虹の軌跡   作:テッチー

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ガールズクッキングⅡ(前編)

 十月初旬。天気は快晴、気候は温暖。日差しは暖かく、日かげは涼しく、秋らしく過ごしやすい一日だった。

 そんな初秋の放課後。校舎内に爆発音が響き渡る。

 音源は本校舎二階、調理室からだった。

「こ、こんなことが……」

 よろめき、壁に背をつくラウラ。

 彼女の友人達――モニカは災害に見舞われたがごとく、頭をかばって机の下に避難し、ポーラは絶望に打ちひしがれたように、床に手をついてポニーテールを力なく垂らし、ブリジットは眼前の惨状がすぐに理解できず、頬を笑みの形にしたまま硬直している。

「……説明してもらおうかしら。何をしたの?」

 のろのろとポーラは顔を持ち上げた。応じるラウラは「それがだな」と神妙な面持ちで口を開く。

「卵焼きを作ろうとしたのだ。それでオーブンレンジに入れてみたのだが、この有様だ」

 レンジの扉は『キィ……キィ……』と空虚な音を立てて、窓から吹き抜ける風に揺られるまま開いたり閉まったりを繰り返している。

 その周囲には飛散した白やら黄色やら、かつて卵と呼ばれていたものの残骸があちらこちらにへばりついていた。

「多分、ラップをつけなかったのが悪かったのだろう。やはり料理のひと手間は大事なのだな」

「ひと手間の意味が間違ってるわ……」

 ふむう、と腕を組んでみせたラウラを見て、他の三人は言い知れない不安を感じた。

 

 事の発端は、九月下旬にさかのぼる。

 その日ラウラは、誘ったリィンとついてきたユーシスと三人で、ヘイムダルまで剣の修理に出掛けていた。

 そこで案の定トラブルに見舞われ、地下水道内で猫探しをすることになったのだが、その最中、水路に落ちそうになったラウラをリィンが庇ったのである。

 そこでモニカ達の提案もあり、リィンにお礼と言う形で手作りの弁当を渡すことになった――まではよかったが。

 弁当を作り始めて二十分。事態は想像以上に深刻だった。

「ど、どうしよう。思ってたよりすごいかも」

「乗り掛かった船……というか、私達がラウラを船に乗せたみたいなものだし、何とかするしかないわ」

「あせらずに一つ一つ作り上げていきましょう」

 料理初心者というラウラの為にバックアップを申し出た三人だったが、自分達のキャパシティを遥かに超える窮状に、早くも焦燥の色が浮かんでいた。

 折れそうな心を奮い立たせ、彼女らはラウラに向き直った。

 

 

