虹の軌跡   作:テッチー

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クッキングフェスティバル(中編①)

 Aブロック一回戦、第一組。

 赤 ユーシス・ロジーヌ(てめえ、ふざけんな、この野郎)

 青 マキアス・アラン(報われない眼鏡)

 

 Aブロック一回戦、第二組。

 赤 アリサ・フェリス(特攻お嬢様)

 青 ミリアム・マルガリータ(肉ウサギ)

 

 Bブロック一回戦、第一組。

 赤 ガイウス・エリオット(でっかいのとちっこいの)

 青 エマ・フィー(ボインとペッタン)

 

 Bブロック一回戦、第二組。

 赤 ラウラ・モニカ・ポーラ(モニラ)

 青 リィン・クロウ(バレット&ソード)

 

 以上がくじ引きの結果決定した試合順だ。

 トーナメント表の書かれたホワイトボードの前に立ち、対戦チームの並びを確認したリィンとクロウは、思わしげな顔を互いに見合わせた。

「まあ、こんなところか。思ったよりばらけたとは思うけど」

「とりあえず俺たちは何が何でも勝ち残らねえとな。未来が根こそぎ刈り取られちまうぜ」

 学院を悲鳴で満たさない為にも。何より男子達のささやかな平穏を守るためにも。最終目的を思い返し、改めて二人は熱気が立ち上る調理スペースに視線を向けた。

 

 

 赤チームサイド。仮設調理台に設置された導力コンロの前で、ユーシスはみじん切りにした玉ねぎを炒めていた。飴色になった玉ねぎが香ばしい匂いを立ち昇らせる。

「鉄板の温度も十分です。タネも準備できています」

 ロジーヌが言う。

 この試合のテーマは肉。ユーシスたちが選んだのはハンバーグだった。以前ベッキーから持ちかけられた屋台勝負の際に、ユーシスはハンバーグを担当した経験があったので、迷わずこれを選ぶことにしたのだ。もちろんロジーヌもハンバーグくらいはお手の物である。ユーシスの作業工程に合わせて段取りよく下準備を整えていった。

「玉ねぎは炒め終わった。混ぜ合わすぞ」

「はい!」

 一つのボウルの中にパン粉、牛乳、ひき肉、炒めた玉ねぎが投入される。よくこねて、ここからがユーシスの見せ場だ。

「ふっ」

 必殺の高速空気抜き。パンパンと軽快な音を打ち鳴らすハンバーグのタネは、残像を残しながら両手の間を往復する。これぞ高貴な者にしか成せない料理と優美の融合。ノーブルクッキングである。

「ああ、ユーシスさん……」

 手の動きを止め、その光景に目を奪われるロジーヌ。

 ギャラリーからも歓声が沸き、ユーシスは勝ち誇った笑みを青チームに向けた。

 

「く、くそ!」

「落ち着け。まだ巻き返せる」

 余裕の態度を見せつけられてイラ立つマキアスを、となりに立つアランがなだめ付かせた。だがアランにも焦りはある。調理スペースに隣接された仮設テント――その中の食材置き場で二人はいまだにメニューを決めきれずにいたのだ。

「スペアリブなんかどうだ? 作り方は知らないが」

 マキアスが提案するも、アランは難色を示す。

「煮込みもあるから軽く一時間以上はかかるぞ」 

「そ、そうなのか」

「そろそろ時間も気にしないとまずいな」

 アランはテント内の置時計に目をやった。

 調理時間に制限はなく、二組そろって料理を審査員に出す規定もない。ただし先に料理を出されたチームは、そのあと十分以内に自チームの料理も出さなくてはいけないというルールがある。

 ユーシスたちが時間をかければこちらにも余裕が出てくるのだが、厄介なことに相手はメニューを決めるのも早ければ、調理の手際にもそつがなかった。

「猶予がない。もうこれでいく!」

 マキアスは肉用保冷ボックスから、審査員の人数分のステーキ肉を取り出した。

「さすがにひねりがないんじゃないか?」

「味付けに工夫はするつもりだ。とりあえずタイムオーバーの不戦敗だけは回避しなければならない」

「それはそうだけど……いや、仕方ないか」

 肉をトレイに入れて、大急ぎで調理台に戻る二人。アランが鉄板に火を入れる横で、マキアスは肉の繊維と筋に二、三箇所の切れ目を入れていく。

「鉄板の熱伝導が遅いな。いっそフライパンでやるか?」

「それだと三人分が一気に作れない。時間はかかってもいい。とりあえず肉を鉄板に並べよう」

 刻々とユーシスたちのハンバーグ完成が近づく。

「きゃあ!」

 急ピッチで作業を進める二人の耳に、赤チームの調理スペースから悲鳴が届いた。

 

 それは聖職者に対する悪魔の所業だったのかもしれない。

 油が宙を飛び、たまらずロジーヌは鉄板前で仰け反った。引いた油が多かったのか、あるいは肉汁が溢れたのか、慈悲の欠片もない高熱の油が跳ね回ってきたのだ。

 それでも肉の焼き加減は見なければならない。気丈にもそれ以上は引き下がらなかったが、そんな彼女をあざ笑うかのように、今度は一際大きな油の塊が襲いかかった。

「女神よ」

 両の手を組み合わせたロジーヌは、目を閉じて運命を受け入れた。

 しかし想像していた苦痛は、いつまで経ってもやって来ない。

 ロジーヌが目を開けると、そこにはユーシスの背中があった。身を呈して、彼女を油から守ったのだ。

「ぐっ」

「ユーシスさん!」

 がくりと膝をつく。その腕には小さな赤い火傷の痕があった。

「ああ、なんということを……!」

 寄り添ったロジーヌは、すぐさま回復アーツを駆動させた。

「こんなものはかすり傷にもならん。俺のことはいいから、先に鉄板の火力を調整しろ」

「できません」

「このままではハンバーグが焦げついてしまう。そこを退け。お前がやらないなら俺がやる」

「いいえ、退きません。それよりも大切なことがあります」

 立ち上がろうとするユーシスの腕を引き、無理やりに座らせた。青い光が、彼の傷を癒していく。

「まったく。相変わらず強情だな」

「ごめんなさい。嫌われてしまいましたか……?」

「いや、礼を言う」

「良かった。あ、えっと……私って強情なんですか。しかも相変わらずって、どういう……?」

「さあな」

 遠慮がちの上目遣いになって、ロジーヌはさらに質問を重ねた。

「私を助けて下さったのは、貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)だからですか」

「違う。体が勝手に動いただけだ」

「そうでしたか」

「なぜ笑っている?」

「いえ、なにも。さあ治療の続きです」

 ハンバーグの乗る鉄板からは、もわもわと黒煙が上がっていた。

 

