虹の軌跡   作:テッチー

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ちびっこトラップ(前編)

 時刻は二十時。十月の初旬にもなれば、この時間の風はひんやりと冷たい。

 トリスタ西の街道、そのゲート口に立つのはフィーとミリアムだった。背中側からあたる町明かりが、小さな影を身長よりも長く引き伸ばしている。

「あ、今日は満月だねー」

 間延びした声で言い、ミリアムが夜空を見上げる。促されるままに上を見て、「そうだね」とフィーは簡潔な一言を返した。

 次第に雲が流れ、月を覆い隠し、同時に辺りが薄暗くなっていく。今日は町の喧騒も少なく、静かな夜だ。草の合間から聞こえる虫の鳴き声がいつもより大きく聞こえた。

「ボク眠たくなってきちゃったな」

「同感」

 暗くなるとすぐに眠たくなるという、ちびっこ性質の一つである。軽く伸びをして『くああー』と、二人そろったあくびをした時だ。

 遠くから聞こえてくるオーバルエンジンの振動音。

 ライトで進行方向を照らしながら、街道を走る一台の導力車がフィーたちに近付いてくる。一般のそれよりは少し大きめの車体で、どこか装甲車にも似ている飾り気のないフォルムだった。

 重いブレーキ音を立てて、車は二人の少し前で停まる。片側のドアが開いて、一人の女性が姿を見せた。

「お久しぶりですね」

 物静かな澄んだ声。後ろで括った淡い空色の髪。優しげながら芯を感じさせる赤紫の瞳。月明かりに映えるのはスチールグレイの軍服。

「あ、直接来てくれたんだ?」

「ども」

 意外そうな声をあげたミリアムと、淡白な挨拶を向けたフィーに、車から降りた女性――クレア・リーヴェルトは柔和な笑みで応じた。

「一応非公式なので、他の人には頼めませんから」

「あはは、だよねー。それで、お願いしてたものは持って来てくれたの?」

 今度は困った笑みを浮かべ、車を一瞥してからクレアはうなずいた。

「あの中に入っています。初めに言っておきますが、今回は特別ですよ。後でちゃんと報告書も出して下さいね」

「うんうん」

「……本当に分かってます?」

 どこまでもにこやかなミリアムを見て、クレアは軽く嘆息を漏らす。

 あいさつも程々に、フィーとミリアムはさっそく車内から荷物を引き出し始めた。

 大きめのダンボール箱が全部で四つ。少し動かすだけで、ガシャガシャと金属同士がぶつかり合う音が響く。重量も中々のものだ。

「ミリアム、そっち持って。」

「お、重いよ。クレアも見てないで手伝って~」

「まあ、そうなるとは思っていました」

 クレアの手も貸りて、フィーたちが予め用意していた台車に、一つずつ段ボール箱を積み上げていく。

「こんなものでしょうか」

 やがて三人がかりの作業も終わり、クレアは確認の目を二人に向ける。

 秋口の涼しい夜とは言え、女性と子供二人だけでの力仕事は骨が折れたらしく、白い細面が薄く赤みを帯びていた。

 フィーが言う。

「後は学院に運ぶだけだし、台車を押すのは私とミリアムで出来るから、もう大丈夫」

「そうしてもらえると助かります――ただ」

 クレアは含みのある視線をミリアムに移した。

「そろそろ本当のことを教えてもらいます。使い道のないこれらのスクラップで、一体何をするのかを」

「な、なにがー?」

 わざとらしく目を逸らし、出来もしない口笛を吹こうとするミリアム。分かりやす過ぎるごまかし方に「ミリアムのばか……」と、横のフィーは呆れ顔だった。

「第一、あんなメモ紙一枚を申請書として受理できるはずないですよ。私がちゃんとした書式に落とし込んで、理由もそれらしいものに書き直して、それで今日ここに運んで来られたんですから」

「だって……クレアなら何とかしてくれると思ったんだもん」

「まったく、もう」

 ミリアムがクレアに依頼した内容は、端的に言うと『鉄道憲兵隊で使用済になった資材が欲しい』だった。

 資材というのは要するに、使い物にならないようなジャンク品である。本来ならこのような申し出が通るはずもないが、それが可能になったのは廃棄予定の機器に限定したことと、“情報局から鉄道憲兵隊への依頼”ではなく“ミリアムからクレアへのお願い”という形だったからだ。

 大尉に許された権限の範囲内で、最大限の融通を利かしたという訳である。なお、その際にミリアムが提示した理由は、『ガーちゃんの強化に使うから』というものだ。

 実のところ、届いた申請書に目を通し、さすがのクレアもこれに応じるべきか最初は迷った。

 アガートラムの強化など、ジャンクパーツをいくら持ち寄ったところで出来るとは思えない。よからぬことを企んでいるとの想像はすぐにつく。

 しかし最後の『ボクの任務にも役立つことだから、お願いね!』という一文が気にかかり、さらにはミリアムの任務の重要性を加味した上で、ひとまず彼女の希望に沿うことにしたのだった。

 しかるに、当然その意図は把握しておく必要がある。

「なんにせよ、これらの使用において、その有用性を教えてもらわないとなりません」

 任務においての、という一言を使わなかったのは、そばにフィーがいるからだ。ミリアムが真っ当な編入生でないことを疑われているのはクレアにとっても想定内だが、その目的を明言していない以上、避けておきたい言葉には違いない。

「う、うーん、えーと」

 ミリアムが返答に窮していると、「ねえ、クレア大尉」とフィーが口を挟む。

「鉄道憲兵隊としての勤務時間って終わってるよね?」

 要領を得ない質問だった。

「ええ、一応は。それがなにか」 

「夜ご飯食べた?」

「直行で来たので、まだですが……あの?」

「そっか」

 なにかしら納得したらしいフィーは、ちらりとミリアムを見る。

「え、フィー。もしかして?」

「そう、クレア大尉の意見も参考にしたらどうかと思って」

「いい考えかも!」

 期待のこもった二人分の視線が、同時にクレアへと注がれる。

「じゃあキルシェでご飯食べよ」

「そうしよー!」

「え、ちょっと?」

 戸惑う間すらなく、クレアの両手は『はしっ』とそれぞれと繋がれる。

 ささやかな抵抗も虚しく、ちびっこ達に引っ張られながら、クレアは夜のトリスタへと足を踏み入れた。

 

