虹の軌跡   作:テッチー

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Trails of Red and White(後編)

 屋上に《C》が現れて、爆弾のことを告げた時、誰よりも早く動いたのはトワだった。

 その頭脳をフル回転させ、想定できるだけの可能性を頭の中に走らせた。

 まず言葉の真偽。彼は本当に帝国解放戦線か。答えはおそらくイエス。軍の追跡の手を逃れて、今までどこかに潜伏していたというのは、十分に考えられる話だ。

 次に目的。彼らは追い詰められている。因縁浅からぬⅦ組に最後の意趣返し――という線も無きにしも非ずだったが、タイミング的にやはりアルフィン皇女だろう。すでに彼女の姿は見当たらなかった。

 そして爆弾。直感だったが、複数を仕掛けているというのは嘘、単なる誇示に思えた。わざわざ『~いたる所に』などと明言したことにも違和感を感じる。そこまで物資が潤沢に残っているとは考えにくいし、何よりグラウンドに人が集中していると言っても、あちこちに爆弾を仕掛け回ればさすがに不審者と映る。校舎の破壊を目的としておらず、抑止や脅しに使うつもりなら、一発でも構わないはずだ。もしかしたら爆弾自体、仕掛けていない可能性さえある。

 だが、仕掛けている前提で動くなら――

「クロウ君、ジョルジュ君!」

 同じく実況席付近にいた二人に叫ぶ。ジョルジュは戸惑いを隠せておらず、クロウは黙したまま何かを思案しているようだった。

 頼むべきは一つ。

「ジョルジュ君は爆弾の解体をお願い! クロウ君はその護衛を。爆弾が仕掛けてある場所はきっと――」

 頭の中に学院図面を思い浮かべる。一年半過ごした学び舎だ。知らない場所などない。

 どこだ。逆の立場なら、私はどこに設置する。人目につくグラウンドは無理だ。かといって校舎内でもない。なぜならあのスイッチを持った男は校舎の屋上に立っているから。

 ギムナジウム、図書館、旧校舎も違う。ある程度の被害を見せなくてはならないので、離れている施設に仕掛けても意味がない。

 ならば講堂はうってつけだ。しかしあそこは常時施錠されている。外周のどこかに設置しようにも、正門とグラウンド間に位置しているので、誰の目にも触れないで作業を終えることは容易ではない。

 爆発の威力を目の当たりにさせ、自分達をけん制出来る場所。

 とすればやはり本校舎が有力だが、だとしても大規模な損壊には繋がらない場所。

 それは――

「中庭を確認してきて!」

 あそこは校舎の壁に囲まれ、凹状の形になっている。そしてグラウンドからも離れてはいない。

 仮にそこで爆発したなら、そこまでの威力がなくとも、三方に面している窓ガラスがことごとく砕け散って激しい爆音が轟く。だが学院の構造を考えると、全体に及ぼす影響はそこまで大きくない。少なくとも屋上までは届かない。

「多分、この後は通信が取れない状態になると思う。爆弾がなければ《ARCUS》に一回コール。爆弾があっても解体できない物だったら二回コール。解体が完了したら三回コールをして」

「わかった。トワも気を付けて」

「急ぐぞ、ジョルジュ」

 茂みや遮蔽物に身を隠しながら、クロウとジョルジュはその場を離れる。

 まだ終わりではない。トワはグラウンドの中心、騎馬を降りているリィン達の元に駆け寄った。彼らも動くに動けない様子だ。

「ト、トワ会長、これは――」

「みんな聞いて!」

 事細かに事態についての対応を詰める時間はなかった。打てるだけの布石を打っておいて、後で繋ぎ合わせる他ない。

 リィンの言葉を遮り、トワは今後の行動のみを告げる。その固い声音を受けて、作戦ブリーフィングの時のように、一同は姿勢を正した。

「ユーシス君は馬舎内で待機。私が何かの合図をしたら馬と一緒に飛び出してきて。合図がなくても出るべきと思ったら、ユーシス君の判断で行動していいから!」

「了解しました」

 ユーシスは先に馬舎へと向かう。その直後、十数名の解放戦線のメンバーがグラウンドに現れ、包囲を始めた。

「Ⅶ組は武器の回収を最優先に。ユーシス君が虚を突けたら、その隙に体育倉庫に向かって」

 トワは倉庫の鍵をリィンに手渡した。

「分かりました。すぐに全員に伝達します」

「その時が来たら、パトリック君達はみんなの援護をお願い!」

「り、了解しました」

 屋上に男が姿を見せてから、ここまででわずか一分足らず。武器を持った男達が近づいてくる。これ以上の指示はもう出せない。ここからは拘束された人質を装い、機を待つのみ。

 策というにはあまりに細い綱渡り。

 それでもなぜか、やれるという根拠のない確信があった。

 ジョルジュとクロウ。ここぞの時には自分の意を最大限に汲み取って、最高の結果を出してくれる何よりも信頼する二人。

 Ⅶ組のみんな。あらゆるトラブルやアクシデントを乗り越えてきた彼らは、どんな逆境でも必ず自分達の手で道を切り開く。

 あとは信じるだけ。

 

 それからおよそ十五分後。

 トワの《ARCUS》にコールが三回鳴った。

 

 

《☆☆最終話――Trails of Red and White☆☆》

 

 

 マルガリータが《K》をふっ飛ばし、体育倉庫の扉を破壊した轟音は教官室にまで届いていた。

 明らかに爆発の音ではなく、戦線メンバー達は顔を見合わせる。この場にいるのは三人だ。

「今の音は……? むっ貴様!?」

 一瞬だけたじろいだ男の隙をついて、ドロテはその腕の拘束を振り払った。

「サラ教官!」

 転げそうになりながらも、室内の隅に落ちたままになっていた《ARCUS》を拾い上げ、サラに向かって投げる。

 サラは縛られたままの後ろ手で、器用にそれをキャッチした。

「貴様、よくも……――っ!?」

 ドロテに拳を振り上げた時、男の動きが止まる。サラの手に戻った《ARCUS》がパリパリと電気の筋を走らせていた。ほとばしる紫電が、手首の縄を焼き切る。

「あんた達、覚悟はいいかしら」

「うっ!?」

 動揺を見せた次の瞬間には、サラの右手が男の顔面をわし掴んでいた。弾けるスパーク。だらりと力なく腕を垂らし、男は床にくずおれる。

「ひっ! 動くな――ぎゃっ」

 銃を取り出すよりも早く、荒ぶ雷撃が二人目を屠る。

「くそ、お前こっちに来い!」

「きゃあ!」

 最後の三人目は再びドロテを人質にして、教官室から逃げ出した。

「待ちなさい!」

「サラ教官!」

 追おうとするサラをハインリッヒが止める。

「一人だけでも拘束を解いていきたまえ。あとはこっちで何とかする」

「っ……分かりました」

 彼の言う順序が正しい。

 すぐに廊下に飛び出したい衝動をこらえ、サラはハインリッヒの後ろに回った。

 

 ●

 

「全員武器は持ったか?」

 埃が煙る体育倉庫内で、リィンは言う。視界の端に不自然な体勢で横たわる《K》の姿が映り込んだが、それは触れないことにした。

「ここからは各自で動くことになる。距離的にリンク機能は使えないと思う。十分注意してくれ」

 相手は学院内に広く展開しだした。固まって各個撃破していくのは非効率だ。リンクを結べる二人一組にしても手は足りない。

 光が差し込む戸口の向こうでは、喧騒と怒号が絶え間なく響いている。

 腰に帯刀して、リィンは柄に手をかけた。

「Ⅶ組総員、出るぞ!」

力強い一歩が、足元に滞留する砂煙を散らす。

 グラウンドのいたる所で混戦に次ぐ乱戦が展開されていた。

 武器を取りに走る者、チームを組んで相手をけん制する者、はたまた避難誘導に尽力する者。

 しかし相手が悪い。敵は本物のテロリスト。戦うことに慣れている。

 対する学院勢は、訓練ならともかく、実戦を経験している者などほとんどいない。その大体が攻めあぐね、防戦を強いられていた。

「マキアス、フィー、ユーシス、ミリアムはグラウンドの敵を減らしてくれ。エリオット、アリサは避難の護衛や誘導を頼む。ガイウス、ラウラ、エマは校舎内と外周の安全確保だ。俺はクロウと合流次第、全員の援護に向かう。あとアルフィン皇女についての情報が分かれば、至急連絡を回してくれ」

 一息に指示を出したリィンに各員が了解を返し、学院中に散開していった。彼らの動きを察知した解放戦線のメンバーも、即座に陣型を組み替えていく。

 激突の時がやってきた。

 

 

 体育倉庫から飛び出した赤服達が散開していく。

 その様を屋上から見下ろしながら、《C》は忌々しげに口元を歪めた。

「段取りは狂わされたが、計画はそのまま最終段階に移す」

 後ろに振り返り、引き連れてきた三人に告げる。

「俺は皇女のところに行く。ここはお前達に任せるぞ」

 言いながら屋上の扉に向かって歩き出す。

「了解だ。後のことはお前に託す」

「せいぜい時間稼ぎしてやるさ」

「頼んだぞ」

 それぞれの返答を背中で聞きながら、《C》は足を早めた。

 こうなってしまった以上、作戦の成否は自分にかかっている。だがまだ優勢は崩れていない。皇女はすでに手中にある。仮に同志達が敗れ、捕縛されたとしても、自分が最後の一手を打つことができれば、全て巻き返すことが可能なのだ。それが分かっているから、彼らも身の保全を考えず、作戦に従事することが出来るのだろう。

 そしてⅦ組。あいつらはミスを犯した。

 万が一直接戦闘になった場合のことも、こちらはちゃんとシミュレーションしてきている。導力通信を備えているのも厄介だが、戦闘において脅威なのは、あのリンクとかいう機能だ。

 交戦状態に入ったら、相手の出方を見極めつつ、なるべく団員同士の距離を開けるように言っている。戦力分散を承知の上で、学院中に戦線メンバーを展開するのだ。これは戦闘時におけるⅦ組対策の一つだった。

 そして案の定かかってくれた。

 学院中をカバーする為のやむを得ない判断だったのだろうが、こちらの狙い通り、もうこれでリンクはできない。

 そうなれば各個撃破がやりやすいのは自分達の方である。

 陰惨な笑い声が口からもれる。

 今まであいつらの連携にはさんざん辛酸を舐めさせられてきた。しかし今、孤立する連中をこちらの連携で追い詰めている。

「獅子の紋章が泣いているな」

 赤、白、緑問わず、学制服の二の腕には士官学院のモチーフが縫い付けてあるらしい。

 何が獅子の心だ。学生の身分で思い上がりもいいところだ。

「あがきたければ、あがけばいい」

 仲間が時間を稼ぎ、自分が目的を果たす。決して難しい戦いではなかった。

 

 

 グラウンドを出たガイウス、ラウラ、エマは本校舎を仰ぎ見る。敵はどこまで入り込んでいるのか。

「俺はギムナジウムから技術棟側に向かう。ラウラと委員長は講堂から図書館を――」

「ガイウス! 右だ!」

 不意に伸びてきた一撃を槍の柄で凌ぎ、ガイウスは踏みとどまった。

 エマが魔導杖を、ラウラが大剣を抜くのを見て、とっさに言う。

「だめだ! 二人は先へ行け!」

 槍を払い回して相手との間合いを取る。

 わずかな迷いを見せながらも、ラウラとエマは応じる。まだ敵の規模はわからないし、当然この先にもいるだろう。迅速に動かねばならない。少なくとも、ここで全員が足を止めてはならなかった。

