虹の軌跡   作:テッチー

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Trails of Red and White(前編)

 ――その前日。

 彼らは思い思いに過ごしていた。

 

 ユーシスは礼拝堂でロジーヌと会っていた。

「明日の体育大会、がんばって下さいね」

「ああ」

 最近は何かとここに来ることが多い。特に礼拝をするわけではない。子供達の相手をするのだ。ユーシス先生として。

 さらに頼まれなくても顔を出すことが増えた。その度にロジーヌは嬉しそうな顔をする。

「一般の見学も許可されていましたので、応援には子供達も連れて行きますから」

「一人で引率するのか?」

「はい。みんないい子達だから大丈夫ですよ」

「まあ、お前なら大丈夫なのだろうが。手が足りなくなったら呼ぶがいい。競技の合間に手伝うくらいはできる」

「ふふ、ありがとうございます」

 少し雑談に興じた後、教会を出ようとしたユーシスをロジーヌが引きとめた。

「これをどうぞ」

 手渡されたのは、綺麗な包み紙に入ったクッキーだった。

 思えば初めてクッキーをもらったのは、もう二ヶ月も前のことになる。あの時は仕方なく先生役を引き受けたものだったが。しかし今は。

 この場所を居心地良く感じる自分がいる。

「さっき焼きました。少し早いですけど、差し入れです」

「そうか、感謝する」

 ロジーヌは微笑んだ。

「応援しています。女神の加護を」

 

 

 マキアスは《キルシェ》でアランとピザを食べていた。

「マキアスも出場するんだろ。運動得意だったか?」

「こう見えても一通りはこなせるぞ。明日は応援よろしく頼む」

 ピザにパクつきながら、二人は明日の体育大会のことを話している。

 少し前まではこんな風に話すどころか、せいぜい廊下ですれ違うだけの関係だった。

 マキアスはアランの悩みを解決しようとして、尽力して、空回りして、その結果、友人になった。

 どちらも真っ直ぐ。ある意味頑固。だけど誠実。似た者同士の二人は、すぐに友人から親友となった。

「学院祭も終わったら時間が取れるし、マキアスにフェンシング教えてやるよ」

「だったら僕はアランにチェスを教えよう」

 真反対なのはここだけ。片や武。片や文。

 だが二人そろうと文武両道。やはり相性がよかった。

 思い出したようにマキアスは言う。

「そういえば貴族チームにはブリジットさんもいるぞ。僕と彼女が戦ったら、アランはどっちを応援するんだ?」 

「……いや、それは」

「両方応援するはなしだぞ」

「う……」

 アランは答えず、ピザを口の中に押し込んだ。

 

 

 ラウラは学生会館の食堂で、モニカ、ポーラ、ブリジットとテーブルを囲んでいた。

「私達は両方応援するからね」

「片方だけとか無理だしねー」

 そう言ったのはポーラとモニカである。明日、ラウラとブリジットは組対抗で戦うことになるのだが、少々ややこしいのはその応援だった。

 別にケンカではないし、いがみあってもいない。教官方はどうだか知らないが。

 自分達にとっては、これは力試し。ブリジットもラウラと同じ見解なので、普段の和気あいあいとした雰囲気は変わらなかった。

「うむ」

 ラウラは改めて、彼女たちを見る。

 特に劇的な出会いだったわけではない。モニカに泳ぎを教えたり、ポーラをガイウス達の特訓に付き合わせたり、ブリジットの悩みにお節介をやいたり。

 ただそれだけのことで、三人とは仲良くなれた。

 これからもその関係は続くのだろう。いや、続けていきたい。

 友人とは対等でいるものだ。だから、その為には。

「無論、全力でいく。それが礼儀だ。そうだろう、ブリジット?」 

「ええ、もちろんよ」

 ブリジットは笑って応じ、ラウラもまた口元を緩めた。

 

 

 ガイウスはプールでクレインと泳いでいた。

「ずいぶん上達したな、ガイウス」

「おかげ様です」

 二五アージュ泳ぎ切った所で、二人はプールサイドに上がった。

「ほれ。水分補給」

「ありがとうございます」

 髪を拭くガイウスに、クレインが飲み物を差し出した。

「学院祭に弟と妹と、あとお袋が遊びに来ることになった」

「そうでしたか、あの子たちが」

 ガイウスはクレインの弟妹と面識があった。迷子の彼らを送り届けたのがきっかけで、クレインと親しくなったのだ。

 以来、クレインはガイウスをあっちこっちに連れ回し、泳ぎを始めとして、色々なことを教えてくれている。

 彼が言うには、『自分はガイウスの兄貴分』ということらしい。

「つーことはだ。俺の弟達にとっては、お前が兄貴分になるってことだ」

「そういうものですか?」

「おお。だから明日の勝負はきばれよ。学院祭であいつらが来たときに、お前の奮闘ぶりを教えてやらないといけないからな」

「もちろんですが、どうしてあの子達に伝えるんです?」

 決まってるだろ、とクレインは肩をすくめた。

「兄貴はいつだって強くないとな。目標になってやるのも大切な役目だぜ」

 

 

 フィーは花壇で花の世話をしていた。

 水を撒き、状態を観察する。植物はたくましい半面、とても繊細だ。天候には敏感だし、病気にもかかる。

 一つ一つ注視する必要があった。手間のかかる作業である。

「ん、よし」

 一つ、また一つとチェックをいれていく。確かに手間だが、不思議と面倒ではなかった。

 花が咲いて、誰かにそれを渡して、笑ってくれた時、胸の中があったかくなる。

 それは大切なことなのだと、園芸部部長のエーデルが教えてくれた。自分に返してくれる笑顔が、花を渡したからではなく、心を渡したからだとも。

 後半に関しては、まだよく分からなかったが。

 それでも花を育てていれば、いつか分かる気がする。フィーはそう思った。

「フィーちゃーん、お花の苗をジェーンさんからもらって来ましたよー」

 エーデル部長が小袋を抱えて走ってくる。

「あと明日フィーちゃんが体育大会に出るって言ったら、栄養のあるものをって、ジェーンさんがこれを――」

 と、花壇に踏み入ったところで、その足に雑草が絡まった。

「あらあら~」

 前のめりにたたらを踏みながら、花の苗が袋から飛び出て散乱する。

 最後に白く太いものが、ぬっと姿を現した。それだけはかろうじて掴んだエーデル。彼女は純白の大根を中段に構えながら、池の方向へと突撃する。

 そこには釣り竿を構える男子学生がいた。

 突き出される一撃。

「え? ンハウッ!?」

 振り向いたときには遅く、たくましい大根の先端が『ずむっ』とどこかにめり込む音がした。

 彼――ケネスは池に落ちた。その顔を薄く綻ばせながら。

「………」

 あの笑顔は何だか違う気がする。

 漠然とフィーはそう感じた。

 

 