 

《★★★ちびっこトラップ★★★》

 

 

 レストランではなく、あくまで喫茶店であるこの店は、二十時を回れば客足も途切れてくる。現在《キルシェ》にはフィー、ミリアム、クレアの三人しかいない。

 貸し切り状態ではあるが、あまり目立ちたくないクレアと、内緒話をするつもりのフィーとミリアム。必然、彼女達が座ったのは店の奥――店員のいるカウンターからも見えにくい席だった。

「おいしかったです。帝都に店を構えてもいいかもしれません」

 注文したスープパスタを食べ終えたクレアは、心なしか満足気な様子でフォークを置いた。軍服ではさすがに目立つという理由から、今は持参していたジャケットを羽織っている。

「ボクもお気に入りなんだ、この店」

「手作りマフィンがおすすめかな」

 クレアを《キルシェ》に連れ込んだものの、フィーたちは寮で夕食を食べていたので、実はあまりお腹が減っていなかった。なので二人が注文したのはオレンジジュースのみだったりする。

 グラスに残った氷が溶けて、カランと音を立てた。

「……食べながら大まかな話は聞かせてもらいましたが」

「うん」

「確かに初めから知っていれば協力はしなかったでしょうね。学院中に罠を仕掛けるなんて。というかアガートラムの話もやっぱり関係ないですし」

「まあ、そうだよね」

 呆れ口調のクレアに、フィーはすんなりと同意した。この流れだと下手を打てば、せっかくの機材を持って帰られる可能性も出てくる。「でも」と続けて、手に持ったグラスを揺らし、今一度氷をかち合わせた。

「無差別に仕掛けるわけじゃない」

「目的があると?」

 フィーは一枚の紙を取り出して卓上に広げてみせた。

「これは……トールズ士官学院の見取り図?」

 正門からグラウンド、中庭はもちろん、各フロアの断面、教室の間取り、果ては植木の位置まで網羅したかなり精細な図解だった。さらにその全てが手書きである。ここまで書き込んでいるなら、おそらくは縮尺も正確だろう。

「トラップっていうのは心理戦。相手の行動や状況を先読みして仕掛けるもの。そしてフィールドを問わないことが理想」

「確かに屋外、屋内ともにシチュエーションは数多いようですが。どうして学院を使うんです?」

「一つは敷地面積が広くて、今言ったみたいに地形のバリエーションが多いこと。もう一つは在籍人数が多いこと。この二つが大きな理由かな」

 人数が多ければ、個々によって多種多様な反応や対応をすることが予想される。大まかでも統計を取り、その傾向を把握することは、より効率的で“はずれ”のないトラップの発案、作成に繋がるとフィーは言う。

「今の所、この手の技術があるのは私だけ。だから私のスキルが上がれば、Ⅶ組の戦術の幅が広がる」

「理屈は分かりますが、あなたの学友や関係ない人たちも巻き込むということは理解していますか?」

「みんな戦闘訓練は受けてるし、むしろ危機管理意識を上げるいい訓練になると思うけど」 

「物は言いようですね……ミリアムちゃんはどうなんですか?」

 不意に話を振られ、ミリアムはストローから口を離す。

「ん、ボク? そうだねー」

 本格的なトラップ作りの技術など、今のところミリアムには必要ない。意義を示せと暗に込めたクレアの問いに、彼女はこう答えた。

「ボクがクレアに送った手紙の最後の文章覚えてる?」

「……ええ」

 “ボクの任務にも役立つことだから、お願いね”である。

 ミリアムの任務とはつまり、学院に潜伏している可能性のある《C》の正体を掴むこと。

「それに役立つと?」

「うん」

 言葉を濁し、ぼかし、あえて主語を欠く。フィーは決して鈍くない。訝しまれるのは承知の上だが、それでもここからの会話、言葉選びは慎重にしなければならなかった。

「もしかしたら予想以上の結果になるかも」

「………」

 学院地図に目を落とし、クレアは沈思黙考する。

 あくまでもミリアムの任務は《C》の捕捉。予想以上ということは、その先の捕縛までの可能性があるということだ。《C》潜伏の疑いがあるとは言え、学院内の捜索など大っぴらには行えない。かといってミリアム一人の諜報活動では、その範囲に限界があるのも事実。

 方向性の是非はともかく、今回のように予測不能の形を取りつつ、大規模に動くことで《C》に迫ることができるなら、やってみる価値はあるのではないか。

 それになにより、成功か失敗か、効果があるかないかに関わらず、総じてのリスクが少ないことが際立つ利点だった。この場合のリスクと言うのは学院関係者にかかるものではなく、鉄道憲兵隊――引いてはクレア自身が被るそれのことである。

「そこまでの目算があるのですか?」

「あるあるー!」

 その軽い態度が逆に心配なのだが。しかし言ってみれば、今回の一件は学院生徒が学院内で勝手に起こす騒動となる。

 器材提供という最低限のチップを支払い、後は目標が網にかかるのを待つだけ。その過程でいくつかの“不慮の事故”も想定されるが、まあ、話を伺う分にはそこまで深刻な事態にはならないだろう。