「承知した。そなたも気を付けるがいい。エマ!」

「わかりました!」

 正門側に走る二人と、襲ってきた男との間に立ちふさがり、ガイウスは槍を構え直した。

 相手の得物も槍だった。偶然ではなく、あえて槍使いをぶつけてきてリーチの差を埋めるつもりなのだろう。

 男は穂先を大きく上段に構え、ガイウスを睨みつける。

「俺は解放戦線の《B》。お前の相手だ。そして――」

 後ろで砂利を踏みしめる音がした。

「俺が《V》だ」

 銃を手にした二人目が現れる。

「赤服共のことは調べているからな。お前みたいな前衛には複数でかかり、後衛の奴らには近接戦を得意とする団員をあてがうことになっている」

 だとするならエリオットやアリサが危ない。後衛メンバーでも、あの二人は特に近距離戦闘に適していない。

「おっと、やすやすと行かすと思うか?」

「っ!」

 隙をついてグラウンドに引き返そうとするが、《B》と《V》はそれをさせなかった。槍を受ければ後ろから弾が飛んでくるし、銃を警戒すれば前から槍が踏み込んでくる。

 ほどなくラウラ達が向かった正門側から、剣戟の音が聞こえてきた。ラウラは前衛。言葉の通りなら複数に襲われている。グラウンドに視線を向けると、やはりエリオット達は接近戦を強いられていた。

 他の仲間達も交戦中で、フォローには入れない。

 迂闊だった。相手はこちらを分断させるのが狙いか。

 時間が経てば経つほど劣勢になる。どうすればいい。この状況を覆すには何が必要なのだ。

 ガイウスが歯噛みした時、背後で引き金に指をかける気配がした。

「まずは両足を撃って動けなくさせてやる」

 槍を持つ《B》は後回しだ。やはり銃を何とかしなくては思うように戦えない。即座に身を返して、先に《V》を倒さねば。しかしこの位置から間に合うか――

「無駄だ、諦めろ」

「ああ、そうだな」

 冷徹な《V》の言葉に重ねられた第三者の声。知った声と理解するより早く『ゴッ』と鈍い音が響き、直後、自分に向けられていたはずの導力銃が勢いよく地面を滑っていく。

 振り返ると、よろめく《V》と、拳を振り下ろしたクレインの姿があった。

「今だ! やれ!」

 ガイウスは長柄の打突を水月に見舞う。急所を突かれた《V》はその場に突っ伏した。

「な、なんだお前は!」

「トールズ士官学院二年、水泳部主将のクレインだ。弟分を助けに来たぜ」

 突き付けられた槍にも動じず、堂々とクレインは《B》に言ってのける。

「何が弟分だ。大義も知らない学生風情が邪魔をするな」

「大義? 何が大義だってんだ」

「我々はこのエレボニアの未来の為に戦っている。国を真に憂うからこそ――」

「間違ってるだろ、そりゃ」

 強く言葉を断ち切って、クレインは前に出る。

「未来ってのは親から託されて子が引き継ぐもんだ。弟とか妹とか、自分より後に生まれてくるやつらの為に作ってやるもんなんだ。否定して、拒絶して、壊して、新しいものに取り替えようとするお前らのどこに大義がある」

「そっ」

「お前らが何考えてんのかなんて俺は知らねえよ。ただ、目的はどうあれ、戦う方法は他にもあったんじゃねえのか」

 さらに歩み出るクレイン。その圧力に足を引く《B》。ガイウスは黙ってクレインの背を見つめる。

「今の体制を変えたいのなら政治家になる。何かを訴えたいのなら新聞社だっていい。それが困難で目的まで遠い道のりでも、選択肢はあったはずだ。どんなにご立派な理想を掲げてたって、力に頼って物事を通そうするのは、詰まるところ子供の駄々と変わらねえ。うちの弟妹の方がよほど聞き分けがいいぜ」

 耐えがたい現実に目を背け、絶望し、その結果、一番選んではいけない安易な道を選んだ。そうすることが正義だと、甚だしい勘違いを脳裏に踊らせて。

「最後に言っといてやる。お前らは戦ってなんてない。逃げ続けてるだけだ」

「黙れえーっ!」

 反論さえ見つからず、《B》は全ての否定と共に槍を突き出す。それを切り込んできたガイウスの槍が払い上げた。

「クレイン先輩、いきます!」

「おう、合わせるぞ!」

 体勢を戻した《B》は、二撃目を打とうとした。

 風をまとったガイウスの刺突が繰り出される。烈風が《B》の槍を巻き込みながら、後方まで一直線に駆け抜ける。

「気合い入れ直してやる。一から出直してこい」

 丸腰になった相手に、クレインが肉薄し、拳を固める。水泳部で鍛えた強肩から放たれる重い拳が、ヘルメットに守られていないあごに炸裂した。

「く……そ」

 数歩たたらを踏んだあとで、《B》は昏倒したように倒れた。

 他に新手がいないことを確認すると、クレインはにっと笑いかけてきた。

「大丈夫か?」

「ええ、助かりました」

 笑みを返し、ガイウスは安堵した。

 状況を覆すために必要な何か。きっとそれは、自分達それぞれがすでに持っている。

 

 

 大剣で相手のサーベルを薙ぎ払いつつ、ラウラは壁を背にした。

 相手は三人。銃を持つ《T》、コンバットナイフを持つ《U》、サーベルを持つ《S》。この辺りの武器が、帝国解放戦線の標準装備なのだろう。むしろそれ以上の武器は調達できなかったと言うところか。

 こいつらの登場は何ともいやらしかった。

 《S》が現れ、ガイウス同様に自分がここを引き受けると言い、エマを先に行かせた。そして彼女が本校舎に入ったタイミングで、残りの《T》と《U》が物陰から出てきたのだ。三対一と知れば、さすがにエマも残っただろう。敵は一人ずつこちらを行動不能にしていく算段だ。とすればガイウスもあの後、複数の敵に襲われたかもしれない。

「……案じてばかりもいられないな」

 壁に張り付く形なので、多方面から攻撃を受ける心配はないが、追い詰められたことに変わりはない。加勢にいくにも、まずはこの状況を何とかしなければならなかった。

 敵は口々に言う。

「卑怯などとは思わないでもらおう」

「お前を先に潰し、Ⅶ組の突破力を削ぐ」

 一対一ならまず負けない。一対三でも相手が同じ得物なら、凌ぎ切る自信もある。しかし各々の武器が違うとなるとそうもいかない。対処も異なるし、間合い取りも違う。ここまで苦戦するとは予想外だった。

 大技で一気に蹴散らすか。そうも考えるが、その構えに入る隙も、溜めを作る時間もない。

 乾いた銃声。足元で地面が小さく弾けた。《T》の撃ち込んだ銃弾に気をわずかに取られた瞬間、サーベルを振り上げた《S》が突っ込んできた。

 何とか防御をと大剣を盾にしたが、《S》とは別の軌道を取った《U》が、ナイフを腰だめに引いて迫ってくる。両方は防げない。まずい。

「……っ!」

 ヒュンと風を切る音がした。《S》のサーベルが何かに勢いよく巻きつかれ、そのまま絡め取られるように中空へと投げ飛ばされていく。

 その反対側では《U》が何者かに足を引っ掛けられ、ずでんと転倒していた。

「そ、そなた達……?」

 しなる黒いムチをピシィッと鳴らしたポーラ。足をかけた体勢のままポーズを決めるモニカ。倒れた《U》の耳元に、間髪入れずトランペットの大音量を叩き込むブリジット。

 三人は『お待たせ!』と声をそろえて、今度は逆に男達を取り囲む。

「何をやっている。早く避難を。ここは危険だ!」

「危険?」

 ポーラは嘆息した。

「じゃあラウラが危険な場所に身を置くのは放っといていいの?」

「そんなわけないよね」とモニカが続き、「友人とは対等なものだって、ラウラも言ってたじゃない」とブリジットが重ねる。

 呆れた。グラウンドに彼女達の姿が見えないから、うまく逃げられたのかと気にはかかっていたが、あろうことか自分を追って来ていたとは。これはあとでさんざん文句を言わねばならない。

 いつものように、四人で囲む食堂のテーブルで。

「ガキ共が!」

 《T》が銃口をモニカに向けて引き金を引いた。二人の間に飛び込んだラウラが、立てた刀身を斜めに構えて銃弾を弾き流す。

「なっ」

「ポーラ!」

「任せなさい」

 ムチが舞い、器用に《T》の手を打ち据える。地面に落ちた銃をモニカが蹴っ飛ばす。サーベルを取りに行こうとする《S》に、ブリジットはトランペットを吹き鳴らして威嚇する。

 たじろぐ《S》の横、《U》がよろよろと起き上がる。

 その間に、ラウラは三人の男達の中心で、大剣を脇に構えていた。大技を放つのに必要な溜め。その為の時間は十分ある。彼女達のおかげだ。

「モニカ、ポーラ、ブリジット。伏せろ」

 ラウラの瞳に闘気が宿る。

 振るわれた極大の横一閃。円状に拡がる斬撃の波動。

 渦を巻く強大な力に抗う術などなく、《T》達はまとめて圧砕された。

「ふう……さて、そなた達」

 一つ息をついて、ラウラは三人に振り返る。

「やっぱり怒ってるの? ごめんね。でも私達、あなたが心配で……」

 ブリジットが罰悪そうに顔を覗き込んできた。

「いや、助かった。加勢には感謝する。しかしだな――」

「二人とも、ラウラ怒ってないって」

「まあ、当然よね。むしろお礼を言われる方だと思うわ」

「うんうん、そうだよね」

 この状況にも関わらず、いつもと変わらない笑顔。屈託のないそれらに囲まれて、何だか苦言を呈する気も失せてしまった。

 心底思う。

 やはり自分はいい友人に恵まれた。

 

 

