虹の軌跡   作:テッチー

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虹の軌跡、正真正銘最終更新です。今までありがとうございました!


ちょっとだけ閃Ⅱ(後編)

 ――七耀歴1203年、七月中頃――

 

「あ、こんなところにいた! 早く起きてよー!」

 まどろみの底に沈んでいた意識が、体を揺さぶられる感覚と共に戻ってくる。

 目を開くと太陽が眩しかった。顔をしかめるよりも早く、陽光は自分の顔をのぞき込む一人の少女によって遮られる。

 トワ・ハーシェルだった。あくびをしながら目をこすると、トワはさらに体を揺さぶってきた。

「もう、クロウ君!」

 名を呼ばれ、ようやくのろのろと体を起こしたクロウは、ずれていたバンダナの位置を直し、頭をぽりぽりとかく。

 確か屋上で昼食のパンをかじって、少し眠くなったからここで寝たのだったか。思考が回り始めるにつれて、そんな経緯を思い出した。

「なんだよ、まだ昼休憩だろうが」

「あと二分で終わりだよっ」

 むくれた顔のトワは急いだ様子で、クロウの手を引いた。

「おいおい、何だってんだ」

「何だじゃないよ。サラ教官に言われてるでしょ」

 言われてそれも思い出す。

 そう言えばそうだった。面倒事が残っていた。

「……ああ、先に行っててくれよ」

「ダメだよ、一緒に行くの!」

 休憩の終わりを告げる鐘が鳴り、トワが「わわっ!」と焦った声を上げた。

 わたわたと先にトワが走り出し、一つ首を巡らせてからクロウも後に続く。

 夏の始まり。日差しは今日も暑かった。 

 

 

      《I remember you》

 

 

「二人とも遅いわよ」

 グラウンドに着くと、腰に手を当てたサラが待ち構えていた。

「す、すみません」

 謝るトワだが、決して「クロウ君を呼びに言っていたから」などの言い訳はしなかった。庇っているつもりなのだろうか。そんな必要はないのに。

「クロウは? 何か言うことある?」

「ん、何もねーぜ?」

「いや、謝りなさいよ」

 呆れた様子のサラは「もういいからそこに並びなさい」と軽く手で示す。

 そこ、と言われて目を向けると、一足先に来ていたらしい別の二人がいた。

 ジョルジュ・ノーム。どっしりした体付き。温和な顔付き。最近技術部に入ったらしく、黄色のつなぎ姿でいるのをよく見かけるが、今は自分と同じ緑色の学院服だ。

 アンゼリカ・ログナー。ログナー公爵家令嬢。貴族生徒用の白い学院服を着ていて、ショートカットの細面。しかし貴族令嬢らしからぬ言行が目立つ。小耳に挟んだ程度だが、武道の心得もあるらしかった。

 その横にトワとクロウも向かう。

 定位置に付くと「まあ、何で召集されたかは察しがつくけどね」とジョルジュが苦笑いを向けてきた。

 それは自分にも分かっている。クロウは腰元のホルダーに目を落とした。収まっているのは一つの戦術オーブメント。

 案の定正解だったようで、サラはそれを取り出すよう四人に指示をする。

「さてと質問。君達が手にしているそれは何? トワ、答えて」

「は、はい」

 サラに名指しされて、トワは背すじを伸ばした。

「えっと、ラインフォルト社製の新型戦術オーブメントです。《All-Round Communication & Unison System》という機能が組み込まれていることから、略称で《ARCUS》と呼ばれています」

「結構。ではその組み込まれている機能を端的に説明して。じゃあ、ジョルジュ」

「導力を使った遠隔通信と、戦闘における高度な連携を可能にするリンク機能です」

「はい、正解。ではどうしてこの《ARCUS》が君達に貸与されているのかしら? 次、アンゼリカ」

「正規品として精度を高める為のデータ集め。そして来年から発足されるという特化クラスⅦ組の運用方針を定める為、だったかな。要はまだ見ぬ後輩達の下準備だ」

「そうね、それが前提。それでは最後の質問よ。どうして君達は今ここに集められているのかしら。クロウ」

「この前の実習の結果が芳しくなかったから、だろ」

 聞かれるまでもなく、分かりきっていることだった。

「そういうこと」とうなずいてから、サラは「特に君達二人のね」と付け加える。順に動く視線は、クロウとアンゼリカに向けられた。

 どちらも表情は変えず、平然と――いや、どことなく憮然としている。

 あらましはこうだ。

 四人は《ARCUS》の試用対象者として選抜され、定期的にサラ指導の下、学外に赴いて実戦運用や、そのシミュレーションなどを行っている。肝心のリンク機能は概ね良好。各組合せを試してみても戦術リンクは一定のパフォーマンスを発揮した。

