虹の軌跡   作:テッチー

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ちびっこトラップ(中編②)

「あー、終わった」

 中庭でめいっぱいに伸びをし、サラは青い空を仰いだ。緑葉の匂いを運びながら肌を撫でていく風は、ひんやりとして心地良い。

 今日は朝一で出勤し、先ほど連日溜まっていたデスクワークを片付け終わったところである。

「んー、たまには早起きもいいもんね」

 仕事がすんなり片付いたのは僥倖だった。もしハインリッヒ教頭にでも絡まれていたら、段取りはあっという間に狂い、早起きの努力も水泡と帰し、こんなすがすがしい気分にはなれなかっただろう。

「それにしても、なんだか騒がしいわね……この時間ってこんなに賑やかだったかしら?」

 色んな方角から、ざわめきとどよめきが絶え間なく聞こえてくる。

 なにせこの時間に学院にいること自体が久しぶりなのだ。朝の喧騒度合いなど、分かるはずもない。

 腕時計に目を落とす。教材やらの準備の為に一度教官室に戻る必要があるが、時間にはまだ余裕があった。もう少しゆっくりしていこう。

 サラは中庭のベンチに座る。花壇の奥にある池が、陽光を受けて水面を煌めかせていた。

 早朝特有の清々しさだ。たまの早起きも悪くないかもしれない。

 

 ――カチリ。

 

 どこからかそんな音がした。小鳥のさえずりでも、虫の鳴き声でも、枝葉が風に揺れる音でもない。明らかに異質で、人為的な音。

「……なに?」

 異変を感じても無用に取り乱したりはしない。くつろいだ姿勢は崩さないまま、目線だけで周囲に警戒を巡らす。

 すでにそれは始まっていた。

 サラがベンチに座ると同時に、座面裏に設置してあった重量センサーが働き、導力信号を四脚それぞれに伝達する。信号を受信した四脚は、接地部分に仕込まれていた強力なスプリングを一気に稼働させる。

 結果、ベンチは鋭く跳ね上がり、スリングショットの弾になったみたいに、サラは勢いよく中空に投げ出された。

「きゃあああ!?」

 悲鳴もろともアーチを描いて、サラはそのまま池に頭からダイブする。盛大な水しぶきがあがり、大量の雨を花壇に降り注がせた。

「ぷはっ、なによ、なんなのよお!」

 水面に顔を出し、額にかかった前髪をかき上げた時である。見慣れていて、かと言って見たいわけでもない、あのちょび髭が目の前にあった。

「相変わらず朝から騒々しいことだ」

 サラと同じく水面から顔を出して、仏頂面を浮かべるハインリッヒ教頭は、この状況であっても恒例の嫌味を飛ばしてくる。

「まったくあのベンチはどうなっているのだ。どうせまた君の教え子の誰かがやったのではないのかね?」

「そんなことない――」

 断言したかったが、フィー辺りがやらかした可能性は無きにしも非ず。とっさには言い切れず、「――と思いますけど」と濁してから、サラは顔の下半分を水に沈めた。

「思うとはどういうことだ! そもそも君の管理能力が――」

 始まった長口上の説教。

 責任の何たるかを云々かんぬん。日常業務の処理について云々かんぬん。さらに輝かしい帝国の未来と、それを支える若者たちの正しい在り様について云々かんぬん。挙句の果てには、私の若い頃は云々かんぬん。

「重々承知しております。ええ、はい。そろそろホームルームの準備に……ええ、すみません。以後気を付けます。気を付けますから、そろそろ……」

 清々しい朝の一時はあっという間に崩れ去る。何が悲しくて、こんな池のど真ん中でくどくどと粘着質な説教をされなければいけないのか。

 その時、沈まないようにばたつかせていた足の片方が、ハインリッヒの膝頭に接触した。

「ぬあっ!? 君、ついに暴力行為かね! 見えないのをいいことに」

「申し訳ありませんが偶然です。だって足を動かさないと沈んじゃいますし」

 偶然なのは本当だったが、さすがに言葉に険が乗る。そんなタイミングで。

「いたっ。あ! 教頭、私の足蹴りましたね!?」

「ぐ、偶然だ!」

「ひどい! あーあ、アザになってたらどうしましょう。ベアトリクス教官に手当してもらわないと」

 勝ち誇ったような笑みで、サラはハインリッヒを一瞥した。

「貴様っ、陰険な!」

「どっちがですか!」

 水を掛けながらの水掛け論。その水面下で、互いの足が激しくぶつかり合う。

「むう! おのれっ! 言っておくがこれは偶然だ!」

「はっ! せい! こちらこそ偶然ですから!」

 二人の周りにバシャバシャと飛沫と波紋が広がっていく。

「くぬくぬくぬくぬっ!」

「このこのこのこのっ!」

 不毛で無益な偶然は、目下継続中である。

 

 ●

 

「おそらくここであろうな」

 ラウラたち第二班が訪れていたのはギムナジウムだった。その入り口前で三人は足を止めている。

「ああ、僕もそう思う」

「俺も異論はない」

 マキアスとガイウスも納得のようで、三人はカスパルから受け取った白いカードの文章を今一度確認した。

 