 どう立ち回っても不利なものは不利だった。

 魔導杖が駆動時間なしでアーツを撃てると言っても、それは戦技の話であって、《ARCUS》にセットされたクォーツを媒介にした、いわゆるオーバルアーツの事ではない。

 くわえて自分のクラフトは基本的に補助回復系で、接近戦に耐え得る性能のものでもない。

 結果、エリオットは回避に終始することしかできなかった。

「うわわ!」

 相手は一人。コードネームは《M》。武器はナイフ。何とか攻撃系のアーツで迎撃したいが、そんな暇は与えてくれない。

「ちょこまかと逃げおって!」

 一気に間を詰めるナイフが空気を裂く。これは避けれない。魔導杖のシャフトで防御したエリオットは、ぎらつく凶器を間近に見て息を呑んだ。

 力で押し負け、鋭利な刃先が徐々に頬へと迫る。腕が震え、足も震えていた。

 改めてリィンたち前衛のありがたみが身に染みる。いつも守ってもらっていたという実感が今になって湧いてきた。

「手数で攻めればアーツは使えないだろう。所詮はサポート役、一人じゃ何も出来まい」

「うう……」

 防戦一方。避難誘導の補助に来たはずなのに。もっとも一人は自分に引きつけておけるのだから、一応その役目は果たしているとも言えなくはないが。

 相手の押しがさらに強くなる。これ以上は耐えきれない。

 唐突にゴスッと重い音。「ぬぐっ!?」とうめいた《M》のナイフにかける力が弱まる。

 何事かは分からなかったが、その隙にエリオットは飛び退き、距離を取った。

「その人は近い将来、エレボニアの若き男子達を牽引する人物だ。その彼を手に掛けようなどとは、同じ男として恥じるべきだな」

 ケインズが敵の背後に立っていた。

「ケ、ケインズさん? まだ逃げてなかったんですか」

「やあ、猛将」

 道端で出会ったみたいに気安い挨拶をよこしたケインズに、《M》はぎろりと鋭い目を向ける。

「貴様、後ろから鈍器とは……あ?」

 ケインズがその手に持っているのは鈍器ではなく、辞書ほどの厚さのある一冊の書籍だった。表紙には荒々しい筆書きで『猛将列伝』記載されている。

「《M》と言ったか。一つ質問させてもらおう。ペンは剣よりも強いという。ならばそのペンよりも強いものが何か分かるか?」

「知るかそんなもの!」

「よけて! ケインズさん!」

 ナイフがケインズ目がけて突き出される。叫んだエリオットには微笑を浮かべる余裕を見せ、ケインズはその手の本で、刃の横腹をバシンと払いのけた。予想以上の重たい衝撃に目を開く《M》に、「教えよう」と告げる。

「それは本だ。書き手の想いが全て詰まった書籍に、勝るものなど何もない」

「そうかよ!」

 再び突き上げられたナイフが、ケインズの胸に直撃した。いや、したかに見えた。

 ナイフの刀身は、ちょうど白刃取りの要領で『猛将列伝』の中程に挟まれていた。

「さあ、猛将演奏会の始まりだ。曲目は任せるよ」

「なにが――」

 それはもう始まっていた。

 くるりと魔導杖の向きを上下反転させるエリオット。シャフトが収納されていき、代わりに一本の弓が吐き出された。杖の先端部分は持ち手となり、そこに四本の弦がせり上がる。

 “バイオリン”となったそれを、慣れた手つきで肩とあごの間に差し挟むと、静かに弦に弓を添えた。

 紡がれる音色が光となって周囲に押し広がっていく。七つの音階がそれぞれに色を灯し、膨大な導力の伝搬が大気を激震させた。

「おお……これが猛将の狂詩曲か。ふふ、存分に味わうといい。先程の彼に言った不敬な言葉を後悔しながらな」

「ナイフが抜けん……! 離せ!」

「この猛々しき力。まさに猛将に相応しい。最高の瞬間がまもなく訪れるぞ」

「だがこのままではお前も逃げられまい! 心中でもする気か」

「何を馬鹿な……あ」

 今更ながらケインズは気づく。自分の周りに展開されている七色の光玉。それらが回転しながら急速に狭まってきて――

「猛将、ちょっと待っ」

 インパクト。膨れ上がる閃光が、視界を真っ白に染め上げた。

「………」

 うっかりしていたのは、エリオットも同じだった。まさかその場に留まったままとは思わなかったのだ。

 光が収束し、散っていく。

 プスプスと揺らぐ蒸気を上げながら横たわる《M》とケインズを見て、エリオットはとりあえずこう言っておいた。

「……ご清聴、ありがとうございました」

 

 

 解放戦線のメンバーの多くが、その矛先をⅦ組に向けたことで、図らずも一般人や他の学院生の避難は妨害を受けることなく進んでいた。退避ルートはグラウンドに直結している裏門からである。

 その中でただ一人。裏門とは逆方向に走る女子生徒の姿があった。

「あの子たち、どこにいるの……!?」

 ロジーヌだった。

 戦闘は近くで行われている。流れ弾が飛んでくる可能性もあったが、そんなことはどうでもよかった。

 引率してきた年少の子供たちは先に避難させることができた。だが彼らがいないのだ。カイ、ルーディ、ティゼルの三人が。

 最初に拘束されていた馬舎近くまで戻ってきた時、グラウンド脇の茂みががさりと動く。

「……ロジーヌ姉ちゃん?」

 おそるおそるといった感じで、探していた三人が順繰りに茂みの中から顔を出してくる。

「よかった。みんな、けがはない?」

 駆け寄ってカイ達を抱きしめるロジーヌ。

 彼らは帝国解放戦線がグラウンドの包囲を始めた時、とっさにこの場に隠れていたのだ。あっという間に状況が変わっていき、結局出ていくタイミングを逃してしまったのだと言う。

「とりあえずこの場を離れましょう――……んっ」

 立ち上がったロジーヌだったが、その表情を苦悶に歪めて膝をつく。右の足首が痛々しく腫れ上がっていた。

「ロジーヌさん、その足どうしたんですか!」

「実は走り回ってる最中に足をくじいちゃって。でも大丈夫。そんなに痛くないの」

 慌てるティゼルに、ロジーヌはあくまでも柔らかな口調で言う。無理に笑顔を浮かべるものの、その顔は冷や汗で濡れていた。どう見てもこれ以上動ける状態ではなかった。

「すぐに追いつくからあなた達だけでも早く逃げて。裏門の近くまで行けば生徒会の人達もいるから」

「で、でも、ロジーヌさんを置いていくなんて――」

「逃げ損ねた奴らがいたか」

 ぬっと差し込んできた黒い影が、ルーディの言葉をさえぎる。

 見下ろしてくる昏い瞳。《N》とバックルに描かれた大柄の男。彼は低く笑った。

「ちょうどいい。赤服どもが勢い付いてきているからな。お前らを人質にしてやれば簡単に出鼻をくじける」

「ロジーヌ姉ちゃんに近づくな!」

 動けないロジーヌをかばうように、カイは《N》の前に立って両手を広げた。ルーディもティゼルも立ちふさがってロジーヌを守っている。

「邪魔なガキどもだ」

「三人ともだめ! 人質には私がなります。その子たちには手を出さないで!」

 ロジーヌの嘆願を一笑に伏し、《N》の手が彼らに伸びる。

 泣き出しそうになるのを堪えて、カイ達は強く歯を食いしばった。

「汚い手でそいつらに触れるな」

 冷気をまとった声が届いたのは、その手がカイの胸倉を掴む直前だった。

 彼らとの間を隔てるように、静謐な水晶膜がビキビキと音を立てて《N》を半球状に覆っていく。

「な、なんだこれは」

 振り返った時には、すでに勝負は終わっていた。

 瞳に怒りを湛えたユーシスが、騎士剣を抜き放っている。鮮烈な十字の斬光が、水晶もろともに《N》を切り伏せた。

 青い輝きが舞い散る中、その場に倒れる《N》。ユーシスは一瞥すら向けることなく、その横を通り過ぎてくる。

「お前たち、無事か」

「ユ、ユーシス先生。私たちは何ともないけど、ロジーヌさんが足を痛めちゃって……」

「動けないのか?」

 ロジーヌの横にかがむ。

「すみません、足を挫いてしまって。ユーシスさん、お願いです。子供たちだけでも先に安全な場所に――」

「来い」

 背後に合図をすると、近くに控えていた白馬がやってきた。

「失礼する」

「え? 何を、きゃあ!? はわわわ!?」

 ユーシスはロジーヌを抱きかかえる。いわゆるお姫様だっこという形で。

 そのまま彼女を横向きに馬の背に乗せてやると、自身もその後ろにまたがって、ロジーヌ越しに手綱を握った。

「落ちんように、俺につかまっておけ」

「は……はい」

 遠慮がちながらも、ロジーヌはぎゅっとユーシスの制服にしがみつく。白馬がゆっくりと歩を進める。

「このまま裏門まで向かう。お前たちも離れずに付いて来るがいい」

「がはっ!」

 なぜかカイはダメージを食らっていた。

「カイ、大丈夫?」

 ルーディが心配するが「お、俺はロジーヌ姉ちゃんさえ幸せならそれで――」と言いかけて、また「ぐはあ!」とむせ込む。吐血くらいしてしまいそうな勢いだ。

「へへ、俺はここまでかもな……あとは、ユーシス先生に……ま、まかっ、任せるぜ」

「ばーか」

 そんな彼の後頭部をティゼルが小突いた。

 

 

「ここは私のお気に入りの場所でして」

 屋上。穏やかな声を背中に受けて《I》、《J》、《H》が振り返ると、威圧を放つ五つの巨塔が、彼らを取り囲むように立ち昇っていくところだった。

 塔の先端に乗るエマの丸メガネが、鈍色の輪郭を浮き立たせている。

「な、なんだ、これは? アーツか!?」

「一体どうなっている」

「くそ、回避を……!」

 屋上全域に光の紋様が描き出され、男たちはその上でただたじろぐ。逃げ場などどこにもない。

 五つの塔の中心に照射されたエネルギーは上空で融合し、一際巨大な光軸となって頭上から降り落ちる。全てを圧倒する力が、轟音と共に三人を押し潰した。

 静寂が戻る屋上にエマは降り立った。地面は焦げ付き、所々から煙が燻っている。

「みんなの援護に戻らないと……下の状況は」

 屋上の端からグラウンドを見下ろす。戦いはまだ続いている。途中で分かれたラウラやガイウスも心配だ。アルフィン皇女はどこにいる。敵の最終目的は。皇女をさらった後はどうするのだ。

 先手必勝で相手を倒したので、もちろん新たな情報は得ていない。この倒れている三人の中に、あのリーダー格の男がいるのかも不明だ。

 急ぎ足で引き返そうとした矢先、勢いよく屋上の扉が開いた。

「おい、アクシデントだ! 教官共が……あ?」

 飛び出してきた男は惨状に目を丸くしたが、それ以上に戦慄したのはエマだった。その男に拘束されている女子生徒は彼女の先輩だった。

「ド、ドロテ部長!?」

「エマさん、どうしてここに……」

「赤服の一人か……! お前が三人をやったのか!?」

 怒りに肩を震わしたのも一瞬、切り札が自分の腕の中にあると気づいた様子で、男は狡猾に口元を歪めた。

「どうやらお前たちは知り合いらしいな。こいつが傷つけられたくなかったら、その杖を捨てろ」

「エマさん、私のことは構わないで逃げて!」

「……っ!」

 男の持つナイフの切っ先が、ドロテの首筋をなぞる。押し殺した悲鳴を上げて、彼女は背をのけぞらせた。それでもドロテはエマに逃げるよう促す。

「私のことばかり心配して……。ドロテ部長をおいて逃げるなんて……できるわけないじゃないですか」

 エマは魔導杖を手放した。

「よし、腕を頭の後ろで組んで、ゆっくりこっちに歩いてこい」

 言われた通りにするエマ。あとは自分が人質になる代わりに、ドロテを解放するように交渉する他ない。

 近づくにつれ、バックルに書かれたアルファベットが読み取れた。その文字は――

「君も《G》というのかね」

 しわがれた声が一帯に染み渡る。

 屋上だと言うのに、上から降ってきた初老の男性は軽やかに着地した。そして洗練された一礼。

「お初にお目にかかる。私はこの学院の用務員を務めさせてもらっているガイラーというものだ」

 些細な勘違いから道を踏み外し、狂い咲き、幾度となく自分を追い回し、立ちはだかり、この二か月あまりの学院生活を、ことごとく騒々しいものに変えてくれた張本人。

 彼はいつもの口調で、いつものあの台詞を、こともなげに言い放った。

「エマ君。君の力になりにきた」

 そのしわ深い目じりがにわかに細まった。

「用務員ごときが割り込んでくるな。状況が分かってねえのか」

「状況かね。ナイフをちらつかせた男が、卑劣な手段を取って何の罪もない女子生徒を人質に取っている。私にはそう見えるが」

「ふん、分かってるじゃねえか。だったらどうする」

「よくない。実によくないね」

 刹那、ガイラーの姿が屋上から消える。一陣の風が吹き抜けた次には、彼は《G》の真横に立っていた。驚きから男の腕の力が緩む。その一瞬の間に、ガイラーはドロテを救い出していた。