 ――クロウとアンゼリカ、この二人を除いては。

 入学しておよそ三か月。新型オーブメントのテスターに選ばれたと聞かされて二か月。実際の試験運用が本格的に始まって一か月。

 二人の関係は、未だ良好とは言えなかった。

「まあ、ある程度は想定してたことだけど。とはいえリンクが使えない状態では、この先のカリキュラムにも支障を来たすわ」

 クロウが口を挟む。

「別に俺を降ろしてもらってもいいぜ。こっちから頼んだわけでもねえし。適任は他にもいんだろ?」

 流せる程度の軽口の範囲だった。しかし、それがアンゼリカの気に障ったらしく、にわかに鋭くなった目をクロウに注いだ。

「なんだよ、アンゼリカ? 言いたいことがあるなら言ってもらって構わねえぜ」

 含みを持って横目で見返してやる。アンゼリカは「だったら言わしてもらおう」と一歩前に出た。

「以前の屋外実習の時、私とのリンク中に一瞬手を抜いただろう。曲がりなりにもリンクしていたから分かる。あれは何のつもりだ?」

「別に何のつもりもねえけどな」

 野外フィールドを使った二体二の模擬戦闘。トワ、ジョルジュ班に対するクロウ、アンゼリカ班だったが、開始五分程度で物の見事にリンクブレイクを起こし、結局その日の実習はそれ以上行えず延期となった。

「君は理由もなく手を抜くのか?」

「だから抜いてねえって。ちょっと小石につまずいて気がそれたんだよ」

「リンクはそんなことでは切れない」

 自分を抑えながらも小さな苛立ちを隠しきれないアンゼリカ。明確には答えようとせず、冗談めかしたり、どこかはぐらかしている雰囲気のあるクロウ。

「アンちゃん、その辺りで……」

「クロウもだよ」

 トワとジョルジュがそれぞれをなだめた。

「まったく。ともかく今から前回の補習を――」

「サラ教官!」 

 本校舎側から誰かが走ってくる。ハインリッヒ教頭だった。思いがけず「うわっ」と声が出てしまったサラの表情は、露骨にひきつっている。

「この後は教官会議だろう。学生達は自習だ。こんな所で何をやっているのかね!」

「え、ええー……そうでしたっけ?」

「何を今さら、これだから君は。いいから早く来たまえ。君以外の教官はそろっているぞ」

「ち、ちょっと引っ張らないで下さいよ! あ、補習は今日の放課後にやるからね!」

 ハインリッヒにずるずると引きずられる形で、サラは本校舎に連行されてしまった。

 気まずい沈黙だけが残る。

「えーと、とりあえず教室に戻ろっか?」

 一応の締めくくりはトワがした。ちなみにクラスはそれぞれ違う。

 その場を離れる面々。

 クロウの前を通り過ぎる時、アンゼリカは「君は――」と小さく言った。

「何がしたくて士官学院に入ったんだ」

 

 

 放課後。

 三々五々に教室から出ていくクラスメート達の背を見送りながら、クロウは軽く伸びをした。

「何がしたくてここに来た、か」

 その言葉がいつまでも頭の片隅に残っている。

 何がしたくて? あえて答えるなら身を隠す為だ。凡百の一生徒として。いつかたった一発の引き金を引く、その日の足掛かりの為に。

 だから悪目立ちはしたくなかった。故にこの《ARCUS》とやらの試験運用者に選ばれたのは誤算だった。

 それを差し置くとしても――

「何でだろうな」

 目立ちたくないとは言え、適度に人付き合いはこなしている。冗談も言うし、クラスの足並みも外さない。そんなクロウ・アームブラストだった。可もなく不可もなく。無理に演じているつもりもない。

 最初に絡んできたのは向こう――アンゼリカからだった。特に嫌われることをした覚えもないから、元々の性格が合わなかったのだろう。別にこちらは嫌われようとも、特別好かれようとも思わない。いや、むしろ嫌われていた方が都合がいいかもしれない。