「アラン見えるか。あれがユーシス・アルバレアという男だ」

「ああ、パトリックと言い、貴族ってやつは……貴族ってやつは……」

 なんか腹立つ。

 釈然としない苛立ちが、腹の底から湧き上がってきた。業腹なマキアスとアランに呼応するかのように、鉄板の火力がゴゴゴゴと音を立てて増大する。

 二人の怒りを引き受けた炎が、フランベよろしくステーキ肉を燃やしていた。

 

 

 審査員は三席の中央に座る主審が一名と、その両脇に控える副審二名で構成されている。それぞれの審査員の前には赤と青のボタンがあって、料理が優れていた方のチーム色を押すことになっていた。無論、押されたボタンの多かった方が勝利となる。

 この試合で主審を務めるのはフリーデルで、副審をジョルジュとフィデリオが担う。それぞれフェンシング部、技術部、写真部の部長だ。

 ほぼ同じタイミングで二チームの料理が完成したので、卓上には二つの皿が並べられていた。

 フリーデルは双方の皿を見比べると、一旦顔を上げ、そしてまた皿に目を落とす。

「んー、どっちがどっちの皿かしら?」

 彼女の問いに「青が右でステーキです」とマキアスが答え、「赤が左でハンバーグだ」とユーシスが重ねた。

「……そう」

 言われてみても、フリーデルにはやはりわからなかった。双方の皿に乗っているのは、どちらも黒く焦げ付いた物体だ。

 再び向けられたフリーデルの目を避けるように、両チームの四名はそれぞれ明後日の方向に視線を逃がした。

「とりあえず食べようか」とジョルジュがフォークとナイフを手にすると、「……審査はしなくちゃだしね」とフィデリオもやむなく応じる。

 そう、審査はしなければならない。

 責任という一語の下に、まずは赤チームの料理――ハンバーグと思わしきものにフォークを突き立てる。

 ぼろりと崩れる炭の山。三叉の隙間から炭屑が落ちていくが、それでもフォークに残っていたものだけを、フリーデルは口に運んでみた。

『うっ!?』

 嗚咽がそろい、審査員たちの背に嫌な汗が滲む。舌にまとわりつくのは、やはり炭の味。見た目通りの黒い味わい。喉を侵食するのは焦げに次ぐ焦げ。

 たまらず水を飲みほすが、口中の不快感は拭えなかった。

「なんというかこう……機械から染み出た劣化オイルを胃に注いだ心地だよ」

 さすがのジョルジュも目が虚ろだ。だが審査はもう一品残っている。

「けほっ、二人とも止まらないで。このまま次よ」

 考えたら動けない。無心で挑まねば恐怖に足をすくわれてしまう。

 必要なのは勢い。続け様に青チームの皿を引き寄せ、フリーデルはステーキ肉にナイフを入れた。結果は先のハンバーグと一緒だ。ぼろりと形状崩壊し、潰れた黒い物体が皿の上に広がる。毒の沼地を見ているかのようだった。

ためらいつつも、皆でそれを口に運ぶ。

『ううっ!?』

 先と大差ない味だ。大差なく、炭だ。

 写真部のフィデリオが、自身の作品にそうするように、これらの皿から受け取ったインスピレーションをそのままに、二つの料理に題名を付けた。

「うん……ハンバーグが『盲目の慕情』で、ステーキが「暗黒の波動」といったところかな」

 もちろん額に入れて飾りたいわけではなく、可及的速やかに袋に密閉して封印したいわけだが。

「さてと、困ったわね」

 ハンカチで口元をぬぐうフリーデルは、難しい顔を浮かべていた。

 たった一口で体力の大方を奪われる程の威力だったが、それでもどちらかは選ばなければいけないのだ。今回の判定ポイントはただ一つ。どちらの料理がおいしかったかではない。どちらが完全に炭化していなかったかだ。要は黒炭の少ない方の勝ちである。

 数分の合議の末、勝利したのは青チーム。マキアス、アラン組だった。

「やった!」

「危ういところだったな」

 ガッツポーズのマキアスたちと、

「すみません、私のせいで……」

「気にするな。おかげで腕の痛みは消えた」

 負けてなお、輝くオーラを放ち続けるユーシスたち。

 全力を尽くして肉を消し炭に変えた両チームを見ながら、フリーデルは言った。

「とりあえずあなた達は全力で肉に謝罪しておきなさい。それと、アランはあとでギムナジウムの裏までいらっしゃいな」

 フェンシング部部長の声音に、アランの顔から笑みが失せる。フリーデルの口元には、意図の読めない微笑だけが浮かんでいた。

 

 

 Aブロック第二試合目。

 アリサ・フェリス組の『特攻お嬢様』対、ミリアム・マルガリータ組の『肉ウサギ』。

 審判は主審が調理部顧問のメアリー教官、副審二人は導力学担当のマカロフ教官、そしてラクロス部部長のエミリーである。試合毎の審判の選定は割と適当なので、生徒と教官が入り混じることも度々あるのだ。

「すみません、マカロフ教官。人手不足で審判をお願いしてしまって。お忙しいことは承知しているのですが……」

 申し訳なさそうにメアリーが右横の顔をちらりと見やると、無精ひげをしゃくるマカロフは眠たげな目を返した。

「ああ、いや。一食分浮くと思えば得ってもんですよ」

「まあ、ふふふ。……なんでしたら今度ランチでも一緒にいかがですか? お弁当を作りますから」

「メアリー教官が? 手作りで?」

「は、はい。お気に召しませんか?」

「いえ、楽しみです」

 嬉しそうなメアリーの左横では、エミリーが感慨深げにアリサとフェリスを眺めている。

「あの二人が一緒に料理かあ。うーん、入部当初を思うと本当に仲良くなったわよね。胸が熱く感じるのは先輩心ってやつかしら。でも審判は公平にやるからね」

 開戦の号令と共に、トワが料理のテーマを発表する。

「二試合目のお題は……『デザート』!」

 