 さらに瞬間移動のごとき体裁きで、再びエマのそばまで戻ってくる。

「彼女を頼めるかな。私は彼の相手をしよう」

「ガイラーさん、あの……」

 続けた言葉は“気を付けて”ではなく「……お手柔らかに」だった。

「他ならぬ君の頼みだ。善処しよう」

「な、なめやがってっ!」

 飛びかかってくる《G》。連続するナイフの乱れ斬りを、ガイラーはまるで子供でもあやすかのように避ける。

「くそ!」

「おやおや」

 大振りの軌道を見逃さず、斬撃の刃を人差し指と中指だけで挟み取る。

 物憂げなため息をついて、ガイラーは首を鳴らした。

「こいつ……!?」

 ただの用務員などではないと察したのか、《G》はナイフを手放して距離をとった。

「戦闘中に武器を捨てる判断はそうできるものではない。少々感心したよ。それが正しい選択だったのかはともかくね」

 ガイラーは目線だけエマに向けた。

「エマ君、小説には起承転結が必要だと言われる。これは小説に限らない。物語と呼ばれる全てに無くてはならないものだと、私は思う」

 よく分からない話が始まった。エマは嫌な予感がしていた。いや、もう確信だ。

「ねえ、エマさん。ガイラーさんはどうして小説の話をしているの……?」

「さ、さあ?」

 ドロテの問いをはぐらかし、エマは頬をひくつかせた。

「後学のためにお見せしよう。これが私の『起承転結』だ」

「用務員風情が、調子に乗るな!」

 思わず《G》に逃げてと叫びそうになるエマだったが、すでにガイラーは動いていた。

「鬼!」

 鋭い気勢と共に、鬼面が《G》の動きを制した。

「翔!」

 動けない《G》の懐に一瞬で潜り込み、そのまま上空へと打ち上げる。

「天!」

 ガイラー自身も《G》を追い、空へと舞う。

「穴!」

 組み合わされた両第二指が、『ズムッ』と突き上がる。その痛ましい光景を直視できず、エマは目をそむけた。

 ガイラー流《鬼翔天穴》が炸裂する。「はうんっ!?」と悲痛な声を弾けさせ、白目を剥いた《G》の意識は遠いところへと飛び去っていく。

 背徳的なシルエットが、青い空に一点の染みとなって映し出された。

「え……?」

 その光景にドロテが反応した。彼女が思い返すのはあの時。ノベルズフェスティバルの会場で、男子達の暴動を収めた《G》の勇壮な姿。

 シャンデリアを背にタキシードをひるがえして跳ぶ《G》と、今鮮やかに宙を駆けるガイラーの姿が、幻視の中で重なって――

「エレボニアの黒き翼……」

「ドロテ部長、お気を確かに」

 すたんとガイラーが着地し、遅れてどしゃっと《G》が墜落する。目を覚ましても、しばらくはショックから立ち直れないだろう。

 二人の前まで来たガイラーは、胸元から何かを取り出した。それは原稿用紙の束だった。

「正門付近に落ちていた。これは君のものだね」

「いえ、ガイラーさん。それは……え?」

 てっきり自分に渡されると思っていたエマだったが、意外にも差し出した先にいたのはドロテだった。受け取ったドロテは戸惑いながら、ガイラーを見返している。

「あの、は、はい」

「不躾ながら少し読ませてもらったよ。よく練られたストーリーだ」

 エマは訝しげにガイラーを見る。彼は背を向け、屋上の端へと歩いた。

「わかっていたよ。最初に私が読んだあの小説は、エマ君が書いたものではないということくらい」

「い、いつから気づいていたんですか?」

「あの品評会で君達の作品を読んだ時だ。文章の癖や好む表現方法に違いがあった。あれはおそらくドロテ君の小説なのだろう」

「そこまで分かっていて、どうして私に……」

「だとしても君に才能があるのは間違いない。君にも高みに登って、私の見ている景色を知って欲しい。そう思うのは私のわがままだろうか」

 まともなことを言ってるようで、よくよく意味を拾い上げてみれば、やっぱり不健全ど真ん中だ。

 きっとガイラーはこの先も自分を追い掛け回してくるのだろう。

 それならそれでいい。何度だって撃退するだけだ。この二ヶ月間のように。……何回かは撃退し損ねたが。

「そうですね。あまりしつこいと、私も本気を出しちゃいますよ?」

 悪戯っぽくエマが言うと、ガイラーは足を止めて振り返り、意外そうにあごをしゃくってみせた。

「実にいいね」

 エマとガイラーのやり取りを交互に見やり、ドロテは口を開く。

「ま、待って下さい。品評会? 小説? あなたはやっぱり――」

「私はただの用務員だよ」

 言外に続く言葉を制して、ガイラーは空を振り仰いだ。

「さあ、季節外れの落ち葉を掃きに戻らないとね」

 強い風が吹き抜ける。

 二人が目を閉じ、そしてもう一度開けた時、彼の姿はもうなかった。

 

 

 幸いと言うべきか、フィーとミリアムは分断されなかった。

 つまりリンクができる位置には双方いるのだが、彼女たちも防戦を余儀なくされている。

 相手は五人。武器は全員が銃を保持していた。

 名は《O》、《Q》、《R》、《Y》、《Z》だったはずだが、もう誰が誰だか判別できる状況にもない。

「どうしよう、フィー」

「ちょっと動けないかも」

 アガートラムを盾にして、絶え間なく撃ち込まれる銃弾を防ぐ。アガートラムを突っ込ませれば活路は生まれるかもしれないが、敵の配置は絶妙だった。一撃では掃討できない位置取りで散開している。

 仮にアガートラムが一角を崩しても、その間こちらの盾はなくなる。そこを狙われたら、とても凌ぎ切れない。

 その上、まだ問題がある。今、フィーの手には双銃剣が一つしか握られていなかった。

 交戦直後に放たれた不意打ちの一発をとっさにグリップで防いだ際、片方の双銃剣が手から弾き飛ばされてしまったのだ。

「あれがあれば手数でも対抗できるんだけど」

 アガートラムの隙間からそれを見る。八アージュは離れた地面に、双銃剣の片割れが転がっていた。

 フィーの速度なら、三秒あれば回収できる。しかし相手の五人は射撃のタイミングをうまくずらして、弾丸補充の間も弾幕を絶やさない。

 このままではジリ貧。どこかで行動を起こさねばならない。

「一個しかないけど、これを使うよ」

 取りだしたのは閃光手榴弾だった。

「大丈夫なの?」

「危険は危険だけど」

 敵は徐々にその包囲を狭めてきている。射線が変われば、いずれ弾はこちらに届く。

「これで相手の動きが止まった隙に双銃剣を取りに行くから。ミリアムも反撃に備えてて」

「う、うん、気を付けて」

 3、2、1――指で数えたカウントがゼロになると同時、閃光手榴弾を放り投げる。瞬時に光が押し拡がり、視界が白く塗り潰された。

 自分の影さえかき消す光の中をフィーは走る。光を反射する刀身が見えた。あと少し。

 銃声が響く。足元の土くれが弾け、伸ばしかけた手が止まった。

 男の一人がすぐそばで銃を構えていた。

「……それ、防眩フィルターだったんだ」

「そういうことだ。こちらも色々と備えはしていてな」

 男はハーフフェイスのヘルメットをこんこんと叩いてみせた。改めて銃口がフィーに向けられる。

「ガーちゃん、お願い!」

 防御を解いて、ミリアムはアガートラムに迎撃指示を出す。だが遅かった。男の引き金にかかる指に力が入り――

「む?」

 急に男は動きを止めた。

 落ちている双銃剣が勝手に動いている。かたかたと小刻みに震えているかと思いきや、いきなりそれが跳ね上がった。宙を舞った双銃剣は不自然に方向を変え、フィーの手元まで戻ってくる。

「早く構えるんだ!」

 離れた位置からケネスが釣竿を振り上げていた。

 体育祭の開会式で、彼も倉庫に“魂のこもった道具”を収めていた。この騒乱の中で、それを取りに戻っていたのだろう。よく見れば双銃剣には釣り針が引っかかっていた。

 フィーは片方の双銃剣で素早く釣り糸を切断する。

 戦闘準備は完了。

 猫を彷彿とさせる双眸がきろりと動く。いたずら好きの子猫のそれではない。明確に戦う意思を宿した、揺るぎない金の瞳が全ての標的を捉えていた。

 小さな体躯から発せられる圧力に、戦線の五人は束の間足を止めさせられる。それは一瞬。だがフィー達を相手にその一瞬は致命的だった。

 《ARCUS》のリンクが繋がり、光のラインが上空へと伸びる。ミリアムがアガートラムに抱かれて空を駆けていた。

「やっちゃうよ! ガーちゃん!」

 アガートラムが白銀の大槌へと変形する。

 自重を加算して急速に落下するミリアムは、体よりも遥かに大きいハンマーを思い切り地面に叩きつけた。

 大地が破砕する。岩盤がめくり上がり、巨大なクレーターをグラウンドに生み出した。

「うおおっ!?」

「こ、この!」

 砕けた地面に足を取られる五人は、どうにか体勢を立て直そうとする。全ての動作が遅かった。フィーが腰を落とし、すでに足に力を込めている。 

「いくよ」

 瞬発。両手に双銃剣を携えたフィーが、目にも止まらぬ速さで疾駆する。

 銀の閃きが錯綜し、一帯に幾重もの残光が刻まれた。妖精の舞というには、あまりに鋭利なその軌道。彼女を狙おうとして果たせなかった銃口が、次々に弾き飛ばされていく。

 だんと高く跳躍し、中空で身を返しながら「敵の中心に入って、身を伏せて」とフィーは眼下のケネスに言った。「そこが一番安全だから」と重ねられた言葉にあらがう選択肢はなく、ケネスは言われるがまま走りだす。

 スライディングで彼らの中心点に滑り込むと同時、その背中にフィーがどすっと着地した。

「ぐむっ!?」

「ごめん。でも動かない方がいいよ。ミリアムはアガートラムで防御してて」

「了解!」

 銃口を水平に構えたまま、フィーは両腕を大きく開く。そのまま足を軸にして、コマのように勢いよく回転しだした。

 瞬く間に加速する横回転。全方位に斉射されるおびただしい数の銃弾。塵芥と共にグラウンドに量産される弾痕。ぐりぐりと虐げられるケネスの背中。

「ぐああああ!」

「ひああああ!」

 敵の叫声とケネスの嬌声が絡まり合い、不協和音が奏でられる。

 五人の解放戦線が膝をついた時、足下のケネスは満ち足りた笑顔を浮かべていた。

 