 そこまで考えて、自嘲の笑みがこぼれる。

 それはそうだろう。

 自分がこの輪に居続けることはない、絶対に。誰かと親しくなれば、必ずそれは足枷になる。一番憂慮すべきことだ。

 付かず離れずの関係。それが最善。お互いの為にも。

「クロウ、まだ教室にいたのかい?」

 不意に声をかけられた。戸口にジョルジュが立っている。

「そろそろ行こうとしてたところだ」

「へえ、来ないかもと思って迎えに来たんだけど。その必要はなかったかな。まあ、せっかくだし一緒に行こうよ」

 意外に鋭い。半分くらいは行こうかどうか迷っていた。

「おお、行こうぜ」

 とは言え、それを表に出すことはない。

 クロウは荷物をまとめて席を立った。

 

 

「私はクロウが気に入らない」

 廊下を歩きながら、アンゼリカは隣のトワにそんなことを言った。トワは困った顔を浮かべて「なんでなの?」と聞き返す。

「なんでだろうね。実の所自分でもはっきりわからないんだ」

「な、なにそれ。そんなことで嫌っちゃだめだよ、アンちゃん」

 四大名門の公爵家令嬢。普通に考えて、平民生徒が愛称で呼べるような相手ではない。だがアンゼリカは畏まった態度を取られることが苦手だと、最初の顔合わせの時に、あだ名で呼んで欲しいと皆に頼んだのだった。

 トワは“アンちゃん”。ジョルジュは“アン”。だがクロウだけは「まあ、追々な」などと言って“アンゼリカ”で通している。

 別に不仲はそれが原因というわけではない。

「彼の言動も行動も……私には上辺だけのものにしか感じられない」

 調子を合わせながらも一定の距離を保ち、決してそれ以上は踏み込んでこない。

 顔が笑っているくせに、心が笑っていない。顔を向き合わせているのに、心がこっちを向いていない。

 何かが虚ろだと、アンゼリカは言った。

「そうかなあ、私にはよく分からないけど」

「武道をやってると、そういう事に敏くなるんだ。理屈じゃなくてね」

 アンゼリカは笑い、トワの頭をポンと叩く。

「むう、同い年なのに子供扱いはやめて欲しいんだけど。これ以上背が縮んだら困っちゃうし」

 頬を膨らますトワを横目に見ながら、アンゼリカは明るい口調で言う。

「だったら私が責任を持とうじゃないか」

「ど、どういう意味?」

「知りたいかい?」

「ふええっ!?」

 仰け反るトワに、アンゼリカの手が伸びた。

 

 

 ジョルジュと取り留めのない会話を交わしながら、クロウもグラウンドに向かう。途中、いくつかの教室の前を通りがかった。

 荒いだ声が聞こえる。

「おい、フリーデル! 昨日の勝負、俺は認めてねえからな!」

「あら、ロギンス君。どうしたの、怖い顔をして」

「すましてんじゃねえよ、練武場に来やがれ。昨日の勝負はまぐれだって教えてやる」

「ふふ、別にいいわよ」

 確かフェンシング部の二人だ。女子の方が滅法強くて、上級生でも敵わない程らしい。雰囲気的にあのガラの悪い方が負ける気がする。

 次は別の教室の前で、女生徒二人が言い合っていた。

「ちょっとテレジアさん、今日は練習がある日でしょう」

「そういう気分じゃないの。私に構わずエミリーさんは出たらいいじゃない」

「ラクロスはチームプレイよ。皆で練習することに意味があるの。先輩達も待ってるんだから」

「悪いけど、これで失礼するわ」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 話しぶりからしてラクロス部か。同じ一年同士だが、どうも折り合いが悪い様子だ。