 “――揺れる鏡は四角き揺籃 その身を捧げ、贄となれ――”

 

「まあ、後半部分はよく分からぬが……」

 “揺れる鏡”は水面。“四角き揺籃”はそのままプールを指していると想像できた。問題は後半、横並ぶ不穏なワードが、不安感を否応なく煽ってくる。

 ギムナジウムから悲鳴の類は聞こえてこないが、それでも油断するつもりはない。

 ラウラたちは気を入れ直し、扉を開いた。

「では私とガイウスでプール周りを探してくる。マキアスは更衣室と練武場を頼む」

「やむを得ないな。任せてくれ」

 眼鏡がなくて、よたよたとうろつき回る内、プールに落ちられては敵わない。

 “四角き揺籃”はプールの事だと思うが、確証がない以上、施設内での探索範囲は広げておきたかった。

「分かっているだろうが、男子更衣室のみだぞ」

「当たり前だ。視界がぼやけているといっても、そのくらいの班別はできるぞ」

 心外だとばかりに眉根を寄せるマキアスに、「ならばいいのだが」とラウラはプール側に向き直った。

 

 一旦マキアスと別れたラウラとガイウスがはプールサイドに足を踏み入れる。水着姿のクレインがタオルで髪を拭いているところだった。

「おう、お前らどうした。自主練にしては遅いな。もう授業も始まるし撤収するとこだぞ」

 タオルを肩にかけて、クレインは二人に言った。

「いえ、自主稽古に来たわけではありません」

「先輩は朝から練習していたんですか?」

「そうだが?」

 ずっとギムナジウムにいたと言うクレインは、外の惨状をまったく知らないらしい。

 一通りの事情をかいつまんで説明すると、彼はげんなりとしてかぶりを振った。

「お前ら、朝っぱらから何やってんだよ。けどプール内で特に変わった物は見なかったな」

「そうでしたか……ん、あれは?」

 何とはなしにプールへ視線を移したガイウスは、水の底に沈む何かを見つけた。

「別に何も……いや、確かに何かあるな。というかお前、目いいな。さっきまでそこで泳いでいたが、俺は気付かなかったぜ」

「高原育ちなので」

 プールの底でかすかに揺れているのは、小さな立方体型のプラスチック箱だ。半透明で水に同化していたから近づいても分からなかったのだろう。屈折率の加減か、ある一定の角度に立つとかろうじて視認できるくらいで、かなり秀逸なカムフラージュ方法だった。

「ったく、あれを取ってきたらいいんだな」

「部長の手をわずらわせるなど、私が行きましょう。それに何かしらのトラップが仕掛けてあるかもしれません」

「いいって。今から水着に着換えてたら面倒だろうが。第一、ずっと泳いでたけど別におかしなことは起こってないしよ」

 ラウラの警告に応じず、クレインは迷わずプールに飛び込んだ。

 さすが水泳部部長と言うべきか、あっという間にプールの中央まで泳いでいく。そのまま鮮やかに潜水し、水底の箱に手をかけた。

「よしっ回収。なんか青色のクリアカードが入ってるな。今そっちに持って――うおっ?」

 急に水面が波打ち始めたかと思ったら、さながら洗濯機のように水が回転し始めた。息つく間もなくプール内に大渦が生成されていく。

「うおおおお!?」

「クレイン先輩!」

「これは……」

 ラウラもガイウスもこの仕掛けには覚えがあった。九月の中頃にラウラがエリオットとガイウスに課した強制特訓――その際に使用した大渦発生機である。

「なぜあれがここに?」

 ラウラは首をひねった。

 あの時に使った特訓用機械の数々は、全てジョルジュに返却している。もし同じ物を使用しているとしたら、フィーたちが無断借用したか、あるいはジョルジュ自身が手渡したか――

「クレイン先輩! 早くこっちへ」

 ガイウスが叫ぶ。

 大渦に苦心しながらも、クレインは力強い腕の振りで少しずつプールサイド側に近付いていた。

「くっそ、急にどうしやがったんだ!? さっきまでは普通に泳げてたのに! まさかこの箱を動かしたからか」

 今にも荒波に呑まれそうなクレインが口走ったその推察は、実は的を射ていた。

 箱の下には動体センサーが取り付けてあり、垂直移動を行った場合にのみ遠隔信号によって大渦発生器が作動する仕組みだったのだ。

 さらにもう一つ。

「な、なんだ?」

 波間で喘ぐクレインは、ポンプの異常な振動を感じた。続いて、ろ過用給水口から、白い霧状の粉が大量に吹き出してくる。膨大な量だ。

「うっ!?」

 途端に水が重くなる。腕のひとかきは鉛でも括られているように、足のひと蹴りは沼地に埋まっているかのように、普段の何倍もの負荷がかかる。

 急速に四肢の自由が制限されていき、大渦に流されるままクレインは再びプールの中央まで押し戻されてしまった。

「この粉は一体……」

 プールサイドで屈んで、ガイウスは水をすくってみる。手の中のそれはただの水ではなく、粘り気ととろみのある液体に変わっていた。

「まさか、片栗粉か?」

「いや、違うな」

 その横でラウラは、いまだ噴出し続ける白い粉を眺めながら言った。

「片栗粉だけなら加熱しないととろみがつかない。これはおそらく片栗粉に増粘多糖類などを加えたものだ。細粒状で冷たい飲料などにもとろみをつけられる。水に入れたらよくかき混ぜる必要があるが、この大渦がその役割を十分に果たしているのだろう」

