虹の軌跡   作:テッチー

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Intermission ~エリゼ来訪(前編)

 九月二十五、二十六日の二日間に渡って実施されたオルディス、ルーレでの特別実習は終了した。

 特にアクシデントが起こったのはルーレ班だった。複雑に入り組んだ背景や手回しの下、ザクセン鉄鋼山を帝国解放戦線が占拠するという事件が発生したのだ。

 事の一端に関わったことで奔走するルーレ班だったが、合流したアンゼリカ、ジョルジュ両名の力添えもあって、見事その状況の打破に成功する。

 世間に公表された結果だけを述べるなら、帝国解放戦線の事実上の壊滅――すなわち、リーダーたる《C》の死亡という結末によって。

 実習を終えて数日が経った九月の末日。

 貴族派と革新派の対立。帝国解放戦線、幹部《S》と《V》の行方捜索。揺らぐ不穏の影は残るものの、表面上は鎮静化に向けて動き出していた。

 

「俺が一番乗りか」

 平日の昼下がり。第三学生寮の閑散としたエントランスを見渡した。

 今日のカリキュラムは午前中の簡単なホームルームで終了。さらに明日は平日にも関わらず、Ⅶ組は学院に登校しなくてもよいことになっていた。

 これはヴァンダイク学院長の計らいだ。

 特別実習の最中にテロに直面し、図らずもこれを退けたⅦ組への休息を便宜してくれたのである。

 とはいえ他の学生の手前もあって休暇扱いにはできず、名目上は“自主学習”という形であるが。

「リィン様。お帰りなさいませ」

 リビングの掃除をしていたシャロンは、手を止めてリィンを出迎えた。

「みんなはまだみたいですね?」

 この後は空いた午後の時間を利用して、Ⅶ組全員参加のとあるミーティングを行うことになっている。

「はい、他の皆様はまだお戻りではありませんわ。ああ、そうです。リィン様――」

「帰ったわよ」

 シャロンの言葉を遮るように扉が開き、アリサが寮に帰ってきた。

「お帰りなさいませ、お嬢様。それでリィン様、あの――」

 アリサへの出迎えもそこそこに、シャロンがリィンに何か言おうとしたところで、

「リィンとアリサだけ? 遅れちゃいけないと思って急いできたんだけど」

「もう少しゆっくりでも良かったな」

 エリオットとガイウスも帰ってくる。

「これはお二人ともお帰りなさいませ。リィン様、実は――」

「ただいま」

 今度はフィーが帰ってきた。

 その後もシャロンが口を開きかけると、その都度エマが、マキアスが、ラウラが、ユーシスが、ミリアムが、クロウが寮の扉を開き、彼女の言葉は中断され続けるのだった。

「……もう大丈夫ですね」

 全員が寮に帰ってきたタイミングを見計らい、こほんと小さく咳払いするシャロン。

「さっそくですが、リィン様」

「はーい、みんなそろってるー?」

 勢いよく扉が開き、サラが軽快な足取りでラウンジに入ってきた。

 微笑みは崩さないまま、シャロンは物憂げな表情を浮かべる。

「サラ様にはいつも困ってしまいます」

「……出会い頭に何なわけ?」

「サラ様こわい。シャロンの足は震えておりますわ」

「あたしの拳も震えているわよ?」

 アンニュイなため息を付いてみせたシャロンに、サラが眉根を寄せて詰め寄る。

 お姉さん達のいつものやり取りには慣れたもので、誰もが風景の一部として流している。最近では仲裁の口を挟むのはエマくらいのものだ。