「デザートですって」

「これはもらいましたわね。淑女の必須科目ですもの」

 赤チーム。アリサとフェリスは食材置き場でフルーツ類を物色していた。その表情には余裕しかない。

 なぜなら彼女たちはお嬢様。贅を尽くし、趣きを凝らしたデザートなど、口にする機会は幾度となくあったのだ。むしろ選択肢の方が多過ぎて困るくらいである。

「ストロベリータルトパイなんてどうかしら?」

「いいですわね。マドレーヌやトルテなんかも捨てがたいですし」

「カップマフィンは?」

「シュークリームでも良いのではなくて?」

 ひとしきり話が盛り上がったあと、ようやくその疑問に突き当たる。

「で、どうやって作るの?」

「……さあ?」

 知るわけがなかった。テーブルにつけば、一流品が勝手に運ばれてくるのだから。本物の味こそ知っていても、本物をどう作るかなど意識の範疇外だ。お嬢様タッグはようやく焦り出す。

「ち、ちょっと。どうするのよ。というかフェリス、料理は人並み以上にできるって言ってたじゃない」

「アリサだって床を転げ回るくらいおいしいものを作れるって言ってましたわ!」

 仲違いしても状況は変わらない。思考を切り替え、素早く食材に視線を走らせる。

 アリサの目がぴたりと止まった。手に取ったのはケーキ用のスポンジだ。

「あ、これは用意してくれてるのね。だったら……」

「いい案が浮かびましたの?」

「ええ。フェリスはホイップクリームとかカスタードを探してきてくれる? あと抱えられるだけのフルーツを持って行くわ」

 言いながら黄色のスポンジを見せると、フェリスも意図を理解したようで、「なるほど、ケーキですわね!」とあちらこちらの食材棚を駆け回る。

 その時、青チームの調理スペース側で、一際大きな歓声が上がった。

 

「こんなもの、お安い御用よお」

 逆三角錐のクリアカップに、色鮮やかなフルーツが盛り付けられていく。オレンジ、メロン、アップル、バナナ。器の端にはちょっとしたスナックフレークも添えられている。ポイントはほんのり焦がしたカラメルソース。これが全体の味を整えると同時に、フルーツやアイスの甘さを引き立てるのだ。

 ミリアムとマルガリータが作っているのはパフェだった。

 驚くべきはその細工。マルガリータは小さな果物ナイフ一本で、あらゆるフルーツに薔薇の装飾を施している。もうバナナに至っては、何をどうすればそんな形に持っていけるのか、ある種の執念さえ感じさせる満開の薔薇へと変貌を遂げていた。

 たくましい豪腕から生み出される精細な技巧に、ギャラリーは感嘆の声をあげる。

「んしょっと。パイナップルここに置いとくよー」

 かたやミリアムは食材置き場と調理台をひたすら往復し、必要なフルーツ類を持ってくる役割である。

 ごろんとキッチン台に転がったパイナップルを手にとるなり、マルガリータは顔をしかめた。

「ちょっとお、これ色が悪いじゃない」

「そう? お腹に入ったら同じだと思うけどなあ」

 適当に応じつつ、ミリアムはボウルで何やらかき混ぜている。

「なにやってるのか知らないけど、あんたの作ったのは使わないわよ」

「マルガリータのいじわる! ヴィンセントに嫌われるぞー」

「様を付けなさいよ、ガキィイイ!」

 瞬間的にパイナップルを片手で握り潰し、圧砕と同時に黄色い果汁をぶちまける。

 へしゃげた残骸が雑な手つきで観客席に打ち捨てられると、ギャラリーからの歓声はピタリと止んだ。

 

 先に審査テーブルにデザートを出したのは『肉ウサギ』チームだった。メアリーたちは目を丸くして、そのパフェに見入っている。

「これはすごいですね」

「はあー、ナイフ一本でここまでできるんだな」

「さすがにアリサたちには分が悪いかも」

 輝いているとも思えるその一品を前に、この手の類の物には縁遠そうなマカロフでさえも素直に驚いていた。

「グフッ。さあ審査員の方々、アイスが溶けてしまう前にご賞味あれ。その名も『マルガリータ・トワイライト――メモリーオブグランローズ〜熱愛が二人を包むまで』」

「まだだよー!」

 上機嫌なマルガリータの脇を抜けて、先ほどのボウルを抱えたミリアムが走ってくる。そしてボウルの中身の黒っぽい液体を、審査員の前に並べられたパフェに注ぎ込んだ。

「ミリアム特製ソースを加えて出来上がり!」

 甘ったるい香りが、ぷーんと漂う。湯煎したチョコレートに、ありったけの砂糖を混ぜあわせたドロドロソースだった。フルーツのバラ装飾――その花弁が瞬く間に漆黒に染まっていく。

「なっ! この繊細な味と造形になにしてくれてんのよお!」

「だってボクも何かしたかったんだもん」

「ギイイイィイ!」

 ぴょんぴょん飛び回って逃げるミリアムを、ギリギリと歯をきしりながら、丸太のような太腕で追いかけ回すマルガリータ。

「お待ちいっ!」

「わわっ!?」

 ミリアムは審査テーブルの下に逃げ込んだ。マルガリータはテーブルクロスの両端をわしづかむと、「ふんヌゥっ!」と一気にめくり上げる。

 クロスごと跳ね上がった三つのパフェが、撃ち出されたミサイルのごとく、それぞれ審査員の顔面を直撃した。

 

「とりあえず口には入りましたので」

 渡されたタオルで顔を拭いながら、メアリーは空になったパフェグラスを横によけた。一応顔だけの体裁は整えたものの、服はチョコレートソースや溶けたアイスでべったりで、ホワイトブロンドの髪には髪飾りのようにフルーツが乱れ咲いている。マカロフとエミリーも同じようなものだった。

