「おねがい、協力して~」
放課後のⅦ組の教室では、集まった全員に懇願するミリアムの姿があった。
それぞれの手には、そんな彼女から渡された一枚のプリント用紙がある。食べ物や料理の可愛らしいイラストがてんこ盛りのポップな告知ポスター。その表題はこうだ。
「調理部主催、クッキングフェスティバル……か」
リィンはA4サイズの用紙を上から下まで目を通してみた。簡単な要項はこの通りである。
➀形式はトーナメント制料理コンテスト。
➁試合ごとに異なったテーマが与えられるので、出場者は即興で料理を作る。
➂二人~三人を一組としたチーム戦。
➃材料、調理器具は用意してあるが、持ち込みも可能。
➄審査員は一試合につき三名。これは各部の部長、及び教官勢に協力要請。
➅優勝チームには学生食堂で使える食券、三ヶ月分を贈呈。
細かなルールを挙げれば、対戦チームはクジ引きで決定や、上限人数内ならメンバー補充や入れ替えも認められる、などもあった。
ユーシスがミリアムに訊ねた。
「この用紙は学院内にも掲示してあっただろう。俺たちに頼むほど参加人数が足りないのか?」
「そういうわけじゃないんだけど、このチーム戦っていう形式が人を集めにくかったみたいでさー。個人での申し込みはそこそこあったんだけどね」
二人、三人連れ立って出てみようという人間が、思いのほか少なかったという。しかしイベント自体は今の時点から盛り上がりを見せていて、ギャラリーはかなりの人数が予想されるらしい。いまさら中止も延期もできず、そこでどうにかして参加者を確保しようとなったわけである。
「開催は次の日曜日だよ。さすがに授業は潰せないけど、自由行動日ならやってもいいって学院長も許可してくれたんだ」
つい先日、学院にトラップを仕掛け回り、半日分の授業を潰した元凶の片割れが、得意気に胸をそらした。
現在、クッキングフェスティバルの設営準備は、調理部が総出で行っている。
部長のニコラスは運営や当日の段取りを進めていて、顧問のメアリー教官は書類申請や衛生面での認可など、届け出方面で尽力している。一年生、マルガリータは各種食材の手配で、そしてミリアムが参加者の確保という役割分担だった。
となると必然、参加者候補はⅦ組に白羽の矢が立つ。
その経緯はそれとして、
「ふむ、向上した実力を試す時だな。全力を尽くさせてもらおう」
最近、料理にご執心のラウラは乗り気だ。
「ミリアムちゃんのお願いですし。がんばりますね」
エマもお母さん的な協力姿勢を見せている。
「面倒だけど……いいよ」
ちびっこシンパシーなのか、珍しくフィーもすんなりと応じた。
「みんながやるなら、私もやるわよ」
断る理由は特になく、アリサも続く。
あっさりと女子班の参加が決定した。
一方、男子班は円陣を組んでひそひそと話し合っていた。
「これはよくない流れだな」
マキアスがぼそりと言うと、彼らは同時に首をうなずかせた。
エリオットのひざが、カタカタと震えている。
「ま、まずいよ。このままだと僕たち……」
さよなら女神様、こんにちは魔物達。血まみれの切符を片手に、帰り道のない煉獄ツアーが大口を開けて待っている。
「うむ……非常事態だ」
ガイウスの表情は暗い。彼とて魂だけでノルドに帰るわけにはいかないのだ。
「この件は人命がかかっている。メアリー教官にルール改定などを直訴してはどうだ。少なくともこの場の六人分の署名はそろうだろう」
あくまでも冷静を装うが、ユーシスにも余裕はない。
しかし絶望的な状況を、クロウの一言が一変させた。
「落ち着け、お前ら。今回は別に俺たちが料理を食うわけじゃねえ。あくまで作り手側なんだ。こっちも参加しちまえば、女子どもの勝負相手にこそなれど、少なくとも得体の知れないブツを口に入れることだけはしなくて済むんだぜ」
さらに当日まで〝お互い手の内は見せない”などと適当な理由を並べておけば、練習ついでの試作品を食べさせられるリスクもない。
「あえて火中に身を投じるってやつだな。俺らの命はこれで守られるだろ」
加えてトーナメント戦だと言うのなら、その一回戦で女子班を根絶やしにしてしまえば、続く二回戦以降の審査員の身も守ることができる。
正攻法で戦えば、男性陣の料理が彼女達のそれに負ける道理はない。