 嚥下状態の低下した高齢者や傷病人などによく使用される。最近料理本を読みあさる為、この手の知識だけは増えていくラウラだった。

「だあああ!」

 その間もクレインはプールの中央でぐるぐると回転している。

「“その身を捧げ、贄となれ”とはこういうことか」

「クレイン部長、早く脱出を。そのままではニエになります」

「ニエってなんだよ!」

 どんなに卓越していても、ゲル状の中で泳げる人間などいない。

 己の最後を悟ったクレインは残された力を振り絞って、ずっと手放さなかった箱をプールサイドに放り投げた。放物線を描いて高々と飛んだそれを、しっかりとガイウスがキャッチする。

「確かに受け取りました。先輩も早く脱出を――」

 クレインの様子が変だった。先ほどまでの必死の形相とは打って変わって、笑みさえ浮かべるほどの穏やかな表情だった。

「クレイン……先輩?」

「ガイウス」

 猛る渦から響く静かな声。

「俺の弟と妹に、兄ちゃんは最後まで泳ぎ切ったと伝えてくれないか」

「なにを……」

「お前になら頼める。お前は俺の弟分だからな」

「まだ諦めてはいけない。兄は……兄とは強くあるものです」

 ガイウスは拳を固く握る。クレインはくるくる回る。

 まるでネジのように、回転するごとに体が沈んでいく。水の浮力が働いていない。彼はもう助からないのだ。

 発破をかけるようにラウラも言う。

「クレイン部長。泳ぎ切るとは、往復してこその言葉ではないですか」

「そうだな。ははっ、最後に一本取られたか」

「最後などと……!」

 クレインは天井を見上げ、拳を突き上げた。

「頼んだぜ」

 大切な水泳部を。愛する弟妹を。

 あえて皆まで口には出さず、信頼できる者たちに全てを託し、その片腕は掲げたまま、どろりとうねる水の中へと消えていく。

 沈みゆくクレインの拳が、最後に親指を立てた。

 

 

 なぜだ。おかしい。そんなはずはない。

 クレインが贄となり、ラウラとガイウスが彼の救出活動を開始した頃、マキアスは男子更衣室で自問自答を繰り返していた。

 普段の役回りから忘れられがちだが、本来、彼は頭の切れる男である。応用力もあり、戦局を正しく見据える目も持ち、その場における判断力にも優れている。

 そんなマキアスにとっても、この状況は未曾有の事態だった。

「落ち着くんだ。早まるんじゃないぞ」

 自分自身に言った言葉ではない。いや半分はその通りだが、もう半分は対峙し、硬直している一人の女子生徒に向けての言葉だった。

 バスタオルで体を隠し、その手をわなわなと震わし、信じ難いモノを見るような目をするモニカにである。

 なぜこうなった。確かに自分は男女を示したプレートを確認した。間違いなくここは男子更衣室だ。なのになぜ女子がいる。女子? ああ、女子だ。視界はぼやけているが、シルエットで女子との判別はつく。

「君は更衣室を間違えている」

 これしか考えられなかった。

 怒り、戸惑い、焦り、侮蔑、あらゆる感情を滲ませた声音でモニカは言った。

「そ、そんなわけないでしょ。水泳部で毎日のように使ってるんだから」

 モニカは水着を上半身まで脱いだ所だった。そこにこの男がさも当然のように入ってきた訳である。しかも言うに事欠いて、お前の方が間違っていると来たものだ。

「お、大声出すから。出してやるんだから。 泣き寝入りはしないんだから!」

「待つんだ! 僕は今眼鏡をかけていない。だから何も見えない。君が誰かも分からないんだ」

「誰でもよかったってこと!? ケダモノ!」

「違う! 男子更衣室だと思ったんだ」

「まさかの男子狙い……!?」

「それも違う!」

 いけない。このままでは無差別どころか無分別のレッテルを張られてしまう。Ⅶ組きっての変態副委員長などと呼ばれるのは絶対にごめんだ。

「ラウラー! ラウラー!」

 親を呼ぶ雛鳥のごとく、モニカは叫び出した。間の悪いことにプール側のドアを隔てた先には、(しるべ)探しをするラウラがいるのだ。声を聞きつけた彼女がやってきたらどうなる。弁解の余地などない。有無を言わさずに一刀両断だ。

「叫ばないでくれ!」

「近づかないで!」

 温度設定を最大まで上げた熱湯シャワーが浴びせかけられる。

「うわっあち!!」

 たまらず尻もちをついて腕を振り回すマキアス。その腕が近くのカゴにあたり、中身を派手にぶちまけてしまった。

 宙を舞った白い何かが、頭にふぁさりと覆いかぶさる。シルクの感触だった。

「や、やだっ!?」

 その正体を確かめる前に、電光石火の一撃が鼻柱に炸裂した。乙女の鉄拳が顔面にめり込み、マキアスは吹き飛ばされる。入ってきた戸口を突き抜けて、向かいの壁に背中から激突した。