「ええとだな。まあ、甘い味ってことはわかった」

 ぽりぽりと頭をかくマカロフの白衣はカラフルだ。

「……あなた達のも完成したみたいね」

 オレンジの皮を頭に乗っけたままのエミリーが、次に運ばれてきたアリサとフェリスの手作りケーキに目を落とした。

 上下のスポンジが歪んだりしていて、見た目に少し不格好だったが、それでもしっかりとしたショートケーキにはなっている。

「ええ、どうにかなりました」

「特と味わって下さいまし」

 自信ありげな二人。三人の審査員はフォークでケーキをすくった。

「あら、このクリームって?」

 エミリーが気づいた。薄い緑と黄色のクリームがスポンジの内側の上下に塗られている。

「さすがエミリー部長。それはメロンクリームとカスタードクリームです」

「風味の異なるクリームを二層式にしてみたんですの」

「へえ、いいじゃない。それじゃあさっそく……うん」

 審査員は同時にケーキを口にする。

 まずは上部に飾り付けられたフルーツの程よい酸味が、口腔内にふわりと広がった。

「うん、うん」

 続いて柔らかいスポンジの歯ざわりが、ケーキを食べたと言う実感を伴ってやってくる。そして内側に塗られた二層のクリームと一体化し、新雪のような甘い口どけを運んできた。

「うん、うん、うん……?」

 運んでこない。いつまでたっても運んでこない。それどころか、メロンもカスタードの風味でさえも一向に――

「っ? うっ! ぐむっ!?」

 それはスポンジの隙間を突き抜け、フルーツの酸味を吹き飛ばしながら、邪悪な本性をむき出しにした。

 焼けるような痛みが、鼻、喉を刺し貫く。あっという間に目が充血し、涙と汗が吹き出した。

「ふああああ!?」

 自身の絶叫の中で、エミリーは理解した。

 この緑色はメロンではなくワサビ。

 この黄色はカスタードではなくカラシ。

「あ、なた……たち、やらかし……」

 そんな間違いがどうやったら起こり得る。こんなものデザートどころか、罰ゲーム仕様の対人トラップだ。

 呼吸困難になる。見ればメアリー教官とマカロフ教官は仲良く卓上に突っ伏し、身じろぎさえしない。先に逝ったのだとわかったが、同時に果たすべき責任が自分の手に委ねられたことをエミリーは知った。

「勝者……は……!」

 ガラガラになった喉を震わせて、低く掠れた声をしぼり出す。

 パフェはほぼ味わえなかったとはいえ、これは比べるまでもない。パフェが店で運ばれてくるものなら、このケーキは兵器生産ラインのベルトコンベア上を流れゆくものだ。次元が違う。とても食材とは認められない。

「あ……あ」

 青チーム。しかし宣言もボタンを押すこともできず、力尽きてエミリーは頭からくずおれる。ごちんと音を立ててぶつかった額は、最悪な事に、赤いボタンをしっかりと押し込んでいた。

 トワがその判定を拾う。

「ええと。勝者、赤チーム、『特攻お嬢様』……でいいのかな?」

「とーぜんですわ」

「まあ、こんなところね」

 フェリスとアリサはすんなり勝利を受け入れた。

 

 

 メアリー、マカロフ、エミリーを保健室送りにして、Aブロック二組は終了した。ここからはBブロックである。

「よ、よーし。じゃあBブロックの一回戦始めるよ」

 先行きの不安を感じつつも気を取り直し、トワはマイクに声を響かせた。

 審判席に座るのは、馬術部のランベルト、美術部のクララ、オカルト研究会のベリルである。ベリルは一年だが、部長と言うことで召集の声がかかっていた。

「主審を務めるランベルトだ。みんな期待しているよ」

 白い歯を見せて、ランベルトは爽やかに笑う。反してクララは「ふん、私は早く彫像の製作に戻りたいのだが」と依然として仏頂面を浮かべていた。

「それでは、赤『ボインとペッタン』対、青『でっかいのとちっこいの』 両チーム入場!」

 チーム名はやはり恥ずかしいらしく、エマは顔を手のひらで覆いながら調理スペースに小走りで向かう。

「うう、フィーちゃんは恥ずかしくないんですか?」

「私意外とペッタンじゃないし」

「そこじゃなくてですね……」

 反対側の調理台では、エリオットとガイウスがスタンバイしていた。すでに準備は万全だ。

「どんなお題でも大丈夫だよね」

「ああ、練習通り行こう」

 腕を大きく振り上げて、トワは開戦を告げる。

「Bブロック、第一回戦のテーマは卵だよ! 調理スタート!」

 

 赤チーム。

「卵料理か。エリオットは得意だな?」

「他の料理に比べたらね。ラッキーだよ」

「卵を選ぶ時は表面がざらつくものを選ぶといい。それが新鮮な卵だ」

「へえ、そうなんだ」

 言われてエリオットは卵のからをさすった。

「さて……何のメニューにするか」

「ノルドの香辛料持ってきてたよね」

「あるにはある。しかし癖が強いから多量には使えないと思うが」

 エリオットは選んだ卵を割らないよう、慎重に食材運び用の編みカゴの中に入れる。いくつかの野菜も品定めしたあと、彼はガイウスに言った。

「うん、オムライスを作ろう」

 

 一方の青チーム。エマ、フィー組も、食材選びはスムーズに済んでいた。

 食材を入れてあるトレイには、卵はもちろん、鶏肉、小エビ、ニンジンなんかが並んでいる。選択したメニューは茶碗蒸しだった。

「ねえ、茶碗蒸しって作るのに時間かからないの?」

「大丈夫ですよ。蒸す時間は七から九分程度。下処理の時間を考えてもエリオットさんたちのチームに十分以上遅れることはないと思います」

「ふーん。じゃ、委員長は茶碗蒸し作ったことあるんだね?」

「……それはありませんが」

「え、ないんだ」

 しかし大会参加が決まってから今日に至るまで、あらゆる料理書を読破したエマの頭の中には、相当な数のレシピが詳細に記憶されていた。その中には東方料理に分類される茶碗蒸しもあり、試作こそしなかったものの、調理法自体はしっかりと心得ていたのだ。

