虹の軌跡   作:テッチー

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スポットライトは誰が為に(後編)

 

 舞台セッティングは思いの外うまくいった。

 正面の教台といくつかの礼拝机は端に寄せ、劇を行う為のスペースを確保する。舞台の両脇には暗幕を設置し、簡易の舞台袖を作った。リィン達は基本的にここから登場する。

 子供達がやってくるまで後一時間といったところか。今は各々最終の台本確認や、衣装合わせをしている。

「お前の出番は劇中盤だな。子供たちは知っているのか?」

 礼拝堂の椅子の一つに腰掛け、台本をめくりながら、ユーシスはとなりに控えるロジーヌに言った。

「いいえ。秘密にしてあります」

「そうか。きっと驚くだろう」

「ふふ、どうでしょうね」

 彼女の役は“禁忌の森への案内人”となっているが、かつて禁忌の森に立ち入った恋人を亡くしているという、なくてもよさそうな重たい設定が付いていた。

「そういえば教区長とシスターがいないな? 挨拶くらいはしておきたいが」

「パウル教区長とシスター・オルネラはヘイムダルの礼拝堂までお出かけです。皆様には宜しくと言付かっています」

 エマが二人のそばに歩み寄って来る。意味ありげに笑みを湛えながら。

「お邪魔してすみません。ロジーヌさんもそろそろ衣装合わせに」

「はい。では失礼します、ユーシスさん」

「ああ、行ってくるがいい」

 二人の背中を見送り、ユーシスは再び台本に目を通す。

 馬としての出番自体は少ないが、場面転換の際の書割の変更や、物品の配置は全員で協力しなければならない。事前に考えておくことは多いのだ。

「ん……?」

 ふとユーシスは首を傾げた。今し方のエマの言葉が引っかかる。

 邪魔、とは何がだ?

 

 ●

 

 程なく子供達がやって来だして、堂内は喧騒に包まれた。やはりユーシスは懐かれているようで、見る間に全方位から子供達にしがみつかれている。

「お前達、いい加減に離れるがいい!」 

「はい、みんな。ユーシス先生は劇の準備がありますからね」

 一人一人を手際よく引き剥がすロジーヌの手並みは、相変わらず大したものだった。その隙にユーシスはそそくさと舞台袖へと避難する。

 少し離れた所で、その様子を面白くなさそうに眺めている少年が一人。

「ふん。劇やるって言うから見に来てやったけどさ。これでも普段から本は読んでるんだぜ。子供だましの内容じゃ納得しないからな」

 カイだった。彼の父親はケインズである。家がブックストアなので、本には不自由しないらしい。

 その両脇から鼻息の荒い彼をなだめているのが、遊び友達のルーディとティゼルだ。

「劇中は大人しくしなさいよ。あとユーシス先生に絡みにいっちゃダメだからね」

「そうだよ。もし今日そんな事したら、さすがのロジーヌさんもカイのこと嫌いになっちゃうよ」

 十字火線の釘刺しに、「そ、そんなことしねーよ」とカイは罰悪そうに目を逸らした。劇中はともかく、ユーシスには絡みに行く腹積もりだったようだ。

 その三人も順々に席に着き、年少も合わせておよそ二十名程の子供たちが劇を見に来ている。

 ロジーヌが席を割り振り、“トイレに行きたくなった時は手を上げる”や“舞台には上がらない”など、日曜学校ならではの諸注意を子供達に説明しているところだ。

 舞台袖から様子を伺っていたエマは、「たくさん来てますね」と小声で呟き、背後に控える役者達に振り返った。

 それぞれが専用の衣装に身を包み、準備は万端である。

 ちなみに登場人物の名前は、演じる人間の名前と同じになっている。これは名前を覚える時間を省略できるからという理由だ。

「ああ、気合いを入れよう」

 主人公のリィンはアクションもある為、薄手の胸当てや籠手の着用していて、騎士と言うには軽装だが中々様になっている。

「稽古の成果を見せる時だ」

 仲間である女騎士役のラウラも同系統の装備だが、リィンとの差別化を図る為、細部の装飾が異なっている。これも違和感はなく、彼女自身がしっくりきているようだ。

「うむ」

 王様役のガイウスは、ゴテゴテしたそれらしい赤マントに金の冠、ついでに口元にはヴァンダイク学院長のようなあごひげを付けている。元々の雰囲気とも相まって貫録は十分だった。

「ミギャーかな、やっぱりワギャーの方が……」

 魔獣役のミリアムは、尻尾をくっつけた毛皮のコートを羽織っていた。ちょっと小さめではあるが、遠目には立派に魔獣である。

「任せて」

 森の主のフィーは、シーツを柔らかく体に巻き、ふわふわとはためかせることで、シンプルながら人外の存在を思わせる格好だ。彼女の話口調も意外にマッチし、独特の空気感を出すことにも成功していた。

「ふう、やっぱり子供相手でも緊張するわね」

 お姫様役のアリサは白を基調としたドレスを身にまとっているが、難なく着こなす辺りはさすがである。髪の結いはストレートに下ろし、アクセントに赤いカチューシャを付けていて、どこぞの朴念仁でなければ、どぎまぎして演技に集中できないほどの艶やかな容貌だった。

 一方でマキアスとユーシスは後半からの登場なので、今は衣装を身に付けていない。

 またクロウはエキストラとして何度も登場するので、着替えの簡単なカジュアルなものを複数用意している。

 エリオットは反対側の舞台袖でバイオリンを手に、所定の位置に立っている。エマの視線に気付くと、彼は頭上に丸印を掲げてみせた。

 全員の準備が整っていることを確認したエマは、軽く咳払いをした後、舞台袖から歩み出た。彼女の立ち位置はステージ外の端である。

 可愛らしい歓声と拍手が湧いた。

 ざわめきが収まるのを待ってから、エマは自分専用に作ったナレーション用の台本を開き、静かな声を礼拝堂内に響かせた。

『昔あるところに、大きな王国がありました――』

 いよいよ第一幕の開演である。

 

 

『お城に住むアリサ姫はいつも退屈していました。お友達もおらず、話しかけてくるのはお付きの女中だけ。彼女はいつもお城の外を眺めていました。それはとある満月の夜のことです――』

 エリオットの奏でるバイオリンの音色の中、舞台中央まで歩いてきたアリサは、物憂げな表情で遠くを見つめた。

「ああ、どうしてお城から出られないのかしら。私は自由を感じてみたいの。自由に外に出て、買い物をして、友達を作って、恋をしてみたいわ」

 それから考え込む素振りを見せ、彼女は「そうだわ」と両の手を合わせた。

「城の者達には内緒でこっそりお城を抜け出してしまいましょう。朝日が昇るまでに帰ってくればいいわ」

 ドレスをひるがえし、アリサは早足でその場を去って行った。

『――お城の外に出ることを決めたアリサ姫は、二階のバルコニーにカーテンを括り付け、紐を伝うように中庭に降り立ちました。巡回の兵士の目から逃れる為、ドレスが汚れるのも構わず茂みに隠れ、うたた寝をする門番の隙をつき、城の外へと出ることに成功したのです』

