虹の軌跡   作:テッチー

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そんなⅦ組の一日 ~ユーシス

9月12日(自由行動日) 11:30 ユーシス・アルバレア

 

 第3学生寮を出て学院側へと向かう。

 天気はすこぶる快晴。九月も半ばに差しかかる頃だが、残暑の日差しは、じりじりと肌を照りつける。

 約束の時間は13時。とはいえ早めに着いて色々準備しておきたい。

 学院側と言っても別に学院に行くわけではなかった。用があるのはトリスタ礼拝堂だ。

 なぜこんなことになったのか。そう、これは昨日の帰り際のことだ。

 

 ●

 

「あの……ユーシスさん?」

 授業も終わり、部活もなかった俺はそのまま寮に帰ろうとしていた。その聞きなれない声に呼び止められたのは、ちょうど正門をくぐった時だった。

 声の主は門の端に静かに佇んでいる。

 おとなしそうな雰囲気で、伏し目がちな女子生徒。ショートカットのブロンドヘアが特徴的だ。

 ああ、見覚えがある。確か名前は――

「ロジーヌと言います。初めまして」

 そうだった。同じ一年のロジーヌだ。他のクラスとは合同授業くらいでしか接点がないが、彼女の顔は覚えていた。

 特別実習の朝に駅へ向かう途中、早朝にも関わらず礼拝堂の玄関口を掃除している姿を何回か目にしたことがある。とはいえ直接話したことはない。

「俺になにか用か?」

「はい。……その」

 言いづらそうに、もごもごと口を動かしている。意味がわからない。

 何やら躊躇していたらしいロジーヌは、やがて意を決したように伏せていた目を上げた。

「明日、礼拝堂に来る子供たちに授業をしてあげて欲しいんです」

「……は?」

 余計に意味がわからず、彼女の澄んだ瞳を見返す。

「実は……明日は日曜学校があるのですが、急用でシスター・オルネラとパウル教区長がヘイムダルまでお出かけになるそうで。それで子供たちのお世話を一緒にお願いできないかと思いまして」

 理由はわかるが理屈がわからん。なぜ俺なのか。

「そういうのはⅦ組に適任のやつがいるんだが。リィン・シュバルツァー、知っているか?」

「存じています」

 こういった頼まれ事はあいつの専売特許だろうに。そういえば実習でノルドに行った時も子供たちに授業をしていた。

「リィンさんにはさっき頼みに行きました。ですが明日は予定が多いらしくて引き受けて頂けなかったんです」

「そうか。それでなぜ俺のところに来た?」

「私の困った様子を見たリィンさんが『だったらユーシスに頼んでみたらどうだ。あいつ明日は予定ないはずだし、子供の面倒見も意外といいんだ』と」

「リィン……!」

 勝手なことを。なぜお前が俺の予定を把握しているのだ。寮に戻ったら散々文句を言ってやろう。

「どうでしょうか。突然のお願いなので無理は承知なのですが……」

「そうは言われてもだな」

「ダメですか?」

 そんな迷い犬のような目で見るな。しかし明日予定がないのは事実だし、気乗りはしないがうまく断る理由も見つからない。色々と言い訳を思案していると、

「そうですか、無理ですよね。私のような者の頼みなどお聞きして下さるはずがありませんよね」

「な、なんだ、急に」

「貴族様、それもアルバレア家のお方に、このようなこと……申し訳ございません」

 何なのだ、この流れは。俺が悪いのか?