 優しげな面立ちとは真反対に、氷の乙女(アイスメイデン)の異名に違わぬ合理的な冷徹さで、クレアは決断を下した。

「それで私は何をすればいいんですか? 最初に断っておきますが、軍務もあるので学院に足を運ぶことはできませんよ」

「それは大丈夫。トラップを仕掛けたり、その場所を考えるのは私達でやる。お願いしたいのはこれ」

 フィーは地図を指差した。あちらこちらに小さなマーキングがしてある。

「この位置にトラップを仕掛けるって印。クレア大尉はこれを見て効果的な設置の仕方や、想定できる相手の動き方とかをアドバイスして欲しい」

「その程度でしたら」

 紙面上の士官学院に視線を巡らし、やがてクレアは口を開く。

「まずここですね。草むらにトラップを隠すのではなく、草むらを怪しんで回避しようとするルートに仕掛けましょう」

 微笑を浮かべて容赦のない嵌め方、追い詰め方をまるでデザートでも注文するかのように、苦も無くスラスラと並べ立てていく。

「ここなら大丈夫、という安堵感を利用します。休憩所のような場所はありますか?」

「ん、中庭とか」

「ならばそこにも。次に屋内ですが、ここは構造を活かして遮蔽物も上手く使うといいですね。いくつかの仕掛けを組み合わせれば、看破もされにくくなります」

「わかった。じゃあここはどうかな?」

「悪くありませんね。ならアクセントにこんな仕掛けを追加して――」

 見る間に乱立していく罠印。もうマーキングされていない所の方が少ないくらいだ。

 あらかたの助言を終わり、クレアは一息ついた。

「これくらいですか。ですがあなた達だけで全ての作業を行うんですか?」

「それも問題ない。あてがあるから」

「あら」

 協力者が他にもいるのだろうか。そんなことを考えるクレアの視界の端に、何やらゴソゴソと上着のポケットに手を入れるミリアムの姿が映り込む。

「実はクレアに手伝って欲しいことがもう一つあるんだよね~」

 ミリアムは取り出した数枚のカードをテーブルの上に並べた。色分けはされているが、別段変わったところはなさそうなカードである。

「このカードに書くことを考えて欲しいんだよね。必要な情報は伝えるからさ」

「意味がよく分からないのですが……」

「いいから、いいから!」

 話がどんどんと進んでいく一方。

 “嵌める”“仕掛ける”“逃げ道を塞ぐ”。不穏な言葉飛び交う彼女たちのやり取りを、聞かぬつもりでも耳に入ってきてしまう《キルシェ》の店主――フレッドはカウンターの陰に隠れつつ、軍に通報すべきかどうかの二択の間で揺れ動いていた。

 そんな事態になっているとはつゆ知らず、軍属――しかも士官――のクレアはペンを片手にカードと向き合っている。

「うーん、後はどうバラすかだよね」

「埋めたらさすがに分からないかな」

 フィーたちの一言にも戦々恐々とするフレッド。少しでもおかしな行動を見せたら、通信器のあるトリスタ駅まで全力疾走するつもりだった。

 知らずの内、氷の乙女に通報の危機が迫る。

「マスター、コーヒーをもう一杯頂けますか?」

「ひっ」

 カウンターの奥から短い悲鳴が聞こえ、同時にグラスやら調理器具やらが、けたたましい音を鳴らしながら床に散乱した。

 緊張の糸が切れてしまったのか、フレッドはその場にへたり込む。

「あーあ、大丈夫ー?」

「働き過ぎは良くないよ?」

「……私にも言って欲しいのですが」

 こうして時間は流れていく。

 この時、クレアは一つ見誤っていた。

 トラップを仕掛けるにあたり、フィーは技能向上、ミリアムは《C》の捕捉、もしくは捕縛と理由付けた。それはもちろん、まったくの嘘というわけではない。フィーが言う技能向上は当初の目的の一つではあるし、ミリアムが言う《C》の捕捉も、後付けの理由ながら意識の隅には置いている。

 しかし二人の最上位に来ている動機はただ一つ。

 “面白そうだから”

 これだけだと言うことを。

 

 ●

 

 翌日の放課後。

 部屋の隅にはコイルやパイプが乱雑に詰まれ、机には取り留めのない案を書きなぐった紙面が散乱している。

 おそらく学院服よりも多く着用したであろう愛用のつなぎに身を包み、ジョルジュ・ノームはいつもと変わらない技術棟の室内を見渡した。

「はあ……」

 恰幅のいい体躯には不似合いな、小さなため息がもれ落ちる。

 いつもと変わらないはずの技術棟なのに何かが違う。その理由は考えるまでもなかった。

 彼女がいないからだ。いつもそばにいて、長く同じ時間を過ごした彼女が。汗水を流して、一緒に導力バイクを作り上げた彼女が。

 目を閉じればすぐそこにいるような気がするのに、目を開ければやっぱりどこにもいない。やるせない思いが胸にこみ上げて、ジョルジュは一人、力ない笑みを浮かべた。

「はあ」

 二度目のため息。最近は座学にも身が入らず、技術部としての活動も停滞している。こんなことではいけないと思うのだが、どうしても心が奮い立たない。

 もう一度目を閉じる。今頃、彼女は何をしているだろうか。着慣れない清楚な服でも着させられているのだろうか。自分の柄ではないと言うだろうが、着慣れないだけで似合わないわけではないと思う。いや、きっと似合う。似合うに違いない。そんな姿で目の前に立たれたら、上手く喋ることができないかもしれない。

「はは……それこそ柄じゃないなあ」

 君は今、何を考えている。僕は今、考えることが辛い。

 当たり前に感じていた君の笑顔をもう一度見ることができたなら、僕はきっと何でも作ることができるのに。

「――アン……」

 その名を呟いてジョルジュは目を開ける。

「ジョルジュ」

「うわあ!?」

 目の前にフィーの顔があった。思わず引き下がったジョルジュは、後ろの作業台に腰をぶつけてしまう。

「いてて……い、いつからいたんだい?」

「ついさっきだけど。目なんか閉じてどうしたの?」

「い、いや。何でもないよ」

 ごまかすように苦笑して、「それで僕に用事かい?」と腰をさすりながら訊ねると、「そろそろかな」と、フィーは戸口に目を向けた。

 ガラガラという音がだんだん近付いてくる。扉が開き、フィーの背丈よりも高く荷物を積んだ台車が中に入ってきた。

「ひどいよ、フィー! 途中でボクを置いてっちゃうなんて」

「上り坂は一緒に押してあげたし、普通の道ならミリアム一人でも大丈夫だと思って」

 ぶんぶんと振り回す抗議の手が荷物の後ろに見え隠れし、ミリアムのむくれた声が飛んでくる。

「何だい、そのダンボールの山?」

 不思議そうに中身をのぞき込んだジョルジュは、思わず息を呑んだ。

 一見すると壊れた機材にしか見えず、実際そうなのだろうが、しかしその種類や規格の豊富さには驚かされた。品番を消されている上、解体までされているので、元々の用途も分からないものばかりだが、簡単に収集できる代物でないことは明らかだった。