 ラウラを呼ばなくても十分じゃないか。ずるずるとへたり込む中、もう一度入口の男女プレートを見る。

 ほらやっぱり男子更衣室だ。僕は間違っていなかった。

「ん?」

 プレートの表面が剥がれかけている。どうやら一枚の紙がプレート上に貼られていたらしい。今の衝撃を受けてか《MEN》と書かれたそれが、ひらりと床に舞い落ちる。

 その下のプレートにはがっつり《WOMEN》と記載してあった。

「くそ、フィー……いや、これはミリアムがやりそうだ……!」

 さらにタチの悪いことに、おそらくプレートを張り替えたのは廊下側だけで、プール側はそのままにしてあったのだろう。プールから上がってきた人間は正しい更衣室に入り、自分のように廊下側から来た人間は間違った方に入る。最悪のバッティングが完成するわけだ。その上、普段使い慣れている水泳部なら、いちいちプレートなど見ていない可能性が高い。

「ま、待つんだ。これは罠――」

 釈明の口を開きかけたが、ワイルドに飛翔したモニカの追撃の膝が、マキアスの視界を埋め尽くす方が早かった。

 

 

「ユーシス、首は大丈夫?」

「問題ない」

 エリオットの心配に強がるように、ユーシスは首をゴキッと鳴らしてみせた。

「いや、だいぶ痛そうだけど」

 おそらくは帝国史が始まって以来、金だらいを頭に落とされた名門貴族は彼が最初だろう。もっとも記念すべきものでも、ましてや快挙を讃えられるものでもないが。

 機嫌の悪そうなユーシスから、エリオットは眼前の本棚に目を戻した。

 結局Ⅴ組の教室を抜けたあとはⅦ組の教室も訪れてみたが、フィーたちの姿は見当たらなかったのだ。

 次に二人がやってきたのはここ、図書館である。

「あのカードがここを示しているのは間違いないと思うんだよね」

「それには俺も同感だが」

 改めて二人は膨大な数の書籍が納まる本棚に視線を巡らせた。

 二人が手にしたカードの文面は、

 “――幾万の叡智に眠る、紅蓮の魔人を呼び起こせ――”

「“幾万の叡智”は文字通りここだよね」

 数万冊の蔵書を抱える、この図書館を置いては他にない。

「問題は“紅蓮の魔人”だな」

 実を言えば紅蓮の魔人についても、もうその正体は分かっていた。これは隠語でも暗号でもなく、そのまま“紅蓮の魔人を”指している。

 帝国の言い伝えにある〝千の武器を有し、焔をまといし灼熱の魔人”――その名を《テスタ=ロッサ》。

 ちなみにこの情報は先程《ARCUS》で連絡を取り合った際、ガイウスから聞いたものだ。彼は帝国民俗学に興味があって、入学当初はよく図書館で調べていたらしい。加えて“紅蓮の魔人”に関して記述のある本が《エレボニアの伝説・伝承》というタイトルであることも判明した。

 然るにその書籍の中に、“四色の導”の一つがあるか、あるいはそのヒントがあるか。

 ガイウスが肝心の本の場所まで覚えていれば良かったのだが、そう都合よくはいかず、さらに立て込んでもいるようで、あまりゆっくりと会話もできなかった。通話口の向こうで、『部長の蘇生急げ! ついでにマキアスも蘇生だ』などとラウラが叫んでいる辺り、並ならぬ事態が起こっているのは確かのようだが。

 そういうわけで、当てもなく本棚をローラー式に探し回る羽目になったのである。

「キャロルさんに聞ければ良かったんだけど」

「あの司書か。まあ、今は無理だろうな」

 エリオットとユーシスは、背後のカウンターに振り返る。

 カウンターの奥で彼女は倒れていた。足、腕、首、頭など、体中のあらゆる部位を本に挟まれたまま沈黙している。抵抗の跡は見えたが、それでも身動きが取れず、もがいている間に力尽きたのだろう。

 キャロルにピラニアよろしく襲い掛かり、まるで巨大な洗濯バサミのように、その身を挟み込んでいる本の群れ。

 本の背には小さなバネが複数仕込まれており、ページを開いたりすると反動でバクリといかれる仕様で、ネズミ取り用の罠にも似た構造に変えられていた。

 まじめに本を整理していたのに、彼女は不幸にも無慈悲なブックトラップの餌食になったのだ。

「ある意味、あの散り方は司書として本望だろうな」

「うん? うーん? それは違う気がする……」

 とにもかくにも、頼みの司書は行動不能である。

「そうだ。委員長に聞いてみない? 図書館のことならよく知ってそうだし」

「いい案だな」

 同意したユーシスが《ARCUS》を取り出し、エマへと連絡を入れる。数コールの後で応答があった。

「委員長か? ユーシスだが、少し聞きたいことがあって――」

『――い! ああ、――から!』

「おい、大丈夫か。今どこにいる?」

 聞こえてくるのはノイズ音と、途切れ途切れのエマの声。

 耳を澄まして、音声を注意深く拾い上げる。

『――50ミラの利子を返してもらうぞ。一生をかけてな……』

『いやあ! いやああ!』

『――いつか言わなきゃと思っていた。よく聞け、俺は――』

『やめてえ! もうやめて下さいー! おばーちゃーん! セリーヌー! 助けてー!!』

 全力のヘルプを最後に、通信はブツッと音を立てて切れた。

「委員長、何だって?」

「よくわからんが……猫にまで助けを求めていたな」

 向こうも向こうで修羅場らしい。救援に行こうにも場所さえ不明だ。

「やっぱり地道に探すしかないかな……あ」

 それは唐突に見つかった。

 正面階段左脇の本棚、何気なくその辺りを眺めていたら、ふと白印字された背表紙のタイトルに目が留まる。カバー自体は黒色の装丁で、A4版の少し大きめの本。これこそが《エレボニアの伝説・伝承》だった。