「うう、きっと明日、私一人で子供たちをまとめることなどできるはずもなく、礼拝堂は荒れに荒れ、今まで平和だった日曜学校は学級崩壊を起こすのです。未熟な私に対する父母の方々からの叱責と折檻は、それはもう正視に耐えないものでしょう。もちろんユーシスさんに非はありません。全ては私の至らなさです」

「おい」

「ユーシスさんに非はありません」

「繰り返すな、強調するな」

 両の手を組み合わせて、ロジーヌは潤んだ瞳を空へと向けていた。

「ああ。ルーディ、カイ、ティゼル。力及ばない私を許してね」

「わ、わかった。引き受けよう」

 つい言ってしまった。もう撤回はできない。その言葉にロジーヌは嬉しそうに笑っていた。

 

 

 ――12:00

 回想も程々に、気がつけばもう礼拝堂だ。

 扉の前でロジーヌが立っていた。その装いはいつもの学院服ではなく、黒色を基調に白いラインの入った七耀教会の修道服だ。

「お待ちしておりました、ユーシスさん」

「……早めに来たつもりだが」

 にこやかに出迎えてくれるが、いつから立っていたのだろうか。ずいぶん暑かったはずなのに、それでも彼女は涼しげな表情をしている。

 ロジーヌの先導で堂内に進むと、中央の赤絨毯の左右に設置された縦並びの長机、そして最奥に位置する教壇が視界に入ってくる。いつもの礼拝堂だ。

「俺はあそこで授業とやらを行うのか?」

「そうです」

「いや、しかしあの場所は……」

 当たり前のように返してくる。あそこは教区長しか立つことを許されない教壇だぞ。

「今日は教区長様に許可を頂きました。どうぞ、存分に教鞭を振るって下さいね。外出からのお戻りは16時前だそうですよ」

 ここに来てみても、やはり教壇に立つ自分が想像できない。

 とりあえず教科書の用意だ。今日は歴史と算数らしい。委員長にだけは事情を伝えて、簡単な参考書を借りてきたので、これを元に教えていくつもりだ。

 あれやこれやと準備していると、

「ロジーヌ姉ちゃーん」

「ちょっと一礼が先でしょ」

「そそっかしいなあ……あれ? あの人、誰かな」

 三人の子供たちが礼拝堂内に入ってくる。教壇にいる俺を見て少し戸惑ったようだった。

 ロジーヌが経緯を説明すると三人は挨拶にやって来た。

 落ち着きがなく、いかにも悪ガキそうなのがカイ。カイとは反対におとなしい印象のルーディ。二人のまとめ役、お姉さん的存在のティゼル。

 町中で遊んでいるのを時折見かけることがある。

 いずれも昨日のロジーヌとの会話に出た名前だ。どうやらこの三人は年長で、あとは彼らより年下らしい。

 それからだんだんと子供たちが増え、あっという間に席が埋まっていく。十人ちょっとだ。

 いや、ちょっと待て。

「お前ら何してる」

 見知った顔が、さも当然のように後ろの席についていた。

「あはは、面白そうだからさ」

「うん、見にきたよ」

 ミリアムとフィーだ。Ⅶ組の中では年下二人組だが、さすがに日曜学校に交じると違和感がある。

「委員長からユーシスが礼拝堂で授業やるって聞いたからねー。のぞきに来たら表でフィーと会ったんだよ」

「ん。私はちょっと事情があるんだけど」

「お前らの事情など知らん。早く出ていけ。五秒くれてやる」

「またツンツンしてるー」

「そういうとこだよね」

 冷やかしに来たのならつまみ出す。

 そもそもあまりⅦ組の連中には見られたくないのだ。俺も口止めまではしていなかったが……口が軽いぞ、委員長。

「ロジーヌ。こいつらを外に出すぞ」

「いいえ、ユーシスさん。誰であっても勉強する気持ちがあるのなら、参加してもらって大丈夫です。女神の教えは平等ですよ」

 俺への不条理には寛容なようだが。

 控え目な女なのだが、なぜか口論では勝てる気がしない。

「はあ……好きにするがいい」

 授業開始までに事前準備と流れの確認はしておきたい。これ以上相手をしていられるか。俺は教科書を片手に教壇へと向かった。

 

 