「見てみなさい、あたしの頬を。苛立ちに引きつって震えているわ」

「サラ様の迫力満点のお声に、シャロンの鼓膜も打ち震えております」

 謎の震える合戦が展開されていく中で「あの、サラ教官そろそろ……」と二人の間に割って入ったのは、例にもれずエマだった。

「む、そうだったわね」

「では(わたくし)はお飲み物の準備を。サラ様はいつものレモンティーで宜しいですか?」

「冷たい方でよろしく。じゃなくて、この、あれよ、覚えてなさいよ!」

 気勢を削がれ、図らずも敗北側の捨て台詞を叫んでしまったサラ。

 怒りの矛先が向き直される前にと、シャロンは足早にキッチンへと姿を消していた。

「ったく……はい、じゃあ臨時ミーティング始めるわよ」

 すでにリィン達は食卓用の長テーブルを囲んで座っている。空いている席の一つにサラも腰かけた。

 臨時ミーティング。全員の視線がラウンジのソファーに集中する。正確にはソファーの上で丸まって眠っている一匹の子犬にだ。

「ルビィの新しい飼い主探し。これについてね」

 それが今回のミーティングの議題。

 八月中旬にルビィを預かって、はや一か月半。学院長との約束で、第三学生寮でルビィの面倒を見ていいのは二か月間だけになっている。

 つまりあと二週間以内に新しい飼い主を探さなくてはならないのだ。

 万が一、引き取り手が見つからなかった場合、そういった動物の保護団体に預けて里親の募集をかけるしかないが、あまりいい結果は想像できない。

 クロウがサラに目をやった。

「サラが飼えばいいんじゃねえか? ルビィが一番懐いてるのはサラだろ」

 屋上から落ちそうになっていたところを助けたからか、ルビィは彼女にもっとも懐いている。

 サラが『待て』と言えばどれだけでも待つし、寮に帰ってきた彼女を出迎える速度はシャロンよりも早い。

 ルビィがソファーにもおらず、散歩にも行っていないなら、定位置は大体サラの膝の上である。

 サラもそんなルビィを可愛がっていた。

「そうしたいんだけどね。でも私も結局は寮住まいだから、そもそも無理なのよ」

 どこか気落ちした様子である、ルビィと離れるのはやはり寂しいらしい。

「何にせよ、まずは案を絞らないとね。第一案としてⅦ組の誰かの実家っていうのは?」

 サラの視線がぐるりと全員を回る。

「俺は無理だ」

 最初に声を上げたのはユーシスだった。

「アルバレア家城館に連れて行ったところで、口には出さないだろうが厄介扱いされるのは目に見えている。そいつの為にもなるまい」

「それはそうよねえ……」

 続けて、

「ノルドも難しいな。広大な土地だが遊牧民と共に暮らす以上は、猟犬の役割も求められるだろう」

 困り顔で腕を組むガイウス。横のアリサも考え込んでいる。

「私の家ってラインフォルト本社だし、今までみたいに自由に外には出れないと思うわ。あと母様にお願いするのは……」

 自立するんじゃなくて? などの小言が飛んでくるのが目に見えている。

 マキアスもうなっていた。

「僕の実家ならいけそうだが、何しろ父はあまり帰ってこないし、世話する人間がいないんだよな。そもそもルビィ、僕の言う事あんまり聞かないし」

 犬は本能的に属する集団の中で順位付けを行う。『ご飯をくれる』『散歩に連れて行ってくれる』『集団の中での扱い』などから総合的にランクが決まるのだが、悲しいことにマキアスの位置づけは、さほど高くなかったりする。