 

「くそっ、この!」

 グラウンドの一角。マキアスも苦戦を強いられていた。

 相手は《D》と名乗り、武器はコンバットナイフ一本。これがとことん自分との相性が悪い。しかも敵は散弾銃との戦い方を心得ている。要するにぴったりと張り付く近接戦だ。

 懐に入られたら、ショットガンでは狙えない。相手の攻撃をひたすら凌ぐだけになってしまう。ナイフを防ぎ続けた銃身には、無数の傷痕が残っていた。

「いいかげんに離れろ!」

 ショットガンをバットのように振り回し、何とか間合いを開けようとするが、男は蛇のようなしつこさで食い下がってくる。

 粘着質な口調で《D》は言った。

「俺は眼鏡というやつが許せねえ」

「はあ!?」

 いきなり何を言い出すのか、この男は。

「俺の夢は学者になることだった。勉強もしていたさ。だが紆余曲折の果てにその夢は断たれた」

 経緯は分からないが、そういうことになったらしい。

「勉強なんていくらでもできるだろう。というかなぜ眼鏡を許さないんだ!」

「決まっている。眼鏡は知性の象徴だ。奪われた俺の夢を、当然のように持っている奴らを許せるはずがない」

「偏見だし、逆恨みだ! というか眼鏡屋で買えばいいんじゃないのか!?」

 滅茶苦茶な男だ。テロリストの中にはこんな奴もいるのか。

 呆れはしたが、その実力は本物だった。《D》のナイフ捌きは巧みで、執拗にマキアスの眼鏡を狙い続けてくる。もはや執念。転じて怨念だ。相性が悪いどころか、むしろ天敵とさえ言える。

「この世の眼鏡は全て死すべし!」

 逆手に持ちかえたナイフを突き下ろしてくる。

 その時、割って入ったサーベルの切り上げがマキアスを守った。アランが切先で牽制しつつ、《D》との距離を開ける。

「ア、アラン? なぜこっちに来た。君はブリジットさんを守れ」

「あいつなら何人かと走っていたみたいだったし、大丈夫だと思う。それにお前の方も放っておけない」

「呆れた君はお人よしだ」

「人のことを言えるのか?」

 二対一で仕切り直し、二人は《D》と切り結ぶ。

 それにしても執念のせいか、やたらと強い。

 《D》は基本的にマキアスを狙いつつ、間合いが離れてしまった時は、即座にアランと自分が同じ射線上に入るように立ち回る。これではショットガンを撃てなかった。

 一進一退を繰り返す中、好機を見つけたアランが前に踏み出す。

「はっ!」

「甘い」

 《D》は俊敏にサーベルをかいくぐり、持ち手の甲にナイフの柄頭をめり込ませた。痛みに呻いたアランの手から、サーベルが滑り落ちる。

 アランを案じる間もなく、急転回した《D》がマキアスの喉元をわしづかんだ。息が詰まり、勢いのまま地面に組み敷かれてしまう。

 マウントポジションを取られた。

 こじらせた愉悦が刃に映り、狂気をはらんだ切っ先が迫る。宣言通り、眼鏡をやる気だ。レンズだけで済めばいいが、どう控えめに見てもそこで留めてはくれなさそうだった。

 腕は相手の両ひざに押さえつけられて動かせない。足はじたばたと動かせたが、悪あがきにすらならなかった。

「マキアス!」

 アランが助けようとしてくれるが、間に合わない。視界の中のナイフが、スローモーションで近づいてきて――

 突然飛び込んできた黒い影が、《D》の下あごに強烈な体当たりをかました。

「あがっ!?」

 大きくのけぞったその体に、背後からしゅるしゅると紐のようなものが巻きついていく。マキアスから無理やり引きはがされた《D》は、そのまま力任せに投げ捨てられた。

 体を起こしたマキアスの前にいたのは、彼を守護するかのように控える二匹の魔獣。飛び猫とドローメだった。 

「お前たち、旧校舎から出てきたらダメだって、あれほど言ったじゃないか」

「マ、ママ、マキアス!?」

 アランが露骨に慌てている。

「魔獣だぞ? 早くこっちに来い! というかなんでこんなところに魔獣が!?」

「大丈夫だ。この二匹は大丈夫なんだ」

「な、なにがだよ」

 起き上がった《D》は「まさか《G》と同じ降魔の笛か……?」と警戒をあらわにしていた。ちなみに彼がいう《G》はギデオンのことであって、先ほど悲惨な目にあった《G》でも、それをやらかした方の《G》でもない。

「降魔の笛?」

 マキアスは鼻で笑った。

「僕たちの絆はそんなに浅いものじゃない。お前たち、教えてやろうじゃないか。コーヒーで結ばれた絆は血よりも濃いということを」

「ふざけるな! どんな手を使ったかは知らんが、たかが飛び猫とドローメなど――」

「クロ」

 飛び猫が飛翔し、下腹に重い頭突きを見舞った。

「ルーダ」

 二本の触手が鞭のように風を切り、よろめく《D》に足払いを仕掛けた。

 息もつかせぬコンビネーションに、まったく追いつけない《D》は、ひたすらに翻弄され続けている。

「……お前って、俺が思っている以上にすごいやつなのか」

「なんだ。今さら知ったのか?」

 アランに軽口を返しながら、マキアスはショットガンの筒先を持ち上げた。

 距離よし。位置よし。リミッターを任意解除。出力急速上昇。内部機構に圧縮されたオーバルエネルギーが解放され、光を滲ませた銃身が微震する。

 ぎょっとした《D》は射線上から退避しようとしたが、飛び猫の空中多段蹴りに阻まれた上、ドローメの発動したアーツが、彼の膝から下を氷塊の中に押し固めた。

「今こそ教えよう。お前たちに付けた名前の真の意味を。それは僕が敬愛してやまない人物の名を二つに分けたものだ」

 黒い毛並みでクロ。ダルダルしているからルーダ。それもそうだが、本当の意味は別にある。

「クロとルーダ、そして僕。見せてやる、これが必殺の三位一体!」

「や、やめろお!」

「クロチルダ・ショットだあっ!」

 ショットガンが咆哮を上げ、臨界を越えた光弾が彗星のごとき尾を引いた。

 直撃。爆散。巻き上がる砂塵。

 大量の土砂をかぶりながら倒れ込む《D》。

「そういえば僕の眼鏡を割るとか言っていたな」

 伏した《D》をマキアスは一瞥した。

 割られに割られ、耐えに耐えたこの二カ月。ついにこの日がやってきた。守るべきものを守り切るこの日が。

 マキアスはくいと眼鏡のブリッジを押し上げる。

 陽光を反射した曇りなきレンズが、燦然とした輝きを放っていた。

「アラン、クロ、ルーダ。戦いは続いているぞ。チェックメイトはまだ先だ」

「お、おう。……というか、こいつら襲ってはこないよな?」

「シャー!」

 心を許した親友が背中を守り、心を通わせた魔獣達が両脇を固める。これぞ何人にも突破されざる鉄壁の布陣。

 さあ、割れるものなら割ってみろ。

 

 

 Ⅶ組の各々が相応の苦戦をさせられていたが、もっとも反撃の糸口がつかめないでいたのは間違いなく彼女だった。

 左手に携える導力弓は、ショットガンのようにむりやり打撃に使えるわけでもなく、また魔導杖のように防御に使うなどの取り回しにも難があった。矢をつがえるにもタイミングを図る必要があり、それが外れたとしても即時二射目というわけにはいかない。

 後衛と言うのなら、彼女こそがそれを代表する担い手である。

「もう、何なのよ!」

 弓を前面に突きだしながら、アリサは何とか間合いを離そうとする。しかしその行動は威嚇にもならず、構わず踏み込んできた相手――《X》のサーベルを真正面から受けるのみだった。

 間近で打ち合って、アリサはふと思う。

 ヘルメットのせいで顔の上半分は見えない。だが、秀麗なあごのライン。どこかしなやかさが垣間見えるその体捌き。目立たなくはしているようだが、ほのかに膨らんで見える胸。

「まさか……女性?」

「だから何よ!」

 そしてこの声。間違い無かった。

 アリサを制したまま、《X》は言う。

「同志《S》がいるんだもの。女がいたっておかしくはないでしょう」

 スカーレットのことだ。

 ハーフフェイスのアイガードに覗く丸い瞳が、見定めるかのようにアリサに視線を這わす。不意に《X》はぎりりと歯を食いしばった。

「苛立たしいわ。ザクセン鉄鋼山を逃げ出してから今日まで、私がどんな苦渋の日々を送っていたかあなたに想像できて?」

「そんなの知らないわよ」

「教えてあげるわ」

「別にいらないけど」

 そう返すアリサは無視して、《X》の悲哀に満ちた回想が始まった。

「毎日の食事なんて当たり前にあるわけじゃない。体を洗うことも満足に出来はしなかった。女は私一人、紅一点だなんてとんでもない。肩身の狭い思いをしたわ」

「……そう」

 同じ女性として、その感覚は少しだが理解できた。同情するわけにはいかないが。

「それに何よ、あいつら。口を開けば同志《S》のお仕置きがどうたらこうたら。あのヒールがたまらないだとか、法剣でしばかれてもいいだとか、あの眼帯の下を知っているのは俺だけだとか、蔑むような流し目がご褒美ですだとか訳の分からないことを……!」

 ふるふると剣を持つ手が細かく震えていた。受け止める弓を通じて、何やら釈然としない憤懣がアリサにも伝わってくる。

「しかもよ。そんな男どもの集まりなのに、潜伏生活のこの一カ月余り、誰も私に一切手を出そうとしなかったわ。どういうことなの、これ!?」

「し、知らないわよ!」

 というか手を出されたかったのか。

 ヒステリックにサーベルを横に薙いで、《X》は凄みたっぷりに嗤う。

「あなたも同じ目に合わせてあげるわ」

「いや、どうやってよ」

 冷静につっこむアリサだが、沸点を越えた頭には届かない。たまりにたまった鬱憤を晴らすかのようにサーベルを振り上げる《X》。

「覚悟なさい。次は弓ごと斬り裂いてあげるわ!」

 相手は本気だ。身の上話に付き合ったおかげで時間は稼げたが、依然として反撃する術は見つからない。いつまでも防ぎ切る自信もなかった。

 こんな八つ当たりにやられてはたまらないと、打開策を巡らすアリサの視界に、波打つ薄紫の髪が飛び込んできた。フェリスだ。

「アリサ、これを!」

「こっちに来ちゃだめ! え?」

 走りながらフェリスが何かを投げてくる。《X》の頭上を越え、放物線を描きながら飛んでくるそれは、ラクロスのラケットだった。

 反射的に受け取る。もしかしたら弓と同じくらい馴染んだかもしれない感覚が、手のひらに熱となって拡がった。

「アリサ、やりますわよ!」

 何を、と聞かなくても分かってしまった。「こ、ここで?」と躊躇する言葉を吐きながらも、弓を手放して、すでに体はその体勢へと入っている。

「え? え?」

 たじろぐ《X》の左右から、アリサとフェリスが接近する。

『せーのっ』

 声をそろえて、手前で急制動。二人同時に素早くラケットを半身で引き絞る。

 部長のエミリーには羨ましがられ、副部長のテレジアにはたしなめられ、幾度となく失敗し、その度に改善を重ね、実際の試合では多分使えないであろう、その技。

「フェ」

 フェリスが起点。

「リ」

 アリサが同調

『サ!』

 双方の呼吸がシンクロする。

『ハリケーン!!』

 完全な左右対称から振り切られるラケット。交錯する中心点に顔面を打ち据えられ、相乗した衝撃が《X》の頭蓋まで反響する。

 手から離れたサーベルが地面に刺さり、膝を折って顔面から突っ伏す《X》

 得点のホイッスルの代わりに、二人のハイタッチが軽快な音を鳴らした。

 