 本を棚から取り出そうとして、エリオットはその手を止めた。

「どうした?」

「あ、うん。目当ての本があるにはあったんだけど、三冊あるんだ」

 上、中、下巻である。普通に考えれば、一冊ずつ調べればいいのだが、この状況がすでに普通ではない。二人は顔を見合わす。

「三部制か。どれに紅蓮の魔人の記述があるのだ?」

「ごめん、僕はわからないよ。ガイウスも委員長も聞ける状態じゃなさそうだし」

「……仕掛けてあると思うか?」

「……多分ね」

 こうなれば三分の一にかけるしかない。

「僕が先にやるから。何かあったら、この先はユーシスだけで進んで欲しい」

 上巻の本の背に指を掛け、エリオットは息を呑んだ。

 万が一、キャロルのように本に挟まれても、動じなければ対処はできる。彼女の場合は一つの本に挟まれて、驚き慌てふためく内に他の本にも接触してしまい、負の連鎖に突入したということだろう。

「……いくよ」

 無言でうなずくユーシス。本を棚から引き出すエリオット。

 目次だけ見ればいいのだ。だとしても緊張が和らぐことはないが、意を決して表紙をめくった。瞬時に目次項の羅列に目を走らせる。

 “紅蓮の魔人”は――

「ない……!」

 理解した途端、背筋が強張り、嫌な汗が流れる。

 しかし本は挟み掛かってこない。コンマ一秒にも満たない安堵。

 次の瞬間、開いた本からいきなり多量の赤い粉末が飛び散った。

「わぷっ!?」

 裏表紙に粉の入った薄いビニール袋が挟まっていて、本を開き切ると袋が破裂し、中身を飛散させる仕掛けである。

 予想外の不意打ちに、のけ反る間もなく顔中を赤飛沫が覆い尽くした。

「けほっ、なにこれ……! けほっ、げほっ!?」

 粉末を吸い込み、激しくむせ込むエリオット。

 口の中にも少し入ってしまった。と、彼の動きが止まる。覚えのある味だった。いや、味と形容するのは間違っているかもしれない。

「うっ!」

 舌を突き刺し、気道を焼くような、尋常ではない辛さ。それはもう辛さを通り越して痛み。

 亡者でさえ叫喚する、容赦ない責め苦。形状は違えど、これを間違えるはずがない。

 二度と口にしまいと誓ったはずなのに。

「れ、煉獄スープ……!」

 別名『狂気の果て』。アリサ必殺の定番料理。というか彼女は何を作ってもここに辿り着くのだ。マイナス方向に開花してしまった、周囲にとってはありがたくない才能である。

「エリオット!」

「きちゃ、だめだっ」

 かすれる声でユーシスを止めた。

 まだ赤い粉が滞留している。彼まで巻き添えになってはいけない。

 最近料理を学び始めたラウラに感化されてか、アリサもちょくちょく厨房に出入りしているのはエリオットも知っていた。

 しかしそこで生み出された激物をフィーたちが採取し、乾燥させて粉末状に加工しているなどとは考えもしなかった。

 そういえばここ数日、ゴーグルにマスク、手袋に完全防備の白衣と、不似合な装いでゴソゴソと何かやっていたようだったが、まさかこの為だったとは。そこいらの魔獣など、七、八匹は束にして屠れるほどの破壊力だ。

 どう考えても対人用に使ってはいけない、卑劣非道な薬物兵器である。

「あはは、また目が見え、ない。音も……聞こえない、や」

 身を内側から炙る灼熱の炎に蝕まれ、エリオットの意識は遠退いていく。もう立っているのか、倒れているのかすら判然としなかった。

 時に紅蓮の魔人――《テスタ=ロッサ》とは“赤い頭”を意味する。

 その名に由来した罠にかかって、同じく橙毛のエリオットが撃沈したのは、何とも皮肉な話であった。

 