 ちなみに現在の順位のトップはサラで、次点ではシャロンがランクインだ。

 順位付けの重要なファクターに、『逆らうべきでない存在』というのもあり、シャロンに関しては野生の本能が告げた結果であった。

 話し合いが続き、その結果絞られた案は――

 エリオットでヘイムダル。

 ラウラでレグラム。

 リィンでユミル。

 その三人だった。

「僕の場合は姉さんに聞いてみないとわからないなあ。家を空けることもあるし……」

「私の実家か。頼み込めば何とかなりそうではあるが……しかし、世話をクラウス達だけに任せると言うのも考え物だ」

「俺も同じくだ。……卒業後のことはまだ分からないしな」

 可能性のある三人だが、ネックになっているのは学生という立場だ。寮住まいである以上、どうしても実家の人間に世話を任せる形になってしまう。

 とりあえず一考するという形に落ち着き、続いて第二案。

「町、学院関係者に頼み込む案ね」

 トリスタでルビィはそこそこ顔を知られている。自由に外を出歩くが意外におとなしく、行儀もいい。可愛がってくれる人も多いのだ。

 学院関係者というのは、あれほどの人数が集まっている場所なので、数撃てば当たる策の一つとして挙げられていた。

「この二つに関しては全員が自由に動ける明日を利用して、みんなで聞き回ろうと思うんだけど、どうかしら?」

 サラの提案には誰も異を唱えなかった。こればかりは直接自分達の足で赴き、事情を説明してお願いするしかない。

 以前からその案はあったのだが、中々まとまった時間が取れず実行に移せなかった。学院長が手配してくれた実質の休暇である明日は絶好の機会だったのだ。

 ある程度の方向性がまとまったところで、

「それじゃこの辺りで解散としましょう。そんなわけで明日も動き回るわけだし、今日はしっかり休んどきなさい」

 号令を合図にミーティングは終了し、それぞれが席を立つ。

「僕らの中の誰かが引き取れたら一番いいんだけどね。今度姉さんに会って聞いてくるよ」

「私は手紙で父上に伺いを立てねばな。タイミングよく読んでもらえるといいが……」

「俺も手紙だな。本来なら会って頼むべきなんだろうが、ユミルまでは気軽に行き帰りできる距離じゃないし」

 飼い主候補の三人も立ち上がる

 寮に帰ってそのままミーティングだった為、鞄も脇に置いたままだ。一人二人と自室に向かおうとする彼らの背を見て、サラが思い出したように言った。

「そういえばもう一つ連絡事項があったんだけど――」

 足を止めて、サラに振り返るリィン達。

「んー、まあそれは明日に回すとするわ。どうせみんなそろってるわけだし」

 一人で納得したらしいサラは鼻歌を交じりで、グラスに口を付ける。彼女の思わせぶりな発言も、日常茶飯事の事である。

「あ、リィン様。少々お伝えすることが――」

 話し合いが終わった雰囲気を察して、シャロンが調理場から顔を出す。リィンはすでに階段を登っていた。

「すみません、鞄を部屋に置いたらすぐに戻ってきますので」

「まあ……困りましたわ」

 言葉だけで、さほど困った様子も見せず、シャロンはリィンの背中を見送った。

 

「ルビィの飼い主か。いい人が見つかればいいんだが」

 リィンは自室のドアノブに手をかける。

 ユミルという案が出たものの、実を言えばリィンは実家を頼ることに乗り気ではなかった。

 理由はいくつかあるが、一つの大きな引っ掛かりは、未だ自分の進路が未確定だということだった。

 家を出る。という考えも頭の隅にはまだ残っている。勝手を承知で家を出て、さらにこれ以上の頼み事を両親にできるはずもない。

 一つ息を吐いて、ドアを開ける。

「お帰りなさいませ」

 部屋に足を踏み入れるなり、聞き覚えのある声が耳に届く。

 びくりとして、リィンはうつむき加減だった視線を持ち上げた。

「浮かないお顔ですね。私に会うのはそんなに気の進まないことでしたか」

 流れるような長い黒髪。澄んだ空色の瞳。

「ずいぶんお待ちしました。声は聞こえていたのでお帰りは早かったようですが、心の準備でもなさっていたのですか」

 清楚な佇まい。しとやかながらも、どこか棘のある声音。愛嬌のある可憐な丸い瞳は、今ばかりは不機嫌そうに細められている。

「え、え、え……」

 まったく予想しない人物の来訪に、リィンは思いがけず足を引いた。

「エリゼ!?」

 狼狽を見せる兄をよそに、エリゼ・シュバルツァーは上品な仕草でスカートの裾を持ち上げた。

「ご無沙汰しております。兄様」

 

 

 

 ――『Intermission~エリゼ来訪』――

 

 

 