「なにをこそこそと話し合っているのだ」
「まったく、早く決めなさいよ」
ひどく失礼な物言いをされているとは露知らず、女子は怪訝顏だった。
異様に強い声音でリィンは告げた。
「俺たちも参加する……参加するぞ」
「ふふ、もの凄いやる気ですね。こちらも負けていられません」
にこやかに言うエマ。(いや、負けてくれ)と、男子たちの想いは胸中でそろった。
「ありがとう、みんなー! でもⅦ組同士で組むと組数が減っちゃうから、なるべく知り合いを誘ってチームを作って欲しいんだ」
お願いね、と愛嬌たっぷりで笑ってみせるミリアムに、ユーシスは横目でにらみを利かす。
「俺たちをこうして駆りだす以上は、当然お前も出場するのだろうな?」
「もちろん出るよ。ボクのコンビはマルガリータだから」
「マルッ……!? ハンバーグを丸のみした女だぞ。そもそも料理という概念などを理解しているのか」
「どーだろーね? ニコラス部長が、一年生同士で組んで出場しなさい、なんて言うんだもん。ボクは別に構わないけど」
「俺たちが構うのだ……!」
マルガリータはそれを聞いた時、ずいぶんと憤慨したらしいが、メアリー教官の口添えもあって、結局は“仲良く”出場することになったのだという。男子女子共に冷や汗が止まらない。
「それじゃさっそくチームを作って来てね!」
無責任な笑顔が、満開に咲いた。
《☆☆☆クッキングフェスティバル★★★》
学生食堂。ラウラと同席しているのはモニカ、ポーラ、ブリジットという、いつものメンバーだった。
クッキングフェスティバル参加の経緯を聞いて、三人が三人とも納得はしたものの、不安やら心配やらで表情を曇らせている。
慎重に言葉を選びながら、まずモニカが口を開いた。
「私たちがチームに入るのは全然いいんだけど、ラウラはあれからお料理作ってるの?」
あれ、というのは十月初めのお弁当騒動の時である。
「もちろんだ。研鑽は欠かしていない」
堂々と言ってみせたラウラの指には、あちこち絆創膏が貼られている。椅子の背もたれに寄り掛かりながら、ポーラはその指をちらりと見て、
「その研鑽というのは、まだ実を結んでないようね」
「だが大体の食材は一息で切断できるようになったぞ」
「真っ二つにするだけでしょ。リンゴの皮むきぐらいはできるようにならないと」
むう、とうなってラウラは自分の指先を見る。先日ウサギを模したリンゴをリィンのために剥こうとしたのだが、紆余曲折の果てに皿に乗せたのは、刻みに刻んだ無数の角切りリンゴだった。
リィンは気にせず食べてくれたが、やはり思い通りの物を渡せなかったのは悔やまれる。
どことなし肩を落とすラウラに、彼女たちは言った。
「大丈夫、大丈夫。練習を繰り返せば絶対に上手くなるから」
「当日まで厳しくやるわよ?」
「感謝する」
気のいい友人たちに口元を緩めるラウラの横で、ブリジットだけは悩んでいる様子だった。
「どうしたのだ?」
「実は開会式のファンファーレや演奏を吹奏楽部で受け持つことになっててね。多分、私は一回戦に間に合わないと思うわ」
「そうであったか。いずれにせよ、一度に調理台に立てるのは三人までというルールだったはずだ。そなたは気兼ねなく演奏に集中するといい」
「ごめんね。一段落したら皆の応援に行くから」
まずは練習用の食材調達だ。
さっそく四人はテーブルから立ち上がった。
《ケインズ書房》。様々な書籍が立ち並ぶ棚の一角で、エマは料理本を手に取った。
「あとは、あっちの栄養学なんていうのも良さそうですね」
多種多様な料理のレシピ本の他に、東方料理の歴史なんてものもある。
エマは手あたり次第に役に立ちそうな本を抜き出していく。その横で付き合わされているフィーはあくびをした。
「ねえ、委員長。もう十分だと思うんだけど」
「そうですね。そろそろ行きましょうか」
エマとフィーはチームを組むことになっていた。フィーはヴィヴィ辺りと組もうとしていたのだが、寮を出て早々にエマに捕獲されたのだ。私を一人にしないで下さい、と抱き付かれて。
その発言の真意はもちろん、あの用務員に付きまとわれないためである。下手にチーム探しで学院をうろつけば、音もなく忍び寄って来て『エマ君、君の力になろう』などと口走り、その後の流れは言わずもがな。