「やっと外に出れた……。でも夜だし、面白そうなお店は閉まっているわよね。どこに行こうかしら……」

 右に左に歩き回り、アリサは思い出したようにある方角に目を向けた。

「そういえば、街の外のずっと向こうに森があるって聞いたことがあったような。確かお父様は禁忌の森だなんて呼んでいた気がするけど、なんで禁じられているのかしら?」

 思案顔を浮かべる。

「ちょっと見に行ってみましょう。歩いていくには遠いけど、がんばればきっと朝までには帰って来れるわ」

 軽快な足取りで舞台袖へと消えるアリサ。同時に照明が暗転する。

『――好奇心旺盛なアリサ姫は、こうして街の外に出てしまいます。しかし姫は次の日も、その次の日もお城に戻ってくることはありませんでした』

 

 場面は変わり王宮内。玉座に座るガイウスが肘掛けを荒く打ち据える。

「我が娘は! アリサはまだ見つからんのか!?」

 幸いなことに演技は好調だった。舞台上の全員がひそかに安堵する。

「ガイウス王。町の者からアリサ姫らしき女性を見たという情報を入手しました」

 衣装を変え、親衛隊風の騎士を装ったクロウがやってきて、慇懃な態度で王の前にかしずいた。

「よくやった。して姫はどこに?」

「それが……三日前の夜に町を出て、禁忌の森の方角に向かわれたと……」

「な、なんということだ」

 両手で顔を覆い、ガイウスは肩を震わせる。

 ここでエマのナレーション。

『――ガイウス王が衝撃を受けるのも当然でした。なぜなら禁忌の森には、人間嫌いの上、不思議な力を持つ主が住んでいるからです。荊が生い茂る森の奥に踏み入ったが最後、無事に外に抜け出せた者は今までに一人もいません』

 開始直後はざわざわとしていた子供達も、気付けば劇に見入っている。好感触を間近で感じながら、エマはナレーションを続けた。

『森の荊は主の不思議な力で守られていて、ふつうの武器では断ち切ることができないのです。そこで王様はある物を用意させました』

 舞台の中心に、台座に突き刺さった剣が運ばれてくる。作りは木剣だがきらびやかな装飾のおかげで、見た目は立派な儀礼剣だった。

「王家に伝わりしこの剣なら……森の荊を切れるのだ」

 ガイウス王に違和感。語調がわずかに固くなった気がした。

「さあ、騎士……達をここへ、呼べ。剣を引きぬ、引き抜かせるのだ」

 様子がおかしい。しかも台詞をかんだ。この後はさらに長い台詞が続くのだが、今の調子のままではまずいかもしれない。

 咄嗟にそう判断したクロウは機転を利かし、いくつかの台詞を飛ばして場を繋ぐことにした。

 舞台袖に控えるラウラにアイコンタクトを飛ばすと、意を察した彼女はうなずきを返す。

「騎士ラウラ、まずはお前が剣を抜いてみせろ」

 クロウの促しに応じ、ラウラが登場する。

「王よ、私にお任せを」

 言うなり、剣の柄に手を掛ける。だが彼女に剣を引き抜くことは出来なかった。悔しそうにうなだれる。

 クロウが言う。

「そうだ。先日新たな騎士が入隊しただろう。新人だが腕は立つと聞く。そいつをここに連れてこい」

「お待ちください。そやつには荷が重いかと存じます。ここは私がもう一度――」

「かまわん。物は試しだ」

 納得しかねる様子だったがラウラが合図をすると、反対側の舞台袖から一人の若い騎士がやってくる。リィンだ。

 口を真一文字に結んで、背すじを伸ばし、主人公の実直な性格がよく表現できていた。

 本来ならここで、新人ごときに任せられるかとガイウス王が激昂するのだが。 

「………」

 ガイウスは無言だった。まだリィンは動けない。王様の怒声の中、誰にも期待されていなかったリィンが剣を引き抜くという演出に意味があるのだ。

「………」

 ガイウスの額に薄く汗が滲んでいる。

 彼自身、実は台詞を覚えていた。まずかったのはクロウのアドリブだ。

 場の流れを切らさない為、そしてガイウスに一呼吸入れさせる為にやったことではあったが、しかしそれは結果として彼を戸惑わせることになった。

 演劇自体が初めての彼に、舞台における暗黙の自由など分かるはずもない。

 わずかに遅れて自分の失態にクロウが気付き、その場を切り抜ける言葉を探そうとして、

 事態を飲み込んだエマが、どうにかナレーションで繋ごうとして、

 それらを果たせずに訪れる一瞬の静寂。完全に流れが途切れる刹那――

「私を愚弄するのか。そのような名も知らぬ末席の騎士ごときが姫を救うなどと」

 力強く、揚々とガイウスが台詞を発する。しかしそれは彼の声ではなかった。

 

 

 その時動いていたのはユーシスだった。

 ガイウスの座る玉座は暗幕の近くにある。子供たち側からは見えないよう、ユーシスは物陰から《ARCUS》でガイウスとリンクした。接続を示すリンクの光軸は、幸い照明が目立たなくしてくれている。

 戦術リンクにおける意志疎通は、ある程度の思考の共有であり、戦闘における『阿吽の呼吸を実現する高度な連携』を主眼においたものである。

 詰まるところ、この機能は言語を相手の脳に直接伝達するような代物ではない。テレパシーではなくシンパシー。『共鳴』が最も近い表現かもしれない。

 オーブメントはあくまでも道具。拾い上げるのは意志という名の信号である。とはいえ思考という膨大な情報の全てを収集し、しかも他者に送信するなど不可能だ。少なくとも現時点での導力学では。

 故に《ARCUS》が行う思考の選別には強弱を基盤にした優先順位がある。その強弱が明瞭に現れるのが、戦闘という精神が研ぎ澄まされる状況だった。

 攻撃、防御、回避、追撃、フェイント、カウンターなど、場面に応じて、全ての選択が確かな意志の元に下される状況。リンクというシステムが、戦闘において効果を発揮しやすいとされるのはその為だ。

 だがこれは仕組みさえわかっていれば、戦闘外でも使える機能だ。

 ユーシスは全力で自分の思惟を《ARCUS》に注ぎ込んだ。それこそ最優先で拾い上げる程の強い意志を。

 ――俺の声に合わせて、口を動かせ。

「……!」

 言葉は伝わらない。しかしガイウスは《ARCUS》を通じて伝わるユーシスの意志を受け取った。

 劇を失敗に終わらせたくない。子供達に楽しんで欲しい。

 届いた想いに促されるまま口を開くと、同時にユーシスが台詞を言った。

 

 

 ユーシスが発した台詞は先の一言だけだった。

 落ち着きを取り戻したガイウスは即座にシーンを把握し直す。

 まだ劇冒頭。皆の為にもここでつまずくわけにはいかない。練習はしてきたのだ。この後の展開は分かっている。落ち着いて思い返してみれば、二つ三つ台詞が飛んだところで、流れには支障を来たしていない。

「ならば一度だけチャンスを与えよう。その剣を引き抜いてみせよ」

「御意」

 大仰に言ってみせると、リィンが静かに応じた。

 剣の前に立ち、柄に両手をかける。序盤の見せ場の一つだ。力強いエリオットの演奏が期待感を煽る。

「アリサ姫。必ずこのリィンがお救いします」

 ぐっと力を入れてリィンが剣を引き抜こうとする。

 ほどなくして彼の動きはピタリと止まった。

 

 

 おかしい。引き抜けない。焦る挙動は表に出さないものの、リィンは自分の背に冷ややかな汗が流れるのを感じた。

(な、なんでだ……?)