 エマは文芸部の部室で、ドロテの小説を読んでいた。

「どうかしら、エマさん?」

「ええ、面白いと思います。その……登場人物の九割が男子学生なのは気になりますが……」

 読み終えて、エマは原稿用紙の束をドロテに返した。

「一年後のノベルズフェスティバルの準備です。まあ、その時には私は卒業しちゃってますが、顔くらいは出したいですし」

 この前のはドタバタだったけどと、ドロテは困った顔をしてみせた。

「でもこれから文芸部はきっといい方向に進んでいきます。それを引っ張っていくのは次代を担うエマさん――いえ、紅のグラマラス。貴女なんですよ」

「その名前で呼ぶのはやめて欲しいんですけど……」

「そう言えば」

 ドロテは話題を変えた。

「いよいよ明日だったかしら、例の体育祭」

「あ、はい。そうなんです」

「小説を書き終えたら私も応援に行きますね。あとちょっとだし、時間はかからないと思いますので」

 とんとんと用紙の束を卓上でそろえ、ドロテはペンを持ち直した。

 

 

 エリオットは書店前でケインズに捕まっていた。

「体育祭だったね。猛将」

「ええ、まあ」

 もう猛将と呼ばれても、普通に返事をしてしまっている。

「明日は応援に行かしてもらうよ。一日は店も閉めるつもりだ」

「え!?」

 また厄介なことをしでかしそうである。エリオットは遠まわしにそれを断るが、

「猛将のノーはイエスと同義だ」

 訳の分からない論理を展開し、ケインズに押し切られてしまった。

「ああ、そうそう。猛将応援グッズをいっぱい作ったんだ。明日はそれの初お披露目だな」

 勘違いに勘違いを重ねて、誤解を誤解で塗り潰して、今やその風評被害はトリスタや学院中にまで拡がりつつある。

 僕はこの先、どうなってしまうのだろう。

 饒舌に語るケインズを一瞥して、エリオットは深く肩を落とした。

 

 

 リィンとアリサは雑貨店前で、パトリックとフェリスと出くわした。

「パトリックじゃないか、こんなところで珍しいな。どうしたんだ?」

「気安く声をかけないでもらおうか。今は敵同士だ」

「ですわ!」

「もう、フェリスまで」

 今日は壮行会ということで、リィン達はシャロンに買い物を頼まれていたのだが、見たところパトリック達も同じ理由のようである。

 アリサとフェリスは結局普段通りに会話をし始めたが、パトリックの態度は相変わらずのものだった。

「俺たちの買い物はもう済んでいるからな。行こう、アリサ」

「あ、うん。じゃあね、フェリス」

 これ以上はどうしようもないと、リィンがその場を離れようとした時、「待つがいい」と急にパトリックが呼びとめてきた。何やら言い辛そうにしている。

「その、なんだ。明日はエ、エリ……いや何でもない。早く行くがいい」

「待てとか行けとかどっちなんだ?」

「ふん、君には関係ないだろう」

 鼻を鳴らして店内に入っていくパトリックを、リィンは不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 各々がこの数カ月で絆を深めた、あるいは縁のある者達に見送られて――

 

 ――10月17日、日曜日。AM10:40

 

 ついにその日はやってきた。

 

 

 

 貴族生徒チームと一年Ⅶ組による体育大会。

 教官同士の小競り合いに端を発する――などとはもちろん説明できないので、名目上は互いに競い合い、高めることを目的とした親善試合となっている。

 告知は大々的になされていて、トリスタからも一般の観客者が足を運んでいた。当然だが、学生達もこの催しには注目していて、自由行動日の午前にも関わらず、すでに決戦の舞台であるグラウンドには大勢が集まっている。

 グラウンド周りには運営チームである生徒会のテントや、一般、学生用で分けられた観客席がずらりと囲むように立ち並んでいた。

 そして今、そのグラウンドの中心には、整列する紅白二チームの姿があった。

 赤組、Ⅶ組メンバーは、リィン、アリサ、マキアス、エリオット、エマ、ユーシス、フィー、ガイウス、ラウラ、ミリアム、クロウの計十一名。

 白組、貴族組のメンバーは、パトリック、フェリス、ブリジット、ケネス、マルガリータ、ヴィンセント、フリーデルの計七名である。

「――そういうわけで、いい機会じゃと思う。両チームとも存分に今まで鍛え上げた力を、いかんなく発揮して欲しい。儂からの挨拶は以上じゃ」

 開会式。ヴァンダイク学院長の激励の言葉が一通り済んだところで、トワがマイクを手に持った。

 生徒会長である彼女は、今日の運営、進行、実況などを一手に担っている。

「それでは選手宣誓を行います。各チームの代表は前へ」

 ヴァンダイクの前まで歩を進めたのはリィンとパトリックだ。

 二人は高々と右手を掲げて、張りのある声をそろってグラウンドに響かせる。

『宣誓! 我々選手一同は士官学院生としての誇りを胸に、正々堂々、全力を出し切って戦うことを誓います。七耀暦1204年10月17日――』

 

「赤組代表、リィン・シュバルツァー」

「白組代表、パトリック・T・ハイアームズ」

 

 宣誓が終了すると、トワが他の生徒会メンバーに合図を送った。その内の一人が滑車付きの大きな木箱を運んでくる。

「では全員の武器をこの中へ。競技中は体育倉庫内にて厳重に保管されます」

 ここからは身一つで戦うという、形式上の意思表明である。

 箱の中に太刀、槍、銃、弓などが順々に収納され、続く貴族組もレイピアなどを収めていく。ちなみに武器を持っていない者は、ラクロスのラケットや釣り竿など、各々の魂が込もった道具を入れることになっていた。

 戦術オーブメントも当然使用不可だが、ラインフォルト社からの委託という特質上、それを手放すことが出来ない為、アーツや通信、それにリンク機能を使わないという規則の下、《ARCUS》の携帯は許可されている。

 各々の武器、道具を倉庫に閉まって錠をかけ、開会式は終わった。

「それでは両チームとも各陣営で待機し、一試合目のオーダー表を提出して下さい。競技はプログラムに則り、まもなく開始されます」

 

 

 

「みんな頼むわよ!」

 Ⅶ組の陣地は馬舎近くの一角だった。そこに敷かれたブルーシートの上、円になった全員にサラは力強く告げる。懇願に近い口調だ。

 この体育大会の水面下には、決して表に出せないもう一つの勝負があった。教官同士の小競り合いの延長で勢い任せに口に出した、とある“ペナルティ”である。

 ハインリッヒ率いる貴族組が勝った場合、サラは水着姿で学院掃除をすることになり、逆にサラ率いるⅦ組が勝った場合、ハインリッヒは財布に隠す秘密の写真を複製された上、屋上からばら撒かれる、というものだ。

 売り言葉に買い言葉の果てに発生した、大人気ない勝負である。

 その場の勢いとはいえ、それに関してはサラも反省しているし、Ⅶ組勢もさんざん苦言を呈したので、今更蒸し返すことはしないが、勝たねばならない理由はもう一つあった。

 全員の視線がその“理由”へと集中する。

「お弁当も作ってきましたから、どうぞがんばって下さいませ。今日はこの子も連れて来ましたので」

 応援に来ていたシャロン、その手に繋がれたリードの先で尻尾を振る一匹の子犬にだ。

「ふふ、ルビィも皆さんを応援するんですよ」

 ルビィを預かれる期限はもう数日しか残されていない。結局新しい飼い主は見つからないまま、今日を迎えてしまった。

 なのでサラ達の勝負に便乗する形で、“ルビィの預かり期間の延長”及び“新飼い主探しへの協力”、それに伴う“ヴァンダイク学院長の説得”、以上の三点を教頭に願い出ようというのだ。写真うんぬんのくだりは撤廃するという交換条件の下に。