「んー、重い……」
「半分持つよ?」
「だ、大丈夫です」
両手に本をどっさりと抱えて、エマは会計に向かった。
「おーい、姉ちゃん大丈夫か」
カウンターからひょこりと顔を出したのはカイだ。
「あら、今日はカイ君が店番だったんですか?」
「うん、父ちゃんが注文を受けた本を学院へ届けに行ってるから、その間だけだけど。早く帰って来ないかな。そしたらロジ――教会に行けるのにな」
「ふふ、カイ君は偉いですね」
「やっぱり委員長、お母さんぽい……」
カウンターに本を置こうとした時だった。扉が開いて、カランカランと備え付けの鈴が鳴る。
エマがそちらを振り向くよりも早く「おや、これは粋な女神の計らいだ」と、あの低い声音が耳に届いた。
びしりと硬直するエマに、ガイラーは紳士的な一礼をしてみせる。
「ど、どうしてここに?」
「私が書店に来るのは意外かね」
コツコツと足音を響かせ、ゆっくりと店内を見て回るガイラー。その一挙手一投足が油断ならず、エマは本をカウンターに置くことさえ忘れ、ただ固唾を呑んで彼を警戒した。
「ふむ……」
一通り本棚の間を歩き回ると、ガイラーは眉をひそめて戻ってきた。
「ここに私の求める書籍はないようだ」
「それはそうでしょう……」
「店裏からも本や雑誌の気配があるようだが、なんだか不健全な臭いがするね。よくないことだよ、これは」
不健全の首位独走選手が、当然のようにそんなことを言う。すでに無機物の気配まで感じ取れるほど、彼の感覚は鋭敏なものに進化していた。カイはカイで「このオッサン、裏ケインズ書房の存在に気付いたのか? 俺でさえ中に何があるか知らないのに」と驚愕を顕わにしている。
ガイラーの目が、エマの抱える本の背表紙に向けられた。
「料理本……お嬢さん方に花嫁修業は少し早いね。察するにクッキングフェスティバルとやらのためかな」
「ち、ち、違います」
動揺など隠せていないが、それでもエマは否定した。目じりのしわを深くして、ガイラーは黒い笑みを浮かべる。
「実にいいね」
その言葉を残すと、彼は踵を返して去っていく。背中越しにこう告げられた。
「次の日曜日。楽しみにしているよ」
バタンと扉が閉められると同時、エマはその場にくずおれる。抱えていた書籍の全てが床に散乱した。
「困ったな」
ギムナジウムを出たところで、ガイウスはひとりごちた。
クレインを当てにしてプールまで足を運んだのだが、残念ながら彼とチームを組むことはできなかった。
というのも、クレインが水泳部の部長だったからである。
「そういえば、各部の部長は審査員を務めると書いてあったか」
あと頼めそうな知り合いと言えば、やはり美術部だ。しかしリンデはそういう場に出たがらないだろうし、クララ部長に至ってはなおのことだ。そもそも彼女が審査員の役を引き受けたのかさえ怪しい。
「困ったなあ」
その時、同じように呟きながら、目の前を橙色の髪が通り過ぎていく。
「エリオット。そっちもいい相手が見つからないのか?」
「あ、ガイウス」
声を掛けるまでこちらに気付かなかったらしく、エリオットは苦笑した。
「うん。吹奏楽部の何人に頼んでみたんだけど、開会式の演奏と重なって一回戦には出られないんだ」
「エリオットはいいのか?」
「僕はトランペットやドラムの担当じゃないからね」
とはいえエリオットにもそれ以上の当てはなく、途方に暮れていたという。
「ならば俺たちでチームを作ろう。ミリアムはなるべくⅦ組同士は控えて欲しいと言っていたが、この際はやむを得まい」
「そうだね。ガイウスと一緒だと心強いよ」
「それはこちらも同じだ」
双方合意でチーム結成である。
「じゃあ、簡単なミーティングでもしようか?」
「ああ、ノルドの香辛料を活かした料理を即興で作れれば、いいところまで行けると思う」
二人はいっしょに歩き出す。
多少の安堵があったせいなのか、彼らは離れた木の陰に怪しい影が見え隠れしていることに、最後まで気がつかなかった。
潜めた吐息が空気を小さく揺らす。
「……猛将の力になれる好機かもしれん」
注文書籍を学院まで届けに来ていたケインズが、ぎらぎらと目を光らせていた。