 この学院は貴族生徒と平民生徒が混在する。この手のトラブルは例年の事と聞いていた。自分とアンゼリカも、その中の一例なのだろうと、感慨もなくクロウはそう思う。

「うーん、色々あるみたいだね」

 見た目通り穏健派のジョルジュは、特に誰と仲が悪いということもない。単純に《ARCUS》を使う上では高い適正の持ち主と言えるだろう。

 こんな対人関係にも依存してしまうような戦術オーブメントが、果たして普及し、実際の戦闘に耐え得ることができるのだろうか。

 ふと自分達が《ARCUS》を渡された二つの理由を思い出す。サラはこう言っていた。

 ――リンク者の立場や思想、性格が異なった時、《ARCUS》はそのポテンシャルを発揮できるのか。それを測る為。

 ――あとは女の勘よ。

「………」

 前者は理解できる。後者は理解できない。

 女の勘などと当てにならない上、それがあのサラのものとなると、尚の事当てにならない。 

 そもそも、立場や思想など千差万別。極論を言えば、無差別に四人選んでもさしたる問題はないはずなのに。

「ひゃああっ」 

 唐突に響く甲高い声。トワだった。廊下の少し先でアンゼリカとじゃれあっている様子だ。

「あ、クロウ君、ジョルジュ君! 二人もグラウンドに行く所?」

 助けの求め先を見つけたトワは、わたわたとクロウ達に駆け寄った。

 アンゼリカとクロウの目が一瞬だけ交わる。が、それだけ。特に何もなかった。

 トワとジョルジュもわずかに変わった雰囲気を敏感に悟ったようだが、そこに触れるようなことはしない。

「ちょうどいいし、四人で行こう――ん?」

 ジョルジュが言った時、廊下の突き当たり、階段から奇妙な物体が上ってきた。

 

 

「なんだ、こりゃあ」

 初めて見るものだった。

 全身を覆う白銀のボディ。金属質なのだが、丸みがあって柔軟性も感じる。双眸らしきものと腕のようなものはあるが、足はない。その上、ふよふよと滞空している。

「銀色の……傀儡?」

 トワが端的な感想を述べた。実際それ以外に表しようがない。

 未知との遭遇に四人ともが動けないでいると「おや、何をしているんだい」と、そこはかとなくキザな声が聞こえてくる。

 傀儡に遅れて階段を上ってきたヴィンセントだった。確か伯爵家だったか、などとクロウが記憶をたどる間に、彼はつかつかと銀色の物体に歩み寄る。

「ふっ、美しいな。この流れるようなフォルム。硬質でありながら滑らかな触り心地――」

 ヴィンセントが大仰な仕草で傀儡を撫でようとする。小さく駆動音がした。

「ヴィンセント君、逃げて!」

「え?」

 最初に勘付いたトワが叫ぶ。しかし、

「ぶばあっ!?」

 ぐるんと急速回転した傀儡、その腕の一撃がヴィンセントの頬を打ち据える方が早かった。

 吹き飛び、壁に激突したヴィンセントはどさりと床に倒れる。

「これは……!?」

 とっさにアンゼリカが拳を構える。傀儡は弾かれたように動き出し、高速でその脇をすり抜けていった。

「あ、君達!」

 階段からサラが駆け上ってくる。彼女は突っ伏したヴィンセントを一瞥するや「遅かったわね……」と髪をかき上げた。

「あの銀色の傀儡は戦術殻って言ってね。君達の模擬戦闘用にも使えそうだったから色々といじってたんだけど」

『……けど?』

 異口同音に四人の声がそろう。一様に嫌な予感があった。

「出力最大にしてみたら、その状態で暴走しちゃって。こっちの制御をまったく受け付けないのよ」

『……で?』

「君達にあれを止めて欲しいのよ。それが今日の補習ってことでいいかしら」

 いいかしらとはどう言う了見だ。

 じとりとした視線が注がれ、「な、なによう」とサラはたじろいだ。

「が、学院長に報告に行ったら、私も手伝うから」

 けたたましい音が廊下に響いた。

 調理室前の廊下に調理器具やら食器が散乱している。そこに一人の男子生徒が倒れていた。調理部のニコラスだ。上回生に頼まれたかで、運び物の最中に戦術殻に襲われたらしい。

「このままじゃ被害が拡がっちゃう。私達で何とかしよう」

 その間にも、新たな悲鳴が遠くから上がる。

「了解だよ」

「是非もないね」

「しゃあねえな」

 トワの意に応じる三人。

「それじゃ頼んだからね!」

 無責任な声援を背に受けながら、四人は一斉に廊下を駆けだした。

 

 