「まずはお弁当の定番、おにぎりから作りましょう。今回はシンプルに塩にぎりね」

 簡単なものから完成させていく作戦である。先手はブリジットが務めた。

「手の平を軽く水で濡らしてから、少し塩をつけて」

「ふむ」

 言われるがまま、ラウラは準備する。

「次に温かいご飯を手に取って」

「こうか?」

「そう、それで手の中で転がしながら、三、四回優しく握るの。中心部にはあまり力を入れないようにして外側を固めるのがコツね」

 ブリジットはお手本を兼ねて、ラウラの前で手際よく三角のおにぎりを作って見せた。

「よ、よし」

 緊張しながらもそれに続くラウラ。

 お手本の通り握ってみるも、うまく三角にはならない。丸型の握り飯が手中で形取られていく。

「形を整えられない。案外と難しいものだ」

「丸くても問題ないわ。料理は気持ちよ。食べてもらう人のことを考えて握ってみて?」

「わかった」

 目を閉じる。ラウラは食べてもらう相手――リィンのことを頭に思い浮かべながら、米をもう一度握り直した。

「………」

「どうかしら」

「うん……お人好しで、他人の為に迷いなく動ける男だ。同じ剣の道を歩む者として、思う所も多い――」 

 米を握る手つきが、心なしか優しくなった。

「あと、誰にでも気兼ねなく話せるところも長所だろうな。ただ誰彼かまわず女子生徒に声をかけるのは正直どうかと思う――」

 ぴくりとラウラのこめかみがひくついた。

 米を握る手に力が入る。

「あ、あの。ラウラ?」

「そもそもあの男は恥ずかしげもなく、突飛で不用意な発言をすることが多いのだ。こっちは赤面ものだというのに言った本人は自覚がない。だから、それがっ、余計に!」

 ふるふると震えていた両手は、次第にわなわなとその勢いを変えていった。おにぎりに圧力が加わる。

「ちょっと落ち着いて。ええ、少し目を開けましょう」

 なだめるブリジットの声は届かず、おにぎりはぎりぎりと、ぎゅうぎゅうと、最終的にはギギギギ!と、まるでプレス機にかけられているような音を立て始めた。

 見かねたポーラとモニカも加勢して、三人がかりでおにぎりの救出にかかる。

 我に返ったラウラがおにぎりを解放した時、手の平一杯にあったはずのそれは、小さなビー玉くらいの大きさに圧縮されていた。

「しまった。つい気持ちを入れ過ぎてしまった」

「い、いいのよ」

 おにぎり(になりそこねたもの)が焦ったラウラの手から落ちる。床に到達するや『カコーン』という音を響かせた。『ぺしゃっ』などでなく。明らかに硬度のある物体から生み出される音だった。

「これはなんなの……」 

 謎の実験で偶発的に生まれた得体のしれない物質にでも触れるように、ブリジットはおそるおそる慎重にそれをつまみ上げる。

 常軌を逸する硬さだった。

 到底人が口にしていい硬度ではないし、強靭な顎を持つ魔獣とて容易にはかみ砕けない。逆に口腔内の歯が片っ端から破砕されること請け合いだ。

 まさに白き凶弾。銃に詰めて撃ち出したら相当の破壊力だろう。

 ハートに届く『愛情おにぎり』はハートを貫く『銃弾おにぎり』へと変わった。

 一つの攻撃料理の完成である。

「何回でも作るの。イメージを変えればうまくいくと思うわ」

 しかしブリジットはあきらめなかった。根気強く、ラウラが優しいイメージを抱くような言葉を探す。

「クマさんのぬいぐるみ」

「熊か。いつかは素手で倒すべきだ」

「綺麗な星空」

「ふふ、思い出すな。父上に夜襲をかけたあの日のこと」

「みっしぃ!」

「なんだか戦闘意欲が湧いてきた……」

 ダメだった。ただ弾丸おにぎりが量産されていくのみだ。

 全てを出し尽くしたブリジットが最後に言ったのは、およそ彼女らしくない武闘派な言葉だった。

「もう無の境地でいきましょう……」

「? 了解した」

 いきましょうと言われて至れる境地ではないが、雑念を捨ててラウラは呼吸を静めた。

 泉の静寂が調理室を支配していく。

 息を吐き切り、全身を脱力させ、丹田以外の力を解いた。

 思考が鈍くなる。意識と無意識の境界が定まらなくなる。今ここに立つ目的さえも、朧霞の中に溶けていく。

「………」

 空間という概念さえも虚ろになり、上下左右の感覚が薄れていった。

 不意にラウラの手が動く。

 思考によって動かしているのではない。ただそうすべきだと、何かが告げていた。生まれながらの本能か、連綿と紡がれてきた遺伝子か、あるいは生物としての原初の記憶か。

 人知の枠に収まらない、何かが言った気がした。

 

 ――なにゆえ米を握るのか。

 

 ラウラは心の内に答えた。

 

 ――そこに米があるからだ。

 

 神秘の声は告げる。

 

 ――ならば、握るがよい。

 

「是非もない」

 自分の声で意識が戻る

 重ねていた両の手を開くと、そこには美しく均整が取れ、純白に輝く三角おむすびが気高く鎮座していた。

 ブリジットの頬を一滴の涙が伝う。

「おにぎり……できた。ぐすっ……できたわーっ!」

 歓喜の声が廊下にまで響いた。

 

 