 しかもそれがダンボール四箱である。

「どうして君達がこんなものを。どこで手に入れたんだい」

 そう問うも、二人は『企業秘密』の一点張りだった。Ⅶ組各自のコネクションがユニークであることは多少なり知っていたし、無用に詮索するつもりもなかったので、ジョルジュはそれ以上聞かないことにした。

 聞きたいことは一つ。これで自分に何をして欲しいかである。

 フィーはメモ張を手渡してきた。

 横から「ここに書いてあるのを作って欲しいんだ」とミリアムが割って入り、「一週間以内でよろしく」とフィーが付け足す。

 ミリアムが書いたのだろうか、メモには落書きのような図解が記載されている。その量は膨大だった。

「本当なら受けてあげたいんだけど、僕は今ちょっと」

 ――工具を握る気になれない。

 言葉が口から出る寸前で留まり、ジョルジュは押し詰まった喉を鳴らした。

「……ダメ?」

 二人の無垢な瞳がほのかに揺らいだ。

 首をうつむかせて、ジョルジュはメモ張をぺらぺらとめくってみる。図の横には“あんな感じで”とか“こんな感じで”だとか、曖昧な要望が多く添えられていた。

「難しい物ばかりだ」

 そういえば、とジョルジュは思い返す。

 導力バイクを作り始めた時もこうだった。

 落書きにも満たない稚拙なイラストに始まり、あんなのはどうか、こんなのはどうだと、何もないところからの試行錯誤だった。

「一つ聞きたいんだけど、これで君達は何をするんだい?」

「詳しくは言えないけど、楽しいこと」

「そうか。楽しいことか」

 バイクの製作は壁に突き当たってばかりだった。その度にやり方を変え、工夫し、少しずつ組み上げた。だが一度もそれを苦に思うことはなかった。ただ楽しいという感情だけがあった。放課後になるのが待ち遠しかった。

 初めてアンゼリカを乗せたバイクがよろめきながら進んだ時、とても嬉しかった。何よりその時の彼女の笑顔が最高だった。

 ああ、思い出した。

 何かを作ることは楽しくて、誰かが喜ぶことは嬉しいんだ。

「一週間以内。そう言ってたよね」

 メモを作業台の上に置き、ジョルジュはゴーグルの位置を調整する。

「期限は三日で構わない」

「受けてくれるの?」

「もちろんさ。僕は技術部の部長だからね」

 考え込んで、落ち込んで、ふさぎ込んで、それで作ることをやめたら、一体僕にに何が残る?

 アンはきっと立ち止まっていない。ならば僕も立ち止まらない。次に会う時、胸を張っていられるように。

「さあ、やろうかな」

 迷いのない手つきで、ジョルジュは工具を手に取った。

 

 

 

 そして三日が経った深夜二時。

 第三学生寮は闇と静寂に包まれていた。当然ながら起きている人間は誰もいない。Ⅶ組の面々はもちろん、サラとシャロンもすでに就寝中である。

 明かりの消えた一階ラウンジに、うごめく小さな影が二つ。

「行くよ」

 小声でフィーが告げ、傍らのミリアムは「うん……」と眠たさの抜けない声で応じた。

 ジョルジュからは今日の――日付が変わっているので正確には昨日の――放課後に、三日前依頼していた物品の数々を受け取っている。

 ほとんど徹夜状態で仕上げてくれたらしく、最後の方はジョルジュ自身の記憶も不鮮明だそうだ。完成品のいくつかには、頼んでもいない機能が追加されている物もあったりする。

 それらはまだ一固めにして学院に隠してある。トラップを仕掛けるのは今から朝にかけて行うが、その前に、フィー達には先にやっておくべきことがあった。

「じゃあ、全員の宝物を回収に行こっか」

「みんなの大事にしてる物って何だろうね?」

「それはこれから部屋で探す。音を立てないように注意して」

「りょーかい」

 これである。

 遅かれ早かれ罠が仕掛けられていることに気付けば、学院側としては然るべき対応を取るだろう。まず優先して屋内トラップの介助を行い安全スペースの確保。平日なので授業を行いつつ、みだりに外を出歩かぬよう学院生に注意促し。そして落ち着いた頃合いで屋外トラップの撤去。平行して行われる犯人捜し。内容が内容なので自分達に疑いが向けられる可能性は高い。

 彼らにとっては最良で、自分達にとっては最悪の展開。それでは計画が台無しだ。

 ならば罠があると分かっていても、火中に飛び込まざるを得ない状況を作ればいい。その為には餌が必須だった。危険を承知で取り返しに来るであろう餌が。餌と言う言葉が悪ければ、個々が大切にしているであろう宝物が。

 皆が起きる頃、自分達は“宝物”と一緒に学院のどこかに隠れている。このタイミングで姿を消せば、疑惑など通り越して確信するだろう。あいつらの仕業だと。

 それでいい。やる以上は相応のリスクを背負うつもりだ。餌と言うならこの身をも餌とする。

 宝物を取り戻し、自分達を捕らえる。彼らの動機としては、それで十分なはずだ。

「静かにね」

「うん」

 重たいまぶたを擦り、二人はゆっくりと階段を登り始めた。

 

 