 交渉としては強引だが、ルビィの今後にも関わることなので、最終手段に頼らざるを得なかった。もちろんその話が通るとも限らないが。

 だが何にせよ、全てはこの戦いに勝利してからの話である。

 一縷の望みを繋ぐためにも、絶対に負けるわけにはいかないのだ。サラの水着掃除はともかくとして。

「では私とルビィはあちらの一般席で応援させて頂きます。ご健闘をお祈りしておりますわ」

 後押しのつもりなのか、一吠えしたルビィを引き連れて、シャロンはその場を離れていく。

 その背中を見送ったあと、何気なくリィンは視線をグラウンド中に巡らせてみた。

「……まだ来てない、か」

「もしかしてエリゼちゃんを探してるの? 今日来るんだったわよね」

 そうアリサが訊ねてきた。

 内心ぎくりとしながらも、リィンは「ああ、まあ」と曖昧に返して、手元のプログラム表に目を落とす。

 探しているのはエリゼもだが、もう一人。気を掛けずにはいられない人物が来るのだ。

 その人が来ることを知っているのは、自分の他には学院長であるヴァンダイク、担当教官であるサラ、そして生徒会長であるトワのみである。

 エリゼの手紙には“お忍びなので内密に”と書かれていたので、サラの指示により、本人からの承諾が下りるまでは一応Ⅶ組メンバーにも伏せることになっていた。

 焦れたようにクロウが言う

「おい、リィン。そろそろオーダーを決めねえと。追加ルールのせいでかなり人選が難しいことになってる。メンバー決めでミスると後半の巻き返しが厳しくなるぜ」

「わかってる。そうだな……」

 プログラムに記載された競技は五つ。

 

①綱引き(四名)

②中当て(五名)

③障害物競争(三名)

④玉入れ(四名)

⑤騎馬戦(六名)

 

 以上である。騎馬戦を除けば、日曜学校の運動会でも行われているようなものばかりだ。競技自体はサラとハインリッヒが、各々の割り当て分ずつ決めたらしい。

 内容が単純なものの方が、地力の差が顕著に現れるというのはサラの談だ。競技名横のかっこ内の数字は、出場できる上限人数を表している。

 そしてリィン達を悩ませている例の追加ルールというのが、プログラムの下部に書かれている一文だ。

 

※『なお、両チームの人数差を考慮し、参加できる競技回数を限定する。Ⅶ組は一人につき二回まで、貴族チームは一人につき三回までと定める』

 

 これが厄介だった。プログラムは事前に配布されているので、前もって用意していたオーダーもあったのだが、直前に言い渡されたこのルールのせいで、大幅な変更をしなければならなくなった。

 例えば最初の綱引きを男子勢で固めると、初戦は勝利できても後半の騎馬戦などに影響が出てきてしまう。全員の長所を生かしつつ、上手くばらけさせる必要があるのだ。

「初戦は肝心だ。綱引きのメンバーはこれで行こう」

 リィンはオーダー表に四人の名前を書き入れた。

 

 

 

 競技は五種目で、先に三試合制した方が勝利となる。ちなみに五試合目を待たずに勝負が決まった場合でも、全ての競技は実施されることになっていた。

 一試合目は綱引き。Ⅶ組から選抜された四名はクロウ、ガイウス、アリサ、ユーシスである。

「うっし、行くぜ」

 勢いを付けるためにもここは勝っておきたいところだ。クロウに続く三人もやる気は十分で、それぞれがウォーミングアップに余念がない。

「バラバラに綱を引いてもダメだからな。タイミングを合わせて引く時は引く、耐えるときは耐えるが基本だぜ」

「任せておくがいい。……なっ!?」

 クロウの説明に応じていたユーシスがそれに気付き、途端その表情をこわばらせる。

 白組のメンバーはパトリック、フェリス――そしてマルガリータだった。

「あ、あいつら、初戦から投入して来たか。しかもこちらより一人少ない三人でとはな」

 アリサが言う。

「でも白組の参加回数が一人三回までってことは、マルガリータさんが出場している競技を最低一つは勝たないといけないってことでしょ」

 ガイウスもうなずく。

「ああ、とにかく全力を尽くそう」

 

 両チームが綱の中心から分かれて向かい合う。

「僕たちの力を存分に見せてやろう」

「アリサ。手加減はしなくてよ」

 不敵に笑ってみせるパトリックとフェリスの背後、隊列の最後尾には凄まじい存在感を放つマルガリータが控えていた。

「おいおい坊っちゃん、明らかにあいつ一人の力がでか過ぎるだろうがよ」

 クロウの悪態にもどこ吹く風で、パトリックは綱を持った。

「ふん、出場回数制限は守るし、作戦だって考えている。ただの力押しだと思わないことだ」

 双方所定の位置についたのを確認し、審判役のトワが右手を掲げる。

「それじゃあ、第一回戦の綱引きを始めるね! 勝負は三回、二本先取したチームの勝ちだよ」

 始めの号令と共にホイッスルが鳴り、トワの右手が振り下ろされた。

「ムーッフォッ」

 開始直後、そんな野太い声が空気を震わして、

「だあああ!?」

「きゃああ!?」

「なあっ!?」

「ぐああ!?」

 息つく間もなく、綱が貴族チームの陣地まで引きずられていく。

 早くも四人の叫び声と、勝敗を告げる笛の音が重なった。

 

 一戦目はわずか三秒で敗北した。二戦目は場所を交代しての勝負となる。しかしそんな些細な違いが一体何の役に立つというのか。

「くそ、どうする。分かっちゃいたが、とんでもないパワーだぜ」

「正攻法じゃだめね。でも綱引きに正攻法以外もないし……」 

 クロウのぼやきにアリサも続く。バシュウと鼻から蒸気を噴き出すマルガリータは、排熱する大型重機そのものだった。それこそアガートラムクラスでないと、単純な力勝負では太刀打ちが出来そうにない。

 作戦も決まらないままに、二戦目が開始された。

「とりあえず、凌げ!」

 無茶な指示だとはクロウも分かっていたが、それ以外にどうしようもなかった。

 しかし一戦目とは違う手ごたえがあった。

「おい、何だか向こうの引きがさっきより弱いぞ」

「ああ、一体どうしたのだ」

 ユーシスとガイウスが違和感に気付いた。先程は数秒と耐えられなかったが、今は十秒近く競り合っている。引きや重さはあるが、それはパトリックとフェリスの引きであり、重さに関してはマルガリータ自身の重量だ。どういうわけか、マルガリータがまったく力を発揮していない。