「くそっ」

 やられた。胸中で毒づいて、ユーシスは《エレボニアの伝説・伝承》――その中巻を棚から手荒く引き出した。

 残るは中巻と下巻。確率は二分の一。推測も立たない。完全に勘頼みだった。

 外れたら間違いなく、自分も罠の餌食になる。

 うつ伏せに横たわるエリオットを一瞥し、ユーシスは本を構えた。この状況下で、悠長にページをパラパラめくりたくはない。やはり見るのは目次だ。

 さっきの粉末が噴出されても、口と鼻に入らなければ何とかなる。

 息を吸い、そして止め、手早く本を開いた。目次を上から下まで、一気に目を通す。

「――っ!」

 ない。中巻にも紅蓮の魔人は載っていない。

「ふんっ!」

 仕掛けが作動する前にと、ユーシスは勢いよく本を投げ捨てる。キャロルに意識があれば大目玉を食らうところだが、今は緊急事態なのだ。多少は大目に見てくれるだろう。

 ページを派手にばたつかせながら、分厚い本が床を跳ねる。赤い粉末をぶちまけたりといった異変は起こらなかった。

「ふっ」

 勝った。今に見ているがいい。追い詰めて捕らえて、諸々の落とし前をきっちりつけさせてやる。

 わずかな嘲笑を口に浮かべ、ユーシスは最後に残った下巻に手を伸ばす。

 その刹那、ユーシスの見る景色が上下に激しくぶれた。鼓膜をダイレクトに揺さぶるような、あの特有の残響音が図書館内に拡がっていく。

「なっ!?」

 脳天に雷が落ちたような衝撃。視界の中に細かな星が散る。首が体に埋まった気がした。

「お、おのれ……またしても」

 地に落ち、転がるそれを忌々しげに見やる。再襲の金だらい。おまけとばかりに特大サイズだった。

 エリオットが倒れたという焦りが彼の視野を狭めてしまった。もう少し注意深く観察していれば、本から天井に向かって伸びるピアノ線に気付けたかもしれない。

 朦朧とする意識の中、《エレボニアの伝説・伝承》の下巻を本棚から引き抜く。

 あった。《紅蓮の魔人》の記述。その項目に赤いクリアカードがしおりよろしく挟まっていた。

「よし、これで――」

 震える指でユーシスがカードを引き抜いたのと、今日三度目になる金だらいが落ちてきたのはほぼ同時だった。

 さらにスペシャル仕様。その金だらいの中には、例の真っ赤な粉末がこれでもかと敷き詰められていた。

 またもや衝撃に次ぐ残響。加えて視界を染める血色の飛沫。

 赤き死神の大鎌が振るわれ、ユーシスの意識は完全に刈り取られた。

 

 

 

「ぐううっ」

「きゃああ!」

 学生会館二階、生徒会室へと伸びる廊下。その最奥から吹き付ける強力な逆風に、リィンとアリサは中々進めないでいた。目指すは生徒会室なのだが、天井、床の四隅に設置された四つの扇風機が生み出す突風が、唸りをあげて行く手を阻んでいる。

 しかし何よりの枷は二人の手が繋がっていることだが。どうしても風を受ける表面積が大きくなって、余計に前に進めない。

 風の音に負けないよう、アリサは声を張り上げた。

「絶対にこっちを向かないでよ!」

「え、何でだ」

 当たり前のようにリィンはアリサに目をやる。強風にスカートがめくり上がって、えらいことになっていた。瞬時に飛んできたビンタが、リィンの右頬に赤い手形をくっきりと残す。

 バランスを崩したリィンは風に押し負け、後ろに吹き飛ばされた。繋がったアリサももちろん一緒に。

「だあああ!」

「いやああ!」

 もつれ合いながら、廊下を転がる二人。

 そんなこんなを繰り返した果てに、リィンたちが生徒会室のドアノブをつかんだのは、二十分以上あとのことだった。

 