「次はサラダだよ。よろしくね」

「こちらこそだ」

 おにぎりを制し、続くはサラダ。担当はモニカである。

「お野菜が入ってるとね。栄養面だけじゃなく見た目の色合いも良くなるの」

「なるほど。脇役と思いきや、意外に重要なのだな」

 しきりに感心するラウラの前にまな板と包丁、レタスとトマトをモニカは用意した。

「シンプルなサラダだけどおいしいよ。これでリィン君の胃袋をがっちりホールドしちゃうんだから」

「それは……凶悪な技だな」

「物理的にじゃないからね、一応」

 まな板の前に立ち、レタスをセット。ラウラは包丁を構えた。

「あ、違うよ。包丁を使うのはトマトで、レタスは手で――」

「はあっ!」

 モニカが言い終わらない内に、包丁がレタスのてっぺんからまな板まで到達する。ズダンと音を立ててレタスは一刀の下に両断された。

 刃筋の立て方は一級品。鋭すぎる断面をあらわにしながら、レタスは中心からまっ二つである。

 どことなく自信気なラウラは、まな板に食い込んだ包丁を引き抜いた。

「これは得意分野だ」

「あ、あのね、レタスは素手で下ごしらえするの。指で芯を取って葉をちぎるのが基本なんだよ」

「なんと、そうだったのか」

「でも大丈夫だから。食べやすい大きさにちぎって先に冷水にひたしておくね。その間にトマトを切ろっか」

 レタスの仕込みを済ますと、モニカは用意してあった材料の中から形のいいトマトをいくつか持ってきた。

「この大きさだと八等分くらいかな。切り方分かる?」 

「見くびらないで欲しい。これでも剣の扱いは幼少から学んできた」

「そ、そう? 包丁と剣は違うと思うけど……」 

 不安を隠せないモニカだが、ひとまずはラウラに任せることにした。

「はっ!」

 振り下ろされる一刀。飛び散る果肉と果汁。返り血よろしくラウラのエプロンが赤に染まった。

「む、刃筋がずれたようだ。少し緊張していたらしい」

 続けざまに別のトマトにもう一振り。結果は先と同じく、血しぶきならぬトマトしぶきが舞った。

「……調子が悪いのだろうか」

 さらに一振り。

 絶えず真っ赤な鮮血が弾け飛ぶその光景を、ポーラとブリジットは背後から息を呑んで見守っていた。

 四つ目のトマトを処刑したところで、ラウラの動きが止まった。やはりどうもおかしいと悟ったようだ。

 照れ笑いを浮かべて、三人に向き直る。

「恥ずかしながら、どうも手順が違うようだ」

 困ったようにはにかむ笑みは、普段のギャップと相まって同性のモニカ達から見ても魅力的だった。

 しかし密やかに笑んだ口許からは、付着したトマトの汁が滴っている。エプロンにべったりと張り付いていた果肉は、ずるりと嫌な感じで滑り落ちている。

 赤く染まった包丁の先端からは同色の液体が染み出すように流れ、ポタッポタッと床に真紅の池だまりを作っている。

 もうどの角度からラウラを視界に入れても、そういった猟奇的なアレコレにしか見えない。万一このタイミングで、調理部顧問でもあるメアリー教官がやってこようものなら、まず確実に卒倒するだろう。

「あ、ははっ、は……うん、初めてだもん……仕方ないよね。ねえ、二人とも?」

 引きつった笑顔を浮かべて、モニカはポーラ達に同意の目を向ける。察した二人も、こくこくと無言で首を縦に振った。

「そ、それじゃラウラ。気を取り直して続きね。トマトは子室に種子が入ってるから、そこを外して切らないといけないの。その為にはトマトの中心から出てる白い線から逸れたところに包丁を当てて――」

 それから十数分あまりの格闘の末、四苦八苦しながらもラウラはトマトの切り分けに成功するのだった。

「最後にさっきのレタスとトマトをボウルにまとめて、ドレッシングで和えていくね」

 レタスの水を切り、ボウルに移し替えて、そこに切り分けたトマトを投入する。

 そこでモニカは異変に気付いた。レタスに触れたトマトがズパッと軽快な音を立てて、さらに二つに切れたのだ。

 見間違いかと思ってもう一度。しかし結果は同じ『ズパッ』であった。

 慎重にレタスの葉を一枚手に取ってみる。

「な、なにこれ!?」

 愕然とした。葉の先が、まるで刃物のようにぎらついている。

 なぜこんなことが。考えて、すぐに思い至った。

 ラウラがレタスを包丁で両断した際、あまりに鋭利な切り口だった為、断面がこんなにも攻撃的になったのだ。

 いやそれだけではない。刃にまとった闘気が斬撃と共にレタスに伝わり、おそらく空前絶後の戦闘系ベジタブルと化してしまったのだろう。

 モニカはそのレタスの切れ端を、余っていたトマトに何気なく振るってみた。

 横並びに置いてあった三つのトマトを、緑色の一閃が擦過する。トマトは切られたことにさえ気付かなかったようで、少しの間の後、思い出したようにぶしゃーと赤い果肉をぶちまけた。