 フルパワーの戦術殻は想像以上だった。出力もさることながら、スピードが速い。鬼ごっこ状態になると、まず追いつける相手ではなかった。あっという間に見失ってしまう。

 そこでクロウ達は散開。発見次第《ARCUS》で連絡を取り合うことにした。

 捜索道中――

「だあああ!」

 水泳部では戦術殻に蹴り上げられ、見事な飛び込みと無様な着水をクレインが披露した。

「うあああ!」

 写真部では戦術殻が暗幕をひっぺ返し、フィデリオが現像途中だった全ての写真を台無しにした。

「僕の眼鏡があ!」

 第二チェス部では突如押し入ってきた戦術殻が、ピンポイントでステファンの眼鏡だけを破壊した。

 トワ達の決死の追走も虚しく、あらゆる場所で被害を撒き散らす戦術殻。

 結局追い詰めたのは、本校舎に戻った先――屋上だった。

 

「ここなら誰にも迷惑がかからないよ」

 汗だくの額を拭い、トワは《ARCUS》を取り出した。武器は携行していないので、アーツと体術だけで目標を制圧しなければならない。

「前衛は私が務めよう。よろしく、トワ」

「ま、俺も前衛だよな。ジョルジュ頼むぜ」

 光軸が走り、トワとアンゼリカ、クロウとジョルジュ、それぞれがリンクする。

 先行するアンゼリカ。

 滑らかな初動。腰の上下も少なく、体幹も乱れていない。卓越した武道の体捌きだ。素早く間合いを詰め、アンゼリカは鋭い蹴足を見舞う。 

 回避行動を取った戦術殻だったが、かわし切れずにバランスを崩した。

 続いてクロウが踏み込み、体のバネを使った裏拳を放った。頭部に一発、硬質な音が響く。

「痛って!」

 骨身に返ってきた衝撃に思わず手を引いた。見た目通りだが、やはり外装甲は硬い。

「アンちゃん、クロウ君、下がって!」

「アーツを撃つよ」

 トワとジョルジュが《ARCUS》を構えている。

 リンクしているから、どのタイミングでアーツを放ってくるかが手に取るように分かる。

 クロウとアンゼリカは飛び退いた。

「ぐっ!?」

「うっ!?」

 そして互いの位置を見誤り――いや、見てさえおらずぶつかり合う。二人して、どすんと尻もちを突いてしまった。

「おい、どこ見てんだ!」

「それはこっちの台詞だ」

 体勢を立て直すよりも早く、余計な口の方が先に出る。

 その間に、二人よりも先に体勢を立て直した戦術殻。大きく双腕を振りかぶる。

「危ない!」

 一瞬の判断だった。トワは即座にリンク相手をジョルジュに切り替えた。呼吸を合わせて、二人同時にアーツを駆動させる。

 トワは氷系。ジョルジュは炎系。射線上のクロウ達を上手く避けながら、二つの導力魔法が弧を描いて戦術殻に迫った。

 しかし外れる。直撃の寸前、戦術殻がさらに後退したのだ。目標を捉えられず、衝突する氷と炎。一気に屋上全域に水蒸気が押し拡がった。

 誤算だったが、一度撤退する好機でもあった。戦術殻は想像以上に厄介。作戦が必要と判断したトワは声を飛ばす。

「みんな、一度校舎内に戻って! 早く!」

 白霧に覆われる視界の中、揺れる影が近付く。クロウか、アンゼリカか。

 そのどちらでもなかった。

 どういう優先順位が設定されていたのか、前衛の二人を無視した戦術殻が眼前に迫っていた。銀の腕が突き出され、トワの《ARCUS》を弾き飛ばす。

 同期した所有者から離れた《ARCUS》は、リンク状態を維持できずに強制解除される。

「あっ」

 途端にジョルジュの位置が認識できなくなった。拡張していた感覚が収束し、瞬く間に一人分に戻る。かろうじて分かったのは、リンクが切れる寸前、彼がひどく焦っていたらしいということ。

 戦術殻が再び銀の腕を振りかぶった。逃げられない。身を強張らせ、硬く目をつむる。

「トワ!」

 飛び込んできたジョルジュがトワをかばう。

 惑う挙動も見せることなく、戦術殻は二人をまとめて打ち払った。

 