「よく分からないけど今のうちよ! 引いて、引いて!」

「おお……っ!」

 ジリジリと、しかし確実に綱を引き寄せる四人。

『引け引けⅦ組! 行け行けⅦ組!!』

 リィンたち控えメンバーの応援にも熱が入る。

 声援を力に変えて、クロウたちは必死に綱を引いた。

 そして遂に、勝敗を決める綱の規定値が中心線を越え、辛くもⅦ組に一勝があがる。観客席からも歓声が沸いた。

 

 状況は一対一。次勝てばチームに勝ち星がつく。かなり重要な局面。だというのに、パトリックとフェリスの表情には余裕が見えた。

「……あいつら」

 先の引きの弱さといい、この落ち着いた雰囲気といい、クロウは胸騒ぎを覚えた。

 普通なら作戦を練り直したりだとか、声をかけ合ったりだとか、そういうアクションがあってもいいはずなのに。それが無いということは、チームとしての連携が足りていないか、あるいは想定内の為その必要がないか――

「考えても埒があかねえ。さっきと同じように行くぞ」

 もう一度位置を入れ替え、最初のポジションに戻ったクロウは、改めて相手を警戒する。

 マルガリータの鼻息が荒くなっていた。丁度オーバルエンジンが駆動したみたいに、その身体機能を活性化させている。

 完全にフルパワーになったら、もう誰にも止められない。

「トワ! 三試合目の開始ホイッスル鳴らせ、早く!」

「え? う、うん」

 クロウに急かされて、トワはあわてて笛を吹いた。

「全員引け、長引かせるな!」

「ええ!」

 開戦直後で即全力だ。ようやくパトリック達の顔に焦りが見え始めた。

「ぐっ、こいつら……!?」

「やりますわね! マルガリータさん、まだですの!?」

 徐々に力を戻していくマルガリータ。それに合わせて引きがぐんぐんと強くなる。いや力を戻すというよりは、気を戻すという感じだ。

「くそっ!」

 重い。引っ張りきれない。なぜだ。二戦目は何とかなったのに。三戦目の為に力を温存していたから? 違う、そんな印象は受けなかった。せいぜい一戦目と二戦目で違うものと言えば、場所くらいのもの――

 場所。その言葉が引っかかった。最前列で綱を引くクロウはマルガリータを見る。彼女はこっちを見ていない。見ているのはその後方。ぎちぎちと身をよじり、肉を絞り、体ごと後ろに振り向こうとしている。

「そういうことかよ……!」

 遠く、反対側の壁に誰かが張り付けにされていた。猿ぐつわを噛まされ「んーんー!」と唸っている誰か。他でもないヴィンセントだ。

 見誤っていた。相手も最初から四人一チームだったのだ。その内の一人が綱を持っていないというだけで。一応、綱引きの記載ルールには抵触していないし、万が一言及された時の為に、多分オーダー用紙でメンバー登録もしているのだろう。

 いわばヴィンセントはマルガリータを制御し、奮い立たせる為の餌。馬の目先にぶら下げられた人参だ。

 位置によって力の上限があったのは、公然と彼の下に向かうことが出来るか否かが影響していたわけである。

 だとするならば今の位置はまずいが、その流儀に合わせるならこちらにも策が生まれてくる。

「お前ら、あと十五、いや十秒耐えてくれ!」

 振り返らずに後ろの三人に告げ、クロウは綱から手を離して駆け出した。

「ち、ちょっと」

「すぐ戻る!」

 アリサたちの困惑は置きざりにして、クロウはヴィンセントに向かって全速力で走る。

 あれを何とかすれば勝機が生まれる。逆にあれをそのままにしていたら確実にやられる。

 方法は何でもいい。とりあえずヴィンセントをマルガリータの視界の外へ――

「クロウ! 避けろ!」

 ユーシスの切迫した声が鼓膜に刺さる。「何が――」と振り返った時にはすでに遅く、巨大な肉の塊が視界をいっぱいに埋め尽くしていた。

「ヴィンセントさまああ!!」

 綱を持ったままⅦ組、貴族組も含めて、総勢五人を引きずりながらマルガリータが粉塵を上げて突貫してくる。

 クロウを鉄道のレールに転がる小石の一粒と例えるなら、マルガリータはブレーキの壊れたアイゼングラーフのようなものだ。

「ごふっ!?」

 衝突。衝撃。

 景色が上下左右に激しく回転する。

 視界の端でマルガリータに組み敷かれるヴィンセントがちらりと映ったが、宙空を舞うクロウにはどうしようもないことだった。

 負けた。そう思ったと同時、クロウの顔面は地上に激突した。

 

 

 

 綱引きは貴族チームに軍配が上がった。負傷したクロウは保健室まで搬送されていく。

 担架で運ばれながら「ち、ちくしょう……」とうめくクロウを横目に見ながら、パトリックとフェリスがリィンたちのところにやってきた。

「僕達の実力を思い知ったみたいだな。人数が少ないからとみくびらないことだ」

 そこに胸を反らしてみせたフェリスが「ですわ」と自慢気に続く。三試合目でマルガリータにグラウンドを引きずられた為、二人とも土にまみれていたが。

 アリサは呆れ顔を浮かべた。

「あ、あんなのほとんどマルガリータさんの力じゃない」

「違いますわ。彼女の無分別な力を制御するのも含めて、私たちの実力ですわ。まあ、今回に関してはお兄様の力とも言えますけど。それに今日の為に私たち自身も厳しい鍛錬を詰んで……詰んで……」

 じわりと目に涙が滲むフェリス。「おい、思い出すんじゃない!」と焦った様子でパトリックはその肩を揺すった。

 十月前半以降、彼らのコーチ役となったナイトハルトの指導は苛烈を極めた。ハードな練習。軍隊式で飛んでくる怒声。力尽きる度に知った泥の味。中でも一番きつかったのが、30キロの大荷物を背負っての屋上まで階段ダッシュだった。

 せめて女子の荷物はもう少し軽くして欲しいと、フェリスはナイトハルトに直訴しにいったのだが、

「29キロに減らす代わりに三往復追加だなんて……うう、この世にあんな横暴が存在するとは知らなかったですわ」

「悪夢はもう終わったんだ。あとは勝てばいい」

「……ええ、勝ちますわ。絶対に。負けた時の追加訓練なんて御免ですもの」

 悲壮感混じりの気迫に「な、何だかそっちも大変だったみたいね」と、アリサは気の毒そうにフェリスのどんよりした目を見やった。

 そんな中、パトリックは落ち着かない様子で、きょろきょろと視線を動かしている。

「どうした、パトリック?」

 怪訝顔でリィンが問う。

「エリゼく――い、いや。とにかく次も僕らが勝つ。そういうことだ。行くぞ、フェリス」

 口ごもったパトリックは、それだけを言い残すとその場を離れていった。

 直後、不意に背後から声をかけられる。

「お話は終わりましたか?」

「ああ、パトリックも気合いが入っているみたいだ。俺たちも次のオーダーを考えないといけないな」

「プログラムでは中当てですね。どんな競技なんですか?」

「球技の一種だな。ルールは……――」

 この声。

 ピタリと言葉を止め、後ろに振り返る。

「あ!?」

 豊かに波打つブロンド髪に、透き通る青い瞳。

「お久しぶりです、リィンさん」

 エレボニア帝国、第一皇女。アルフィン・ライゼ・アルノールが可憐に微笑んでいた。

 