 事前に手紙は貰っていたか。それとも元々今日来る話になっていたか。あるいはまた何か妹の不興を買ったか。

 先ほどからシャロンが言いかけていたのはエリゼのことか。聞いておけば良かったと、詮無い後悔が冷たい汗となって背に滲む。

 前に会ったのは二か月と少し前。

 リィンが送った手紙の内容に不審を感じたエリゼが、直接学院を訪れた時。

 そして帝都における帝国解放戦線のテロに、アルフィン皇女共々巻き込まれたのを救出した時である。

 あれから手紙は何通か送っている。

 内容は近況報告を兼ねた他愛ないもので、前回のようにエリゼが有無を言わせず乗り込んでくるような代物ではなかったはずだ。

 高速で頭を巡りゆく思考が取りまとめたリィンの第一声は、シンプルなものだった。

「どうしてここにいるんだ?」

「それはご自分の胸にお聞きになって下さい」

 投げ渡されたキラーパス。二か月前にも同様の言葉を言われた記憶がある。

 リィンは確信した。エリゼは怒っている。怒っていらっしゃる。

「………」

「………」

 石化の無言。凍結の沈黙。いかなる装飾品でも防げない、強力無比な状態異常が部屋に充満していく。

 一筋の汗が頬を伝い、リィンはずしりと重たくなった口を開いた。

「その」

「なんでしょうか」

 コンマ一秒で返ってくる抑揚のない応答。

 リィンは慎重を重ね、万全を期し、己の発するべき言葉を選別していく。

 何せ相手はエリゼである。『空の女神に誓って兄様をうっとうしいと思う事なんてありえない』と宣言した数分後には『兄様のバカッ、朴念仁! 分からず屋! 大っ嫌い!!』という女神も真っ青の怒涛の連撃を繰り出すのだから。

 後手に回れば不利になる。先手必勝しかありえない。この手で道を切り開く。

「すまん、この通りだ!」

「なにがでしょうか」

 兄様スキル“先制の平謝り”は不発に終わった。

「もう……妹相手に軽々しく頭を下げないで下さい」

 エリゼの口調がわずかに柔らかくなったのを感じて、リィンは心の内で安堵する。

「何を安心なさっているのですか」

 看破されていた。幼少期よりリィンをそばで見続けていたエリゼは、兄の心の動きに人一倍敏感である。

「最後にお会いしてから二か月半です」

「そうだな」

「以前学院の屋上で言って下さいましたよね。今後は時間を作って私の顔を見に来ると」

「……言ったな」

「そっちが遊びに来てくれてもいいんだ、とも」

 ようやくエリゼの不満を理解した。

 怒っているのだ、言葉通り自分が会いに行かなかったことを。

「……そ、それはだな」 

 “学業や実習で忙しかった”は通用しない。“まだ二か月しか経っていない”も地雷だ。

 納得をしてもらえる理由はないだろうか。正当性があって、事実に基づき、仕方がないと思ってもらえるだけの理由が。

 “帝国解放戦線を壊滅させるのに忙しかった”はどうだろう。

 それもダメだ。学生の本分からかけ離れ過ぎている。語弊のある内容で実家に報告されようものなら、両親が教官室に馬で乗り込んでくるレベルだ。

「悪かった。俺の時間作りが下手なせいだ」

 ありのままを語るしかなかった。

 忙しさにかまけていた訳でもないが、連日のカリキュラムに飛び込んでくる依頼の数々、十月下旬にある学院祭でのステージ打ち合わせ、気が付けば特別実習と、多忙極まる日々である。

