虹の軌跡   作:テッチー

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そんなⅦ組の一日 ~ガイウス

9月12日(自由行動日) 10:00 ガイウス・ウォーゼル

 

 目の前には真っ白なキャンバス。下書きのペンすらまだいれていない。

 いつも風景画ばかりだから、何か違うものを、と思っているのだが。正直さっぱり思い浮かばない。

 普段と違うといっても、あくまで俺らしく。自分の感性と違うものにいきなり挑戦しても、まあ多分描ききれないだろう。もっとも俺らしくというのも、今一つ掴みきれていないが。

「……どうしたものか」

 一人つぶやくも、打開策は見つからない。別に作品として出展するわけじゃなく、美術部の活動の一環なのだから、そこまで悩む必要もないのだが。

 少し町を散歩して気分転換でもしようか。ペンを置き、自室から出ようとした時、部屋の入り口にラウラが立っていることに気付いた。絵を描く時は換気も兼ねて扉を開けている。

「ラウラ。何か用か?」

「少しな。そなた、午後から時間は空いているか?」

 理解した。というより直感に近い。これは厄介事だ。しかし今日は一日予定がない。どうせ気分転換しようと思っていたところだし、まあいいか。

「大丈夫だ。特に用事はない」

「それは何よりだ。では十二時にギムナジウムに来るがよい。あ、水着を忘れないようにな」

 それだけ言うと、ラウラは踵を返して行ってしまった。エリオットの部屋も訪ねているようなので、召集されるのは俺だけではないらしい。

 一体何なんだ?

 

 

 ――11:00

 約束の時間にはまだ早いが、準備を整えて寮を出ることにした。あくまで絵の題材を探したいので、散歩はしておきたかったのだ。

 一階に降りると、ソファーにマキアスが座っていた。チェスを一人で指している

「やあ、ガイウス。出かけるのか?」

 マキアスが先に声を掛けてきた。

「ああ、少し用事ができたのでな」

「気をつけて行ってくるといい。お互い良い休日になるといいな」

 俺もチェスが出来れば、マキアスの暇潰しにくらい付き合えるのかもしれないな。そんなことを思いながら、俺は第三学生寮を出た。

 町を適当にぶらついてみる。

 トリスタの落ちついた雰囲気は好きだ。

 木々の間から吹き抜けてくる風も心地いい。ここに暮らす人たちも皆大らかで気がいい。ノルドを単身離れた時には、それなりに不安もあったのだが、Ⅶ組とみんなと出会って日々を過ごす内に、いつの間にかそんな気持ちはどこかに消えてしまっていた。

「そう簡単に絵の題材など見つからないか……」

 せめてきっかけでもあればいいのだが。

 町中央の公園まで足を運んでみると、見覚えのある女子生徒がベンチに座っていた。

 あの後ろ姿は……Ⅰ組のフェリスといったか。最近アリサとよく一緒にいるのを見かける。

「今来たところですわ、今来たところですわ……」

 何かぶつぶつ言っているようだが、様子がおかしいし一応声を掛けておくか?

「すまない。大丈夫か?」

「今来たところですわ!」

「な、何がだ?」

 突然立ち上がって振り向いたと思ったら、いきなりそんな事を言われた。今来たところなのは俺の方だが。

「あ、あら。あなたⅦ組の留学生の……」

「ガイウスだ。ガイウス・ウォーゼル。驚かしたのなら済まない」

 フェリスはきょろきょろと辺りを見回し、ふうと深く息を吐くと、またベンチに腰を下ろした。

「もしかして誰かと待ち合わせか? アリサならまだ寮にいたと思うが?」

「そ、そんなことわかっていますわ。約束は十二時過ぎですし」

「まだ一時間近くあるぞ?」

 まさかこんなに早く待っているのか? これが噂に聞く“貴族の義務”というやつだろうか。貴族も楽ではないのだな。

「それも分かっていますわ! 用事がないなら早く行って下さいません?」

「ああ、では失礼する」

 ふいとそっぽを向いたフェリスにそれ以上掛ける言葉もなく、俺はその場を離れた。

 その後も色々と店を回ったりしたのだが、どうしても町中を歩くと公園付近を何度も経由することになってしまう。その度にフェリスがにらんでくるので、どうにも視線が気になり、俺は予定より早めに学院に向かうことになってしまった。