 昨日までは普通に引き抜けたのに。むしろ緩いくらいだったのに。そういえば、フィーとミリアムに頼んだ台座の隙間調節は、劇前にすると言っていた。調節……あの二人何をやった。

 ふと目を上げ、玉座のさらに向こう――舞台袖に控える彼女達を見た。声は聞こえないが、どうやらユーシスに怒られている。こっちの視線に気付いたユーシスが、これ見よがしに一つのバケツを持ち上げた。

(あれは――)

 中身を見て剣が抜けない理由を理解し、同時に慄然とした。

 あれは工作用の液体接着剤だ。おそらくあの二人は台座と剣の隙間を接着剤で埋めようとしたのだろう。そしてそれが固まり切る前に、剣を突き立てた。

 改めて台座に目を落としてみれば、半透明状の液体が凝固し、完全に剣と台座を接着してしまっている。

「お、俺はアリサ姫を救うぞ」

 もう一度発してみたその言葉は、時間稼ぎにもなりはしない。

 どうする。もう台座ごと武器にしてしまうか? 実は剣ではなく棍棒でしたなどと言って。ナレーションの委員長は――ダメだ、彼女の位置からでは今の事態に気付くことはできない。

 焦燥の中、全力稼動する脳が閃きをもたらした。接着剤は熱で溶ける。自分の技ならあるいは。

「はああああ!」

 迷っている時間はない。集中。リィンは力を刀身に送り込んだ。刃を伝わり、切先に熱が宿る。ぽこぽこと接着剤から気泡が上がり、少し剣が動いた。

 やれる。もう少しだ。

「だあああ!」

 さらに増大する力。

 剣は炎に包まれた。そして炭になった。

 一瞬で炭化した剣がその手からボロボロと床に崩れ落ちていく。

「……あ」

 王家の剣が消滅した。エマが蒼白になった顔をこっちに向けている。

 リカバリーは可能か。無理だ。森の荊を切るには王家の剣が必要と、すでにナレーションで言ってしまっている。

 フリーズする思考。

 うつろう視界の端に何かが光る。呆然とする意識を裂いて、舞台袖からそれが飛んできた。ズダンと音を立てて足元の台座に突き刺さる。

 ユーシスの騎士剣だ。

 再び舞台袖に目を戻すと、急いで剣を取ってきたのか息を切らせたユーシスが口元だけ動かして「それを使え」と言っている。

『――こ、黒炭の中から現れた一振りの剣。それこそが選ばれし者にのみ姿を見せると言う、王家の剣の真の姿だったのです』

 機転を利かせたエマのナレーションが入った。

 安堵の間もなく、リィンは剣を引き抜いて、頭上に掲げてみせる。

 子供達の歓声があがった。

 

 

 舞台は前後編の二幕で構成されている。リィンが剣を引き抜いて、先輩騎士であるラウラも同行し、禁忌の森に向かうまでが第一幕である。

 まもなくその一幕も終盤に差しかかるが、クロウは焦っていた。

「店主よ。禁忌の森に向かう為、馬が欲しいのだが」

 ラウラがリィンを従えて、眼前にやってくる。

 現在のクロウの役は馬屋の店主だ。森へ向かうことになった二人に、馬を貸し出すシーンなのだが。

「禁忌の森に行くのか? やめとけよ。命がいくつあっても足りねえぜ」

 言うなり、二人は顔をしかめた。当然の反応だった。このセリフも本来はないのだから。

 それでも構わずにクロウは続ける。

「えーとだな。あれだ。森の主は不思議な力を持っていてだな。お前らが馬に変えられちまうかもしれないぜ。だから歩いて行った方がいいんじゃねえか」

 意味不明な理屈を言っている自覚はある。しかしなんとか場を繋がなくてはならない。

「何を言っている。早く馬を用意するのだ」

「そうだ。俺達には馬がいる」

 リィン達はアドリブで応じながらも、馬を要求してくる。

「いやあ、馬は貸したくねえなあ」

「おい……!」

 貸したいのは山々だ。だが現時点で舞台袖に控えているはずの馬が、なぜかいないのだ。

 騎士役は二人なので、必然馬役も二人。一人は白馬のユーシス。もう一人は王様役を終えたガイウスが黒馬を演じることになっている。

 実際の流れでは一度クロウが舞台袖にはけて、二頭の馬を引き連れてくるのだが。

(あいつら、何やってんだ)

 馬の衣装など、体は簡単な着ぐるみで、頭に馬面を被ればいいだけなのだ。なのに舞台袖ではユーシスとガイウスがセッティングにまごついている。

 どうやら馬の被り物がおかしいようだ。うなじから後頭部にかけての縫い目がほどけて、まともな被り物として機能していない。なぜ、急に――。

(あれ作ったのサラか……!)

 直感だったが間違いない。

 おそらく彼女は縫い止めを適当に済ませたのだ。そして何回も練習で使う内に緩んで、この本番でついに糸が抜けたと言うことだろう。

(くそ、覚えていやがれ)

 胸中に毒づきながらも、状況の打破を思案するクロウ。

 ユーシス達は急いで簡易の補修をしようとしているが、もう馬の被り物はベロンベロンの布きれに戻りつつある。そしてリィン達にその状況は見えない。

「そもそも禁忌の森になんて行くべきじゃねえ。おまえらまだ若いんだ。死に急ぐ奴らに馬は貸せねえ!」

 語調を荒げ、嘆願の目をエマに送る。気付け。アクシデントだ。

 察したエマがぎこちなく首を縦に振り、口を開いた。

『――その……店主の息子は騎士を目指していたのですが……力試しをすると言って禁忌の森に立ち入ってしまい、帰らぬ人となったのです』

 その場ででっち上げたにしては悪い設定ではない。まだ続けられる。ナレーションを聞いたリィンとラウラも、トラブルには感付いたようでそっと目配せをしていた。

「そ、そういうことだぜ。息子の二の舞にはさせねえ」

 ナレーションに同意した言葉を思わず口走ったのはミスだったが、そこは上手くラウラがフォローした。

「なんと、そうであったか。だが心配されるな。我々は死にに行くわけではない」

「ああ、俺達に任せて欲しい」

 クロウは肩を震わせて「へっ、最近の若い奴らはよお」と、ぐっと押し詰まった声を絞り出す。

「俺はもう何も言わねえ。お前らならやれるかもな。……それでも馬は貸せねえが」

 にべのない一言で締めくくり、第一幕は終了した。

 