 ――13:00

 ロジーヌが女神に祈りを捧げ、子供たちも彼女に続いた。毎回の事らしく、授業はこの礼拝のあとに行うという。

 祈りの時間も終わり、ロジーヌが俺のことを改めて子供たちに紹介する。

「――そういうわけで、今日一日みんなに勉強を教えてくれるユーシス先生ですよ。みんな、よろしくね」

 意外だ。ロジーヌの声は大きく、はきはきと話している。普段の印象とはまた違う。子供たちも大きな声で『はーい』と声をそろえた。フィーとミリアム、お前らはせんでいい。

「ユーシス・アルバレアだ。さっそく授業を始めるぞ」

「ユーシス、愛想ないぞ~!」

「そういうとこだよね」

 さっそくミリアムとフィーがいらんちょっかいをかけてきた。あいつら、やはりつまみ出すべきだったか。愛想のことなどフィーが言うな。そもそも授業に愛想などいるものか。

 俺は坦々と、完璧に授業をこなすのみ。面倒な二匹の猫のことなど思考の外だ。

「では近代史からいくか」

 ロジーヌから聞いた話では、子供たちは教科書を持っていないらしい。通う年代にばらつきがあるので、教科書のレベルを統一するのが難しいという。その場その場で話す内容を変えたり、その子供の理解度に合わせた質問をするそうだ。

「ではそうだな。俺たちの暮らすエレボニア帝国についてだ。我が国の国旗には何が描かれている?」

「はーい、はーい。おーごんのぐんばー!」

 当てるよりも早く答えたのはカイだ。

 答えはあっているが棒読みだったぞ。意味がわかって言っているのだろうか。なぜか彼は自慢げな顔でロジーヌに振り向いている。その顔をティゼルが荒っぽく正面に戻した。首からゴキリと鈍い音が響き、つかの間カイは白目になる。大丈夫か、あれは。

「正解だ。ではなぜ軍馬が描かれている?」

 その問いには皆が押し黙り、当てられまいと下を向く。しかしフィーとミリアムまで顔をうつむけているのはなぜだ。お前らはこの前の授業で習っただろうが。

「ではミリアム、答えろ」

「ユーシスのいじわる! 悪質ないじめだぞー! 尊厳ある扱いを希望するー!」

「そういうとこだよね」

 何がいじめなものか。そしてフィーはさっきからそれしか言わない。そっちの二人は無視して、子供たちに教えなければ。

「いいか、かつてドライケルス大帝がノルドの地で挙兵した際に……いや、そもそも軍馬というものはだな――」

 きょとんとした顔で俺の説明を聞く子供たち。少し難しかったか。

 ここで年長のティゼルが口を開いた。

「この国を作った人がね、お馬さんに乗っていっぱい戦ったんだよ。だからみんなでお馬さんを大事にしようねってことになったんだ」

 ティゼルがそう言うと、子供たちは『そーなんだあ』と納得した様子だ。俺の説明を聞いた上で、わかりやすく周りに伝えている辺り、中々のしっかり者だ。

「よし次は――」

 その後も度々ティゼルからのフォローを受けながら、なんとか歴史の授業を終える。

 体力は使っていないはずだが、すさまじい疲労感だ。

 だから後ろの席の二人。なんでお前らまで疲れているのだ。

 

 

 ――13:40

 算数の授業だ。歴史の授業に比べて幾分かやりやすい。

「5たす4は? ではルーディ」

「えと、9です」

「正解だ」

 ルーディは指を折りながら、計算して答えた。まだ暗算ではむずかしいのか。ならば、これならどうするのだろう。

「続けてルーディ。7たす6は?」

 これなら両指を使っても足りまい。案の定困っている。すると、となりに座るカイが自分の指もルーディに貸して、数字を数え始めた。

「あっ、13です」

「いいだろう。正解だ」

 しかしティゼルは納得いかなかったようで「そんなのズルよ!」と声を大きくした。

 なるほど、少し彼女の性格が分かった。しっかり者だが、自分の中で筋が通らないことは看過できないらしい。この場合は、ティゼルの言い分も認めながら場を収めるのがいい気がする。