 

 

 ――11:30

 学院の正門に入ったところでフィーとすれ違った。

「あ、ガイウス」

「フィー? 自由行動日に珍しいな。どうしたんだ」

「ん、逃亡中」

 また何かやらかしたのだろうか。

「ガイウスはどうしたの?」

「俺はラウラに呼び出されてな。何の用かはまだ聞いてないが」

「ラウラなら、さっき台車にいっぱい色んなもの乗せて走り回ってたよ」

 それは気になる情報だな。嫌な予感がする。どの道今更逃げ出すわけにも行かないが、頭には留めておこう。

「ではフィー、俺はもう行くが気をつけてな」

「了解」

 フィーは早足で学院の坂を下って行った。

 さて招集場所はギムナジウムだったな。俺も気をつけていくとしよう。

 

 

 ――12:00

 ギムナジウム。とりあえず着替える為に男子更衣室に入ると、すでに水着に着替えたエリオットがいた。

 やはりエリオットも呼ばれていたか。しかし俺たち二人だけなのだろうか。

「あ、ガイウスも呼ばれたんだね」

「ということはエリオットもだな」

「……僕たちどうなると思う?」

「先日の調理室の一件も、聞けば元々ラウラの発案だったらしい」

 空気が重くなった。黙っていると悪い方に考えてしまうので、手早く着替えを済ませて俺たちはプールサイドに向かった。

 その途中。

「おお。お前らか、ラウラから聞いてるぞ」

 向かいから歩いてくる水泳部の男子生徒。顔は知っているが、名前はわからない。二年の水泳部の部長だったはずだが。

「クレインだ。ラウラが何か気合い入ってたから、せいぜい頑張れよ」

「いえ、練習場所をお借りするみたいですみません」

「ああ、別に気にすんなよ。あとでやりゃいいんだしな」

 クレイン先輩は上機嫌な様子で更衣室に入って行った。

 俺たちも行くか。視線の先には見慣れないジャージを着た三人の女子が待ち構えている。

 

 

 ――13:30

 ラウラの言うことをまとめると、どうやら俺とエリオットを心身共に鍛え直したいらしい。

 今一つその動機は見えて来なかったが、ここに来てしまった以上付き合うしかあるまい。

 先ほどは準備運動と称して、プールでひたすら泳ぎ続け、なぜか発生した大渦に巻き込まれながらも、俺達は何とか生還できた。

 そして今度は、本校舎の中庭で壁登りを強要されることになった。

「か、かべ!? どうやって登るのさ!?」

 エリオットが問いただすも、ラウラは「手で、だが?」と何事もないかのように答えている。

「エリオット、分かっているだろう……もう何を言っても無駄だ」

 ラウラはⅦ組きっての前衛部隊。彼女に後退の二文字はない。

 手早く済ませるのが一番だ。幸い二階までなら登れなくはない。俺が先に登ってエリオットを引き上げればいいだろう。

「ふんっ」

 小さな窪みに手をかけ、体を持ち上げる。わずかな引っかかりに足をかけて、体重を支えながら慎重に上を目指す。このくらいのクライミングは故郷でも遊びの範囲だ。見ればエリオットも何とか続いてくれているし、今回はどうにかできそうだ。

「ふう、何とか着いたか」

 順調に二階まで登り切り、窓枠に手をかける。俺は反対側の手を下に差し出した。

「エリオット!」

 この距離ならエリオットの手を掴める。

 エリオットの伸ばした腕をしっかりと握った時、不意に窓の外から二階廊下の様子が目に入った。

 誰かが何かを言い合っているみたいだが――

「委員長? それに……」

 遠目でよく見えなかったが、委員長なのは間違いない。あとは手前に誰かいるようだが、――っ!?