 まずは二階。とりあえず階段を上がって左奥、クロウの部屋から時計回りに訪室することにした。

 ドアの前に立って聞き耳を立てると、中からいびきの音が聞こえてくる。

 そっとドアノブを回し、足元に注意しながら部屋の中に踏み入ってみる。

 目を凝らして部屋内を見てみると、意外にもそこまで散らかってはいなかった。もしかしたら第二学生寮の自室に多少の荷物は残してきているのかもしれない。

 当のクロウはベッドで眠っている。寝相は悪くないようだが、体に掛けているのは薄手のタオルケットのみだ。

「何持っていく?」

 小さな声でミリアムがフィーに訊く。

「壁のダーツ盤、棚にあるブレードのカード……どれにしようか」

 あまり大きな物は持って行けないし、加えて本人にとってそこそこの価値がなければ意味がない。

 「にしし」と笑って、ミリアムは枕側の壁を指差した。

 そこに貼られていたのは、水着のお姉さんが悩ましげなポーズを取っている一枚のポスターだった。

「あれは?」

「剥がしたら音が出そうだし無理だと思うけど」

「そっかあ。でもあのポスターのお姉さん、フィーとは真逆の体型だよね」

「ミリアムほどじゃないから」

「なにをー。ボクだって五年後には――」

 うっかり声のトーンを上げてしまう。クロウがベッド上で動いた。

 とっさにお互いの口をふさぐフィーとミリアム。

「……うーん? マキアス……俺のレポートを代わりにやりやがれ……」

 どうやら寝言らしい。ほっと一息ついたフィーは「レポート?」と、机に近寄った。途中までかき上げている導力学のレポート用紙が、束になって置いてある。

「……これだね」

 単位取得が厳しく、卒業が危ぶまれるクロウにとっては、一科目のレポート――さらにその提出遅れでさえも命取りになる。きっと死に者狂いで取り返しに来ることだろう。

 フィーはためらうことなく、レポート用紙を回収した。

 

 

 ――二人目、リィンの部屋。

「あの太刀は持って行けないね」

「長いし、用意してた袋に入らないよ」

 質素とは言わないまでも簡素な部屋だった。室内で稽古をすることがある為か、中央付近には家具を置かず、スペースを設けている。

 リィンも眠っている。ここは要注意部屋の一つ。リィン、ガイウス辺りは気配を感じ取って目を醒ます恐れがある。先にも増して慎重にならなければいけない。

 だが部屋の物自体は少なかった。持って行けるとしたらラジオかカメラか。

「導力カメラが妥当かな」

 棚に手を伸ばそうとしたフィーに、ミリアムは何かを差し出した。

「これが机の上にあったよ」

「手紙?」

 寝しなにシャロンから受け取ったのだろうか。まだ封も開けていない。裏返して差出人を見ると『Elese Schwarzer』の表記。エリゼからの手紙だ。

 多分これに勝るものは、ない。

「とりあえず預かるね」

 一応そう断ってから、フィーは手紙を懐にしまう。部屋を出ようとした矢先、リィンが「うーん」と苦しそうにうなった。わずかばかり緊張し、二人は動きを止める。

「許してくれ……俺が悪かった……」

 なぜか逆に謝られてしまった。

 

 

 ――三人目、エリオットの部屋。

「うん、あれしかないね」

「だね」

 考えるまでもなく、目星はついている。壁にかかっているバイオリンだ。楽器をそのまま持って行くわけではない。回収するのはバイオリン自体ではなく、その弓。エリオットが手になじむから、特に愛用していると言ったことをフィーは覚えていた。

「……さすがにエリオットは寝相がいいみたい」

 小さく一定の寝息を立てながら、穏やかな表情で眠っている。胸元から見える寝間着の色は薄いオレンジで、所々星のペイントがされていた。頭に三角キャップをつければ、そこいらのお姉さんなら悶絶するくらいの、愛嬌ある寝姿である。

「んー……猛将って言うの、やめて下さい……」

 なにやら切実そうな寝言をもらし、エリオットは寝返りを打つ。どうやらうなされているようだ。

「悩み事があるのかな?」

「今度話聞いてあげよう」

 立てかけてあったバイオリン弓を手にし、二人はそそくさと退出した。

 

 

 ――四人目、ユーシスの部屋。

 この部屋も整然としているというか、余計な物が置かれていない印象である。

 棚にある皿やティーカップはいかにも高級そうだが、ユーシスがそこまで大事にしているとは思えない。多分一家具類程度の認識だろう。

「よく寝てるね。こんなに無防備なユーシスは珍しいし、何かしたくなっちゃうなあ」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ひょこひょことベッドに近付くミリアムを「それは学院でやるから」とフィーがたしなめる。

「このフカフカそうな枕は?」

「取ったらさすがに起きるでしょ」

 物があり過ぎても悩むが、無くても困る。

 壁に飾ってあるアルバレア公爵家の旗でも持って行こうかと思案していると、ふと甘い香りが鼻先をくすぐった。

 匂いの元をたどると、棚のティーカップ横に色鮮やかな包み紙を見つけた。この香りには覚えがある。ロジーヌの手作りクッキーだ。

 先日、教会で行った劇のお礼にと、全員が彼女からクッキーをもらっている。しかしユーシスのは装丁が違うし、中身も多い気がした。

 にやにやしながら、ミリアムが言う。

「にしし、これに決定~」

「待って。多分、そろそろ来る」

「え?」

 ごそりとユーシスが動いた。

「待つがいい」

 ユーシスはこちらに首を向ける。焦るミリアムだが、落ち着いて見てみればユーシスの目は開いていない。

「……何なら馬で送っていってやろう……」

 もそもそと枕の位置を調節し、再びユーシスは動かなくなる。「間に合ってるから大丈夫」とだけ返して、クッキーを手にフィーは戸口へと向かった。

「……結構みんな寝言言うんだね。もしかしてボクも言ってるのかな?」

「気になるなら、部屋に録音機置いて寝てみたら?」 

 深夜の宝物回収は順調に進んでいた。

 

 

 ――五人目、ガイウスの部屋。

 Ⅶ組メンバーの中で、一番個性が出ている部屋だった。所々に飾られている装飾品は、ノルドの実家から持って来たもので、民族的な意匠というか、独特の雰囲気がその部屋にはあった。