 白く霞んだ視界の中、トワの《ARCUS》がクロウとアンゼリカの間にカラカラと転がってくる。その直後にジョルジュのくぐもったうめき声も聞こえた。

 見えなかったが、二人にも状況は理解できた。

 アンゼリカの表情に焦燥の影がよぎる。

 一方のクロウは冷静だった。

 多分トワ達はやられた。どの程度のダメージを受けたのかは分からない。敵の狙いは今どこを向いているのか。何をすれば効果的に立ち回れるのか。次の手を考えなくては。

「……てめえ」

 冷静でいられるはずだった。

 カードゲームをする時のように、不確定要素を常に予測しながら、最善と思える手段を選択していく。感情で動いたりはしない。大局を見失うから。そうなれば合理的な判断もできなくなり、足元をすくわれることにも繋がる。

 分かっているのに。それなのに。

 手の平に汗が滲んでいた。

 奥底に沈殿させていたはずの冷えた心が、細かに震え小さな熱を灯していた。

 自分でも予期しない心の動きだった。思いもしなかった言葉が次々と湧いて出てくる。

 

 なぜ俺達を待った

 早く逃げればよかったのに

 あいつら無事なのか

 ちくしょう

 よくも

 やりやがったな――

 

 衝動に突き動かされるまま、立ち上がる。気付いた時、クロウは叫んでいた。

「アンゼリカ!」

 腹から出した声。上辺ではない、芯と心が通った強い声。

 驚いた表情を見せたのもわずか、アンゼリカもすぐに立ち上がり、いつもの不敵な笑みで応じてみせる。

「同感だ」

「まだ何も言ってねえ」

「いや、分かるよ」

 言葉で確認する必要はなかった。

 《ARCUS》から伸びる光が、すでに二人を繋いでいる。

 

 風が巻き上がり、滞留する水蒸気を一気に吹き散らす。

 アーツを駆動させたクロウの傍ら、アンゼリカは旋風の中を疾駆した。

 晴れた視界に倒れたトワとジョルジュが映る。トワを守ろうとしたのだろう、ジョルジュは彼女に覆い被さるように伏せていた。

「そこから離れてもらうぞ」

 トワ達に向けて無感情に機械的な動作で、腕を構え直そうとしている戦術殻をアンゼリカが蹴り飛ばす。衝突した先のフェンスが、豪快な音と共にひん曲がった。

「このまま一気に片付けるとしよう」

「任せとけ……あ?」

 戦術殻のアイセンサーが怪しげな光を放つ。腕の突端に輝粒が凝集されていき、高出力のレーザーブレードが顕現された。

 一払いでズッパリと両断される金属製のフェンス。

「これは洒落にならねえもん出しやがったな」

「ふむ、隙を見て一度退くかい?」

「分かってんだろ」

「愚問だったな」

 クロウとアンゼリカは同時に戦術殻へと肉薄する。

「腕の可動域に気を付けるんだ」

「レーザーが伸縮する可能性も忘れんじゃねえぞ」

 空気を焦がす一閃をかい潜り、クロウは相手の腕を跳ね上げる。そのまま開いた空間に滑り込んだ。戦術殻の動きが鈍る。

「こんだけ接近すりゃ逆に何も出来ないだろ」

 無論、それはこちらも同じだったが、しかし狙いは一つ。サラが引き上げたという戦闘設定の解除である。打撃、アーツで決定打を与えられない以上、それが一番効果的な策だ。

 一目で分かる緊急停止スイッチでもあれば幸いだったが、そう上手くはいかなかった。

「どこだよ……!」

 当然目につく場所にはない。あるとしてもおそらく内部。頭部か、背部か。相手も止まっていない。有効攻撃範囲に移動しようとしている。間合いを離されないようにするのが精一杯だ。