 

「今日は応援に来させてもらいました。ふふ、宜しくお願いしますね」

「ユミル以来でしょうか。ご無沙汰しております」

 エリゼはともかく、アルフィンの来訪を知らされていなかったほとんどの面々は絶句である。

「兄に連絡は入れておいたのですが。あの、もしかしてご存じでなかった方もおられるのでしょうか」

 未だ驚愕したままのⅦ組の様子を見たエリゼは、「兄様?」とリィンに説明を求める目を向けた。

「ああ、実はそうなんだ。お忍びということだったので、皆に伝えていいかはご本人にお伺いを立ててからと思ってさ」

「まあ、皆さんに秘密にする必要などありませんのに。私のことは気になさらず、どうか普段通りになさって下さいね」

 アルフィンはいつもの赤いドレスをまとっていなかった。エリゼ同様に聖アストライア女学院の、黒を基調とした清楚な制服である。それでもブロンド髪が目立たないわけではないが、申し訳程度に後ろで括っていたり、ちょっとした帽子を被っていたりするので、少なくとも初見で皇女だと看破されるようなことはなさそうだった。お忍びに加え、無用に一般客を戸惑わせない為の配慮だろう。

 やや不安げにユーシスが言う。

「護衛の姿が見当たりませんが」

「正門に四名控えています。導力車もそちらに停めておりますので」

「たったの四名ですか? それに殿下のお傍でお護りしないと護衛の意味がありません」

 ただでさえ、ヘイムダルの一件ではエリゼ共々に誘拐されかけたのだ。ユーシスの心配はもっともだった。

 エリゼも困り顔で、

「私も同じことを申し上げたのですが。しかし姫様に聞き入れてもらえずで……」

「だって怖い顔をした人たちが目を光らせていたら無粋でしょう? それに学院への入り口は見張ってくれていますし、何よりここには皆さんがいますから。そうでしょう、リィンさん?」

 全幅の信頼を垣間見せ、アルフィンはリィンに歩み寄った。

 ごく自然にエリゼがそれを遮る。

「姫様。次の競技の準備があるそうなので、私達はいったん離れましょう。それにヴァンダイク学院長へのご挨拶も済まさないと」

「エリゼのいじわる」

「もう、どっちがですか。では皆様、また後ほど」

 しとやかに一礼し、アルフィンを引き連れたエリゼは本校舎へと向かう。

 そのタイミングで手当てを済ましたクロウが戻ってきた。

「ったく酷い目にあったぜ。ん、お前らどうした? 固まっちまって」

 緊張のせいで動きがぎこちない面々である。その様子にクロウは首をかしげた。

「まあ、後で分かるさ。とりあえず二試合目のメンバーを考えよう」 

 手汗を拭い、リィンはオーダー表を取り出した。

 

 

 

 プログラム二番は中当て。球技である。

「五対五のチーム戦で、ボールに当たった人は外野に出る。どちらかのチームの内野がゼロになった時点で試合終了だよ」

 例によって競技説明はトワが務めた。

 その他の細かいルールと言えば、ボールに当たっても地面に落ちるまでにキャッチできたらセーフや、顔面はセーフとか、あとは外野からボールをヒットさせても内野には戻れない、などである。

「それじゃあ、各チームメンバーを読み上げるから、名前を呼ばれた人はコートに入ってね」

 トワは両チームから提出されたオーダー表を手の中で広げた。

 Ⅶ組はエリオット、ラウラ、ミリアム、クロウ、フィーの五名。

 貴族チームはブリジット、フェリス、ヴィンセント、ケネス、マルガリータの五名。

 双方が各コートに入り、前衛や後衛などフォーメーションを手早く決めていく。

「くそ、リィンの野郎。保健室から帰ってきたばかりだってのに続投かよ。つーか俺二回目の出場だから、これで出番終わりじゃねえか。しかもまたアレがいるしよ……」

 ぼやくクロウは、相手コートの奥を見る。

「ヴィンセント様は私がお守りしますわあん」

「ヒィイイ!」

 貴族チームの大枠の作戦は読めた。まず前半戦でマルガリータを投入し、取れるだけの勝ち星を上げて、士気も高める。続く後半戦では総合力に秀でたフリーデルを要とし、手堅く勝利をつかむという算段だろう。それ以外の個々のバランスも悪くないし、想像以上にいいチームに仕上がっている。

「攻撃の主軸は俺とお前だ。頼むぜ、ラウラ」

「承知した」

 クロウの作戦はこうだ。

 エリオット、フィー、ミリアムのいわゆる『小さいメンバー』がフィールドを駆け回り、相手の狙いを定まらなくする。ボールが回ってくれば、その度攻撃力に優れたクロウとラウラで敵の数を削っていく。作戦の肝は攻撃よりも防御。連携をとる上で、人数を減らされない事が重要だ。

「僕らは回避がメインだってさ。うう、自信ないなあ」

「走り回ればいいんだよねー?」

「表面積が少ないから当たりにくいって、クロウが言ってたよ」

 小さいメンバーの役割も重要だ。避けるだけでなく、甘い球やバウンドボールがくればその都度キャッチし、スピーディにパスを回して相手を翻弄しなければならない。

 ラウラはストレッチをしながらクロウに質問した。

「攻撃側で留意する点はあるか?」

「綱引きでの失敗を踏まえて、先にヴィンセントを仕留める。これに尽きるだろうな」

 マルガリータはヴィンセントありきで力を発揮する。だから同じ競技内には必ずコンビとして参加する。ヴィンセントにとってはありがたくない話だが。

「つまり彼をコート上から外せば、彼女の戦う動機が薄れるわけか」

「力とやる気の減衰具合はさっき見てた通りだ。そこが付け入る隙ってやつだな。ここで勝てばイーブン。その上、マルガリータはあと一回しか競技に出れねえ。この一戦、落とせねえぜ」

 両拳を打ち合わせて、クロウは不敵に頬を吊り上げた。

「やられた分はきっちりやり返してやらあ。見てやがれ」

 

 

「ぐあああ!」

 開始早々、マルガリータの投げ放ったボールによって、彼はコート外に吹き飛ばされていった。

 土煙を巻き上げながらグラウンドを横滑り、ようやくその勢いが止まった時、もうクロウは動かなくなっていた。

 うずくまりピクピクと指先を震わせる。その腹からシュウウーと摩擦熱による白煙を立ち上らせたボールがこぼれ落ち、てんてんと地面を転がっていく。

「……ここからは四人だ。気を入れ直そう」

 またしても担架で搬送されていくクロウを眺めながら、ラウラは残りのフィーたちに告げる。

 作戦が裏目に出た。

 当初の策の通り、クロウはヴィンセントに強烈な投球を見舞ったのだが、肉々しいガーディアンはそれを許さなかった。片手でその凶球をやすやすと止めると、何倍もの力で投げ返してきた。