「この部屋は気をつけて」

「わかってるよ」

 先のリィン同様、些細な気配を感じて反応される可能性がある。あまり長居は出来ない部屋だ。

「フィー、これは?」

 ミリアムが言うのは、キャンバスに描かれた一枚の絵。まだ下書き段階だったが、雄大な自然がモチーフであることは分かる。学院祭に出展するつもりの絵かもしれない。

「さすがにこれは大きいから――」

「違うよ、その横」

 横と言われて目線をずらすと、そこにあったのは絵の具チューブ。

「あ、そういえばガイウス、緑色にはこだわってた。いくつかの色を混ぜ合わせて、納得する色を出すとか」

 通称ノルドグリーン。配合色なら代用品がないはずだ。

「ん、これ」

 ひょいと緑の絵の具チューブを摘まむと、フィーは軽く身構えた。意図を理解し、ミリアムも姿勢を低くする。

 この辺りで、また寝言が来る。そう思っていたが、ガイウスはすやすやと眠っていた。身じろぎの気配さえない。

「……大丈夫みたい」

 考えてみれば寝言を言うタイミングで毎回訪室する方が難しい。寝言に警戒するのも妙な話だったが、とにもかくにも二人はそろそろと扉に引き返そうとする。

「ハイヤーッ!!」

 凄まじい気迫の掛け声が背中から突き刺さった。全身の毛を逆立てる猫のように、フィーとミリアムはそろって肩をビクリと震わせた。

 ドクンドクンと早まる鼓動のまま、ぎこちなく振り返ると、ガイウスは何事もなかったかのように眠り続けている。どうやら今のも寝言だ。

「……自分の声では起きないんだねー」

「意外と鈍いのかも……?」

 

 

 ――六人目、マキアス。

 この部屋は部屋主の性格がよく表れていた。

 本棚の中は書籍の高さ毎にそろえられ、ちょっとした置物なんかは、全て乱れなく直角置きを厳守されている。植木がいくつか飾ってあるが、そばの計量カップを見る限り、水やりですら一定の分量を計測しているらしい。

「何持ってく?」

「チェス」 

 ミリアムの問いに、即答するフィー。

 テーブルの上にはご丁寧にチェス盤と、その上に並び立つ駒が置いてある。

「そういえばルビィにもチェスの駒取られたことあったんだっけ」

 あの時もマキアスは必死に探し回ったようなので、今回も同様の反応を見せるだろう。

 と、ここでマキアスが「ええ?」と声をあげた。

「……レポートぐらい先輩がやってくださいよ……僕は知りませんってば……」

 そして沈黙。

「もしかして夢でクロウと会話してる?」

「あはは、仲いいねー」 

 気を取り直して、ミリアムがチェスの駒を取ろうとする。何かに気付いたフィーが、その手をやんわりと制止した。

「なに? どうしたの?」

「やっぱりあれにしよう」

 マキアスの枕元には、きらりと光る眼鏡があった。

 

 

 ――七人目、アリサの部屋。 

 男子部屋の潜入を終え、次に向かったのは三階の女子部屋だ。

 まず二人が入ったのはアリサの部屋である。薄紅色の絨毯が敷かれ、きらびやかな小物類が飾られている。男子達とは反対の意味で、何を持って行くか悩みどころが多い部屋だった。

「これだけあったら小物が一つ無くなってても気付かなさそう」

 いい物はないだろうかと、部屋の中を見回す。

 香水、花、壁掛けの絵画、ラクロスのラケット、ユニフォーム、高そうな皿。

 ユーシスの部屋もそうだったが、実家がお金持ちだと部屋に皿を飾るのだろうか。自分にはよく分からない感覚だと不思議に思いながら、フィーはアリサの寝顔をのぞき込んだ。

「ううん……」

 これはなにか言う。雰囲気で察し、フィーは身を引く。

「……ちょっと、リィン。あなたってばどうしていつも……もう」

 むすっとした後、またスースーと寝息を立てだした。

「リィンの夢見てるのかな。もしかしてリィンが寝言で謝ってたのってアリサに?」

 夢の中でもリィンはアリサに責められているらしい。若干不憫に感じながらも、フィーは当初の目的に思考を戻す。

「いいのあるかな」

「こんなの見つけたよ」

 ミリアムが持って来たのは一冊のノート。表紙を見るに、おそらくは日記帳か。

「人の日記は読んじゃダメだと思うけど……ちょっとだけ」

 気兼ねしながらも数ページめくってみると、やはり日々の出来事が綴ってあるようだ。暗がりで細かい文字までは読み取れなかったが。

「とりあえずこれにしよっか」

「異論なーし」

「声が大きいってば」

 

 

 ――八人目、ラウラの部屋。

「……まったく、そなたはどうしていつもそうなのだ……」

 部屋に入るなり、ラウラの寝言が聞こえてくる。

「またリィンのことかな」

「リィンも眠りながら謝ってるんじゃない?」

 青色を基調にしているというのが、いかにもラウラらしい部屋だ。リィンと同じように稽古でもするのか、物は少なく部屋中央のスペースが広く取られている。

 一応インテリアの類はあるが、そこまで目を惹かれる物はなかった。強いて言えば、みっしぃのぬいぐるみくらいか。しかしこれも、とりあえず飾っておいた感が強い。

 暗い部屋の隅では、みっしぃの着ぐるみが異様な存在感を醸し出している。さすがにあれは運べない。

 フィーが困っていると、またミリアムが何かを見つけてきた。彼女は捜索や探索に秀でている節がある。考えてみれば諜報部所属なので、持って然るべき素質かもしれないが。

「なにそれ。また日記?」

「違うよ。メモ帳みたい。暗くてあんまり見えないけど、多分料理とかのレシピを書いてるね」

 最近ラウラは調理場をよく使うようになった。シャロンに教えを乞う姿も時々見かける。ついでに味見薬のリィンが、口から黒煙を吐いている姿も。

 ともあれ持って行けそうなものはこれくらいしかない。

 その折、ラウラが小さく笑みをこぼす。

「ふふ……次は何を作ろうか……」

 嬉しそうな寝言だが、不吉を孕んでいるようにしか聞こえなかった。

 