ガイウスがギムナジウムを出た頃、マキアスは練武場にいた。
自主稽古を切り上げたアランは、マキアスからの参加要請に難色を示している。
「料理なんか得意じゃないぞ」
「僕だってそうだ」
そんな二人が組んだところで、結果は目に見えている。だがマキアスにも頼れる相手が多いわけではない。まずはチームを組んで、それからのことはまた考えればいいと思っていた。
「マキアスの頼みだし、力にはなりたいけどこればかりはなあ」
「それならブリジットさんにもチームに入ってもらうのはどうだ。料理得意そうだし」
その提案に、アランは手入れ中のサーベルを取り落としそうになった。
「ま、待てって。確かブリジットは当日に開会演奏するって言ってた。間に合わないんじゃないのか」
「チームに名前を登録しておいて、二回戦から参加してもらえばいい。人数制限内ならメンバーの補充や入れ替えはありだと記載してある」
眼鏡を光らせ、マキアスは要項をアランに見せてみた。
「でもなあ……」
「もしかして彼女は料理が下手なのか?」
「そんなことはない。すごくうまかった」
「手料理を食べさせてもらったことがあるんだな? それも最近か?」
「うっ」
探るような視線を逸らして、アランは言葉を詰まらせた。
「君が言えば、ブリジットさんも応じてくれるだろう。何とか力になってくれないか」
そこまで懇願されると、アランもそれ以上は断れなかった。半ば押し切られる形で、力添えを承諾する。
「まったく。とはいえ一回戦は俺たちだけで勝たないといけないんだぞ」
「それこそ、ブリジットさんに料理の指導をお願いすればいいだろう」
手入れを済ませたサーベルを手早く片付け、アランはマキアスに向き直った。
「言っておくけど、あいつ結構厳しいからな」
貴族生徒達が住まう第一学生寮。
清掃も行き届き、絨毯には埃一つみられない。一階には受付カウンターも構えており、予備知識もなしにここを訪れたなら、ちょっとしたホテルか何かと勘違いするかもしれない。
その二階、東側に女子専用の部屋が並ぶ区画がある。
一つの部屋の中から、楽しげな会話が廊下にまで聞こえていた。
「――で、次の自由行動日にヘイムダルにショッピングに行こうと思っていますの。アリサも一緒に行きますわよね」
「あ、うん。もちろん行きたいんだけど」
フェリスの部屋だった。
レースカーテン付きのベッドが窓際に備えてあって、近くに置かれている化粧台は傍目に見ても豪奢なしつらえだ。若干不釣合いな感じもあったが、ちょくちょく飾られている可愛らしいぬいぐるみ類は、おそらく彼女の趣味なのだろう。
部屋の中央に据えられたおしゃれなテーブルを挟み、アリサはフェリスが淹れてくれた紅茶を口にした。
「あら? 何か用事がありますの」
「というか、むしろ私の用事にフェリスを付き合わせたくて……」
「別に構いませんことよ。ヘイムダル以外でお買いものですの?」
小首を傾げるフェリスに、アリサは言った。
「フェリスってお料理できる?」
「子女の嗜みですもの。人並み以上には」
アリサの顔が明るくなった。
「だったら――」
本題を切り出して数分後――
「ふふん、構わなくてよ」
クッキングフェスティバル出場を、フェリスは快諾していた。
「ありがとう、助かるわ」
「どんと来いですわ」
アリサから頼られて上機嫌のフェリスは、そういえばと彼女に問い返す。
「アリサは料理は出来ませんの?」
「もちろんできるわ。よくリィンに食べてもらっているの。床を転げ回るくらいおいしいみたいよ」
例によって味見をしていないアリサだった。
「むむ、侮れませんわね。でしたら料理クイズで勝負ですわ」
「望むところよ」
唐突に始まったクイズ対決。まずはフェリスからの出題だ。
「肉じゃがの材料は?」
「これは分かるわ。肉とジャガイモよ」
「やりますわね」
まんまの答えだが、フェリスは驚いている。次はアリサが問題を出した。
「ジャガイモには男爵イモとか種類があるって聞いたわ。他の種類がフェリスに分かるかしら」
「そんなの決まっていますわ。伯爵イモや子爵イモ。あとは最高級の公爵イモがあるのですわ」
「へえ、やるじゃない」
元々答えを知らないアリサは、素直に感嘆の声をあげる。フェリスは得意気だった。