「いいか、ティゼル。これが試験なら確かにズルだ。しかし今は違う。わからない問題をみんなでわかるようにするのは大切なことだ」

「で、でも」

「もしお前が答えをわかっていたのなら、遠慮せずに教えてやるといい。ただし答えをではないぞ。答えの出し方をだ。さっきカイはルーディに答えを教えていたか?」

 ティゼルは賢い。きっと理解する。

「……ううん、先生ごめんなさい」

「謝るのは俺ではないだろう」

「うん、カイ、ルーディ、ごめんね」

 それでいい。ふとロジーヌの視線に気づいた。彼女は驚いたような表情を浮かべていた。俺の対応は間違っていたのだろうか。まあ構うものか。どのみち本職ではないのだし。

 そんな折、年少の男の子の一人がつまらなさそうノートに絵を描いている。どうやら計算が苦手らしい。

「どうした?」

 その子に近づき、腰を落として目線を合わせる。「けいさん、ぼくわからない」と今にも泣き出しそうだった。絵を描いていたことを咎められると思ったのだろう。小さな腕で必死にノートを隠そうとしている。

「隠す必要はない。上手く描けているじゃないか」

 その子のペンを使い、簡単に馬の絵を描いてやる。

「おうまさん?」

「そうだ。馬の足は何本あるか知ってるな? 四本だ」

 もう一頭、追加の馬の絵を描く。

「これで馬の足は全部で何本になった?」

 一生懸命、指で数えて、

「えと、八つ?」

「できるじゃないか」

 軽く頭に手を置いてやると、その子は顔を明るくした。

「先生、馬の絵上手だなー!」

 いつの間にか机の周りは子供たちが集まっていた。

「当たり前だ。俺は馬術部だからな。馬の絵だけではなく、馬のことなら何でもわかるぞ」

 言ったが最後、質問が嵐のように飛び交った。

「じゃあさ、馬ってどれくらいの早さで走るの?」

「やっぱり大きいの?」

「なに食べてるの?」

 馬の話なら無下にはできまい。一つ一つの質問に答えていく内に、見事に授業は脱線していった。

 

 