 それでもエリゼに手紙を書く時間は捻出したが、会いに行くとなると互いの時間調整諸々の事情で、簡単ではなかったのだ。

「いいんです。兄様の日々のお忙しさは分かっているつもりですから。なので今日こうして訪ねてきたのです」

 ようやく口調から険が取れたエリゼ。

 落ち着いたところでリィンもいくつかの疑問を口にする。

「来るんならどうして手紙で知らせてくれなかったんだ?」

「手紙より直接伺った方が早いからです」

 聖アストライア女学院があるサンクト地区からは、導力トラムの乗継ぎ次第では一時間程度でトリスタまで来れる。 

「というか今日は平日だぞ。女学院はどうしたんだ?」

「兄様、今日は祝日です。軍の在り方に倣う士官学院ではあまり関係ないのでしょうけど」

 リィンは失念していたが、世間的に今日は休日であった。夏至祭などの行事も含まれるが、帝国にも国が定めた祝日は存在する。

「でも今日、俺が午前中で授業終わるって知らなかっただろ。なんでこんなに早く来たんだ?」

「それは姫様にあんなことを言われたから……い、いえ個人的な事情です」

 なぜか彼女は口ごもった。

 エリゼは何の目的で来たのだろう。念押しと釘刺しを兼ねて、ただ自分に会いに来ただけなのだろうか。

 真意は分からないが、こうしてわざわざ訪ねて来てくれたのだ。兄として無下にできないことだけは確かだ。

「せっかくだからトリスタの町を案内しようか? 前はそんな時間もなかったからな」

「ほ、本当ですか?」

 ぱっとエリゼの顔が明るくなった。

「ああ、今日の午後は空いてるんだ。そこまで広くない町だから、すぐに見回れると思うが」

「兄様とお出かけ……いつ以来でしょう」

 年相応に表情を綻ばせるエリゼ。ようやく機嫌が直ったと、リィンは胸中で吐息を付いた。

 

「――というわけなんだ」

 一階ラウンジに再び集まった全員の前で、リィンは件の経緯をまとめ伝えた。

 そのとなりに控えるエリゼは、

「お久しぶりです。いつも兄がお世話になっております」

 いかにも貴族子女らしい洗練された所作で一礼してみせる。

「リィンの妹さん、来てたんだ」

「シャロンも先に言いなさいよね」

「まあ、これは心外ですわ」

「ふふ、やはり慕われているのだな」

「ゆっくりしていくがいい」

 などそれぞれの感想をもらしながらも、場は歓迎のムードである。

「そういうことで、ちょっとトリスタを案内してくる。それじゃ行こうか、エリゼ」

「はい、兄様。それでは失礼いたします」

 もう一度ペコリと頭を下げたエリゼは、先に歩き出したリィンのあとを小走りで追う。

 何だかんだで仲睦まじい兄妹の後ろ姿だった。

 

 ●

 

 トリスタの町は帝都から近く、さらに学院生も多いことから活気がある。

 さりとて規模の大きい町ではない。こじんまりした街並みに、必要なものが一通りまとまっている――というのがエリゼの印象だった。

 だから町を見回るといっても、さほどの時間潰しにはならない。

 エリゼにとってはそれでも良かったのだが、傍目に見てもリィンは悩んでいる。どこを案内するか迷っているのだろう。 

 本屋、花屋、雑貨屋。前は通ったものの、あえて入る必要まではない。

 《ル・サージュ》にも連れて行ってくれたが、いかんせん本店が帝都にある。リィンもそれを思い出したらしく、店内には入らなかった。

 そして裏通りにある《ミヒュト》という質屋を紹介された。何かとⅦ組が世話になるお店のようで、ここにはちょっと興味があったのだが、リィンは店構えしか見せてくれなかった。