「へ……ええ!?」

 凶暴なまでのみずみずしさ。異常な切れ味を有したレタスの葉は、すでに鉄扇と化している。

 こんなサラダを口に入れたら、どんな惨劇が身に起こるかは想像に難くない。ドレッシングがことごとく鉄の味に変わってしまう。口の赤色がトマトかどうか分からなくなってしまう。心ときめく『ドキドキサラダ』どころか、鮮血滴る『ドクドクサラダ』になってしまう。

 戦慄にぶるると身を震わせたモニカは、一言だけ、しかし断固たる口調で告げた。

「つ、作り直し!」

「むう、料理とはむずかしい……」

 ぼやきながらラウラは二個目のレタスの葉をちぎる。モニカの見守りという名の監視の下、ややあってサラダは完成した。

 

 

 次はメインの肉である。担当教官はポーラだ。

「いよいよメインよ。作るのはとんかつ。男子なら確実に好きなおかずね」

「ほう、そうなのか」

「ただ、火も使うし油も使うわ。作業工程も先の二品に比べて多いから気を抜かないでね。私は甘やかさないわよ?」

「望むところだ」

 憔悴したモニカとブリジットが後ろでぐったりと座り込む中、とんかつ作りは開始された。

「最初は肉の下ごしらえから。脂身と赤身の間に包丁を入れて筋切りね」

「こうだな」

 まずは順調である。

「そうよ。それで次に肉を叩くの」

「シッ!」

 繰り出されるワン・ツー。小気味いい音と共に、殴打された肉が跳ね上がった。

「……何をしているの」

「いや、そなたが叩けと言うから」

「たたきで叩くのよ」

「叩きに叩くのか?」

「どれだけ叩きたいのよ、あなたは。……まあいいわ、偶然にも力加減はよかったみたいだし。ちょっと肉が拳の形にへこんでるけど」

 続いて肉の両面に軽く塩コショウ。三つのバットにそれぞれ小麦粉とパン粉、解きほぐした卵を用意。

 ここまでは目立つトラブルもなくスムーズだった。衣付けも問題なかった。

「いよいよ揚げていくわよ」

「よし」

 厚みのあるフライパンの中にはすでに油が用意され、温度も一七〇度程と丁度いい。

「さあ、ラウラ」

「わかっている」

 衣のついたロース肉を摘み、そっとフライパンに近付けた。まだ何も入ってないのに細かな油が跳ねている。ラウラの額に汗が滲んだ。

 意を決し、投下。フライパンの淵を伝うように、肉は油の中に滑り込んでいく。油が盛大に弾けた。

 斬撃を避けるほどの俊敏な体捌きで、ラウラはその場から飛び退いた。

「ふう、これで――」

「まだよ」

 安堵する間もなくポーラは告げた。

「三分後には肉を裏返さなければいけないの。もちろんトングを使うけど、あなたはまたフライパンの前に立つのよ。あの猛り狂うフライパンの前にね」

「……!」

「あと二分」

 ポーラはトングを二本差し出した。片方は長いトング、もう片方は短いトングだった。

「どちらかのトングを選びなさい」

「どういう意味だ?」

「長いトングは安全地帯からとんかつをひっくり返すことができるわ。ただ長い分扱いにくいから、それなりに時間はかかるでしょうね。逆に短いトングは危険地帯に踏み入る必要があるけど、代わりに迅速かつ的確な作業ができるわ」