 ――14:20

 横道に逸れつつも授業は無事終えたが、ほっとする間もなく次の仕事だ。俺は授業をするだけではなかったのか。

「ユーシス、ボクたちのお菓子は~?」

 ミリアムが手をぶんぶん振って猛烈にアピールしてくる。

「お前らの分などあるか」

「フィー、今の聞いた? ひどいよね! 今日一番ひどい言葉だよね!」

「ないね。これはないと思う。陰険。悪質。人格を疑う。あとでユーシスの枕に爆弾を仕掛けよう」

「あはは、吹っ飛ばせー!」

 陰険で悪質で疑われるべき人格の持ち主なのはお前たちだ。なぜ俺がこんなやつらから非難を受けねばならんのだ。

 今は休憩がてらのおやつタイムだ。ロジーヌが焼いたクッキーと紅茶を子供たちの前に運んでいく。これを目当てに日曜学校に来る子供も多いらしい。

 露骨なのはカイだ。クッキーを前に「でへへへ」と締まりのない笑みを浮かべている。先行き不安な事この上ない。

 それにしても俺が給仕をするなどと、実家に知られたら大事件だ。

「あなた達の分もありますよ」

 ロジーヌはミリアムとフィーにもクッキーを渡した。

「わー、ありがとう! 頭を使うとお腹が減るんだもん」

「同感」

 どの口が言う。二人ともかなり早い段階で寝ていたくせに。

「ふえええん」

 今度は何だ。見れば年少の女の子が泣いている。

「あ、あたしのだけクッキーが少ない~」

「そんなことか。ロジーヌ、クッキーを一つ持って来てやってくれ」

「それが生地はまだあるんですが、焼いてあるのはそれが全部で……」

 なんということだ。《キルシェ》まで行って買ってくるか? いや、しかし――

 そんな時、フィーが女の子に歩み寄り、皿の上にクッキーを置いた。

「私のクッキーあげる。だから泣いちゃだめだよ」

「おねえちゃん、いいの……?」

「ん」

 フィーはその子にVサインを見せてやる。

 ……泣きやんだ。

 普段はⅦ組の中でも年下だから、あまりこういう姿は見ないが、意外に子供の面倒見がいいのだな。

 自分よりさらに年下の子供たちに、クッキーをたかりに行っているミリアムとは大違いだ。

 

 

 ――15:00

 クッキーを食べ終わると、今度は外で遊ぶらしい。

 ここまで来たら最後まで付き合うしかあるまい。

 学校と言っても、勉強ばかりではないようだ。俺は子供の頃から家庭教師だったから、日曜学校など行ったことがない。だから当然ではあるが、同年代で友人と呼べる存在はいなかった。

 それに、欲しいとも思っていなかった。

「ユーシスせんせー」

「力つよーい」

 体中にへばりつく子供たちを、半ば引きずりながら礼拝堂の外に出る。しかしこのタイミングで外に出てしまったことを死ぬほど後悔した。そこに一番この姿を見られたくない男がいたからだ。

「はあっはあ……くそう、まさか礼拝堂ってことはないよな。って君は何をしてるんだ!?」

 こちらに気付くと、マキアス・レーグニッツは声を上ずらせた。

 どうしてお前はこうタイミングが悪いのだ。いや、それより俺が知りたいのは、なぜこの男は礼拝堂前で息を切らしているのかだ。怪しい男め。

「今は君に関わっている場合じゃない。ルビィを見なかったか?」

 俺とて関わりたくなどない。ルビィ? 俺が知るわけないだろう。

「一体どうした。大方なにか取られたんだろう。お前は色々なところが抜けているからな」

「な、何だと!? いや、今はいい……くそっ、覚えておくといい」

 三下の敵のようなセリフを吐いて、レーグニッツは学院の方へと走っていった。相変わらず騒々しい奴だ。

 今みたいに誰かに遭遇する可能性があるから、やはり外で遊ぶのはまずい。

「お前たち、中に戻るぞ。たまには屋内で静かに遊ぶがいい」

「ユーシス!」

 踵を返した時、背後から呼ばれた。この声はすぐにわかる。

「リィンか。お前のおかげで俺は面白いことになっているぞ」

 精一杯の皮肉を込めて、振り向いてやる。そこにいたのは確かにリィンだったが、

「お、お前?」

「俺が悪かった! 許してくれ、ユーシス!」

 頭を下げるリィンの頭はずぶ濡れで、髪の毛からは水滴がとめどなく滴っている。頭だけではなかった。体全身だ。上着、ズボン、足の先まで水浸しではないか。

「この通りだ」

「わ、わかったから、頭を上げろ」

 まさか詫びのつもりで滝にでも打たれてきたのか。確かにこの男ならやりかねんが。

 これ以上責める気もないので、リィンには帰ってもらった。歩く度にびちゃびちゃと靴から水を吐き出して、第3学生寮の方向へと戻っていく。

 何かトラブルでもあったのだろう。あいつのことだ、案じても仕方あるまい。

 俺も足早に礼拝堂の中へと引き返すのだった。

 

 