 ●

 

 ガチャリと控室の扉が開く。

「あれ、誰もいないなあ」

 入ってきたのはカイだった。今は第二幕に入る前の小休憩である。

「せっかくお菓子持ってきたのにね」

「きっと色々準備してるのよ」

 お菓子箱を持ったルーディ、コーヒーや紅茶をトレイに乗せたティゼルが続く。彼らはⅦ組への差し入れを持ってきていた。

「でも劇面白かったよね」

「うん、後半が楽しみ。お姫様、綺麗だったなあ」

「ロジーヌ姉ちゃんの方がきっと似合うって」

 うっとりと目元を細めるティゼルに、カイが余計な言葉を挟む

「はいはい、よかったわね……あら?」

 投げやりに応じたティゼルは、机の上に置いてあった台本に目を留めた。

 遅れて気付いたカイが、その台本を手に取る。紙を束ねてホッチキス止めしてある簡単な装丁だ。表紙の端には“Emma”と表記されている。

「エマ……? ああ、ナレーションのお姉さんか」

「あ、カイ! 何してるのさ! だめだよ!」

 エマの台本を開けようとしていたカイを、ルーディは慌てて制止した。

「先の展開が気になるし、ちょっとのぞくだけならいいかなって」

「いいわけないよ。怒られるよ」

「ほんの少しだけだって!」

「ダメだから!」

 ぐいぐいと台本を引っ張り合う二人。

 ビリッ。

 破れた。真ん中から見事に真っ二つだ。

「カイのせいだよ!」

「ルーディも引っ張ったじゃないか」

「二人のせいよ!」

 不毛な口論をぴしゃりとさえぎり、ティゼルは床に散らばった紙片に手を伸ばした。

「拾い集めるの。早く! まだ繋ぎ合わせれば何とかなるわ。――きゃ!?」

 焦っていたティゼルは、すぐそばにあった紙の一枚に足を滑らせた。短い悲鳴と共に、トレイがひっくり返る。 

 用意してきた紅茶とコーヒーが床にぶちまけられた。

 瞬く間に黒やら茶色やらに染まる紙片の数々。色々と書き込んであったようだが、メモなどもう読み取れない。

 固まる三人の子供達は初めて知った。

 これが惨劇だ。

「ど、どどど、どうしよう……!?」

 すがるようにティゼルは二人を見た。

「じ、時間はまだあるんだ。ルーディは床掃除してくれよ。俺、残った台本の状態を確認するから」

 破れたのは後ろの数ページのみ。第二幕の台詞や流れも割と残っている。これなら何とかなるかもしれない。

 淡い希望を抱いてページをめくってみたが、やはり途中から文章が途切れていた。数ページ飛んで、後は白紙だ。

「よ、よし。だったら!」

 それは子供の発想だった。

 カイは近くの引き出しからペンを取り出し、白紙の部分に文字を書き込んでいく。

「ちょっとカイ? 何してるの!?」

「とりあえず劇が続くように、この後の展開を書くんだ。……これでどうだ!」

「できるわけないでしょ。正直にあやまるの。大体なによ。その森の主が仲間になって終わりって。そんなわけないわよ」

 横からのぞいていたティゼルは、カイからペンを奪い取る。彼女も彼女で、平静ではなかった。

「騎士がお姫様を助けて終わりなのよ。森の主をやっつけなきゃ。あ、でも仲間の女騎士様は、主役に恋をする展開かも」

「お前がそうなって欲しいだけだろ。つーか書き込むなよ!」

「二人ともやめなってば!」

 その時、廊下を歩く足音が聞こえてきた。 

「やばいって」

「どうするのよ!」

「お、怒られる~」

 とっさに三人は物陰に隠れた。直後に扉が開き、誰かが入ってくる。

「えーと、台本はどこに置いたかしら。早く行かなきゃ休憩終わっちゃう」

 この声はナレーションの人――エマだと分かった。

 彼女が控室を出て行ったあと、おそるおそる三人も物陰から出てみる。やはり台本がない。いろいろ書き込んだあれを持って行かれてしまったのだ。

 続け様に扉が開き、びくりと体を震わせる三人。

「あなた達ここにいたのね。もう劇が始まるから早く席に戻らないとダメよ」

 ロジーヌだった。謝るなら、このタイミングしかない。

「ロジーヌ姉ちゃん、あの……」

「どうしたの、カイ。劇面白くなかった?」

「ううん、すごく面白いよ。だけどその……」

「ふふ、よかった」

 大好きな笑顔が胸に突き刺さる。

「じゃあ、一緒に戻ろうね」

 カイは――後ろに控えるルーディも、ティゼルでさえ何も言えなかった。

 

 ●

 

 第二幕からは少々変更が必要だった。

 元々は町から森まで、馬での移動だったが、馬の被り物が使い物にならなくなってしまったので、途中まで徒歩で進むシーンが追加された。

『――町を出た騎士リィンと騎士ラウラは道中、古びた民家を見つけます。町の外れにひっそりと建っていたその家には、一人の女性が住んでいました』

「珍しいですね。このような所まで出向かれる方がおられるなんて」

 リィンとラウラの前にロジーヌが現れた。サプライズでの登場に、子供たちは大喜びである。

 もっともカイ達三人はそれどころではなく、固唾を飲んでナレーションのエマを見つめている。問題はまだ起きていないようだった。

「実は禁忌の森に行こうと思うのですが、町で馬を借りれなくて――」

 リィンが事情を説明すると、ロジーヌの表情がたちまちに曇った。

「あの森は危険です。私もかつて、森の主のせいで恋人を亡くしてしまったのです。あれから一年経ちますが、悲しみが癒えることはありませんでした。悪いことは申しません。どうかお引き返し下さい」

 重たい設定炸裂である。

 どうでもいいことだったが、正誤性を合わすため、先の馬貸しの主人の息子が彼女の恋人という設定も急遽盛り込まれている。

 劇に入り込んでいる子供達――特に年少の女の子――からは「ロジーヌお姉ちゃんかわいそう……」などと、すすり泣く声が聞こえてきた。

「心配は無用だ。我々は戦う術を持っている」

 自信に満ちた口調でラウラが言うと、リィンは腰の剣をロジーヌに見せた。

「俺達は王家の剣を預かってきた。これなら森の荊を切れるんだ」

 黙考するロジーヌ。

「でしたら……せめてこの馬をお使い下さい」

 舞台袖に一旦消え、再び戻ってきた彼女は、一頭の白馬を連れていた。

「この馬は、ある日禁忌の森から抜け出してきたのです。家の馬舎に住み着いてしまったので世話をしているのですが、森の奥に進むならこの子が導いてくれるでしょう」

 白馬の中身は当然ユーシスである。先の休憩時間に緊急の補修作業が行われ、どうにか白馬の被り物だけは形に出来たのだった。

 顔以外の馬のディテールを再現することは困難だったので、ちょっとした白い着ぐるみをまとい、四つん這い歩行で何とかそれらしく見せている。

「ありがとう。恩に切る」

 リィンは白馬の背にまたがる。さらにその後ろにラウラも続くが、彼女が乗った瞬間、馬の口から「うっ」とくぐもった声が漏れた。本来はガイウスと分担するはずが、今やその背に二人分の重量を引き受けているのだ。やむを得ないといえばやむを得ないことだったが。

 ラウラのこめかみがピクリと脈動する。

(なぜ私の時にだけ、声をあげたのだ!?)