 店主が不愛想だからという理由らしい。それこそ気にしないのだが。

 結局たどり着いた場所は喫茶《キルシェ》だった。

 テラスのテーブルに向かい合って座り、リィンはコーヒーを、エリゼは紅茶を口にしながら他愛ない会話を交わす。

「帝都に比べると小さな町だろ。あまり見るところがなくて、つまらなかったか?」

「そんなことありません。楽しいです」

 少し焦った様子で、首を横に振るエリゼ。

「それならよかった。言葉数が少ない気がしたからさ。やっぱり面白くないのかと思って」

「せっかく兄様とお出かけするのですから、どこに行こうとも退屈ではありません。ただ――」

 エリゼは辺りを見渡した。

「私の知らない場所、知らない人達の中で、兄様はどのように毎日を過ごしていたんだろうと、ふと思っただけです」

 リィンのことは誰よりも知っているつもりだった。ずっと同じ屋敷で育ってきたのだから。

 自分の知る兄を、自分の知らない人達が知っているというのは、どこか不思議な感覚だ。同時になぜか落ち着かない気持ちにもなる。

 Ⅶ組のメンバー。皆いい人たちばかりだ。リィンが心を許し、信頼しているのが分かる。

 それは素直に嬉しいと思う。 

 けれど、ほんのちょっとだけ寂しいと感じるのは、自分の元から離れていってしまうような気がするからだろうか。

 紅茶から立ち昇る白い湯気を、エリゼは吐息で揺らしてみた。 

「もうすっかり秋だな」

「ですね」

 中央広場の木の葉は色合いを変え、風が吹くたびにひらひらと散っている。

 残暑の日光もなりを潜め、過ごしやすい季節になっていた。

「年末は士官学院もお休みになるのですか?」

「そこはさすがにな。三日くらいらしいが」

「私はユミルに帰省するつもりですが、兄様はどうされますか?」

「うーん、まだどうなるかは……」

「兄様」

 物言いたげな視線を注ぐと、リィンはたじろいだ。

「わ、わかってる。顔は出すつもりだ」

「はい」

 納得し、うなずくエリゼ。とはいえリィンのことである。日が近くなって来たら、念押しの手紙は送らないといけないが。

 十二月の末。ほんの三か月先だ。その頃自分は何をしているのだろう。いや、今まで通りか。

 これまで通り、規則の厳しい寮に住まい、毎日机に向かってお勉強。空いた時間は学友たちと楽しい時間を過ごす。

 変わらない日常が続くだけだ。

「アルフィン殿下はお変わりないか?」

「えっ? ええ、姫様も相変わらずです」

 その名前を出されて、内心ドキリとする。今日、居ても立ってもいられずトリスタまで直行してきたのは、彼女が原因だ。

 姫様があんなことを言うから――

「どうした?」

「な、なんでもありませんけど?」

 声が上ずるエリゼ。訝しげにリィンがのぞき込んでくる。

「いや、やっぱり調子が悪いんじゃないのか? なんならシャロンさんに薬を用意してもらうぞ」

「本当に大丈夫ですから――」

 ワンっと会話を遮る元気のいい鳴き声。

 エリゼにとっての助け船は意外なところからやってきた。

 ぱたぱたと尻尾を振って、散歩用のリードを口にくわえたルビィが、いつの間にかテラスの端に座っていた。

 

 

「しまった、忘れてた。そういえば今日の散歩当番は俺だったな」

 これ見よがしに地面に置かれたリードを見て、リィンは思い出した。

「悪いな、ルビィ。わざわざ探しに来てくれたのか」

 ルビィの散歩は朝夕の一日二回。朝は基本的にシャロンが、夕はサラを含めたⅦ組全員でローテーションを組んで行っている。

「えーと、自由に外に出られるのなら散歩の意味あるんですか?」

「まあ、習慣みたいなものだ。俺達の気分転換にも丁度いいしな」

 散歩の仕方も人によって様々で、たとえばガイウスの場合は街道まで出て、風景画の下絵を描いて帰ってくるのだが、ルビィはその同行だ。時々モデルになっていたりもする。

 フィーの場合は家と家の隙間やら、妙に狭く通りにくい所をルートにしている。どこから登ったのか、以前は屋根の上を散歩していたこともある。

 リィンの場合はアノール川まで連れて行き、釣りの傍ら、川縁でルビィを話し相手にするといった具合だ。

 不遇なのはマキアスだ。散歩途中に高確率でルビィが逃げ出すので、彼の散歩は逃亡したルビィを捕まえるまでというエンドレスルートになるのが定番だ。

 大体は彼がヘトヘトになりながら町中を探し回っている間に、先にルビィは寮に帰っているのだが。

「せっかくだし散歩がてら町を一週してから帰るか。エリゼは時間まだ大丈夫か?」

「はい、時間なら今日はありますので」 

 改めてリードを手にし、リィンはルビィを連れて歩き出した。

 