 ――15:30

「ユーシス先生、何して遊ぶの?」

 子供たちがそんなことを聞いてくる。そんな面倒まで見ていられるか。

「遊びくらい自分たちで考えろ」

『え―――っ!?』

 大ブーイングだった。

 四方八方から、容赦なく罵り声が飛んでくる。だからⅦ組の二人がそこに交じるな。というかいつまでいる気だ。

 ここまで罵声を浴びるなど、おそらく人生で初だろうし、この先もまあ無いだろう。もっとも子供の軽口など、たかが知れている。痛くもかゆくもない。

 おもむろにミリアムとフィーが最前列にやってきた。

「やーい、ユーシスの陰険~、ボクを捕まえられるもんならやってみろー」

「嫌味金髪」

「いい度胸だ」

 お前らは見逃さん。紐で縛って馬で引きずり回してくれる。

 駆け回るそいつらを捕まえようとした時、フィーの背後からぬっと手が伸び、その肩をがしとつかんだ。

 フィーの体がびくりと強張る。

「フィーちゃーん? 探しましたよ~」

「い、委員長?」

「あら、ユーシスさん、一日先生は順調ですか?」

 なぜ委員長がここに。借りた参考書は今日の夜に返す話のはずだが。礼拝堂の薄闇に眼鏡が浮き立って妙な威圧感がある。

 委員長はフィーをつかまえたまま「うふふ、お邪魔しました」と不敵な笑みを浮かべて、出入り扉に引き返していく。

「……つかまっちゃった」 

 まるで襟首をつままれた子猫のように、フィーはどこかへ連行された。

 まあ、いい。厄介なのが一人減っただけだ。もう一人の厄介者に視線を向けて――俺は絶句した。

 巨大な傀儡人形が礼拝堂の中央で、ぐるぐる回っているではないか。その白銀の体のあちこちに子供たちをぶら下げたまま。

 なにをやっているアガートラム。よくもやってくれたなミリアム。

「ガーちゃんイエー!」

 イエーではない。横で見ているロジーヌが固まっているだろう。

「早くしまえ、あいつを!」

「えー? なんでー?」

 ぶーぶーと口をとがらせるミリアム。

「なんでだと? 帰ってくるからだ、もうすぐシスターと教区長が――」

 どさり。荷物が床に落ちた音。最大級の嫌な予感。首をぎこちなく動かして、ゆっくりと振り返る。

 最初に視界に入ったのは、床に横たわる手提げかばん。

 徐々に視線を上げていく。

 震えながら立ち尽くす二組の足が見え、次に胸前で手を組み合わせる姿が映った。祈っている。あれは祈っている。願わくば、アガートラムを降臨した女神の使者くらいに思ってもらえていれば。

 意を決して、表情を見る。

 彼らは青ざめ「どうか子供たちの命だけは……」とひたすらに嘆いていた。

 ダメだ。煉獄から顕現した悪魔にしか思われていない。固まっていたロジーヌが、我に返ったようにアガートラムの前に飛び出した。

「ち、違うのです。シスター・オルネラ、パウル教区長。これは、これは……」 

 いや無理だ。ロジーヌがどんな言い訳をしようとも、これは無理だ。

「ユーシスさんの私物です。今日は皆を楽しませようと持参してくれたのです」

 おい。

「ほ、本当かね?」

 そんなわけあるか。しかし、もうこれで突き通すしかあるまい。

「その通りです。アルバレア家を見くびらないでもらいたい。子供の頃はよく兄上もあれで遊んでいた……気がします」

 申し訳ありません兄上。あなたの気高き幼少時代の思い出を、わけのわからない銀色の物体で汚してしまいました。

「う、ううむ。た、確かに子供たちは楽しんでおるようだし」

 何人かは悲鳴をあげているが、頼むから気づいてくれるな。

「ところで、授業の方はうまくいったのかね?」

 パウル教区長の質問に、俺とロジーヌは声をそろえて言った。

『それはもちろん』

 

 