(ラウラ、子供達に聞こえるぞ!)

(お、お前たち動くな……!)

 膝が床にめり込みそうになりながら、ユーシスは背中の二人に小声で告げる。

(リィン、私は断じて重くないぞ)

(わ、わかったから)

(しゃべるなと言っている!)

 二人の騎士を背に乗せた白馬は、のそのそと、ガクガクと、ぷるぷると、よたつきながら森へと歩を進めた。

 

 

『――白馬に誘われ、二人は森の奥深くに足を踏み入れます。うっそうと生い茂る木々を剣で払いのけながら、道なき道を行き、ついに彼らは森の主と対面するのです』

 エマのナレーションが終わるとフィーのセリフだ。

「また人間がやってきた」

 シーツをはためかせ、森の主に扮しているフィーが舞台中央に現れる。威厳に満ちた主というよりは、悪戯好きな妖精という感じだった。

(今のところ問題なさそう。台本どうりでいける)

 フィーは秘かに安堵した。

 前半のようなトラブルが起きた場合、さすがに対処しきる自信はない。もっとも前半のトラブルの一つは、自分とミリアムで起こしたものなのだが。

 あの後は休憩中に、チクチクと針で刺すようなユーシスの叱責を受けることになってしまった。

 長く正座させられたせいで、足のしびれがまだ残っている。途中で委員長が助けてくれて良かった。

「お前が森の主か。アリサ姫を返してもらうぞ」

 そう言ったリィンが引き抜いたのは、ユーシスのナイトソード。

 あの短い休憩時間で代わりは用意できなかった。

 ちなみにラウラはバスタードソードを模した木剣だ。

 作るのにはかなり苦労したが――それはともかく長物が二つ。片方が本物だから、このあとのアクションは注意しなければならない。

「姫ってこの前、森にやってきたこいつのこと?」

 森の主の後ろには、意識を失ったまま大きな鳥カゴのような檻に入れられているアリサの姿があった。

 カゴは緑色に塗って、スポンジ製のトゲを付けて荊に見えるよう改良している。

「アリサ姫! すぐに俺がお助けします」

「させない。魔獣ミリアム。出番だよ」

 応答がない。

「いでよ、魔獣ミリアム」

 もう一度繰り返しても同じだった。ワギャーだか、ミギャーだか雄叫びをあげながら舞台中央まで駆け出してくるはずなのに。

 彼女が待機しているはずの部隊袖を見ると、ちゃんとミリアムはそこにいた。四つん這いの体勢のまま、しっかりスタンバイしている。

 早く来て。

 目で訴えると、ミリアムは泣きそうな顔で首を横に振った。

 

 

 どうしてこんなことに。まさかこれほどの代物だったなんて。

 両手両膝を床につき、ミリアムは顔を上げた。舞台ではフィーが自分の名前を呼んでいる。

 回呼ばれても応じなかったからか、急かすような目を向けてきた。気付いてほしい。今はどうやってもそっちにいけない。

「うう……動けないよ」

 準備は万端だった。雄叫びはハギャーに決めたし、衣装もばっちりだし、がんばって台詞も覚えた。

 唯一失敗したのは、接着剤の入ったバケツを足元に置いていたことだ。

 顛末は実にシンプルだった。

 足を引っかけ、倒れたバケツから大量の接着剤が床に流れ出る。焦って足を滑らし、両膝を付く。前のめりに倒れる上体を、床に手を付いて支える

 それだけで最悪のポジショニングは完成した。

 しかも液状接着剤のくせに、空気に触れてから固まるまでの時間がかなり早かった。我に返って立ち上がろうとした時には、四肢と床は完全にくっついてしまっていた。

「ど、どうしよう」

 こちら側の舞台袖にはBGM担当のエリオットただ一人。事態には気付いているが、バイオリンの音を止めるわけにもいかず、ただ焦燥の表情を浮かべたまま、その場で演奏を続けている。

 この劇で終盤の見せ場となるアクションシーン。クロウはここが男の子の心を掴む一番のポイントだと言っていた。

 何とかして行かなくちゃ。どうにかして舞台まで。

「……委員長~」

 お願い、ナレーションで引き伸ばして。

 身じろぎしながら、懇願するようにエマに視線を向けた時、彼女は台本を手に固まっていた。

 

 

 台本を持つ手が汗ばむ。一向に魔獣が出て来ないのはまたトラブルだろうか。

 なんとかナレーションで場を持たせたいエマだったが、今はこちらにもトラブルが発生していた。

「……!?」

 ページを何回もめくり直す。残念なことに見間違えではなかった。ここから先、エンディングまでの脚本がごっそり無くなっている。その上、うしろの白紙ページにはこのあとの予想展開が好き放題に書き込まれていた。

(子供の字……?)

 台本を手放したのは、休憩中のわずかな間だけだ。事情は分からないが、その間に誰かが何かをやらかしたということか。

 暗幕の陰にのぞくミリアムは、ただ潤んだ瞳を向けてくる。困ったフィーは「魔獣……ちょっと忙しいみたい」などと苦しい言い訳をしている。

 リィンとラウラの位置からは向かいになるので、二人もミリアムの動けない様はわかっている。

 木の衣装に身を包んだマキアスは、一心不乱に枝葉を揺らし、ただただ森の背景の一部に徹している。

 どうすれば。

 全ての状況を精査しながら、聡明な頭脳をフル稼働させるエマ。ふと雑多な書き込みの一部に目が留まった

 

 《魔獣は強くて大きくて、全然倒せない》

 

 これが子供の持つ魔獣のイメージか。ミリアムではむしろ正反対だ。彼女じゃなくてもいい。控えの誰かは出れないだろうか。

 考えた末に、思いつくことがあった。

 それがアリかナシかを問うている時間はない。通常時はナシだが、非常時はアリだ。そう思い込むことにして、エマは大きく息を吸った。

『――森の主が呼ぶと、現れたのは“大きくて強い銀色の魔獣”でした』

 

 