「ゆで卵はどうやって作りますの?」
「割った卵をお湯の中に入れて、かき混ぜて――」
「調理法の種類って?」
「焼くのと……燃やすのと……あと焼くのと――」
お嬢様たちは順調に迷走していた。
「……え、あの?」
「お前は料理は出来るのかと聞いている」
トリスタ礼拝堂内、戸惑うロジーヌにユーシスはその言葉を繰り返した。
「その、えーと。お料理なら一応できますが……」
控え目な返答だったが、ユーシスは「まあ、そうだろうな」と納得した様子である。
「あれほど美味いクッキーが作れるのだ。他の物も作れるとは思っていた」
「……っ!」
ナチュラルにクッキーを美味しいと言われ、ロジーヌの頬は瞬く間に赤く染まった。
「あ、あの! 丁度おやつの時間ですし、焼き上がったクッキーがありますので召し上がっていって下さい! 紅茶も淹れてきますから!」
「そうか、頂いて行こう」
修道服の裾をぱたぱたとひるがえし、ロジーヌは小走りでキッチンの中へと消えていった。
程なくクッキーと紅茶のいい匂いが漂ってくる。適当な椅子に腰かけているユーシスの元に、ティゼルが「えへへー」と含み笑いを浮かべて近付いてきた。
「ねえ、ユーシス先生。どうしてロジーヌさんに料理ができるか聞いてたの?」
「ん? ああ、実はな――」
クッキングフェスティバルに参加することになり、相方を探していることを説明する。
聞き終えたティゼルは「士官学院生って大変なんですねー」と何やら感心していた。
「ロジーヌさんにはまだその事伝えてませんでしたよね」
「ああ、次に戻ってきたら話すつもりだが」
「だったら、こう伝えたらいいと思いますよ」
ティゼルはひそひそと耳打ちをする。
「そうなのか? わかった」
「はい、絶対ですよ」
その折、クッキーと紅茶の入ったポットを持ってロジーヌが戻ってきた。
「お待たせしました。いま淹れますから」
ポットを傾けて、ゆっくりと紅茶をティーカップに注ぎ入れる。立ち昇る湯気が、ロジーヌの前髪をほのかに揺らしていた。
その横顔を見ながら、ユーシスはおもむろに立ち上がる。
と、そのタイミングで礼拝堂の扉が開き、「やっと店番から解放されたぜ。おやつの時間に間に合ってよかったー」と肩で息をするカイが入ってきた。
「ロジーヌ」
カイには構わず、彼女の名を呼ぶ。「はい?」と応じながらも紅茶を注ぐ手は止めないロジーヌに、ユーシスは静かに言った。
「俺の為に料理を作る気があるか?」
カチーンと石化したロジーヌ。口元を手で隠し、嬉しそうに身をよじるティゼル。その言葉が何を意味するのか咄嗟に理解できず、ただ立ち尽くすカイ。
注がれ続ける紅茶がカップから溢れ出て、現在進行形でテーブルクロスに大きな染みを拡げているが、ロジーヌにとってそれは完全に意識の外だった。
「あ、あ、あ、あ、あのののの?」
もはや言葉にもならないが、ユーシスの追撃は続いた。
「作るのか作らないのか、どっちだ」
「つ、作ります!」
女神に祈るように胸前で両手を組み合わせ、ことのほか強い口調で彼女は宣言する。
「ならば俺に付いてくるがいい」
「はい……!」
颯爽と身を返し、戸口に向かうユーシス。その影を踏まぬよう、三歩下がってロジーヌは粛々と続く。
行動と思考を停止しているカイの横を抜けて、二人は入口から差し込む陽光の中へと消えていった。
妙な静寂の中――
「がはっ!」
明確な理由は判然としなかったが、胸をえぐられるような衝撃に、カイは激しくえずいて膝を折る。
視界の端でテーブルから滴り落ちる紅茶は、まるで血の涙のようだった。
「さて、俺はどうしようかな」
適当に町中をぶらつきながら、リィンは空を振り仰いだ。抜けるような青い空に、知り合いの顔が浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶ。
日々の依頼事を易々引き受けてしまう彼は、とかく知り合いが多い。が、逆にこちらからの頼み事となると、中々誰かを絞り込むのは難しく頭を抱えてしまうのだ。
「うーん」
うなってみるが、やはり決まらない。
「よ、お前も困ってんのか」
不意に声を掛けられ、上げていた首を戻すと、正面にクロウが立っていた。やけに明るげな態度で寄ってくると、肩に手をぽんと置く。その表情とは逆に、彼は重い声音でひそやかに告げた。