 そのハイタッチを見ながら、《X》は腰元に手を添わしていた。

 意識が飛んだのは一瞬だけ。たかがラケットの殴打で、完全に戦闘不能になるものか。 

 ホルダーから銃を引き抜き、四つん這いに体を起こすと、離れ行く二人の背中に銃口を向けた。

 弾を惜しまず、最初からこれを使えばよかったのだ。

 まずはお前からだ、ブロンド髪。

 黒い感情に促されるまま、引き金を絞る。

「え?」

 眼前を何かがきらめいた気がした。直後、銃身が縦一線で三つに分かれて地面に落ちる。輪切りとなって転がるそれらを呆然と眺めたのも一瞬、背後で砂を踏む音が聞こえた。

「私のお仕事は四つあります」

 続いて耳に届く、場違いなくらい涼やかな声音。

「一つ目が、三食のお食事をご提供させて頂くこと」

 すぐに向き直ろうとするが、足が動かせない。

「二つ目が、お掃除を行い、寮内の整理、整頓、清潔を維持すること」

 腕もだ。四肢がまるで何かに縛られているかのように。

「三つ目が、皆様のお見送りとお出迎えを行うこと」

 足音がゆっくりと近付いて来る。《X》がかろうじて首だけを巡らして、背後を視界にいれた。

「そして四つ目が、有事の際はこの身に代えてでもアリサお嬢様達をお守りすること」

 完全に意識を刈り取られる寸前、《X》は見た。

 場違いなメイド服が、やはり場違いなほど、しとやかに微笑む様を。

 

 ●

 

「旧校舎側にはいなかったし、姫様どこに……?」

 正門に控えていた四人の護衛は、リムジンのボンネットの中で縛られていた。縄は解いておいたが、意識を戻す気配はない。

 帝国解放戦線はⅦ組が押さえている。しかしアルフィンの捜索にまではさすがに手が回っていないようだ。

 自分が動かねば。だが見つけてどうする。こちらは丸腰。下手をすればあの時同様、人質にされるかもしれない。 

「エリゼ君、無事か!」

 肩で息をして、パトリックが走ってくる。

「パトリックさん、どうしてこちらに?」

「よくぞ聞いてくれた。もちろん君を守るために――」

 わん! と足元から吠えられる。

 従前用意していた最高のセリフは、唐突に現れたルビィの鳴き声にかき消された。

「ルビィちゃん? それって……!」

 ルビィがくわえていたのは、アルフィンが身に着けていた帽子だった。

「もしかして……匂いでたどれるの?」

 賭けるしかない。しかし先刻の懸念が戻ってくる。見つけたところで一人では……。Ⅶ組は学院中に散開して交戦中。パトリックは乱戦の中を駆け抜けてきたのか、かなり疲労困憊の様子だ。危険を承知で同行を頼みたかったが、それも躊躇してしまう。

 エリゼは決意を固めた。

「パトリックさん、お願いがあるのですが」

 虚を突かれたパトリックだったが、すぐに嬉しげに胸を張った。

「ふっ、もちろん何でも聞こう」

「そのサーベルを私に貸して下さい」

「ああ、好きなだけ持っていくがいい……ん?」

「失礼します!」

 その手からサーベルをつかみ取り、エリゼはルビィに「お願い!」と合図する。走り出すルビィと追いかけるエリゼ。

「あ、おい――」

 訳も分からず見送るパトリックの背中には、例えようもない哀愁が漂っていた。

 

 学生会館の前を横切り、技術棟を抜け、着いた先は旧校舎。

「はあっ、はあ。ここには誰も……鍵は兄様が持っているから入れないはずだし」

 しかしルビィは入り口には向かわずに方向を変え、旧校舎周辺に生い茂る群生林の中へと飛び込んだ。

「まさか、そっちに?」

 エリゼはあとに続く。枝葉をかきわけ、悪い足場につまずきながら、ひたすらに走った。

「どうする《C》。皇女、目を覚まさないぞ」

 不意に男の声が聞こえた。 

「仕方ない。先に目的地へ向かう。向こうで目を覚まさせればいい」

 林の奥、少し開けたスペースに彼らはいた。二人。《C》と呼ばれた男がアルフィンを抱きかかえている。エリゼはサーベルを手に、ルビィと一緒に二人の前へと飛び出した。

「待ちなさい、あなた達!」

「一般の来館者か? 《A》、お前に任せる」

 ろくに取り合おうともせず、《C》が足早にその場を離れていく。

 自身のサーベルを抜いた《A》は、エリゼを阻んだ。

「一人で来たのは間違いだったな。無事で済むとは思うなよ」

「侮らないで下さい。細剣の心得はあります」

 打ち合う剣と剣が火花を散らす。

 力では敵わない。エリゼは木々を盾にしながら、巧みに相手の攻撃をかわした。流れるような剣捌きで相手の突きを受け流し、瞬時に攻勢に転ずる。

「こ、こいつ!?」

 追い詰めていたのはエリゼだったが、地形が彼女の邪魔をした。突き出した枝の一本が制服の裾に引っかかったのだ。わずかに鈍くなった動きを見逃さず、《A》の太腕がエリゼの胸倉をつかみあげる。

「きゃあ!」

 抵抗する間もなく、力いっぱいに背後の木の幹に叩きつけられる。肺から空気が絞り出され、エリゼはずるとへたりこんだ。

「ひ……め、さま」

 遠のく意識と狭まる視界。その中に小さな子犬が映っていた。

 

 エリゼを守るように、割って入ってきたルビィを《A》は嘲笑を浮かべて見下ろした。

「あっちにいってろ」

 サーベルで追い払おうとするも、ルビィはその場を動かない。業を煮やした《A》は、「どけと言っている」と声を荒げて、剣先を突き付けた。

 ぐるる、と唸るルビィ。

「はは、やろうってか?」

 嘲る口調を濃いものにした時、風もないのに葉がざわめいた。まるで唸り声に呼応するかのように。

 ルビィの全身の毛が逆立った時、異変は起こった。

 木から伸びる枝葉の数々が、一人でに折れ、しかも地面に落ちることなく滞空しているのだ。二、三本のレベルではない。大小合わせて、その数は優に二十本を越えていた。

 さらに唸る。

 枝の先が一斉に《A》に向いた。

「ひい!? な、なんだよ、この犬……う、うわああ!」

 大きく吠えると同時に、襲いかかる枝の群れ。

 経験したことのない恐怖に、《A》は枝が到達する前に失神していた。

 

 

「エリゼ! おい、エリゼ!」

「……にい……さま?」

 旧校舎の入り口前で、エリゼは目を覚ました。

 心底安堵した様子で、リィンは額の汗を拭う。

「ど、どうして。ここは……?」

「ルビィに引っ張られて、林の奥でエリゼを見つけたんだ。場所が悪かったから、とりあえずここまでは出てきたんだが」

「そうだったんですか。……! 姫様、姫様は!?」

「まだ動かない方がいい」

 起き上がろうとするエリゼをやんわりと制する。

「あそこに倒れていた男はもう捕縛した。それ以外は誰もいなかったが、まさかアルフィン皇女も一緒だったのか?」

「え、ええ。でも男が倒れていたって、兄様が私を助けてくれたのではないのですか?」

「ん? 俺がその場に着いた時には、敵はもう意識を失っていたが」

 きょとんとするエリゼは、そばにちょこんと座るルビィを見た。ルビィは尻尾を振るのみだ。

 そこにクロウとトワがやってくる。

「リィン君もエリゼちゃんも、ケガはない!?」

「そんなとこにいたかよ。状況報告だ。グラウンドと校舎内はあらかた片付いてる。今のところ大きな被害は出てないぜ。……それにしても、あいつらの目的は何なんだろうな」

 クロウはぼやいた。

「帝国解放戦線は壊滅しただろ? 残党が各地に残っているのは想定できるが、どうしてわざわざこの学院を襲ってきたんだ。Ⅶ組に対する仕返しってわけでもなさそうだしよ」

「何を言ってるんだ、クロウ。あいつらがここに来た理由は、ほぼ間違いなくアルフィン皇女だろう」

「……は?」

 クロウは目を丸くして、聞き返した。

「アルフィン皇女が来ているのか? 今日、この学院に?」

「いまさら何を言って――ってそうか」

 リィンは気づいた。

 最初にアルフィンが自分たちの前に現れた時、クロウは綱引きの後で保健室に運ばれていた。

 二度目は昼食を一緒に取った時だが、その際もクロウは、中当ての後で保健室に運ばれていた。彼が戻ってきたのは昼休憩の終わり。アルフィン達が元の観覧席に戻ったあとである。

 つまりクロウはアルフィンと顔を合わせていないのだ。

「クロウには直接伝えるべきだったな。混乱を避けるために、俺たちもみだりにアルフィン皇女の名前を口に出さないようにしていたし……クロウ?」

「いや、ようやく合点がいった」

 クロウは口を閉ざし、何かを思案する。

「リィン君、考えよう。エリゼちゃんの話ではアルフィン皇女は連れて行かれたんだよね。あの林は入り組んだ上に整備もされてないけど、迂回すれば町にも街道にも出られるの。急がないと追えなくなっちゃうよ」

 考え込むトワ。リィンも手元にある全ての情報と状況と可能性を、今一度頭の中で精査してみた。

 もう一回ルビィに匂いをたどらすのはどうか。やれるかもしれないが、すでに林を抜けていたとしたら、今からあとを追うのは時間がかかり過ぎる。先回りする必要があった。

 相手はどこに向かう。本当の目的はなんだ。アルフィン皇女をさらってどうする。帰るべき本隊はもうないのに。

「本隊……」

 本隊はもうない。だが彼らのように残党が各地に残ってる可能性は高い。実際、ルーレでの一件以降、軍は包囲網を広げて、その発見と捕縛に力を注いでいる。

 ならば彼らの望むこととして、考えられる可能性は二つ。

 壊滅したとされる本隊、あるいはそれに相当する規模の集団が残っているのなら、そこに合流すること。もしくは自分たちが残党の中心となり、各地で潜伏する勢力を再び集めること。 