 委員長がいきなり魔導杖を振るい、彼女の前面に光陣が現れる。輝く剣をいくつか生成するや、それをいきなりこちらに放ってきた。

「なに!?」

 窓から手は離せない。エリオットも落ちてしまうし、しかもいつの間にか下には怪しげなベッドが設置されている。多分触れてはダメなやつだ。

 わずかな逡巡が判断を遅らせた。光の剣は窓に突き刺さり、剣先自体はかわしたものの、窓ガラスは砕け散り、結局俺たちは壁から落ちることになった。

 そこからは無我夢中でよく覚えていない。気がつけば俺とエリオットは、向かいの花壇に顔面を半分以上めり込ましていた。

 一応助かったとしておこう

 

 

 ――14:20

 朦朧とする意識を引きずって、中庭からグラウンドまで走る羽目になったのだが、一応そこで小休止をもらえた。

 その際、ラウラが用意してくれた、自称“レモンのはちみつ漬け”を完食し、さらに体力を消費してしまうことにはなったのだが。

 そして現在、俺はグラウンドのど真ん中でなぜか絵を描いていた。ちなみにエリオットはバイオリンを奏でている。

 お互い体に激痛を与えてくる謎のプロテクターを装備して、女子にひたすら罵倒されながら。一体これはどういう状況だ。

「へー、ドローメ系の魔獣?」

 モニカが俺の絵を見て、そんなことを言ってくる。木だ、これは。いや確かに木には見えないが。この装備のせいで、まともにペンも握れない。

「モニカ……さっきからどうしたんだ」

 やたらと精神的に攻撃を加えてくる。知る限りでは、そういう性格の女子ではなかったはずだ。

「だってラウラが楽しそうなんだもん」

 モニカは小声でとつぶやいた。そういうことか。何かが間違っている気もするが、ラウラはいい友人を持ったな。

「私もがんばる。そんなの私が日曜学校の時に描いた絵と同じくらいの出来よ。もしかしたら今も同じくらいかもね!」

 何をがんばって言い出すのだ。しかも微妙に失敗している。

 いや、むしろ俺は彼女でよかった。ポーラなど、モニカとは桁違いの勢いでエリオットを責め立てている。こちらが不憫に感じるくらいだ。一体誰にとって有益な時間なのだ。

 終わりが見えない。体が痛い。

 先日、故郷への手紙に、俺はⅦ組の仲間と勉学に励んでいると書いてしまったぞ。

 妙な拘束具をつけてグラウンドの真ん中で、女子に罵られながら魔獣に間違われるような絵を描いてるなどと知ったら、両親はどう思うだろうか。

 そんな意味不明の青空教室は、突如屋上から鳴り響いた轟音によって終わりを迎えた。

 なんの音だったかは知る由もないが、この不毛な時間を断ち切ってくれたことに感謝したい。

 

 

 ――15:00

「エリオット大丈夫か!?」

「僕もう無理だよ……」

 次から次へとよく思いつく。もしやアルゼイド流の門下生は日常的にこのような稽古をしているのだろうか。

 リィンではないが、今日はおそらく厄日というやつだ。

 俺達は今、今日初めて話した女子にムチを鳴らされながら、馬に追いかけられている。走り込みならせめて普通にやって欲しいところだ。

「ほら、もっと早く走りなさいよ!」

 ムチを振り回すポーラはとてもいい笑顔だ。だから余計に恐怖だ。

 追われながらも学生会館前を走りぬけて、ふと気付く。

「なんで、ここの地面だけ焼け焦げたようになっているんだ?」

 地面が黒ずみ、まだ熱を持っている。見たところそう時間も経っていないようだが。しかしそれ以上の思考をポーラは許してくれなかった。容赦ないムチの一撃が足元の地面を弾けさせる。舞い上がる土飛沫が視界を汚していった。

 地面の焦げ跡は不可解ではあったが、とりあえずはこの状況を凌ぐことが先決だ。

 腰に紐で括りつけられたタイヤをひきずりながら、俺とエリオットはただ走る。

「うわあ!」

「エリオット!?」

 しかし中庭を抜け、ゴールまであと少しという所でエリオットが転倒してしまった。どうやら足にきている。すぐには立ち上がらない。

 ポーラが迫る。本当に容赦なしだ。このままではエリオットが、ムチで叩かれまくった挙句、『赤肌のクレイグ』などという不名誉な名を付けられかねん。

「くっ、うおおおお!」

 体の奥から力が湧いてくる。

 先ほどの壁登りと同様、後は無我夢中だ。視界が霞み、激しく揺れる。

 気がつけば俺とエリオットはグラウンドに砂まみれになって横たわっていた。

 