 ここまで黙って聞いていたモニカだったが、さすがに焦って声を荒げた。

「ポーラ! あなた何を――」

「待って、モニカ」

 それを横からブリジットが制する。何か意図があると察したのだ。

「あと一分よ」

 安全を考えれば長いトングを選べばいい。しかしまごついていると肉は焦げ付く。だがポーラが提示した選択の真意はそこにはなかった。

 そのとんかつを食べるのはラウラではなくリィンだ。つまり我が身を案じて肉を焦がすか、危険を承知でリィンの為に前に出るか、である。

 今回の弁当は地下水道でラウラと猫を救う為に、危険を省みず動いたリィンへのお礼だ。

 料理は気持ち、とはブリジットの弁だが、もしラウラが我が身可愛さで長いトングを選ぶことがあれば、その時は――

 心情を面には出さず、祈るような心地でポーラはラウラの答えを待つ。

 その手が長いトングに伸びた。

「っ!」

 が、途中でぴたりと止まり、手は反対側の短いトングを力強く掴む。

「ラウラ、あなた……」

「そなたに感謝しよう。もはや迷いはない」

 淀みなく歩を進め、フライパンの前に立つ。依然として容赦なく油は跳ねていた。

 猛る炎、爆ぜる油。

 死地に赴く友人の背に、ポーラは叫んだ。

「炎を怖れないで! 油を恐れないで! 前にも言ったわ、剣とトングは同じよ」

 鼓舞とも嘆願とも聞こえる声音で続ける。

「炎の踊る様を見据えなさい。荒ぶ油の軌道を見極めなさい。流れを読んで先手を打つ、その先を読んで後手を取る。あなたが修練を重ねてきた技術だわ。その全てを今ここで発揮するのよ!」

 モニカとブリジットの声援にも熱が入る。

「負けないで!」

「あなたならやれるわ!」

 友人達の声に背中を押され、ラウラはトングを強く握る。

「はあああっ!」

 烈火の気迫。流水の体捌き。稲妻の踏み込み。疾風の突き下ろし。

 一分の狂いなく、トングが肉を挟んだ。すかさず手首を半回転させ、肉を裏返す。

 焦げ付きはなく、衣は理想的なきつね色だった。

 

 とんかつは完成した。今は油切りをして、冷ましている最中だ。

 妙なことが一つあった。完成して三十分は経ったというのに、まったく冷めないのである。

 余熱ではない。まるでとんかつ自体が熱を発しているような不可思議な現象だった。

 さすがのポーラも訝しげに眉をひそめた。

「……何これ。どうなってるの?」

 試しにフォークでとんかつをプスリと刺してみる。

 衣を貫通し、肉に到達したフォークの先端から『ジュッ!』と音がした。

「え?」

 ゆっくりとフォークを引き抜く。そこに本来あるべき三又は熱に溶け消え、フォークの先端は雨だれを途中で固めたような異様な形に変形していた。

 見た目は確かにとんかつだが、中身は完全に攻撃料理だ。

「な、なんでよ。肉系だし、もしかしてデンジャラス肉玉にでもなったのかしら?」

 今の高熱はそんな生易しいレベルではなかった。命を枯らす熱。生命の否定。死神の大鎌そのものだった。

 これは危険の名を冠するデンジャラス肉玉を超えている。生きとし生けるもの全てを根絶やす殺戮だ。ジェノサイド肉玉だ。

 しかし作業工程におかしなところはなかったはずだ。レシピ通りに作ってなぜこんなことが起きる。

 作り方に問題など――

「……あった」

 一つだけあった。

 思い当たるのは、ロース肉にかましたあのワン・ツーだ。

 突拍子もないことだったが、直感的にポーラは思った。

 悪びれなく放ったあの打撃が、この肉の怒りを煽ったのではないか。この吹き荒れるマグマのような熱は、肉が身の内に抱える憤怒から湧き出ているものではないのか。

 いや、そもそも攻撃料理はなぜ生まれるのか。先の弾丸おにぎり然り、ドクドクサラダ然りだ。

 元はただの食材、どう調理しようとも、殺傷能力など付加されるわけがないのに。

 なのに、なぜだ。なぜこれらは、これほどまでに禍々しい。

「もしかして……!」

 深淵の命題に、ポーラは一つの解を出した。

 それは“食材達の悔恨”。

 食材として用意されながら粗雑に扱われ、あるべき料理へと姿を変えることのできなかった、その無念。その悲壮。

 やり場のない憤懣。ぶつけようのない怒り。渦を巻く怨念が食材にまとわりつき、負の力を増大させている。

 その最果てにあるものが、凝集された怒りをその身に宿す攻撃料理だったのだ。

「この失敗した料理は処分するしかないかな」

「うーん、そうねえ」

「少々もったいない気もするが」

 そんな会話がポーラの耳に届く。彼女は焦った。

「だめ。捨てちゃだめよ! 弁当箱余ってるでしょ。それに詰め直して、今すぐ!」

「でも食べられないよ、これ」

「あとで封印するわ。私達に怒りの矛先が向かないように」

「ふーいん? なに言ってるのポーラ」 

 異様な剣幕にたじろぎながらも、彼女らは攻撃料理達を弁当箱に詰める。一つでは収まりきらず、最終的に二つの弁当箱に分かれる形になった。

「もう一度とんかつを作り直すわ。いいわね?」

 ポーラ様の鋭い一声に、反論の余地はない。

 