 不意にレーザーブレードが消え、戦術殻の動きも止まった。

「導力切れか? 今だ、アンゼリカ!」

「いや、待て!」

 胸部の一部がスライドする。中に見えたのは暗い孔。砲口だ。

「しまっ――」

 ブレードを消したのは、エネルギーを内部に充填する為か。

 遅れた理解。遅れた反応。視界の中でスパークが弾ける。

「クロウ!」

 アンゼリカが拳を繰り出すも、白銀の外装に阻まれる。しかし突き出した拳を引くことはしなかった。その態勢のまま、アンゼリカは後足に力を集中させる。

 地から生まれ、足を流れ、丹田を介し、背を、肩を、腕を伝った力が、掌から放たれる。伝播する波動が装甲を縦貫し、直接戦術殻の内部へと叩き込まれた。

 ズンと重い衝撃が走り、体内機構をズタズタに破壊された戦術殻は、至る所から黒煙を吐き出した。ガクンと腕を垂らし、完全に動かなくなる。

「な、何だよ、今のは」

「……ゼロ・インパクト。寸勁の一種だが、いや、実戦で成功したのは初めてだな。無我夢中だったよ」

 少し呆然とした様子で、アンゼリカは自分の手を見つめた。

「とんでもねえ。自分が食らいたくはねえな」

「君の態度次第と言っておこうか」

「おい」

 クロウの軽口に、アンゼリカは初めて笑みを返した。

 その折、「いてて……」と、のろのろジョルジュが身を起こす。その下で「むー……」と下敷きにされたトワが伸びていた。戦術殻の一撃よりも、ジョルジュのボディプレスの方が堪えていたらしい。

 ともあれ、二人とも無事のようだった。

 

「さて、補習とやらは終了でいいのかな」

「おおよ。完璧だろ」

 どこか雰囲気が変わった様子のクロウとアンゼリカを見て、トワとジョルジュは顔を見合わせる。

「どうしたのかな、二人とも?」

「まあ、いいんじゃないか」

 視線に気付いたアンゼリカがジョルジュに歩み寄った。

「そういえばジョルジュ、トワを庇ってくれたんだね。私からも礼を言わせて欲しい。ふふ、意外と男らしいじゃないか」

「え、あ。べ、別に大したことじゃないさ」

 急にどもるジョルジュ。今度はクロウとトワが目配せをして、二人して思わしげな笑みを浮かべる。 

「ねえ、あれどうしたらいいかなあ」

 思い出したようにトワが指を差す。プスプスと煙を昇らせる戦術殻だった。スクラップ同然である。再起の可能性は、多分見込めない。

「止めろって言われてたと思うけど……壊しちゃったし」

「まあ、いいんじゃねえか。一応止まってるしよ。そもそも非はサラにあるんだし、後片付けは任せといていいだろ」

「手伝うと言っていたが、結局間に合っていないしな」

「そういうことだね。それよりもみんな、動き回ったから小腹が空いてないかい?」

 ジョルジュが大きな腹太鼓をぽんと叩く。

「あはは。うん、お腹減ってるよ」

「この時間なら食堂もまだ空いてるだろう。クロウはどうする?」

 アンゼリカに問われて、クロウは答えた。

「ああ、俺も行くぜ」

 足並みを乱さない為に――ではなかった。

 この三人とテーブルを囲みたい。そう思った。不覚にも思ってしまった。

 ずっと外側に立っていたつもりだったのに、いつの間にか内側に入ってしまっていた。自分でも戸惑うくらいに、まったく予想していないことだった。

「ちょっと待ってくれ、クロウ」

 トワとジョルジュの背に続いて、学生会館へと歩を向けようとした矢先、アンゼリカが声をかけてきた。

「なんだよ?」

 わざとらしく咳払いをしてから、アンゼリカは言う。

「そろそろ君も私の名を呼んでくれるのかな」

「名前なんていつも――」

 ニックネームのことか、とクロウはすぐに察する。

 トワとジョルジュは『アン』と呼ぶ。同じになってしまっても何だか捻りがない。

 ああ、そうだ。だったら。

「……ゼリカ、でいいだろ」

「……ひねくれ者め」

 肩をすくめながら、アンゼリカも屋上の戸口をくぐる。   

「まあ、よしとしようじゃないか」

「なんで上から目線なんだよ」

 まったく、と苦笑する。悪い気分ではなかった。

 しかし、忘れるわけにはいかない。この先、どれだけ親しくなったとしても、いつまでも彼らと一緒にはいられないという事を。

 己の本分は、帝国解放戦線リーダー《C》。

 そびえ立つ鐘楼塔の影が、自分の体半分を暗く塗り込めている。

 忘れてはならない。いずれ自分は、彼らの信頼の全てを裏切る人間だという事を。

「………」

 “その時”が来た時、心を白紙に戻して、全てを割り切ることができるだろうか。正直そこまで出来るとは思わない。

 ただ、引き金を引くその瞬間に、躊躇をしないということだけは言い切れる。

「クロウ君、先に行っちゃうよー?」

「おう、今行く」

 この輪に入ったままで本当にいいのか。この居心地の良さを感じてしまってもいいのか。

 分からない。

 それでも今は――

 

 

 