 

 ――16:00

 ようやく俺たちはラウラから解放された。ラウラはまあ、ご満悦の様子だ。

 結局よくわからない内に、ラウラの用意したカリキュラムは終わったらしい。

 もう帰ってもいいとのことなので、早々に引き上げることにした。エリオットはこの後吹奏楽部の練習があると言っていたが大丈夫だろうか。

「ガイウス。そなたは帰ってキャンバスに何を描く。広大で穏やかなノルドの地か?」

 正門に向かう俺に、ラウラが聞いてくる。これは……なんと答えたら正解なのだ。

「……勇壮で荒々しい海原の絵だ」

 一応そう返してみる。正直描く絵のことなど忘れていた。題材をまた考えないといけない。

 とりあえずラウラは納得してくれたようで、俺はそのまま学院から出ることができた。

 改めて振り返ってみても、とんでもない半日だった。

 

 

 ――17:00

「体がまだ痛いな」

 普段から運動不足というわけではないが、それでもずいぶんガタがきている。今日の特別カリキュラムがどれだけハードだったのかを物語っている。

 とにかく、まずは寮に帰りたい。礼拝堂を過ぎ、公園を抜ける。ミヒュトさんの店がある路地に入れば多少のショートカットにはなるが、今は角を曲がるという日常動作でさえも、体が悲鳴をあげるのだ。

 どの道大した距離ではないので、そのまままっすぐ進むことにした。

「ん……あの子たちは?」

 トリスタ駅を曲がれば第三学生寮はすぐなのだが、駅前で二人の子供が、不安げに首を巡らせていることに気付いた。

「どちらも見覚えがないな」

 男の子と女の子。察するに兄妹か。

 トリスタは広い町ではないので、大体見知った顔が多いのだが、この子たちは初めて見る。迷子……とは事情が違うようだが、少し気になったので声をかけてみることにした。

「お前たち、どうした?」

 歩み寄って行くと、少女は「ひっ」と小さな声をあげて、少年――おそらく兄――の背中に隠れた。俺のことが怖いのか。でかいしな。

「驚かして済まない。困っているように見えたのでな」

 腰を屈めて視線をなるべく合わせる。故郷にいた頃は年下の相手が多かったから自然にやっていたものだが、ついうっかりしていた。

 ようやく少し警戒を解いてくれたらしく、男の子が「別に……」と口を開く。

「俺はガイウスという。お前たちは何と言う名前だ?」

「知らない人には名前を教えないんだ」

 俺は名前を言ったのだが。

「ふむ。では質問を変えよう。トリスタに来たのは初めてか?」

 その質問には小さくうなずいてくれた。

「そうか、子供二人で観光ということはなさそうだが、ご両親は一緒じゃないのか?」

 しばらく押し黙っていたが、程なくして「……父ちゃんはいないよ」と言った。

 しまった。事情も知らずに立ち入ったことを聞いてしまった。

「すまない」

「気にしてない」

 一言詫びると、彼は首を横に振る。

 しかし、そうとなると。

「もしかして誰かに会いに来たのか?」

 細かな事情を聞くことは避けたが、多分母親だろう。

 話をする内に少しは打ち解けてくれたようで、質問の全てにではないが、言葉を返してくれるようになった。相変わらず名前だけは教えてくれないが。

 この子たちは、やはり兄妹で誰かに会いに来たらしい。しかし待ち合わせ場所にいく為の地図を無くしてしまって、立ち往生していたのだそうだ。

 手がかりはないし、あまり細かなことを教えてくれないので、今のところ見当もつかないが、俺にはこの子達を放っておくことはできない。

 俺はこう提案した。

「しばらくこの町を案内しよう。広い町ではないし、その内に向こうから見つけてくれるかもしれない」

 

 