「全員の手前、さっきはああ言ったが、事態は想像以上に深刻だ」
「え?」
クッキングフェスティバルに出場することで、男子達の身は保証されるのではなかったのか。
息を呑んで、リィンは次の言葉を待った。
「初戦の相手が女子チームに当たるとは限らない。男子同士で潰し合う可能性もある。女子達が勝ち上がれば上がる程、悲鳴と絶叫が増えていくぜ」
「……それは分かっているが」
「下手すりゃ局地的な被害は、こないだのトラップ騒動より上かもしれねえ。男子チームの責任は重大だ。絶対にあいつらを優勝させるな」
「実食する審査員達には不憫だと思うが、そこまでする必要があるのか?」
「ある」
クロウはきっぱりと言った。
「その先を考えてみろ」
「先……? あ!」
もし女子チームが優勝、あるいは好成績を収めるなどしたらどうなるか。自分達は料理ができると勘違いしてしまうことだろう。さらに寮の厨房を占拠し、料理に勤しみ始めたとしたら。あまつさえ、そこで生み出された物体共が、食卓に連日並ぶような事態になったとしたら。
「破滅だ……!」
わなわなと震え、リィンは両手で顔を覆い隠した。指の隙間から覗く瞳が、狼狽に激しく揺れている。
「勝てばいい。勝てばいいんだ」
全てが凝集された一言を、まるで自分にも聞かすようにクロウは繰り返した。
「大丈夫だ。冷静に考えろ。審査員が通常の味覚の持ち主なら、あの料理を勝ち進ませることはしない。本来ならそこまで懸念することじゃないんだろうが。だが念には念を入れるぜ」
「どうするんだ?」
「リィン、お前は俺と組め。当日まであらゆる即興料理に対応できるように特訓する」
もはやその目は一介の料理人。己の命運を賭けて、一枚の皿に全てを託す。
クロウの本気を感じたリィンは「わかった」と返し、硬い表情のままうなずいた。やるしかない。仮に自分達が志半ばで倒れても、男子の誰かが優勝すればいいのだ。
新たにした決意を乗せて、リィンは拳を握り締める。
「この手で道を切り開く!」
あっという間に日は流れ、クッキングフェスティバル当日。
グラウンドに設置された特設会場に、吹奏楽部によるファンファーレが鳴り響いていた。
予想通りギャラリーはかなり多い。調理スペースを囲むように並べられたパイプ椅子に、一、二年問わず白と緑の学院服が所狭しと入り乱れている。
調理スペースには、簡易調理台や調理器具類があって、その他盛り付けなどにも使えるよう、大きめの四足テーブルが設置してあった。このセットは間隔を開けて横並びに二つ設けられていて、対決する赤チームと青チームとに分けられている。そして、その二つの戦場を一望できるように、白いクロスの敷かれた長テーブルが中央に置かれていた。ここで三人の審査員達が判定の為の実食をするわけである。
マイクを片手に、調理部部長のニコラスが仮設台に登った。
「皆様、今日は自由行動日にも関わらず、私達調理部の企画の為に足をお運びくださりありがとうございます」
冒頭の挨拶も程々に、大会のルール説明へと移る。
「要項にも記載しておりますが、勝負はチーム戦。審査員三名の判定による勝ち抜きトーナメント形式とさせて頂きます。審査員は各部部長や教官方にご協力いただいております」
ニコラスが手で指し示した先には、十数名にもなる審判員達が控えていた。満腹感が判定に影響を与えるという懸念から、基本は試合毎に審判を変えることになっている。
ノリノリで手を振るもの、仏頂面を浮かべるもの、様々だった。ノリがいい組にはフェンシング部部長のフリーデルや、教官ではサラ、生徒会からはトワなどがいて、仏頂面組には美術部部長のクララ、ハインリッヒ教頭などがいる。他にも園芸部からエーデル、文芸部からドロテ、馬術部からランベルト、水泳部からクレイン、チェス部からステファン、吹奏楽部からハイベル、ラクロス部からエミリーなど、他にも多くの部長勢が顔をそろえていた。
それぞれが各方面で名を知られているが、一同に会する機会などそうそうあるものではないので、この揃い踏みだけでも中々の盛り上がりを見せている。
「それでは、戦いに挑むチームの皆さんに登場して頂きましょう。どうぞ!」