 エマのナレーションが再開される。

 それを聞いて意味を理解したミリアムは、すぐさまアガートラムを呼びだした。

「なっ!?」

 想定外の事態に、ラウラはとっさに木剣を構える。

 ミリアムが動けないのは察していたが、まさかこんな展開になろうとは。しかしエマがそのように場を進めた以上、こちらも合わせる他ない。

 子供たちは歓声をあげていた。怖がるかと思いきや、意外に喜んでいるらしい。

 アガートラム。相手に取って不足はないが、こんな舞台で大立ち回りは厳しい。

「どうする?」

「やるしかないだろう」

 横に立つリィンに小声で問うと、そう即答された。ここ最近でトラブルに慣れ過ぎていて、逆に落ち着いているようだ。頼りになる、と思っていいのかどうなのか。

「∃ΓΣШ§Ё」

 機械音を響かせ、アガートラムが腕を振り上げた。

 こちらも本気で応戦だ。もはや演技では済まされない。アガートラムを倒さなければ、騎士二人は全滅。まさかの森の主勝利エンドで劇が終わってしまう。

 ゴッと突き出される豪腕。拳をかいくぐったラウラは、鋭いカウンターを見舞う。だが弾かれた。

「やはり木剣では無理か!」

 刃筋を通す以前に強度の問題だ。攻撃した側の剣が欠けてしまっている。

 ならば頼みはユーシスのナイトソードを持つリィンだ。騎士剣の扱いには慣れていないようだが、アガートラムと切り結べるのはその剣しかない。

「う……!」

「どうした!?」

 なぜかリィンの動きが悪い。注意が散漫と言うか、今も危うく直撃を食らうところだった。

「いや、なんでも……なんでもないんだが」

 そうは言うが、明らかに様子がおかしい。視線が一定の角度に入る度に、目を逸らしているような気がする

 リィンを視線を追ってみる。

 その先にいたのは、荊の檻に囚われているアリサだ。

 急に心が絞まる。

 それはそうか。この劇の姫はアリサで、騎士はリィンだ。自分はあくまで助力をする脇役。この物語は二人の為にあるのだから。

 劇の中の話とはいえ、言い知れない寂しさが胸に湧く。

(だとしても、こんな状況で集中を乱さなくてもよかろう)

 ちょっと納得しがたいものを感じながら、意識をアガートラムに向け直す。そこで視界の片隅にそれが映り込んだ。

「ん?」

 アリサのドレスはあんなに丈が短かったか? 見ればスリットが入って太ももまであらわになっている。

 そういえばあのドレスもサラ教官が仕上げていた。まさか糸がほつれているのか。このままでは馬の被り物と同じ末路をたどってしまう。しかもアリサは気を失っている演技中なので気付いていない。

 リィンはあれを見ていたのか。見ていたのだな!

「ラウラ、連携で仕留めよう。隙を見て――」

「見るでないわ!」

「ぶっ!」

 リィンの顔面をビンタが打ち据えた。クリーンヒット。当たりどころが悪かったのか、その鼻からつつーと細い血が流れ出てきた。

「な、なんだ!?」

「鼻血まで出しおって、この痴れ者が!」

「これはラウラのせいだろ!」

「そなたのせいだ!」

 言い合う二人を黒い影が覆う。

『え?』

 気付いた時には遅く、アガートラムがラリアットを繰り出していた。

 

 

 リィンが私を助けると言った。

 それは劇の台詞の一つだったけど、面と向かって言われるとやはり恥ずかしい。いつの間にか口元が緩んでいる自分がいた。

 気絶の演技中であったことを思い出し、荊の檻の中でアリサは慌てて表情を改める。

(それにしても)

 さっきからなんだか騒々しい。

 絶え間なく続く剣戟の音が、礼拝堂内を震わせている。その度に子供達の興奮の声が聞こえてくるから、アクション自体は好評のようだが。

 勢い余って堂内の備品を壊さないか心配だ。エマが“銀色の魔獣”と言ったのは気にならないでもないが、たぶん言い間違いだろう。

 この後はリィンが森の主と魔獣を退け、自分を助け出す。しかし荊の毒のせいで目は覚めなくて、日の光を浴びる為に森の外へと脱出する、という流れだ。 

 この辺りは姫としての台詞がない上、時間の都合もあり、実はリハーサルでも簡単な位置確認しかしていない。だが今は本番、最後まで通しで演じる必要がある。

(やれるかしら……)

 演技は問題ない。全員の台詞や間の取り方も把握している。

 問題は一つ。馬の背に乗って森を抜けるまで、アリサは終始リィンと密着する形になることだった。

 考えただけでも落ち着かない。心臓が早鐘を打ち、呼吸が苦しくなる。

 しかも、しかもだ。

 エンディングで意識が戻ると、騎士との抱擁が待っている。

 ああだこうだと理由をつけて、リハーサルでは後回しにしたり回避したりしたが、その時はもうすぐ確実にやってくる。

(どうしよう、どうしよう……)

 落ち着けと胸に言い聞かせ、ばれないように深呼吸。大丈夫。これは劇、劇なのよ。

 心が落ち着いてくると、ふと下半身に違和感を感じた。太ももの辺りがスースーする。

 薄眼を開けてみると、ドレスは驚くべき事態になっていた。

「なっ、なによこれ?」

 思わず声に出た。

 スカートは足元から一直線に切れ目が入り、かなり上の方まで露出していた。上半身もだ。背中側の留め具が外れているらしく、ちょっと動くだけで肩がずれ落ちてガンガンはだけていく。

「――っ!?」

 これで馬に揺られでもしたら、森を抜ける頃には大惨事だ。

 どうにかして取り繕わなくては。そうだ、劇は今どこまで進行しているのだろう。

 視線を上げるアリサ。その直後、視界いっぱいに映ったのは、アガートラムの振り回す巨腕に巻き込まれたリィンとラウラが、こっちに吹き飛んでくる光景だった。

 

 

 こんなにも余裕が無く、際どい演奏はやったことがない。それがエリオットの思うことだった。

 今日の劇中演奏は彼でなければ務まらなかっただろう。まさしく影の功労者である。

 シーン毎の曲は、場の情景に合ったものを事前に決めていた。

 だがトラブルに継ぐトラブル。アドリブに継ぐアドリブ。予定していた曲はことごとく場にそぐわず、ほとんどが使えないものになった。

 目まぐるしく場面が動く喧騒のステージだったが、それでも彼は即興で演奏をやってのけ、なんとかして臨場感のあるBGMを途切れさせないよう一人奮闘していた。

 しかし今、彼の演奏は停止していた。せざるを得なかった。

「あ」

 一語だけ喉から絞り出る。

 さすがのエリオットもこの状況に合う曲は思いつかない。逆に思いついたとしても演奏することはもう出来ない。

 バイオリンを奏でながらも、舞台袖から一連の流れを見ていたからわかる。今日はたくさんのトラブルに見舞われたが、これは最たるものだ。

 アガートラムがリィンとラウラを吹き飛ばす。そのままアリサの入っている檻に激突し。檻は大破。

 勢いは止まらず、アリサも一緒に――さらにすぐ後ろにいたフィーさえ巻き込んで、自分のいる舞台袖まで突っ込んでくる。空中でもつれ、団子になった四人はあっという間にエリオットの視界を埋め尽くした。