 ――17:30

 最初は戸惑っていたようで、特に男の子はすぐには応じてくれなかったが、駅に留まっているよりはマシと判断したのだろう。一応は俺について来てくれている。

「ここがガーデニングショップだ。きれいだろう?」

 男の子はともかく、女の子はほとんど口を聞いてくれない。

 少女だから花で機嫌が良くなるという考えは浅はかだったらしい。人見知りな年頃なのだろうが、そんな妹の手を男の子はしっかりと握っている。

 そういえば故郷の弟妹達は元気だろうか。あいつらも昔はこんな感じだったかな。

「ジェーンさんはこの子たちのこと知りませんか」

「うーん、見ない顔ねえ」

 ふむ。ジェーンさんの隠し子という線は消えたか。あと子供がいそうな女性は……

「ガイウス君。今何を考えたか言ってごらんなさい」

「な、何も考えていないが」

 ジェーンさんは心眼の使い手か? 気をつけねば。

 ここはもういいだろう。雑貨屋とブックストアは行ったし、残るは質屋くらいなものだが、そこは行かないことにした。

 ミヒュトさんに会ったら、この子たちはまた心を閉ざしてしまいそう気がしたからだ。

 あとは――そうだ、喫茶店もまだ行っていなかったな。

 《キルシェ》に歩を向けると、オープンテラスの席に座っている赤い学院服が二つ見えた。

「委員長にフィーか。こんな所で珍しいな」

 二人はテラスの丸机に、向かいあって座っている。机の上に参考書や問題集が開かれているので、委員長がフィーに勉強を教えているといったところだろう。

 二人も俺達に気付いた。

「あら、ガイウスさん」

「ん。勉強中」

 昼前に会ったフィーは委員長から逃げていたのか。

 一方の委員長はずいぶん疲れ切った様子だ。今日の二階廊下での事は気になるが、今は聞くのをやめておいた方が良さそうだ。

「ガイウスさん、その子達は?」

「ああ、実は――」

 経緯をあらかた説明すると、委員長は椅子から立ち上がり、女の子の前にかがんでにっこりとほほ笑んだ。

「あっ……」

 一瞬女の子はびくりとしたようだったが、「お母さんに会いに来たんだ。えらいえらい」と委員長が頭を撫でてやると、安心したようで頬を赤らめてうつむく。フィーも「ん。クッキーあげる」と小包から小さなクッキーを取り出し、女の子に手渡してやった。

 女の子は手にしたクッキーをぱくりと一口頬張ると、途端に目を輝かせて「これ、おいしい」とようやく年相応の笑顔を見せる。

 そんな妹の様子を見て、男の子も気が落ち着いたらしい。

 改めて待ち合わせ場所で何か思い出すことはないか聞いてみる。すると、やっとまともに話をしてくれた。

「この町で一番大きい建物って聞いてるんだけど……」

 それはもう、一つしか思い当たらない。

 

 

 ――18:00

 委員長とフィーと別れた俺は、二人を連れてトールズ士官学院に戻っていた。トリスタで大きな建物というと、まあここだろう。

「うわあ」

 正門をくぐり、そびえ立つ鐘楼塔を仰ぎ見て二人はそんな声を漏らした。

「でかいだろう。授業の始めと終わりに、あの鐘が鳴るんだ」

 大変なのはここからだ。学院の敷地自体相当な広さだ。学院での待ち合わせと言えば、普通どこだ。

 正門……には誰もいない。学院関係者の子供ということなら、応接室辺りに一旦連れて行くか。メアリー教官のお子さん、などと言えばさすがに怒られそうだし。ああ、もしやベアトリクス教官のお孫さんか。ふむ、一番これがしっくりくるな。