大きな拍手と歓声が沸く中、手作りの入場門をくぐって、各チームが姿を見せた。
適材適所ということで、ここからのラウンドコールとチーム紹介はトワが務める。マイクをニコラスから受け取ったトワは、一つ咳払いをしてから、はつらつとした声を響かせた。
「じゃあ、さっそく行くよー! リィン・クロウ組、チーム名『バレット&ソード』!」
「よー、応援よろしくなー」
「ベストを尽くすのみだ」
片腕を掲げながら、リィンとクロウが堂々と入場する。
「どんどん入って来てね! 次はエマ・フィー組、チーム名『ボインとペッタン』」
「な、なんですか、このチーム名は」
「チーム名は全員分のエントリー用紙に、クロウが勝手に書いてたみたいだよ」
がくっと肩を落とすエマと、無表情のVサインを決めるフィーだった。
「まだまだー! ガイウス・エリオット組、チーム名『でっかいのとちっこいの』」
「うわー、緊張するなあ。というかチーム名雑だよ……」
「ふふ、まあ気にしなくてもいいだろう」
ボインとペッタンと意味合い的にはほぼ同じである。身長差コンビが入場門を抜けてきた。
「もう四番手だよ! フェリス・アリサ組、チーム名『特攻お嬢様』」
「負けませんことよ!」
「やるからには勝つわ」
自信に満ちた足取りの二人は、不敵な笑みを見せた。
「ここから折り返し! ユーシス・ロジーヌ組、チーム名『てめえ、ふざけんな、この野郎』」
「……これがチーム名ですか?」
「クロウ……なんのつもりだ」
後で絞め上げてやると鼻を鳴らすユーシスの後に、やはりロジーヌは楚々として続く。ちなみにごく一部のギャラリーの方々からは「トワ会長に罵倒して頂いたぞー!」と異様な盛り上がりを見せていた。
「私もクロウ君に後で話があるよ……こほん。えーと次はラウラ・モニカ・ポーラ組、チーム名『モニラ』」
「わー、注目されてるよ」
「チーム名は三人の名前から取ってるみたいだけど、私とラウラは『ラ』の一文字だけってどういうことよ」
「待て、ポーラ。私の名前には『ラ』が二つ付いている。だから私は二文字でカウントすべきではないか?」
やいのやいのと言い合いながら、三人はかしましく場内へと足を踏み入れる。
「さあ、あと少し! アラン・マキアス組、チーム名『報われない眼鏡』」
「それ僕のことだけだろ!」
「よーし、やるか!」
憤慨するマキアスと拳を打ち鳴らすアラン。どちらも気合いは十分だ。
「これが最後! ミリアム・マルガリータ組、チーム名『肉ウサギ』」
「あはは、マルガリータが肉でボクがウサギってこと?」
「このガキャア! どう考えても反対に決まってるでしょお!?」
ぴょこぴょこと跳ね回るミリアムを、地面をズシズシ鳴らしながらマルガリータが追走する。
「はーい、以上が出場選手の皆さんです。みんながんばってねー!」
計八組が審査員席の前に、ずらりと並ぶ。そこに大きなホワイトボードが運ばれてきた。でかでかとトーナメント表が書かれていたが、チーム名を入れる欄は空白のままだ。
トワが下がり、ここで再びニコラスが前に出る。
「対戦相手は今から抽選で決定します。形式は先に説明した通りですが――」
AブロックとBブロックにそれぞれ四チームずつ。つまり三試合勝ち抜けば優勝となる。しかし勝ち抜いた先、優勝を示す王冠マークの下にもう一本、横合いからトーナメント線が繋がっていた。
「あちらをご覧ください」
選手達が質問の口を開くよりも早く、ニコラスはびしっと全員の頭上を指差した。
その視線が伸びる先に、一同の目も向く。屋上に何かがいた。
足首まで隠れる全身黒づくめのローブをまとい、顔の半分以上を覆うフードを目深にかぶった謎の人物が二人。彼らは屋上の細いフェンスの上で背中合わせに立ち、憮然とした振る舞いで腕を組んでいる。威風堂々と風になびくその様は、並ならぬ雰囲気を漂わせていた。
「あの方々こそ我々運営で用意した二人の刺客。優勝者には彼らとのエキシビジョンマッチに挑んでもらいます」
騒然とする会場内。その折、黒づくめ達はいつの間にか姿を消していた。
「何だか面倒そうなのが出てきやがったな」
小さく舌打ちして、クロウはとなりのリィンを横目で見やる。「ああ、だが俺達のやることは変わらない」と返して、リィンは屋上から正面の審判席へと視線を戻した。