「うああ!」

「きゃああ!」

「くうう!」

「痛いかも」

 四者四様の悲鳴が耳に刺さった。とっさの判断。バイオリンを床に滑らし退避させる。これだけは守らねば。

 しかし判断ミス。いまだ床に接着されたままのミリアム、その近くまで滑っていったバイオリンは『ネチャッ』と粘着質な音にまみれ、不自然にその動きを止めた。

 なにが起きたのかは想像したくない。なにより思考が巡る前に、二人の騎士、お姫様、森の主。主要キャストがそろって衝突してきたのだ。 

 受け止められるはずもなく、エリオットを下敷きに全員床に倒れ込む。

「ちょっと、どこ触ってるのよ! やだ、リィン鼻血だしてるじゃない!?」

「この痴れ者!」

「不可抗力なんだ!」

「んー、こんがらがっちゃった」

 自分の上で暴れ、がなり立てる四人。誰かの肘がみぞおちに入り、誰かの足が頸動脈を圧迫する。

「うっ、むぐ……」

 やがてエリオットの意識は、どこか遠い場所へと旅立っていった。

 

 

 目標の殲滅を認識したアガートラムは、その場から姿を消す。

 誰もいなくなった舞台を、エマは呆然と眺めていた。いや正確に言えば、白馬と木だけは残っている。

 手元の台本に目を落とすも、相変わらず子供たちの書き込みだらけである。

 もっとも仮に満足な台本があったとしても、この状況では何一つ意味をなさないが。

 子供達がざわめき出した。

 どうにかしなければ。すがる思いで台本をめくっていく。落書きのような文字の羅列の中に、いくつか目に留まった文章があった。 

 

《ユーシス先生が――》

《強い魔獣が現れて――》

《最後に二人は――》

《ロジーヌさんと――》

 

 ひらめく。

 ここが文芸部の真骨頂だ。話作りとは点と点を繋ぎ合わせて線を成すこと。

 急場であっても矛盾は起こさせない。今日の自分の発言、全員の発言を頭の中に一瞬で並べ立てる。 

 いけると確信した丸眼鏡が照明で光った。

 エマは台本を静かに閉じる。これはもういらない。ナレーションを再開する。

『――森の主は倒れました。傷ついた体を引きずり、騎士達はお姫様を森の外へと連れ出します』

 役者が誰もいないので、ここの下りはシーンカットだ。本番はここから。

『――誰もいなくなった森の奥に人影がありました。それは二人の騎士を見送ったロジーヌでした。彼女は胸騒ぎを感じて、危険な森に一人踏み入ったのです』

 いいですか? 踏み入るんですよ。踏み入って下さい。

 エマの念が届いたのか、しばらくするとロジーヌは戸惑いながらも舞台袖から歩み出てきた。

 ここからは連携だ。エマは台本を持ったまま《ARCUS》を片手で操作し、暗幕の奥に控えるクロウに通信で一言指示を出した。

『――彼女は森の奥で騎士達に同行させた白馬を見つけます。するとどうした事でしょう。突然、白馬は光に包まれ、なんと人間の姿になったのです』

 同時にクロウの補助アーツ《アダマスシールド》が、とびきり派手な金色の光を奔らせる。

 その間にナレーションを聞いたユーシスが、閃光に紛れて素早く衣装を脱ぎ捨てた。

 光が止むと若干表情を引きつらせたユーシスが立っている。彼も意図を察してくれたようだ。

 一体ここからどうする気だと訝しむ目を向けてくるが、それには気付かないふりでエマは続けた。

『――彼こそが一年前に亡くなったと思われていた彼女の恋人だったのです。彼は森の主に馬の姿に変えられていたのでした。しかし森の主が倒れた今、彼にかけられた呪いは解けました』

 子供たちのざわめきは止まっている。 

『――二人は喜びを交わし、森を出ようとします』

 エマに促されるまま、二人は踵を返し、肩をそろえて舞台袖へと歩き出そうとする。 まだだ。まだここでは終われない。

『――しかし二人は不穏な空気を感じて足を止めます。これは魔獣の気配。それもとても強い魔獣です。森の主が倒れたことにより、その魔獣はこの森を支配するのは自分だと思いました。そしてついに、今まで木に擬態していた凶悪な魔獣が、雄叫びをあげて姿を現すのです』

 静寂。沈黙。

『――木に擬態していた凶悪な魔獣が、雄叫びをあげて姿を現すのです』

 語調を強めて繰り返すその言葉。ややあって背景の木々の一つが不自然に揺れ動き、

「ヒィアッーハーッ!」

 下卑た雄叫びと共に、マ木アスが舞台に躍り出た。

 

 

 マ木アスは状況についていけない視線をあちらこちらに移してみた。

 リィンとラウラはどこに行った。フィーはどうした。ミリアムは、アリサは。BGMも止まっている。なぜ馬のはずのユーシスが人間になっているんだ。

 木の衣装は前面が顔を出す仕様になっている為、ずっと後ろを向いたまま演じていた。だからナレーションは聞こえていたが、ここに至る流れが全くつかめない。

 さっきからけたたましい音が響いていたが、もしかしてまた何かあったのか。

 現時点での情報をまとめると、馬から人間に戻ったユーシスはロジーヌの恋人役。そして自分は森の主の後釜を狙う魔獣。

 最悪の役回りではないか。しかもさっきの雄叫びのせいで、前列の子供たちの何人かは泣きじゃくっている。

 ナレーションの声が聞こえた。

『――魔獣マキアスは二人を見るや、いきなり襲い掛かってきました。ユーシスは落ちていた王家の剣を拾い、ロジーヌを守ります』 

 もうナレーションのまま動くしかない。だが木の衣装はひどく動きづらい。

 攻撃を試みようとするが、ろくに前にも出れず、わさわさと葉っぱが舞い落ちるだけだった。

 ユーシスが剣を手に歩み寄って来た。

「悪く思うな」

「思うに決まってるだろ!」

 ナイトソードから青い光がほとばしる。

「そ、その剣は本物だぞ」

「すぐに済ませてやる」

 切先に光陣が浮かび上がるや、輝く水晶膜が半球状に周囲を囲んでいく。

 待て、何をする気だ。やめろ。それは使ったらダメな技だ。

「させるかっ!」

 黙って攻撃を受ける筋合いはない。掟破りの魔獣勝利エンドにしてやろうかと、半ば本気で体当たりを仕掛た時だった。金色の盾がユーシスの前に浮き立ち、マ木アスの特攻はあえなく弾かれてしまった。