 ざっと調理台の上に置かれた備品を確認してみる。

 蒸し器はある。使えそうな陶製の器もある。これならいける。そう判断したエマは、持参していた大きな袋からゴソゴソと色々な物を取り出した。

「ふう、持って来てて良かったです」

 調理台の上に怪しげな器具類が、ごちゃごちゃと乗せられていく。

 ビーカー、メスシリンダー、試験管、気体検知管、成分調査シート、上皿天秤、フラスコ、果ては顕微鏡まで。もはや調理台というより、実験台と言った方がしっくりきそうだ。エプロンよりも白衣の方が似合うくらいである。

「さあ、始めましょうか」

了解(ヤー)

 根本的に間違った何かが始まった。

 

 オムライスを作るつもりの赤チームだったが、下準備が終わったところで致命的なミスが発覚していた。

 エリオットは急いで食材置き場まで走って、調味料の棚を慌てて見直してみたが、やはりどこにも見当たらない。

「どうしよう。ケチャップがないよ」

 オムライスには必須の調味料である。これが用意されていないのは手痛い誤算だった。

 ガイウスも難しい顔をしている。

「トマトならあるようだな。煮詰めてケチャップを作ってみてはどうだ」

「委員長たちが何を作るのかはわからないけど、僕らがケチャップを作って、そこからオムライスを作るほどの時間の余裕はさすがにないと思う」

 そもそもメニュー選択の時点で失敗してしまっていたのだ。一気に劣勢に陥った二人は、それでも何かは作らねばと再び調理スペースへと戻る。

「こうなったらオムライスじゃなくてオムレツにしようよ。ノルドの調味料をアクセントに使って――あっ!?」

 不意に立ち止まったエリオットの視線の先に、赤チームの調理台にもたれかかり、いかにもな雰囲気を醸し出している男がいた。

「やあ、猛将」

「ケッ、ケインズさん!?」

「皆まで言う必要はない」

 当然のようにエプロンをつけるケインズは、自身の懐に手を入れた。

「君の力になりたくてね。猛将が探しているのはこれだろう?」

 おもむろに取り出したのは、ボトルに入った赤いソース。それはトマトケチャップだった。

「ケインズ家特製のケチャップだ。存分に役立てて欲しい」

 観客席から「外部からの助力は反則ではないのか」と、激しいブーイングが飛んでくる。野次を一笑に伏したケインズは、一枚の用紙を高々とギャラリーに掲げてみせた。それは試合前に提出したはずの、チームメンバーを記入するエントリーシートだった。

 エリオットとガイウスのサインの下に、しっかりケインズと署名されている。

「事前に登録されていればメンバーの追加は可能。そして食材の持ち込みも許可されていたはずだ。そして学生限定などとはどこにも記載されていない。問題はないと思うが?」

「い、いつの間に?」

「ふふ、猛将はこれを誰に提出したか覚えているかな」

「え?」

 頼まれたからと言って受付席に座っていたのは――そういえばミントだった。

 すでに観客席に移っているミントは、こちらに向けて親指をビッと立てていた。ケインズも同様に親指を立てながら、彼女にウィンクを投げ返している。

「ミント嬢はいい働きをしてくれた」

 受け取ったエントリー用紙に、その場で名前を書いたのはミントだったのだ。要はグルである。

「さあ、荒々しい猛将クッキングを私に見せてくれ」

 すでにやらかした後で、選択の余地はない。

 諦めと開き直りを半々に、エリオットはケチャップを受け取った。

 

「フィーちゃん。鶏肉が16グラムになってますよ。1グラム減らして下さい」

 天秤の片皿に分銅を乗せながら、エマは丸眼鏡を光らせた。その横では紫色の液体が、フラスコの中でポコポコと気泡を上げている。

「1グラムくらい問題ないと思うけど」

 エマが用意した可愛らしいエプロンと実験用のマスクや手袋を装着した、なんともアンバランスな格好のフィーは、それでも言われた通りに微量の肉を削ぎ落とす。

「錬金術を知っていますか?」

「知ってるけど。急になに?」

 帝国では隆盛しなかったものの、中世に存在した学術である。あらゆる知識に精通した術士たちが、異なる物同士を掛け合わせて、新しい物質を作り出すというものだ。その性格はどちらかといえば魔導科学に近いものがあったという。

「料理は錬金術と同じです」

 エマはフラスコの液体を受け皿に映し、スポイトでいくらかすくい取ると、それを今度はプレパラートに一滴だけ乗せた。てきぱきと慣れた手つきで顕微鏡のセッティングを始める。鏡筒をのぞき込み、ピントや光源を調節しながら彼女は続けた。

「まったく異なる食材を使い、一つの料理へと昇華させる。その意義はきっと同じなんですよ」

「……ちょっと私にはわからないけど」

 率直な感想を述べながら、フィーもフィーで違う試験管同士の液体を混ぜ合わせている。青い液体を黄色い液体に注ぎ入れると、そいつらはあっという間に緑色に変わった。成分調査シートを片手に、いくつかのチェック項目に印を書き入れながら「基準値クリア」と端的な結果だけをエマに告げた。

「では、いよいよ仕上げです」

 謎の合格規定を満たしてしまった紫色と緑色の液体、そして申し訳程度の茶碗蒸しのだしが一まとめにされ、蒸し用の器に移されていく。

「楽しみですね」

「だね」

 魔導科学の粋を結集させた錬金茶碗蒸しが、もうもうと沸く蒸気の中に一つ、二つと消えていった。

 