 

 ――九人目、エマの部屋。

 ようやく最後の部屋だ。ドアを開くなり、ハーブの匂いが鼻の奥に抜けていく。

「委員長の宝物と言えば……」

「やっぱり本とか?」

 机には読みかけの本が重なっていたが、本、というのもあまりしっくり来ない気がする。何気なく視線を落とすと、机下部の引き出しが少しだけ開いていた。

 のぞいてみると、引き出しの最奥に少し大きめの封筒が収まっている。封筒は何重にもテープ張りされ、中を開けられないようになっていた。

「なんだと思う?」

「うーん、これだけ厳重に保管してるってことは大切なものだよね」

 あまり悩んでいる時間もない。この後は肝心のトラップ仕掛けが残っているのだ。

「これにしてみる?」

「うん!」

 ようやく九人分の宝物が手に入った。

 そこで気の緩みが生まれたのか、封筒を引き出しから引き抜く際に、手が机にぶつかってしまった。ガタリと響く音。

「フィーちゃん、ミリアムちゃん。どうしたんです?」

 エマに呼び止められ、二人は後じさった。

「い、委員長、起きたの?」

「しまったかも」

 ここにきて、計画が全て台無しになった。

「ダメですよ、こんな時間に。二人して何をするつもりなんですか?」

「えっと、それは」

 とりあえずごまかしてみるか、あるいはクレアと同様に協力者になってもらうか。いや、エマに限ってそれは難しい。

 二の手、三の手と思案してみるも、彼女相手に通じるとは思えなかった。

「明日も早いんですから、しっかり寝ないとだめですよ。あと好き嫌いせずに何でも食べないと大きくなれませんからね」

「委員長、なに言ってるの?」

「……もう、胸の話なんかしていません……」

 そっと枕元に回って顔を見てみると、小さな寝息が聞こえてくる。エマは眠っていた。

「え、今の全部寝言?」

「名前まで呼んでたけど」

 Ⅶ組の委員長は、就寝中でもハイスペックだった。

 

 

 ラウンジに戻った二人は学院へ向かう準備をする。

 九人から無断借用した――もとい預かった宝物を袋に詰めるのだが、袋は二つ用意されていた。

「ユーシスのクッキーを入れて、と」

「フィー、マキアスの眼鏡はどっちの袋?」

「回収した宝物は全部右の袋に入れて」

「りょーかい」

 太陽はまだ昇っていない。こんな時間に起きていることなどまずないが、気を張って動いていたせいか、眠気は吹き飛んでいた。昼寝を十分に取ったことも功を奏しているようだ。

「ねえ、サラとシャロンの宝物は持って行かなくてよかったの?」

「サラの部屋は酒瓶くらいしかないし、シャロンは……あとが怖いし」

「うん、シャロンはやめとこう」

 リビングでごそごそしていたら、ソファーで眠るルビィが首を持ち上げた。

「あ、起こしちゃった? すぐ出ていくから吠えないでね」

 ルビィの頭を一撫でして、ミリアムは片方の袋を担ぐ。フィーももう一つの袋を持ち、玄関へと進んだ。

「れっつ」

「ごー」

 その言葉を合図にフィーとミリアムは寮を出る。あくびをするルビィは、遠ざかる小さい背中を見送った。

 

 ●

 

 夜が明けた。

 天気は雲一つない秋晴れ。柔らかな日差しが、寮内に差し込んでくる。

 Ⅶ組の面々が異変に気付いたのは、起床して間もなくのことだった。リビングに降りて来るなり、一様に不思議そうな顔をしている。

「そうか、エリオットはバイオリンの弓で、ガイウスは絵の具か」

 リィンが言うと、二人はうなずいた。

「そうなのだ。昨日の夜まではあったんだが」

「同じくだよ。リィンは妹さんからの手紙だよね」

「ああ、非常にまずい」

 ガイウスとエリオットの場合は部活動に関わってきて、リィンの場合はエリゼの機嫌に関わってくる。

「ユーシスはどうだ。何か失くなったのか?」

 壁際にもたれ掛かるユーシスは、明らかに不機嫌な様子だった。むすっとして彼は言う。

「俺も失くなった物がある」

「そうだったか。それで何が?」

「お前が知る必要はあるまい」

 詮索するなと暗に含めた鋭い視線がリィンを射抜く。剣幕に押されて口ごもったリィンをよそに、「くそっ」と毒づいたユーシスは、苛立ち紛れに背後の壁をだんと叩いた。

 女子たちも身支度を済まし階段を下りてくる。その反応は男子達と同じだ。

「弱ったな。新作レシピをメモしておいたのだが」

「あ、あの日記を誰かに読まれた日には……私死ぬから」

「うう、ガイラーさんの小説、封印してたのに、封印してたのに……何で引き出しが開いてたんでしょう」

 三者三様に困り果てている様子である。

 ラウラは料理手帳が、アリサは日記が、エマは言葉を濁していたが、文芸部関係の小説が、それぞれ朝には失くなっていたと言う。

「この場にいないのは、クロウとフィー、あとマキアスとミリアムだな。あ、クロウは用事があるから先に学院に行くって言ってたか。マキアスは――」

「だああ!?」

 リィンの言葉をかき消しながら、マキアスが階段から転がり落ちてきた。いつになくご機嫌斜めなユーシスが「斬新な朝の挨拶だな」と鼻を鳴らすと、体を起こしたマキアスは「君こそ朝から嫌味か!」と近くのエマに食い掛かった。