抽選箱に手を入れ、トワがチーム名が書かれた用紙を一枚ずつ抜き出している。
ほどなく全員分の抽選が終了し、ニコラスがトーナメント表にチーム名を書き入れていく。
「さーて、どうなるか」
「ここが肝心だ」
クロウとリィンの目論見は、各ブロックの一回戦で極力女子チームをふるい落とすことだ。その意図まで他の男子チームに伝えてはいないが、同士討ちは避けたいところである。
トワによる元気のいいラウンドコールが響いた。
「それじゃあ、さっそくAブロック第一試合始めます。テーマとする食材は『肉』! 対戦チームは……」
緊張の一瞬。そして――
「『報われない眼鏡』対『てめえ、ふざけんな、この野郎』。マキアス・アラン組とユーシス・ロジーヌ組は前へ!」
~中編に続く~
――おまけ――
出会ってはならない二人が出会ってしまった。
「ご来館の方ですかな? 受付は正面入り口からとなりますが」
ケインズ書房から戻ってきたガイラーと、
「いやいや、注文を受けていた書籍をお届けに上がっただけでしてね。今からお暇するところですよ」
用を済ませて帰路につくケインズである。
「注文書籍……もしや書房の店主、ケインズ殿かな?」
「いかにも。そういう貴方は?」
うやうやしく一礼し、ガイラーは柔和な笑みを浮かべた。
「しがない用務員のガイラーと申す者。先ほど丁度《ケインズ書房》に立ち寄らして頂きましてな」
「おお、それはそれは。不在にしており失礼を致した。それで、お眼鏡に適うものはありましたかな」
客を迎える店主の顔となり、ケインズは朗らかに応じる。しかし、
「残念ながら。不躾は承知で進言させて頂くが、あの店には心たぎるような熱いジャンルが少し足りないのではありませんかな」
わざとらしく肩をすくめたガイラーは、「店裏から感じる不健全なオーラは充足しておるようですが」と事もなげに付け加えた。
「……ほう」
ざわと大気が震え、鳥達のさえずりが止まった。
「お年を召されると見識が狭まるのでしょうかね。若き獅子達がたぎる書籍なら十分にそろえてあるつもりですが。これを不健全と称すとは、いやはや嘆かわしいですな」
「おやおや、少々顧客のニーズをはき違えておられる。若き獅子同士が青春の汗を流すことに意味があるというのに」
吐き出される言葉に険が乗り、ぶつかり合う視線の中心でスパーク光がほとばしる。
ふとガイラーの目が細くなり、ケインズの中指――その第一関節付近に視線が移った。
「それはペンだことお見受けしますが、もしや貴方も小説の類を書くのでは?」
「小説というか実録偉人伝のようなものですが。貴方も、ということはそちらも?」
「稚拙なものながら、細々と書いております」
不穏な空気が一瞬鳴りを潜める。
それぞれの瞳の奥を探るように、しばし見つめ合う二人。
ややあって、『ふっ』と同時に失笑をこぼした。
「どうやら貴方とは相容れないようですな」
「残念ながら、同感です」
物書き同士の嗅覚が、ジャンルの違いを告げた。
「私は落ち葉掃きの仕事が残っていますので、これで失礼しましょう」
「私も店番を息子に任せきりなので、これにて」
形ばかりの会釈を交わし、二人は止めていた足を動かした。
すれ違う寸前、互いの流し目が交錯する。時期にしてはまだ早い、寒々しい風が吹き抜けた。
前編をお読み頂きありがとうございます。
はい、このおまけは誰得なんでしょうね。オッサンしか出て来てないよ。というかガイラーさん、『ノベルウォーズは突然に』で文芸部員達に言ってたこと思い出して下さい。ジャンルを認め合うことが大切じゃないの?
そして本編ですが、無印ガールズクッキングの後継的な位置づけなので、あんな感じのノリで突き進みますが、どうぞ温かくお付き合い下さいませ。
……三部で予定していますが、ちびっこトラップより登場人数が多いので、また四部になっちゃうかも……何とか三部で収められるようがんばります。
虹の軌跡、絆イベント総決戦。今までに育んだ絆で、各員全力のガチンコ対決。どのペアが頂点に立つんでしょうか。さあ、食材と調理器具をその手に携えて――
たーたかいつーづけるだーけー。
次回もお楽しみ頂ければ何よりです。