 それこそ大砲。コンクリートブロックに穴を開け、分厚い鉄板をゆがめるようなその一撃を、まがりなりにも受けとめようとしたクロウはそれだけでも殊勲章ものである。

 無惨な結果には終わったが。

「いくぞ!」

 手元に回ってきたボールを、ラウラは思い切り投げる。かなりの速度だったが、しかしブリジットにキャッチされた。 

「ふうっ……取れた!」

 背後の観客席には彼女を応援するアランの姿も見える。

「ラウラ、私負けないわ」

「遠慮は無用、来るがいい」

 彼女から投げ返されたボールをしっかりと受け止める。狙いのいい真っ直ぐな球筋だった。

「さすがだ。だが私たちも負けるわけにはいかない」

 フェイクの目付きを左に逸らし、視線とは反対方向の右サイドに投げる。鋭いコースで球が走り、警戒していなかったフェリスの右肩を捉えた。

「きゃっ!?」

「僕がやる!」

 フェリスはアウトにしたが、すかさずボールを拾ったケネスが反撃してきた。釣りで鍛えているからか案外と肩がいい。

 エリオットの左肘に当たる。しかしボールが落ちきる寸前に、スライディングで飛び込んできたフィーがそれをつかんだ。

「助かったよ、フィー」

「ん、問題なし」

 ケネスを狙い返すフィー。しかしキャッチされる。さらにそれをケネスが投げ返そうとして――

「ケネス」

 フィーが名を呼ぶ。彼の動きを制するには、それだけで十分だった。

 蛇に睨まれた蛙のように「は、はい」とかろうじて返事をして、ケネスは震える手からボールを取りこぼす。自陣に転がってきた球を拾い上げると、フィーは立ち尽くすケネスにそれをぶつけた。

「あ、ああ……」

「……痛かったの?」

 フィーの心配をよそにして、どこか嬉しそうにケネスはくずおれた。

 

 優勢なのはⅦ組だった。

 クロウを除けば損害なし。こちらはフェリスとケネスをすでに外野に出している。しかし貴族チームに主砲がある以上、わずかな油断も出来ない。

 そして今、全員に緊張が走った。マルガリータの手にボールが渡ったのだ。

 だがクロウの言葉通りなら、そこまで憂慮する事態ではない。マルガリータはヴィンセントを守ることに力を発揮しているが、自分からの攻撃にはあまり積極的ではない。むしろか弱い女子を演じる――あるいは本当にそう思っている――節がある。

「落ち着いて見据えれば大丈夫だ。いいか体勢を低くして――」

 言葉の途中で、ラウラのすぐ横を猛烈な速度の何かが掠め、寸分遅れてきた突風がポニーテールをぶわりと浮き立たせる。衝撃波が駆け抜け、地表の砂を一気に左右に散らした。

「っ……!?」

 確認するまでもない。マルガリータの球だ。なぜここまでの力を。ヴィンセントを守る為でなければ力は発揮されないのではなかったか。

「無事か!」

 我に返って、後ろを振り返る。同時にマルガリータが本気で投げてきた理由を理解した。

 弾道上にいたのはミリアムである。何かと目障りな彼女をこの機に始末しにきたのだ。

 しかしボールはミリアムに直撃していない。その少し手前、中空で静止していた。いや、静止ではなかった。見えない何かに阻まれつつも、ボールはギュルギュルと激しく回転し続け、不可視の防護を突破しようとしている。

「ガ、ガーちゃん」

 実体は現さないまま、アガートラムが砲撃を受けとめたのだ。ボールがスパーク光をほとばしらせ、焦げ付いた臭いが漂い始める。

『§ΞΤΔ……!』

 機械音だけが響き、一際大きな破裂音と同時にボールが思いきり弾け飛ぶ。

 急激に軌道を変えたボールの先にいたエリオットは、巻き込まれる形でその直撃を受ける。くぐもった声を一つ二つもらしたあと、彼も地面に倒れ込んだ。

 

 判定の結果、エリオットに加えてミリアムもアウトとみなされた。二人そろって外野に回るが、エリオットの様子を見るに、立っているのが精一杯という感じだ。

 あっという間にⅦ組はラウラとフィーだけである。

「フィー、まだ動けるか!」

 飛び交うボールを横っ跳びに避けながら、フィーは「当然」と返してきた。かなり練習してきたのだろう、相手はボール回しも巧みだった。

 外野のケネス、フェリス。内野のブリジット、ヴィンセントも加わり、上手く包囲網を狭めてくる。そうこうしているとマルガリータの一撃も飛んで来るので、一瞬たりとも気は抜けない。

「女神に寵愛されし僕の高貴な投法をその目に刻むがいい。君たちは驚愕することになるだろう、なぜならば――」

「黙って投げて下さいまし!」

「グフフッ。素敵だわあ」

 ヴィンセントにボールが渡る度に流れが途切れるので、その度フェリスが外野からお叱りを飛ばしている。

 その隙をついてラウラ達は体勢を立て直した。

 ヴィンセントが投げてきた球は鈍かった。それをワンバウンドさせてからキャッチして、ラウラはすかさず投擲体勢に入る。

「フィー!」

「了解」

 余計な掛け声は不要だった。相手の連携は見事だが、こちらも見くびってもらっては困る。《ARCUS》に頼らねば連携が取れないなどと考えているなら、それこそお門違いもいいところだ。

 こと、フィーと自分においては。

 投げる直前、急停止しフィーに鋭いパスを出す。フィーはそれを受け止めることはせず、勢いも殺すことなく自軍の外野へと流れるようにボールを送った。

「まっかせて!」

 ボールを受け取ったのはミリアムだ。低い身長をさらに屈めて、地面すれすれからのサイドスローが貴族チームのコートに切り込む。鋭角な射線変更。狙うは一人。

「ガーちゃんの敵打ちだー!」

「ミィリィアアムウ!!」

 一番近くに来ていたマルガリータだ。

 低いが、球速は乗っていない。マルガリータはそれを受け止めようと腰を落として、

「グムッ」

 と苦しげにうめく。腹の肉が邪魔をして一定以上に前屈ができないのだ。太くたくましい足首に命中。マルガリータが悔しげに鼻から蒸気を噴き出した。

 外野に転がったボールをエリオットが拾う。息も絶え絶えだったが、それでも力の限り振りかぶった。

 しかしやはり万全ではなく、ふわりしたと弧を描きながらボールはゆるゆるとヴィンセントに向かう。

「僕を侮ってもらっては困るな。そんなもの目をつぶっててもキャッチできるさ。いたっ!」

 ぼむっと脳天にヒットし、ヴィンセントは静かに外野行きとなる。

 残るはブリジット一人。

 パスが外野と内野を何度も行き来し、最良のタイミングでブリジットの手にボールが届いた。

「ラウラ!」

「受けて立つ!」

 ブリジット渾身の一投が迫る。いい球だが、正面だ。取れる。

 突然ボールの軌道がガクンと落ちる。縦回転による変化球だった。

 腕の間をすり抜けたボールはラウラの太ももに当たり、コートの外へと跳ね上がった。

「私に任せて」

 閃光のような瞬発力。フィーが落下寸前のボールに飛び込んで、ギリギリでそれを受け止めた。体勢を崩しながらも向き直って、コートの中へとボールを投げ返す。

 フィーが地面を転がり、同時にボールは高く舞う。

 戻ってくるボールに合わせて、ラウラは思い切り跳んだ。フィーからのパスを空中で受け取ると、着地よりも早く構えに入る。

 高い位置から急角度で放たれる一投。

 避けようとはせず、ブリジットは真っ向から対峙した。ボールは彼女の手を弾き、そのまま勢いよく地面をバウンドする。

 その瞬間、Ⅶ組の勝利をホイッスルが告げた。

「やられたわ」

「いい勝負だった」

 コートの中心線を挟んで、二人は握手を交わす。

 そのコートの外。砂まみれの身を起こしながら、フィーはVサインを掲げた。

 