 アルフィン皇女はその為のキーだ。彼女さえ手中にあれば、軍も迂闊な強硬手段には出れない。

「……どうやって」

 当然、さらうだけでは不完全だ。彼女を連れたまま長距離を移動することも難しい。手の内に彼女がいることを、一気に知らしめるだけの方法が必要だ。

 この界隈でそんな方法など――いや、ある。

 そう、一つだけあるではないか。

 三人同時にその答えにたどり着き、異口同音に彼らは言う。

『トリスタ放送局!』

 そこしかない。放送範囲はせいぜいヘイムダルまで。だがそれで十分。一たび帝都に伝われば、いかに情報規制をかけようとも、あっという間に騒ぎは拡がる。

 盤石とは言い難いリスキーな策だ。しかし彼らにとっては賭ける価値のある策なのだろう。低いには違いないが、確かに成功確率はある。

 加えて今日は日曜日。アーベントタイムがある日だ。時刻は早いが、放送準備自体は整っているかもしれない。

「まずいよ、リィン君! もし本当にそうなら急がないと」

 放送が始まったら終わりだ。しかしどんなに走っても十分はかかる。もう猶予が残されていない。

「トワ会長は教官達に報告を! クロウは俺と一緒に放送局へ。ってルビィ!?」

 二人に先駆けて、ルビィが正門側へと走る。

「勇ましいじゃねえか。俺らも続くぞ」

「ああ!」

「待ってくれ」

 そこに汗だくのジョルジュがやってきた。

「学院外捜索の可能性も出てくると思ってね。これでリィン君が先行してくれ」

 ジョルジュは運んできたそれを、リィンの前で停める。

「アンが君に託したものだ。捕われのお姫様を助けるにはうってつけじゃないか」

 

 ●

 

「あとは動かずにいるんだな。どのみち動けないだろうが」

 トリスタ放送局内。受付とエントランスを兼ねたそのスペースの隅で、二人の男女が目隠しと猿ぐつわをかまされていた。一切の状況が分からないよう、念入りに耳栓までされている。受付嬢のララとディレクターのマイケルだ。

「お前もだ。放送が繋がったら、まずはお前の口から状況を説明してもらう。その方が現実味が増すだろうからな」

 《C》が目を向けたのはミスティだった。手首は縛られているものの、後ろの二人のように口まで封じられていない彼女は、「うーん、困ったわねえ」と安穏な態度のまま首を巡らせた。

「ふん。パーソナリティとか言ってたが、妙な女だな」

 《C》は応接ソファーに横たえているアルフィンに視線を移した。

 もうそろそろ嗅がした薬も切れる頃合いだ。素直に従うとも思えなかったが、一声だけでもマイクに肉声を吹き込めればそれでいい。

 全てはこの時のためだ。

 あれ程の反撃にあったのは正直予想外だったが、こちらもあの規模の学院を相手取って、その全域をたった二十六名で制圧できるとは最初から考えていない。

 目的は皇女を引き連れてトリスタ放送局にたどり着くまでの時間稼ぎ。アクシデントが起こった場合、作戦の途中で学院勢に捕縛されるメンバーもいることも承知している。

 それでも事が成れば、大局を一手で覆すことができるのだ。

 彼らの尽力の上に、今自分はここに立っている。

「う……んん……」

 アルフィンが身じろぐ。

「よし、お前。放送ができる状態にしろ」

 ミスティは肩をすくめた。

「無理よ。機材なんて普段いじらないし。ディレクターにやってもらえばよかったんじゃない?」

「見よう見まねでも出来るだろう。早く従え!」

 銃を突き付ける《C》を見やって、彼女は軽く嘆息をついた。

「本当に困ったわ。この時期に余計なことはして欲しくなかったんだけど」

「なに?」

 その目に冷ややかな色が映る。

 窓の外で鳥の鳴き声が聞こえた。しかしそれは唐突に響いた犬の鳴き声によってかき消される。

 蹴り開けたせいで歪んだドアの隙間から、一匹の子犬が駆け込んできた。

「こいつ、さっきの犬か?」

「あら。可愛らしいナイト様だこと」

「かまっていられるか。早く放送のセッティングをしろ」

「その必要はないみたい」

 ミスティはくすりと笑った。

 直後、呻りをあげる導力バイクが、窓ガラスを盛大に突き破った。けたたましい音をばらまきながら、着地した鉄の馬がガラス片を踏みしだいて横滑る。

「トールズ士官学院特科Ⅶ組、リィン・シュバルツァーだ。これ以上、好きにはさせない」

 じゃりっと床を鳴らし、彼は室内中央にまで歩み出る。

 仮初めの《C》と、Ⅶ組のリーダーが対峙した。

 

「派手な登場ねえ。ぶつかってたらどうするのよ?」

 ミスティは冗談めかすように言った。

「驚かしてすみません。全員の位置は気配でわかっていましたし、時間がなかったもので……」

「ふふ、でも助かったわ」

「ミスティさんは下がっていて下さい」

 太刀を鞘から抜き放つ。

「また赤服か。どこまでも俺達の邪魔をして……!」

「アルフィン皇女は返してもらう」

「黙れ!」

 サーベルを抜いた《C》が斬りかかってくる。剣の腕はリィンと比べるべくもなかった。敵の刃を鍔元で受け、鎬で流し、物打ちで払い、切っ先を突き付ける。

 たったの一合だが、実力の差は明白だった。

「もうやめて投降しろ」

「断る!」

 サーベルとは反対側の手で銃を持ち、素早くリィンの胸を狙ってトリガーを引き絞る。

 吠えたルビィが《C》の足首に噛みついた。痛みに顔をしかめ、放った銃弾は大きく狙いを狂わせて、天井を撃ち抜く。

「この犬がっ!」

 ぶんと足を振り、《C》はルビィを引きはがす。アルフィンのいるソファーの近くまで、ルビィは床を転がった。

「ルビィ!」 

 その隙をついて、《C》はリィンの横をかいくぐり、部屋の端まで退いているミスティに迫った。銃を向けている。人質にするつもりだ。

「ミスティさん、逃げて下さい!」

 乾いた銃声。窓の外から飛来した一発の銃弾が、《C》の銃身のど真ん中を貫いた。窓の向こう遠く、クロウがちらりと映る。

「ちくしょう!」

 砕けた導力銃を投げ捨て、ならば素手でと再びミスティを睨んだ時。背後に強烈な畏怖を感じて、《C》は強張った動きで振り返る。

「無関係の人を傷つけるつもりなら、容赦はしない」

 射抜くような眼光が、真っ直ぐに《C》を見据えていた。

 下段に構えた切っ先に熱が灯る。床がちりちりと鳴り立ち、大気中の塵が炙られて、無数の火の粉が舞い踊った。

 切っ先で生まれたわずかな火種は、刃を伝いながら見る間に勢いを増し、鍔元に至る刀身の全てを炎で包み込む。

「くそ、くそ、くそ……!」

 陽炎に揺らぐ刃が、頭上に掲げられる。押し迫る凄まじい熱気に、《C》が臆したのはわずかな間に過ぎなかった。

 その刹那の内にリィンは動いていた。弾かれたように力強く踏み出し、一瞬で間合いを蹂躙する。思い出したようにサーベルを横にして、防御の構えを取る《C》。

 紅の残光が尾を引き、一直線に駆け抜ける。

 大気を焼き尽くす業火の一閃。

 炎熱と斬撃が合わさり、サーベルは真っ二つに溶断された。衝撃に痺れる腕を無理やり動かし、《C》は腰に隠してあった近接用のナイフを掴む。

 それを引き抜くよりも早く、ひるがえったリィンの二太刀目が、返す刀で逆袈裟を擦過した。

「かっ……!」

 荒ぶ炎が全ての企みを灰にする。

 《C》はついにくずおれた。ぶんと刃を振るい、リィンは刀身に燻ぶる熱を払う。

 いまだ舞い散る火の粉の中に、有角の獅子紋が映えていた。

 

 ●

 

 夕焼けがグラウンドを赤く染める。長い一日が終わりを告げようとしていた。

 そのグラウンドでは、Ⅶ組とサラ、エリゼ。そして無事に帰還したアルフィンが顔をそろえている。

 リィンはサラから現状を聞いていた。

 捕縛した帝国解放戦線残党は二十六名。全員の証言は一致しているが、念のため校舎内や各施設の安全確認作業は続いている。彼らの移送はナイトハルトが指揮を取って行うとのことだ。

 来訪者や関係者への謝罪や状況説明は、学院長も含め教官達が総出で行っている。トリスタ放送局も窓が砕け散った以外は、被害はそこまで大きくないらしい。もっとも窓の件はリィンによるものだが。

 今日の放送や号外新聞でも、残党が現れたことは取り上げられるが、アルフィン皇女が絡んでいた件については、昨今の様々な事情により伏せられることになったそうだ。

 無論、伝えるべきところにはきっちりと詳細を報告することになっているが。とはいえ今回の件でトールズ士官学院は事態解決に尽力した形なので、取りたてて矢面に立たされるわけではない。

 この場合、リムジンで拘束されていた四人の護衛達が責任を追及されるのだが、それに関してはアルフィンが“自分のわがままを押し通した結果”だとして、最大限の擁護をすると言い張っている。

「しかしどうなることかと思いましたが、ご無事で何よりでした」

 ユーシスがアルフィンに言った。

「皆さんには助けてもらってばかりですね。私も一人で動いたのは軽率でした。これから気をつけます。エリゼもそれでいいかしら?」

「本当に心配したんですから。約束ですよ」

 エリゼも心底安堵した様子だ。

 落ち着いてきた頃合いで、彼らは一つの問題を思い出す。

 フィーが言った。

「体育祭、結局勝負がつかなかったね」

 解放戦線が割って入ってきたのは、二対二で騎馬戦の決着がつく前だ。閉会式も行われていないが、おそらく引き分け扱いとなるだろう。

 つまりサラの学院水着掃除は立ち消えとなる代わりに、ルビィの飼い主探しや預かり期間延長の交渉を画策していたことが、全て白紙に戻ってしまったのだ。

「こればかりはどうしようもないわね」

「望み薄だが、学院長に願い出てみるか?」

「うーん……」

 一様に頭を抱える面々の中、エリゼが口を開いた。

「あの、兄様。ユミルの実家にルビィちゃんを連れて行けるかという話なんですけど」

「え、ああ! どうだったんだ?」

 以前エリゼが第三学生寮にやってきた際に、リィンはそのことを頼んでいた。

「やっぱり家にはバドもいるから、難しいとのことでした」

 バドとはシュバルツァー家の飼い犬である。

「そうか……まあ、そうだよな」

「それで――」

 後の言葉を継いだのは、アルフィンだった。にこりと微笑んで、皇女は言う。

「それで、その子は私が預かることにしましたわ」

 一瞬、場が制止して、

『ええええええ!?』

 全員で大絶叫。

 エリゼが経緯を説明する。

 体育祭の応援に来るに当たって、エリゼはアルフィンにもルビィのことを伝えていた。

 初めは興味深げに聞いていただけだったのだが、ユミルの実家でNGが出てしまい、兄の期待に応えられず落ち込む彼女を見て、アルフィンは自分から飼い主候補の一人として申し出たのだという。

 ただし最後の最後まで手を尽くしても他の飼い主が見つからなかった場合、そしてアルフィン自身がルビィを気にいった場合という、二つの条件付きでだ。

 今日アルフィンが学院にやってきたのは、Ⅶ組の応援はもちろん、ルビィを見るためでもあったのだ。 

「ということは、殿下はルビィを気にいられたということですか?」

「ええ、それはもちろん」

 リィンの問いにアルフィンは満面の笑みで答えた。

「ルビィちゃんが私を助ける為に走り回ってくれたことは、エリゼから聞いています。おぼろげですが、必死で吠える声もちゃんと届いていましたから」

「……そうでしたか」

「でも預かるだけです。皆さんの誰かがルビィちゃんと過ごせるようになったら、引き取りに来てあげて下さいね。きっとそれが嬉しいはずです。セドリックにも話していますし、お父様にも承諾はもらっていますから」

「こ、皇帝陛下のご承諾……!」

「それに私、あの子の名前も気に入ったんです」

「名前?」

 アルフィンは離れたところで座っているルビィを見やった。こちらに来ようともせず、あさっての方向を向いて尻尾を振っている。

「ルビィって赤い宝石のことでしょう? 皇族の色は赤。Ⅶ組の制服の色も赤。私と皆さんを繋ぐ名前としては、これ以上なく相応しいものかと思いますが」

 Ⅶ組勢の視線が、“これ以上なく相応しい名をつけた人物”に注がれる。

「え? いやー、あはは。ですよねえ。我ながらいい名前をつけたと思います。あはは……」

 この流れでビールが語源などと、サラに言えるわけもなかった。

「ほら、ルビィ。こっちにいらっしゃい」

 居たたまれなさから逃れるように、サラはルビィを呼んだ。

 

 

 虚空を眺めるルビィの目には、一人の男子学生が映っていた。

 緑色の服を着て、生徒会の白い腕章を巻いた“彼”。

 心の内で彼らは会話を交わしていた。お互いにそれが最後の会話になるとわかっていた。

 

 ――ありがとう。あの林の中で力を貸してくれて

 

 ――いや、よくがんばったな

 

 透ける手が頭をなでる。感触はない。だがとても暖かなものを、ルビィは感じていた。

 

 ――また困ったら助けてくれる?