 エリゼと一緒に通った道を、今度は逆に回りながら、二人と一匹は第三学生寮への帰路に着く。 

 道すがら、リィンはルビィを預かった経緯と、三人の飼い主候補の中に自分がいることをエリゼに伝えた。

「ユミル……ですか。お父様にお願いするのですか?」

「ああ、まあ、そうなるな」

「乗り気ではないようですね」

「そうだな。時期によって豪雪地帯になるし、それよりうちにはもうバドがいるし」

 バド、というのはシュバルツァー家の猟犬である。

「それだけですか?」

 エリゼは含みのある横目をリィンに向けた。

「親子に無用な遠慮は必要ないかと思いますが」

「……そうだな」

 にわかに機嫌が悪くなりかけているエリゼを見て、リィンは汗の滲む額を拭う。

「すまない。父さんには手紙を送るつもりだ」

「もう、兄様」

 ぷいと反対方向を向いてしまう。エリゼの機嫌は山の天気のようだ。他の人にはそんなこともないのに。

 なんとか妹をなだめようと、あれこれと話題を変える内、いつの間にか第三学生寮に到着である。

 扉前でいったん足を止め、リィンはドアノブに手をかけた。

「これで機嫌を直してくれるといいんだが」

 寮の扉をゆっくり開く。

 エリゼはラウンジの光景に「わあ……」と思わず声をもらした。

 中央の長テーブルには、おしゃれなテーブルクロス。

 上品な花々で飾り立てられた卓上には、たくさんの大皿やグラス。その周りでは忙しなく動き回っているⅦ組の姿があった。

「ねえシャロン。このお皿どこに置いたらいいの?」

「それは右手側のスペースに。どうぞお割りにならないように」

「割らないわよ!」

 口を尖らせるアリサの横で、フィーがフォークとナイフを皿の両横に設置していく。

「こんな感じ?」

「フィーちゃん、フォークとナイフの位置が反対ですよ」

 それを端からエマが全部並び替えていた。

「刺突に使うなら、フォークが利き手側の方が合理的」

「フィーちゃん?」

「……ごめんなさい」

 ラウラもテーブルセッティングに追われながら、厨房を口惜し気に眺めていた。

「なぜ私達が料理に関われないのだ」

「だよねー、ボクだってこれでも調理部なんだけどなー」

 ミリアムが呑気な口調で同意する。

 厨房でエプロンをつけているのは男子陣である。彼らの働きぶりは見事なものだった。

「マキアス、サモーナのソテーはどうだよ?」

「あと三十五秒で焼き上がります。エリオット、レモンソースは出来ているか?」

「いい具合だよ。ユーシス、お肉の焼き上がりと合わせられるかな?」

「問題ない。ガイウスはポテトサラダの盛り付けを頼むぞ」

「任せてもらおう。すでにイメージはできている」

 自分の持ち場をこなしながらも、他のメンバーとの連携も欠かさない。料理の実力も中々のもので、この場の総監督であるシャロンもご満悦の様子だ。

 彼らは役割分担を決める時『リィンの妹に煉獄は見せられない』と鬼気迫る勢いで厨房を占拠した。

 もちろん女子勢からは不満やら疑問やらの声が上がったわけだが、そんなことは些細なことなのだ。命に勝る大事はない。

「兄様、これは……?」

「シャロンさんが提案してくれたんだ。せっかくエリゼが来てくれたんだし、皆で歓迎会を兼ねた食事をしようって」

「私の為に?」

「今日は時間があるんだろう?」

 戸惑うエリゼの席に座らせると、リィンも手伝いに加わった。

 もちろん厨房に直行である。

 

 ●

 

