊下の向こうから、マキアスが必死の形相で走って来ていた。

 その後ろを誰かが追いかけている。

「うふふ、鬼ごっこって楽しいわ。お兄さん、待ってー」

 すみれ色の髪に、白いゴシックドレス。見たことのない少女だ。可愛らしい姿恰好をしているが、その手には身の丈よりも大きい鎌が握られている。死神が携えるようなそれだ。

「マ、マキアス、その子は誰だ? なんで追いかけられてる!?」

「僕にもわからない! 気づいたら枕元に立ってて、問答無用で襲われたんだ!」

「つーかまえた。そーれっ」

 無邪気な掛け声と共に、大鎌が迫る。物々しい三日月刃が、振り返ったマキアスの顔面を縦一閃に擦過した。

「ぎゃあああ!」

 ブリッジから半分に両断された眼鏡が、カランカランと床に転がる。顔は無事のようだが、マキアスは両膝をついてうなだれた。

「あ、ああ、僕のメガネ……これは悪夢だ」

「あー楽しかった。また会いましょう、お兄さん」

 くすくすと笑んで、少女はふっと消える。同時にマキアスの姿も透けるようにして消えてしまった。

「な……!?」

 何が起きた? 

〝これは悪夢だ”

 今しがたのマキアスの言葉を思い出す。

 そうか、夢なんだ。俺はまだ夢の中にいるんだ。

「う、うぅ、リィン」

 さっきまでいなかったはずのラウラが、すぐそばに立っていた。

「どうした、ラウラ? そんなに泣きそうな顔をして」

「父上の《ガランシャール》を折ってしまった……どうしたらいいだろうか」

 刀身の折れた大剣を見せてくる。アルゼイド家に伝わる宝剣だ。250年ほど前に《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットが率いた鉄騎隊、その副長たるラウラの祖先が使っていた由緒正しい剣だとか。

「落ち着くんだ。ちゃんと事情を話せば子爵閣下はわかって下さると思う。そもそも、どうして折れた?」

「……言えない」

「言えないのか……」

 ラウラはその場に正座した。

「こうなったら腹を切るしかあるまい。東方にはそうやって罪を償う方法があると聞いた。リィンは介錯を頼む」

「切腹のことか!? か、考え直せ!」

「父上。このラウラ、死んで詫びますゆえ!」

「ダメだって! やめろ!」

 伸ばしたリィンの手が、ラウラをすり抜ける。彼女もまた消えてしまった。

 息も荒く、リィンは汗ばんだ手をぬぐう。

「そうか……これ、夢なんだよな……」

 わかった。今日の幽霊調査の影響だ。怖がった人も、そうでない人も関係なく、自分にとって恐怖であることを夢に見ているのだ。

 ということは、これはみんなの夢の中でもあるのだろう。

 ガイウスの部屋の中から声がした。

「クララ先輩、どうか父と弟には手を出さないで頂きたい。脱げというなら俺が脱ぎますから……」

 悲痛な懇願が廊下まで漏れている。どんな状況の夢だ。クララとは美術部の部長の名前だが、普段からガイウスは何をされているのか。起きて覚えていたら聞いてみよう。

「やめて! 母様!」

 今度はアリサの部屋からだ。女子部屋は三階のはずなのに。寮の構造まで滅茶苦茶になっている。

「授業参観とか絶対にイヤよ! 私、ずっと下を向いて、何も発言しないから!」

「やれやれね。なら授業中に質問を当てられたら、私が答えてあげるわ」

「もっとイヤ!」

 彼女の母親のイリーナ会長の声だ。部屋の中にいるのだろうが、とても扉を開ける気にはなれなかった。

 その他も混沌としていた。

 何をやったのか、ユーシスは父親のアルバレア公爵と同じ部屋で8時間過ごす刑に処されているし、エリオットは姉のフィオナに無理やり女装させられそうになっている。

 フィーは勉強を教えようとするエマに追いかけられているし、そのエマはなぜか用務員のガイラーに追いかけられていた。

 みんなの怖いものが独特だ。

「……あれ?」

 そういえば俺の怖いものはなんだ? まだ出て来ていない。とはいえ、怖いものと考えてみても、そうそう浮かんでは来なかった。

 とりあえず当初の目的を果たそう。喉が乾いているのだ。夢の中で飲んで、意味があるのかはわからないが。

 リィンは一階のラウンジに降りる。

 コップに水を注ぎ入れようとした時、玄関ドアがノックされた。

 こんな時間に誰だろう。

「はい、どちら様で」

 扉を開けると、外に立っていた人物はリィンをじとりとした目で見つめた。

「私がお送りした手紙の返信が、一週間経ってもないのですが。弁解はありますか?」

「エッ、エリ――」

 

 弾丸のごとく跳ね起きる。頭が天井に突き刺さらんばかりの勢いだった。

 今度こそリィンは目を覚ました。ぐっすり眠りこけていたので、もう朝だ。

「お、俺の怖いものって……」

 

 

 ――END――


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