「これは一体どういうことなのかな」

 いつもの会長席に収まり、朝一から書類整理に勤しんでいたトワ・ハーシェルは、息を切らしながら生徒会室の扉を開けた二人組を見て、あくまでも冷静に問いかけた。

 しかし平静を装うとした彼女の瞳は狼狽に揺れ、笑おうとして果たせなかった頬は不自然に震えている。

「こ、これはその……」と説明に窮するリィンの横から、「話せば長い理由があるんです!」とアリサが慌てた声を発した。

「二人が仲良く手を繋ぐ理由なんて、私には一つしか思い浮かばないよ?」

「違う、違うんです! 接着剤がくっついて! でも離してる時間は無くて!」

 赤面のアリサは手をわたわたと振り回す。当然繋がっているリィンの手もそこに付き合わされる。動きがシンクロし、仲睦まじさをアピールしているかのようだった。

 スカートの裾をぎゅっと握りしめたトワは、今にも涙腺が決壊しそうな様子である。

「あはは、お似合いだと思うよ」

 気丈にも彼女はそう言う。

 理由は分からないが無性に泣きかった。だが堪えなければいけない。

 お姉さん、自分はお姉さん。祝福せよ、祝福せよと胸中でひたすらに繰り返す。

 アリサと目配せしたリィンが、トワに歩み寄った。

「ち、ちょっと、動くときは先に言ってってば。どうするの?」

「カードの文章は“――定まらぬ三色を束ねしは翡翠の衣。その背を支えし裏を暴け――”。俺の考えはこうだ」

 状況が理解できないトワを置いて、リィンは解説を始めた。

「“定まらぬ三色”は学生の身である俺たちと、その制服の色を示していると思う。それらを“束ねる”のは生徒会長で、その会長がまとうのは平民生徒の“翡翠の衣”だ」

「つまり『導』の隠し場所はトワ会長か、その周囲ってことね」

「〝その背を支えし裏を暴け”が示すものはわからないけど、とりあえず最初に確認すべき場所は――」

 二人の視線が小さな生徒会長に重なる。トワは足を引いた。私、何かされる。

「ゆっくり事情を説明している時間はないんです。不躾なお願いですが」

 歩みを止めずトワに近付くリィンの目は、かつてないほど真剣なものだった。

「上着を脱いで頂きたいんです」

「ふえっ!?」

 口調も真面目そのもの。冗談が介在する余地は一切ない固い声音。

「もちろん確認はアリサがします。安心して下さい」

「な、なにを安心すればいいのかな?」

 戸惑うトワに二人が迫る。普段なら言葉足らずのリィンを責めるアリサも、「すみません。すぐに終わりますから」とむしろ歩調を早めていた。

「お、落ち着いて二人とも。私なにが何だか分からないよ!」

「説明と謝罪は後で必ずします。まずは体の力を抜いて下さい。俺は目を閉じておきますから」

「それじゃあトワ会長、右袖から失礼しますね」

「やだあーっ!」

 アリサの手にかかり、手早くトワの上着がはぎ取られていく。

 所々両手を使わないと難しい部位もあったが、そうすると必然リィンの手も追随してくることになる。

 その度、

「ひゃあ! 触れてる、触れてるってばあ!」

 とトワの悲鳴が上がり、

「ちょっとリィン、あなた何やってるのよ!」

 とアリサが鋭く叱責し、

「俺は何もやってない! 自分の意志じゃない!」

 とリィンが疑いの深まる台詞を吐く。

 ややあってトワの上着は脱がされた。それをアリサがくまなく調べたが、カードは見つからなかった。

 床にへたり込み、うなだれていたトワが「リィン君……」と肩を小刻みに震わせる。

「会長、申し訳ありません。上着をお返しします」

「リィン君のばかー!!」

「お、俺だけ!? ぐあ!」

 体と心に痛い、会長ビンタ炸裂。今度は左頬だった。

 ふえええと泣きながら、トワは走り去っていく。

 アリサから責められる目を向けられ、リィンは釈然としない何かを感じた。

「でもトワ会長の上着にはなかったか」

「背を支えし裏を暴け……さすがに安直すぎたわね」

 その後も手を繋いだまま生徒会室を探し回り、最終的に緑色のクリアカードが見つかったのは、彼女の会長席――その背もたれの裏という、かなり安直な場所であった。

 

 ●

 

 “四色の導”を集め終わったⅦ組一同は、互いに《ARCUS》で連絡を取り合い、再び正門前にて顔をそろえていた。

 その様は散々なものだったが。

「……べとべとだな」

「うむ」

 クレイン救出の為に、荒れ狂うとろみプールに挑んだラウラとガイウスは、頭のてっぺんから足先までドロドロ。滴る水滴はまるでゼリーのようだ。

「鼻がもげたかと思った……」

 乙女の拳と膝を顔面に頂戴したマキアスは、ようやくさっき鼻血が止まったところだ。『眼鏡をかけていなくてよかった』とは、彼が息を吹き返して一言目に放った言葉である。

「はは、生きてるよ、僕ら」

「煉獄からの生還だな……」

 体中が赤い粉に染まったエリオットとユーシスは、どんよりとした目つきで肩を落としている。エリオットは生きたまま火炙りにされたと言い、ユーシスは頭に三発の雷を落とされたと言った。

「ふふ……うふふ……ふふっ」

 丸眼鏡を灰で曇らし、炭であっちこっちが黒ずんでいるエマは、ずっと乾いた笑いを繰り返していた。闇の中、ガイラーのいつ終わるとも知れない紫色の朗読は、彼女の心をへし折るに十分過ぎる威力だった。煤けて汚れた顔には、涙の痕がくっきりと残されている。

「信じられないわ。クリーニング間に合うかしら」

 さしてダメージを受けていなさそうなアリサだが、落とし穴にはまり続けた汚れっぷりは、メンバーの中でも群を抜いていた。

「みんなとりあえずは無事だな。クロウは残念なことになったようだが」

 そう言うリィンの両頬には真っ赤なもみじマークがある。かなり痛そうだったが、これは多分トラップではないと、その場の誰もが察した。

 手はアリサと繋ったままだった。こうなるに至った経緯は、すでに全員に説明済みである

 しかし納得いかない表情をする者が一人。ラウラが不機嫌そうに提案した。

「そのままでは何かと不便であろう。私が外してもよいが」

「外せるのか?」

「しばし待つがいい。剣を取ってくる」

 二人の間を物理的に切り裂くつもりらしい。リィンと一緒にアリサもぶんぶんと首を横に振る。

「ま、待って。冗談やめてよ」

「ああ、いずれ取れるだろうしな」

 射抜くような眼光で、ラウラは二人を見た。正確にはその繋がった一点を。

「こっちがベトベトしている時に、そなたらはベタベタと……!」

「してないから! ねえリィン!?」

「そうだぞ! してないぞ!」

「息が合ってるではないか! やっぱり剣が必要だ!」

『ダメだって!』

 二人してラウラを止めにかかる。

 一通りのやり取りが済んだあとで、各班が手に入れてきた四色のクリアカードを取り出した。

「……で、どうなるのだ?」

 首をさすりながら、ユーシスは不可解そうに赤、青、茶、緑のカードを眺める。

 何も起こらない。私物の場所を示しているわけでもなさそうだった。

 それぞれのカードの表面には、見たことのない記号の羅列が書かれている。

「……もしかして。カードを私に貸して下さい」

 全員からカードを受け取ったエマは、その四枚を重ねて空に掲げてみた。

 すると単体では意味をなさなかった記号が、合わさることで文字となって読み取れるようになった。

 