 

 ――俺はもう行かなくちゃいけないよ

 

 ――どうして?

 

 ――やり残したことを全部やったからさ

 

 ――やり残したことって?

 

 ――俺を救ってくれたあいつらの力になること。それから――

 

 ――それから?

 

 ――お前の行く末を見届けること

 

 彼は微笑し、また頭をなでる。

 

 ――あいつらと過ごした時間はどうだった?

 

 ――楽しかったよ、とても。シャロンのご飯はおいしいし、サラはいつだって笑ってくれるし

 

 ――そうか

 

 ――リィンはいつも大変な目にあってるし、クロウはこっそりおやつをくれるし、ユーシスは子供たちと遊ばしてくれるし、フィーとは一緒にお昼寝するし、ミリアムはよく遊んでくれるし、アリサは時々怒るけど、一人でいるとかまってくれるし

 

 ――そうか

 

 ――マキアスはからかうと面白いし、ガイウスはいっぱい散歩に連れて行ってくれたし、エリオットは色んな音楽を聞かせてくれたし、エマはいつも優しいし、ラウラは作ったご飯を食べさせてくれたし、それは死んじゃうかと思ったけど。でも本当に楽しかったんだ。だから……

 

 ――だから?

 

 ――みんなと離れたくないよ

 

 ――別れはいつか、必ずやってくる。でも心配しなくていい

 

 ――どうして?

 

 ――過ごした時間はなくならないから。育んだ絆はなくならないから

 

 ――よくわからないよ

 

 ――お前にはまだまだ先がある。拡がり続ける未来がある。ゆっくり知ればいいさ。……さあ、そろそろ時間だ

 

 ――消えちゃうの? いなくなっちゃうの? もう会えないの?

 

 ――言っただろう。育んだ絆はなくならないって。お前が俺を覚えていてくれるなら、いつかまた、どこかで会える日がきっとやってくるよ。

 じゃあ、またな――

 

 ぽんと軽く頭を叩いたのを最後に、彼の姿はルビィにも見えなくなった。

 あの優しい匂いも、もうしない。

 だけど不思議と悲しくはなかった。

 なぜなら彼は、また会えると言ったから。

 

「ほら、ルビィ。こっちにいらっしゃい」

 

 大好きなあの声が自分の名を呼ぶ。

 そう、また会える。だからもう、寂しくない

 サラに向かって、ルビィは力いっぱいに駆け出した。

 

 

 ● ● ●

 

 

 ――後日談

 

 盛大に開かれたルビィの送迎会も終わり、散歩がてらのあいさつ回りも済ました数日後の昼下がり。

「子犬を引き取りに来ました」

 第三学生寮の扉を開いてそう言ったのは、クレア・リーヴェルトだった。

 今日は非番で、これまた勤務外なのだがアルフィン立っての頼みで、このお願い事を受けたのだという。

「皇女殿下は直接伺いたいと仰っていましたが、この間の一件もありますので、さすがに陛下もお止めになったそうです」

「はは、まあ、そうでしょうね」

 リィンは苦笑した。

「クレアだー!」

 ぴょんと飛び跳ね、ミリアムはクレアに抱きついた。その横から歩み出たフィーが「この前はども」と親しげな挨拶を向ける。

「……ミリアムちゃんはともかく、あなたとはルーレ以来のはずですが」

「何言ってるの? この前、学院中に罠を仕掛け回った時にアドバイスを――」

「ひ、さ、し、ぶ、り、ですね?」

「……うん、久しぶり」

 まさかあの時の黒幕は。疑惑の目がクレアに向けられるが、彼女ははぐらかすように視線を逃がして、「ああ、その子ですか?」とソファーの上のルビィを見た。

 サラが言う。

「ええ、そうよ。分かってると思うけど、ヘイムダルまでに何かあったら承知しないわよ」

「要人護送用の特別車で来ましたから、万が一はないと思いますが」

「よ、要人護送用……」

「預かるだけとはいえ、皇室の犬となるわけですから。万全を尽くすよう言付かっています」

 そして別れの時。

 ルビィも分かっているのか、全員の間をとことこと抜けて、クレアのもとまで歩いていく。それぞれが一言ずつ再会を約束する言葉をかけながら、その旅立ちを見送った。

 最後にエマが歩み寄り、おもむろにルビィの首輪を外す。代わりにと、そこに巻いたのは赤いスカーフだった。

「みんなで話し合って用意したんです。ルビィちゃんに新しい飼い主が見つかって、いつかここを出ていく日がくれば渡そうって。これは私達の制服に使われている生地と同じものですから」

 Ⅶ組の小さな仲間。その証として。

「それじゃあ、また会う日まで」

 

 

 子犬の送迎にしては、あまりにも物々しい車に乗せられて、ルビィはヘイムダルに向かっていった。彼の新しい住まいはバルフレイム宮だ。

 車のドアが閉まる寸前、ルビィは大きく一吠えした。さみしさを滲ませない元気な声で。あたかも“ありがとう”と言ったかのように。

 車が見えなくなるまで見送ったあと、彼らは順々に寮の中へと戻る。

「うええー、ルビィー! シャロン、ティッシュ~」

「あらあら、サラ様ったら。はい、どうぞ」

 ずっと我慢していたのだろう。堰を切ったようにサラは泣き出してしまった。

「サ、サラ教官、二度と会えないわけじゃないですから」

「水飲む? アメ食べる?」

 アリサとフィーがサラをなだめつかせる最中、まだラウンジの隅に残ったままの犬小屋を見て、リィンは言った。

「ルビィがここに来てから二ヶ月か。何だか騒々しい毎日だったな」

 幽霊騒ぎに始まり、煉獄料理試食会、屋台勝負、マルガリータ制圧、ユミルの温泉事件、教会での劇、トラップ騒動、トーナメント料理対決、そして体育祭。個々で挙げれば、もっと色々あるのだろう。

 だが、まだ終わりではない。

「一息つくのは早いか。ここからはステージ練習が待っているわけだし」

 忙しない日々はまだ続くのだ。

「そ、そうだった」

「ふむ。時間もない。さっそく取りかからねばな」

 やる気は皆十分。

「エリオット、音楽指導頼むよ」

「うん、できるまで眠れないと思ってね」

 笑顔でさらりと怖いことを言うエリオットには苦笑いを返して、リィンはクロウに向き直った。

「クロウは総合演出を任せるからな」

「おう、任せとけ」

 いつものように軽く腕を掲げてみせたクロウに、「頼りにしてるぞ」とリィンは付けくわえた。

 なぜか今言うべきだと思ったのだ。

「なんだよ、急に。むずがゆいぜ」

「はは、何でもない」

 過ごした時間はなくならない。育んだ絆はなくならない。

 いったい誰から聞いたのか、不意に心中に結実した言葉を胸の奥に留め、リィンは全員の姿を視界に収めた。

「さあ、次は学院祭だ!」

 

 

 

 ――虹の軌跡 END――

 

 

 

 




最終話までお付き合い頂き、ありがとうございます。

おまけを含めて全55話。これにて虹の軌跡は完結となります。

長くご愛読頂いた皆様には感謝の念が絶えません。元々は閃Ⅱ発売まで軌跡の世界に浸ってたいなーなんて、思って書き始めた拙作ですが、色々な方からの応援に押され、何とかエンディングまで持ってくることができました。(ゲーム的にはエンディングではありませんが……)

好き放題に描かせて頂きましたが、終始楽しく話を作れたのが何よりでした。

というわけでルビィの名前と魔獣達の名前の意味は、あの通りでした。魔獣達の名に関してはご感想の中で見抜かれてしまったのですが、ルビィに関しては裏の意味もあったのです。
アルフィンとの会話でそれが表に出るように、一話から最終話まで続くながーい伏線でした。回収できてよかったなあ(しみじみ)

ここからは大勢の方と同じく閃Ⅱの発売を心待ちにして、中々執筆中は読めなかった他作者様の小説をじっくり読み進めようかと思います。
もしかしたら、おまけの方を細々更新していたりもするかもしれません。

それでは虹の軌跡の締め括りと参りましょう。

     《ENDING ROLL!》

リィン・シュバルツァー……作中絆を深めた相手(色々)。作中記憶を失った回数(3回)

アリサ・ラインフォルト……作中絆を深めた相手(フェリス)。マルガリータとの交戦回数(4回)

ユーシス・アルバレア……作中絆を深めた相手(ロジーヌ)作中いちゃいちゃしやがった回数(10回)

フィー・クラウゼル……作中絆を深めた相手(ケネス?)彼を直接的、間接的に虐げた回数(10回 ※ガイラーさん含めるともっと多い)

ミリアム・オライオン……作中絆を深めた相手(マルガリータ?)マルガリータとの交戦回数(4回)

ガイウス・ウォーゼル……作中絆を深めた相手(クレイン)クララ部長に脱がされた回数(2回)追い詰められてカラミティホークを放った回数(5回)

ラウラ・S・アルゼイド……作中絆を深めた相手(モニカ・ポーラ様・ブリジット)攻撃料理を作った回数(9回)

エリオット・クレイグ……作中絆を深めた相手(ケインズ・ミント?)猛将疑惑をかけられた回数(11回)

エマ・ミルスティン……作中絆を深めた相手(ガイラーさん一択)ガイラーさんに絡まれた回数(13回 描写してないだけで、台詞から推測した感じ20回以上)

クロウ・アームブラスト……作中絆を深めた相手(なし。これは仕方ない……)マルガリータにぶっとばされた回数(4回)

マキアス・レーグニッツ……作中絆を深めた相手(アラン、飛び猫、ドローメ)眼鏡が割れた回数(10回 ※夢の中とグラサン含む)


以上でした。ではではまたお会いする日まで。

THANK YOU FOR YOUR READING!! 

By テッチー

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