 

 

 時間は正午となり昼休憩。残りの三競技は午後に行われる。

 前半戦が終わって、戦績は一対一。種目は定番のラインナップかと思いきや、その実いずれもチームワークが試される内容だった。おそらくは後半戦もだろう。

 残る競技は障害物競争、玉入れ、騎馬戦。 

 この時間を使って策を練ったり、メンバーの組み直しを思案する必要があるが、まずは腹ごしらえが必要だ。

 ブルーシートを全員で囲み、シャロンが作ってきた弁当を広げる。

 大皿に並べられたオードブルの数々、彩豊かなサラダ、多種多様なサンドウィッチ。おにぎりまで用意されていた。

「な、なんて豪華なんだ。先輩も早く帰ってくればいいのに」

 サンドウィッチを片手にマキアスが言う。まともにマルガリータの砲撃を食らったクロウは、いまだ保健室から戻ってこない。

「リィンさん、サラダなんていかがかしら。私が取り分けますね」

「で、殿下! そんなことは自分がやります」

 リィンの右どなりに腰を据えるのはアルフィンだった。

「姫様、そんなに兄を困らせないで下さい。それはそうと兄様のお好きな煮物を作ってきたのですが、味見をして下さいませんか?」

「あら、ずるいわ。エリゼ」

「知りません」

 リィンを挟んで展開されるいつものやり取り。それをアリサとラウラがじっと見つめる。

「嬉しそうね、リィン」

「締まりのない顔だ」

 棘のある声音が突き刺さる。

「い、いや。そんなことはないんだが」と体裁を取り繕うリィンだったが、「まあ、リィンさんは私がとなりでは不服なのですね」とアルフィンが悲しげに席を立とうとした。

 その様を面白がったらしいユーシスが「不敬だぞ、リィン」とわざとらしく(たしな)めてくる。

「ユ、ユーシス? 違うんです、殿下。それは何と言いますか……」

「じゃあ、嬉しいんですか?」

「う……」

 話題を変えるネタはないかと、リィンは辺りを見回す。

 ロジーヌが連れてきた日曜学校の子供たちと遊ぶルビィ。こちらの様子を何度もちらちらと伺っているパトリック。そのくらいのものだった。

 最後に視線が向いたのは手元。重箱に詰められたおにぎりである。苦しまぎれに手を伸ばすと、ラウラの顔が明るくなった。

「おお、実はそれは私が作ったものなのだ」

 ピタリと手が止まる。

「そうは言っても全てではないがな。半分はシャロン殿が作ったのだ」

「はい、ラウラ様が早起きして手伝って下さったのです。私の作ったものと混ざってしまい、どれがラウラ様のおにぎりか分からなくなってしまいましたが」

 シャロンはくすくすと笑う。

 つまり二分の一の確立でラウラのおにぎりに当たる。下手をすれば後半戦に出場できるかどうか危うくなる。

 またやってきた弾丸ルーレット。しかも今回は確率五割。

 アルフィンが不思議そうにリィンの顔をのぞき込む。

「どうしたんですか? おにぎりおいしそうですよ」

「よろしければ殿下も召し上がって下さい。恥ずかしながら最近料理を学んでいるのです」 

 ラウラがとんでもないことを言いだした。

「まあ! 恥ずかしいことなんてありませんわ。ラウラさんのおにぎりなんて楽しみ――」

 瞬間。男子たちの手がおにぎりの重箱へと殺到する。手当たり次第におにぎりを回収し、それを各々の胃袋へと押し込んでいく。

 させるわけにはいかない。帝国の至宝を守らねばならない。例えこの身が滅びて、心が砕け散ったとしても。

 そう、自分たちの未来が潰えても、帝国の未来まで潰えさせるわけにはいかないのだ。

「そなた達、空腹なのはわかるが、もう少しゆっくり食べたらどうだ。殿下の分はちゃんと残すのだぞ?」

「いいえ、お気遣いなく。午後からの競技の為に、皆さんには力を付けて頂かなくてはいけませんから」

 肝心の男子たちは呻いて唸って、顔が赤くなったり青くなったり、エリオットに至ってはなぜか黄色くなっている。明らかに状態異常にかかっていた。

「ば、売店開いてたか?」

「ああ、確か」

「買う物分かってるよな」

「キ、キュリアの薬……」

 そんな男子達はいったん置いて、ふとフィーが言った。

「そういえばサラは?」

 ドレッシングのついたミリアムの口元を拭ってやりながら、エマが答える。

「教官室ですよ。教官たちはお昼に集まって打ち合わせをするそうです」

 

 ●

 

 正門脇のスペースに、黒塗りのリムジン型導力車が停まっている。

 アルフィンの護衛を任された四人はその近くに立っていた。基本的に警戒するのはこの正門付近である。

 今日の体育祭とやらは一般公開されているので、トリスタの町からの来訪者もまばらにやってきていた。のどかな秋日和とはいえ、警戒は欠かしていない。しかし怪しげな人物などそうそういるものでもなかった。

 護衛の一人が息をついた。

「本来なら皇女殿下のお傍でお守りするべきなのだが」

 しかし、来ないでいいと言われたら、どうにも出来ない。これが公式の行事や外出なら、もちろん近くに控えられるのだが、いかんせん“お忍び”である。無粋な真似はやめろと言われたら、やはりその意思を尊重しなければならなかった。

 自分達の介入が許されているのは、周囲にアルフィンが皇女としてばれて騒ぎになり、なおかつ、それが一年Ⅶ組でも収拾が付かなくなった場合にのみと限定されていた。

 もちろんそれ以外で不測の事態が起これば、御身第一と言うことで、その原則を無視することは認められているが。

「Ⅶ組でも収拾がつかない場合か。ただの学生を殿下はずいぶんと評価しておられる」

 一年Ⅶ組の功績は知っている。七月のテロの時は実際にアルフィン皇女を救っているし、九月のザクセン鉄鉱山の一件でも、彼らの行動が事態の解決、引いては帝国解放戦線の打破にも繋がった。