 “――苦難を越え、導を揃えし者達よ。その勇気を讃え、新たな扉を開かん――”

 

「……これってまさか」

 嫌な予感にエマは手元のカードと、それらがあった場所に仕掛けられていたというトラップを、頭の中で今一度整理してみる。隠し場所を示す白いカードには、番号も振ってあった。

 その順に並び替えると――

 

① 茶色のカード:落とし穴だらけのグラウンドを走らされる。

② 青色のカード:大渦のプール(ドロドロ)の中を泳がされる。

③ 赤色のカード:灼熱する煉獄の粉末を浴びせられる

④ 緑色のカード:四つの扇風機による突風に晒される。

 

「やっぱり。七耀石の並びと、特性を模したトラップになっています」

 琥耀石は茶で地。蒼耀石は青で水。紅耀石は赤で火。翠耀石は緑で風。

 色と罠の傾向が連動している。

「だが、それは何を示しているのだ?」

「あっ!?」

 ガイウスの問いで、エリオットが何かに気付く。遅れて他のメンバーも、それの意味するところを理解した。

 一番最初のカードの文面の一部、そこにはこう書かれていたのだ。

 

 〝――獅子の庭に散らばりし四色の導を収め、さらなる道を歩め――”

 

 さらなる道を歩め。

 そして字のごとく、七耀石は四つではない。あと三つ残っている。

「幻、空、時!?」

 アリサから驚愕の声が上がった。

 上位三属性。それらの特性まで模したトラップがあるというのか。この満身創痍で、さらに上位の罠に挑めと言うのか。

 全員の表情に絶望の色が浮かんだ時、ひらひらと一枚のカードが落ちてきた。

「どこから降ってきたんだ?」

 近くにいたマキアスが拾い上げる。銀色のクリアカードだった。何かが書いてある。

 

 “――霞のごとくかき消え、朧のごとく薄れるは白銀の揺らめき

  守人を穿ちて汝らの資格を示せ――”

 

 霞、朧から連想される言葉。そして銀という色。もう間違いない。

 銀耀石、幻だ。

 その文章の意味に思考を巡らす前に、銀色のカードが勝手にマキアスの手から離れた。

 まるで蝶のようにひらりはらりと中空を舞いながら遠ざかっていく。やがてそれは、少し離れた所に佇む一人の男子生徒の手に収まった。釣竿を持ち、ハンチング帽をかぶったその生徒――ケネスの手に。

 あらかじめ釣糸が括ってあって、最初からカードはケネスの操作下にあったらしい。

「ケネスじゃないか。すまないがそれを渡してくれ」

 リィンが声をかけるも、ケネスはうつむいたまましゃべらない。ハンチング帽のせいで表情も見えない。

「ケネス?」

「……できないよ」

 彼は小さな声で呟いた。ようやく顔を上げる。

 無表情、しかし。

「だってさぁっ、僕が……僕がさあっ……!」

 たちまちに顔中の皮膚が恐怖に引きつり、歯がカチカチと鳴り出した。

「僕が幻のトラップなんだからあ!」

 ケネスの背後の空間が大きく湾曲する。ぐにゃりと歪んだ景色の中から、豪腕を振り上げた白銀の巨躯が現れた。

「なっ、アガートラム!?」

「うう、逃げようとしたら殴りかかってくるんだ。何これ、新しい戦術殻かい……?」

 構える一同だが、武器は誰一人携行していない。

「こいつから逃れる為には君達を倒さないといけないんだって。だからさ……悪く思わないでくれよおっ!!」

 悲痛な叫びと同時に、アガートラムの双眸が光を放つ。力強い駆動音が木々をざわつかせた。

 もう罠かどうかもよくわからなくなってきたが、どのみち退路はない。

 決意と覚悟を胸に、リィンは全員に指示を飛ばした。

「全力で迎撃する! 目標はアガートラム及びケネス・レイクロード! 取られたものを必ず取り返すぞ!!」

 

 

~後編に続く~

 

 

 




中編②をお付き合い頂いてありがとうございます。
本来はここまで合わせて中編でした。収まるわけないですね。反省です。

前回の学院長のその後と、カスパルのトラブルは二、三日後に章末の『追加後日談、おまけ集』に追加しておきます。彼らの奮闘にも目を通して頂けたら幸いです。

Ⅱ情報がどんどん来ますね! だけどおかしいですね。ジョルジュが全く触れられない。立ち絵も公開されないまま発売日だけが近付いてくる。イージスのマスタークォーツがミリアムよりも似合う男なのに!

Ⅶ組の面々は上位三属性トラップを抜け出せるのでしょうか。
次回、ちびっこトラップ完結の後編。お楽しみ頂ければ幸いです。

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