 エリゼを含めての食事会。総勢十四名が賑やかに食卓を囲んでいた。

「おいしいです!」

 サモーナの切り身を一口食べるなり、エリゼは驚いた声を上げた。

「す、すみません。私ったらはしたない真似を」

「気に入ってくれて良かった。その魚料理は僕が作ったんだ。遠慮なく食べてくれ」

 上々の反応にマキアスは満足しているようだ。

 負けじと男子達は自分の自信作を勧め出した。

「その肉は俺が焼いたのだ。最後にワインで味を整えている」

「横のレモンソースは僕の特製だよ。少しこしょうを振るのが隠し味なんだ」

「添えつけのポテトサラダは風になびくノルドの大地をイメージしていてな」

「いや、それはわかんねえだろ……」

 一方の女子達は、

「ねえ、リィンって子供の頃どんな感じだったの?」

「それは興味があるな」

「フィーちゃんと同い年なんですか。仲良くしてあげて下さいね」

「委員長、恥ずかしいからやめて」

「あはは、委員長お母さんみたいだねー」

 などと、わいわい楽しげな様子だ。

 止まらない質問に、エリゼもたじたじである。リィンは楽しそうに笑った。

「楽しめているか? 遠慮なく食べてくれよ」

「え、ええ、ありがとうございます」

 こんなに大勢で食事など、実家でもまずないのだろう。最初は緊張しているようだったが、次第にエリゼも場に慣れてきたらしく、

「こほん、兄様。そちらのサラダがおいしそうなのですが」

「ああ、たくさん取ってやるから好きなだけ食べるんだぞ。ガイウス、そっちのサラダをノルド盛りで頼む」

「ほう。挑戦者が現れたか」

「ノ、ノルド盛り……?」

 あっという間に和やかな時間は過ぎていく。

 

 

 シャロンが作った手製のデザートと、マキアスの用意したコーヒーを最後に、ささやかな歓迎会は終了した。

「こんなに大勢での楽しい食事はずいぶん久しぶりでした。私の為に皆様、本当にありがとうございます」

 深々と頭を下げるエリゼ。

「俺からも礼を言わせて欲しい。みんなありがとう」

 リィンも同様に言う。 

 時刻は十九時を回ったところである。エリゼの帰る時間を考慮して、かなり早めの夕食にしたのだが、それでも頃合いだ。日は傾き、すでに空はあかね色である。

「そういえばエリゼは女子寮だったな。門限は大丈夫か?」

「え?」

「そろそろ駅まで行くか? 何なら帝都まで送ってもいいぞ」

「……え?」

 エリゼはきょとんとしてリィンを見返した。シャロンは皿を片付ける手を止めて言う。

「エリゼ様は今日こちらに泊まっていかれるのですわ」

 一瞬の静寂に続いて、沸き立つ戸惑いの声。

「そ、そうなのか、エリゼ」

「はい、明日も女学院はお休みですので。ご提案下さったのはシャロンさんなのですが。もしかしてまだ聞いておられなかったのですか?」

 皆の視線がシャロンに集中する。

 シャロンはあからさまに困った顔をしてみせた。

「これは私としたことが……皆様に、それもよりにもよってリィン様にお伝えしそびれるなど。猛省しておりますわ」

 わざとだ。全員が確信を持った。

「時間があるっていうのはそういうことだったのか。空き部屋はあるがベッドは余ってないと思うぞ。どこで休むんだ?」

「うふっ、ふふふ」

 リィンの疑問に笑い声をもらしたのはシャロンだ。

 何か企んでいる。これも全員が同時に思った。

「外来のお客様ならいざ知らず、エリゼ様はリィン様の妹君ではありませんか。兄妹水入らず、今宵は同じ部屋でゆるりとお過ごしになられるのが宜しいかと」

 ぴしりと固まったリィン。彼は当然として、アリサやラウラも硬直している。

 エリゼは席から立ち上がって言う。

「成り行きでそうなってしまいまして、今宵はこちらにお邪魔させて頂くことになりました」

 すまし顔のエリゼの視線が、何気なく女子達に――いや、女の勘というべきか、アリサとラウラに向けられる。

「色々とお話もしたかったんです。引き続きよろしくお願いします」

 エリゼはあくまでも穏やかに微笑んだ。

 その笑顔に込められた何かを感じ取ったのか、アリサとラウラも笑みを返す。

 異様な空気がラウンジに立ち込み始め、意せず渦中の人となったリィンは、わけも分からずたじろいだ。

「な、なんなんだ?」

 うすら寒いものが背を撫でる。

 明日の一日も長くなりそうな予感がしていた。

 

 

 

 ~Intermission 後編に続く~

 

 

 




前編をお付き合い頂きありがとうございます。Intermission回ですが、前後編に分けさせて頂きました。

色々『閃Ⅱ』も情報公開されてきましたね。発売日が9月25日でしたか。本編前作ではルーレ実習日。カレイジャスで空飛んだ日ですね。

というわけでまだエリゼは帰りません。彼女の行動が何をもたらすのか、9月最後のトラブル、そして10月へ続く接続回として、お楽しみ頂ければ何よりです。

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