 

 そこからさらに時間をかけて、今度こそ危なげなくとんかつ作りは成功した。

 ポーラがひどく緊張した面持ちで、とんかつを食べやすい大きさにカットしていたが、その理由は後ろの三人には分かるはずもない。

 包丁を入れるとサクッと小気味のよい音。ふわりとジューシーな匂いが、揺れる蒸気に乗って鼻の奥をくすぐる。

 ジェノサイド肉玉にはなっていないようだった。

 ポーラは心底安堵する。

「あとは弁当箱に移して終わりよ」

「任せてもらおう」

 ラウラは見栄えよく、おにぎり、サラダ、とんかつを弁当箱に敷き詰めていく。この辺りのセンスは問題なかった。

 おかず二品では寂しいからと、ちょっとした添え物(ブリジットが作った)もそれなりに追加しているが、メインに関しては間違いなくラウラが作り上げたものだ。

 弁当箱のふたをして完成。ポーラ達から拍手が起こった。

「よ、よかった~」

「自分のことのように嬉しいわ」

「まったくもう。ひやひやしたわよ」

 笑いながらも三人の目には、うっすらと涙が滲んでいる。苦労のほどが窺えた。

「さっそくこれをリィンに……」

 天井を見上げて黙考し、何回か首をぶんぶんと左右に振ったあと、ラウラは三人に振り返った。

「……どう渡せばいいのだ?」

 想定外の事態にポーラ達は固まった。作った後のことは考えていなかったのである。

 普通に渡せば、などと言えばラウラのことだ。『黙ってついてくるがいい』とリィンを連行し、弁当を食べさせることには成功したとしても、その後『食後の運動に、鍛錬に付き合え』などと言い出す可能性が高い。

 それはいけない。非常によくない。

 ポーラ達の目論見の一つには、彼女の女性らしさをリィンにそれとなくアピールすることも含まれている。もちろん本人は知りもしないが。

 しおらしく『卵焼きに愛情を注いだのだ』などと頬を赤く染めて言って欲しいくらいである。間違っても『卵をオーブンに入れて爆散させたのだ』などと言ってはならないのだ。

 ラウラに聞こえないよう、ポーラは両隣の二人にぼそりとつぶやく。

「わかってるわね」

「うん、任せて」

「まだやれるわ」

 時刻は一七時を回ったところ。

 放課後から作り出した上に、何回か作り直しをしたので妥当な時間ではあるが、あまり遅くなると自然なタイミングで弁当を渡すことが難しくなる。

 迅速に動かねばならない。ポーラが鋭い声を飛ばした。

「ラウラ、急いで用意して。リィン君を探しに行くわよ」

「い、今すぐか」

「今すぐよ。片付けはあとで私達がやるから」

 ブリジットとモニカが慌ただしく『お弁当はもう中に入れておいたから!』と叫ぶ。手さげ袋を渡されるが早いか、ラウラは調理室から廊下に押し出された。

 モニカが言った。

「ラウラは先にアノール川の橋の上で待ってて。私達がそこにリィン君を誘導するわ」

「それなら私も一緒にリィンを探した方がよかろう。通信で所在を聞けば――」

『それはダメ!』

 《ARCUS》を取り出しかけたラウラを、三人が異口同音に制した。そこに「シチュエーションが大事なの!」と、ブリジットが言葉をつなげる。

「しちゅ……?」

「とにかく早く行きなさい。大至急よ!」

「う、うむ」

 最後はポーラに背中を押され、ラウラは町へと向かった。

 彼女を見送った三人は、互いに顔を見合わせる。無言でうなずいた後、一斉に走り出した。

 彼女達の奮闘も、まだ終わらない。

 

 

 ~後編に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆おまけ☆

 

 ラウラ達が弁当を作り終えておよそ半時間。

 調理部部長、ニコラスは二階の廊下を歩いていた。

 細い目じりをやや垂らした優しげな面立ち。これと言って良いことがあったわけではない。この表情が彼の基本なのだ。

 温和なのは顔つきだけではなく、その性格もだった。

 マルガリータとミリアムというトラブルメーカーを擁する調理部。アクシデントが絶えない部活を率いる彼だが、およそ声を荒げたことはない。ただ寛容に笑い、事の次第をあまねく受容する、懐の深い人物である。