 さっきかけたエフェクト代わりの補助アーツの効果がまだ生きていたのか。マ木アスは完全に水晶に覆われた。

「や、やめろおお!」

 魔獣の咆哮。

 崩れた体勢を戻すより早く、ユーシスが剣を振るった。

 十字に交錯する剣閃が、水晶ごと切り砕く。重い衝撃が爆ぜ、静謐な青い光が舞台上に霧散していく。

 押し拡がるアクアマリンの輝き。

 飛び散った眼鏡のレンズが光の一部と化していく様を、マキアスは声も出さずに見送ることしかできなかった。

 

 

 ユーシスは倒れて動かなくなったマキアスから、エマへと視線を転じた。

 さあ魔獣は退治したぞ。早く劇を締めくくるがいい。

 ユーシスを一瞥し、うなずいてみせたエマは言う。

『――魔獣を倒したユーシスでしたが、彼の呪いは半分しか解けていませんでした。夜になればまた白い馬に戻ってしまうのです』

「は?」

 何を言い出すのだ。これ以上、劇を引き伸ばしてどうする。

『――呪いを完全に解く方法はただ一つ。想い人からの口付けです』

「なっ!?」

「えっ!?」

 ユーシスとロジーヌが二人して驚愕する。顔を見合わせた後、ロジーヌは頬を真っ赤に染めてうつむいた。

(委員長……!)

 鋭い目付きで彼女をにらむが、当のエマはすまし顔で正面を向いている。

 これが正真正銘のエンディング。ここを越えねば劇は終わらない。

 静まり返る礼拝堂。子供達は期待の目を注いでいる。両どなりの二人に頭を押さえ込まれているカイの姿がちらりと見えたが――それはともかく、この場をどうするべきか。

 選択肢などなかった。ユーシスは小声で言う。

「やれ。フリで構わん」

「で、でも……」

「あいつらの為だ」

 ユーシスの視線を追って、ロジーヌも子供達を一瞥する。見返してくるのは期待の入り混じった無垢な瞳。

「……わかりました。えっと……ほっぺたで?」

「……なんの確認だ」

「い、一応です。一応」

 ユーシスはその肩に優しく手を添える。ロジーヌはまぶたを閉じて少しだけ背伸びする。

 狭まる二人の距離。

 舞台袖から駆動したいくつものアーツの光が、舞台をきらびやかに締めくくった。

 

 ●

 

 劇は無事――ではないが、喝采の中で幕を下ろすことができた。子供たちも帰り、片付けも終わり、ようやく一段落である。

「帰ったらサラ教官に文句言うわ。なによ、あのドレスは!」

「うー、ひざと手がベタベタするよー」

「僕のバイオリン……」

「僕の眼鏡……」

 それぞれでぼやきながら荷物をまとめていると、奥の部屋からカイ、ルーディ、ティゼルを連れたロジーヌがやってきた。

「皆さん、申し訳ありません。どうやらエマさんの台本をダメにしちゃったのはこの三人みたいで。しかも色々書き込んだりしたとか……」

 頭を下げるロジーヌに、後ろの三人も「ごめんなさい」と落ち込んだ様子で続く。それなりに怒られたらしい。

 エマは笑った。

「みんなが色々書き込んでくれたおかげで、とっさにストーリーを続けられたんですよ。ですよね、ユーシスさん?」

「まったく……最後の展開もお前たちが書いたのか」

 やれやれと肩をすくめたユーシスは、ロジーヌを見やる。彼女は照れたように目を逸らした。

「でも最後のキスは素敵だったわね~」

「ばっか、あれはフリだよ、フリ!」

 ティゼルの言葉を、カイはやたらと強く否定する。

「でもあのシーンってティゼルが書いたの?」

 ルーディが問う。

「私じゃないし。カイでしょ?」

「俺が書くわけないだろ」

「僕はそもそも書いてないし……」

「もう、その話はおしまいにしてね?」

「どうせ慌てていて、書いたことを忘れたのだろう」

 ユーシスとロジーヌに挟まれて、怪訝顔で首を傾げる三人の少年少女。

 そんな中、台本を後ろ手に隠したエマだけが、訳知り顔の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ~FIN

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日談

 

「ユーシスさん」

 部活も終わった帰り道、学院の正門前でロジーヌが声をかけてきた。

「お帰りですか?」

「そうだ。お前もか」

 彼女はうなずいて微笑む。

「教会までですが、ご一緒してもいいですか?」

「ああ」

 正門を出て坂を下る。ロジーヌはユーシスの数歩後ろをついてきた。

「なぜ俺の後ろを歩く」

「この位置が落ち着くのです」

「俺が落ち着かん」

「そうですか。では失礼します」

 肩が並ぶ位置まで歩を進めてくるロジーヌ。なにが失礼なのか、さっぱりわからない。

 しばらく歩いている内に、ふと思い出したことがあった。

「そういえば学院で劇の練習を見に回った時、何か言いかけていただろう。劇が終わったらどうとか」

「ああ、あれはですね。その――」

 ロジーヌは歩みを止め、じっとユーシスの目を見返してくる。相変わらず澄んでいて、心まで見透かされそうな水色の瞳だった。

 しばらく考え込んだあとで、彼女は口元を緩めた。

「劇が終わったら、お礼にクッキーを焼こうと思っていたのです」

「礼など気にするな。それに勿体ぶって言うことでもあるまい」

「それもそうでしたね。ごめんなさい」

 とは言ったものの、正直それは楽しみだった。ロジーヌの作るクッキーは絶品なのだ。

「実は新作ができたんです。よかったら最初に食べてもらえませんか? もう教会に置いてありますので」

「そうだな。頂こう」

 なぜもう教会にあるのだ。まさか一度教会に行ってクッキーを焼いたあとで、また正門にまで戻って来ていたとでもいうのか。わざわざ俺を待つために? 

 さすがにそれはないか。いやロジーヌならやりかねない気もする。

「どうかしましたか?」

「大したことではない」

「気になります」

「気にするな」

 そんな会話を交わしながら、教会前までたどり着く。ロジーヌは早足に堂内へと入り、そしてすぐに戻ってきた。手にもった小綺麗な包み紙をユーシスに差し出す。

「どうぞ。本当は中で食べて欲しいのですけど、今日は子供たちが多くて……」

「絡まれるだろうな、確実に。寮でゆっくり味わうことにする」

「感想聞かせてくださいね」

「ああ」

 なぜかロジーヌはくすりと笑う。

「どうした?」

「大したことではありません」

「気になる」

「気になさらないで下さい」

 首を横に振って、ロジーヌは続けた。

「また困ったことがあったら助けてくれますか?」

「どうだかな。まあ――」

 受け取った包み紙を掲げて、夕日に透かしてみた。香ばしい香りが鼻先をくすぐる。

 ユーシスは彼女の問いに冗談半分、本気半分でこう答えた。

「クッキー次第だな」

 

 

 ~END

 

 


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