 実食判定。先に皿を出したのは赤チームだった。ガイウスが審査員テーブルの上に料理を並べ、その品名を伝える。

「これが俺たちの『ふわとろオムライス~ハイヤーを添えて』です。どうぞ」

 それは変わり映えのない普通のオムライス。主審のランベルトは不思議そうにそれを眺めた。

「うむ。このかけられた卵は見事な金色の丘陵だ。しかし、君。肝心のハイヤーがどこにも添えていないようだが」

 副審のベリルとクララは、訝しげにオムライスをスプーンでつつく。聞きなれないハイヤーという言葉が、食材かどうかわからなかったのだ。

「まずはご賞味頂きたい」

 ガイウスは自信に満ちた声でそう促した。

 言われるまま、ランベルトはオムライスをすくう。瞬間、卵の裂け目から香り高い風味があふれ出した。

「おお……」

 それはイメージ。

 ランベルトはどこまでも続く雄大な高原に立っていた。蒼穹の大地と悠久の空。その境目に沈む夕日の赤光の中、一頭の馬がこちらに駆けてくる。

 その背にまたがったランベルトは、果てない地平に向かって走り続けた。爽快な風が吹き抜けていく。

「ハ、ハイヤー!!」

 椅子を蹴倒しながら立ち上がり、ランベルトは高らかに叫んだ。

「ふふ、添えましたね。“ハイヤー”を」

 ガイウスが見越していた笑みを浮かべる。ランベルトは称賛の言葉を贈った。

「この独特な風味のスパイスを卵で覆うことで封じていたのだね。叫ばずにはいられない爆発力。見事だった」

 普段は気難しいクララでさえも、舌鼓を打っていた。

「ウォーゼル。貴様、なかなかやるな」

 食事など栄養摂取でしかないと言う彼女にしては、異例の賛辞と言えるだろう。

「ベラ・ベリフェスはどう思う? おいしい? そう、よかったわ」

 水晶玉を掲げてブツブツとつぶやくベリルだけは、よくわからなかったが。

 もう一口とランベルトがスプーンを持ち直した時、ケインズがそれを止めた。

「待ってもらおう。添えるものはハイヤーだけに限るまい」

「え、ケインズさん、ちょっと?」

 エリオットたちにとっても予想外の行動である。

「ほう、まだ味に変化をつけることができると?」

「左様」

 審査員席まで進み出たケインズは、件の自家製ケチャップを取り出すと、それをオムライスにかけた。ケチャップの赤文字で、『MOUSHOU』の文字がでかでかと描かれていく。

「猛将?」

「いかにも」

 ケインズはケチャップの容器でエリオットを指し示した。観客席から「猛将ってなんだ?」とか「あいつ、まさか……」などの声が飛び交い始める。

「その通り。括目せよ。ここにおられるエリオット男子こそ、これから帝国の未来を担う猛々しき猛将――」

「だあああ!?」

 ケインズの暴挙に、エリオットは叫んだ。

「心配しないで欲しい。今日は猛将の――」

「猛暑だったよねー、今年は!」

「しかし猛将は――」

「もうしょうがないなあ、ケインズさんは!」

 必死で猛将のワードを別の言葉で押し隠す。その折、「なんだかわからないが頂くよ」と、たっぷりのケチャップごと二口目を食べるランベルト。

「ぬうあ!?」

 それもイメージ。

 広大な高原のど真ん中に現れた筋骨隆々のエリオットが、馬の首を羽交い絞めにしている。ゴリゴリのマッチョになった橙毛の彼が、ケチャップを豪快に丸呑みにして白い歯を見せた。

 野太い声が腹の底に響く。

 

 ――君も猛ってみないかい?

 

「ぶはっ……」

「今のはライスに混ぜたものとは違う種類のケチャップだ。精力が付くよう、様々な調合を施してある」

「こ、これが、猛……将……」

 それだけを言い残すと、栄養過多の鼻血をつつーと垂らして、ランベルトの意識は消失した。

「少し効きすぎたかな。ふふ、幻想の果てに彼は何を見たのやら。……さて、お嬢さんたちはどうだい?」

 ケチャップを掲げてみせるケインズに、クララとベリルは左右に首を振った。

 

 茶碗蒸しも完成した。エマとフィーが器を運んでくる。ランベルトの意識は戻らないので、残る副審二人がジャッジを務めることになった。

「……私は茶碗蒸しというものを見るのは初めてだが、通常こんな色をしているものなのか?」

 ふたをあけたクララは、立ち昇る湯気の中で、顔をしかめていた。

 卵の黄色は残っておらず、器の中に見えるのはドス黒いプリン状の物体である。

 エマは即答した。

「味に問題はないはずです」

「あれらの実験器具はなんだ?」

「計量とだしの調合に使ったんです。あ、ちゃんと新しいのですから、心配はしないで下さいね」

 見当違いのフォローだったが、それ以上は追求もせず、「まあ、いい」とクララは茶碗蒸しをスプーンですくってみた。

 ブルン、と揺れる黒いもの。邪悪な意志を押し固めたようだ。しかし大して躊躇もせずにクララは口にする。

 それはイメージだった。

 放課後の美術室。夕日が差し込むその部屋で、クララはいつもの席に腰を据えて胸像を彫っていた。平ノミを片手に携えて、刃の先端を制作途中の像に当てる。

「……?」

 動きづらさを感じて、下を見る。足が灰色の石に変わっていた。尚もその侵食は止まらず、みるみると腰まで石化していく。

「なに……!?」

 そこで意識が現実に引き戻される。卓上に転がったスプーン。依然としてそこにある茶碗蒸し。しかし異変の感覚は消えていなかった。

 それはイメージではなかった。

 パキパキと音を立てながら、すでに胸上まで石化が進んでいる。

「クララ部長!」

「ウォーゼルか。心残りは制作途中の彫像だ。あとはお前が完成させろ。荷が重ければ壊して構わん」

 淡々と告げるその口調は、すでに未来が断たれていることを受け入れているようかのだった。

「俺に部長の作品を完成させることなど出来ません」

「私は石の声を聞いて像を彫る。お前は風の声を聞いて絵を描く。感性に違いはあるが、私はお前の作品が嫌いではなかった」

「なぜ今になってそんなことを……」

「お前には物事の本質を捉える才能がある。後悔はない。私は見つけたのだ。真の芸術とは、己の身をそれとすることだ」

 体のほとんどを石に変えながら、彼女は言う。

 その言葉を最後に、物言わぬ一体の石像が完成した。

 