「そろそろ終わったころかな」

 ニコラスは調理室に向かっていた。

 今日の放課後に調理室を使いたいと、一年の女子達が申し出てきたのだ。部活の活動日ではなかったし、彼はそれを快諾した。

 時刻は一七時半。

 調理が終了しているのなら施錠の必要もある為、ニコラスは彼女達の様子を見に来たというわけである。

「失礼するよ」

 ノックし、調理室の扉を開く。人影はすでになく、室内の様子は散々たる有様だった。

 調理テーブルのあちらこちらに焦げ跡や切り傷がつき、オーブン周りには卵らしき物体が破裂した痕跡がある。床は凄惨な事故現場のように赤い液体がぶちまけられており、その近くのまな板には、半分以上刃が食い込んだ血塗れの包丁が怪しげな光を放っていた。

「ははは、これはすごいなあ」

 このように笑えるのが彼のすごいところだ。

「片付け途中みたいだし、みんなして席を外しているんだろうね。……おや?」

 テーブルの片隅に一つの弁当箱を見つけた。

「彼女達はお弁当を作っていたのかな。可愛らしい弁当箱だなあ」

 清楚な花がプリントされた、あでやかな容器。

 ニコラスは興味本位からそれを手に取った。それはポーラが言う所の“封印”されるべき、失敗した料理達の墓場。攻撃料理の詰め合わせ。決して人が触れてはならない魔の弁当だった。

「ちょっとだけ見せてもらってもいいよね」

 それは好奇心だった。料理を愛するがゆえの。

 ふたに手をかける。煉獄の扉が開いた。

 瞬間、ズンと腹に衝撃が響く。一発ではない。ズドドドド!と弾丸おにぎりが機関銃さながら彼の腹部に襲い掛かった。

「ぶぶぶぶ!?」

 続いてヒュンヒュンと空気を裂く鋭い音。ドクドクサラダが回転しながらニコラスの周囲を滞空する。鋭利なレタスが彼の制服をズタズタに切り刻んだ。

「あああっ!」

 もだえ、床に四つん這いになったニコラスの背に、ジェノサイド肉玉が降り落ちる。体中の水分が全て消し飛ぶほどの超高熱が、彼の背中にとんかつ型の焼印を刻んだ。

「ふはあああ!」

 煉獄の名にふさわしい圧倒的な責め苦。

 過ぎた好奇心が身を滅ぼす、という言葉はあるが、これは滅ぼされすぎだろう。

 その力を使い果たし、攻撃料理達は沈黙。次々に床に落下した。

 同時、ニコラスの意識も闇の淵へと落ちていった。

 

 

 静寂の調理室。

 ここに致命的な失態があった。それに気付く者は、残念ながら誰もいない。

 彼女達が作った弁当は三つである。

 一つは成功作の愛情弁当。残る二つが失敗作の煉獄弁当だ。しかしこの調理室には、今しがたニコラスを屠った煉獄弁当の一つしかなかったのだ。

 あの時、手提げカバンを渡されたラウラに――否、その場の全員にもう少しだけ余裕があれば、誰かが違和感に気付いていたかもしれない。

 なぜモニカとブリジットが二人同時に『弁当を袋に入れた』などと言ったのか。本来二つ残っているべき煉獄弁当が、なぜその時点で一つしかテーブルの上になかったのか。

 ラウラはもう橋の上に立っていた。

 弁当が二つ入った手提げカバンを、静かにその手に携えて。

 

 

 ☆☆☆

 

 




前編をお付き合い頂きありがとうございます。
ガールズクッキングⅡということでガールズ四人の奮闘劇です。無印ガールズクッキングは、完成した攻撃料理を男子達が食べるお話でしたが、今回は作ってる最中に焦点を当てています。
Ⅱの前編コンセプトの一つには、いかにして攻撃料理が作られるのか、というのも実はあったり。
無印クッキングで女子達がどんなえげつない調理をしていたか目に浮かびますね!
一応構想はあったので、食材調達から調理までがっつりガールズクッキングⅠの女子サイドを書いてみても面白いかもしれません。
乙女の領域の向こう側を! え、もうやめとけ? そうですか……

十月編一発目ということで、まだまだ彼女達はがんばります!
次回もお楽しみ頂ければ幸いです。
ご感想も随時お待ちしております。

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