 ――16:00

 シスターと教区長が帰ってきたので、俺の役目は終わった。

 ミリアムは遊び疲れたのか、先ほど一人で帰っていった。どこまでも自分勝手なやつだ。

 扉を出たところの花壇まで、ロジーヌは見送りにやってきた。彼女は深々と俺に頭を下げる。

「今日はありがとうございました」

「気にするな。脱線した授業もあったしな。上手くはできなかったかもしれん」

 ロジーヌは一瞬きょとんし、相変わらず澄んだ瞳で俺を見ると小さく笑った。

「そんなことありません。ティゼルとカイ、ルーディを取り持った時も、馬の足で算数を教えた時も、ユーシスさんはいい先生でしたよ」

「そうか? 自分ではよくわからんが」

「もしかして、昔から子供に懐かれやすかったのではないですか?」

 そんなことはない、と思うが、故郷のバリアハートではよく子供達が話しかけてきたな。ミリアムは……あいつは別物だろうが。

「また機会があれば、お手伝いして下さいますか?」 

「気が向いたらな。では俺はこれで失礼する」

 子供の相手は大変だ。

 これを日常的にこなしているのだから、ロジーヌも実際大したものなのだろう。学生寮に足を向けようとした時、「あ、待って下さい」とロジーヌが何かを差し出してきた。

 丁寧にラッピングされた、小さな桃色の包み紙。

「おやつの後、またクッキーを焼いたんです。今日のお礼としてはささやかですが、その……受け取ってもらえると嬉しいです」

 クッキーはまだ温かかった。単に温度の話ではなく、心が入っているのだとわかる。子供の頃から慣れ親しんだ、伯父の作ってくれたスープの温かさに似ている。

「ありがたく頂こう」

「優しい目をされるのですね」

「目つきは悪い方だと自覚しているが」

「そうでしょうか? 私は思いません」

 ロジーヌは微笑んだ。

 礼拝堂の扉が勢いよく開き、子供達が雪崩のように飛び出してくる。

「ユーシス先生、今日はありがとう!」

「また来てね!」

「算数の勉強しとくからー」

 体中にまとわりついて離れない子供たちを、ロジーヌが一人一人引きはがして順に整列させていく。その手並みはさすがのものだ。何が“私一人で子供たちをまとめることなどできるはずもなく”だ。

「まったく。お前たち、あまりロジーヌに面倒をかけるなよ?」

『はーい!』

 元気のいい無邪気な返事が帰ってくる。わかっているのか、いないのか。多分わかっていないな。

 その中の一人――カイが近づいてきて、小声でぼそりとつぶやいてく。

「ロジーヌ姉ちゃんは渡さねえからな」

「なんのことだ……?」

 カイはすぐにルーディとティゼルに両腕を掴まれ、もとの列に戻された。

「あんたじゃ無理よ。知力、財力、権力、おまけに顔と身長。全部負けてるんだから」

「それよりカイ。あとでブレードやろうよ」

「うう……ちくしょー」

 子供には子供の事情があるのだろう。そんなことを思いながら、俺は礼拝堂を後にする。ロジーヌと子供たちに見送られながら。

 帰り道。

 手に持ったままの包みに目を落とす。せっかくだ。冷める前に一つだけ頂こうか。

 小さなクッキーを取り出し、一口。さくさくとした歯ごたえ。やわらかな風味が拡がっていく。

「……うまいな」

 今日の対価としては十分釣り合う味だ。疲れも充実感に変わっていく気がする。

 そうだな。たまにはこんな一日も悪くない。

 

 

 ~FIN~




最後までお付き合い頂きありがとうございます。
というわけで『一日』シリーズの一発目はユーシスでした。作中の時間やら、キャラクターのセリフなどでお察し頂いているかと思いますが、今回はⅦ組個々にスポットを当てながら、それぞれの『9月12日』を描くストーリーです。続きものではなく、時系列が同じ横並びの短編と受け取って頂けたら幸いです。もちろん、どこから読んで頂いても成立するような構成ですので、短編形式がお好みの方もご安心ください。
さて、今回メインで出てきてくれたサブキャラクターはロジーヌさんでした。意外なキャラの掛け合わせが好きなので、これからも色んなレアキャラが出るかもしれません。
それでは次回の『そんなⅦ組の一日』は……誰でしょうか

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