「調合、間違えちゃったのかしら……」と首をかしげるエマと「クララ部長……」と両手を地につけ、うなだれるガイウス。

 判定はベリルの采配に委ねられたが、彼女はどちらの料理もほぼ手つかずだった。

「じゃあ、審判を下すわ。終末の審判をね」

 意味深に言ってのけ、水晶玉に手をかざす。「そう、そう、そうなのね。わかったわ」などとブツブツつぶやき、謎の交信を開始した。

 しばしのあと、ベリルが決を出す。

「ベラ・ベリフェスはこう言ってるわ。この茶碗蒸しからは黒い魔力を感じるって」

 水晶玉がエマたちを映し出す。

「だから、茶碗蒸しの勝ち」

 

 

「あんな判定ありかよ」

 担架で運ばれていくランベルトとクララを横目に、ぼそりとクロウは言う。

「気持ちを切り替えよう。次は俺たちの出番だ」

 俺たちさえ勝てばいい。言外にそう付け加え、リィンは先に調理台へと向かった。

 彼らは青チームだ。反対側の赤チーム――ラウラ、モニカ、ポーラはすでに配置についている。

 審判も順々に席に着く。四戦目までの惨劇を目の当たりにしてきたので、その足取りは決して軽くない。

「ちくしょう、昼飯代浮くと思ってたのによ……」と鎮痛な面持ちのクレイン。

「今度は腕を怪我するどころじゃすまないかも……」と青ざめるハイベル。

 水泳部部長と吹奏楽部部長である。この二人は副審で、主審は最後に席に座った三人目――トマス教官が務めることになった。

「あはは、珍妙料理とか出てくると嬉しいですね」

 そういう類のものを食べ慣れているのか、トマスだけは気楽な様子だ。

 リィンに続いたクロウが定位置に付いたところで、マイクを持ったトワが一歩前に出る。

「食べてないけど、なんだか胸やけ気味かも……。じゃあ、Bブロック二試合目のお題は――」 

 誰も保健室に行きませんように、と小さくつぶやいてから彼女は言った。

「野菜!」

 

 テーマ発表、開始号令と共に、リィンとクロウは食材置き場へ飛び出した。

「ポトフでいくぞ!」

「了解だ!」

 今日のために様々な料理を特訓してきた二人にとって、即興料理は難しいものではなかった。

 食材選びも悩まない。じゃがいも、ニンジン、ベーコン、玉ねぎ、白菜、コンソメ、オリーブオイルなどを手際よく集めていく。

「俺は野菜の下処理を済ます。リィンは鍋準備頼む」

「わかった。ベーコンはこっちで火を通しておくぞ」

 凄まじいコンビネーション。鬼気迫る包丁捌き。なにせ今回は命がかかっている。下手を打てば、文化祭のステージに男子全員が欠場という事態もあり得るのだ。

「うおりゃああ!」

 咆哮と共に、じゃがいもの皮をむく。

「はあああ!」

 気合いと共に、鍋に火を入れる。

 並ならぬ気迫が会場を震撼させた。

 

「野菜炒めね」

 それしかないとポーラは断言した。

「……そうだね。ラウラもそれでいい?」

「問題ない」

 モニカの確認に、ラウラは迷わず答える。

 本来ならもう少し凝った料理にも手を出せるのだが、それではラウラが二人の調理スピードについて行けない。あくまで三人で作ることに意味があるのだ。

 二人のそんな気遣いには思い至らないラウラは、やる気満々で手にした包丁を太陽にかざしてみせた。ギラリと刃が光る。

「任せて欲しい。なんでも切ってみせよう」

「間違っているわ、ラウラ」

 ポーラはそうたしなめて、ラウラの包丁をまな板の上に置かせた。

「あなたが担当するのはあっちよ」

 ラウラが指定された立ち位置はコンロだ。

 食材カットはポーラとモニカで手早く済ませる。下処理の済んだ野菜を、ポーラがラウラのところまで運んだ。

「さあ、出番よ」

「う、うむ」

 よく熱せられたフライパンに野菜を投下。小さな油が跳ね回るが、この程度はラウラも克服済みだ。

 ラウラは均一に熱が回るよう、調理へらで野菜をかき混ぜようとした。しかし「それも違うわ」と、ポーラ様の棘口調がラウラの背に鋭く刺さる。

「そんなまどろっこしいことはやめて、フライパンを返して一気に野菜を炒めなさい」

「ポーラ!? ラウラはまだそんなことできないよ!」

 例によって制止に入るモニカには取り合わず、ポーラは続けた。

「野菜炒めは水分を飛ばして手早く作った方が食感がいいわ。ヘラでちまちま混ぜ繰り返した一品が、果たして審判三人を納得させられるものなのかしらね」

「しかしポーラ、私がフライパン返しをやったことがないのは事実だ。食材を切ることならできるのに、どうしてそちらの担当を私にしなかったのだ?」

 純粋な疑問のようだった。

 ポーラは逆にこう問い返した。

「ねえ、ラウラ。剣の技術って切るしかないの?」

「そんなことはない。突く、受ける、捌く、返す、流す。他にもあらゆる技術の組み合わせで成り立つ型もある」

「料理も同じじゃない!」

「なに?」

「切るだけで料理ができて!? 焼く、煮る、炒める、蒸す、燻す。様々な調理法の組み合わせで料理は成り立つの!」

「はっ!」

 どががーんとラウラの背後に雷が落ちた……ように見えた。ショックを受けたらしい彼女は、手中のへらに目線を落とす。

「選びなさい。安全を求めてへらを使うか、高みを目指してフライパンを返すか」

 慣れないことをさせて、火傷を負わせるリスクもある。ポーラとて本当はラウラに危険な真似はさせたくなかった。しかし対戦相手にリィン(朴念仁)がいることを知り、その考えは曲げざるを得なかった。

 ラウラは意識的にも無意識的にも、認めた相手と対等であることを望む。それがあのリィンなら尚のこと。

 彼と対等に並ぶなら、相応のことをやらねばならない。なにより例のお弁当の一件で、“料理のできるラウラ”をアピールする作戦は失敗に終わっている。この場は以前のリベンジを果たすための、期せずして訪れた好機なのだ。

「あまりまごついていると野菜が焦げ付くわよ」

「……そなたからは、いつも多くのことを気づかされる」

 ラウラはその手のへらをぶんと放り投げた。相手チームの調理スペースから「うあっちい!? あいつら直接攻撃してきやがった!」とクロウの悲鳴が聞こえたが、それは置いておいて。