「きゃあ!?」

 いきなり接近され、のけぞるエマ。マキアスは眼を細め「も、もしかしてエマ君か?」と慌てて身を引いた。

「いや、すまない。朝起きたら眼鏡が失くなっていたんだ。視界がぼやけて、この通り足元もおぼつかなくて」

「……マキアスもか。この様子だとフィーとミリアムも何か失くなっていそうだな」

 不可解さに顔をしかめるリィンに「それなんですけど……」とエマが小首を傾げた。

「フィーちゃんもミリアムちゃんもお部屋にいないんです」

 その意味はすぐに全員が理解した。いつも起こしても起きない二人が、今日に限って先に寮を出ている。良い予感はしなかった。

「とりあえず学院に行こう。あの二人の仕業だと決まったわけじゃないが、フィーたちを見つけて話を聞く必要はありそうだ」

 リィンの提案に異論は出なかった。

 あっちこっちにぶつかるマキアスをその都度誘導しながら、一同はトールズ士官学院を目指す。

 

 

 学院の正門を抜けるや否や、いつもと違う朝の雰囲気をリィンたちは肌で感じていた。

 あちらこちらから喧騒が聞こえてくるし、校舎内からは忙しない足音がここまで響いてくる。

 少し見渡せば、何人もの学生が血相を変えて、そこかしこを走り回っていた。その表情には焦燥、戸惑い、恐怖など様々な感情が窺える。中には立ちすくんで空を見上げ、乾いた笑みを湛えている者もいた。

 状況が理解できず、困惑する一同の耳に「ようやく来やがったか」と焦れた声が届く。

 正門近くの木の下にクロウがいた。

「お前ら、待ちかねたぜ」

 嘆息交じりの出迎えに、リィンは困惑の目を向ける。 

「一体どういう状況なんだ?」

「どうもこうもねえ。書いてる途中のレポート用に、資料を図書館まで探しに行こうとしてたんだが、気付いたら用紙自体が部屋に無くてよ。昨日は机にも座ってねえし、もしかして学院に忘れちまったかと思って一足早くやってきたんだが」

「いや、そうじゃなくてだな」

「ああ、なんか学院中が騒がしいよな。クク、理由は想像がつくけどな」

「俺が言ってるのは、クロウの状況なんだが」

 薄ら笑いを浮かべるクロウは、紐で足を括られて、木の枝に逆さまに吊るされていた。成すがままに、というか成す術もなく、風が吹く度ゆらゆらとミノ虫のように揺れている。

「教室に行こうとしてこの木の下を通りがかったら、いきなり地中から縄が飛び出してきてな。気付けば視界が上下反転だ。解こうとはしたんだが、かなり頑丈な結び目でまったく取れずに、そんで今に至る訳よ」 

 宙吊りのまま経緯を語るクロウは、なぜかニヒルな態度を崩さない。

 一体何が起きているのか。改めて辺りを見回してみると、他の木に吊るされていたり、草むらの陰で突っ伏していたりと、不憫なことになっている生徒が散在していた。

「フィーだろうか?」

 ラウラが言う。仕掛けられた罠の数々は、見る限り彼女の得意とする系統のものだ。

「そうだとしたら捕らえる必要があるな。共犯だとしたらミリアムもだ」

 ユーシスの言葉には棘があった。

「待って下さい。まだフィーちゃん達だと決まったわけじゃありませんし」

 二人を庇うエマだったが、「いや、あいつらに間違いねえぜ」とクロウが断言する。

「なんで言い切れるんですか?」

「あいつら、お前らが来るちょっと前に俺のところへ来て、背中になにか張り付けて行きやがったんだ。この状態の俺を見てもリアクションが薄かったし、もう決まりだろ」

「背中に張り付ける?」

 エマがクロウの背中を確認すると、カードらしきものが貼られている。トランプほどの大きさの、白いカードだった。

「裏面に何か書いてありますね。えーと……“失われし供物を求めし者達よ。獅子の庭に散らばりし四色(ししき)(しるべ)を収め、さらなる道を歩め”……です」

 どこかで見た趣向。覚えのある回りくどさ。

 嫌な既視感が脳裏をよぎる。

 互いに顔を見合わせ、「あれだよな」とか「あれね」などの一応の確認をして、全員同時にがくりと肩を落とす。目的は分からないが、やりたいことは分かった。

 無くなった私物の居所は、このカードがヒントになっているのだろう。

 話している間にも、絶え間ない悲鳴、叫喚、慟哭、嗚咽が、徐々に大きくなっていく。

「あまりゆっくり考えている時間はないみたいだ」

 リィンは息をつく。

 もはや死地に足を踏み入れ、このゲームに乗るしか道はない。全員が生唾を飲み下し、覚悟を決める。

 幸いにもフィーが仕掛ける罠の類は知っているし、ミリアムは同行している程度と予測できた。警戒すれば突破することは可能。リィンたちはそう考える。

 だが彼らは知らなかった。

 ちびっこ二人の仕掛けてきたトラップ騒動。そこに導力演算機と称される頭脳の持ち主と、ルーレ工科大学から誘いを受けるほどの技術者が、バックボーンに付いていることを。

 危険地帯と化した学院を舞台に、命がけの宝探しが始まった。

 

 

~中編に続く~




前編をお付き合い頂きありがとうございます。

というわけでちびっこトラップスタートです。
今回の陣営と目的を整理しますと――
Ⅶ組+全学院生VSフィー、ミリアム、ジョルジュ、クレア連合軍(ただしジョルジュは巻き込まれていることを知らない)

フィールドは学院全域。
勝利条件はフィー、ミリアムの捕縛、もしくは取られた物品の奪還を果たす。
敗北条件はⅦ組勢の全滅、もしくは学院生が殲滅される。


以下、取り返すべき物品まとめです。

リィン…… 『エリゼからの手紙』
アリサ…… 『日記』
ユーシス……『ロジーヌのクッキー』
エマ……  『Gの小説』
クロウ…… 『導力学のレポート』
エリオット…『バイオリンの弓』
ラウラ…… 『料理手帳』
ガイウス……『ノルドグリーンの絵の具』
マキアス……『眼鏡』

それでは中編もお楽しみ頂ければ幸いです。

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