 ――目を覚ます。

 クロウは辺りを見回した。昏い灯が広大な空間を照らしている。

 煌魔城最上層。

 宿命の終着点。全ての終わりが始まる場所。

「あら、お目覚め? この状況でよく眠れるものだと感心したわ」

 近付く足音に続いて、澄んだ声音が耳に届く。

「ヴィータか。昔から寝つきはいい方でな」

 深淵の魔女、ヴィータ・クロチルダ。彼女はクロウの傍らに立つと「それにしてもねえ」と苦笑する。

「そんなところに座り込んで。何かいい夢でも見ていたの?」

「ああ……」

 いい夢。そうなのだろう。穏やかに流れていた時間、身を包んでいた温かな日差し、他愛もなく何気ない語らい。輝いていた日々。失ったはずだった――もう手にすることもないと思っていた日常。

 トワ達と出会った。リィン達と出会った。たくさんのことがあった。

 当たり前の世界に身を置くことができた。

 だけど歯車はもう止まらなかった。止まれなかった。止まるつもりも、なかった。

 状況に流されたわけでもない。全ては自分の意志で成したこと。だから、後悔はない。

「夢には違いねえな」

 今となっては全てが遠い。

 だから、それらは本当にいい夢だったのだろう。

「……そう」

 ヴィータは視線を移し、クロウもそれを追う。

 フロアの最奥にて脈動する《緋の騎神》

 獅子戦役より遥かな昔、かつてヘイムダルを救った《巨いなる緋色の騎士》。しかし“彼”は暗黒の竜の呪いを受けて、今や《千の武器を持つ魔人》――忌まわれた存在と化した。

 すでに心の欠片も残っていまい。昂ぶることも、憂うこともなく、ただ目覚めの時を待つ力の塊。

 その騎神の前にカイエン公爵が立っている。

 横には椅子に座らされ、アルノールの血族として、己の意志とは無関係に騎神に力を注ぎ続けるセドリック皇太子。

 そして、その横にもう一人――

「……あいつがこの場にいる必要はねえだろう。あんたの力で外に出せないのか?」

「外よりはここの方が安全よ。多分ね」

 想定外のことだったが、考えようによっては都合がいいとも言えた。ヴィータの言う通り、身の安全を優先するなら、とりあえずはここでいい。カイエン公も無用な害は与えないはずだ。大人しくしていればの話だが。

 その時、大きな揺れがあった。この最上層まで届く程の。

「……来たか」

「私が張った結界にかかったみたい。エマが無理やり突破したようだけど」

「委員長が? 灰の騎神じゃなくてか?」

「温存のつもりかしらね。さて、と」

「行くんだな」

「時間はかからないと思う。すぐに戻るわ」

 ヴィータは歩き出す。数歩進んだところで、彼女は闇に溶けるようにして消えた。

「俺は――」

 立ち上がり、自分が今まで背もたれにしていたものに振り返る。

 片膝を付いて静かに控える《蒼の騎神》オルディーネ。

「俺は待つぜ。……なあ、リィン」

 迫る約束の時。

 紅い瞳を揺らがせて、クロウは紺藍の機体を見上げた。

 

 

 

 

 

 『虹の軌跡Ⅱ ~Prism of 《ARCUS》』に続く。

 

 

 




冒頭の挨拶は何なんだって感じでしょうか。
というわけで次回より『虹の軌跡Ⅱ』が始まります。
実はⅡを描くことはかなり前から決めており、この『ちょっとだけ閃Ⅱ』はその布石やら伏線の意味合いもありました。

正題は『虹の軌跡Ⅱ ~Prism of 《ARCUS》』
Prism――プリズムとは光を分散したり屈折したり反射したりする多面体のことで、作中のテーマともなります。

まずストーリー形式で本編スタートから開始ですが、例によってオリ主はおりません。ただ、それだと本編を追走するだけになってしまうので、今回の話のラストで少しその辺りにも触れておりますがオリジナル展開としました。

もちろん、これまでのような短編も挟みながらで、虹の軌跡の人間関係、イベントは全て引き継ぐ形となります。話もリィン視点だけでなく、サブも含め全員分から描いていくつもりです。ああ、ケネスどうしよう……

おまけも含め、これにて『虹の軌跡』は全編終了となります。
少し準備期間でブレイクしますが、近い内にゆるゆる戻って参ります。
今までお付き合い頂き、そしてご感想などで応援頂き、本当にありがとうございました!

テッチー

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