 フライパンの柄をつかみ、ラウラは呼吸を整えた。極限の精神集中。

 友人たちの応援を背に、フライパンを振るう。色彩豊かな野菜が宙を舞い、半円のアーチを描いたそれらは、再びフライパンの中へと収まった。

 ラウラが拳を握る。

 天を仰ぐポーラとモニカ。観客席からも称賛の拍手が沸いた。

 

「なにやってんだ、あいつら。つーか熱かったぜ……」

 飛んできたへらを忌々しげに台の隅にやり、クロウは鍋の様子を確認する。問題はなし。間もなく完成だ。

「じゃあ俺は皿の準備を――ん?」

 リィンが後ろに振り返ると、そこに赤チームのポーラ、そしてモニカが立っていた。

「どうしたんだ。向こうはいいのか?」

「野菜炒めはラウラに任せてるから大丈夫」

 悪戦苦闘しながらもフライパンを返すラウラを一瞥し、ポーラは言った。

「それで一体――」

「この朴念仁」

 言葉を遮り放たれた、冷たい一言だった。そこにモニカも「あんなに頑張り屋さんの女の子、他にはいないよ?」と含みのある視線を向けてくる。

「この朴念仁」

 さらに繰り返して、ポーラはふんと鼻を鳴らす。

「ちょっと待ってくれ、何のことだか俺には」

「そういうところがダメなのよ。親しい人にも言われたことないの? 朴念仁って」

「そんなことは……」

 兄様の朴念仁! と、頭蓋に響くその一語。

「きっとその人もたいそう苦労していることでしょうね」

「お、俺は、俺は……!」

「まったく、自覚がないって本当厄介」

「う、うわああー!」

 記憶が飛びかける直前で、クロウが割って入った。

「おい、お前らなんのつもりだよ」

「おだまり、バンダナ」

「バッ……!? 直接攻撃の次は精神攻撃ってか!? おい審判、こういうの反則じゃねえのか!?」

 ポーラ様の責め立てが続く一方で、ぐつぐつと鍋が煮だっていく。

 

「……お待たせしました」

 突然の罵倒からようやく解放され、憔悴しきったリィンが、少し煮過ぎた感のあるポトフを審判に配っていく。

「あいつら掟破りもいいとこだぜ……」

 相変わらずフライパンをとろとろひっくり返しているラウラたちを見やり、クロウは悪態をついた。

「お、うまそうだな」

「確かにいい匂いだね」

 スプーンで野菜をすくうクレインとハイベルに挟まれ、トマスも「はは、たまらないですねえ」と眼鏡を湯気で曇らしていた。

 さっそく実食する三人。

「おお、こりゃあ」

「いけるね」

 煮込み過ぎの懸念は杞憂だった。むしろいい具合に野菜にスープの味が染みている。野菜本来の旨みと甘みも引き出ていて、文句なしの味になっていた。

「活力が沸いてくる。いくらでも泳げそうだな」

「感性も刺激されるよ。いい演奏ができそうだ」

「んー、歴史学の論文作成がはかどりそうです」

 それぞれが満足気な様子である。

 勝てると確信する二人に、トマスが笑いながら言った。

「男の子なのに大したものですよ。リィン君は将来いいお婿さんになれるんじゃないですか?」

 それは誰しもが理解する冗談の一種。愚にもつかないその軽口に、しかし律儀に反応した人物が一人。フライパンを振ろうとした、まさにその瞬間のラウラだった。

 強張る全身。力む肩、腕、手首。際どいバランスで成功していたフライパン返しが豪快に失敗し、炒め途中だった野菜の全てが、残らず宙に放り投げられた。

 大きなアーチを描いて襲いくる無数の野菜爆弾を見上げながら、リィンは防ぐすべもなく身構える。

「ま、まずいぞ、クロウ。ラウラが攻撃してきた!」

「作り手から仕留める気かよ! こっちだ、来い!」

 クロウに腕をつかまれ、リィンは引っ張られるまま審査員テーブルの下に滑り込んだ。直後、灼熱の雨が降り注ぎ、耳を塞ぎたくなるような審査員たちの断末魔が響き渡る。

 静けさが戻り、二人はテーブルの下からおそるおそる顔を出してみた。想像以上の酷い有様に、目を背けずにはいられなかった。

 すでに瞳を閉ざしているクレインとハイベルの体には、兵器と化した野菜がまとわりつき、いまだジュージューと焼けつく音を立てていた。

「そんな……」

「お前らのこと、忘れねえぜ」

 クレインはもう泳がない。ハイベルはもう奏でない。

 観客席では「クレイン部長!」と飛び出そうとしたカスパルが、生徒会役員たちに「あっちは危険だ!」と組み伏せられているところだった。悲しみの連鎖が止まらない。

 トマスに至っては、顔に笑みを湛えたまま昇天している。おそらくなにが起きたのかさえわからずに逝ったのだろう。珍妙料理よりも遥かに禍々しい、攻撃料理というものを彼は初めて知ったのだ。その命と引き換えにして。

 ピピピピと、アラーム音が鳴った。

 我に返って、トワは言う。

「青チームが料理を出してから十分が経過! よってタイムオーバーのため、赤チームは敗北となります」

 勝利は辛くも、リィンたちの手に落ちてきた。

 

 

 A、Bブロック共に一試合目が全て終了する。

 休憩を挟み、各ブロックの第二回戦――即ち準決勝が開始された。

「行くぞ。アラン、ブリジットさん」

「ああ、一回戦のようなミスはしない」

「がんばりましょうね」

 ブリジットをメンバーに追加して、チーム『報われない眼鏡』が戦場に立つ。

「軽くひねって差し上げますわ」

「まあ、ベストを尽くすだけね」

 涼しい顔をした『特攻お嬢様』もリングインである。

 審判は一戦目を終えた『肉ウサギ』のミリアム、マルガリータと第二チェス部部長のステファンに任された。

 疲労の隠せないトワだったが、それでも足を奮い立たせ、ラウンドコールを精一杯の声でマイクに叩き込む。

「Aブロック、準決勝! 料理テーマは……『麺』!」

 

 

 ~中編②へ続く~






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