 だがそれは――。

 彼らでなければ解決できなかったか。自分達正規軍では状況を変えられなかったか。彼らはその時その場所にたまたま居合わせただけで、全ては運が成したことではなかったか。

「………」

 逆に――。

 もし自分達でも対処しきれない程の事態が起きた時、彼らに何が出来るのだろうか。

 断言しよう。何も出来ない。たかが学生ごときと見下すわけでも、やっかみ混じりの低評価を下すわけでもない。

 勇気ある行動。その先の成果。それは認める。

 しかし、あくまで学生なのだ。状況判断力も、作戦遂行力も、各種連携力も自分達には及ばない。

 詰まるところ、何が言いたいのかというと。

「殿下には我々の方を頼って頂きたいものだ」

 護衛として選ばれるだけで光栄であり、誉れであり、また優秀の証でもある。

 その栄誉に見合うだけの働きをしたいのだ。このような門番など護衛の本分から離れているではないか。自分の身を盾に出来る位置に控えてこそ、理想の護衛というものだ。今のままでは、せいぜい警備員というのが関の山だろう。

「おい、余計なことを考えるな。殿下の仰られた通りにすればいい」

 心中を察したらしく、他の一人がそんな事を言ってきた。

「わかっている。しかし不審人物といってもな」

 目線を正門から伸びる下り坂に向けてみる。

 呑気な顔をした若い男が二人、談笑を交わしながら歩いてきていた。

「いやあ、体育祭だなんて懐かしいなあ」

「はは、まったく」

 トリスタの住人らしく、カジュアルな出で立ち。また体育祭の見学者だ。やはり日曜日というのは時間の都合を付けやすいらしい。自分達のようなシフト勤務制の職業軍人には、長らく無縁の感覚だが。

「あいて!」

 一人が正門をくぐったところですっころんだ。さらにもう一人も足を取られて横転する。

「うう……」

 打ちどころが悪かったのか、押し詰まった声をもらしながらうずくまっていた。絵に描いたようなこけっぷりである。

 さすがに見て見ぬふりは出来ず、体を起こしてやろうとした。

「大丈夫か?」

「あ、すみませんね」

 しかし差し出した手を男の腕がするりと抜け、そのまま勢いよく喉元に迫ってきた。反射的に背後に飛びのいてそれを避ける。

「貴様っ! ぐっ!?」

 胸元の拳銃を取り出そうとした時、後頭部に重たい衝撃が走った。一瞬ぶれて、ぐらりと傾く視界。

 倒れながら、何とか目を背後に向ける。

 先程こけたはずの、もう一人の男が立っていた。その手にハンマーのような鈍器を携えて。

 あれで殴られたのか。だが自分の他に護衛は三人いる。たかが二人の暴漢などすぐに制圧して――

「……!?」

 二人ではなかった。茂みの奥から一人、二人。木の陰から二人、三人。遅れて正門から五人、六人。

 全員私服。しかしその挙動は明らかに一般人のそれではない。

 気付けば数に押し負け、残りの護衛もまたたく間に組み伏せられていた。

「……―――」

 意識が遠のいていく中、「こいつらの銃を奪え」「護衛は他にいないか」「喋れなくしてリムジンのトランクに詰めておけ」などと不穏な言葉だけが明瞭に聞き取れる。

 最後に耳に届いたのは、絶対に許容できない一言だった。

「アルフィン皇女を探せ」

 いけない。こいつらはまずい。誰かに知らせなければ。しかし誰もいない。声も出せない。

 誰か、誰か――

 声なき叫びは、ただ虚しく胸中に反響する。

 

 

 学院への侵入、護衛の制圧は実に簡単だった。おまけに銃を四丁も手に入れることが出来た。

 帝国解放戦線残党の一人、《C》は後ろのメンバーに振り返る。

「ここからは作戦通りに動くぞ。全員散開、幸運を祈る」

 彼らは数人一グループに分かれ、所定の位置に散っていく。

 一応私服ではあるが大勢で動くには目立ち過ぎる。作戦が順調に進めば、事態を“分かりやすく”教えてやる為に、普段の戦闘服姿に着替え直すことになっていたが。

「制圧班、行くぞ」

 元はくじ引きだったが、何の因果か自分は《C》のコードネームを手に入れた。

 元々の発言力の強さもあってか、いつの間にかリーダー的な立ち位置にも立っている。残党とは言え、帝国解放戦線を率いるのが、同じく《C》の名を冠する者だとは。皮肉な洒落もあったものだ。

「《C》、俺たちは本校舎だな」

「そうだ」

 そう確認してきたのは、《I》だった。

 短く肯定を返して、正面の大きな建物を見上げる。

 仲間は《A》から《Z》までの二十六名。

 チームは四つに分けてあって、それぞれが重要な役割を担っている。

 

 チーム1は捜索班。アルフィン皇女の捜索、発見、可能であれば捕縛を行う。

 チーム2は工作班。学院勢の動きを封じる為の、要の一手を仕込む。

 チーム3は制圧班。教官と学生、双方を反抗できない状態にする。

 チーム4は伝達班。全体の状況を把握し、各班に常に最新の情報を伝える。

 

 大まかにこのような形だ。中でも捜索班はアルフィンの身柄を確保する以外に、作戦遂行の上でもう一つ最も重要な役割があるのだが。

 《C》は薄い笑みを浮かべた。

「作戦の入りはスムーズだ。この流れのまま行くぞ。まずは教官達を抑えておく」

 先に学院内に潜入している数名の捜索班から、昼休みの間教官達は教官室で話し合いをするらしいと報告が入っている。

 好都合だった。ひと固まりになってくれる方がやりやすい。ただ戦力が集中する分、各個制圧は難しくなる。

 どうするべきか。

「小説の完成に夢中になり過ぎて、気付いたらお昼になってるなんて。体育祭、エマさん頑張っているかしら」

 そんな声が聞こえ、一人の女子生徒が前を通り過ぎようとした。

 とっさに辺りを見回す。誰もいない。

 そうだ。一番てっとり早い方法があるではないか。

「お嬢さん。すみません」

「はい?」

 その女子生徒が足を止めた。

「申し訳ありません。少し道を教えて欲しいのですが」

「ご来館の方でしょうか? はい、どちらまでご案内しましょう」

「ああ、それは」

 腰に隠していたナイフを抜き取って、彼女に突きつける。呆けた顔をしたのは一瞬で、すぐに困惑と混乱、そして恐怖に表情を引きつらせた。

「きゃっ……」

「声は出すな」

 短く言って、制圧班の一人、《D》が後ろから腕をわし掴んだ。

 青ざめた顔をして見返してくる女子生徒にナイフをちらつかせながら、《C》は感情のない声で告げる。

「教官室までご同行願おう」

 震える唇。震える手。震える足。

 その腕に大事そうに抱えていた原稿用紙の束が、ばさりと地面に落ちた。

 

 

 

 ~中編に続く~

 

 

 




前編をお付き合い頂きありがとうございます。

いよいよ最終話となりました。細かなあとがきは後編の最後にするとして、ここでは短く切り上げさせて頂きます。

今回は中編②は入れず、きっちり三部で終わらせようと思います。
なので、ちょっと一話分が長くなるかもですが、最後まで応援してもらえたら嬉しいです!

まだまだ続くラストトラブル。体育祭、後半戦もお楽しみ頂ければ幸いです。

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