「一応聞くが、地図に待ち合わせ場所の目印みたいな物は書いてなかったか?」

「えーと、大きい場所だったと思う」

「……グラウンド、か?」

 学院そのものが大きいのだが、とりあえず言われて連想する場所はそこだ。

 まずは二人をグラウンドまで連れていく。

「さすがにここで待ち合わせとは考えにくいが――」

「わああーっ」

 再び二人が声を揃えた。それは先の鐘楼塔を見上げた時よりも、さらに大きな声だった。

「お馬さんがいるー」

 女の子が馬舎の方を指さした。

「ああ、あれは馬術部の……」

 俺とエリオットを追い回した馬だ。忘れかけていた体の痛みが戻ってくる。まだ馬舎の中に戻っていないのか。

「なんなら少し見に行ってみるか?」

 さすがに興味深々といった様子で、二人は俺についてきた。近づくにつれ予想以上の馬の大きさに、二人とも俺の後ろに隠れてしまったが。

 さらに馬舎には誰かがいた。あのポニーテールはポーラだ。……ムチの乾いた音が幻聴で聞こえてくる。さっきのジャージ服から普段の学院服に着替えていた。

「あら、あなたまだいたの?」

「訳ありでな。戻ってきたんだ」

 雰囲気で察するに、どうやらあのポーラではなく、いつものポーラだ。少し安堵した俺は、事情を話してみることにした。

「なるほどね。でもさすがにグラウンドはないと思うわよ」

「それはそうなんだが、馬に興味があるみたいでな。少し見に来たのだ。というかポーラこそまだ帰ってなかったんだな」

「さっきまでラウラ達とお茶してたのよ。でも今日はこの子達を走らせちゃったからね。慣らしでグラウンド歩かせてあげようと思って」

 走った後のケアは大切だ。ポーラは乗馬経験が浅いと聞くが、よく馬のことを考えている。

 少し思案した素振りを見せたポーラだったが「なんならその子達、馬に乗ってみる?」と俺の後ろの二人に視線を移した。

「構わないのか?」

「ほんとは駄目なんだけど。まあ、私とあなたも一緒に乗るわけだし、グラウンドを歩くだけだから、内緒でね」

「そういうことなら、感謝する」

 ポーラは先に自分の馬に女の子を乗せてから騎乗し、反対に俺は先に騎乗してから男の子を引き上げる。

 初めて乗る馬の背に、二人の緊張は手に取るように感じたが、少し慣れると辺りを見回す余裕が出てきたみたいだ。

「うわ……」

「どうだ。馬に乗ってみる景色は?」

 落ちかけた夕日が一面を赤く照らし、長く伸びた自分達の影がグラウンドに陰影を映す。涼やかな風に葉がざわめきを奏で、虫の鳴き声が澄んだ空気に響いていた。

 ゆっくりと馬はグラウンドを一周する。緩やかに変容していく視界を、この子達はどう感じているのだろうか。

 すでに感嘆の声を漏らすこともなく、男の子はただ黙って赤く染まりゆく景色を眺めていた。

「う、馬に乗せてくれて、ありがとう」

 もうすぐ一周し終えるところで、男の子は少し照れたようにそう言った。

「気にするな。しかしそろそろ待ち合わせ場所を探さないとな……あ」

 今更ながらに思い至った。この子達の探し人が学院の関係者なら、名前を聞けば早いではないか。だが、ここまでを振り返ってみて、この子が素直に教えてくれるかどうか。

 望み薄ながら一応聞いてみると、今度は意外な程すんなり教えてくれた。

「僕の兄ちゃんは――」

 ん……兄ちゃん? 

 

 

 ――18:30

「クレイン兄ちゃん!」

「にいたーん!」

 その姿を見つけると、二人は小さな体を目一杯に広げて、脇目も振らずプールサイドで待つクレイン先輩のところに走って行った。

「おう、よく来たな! 遅かったから心配したぞ。ってプールサイドは走るなよ」

 自分の胸に飛び込んできた弟と妹の頭を、先輩は力強く、そして優しく撫でてやっていた。

「ともかく一安心だ」

「すまない。弟と妹が面倒かけたみたいだな」

 先輩は俺に何回も礼を言ってくれた。

 幸いなことに、男の子の口から出た名前は、偶然にも今日の昼に聞いた名前と同じだった。

 クレイン先輩が上機嫌だったのは、これが理由だったのか。何でも母親からの提案で、弟妹二人だけで会いに来ることになっていたらしい。確かに母親に会いにいくとは一言も言っていなかったな。会話の流れで勝手に勘違いしてしまっていた。

「それでは自分はこれで失礼します。二人とも、よかったな」

 俺はギムナジウムの入り口に歩を向けようとしたが「あ、待って」と二人が駆け寄ってきた。

「どうした?」

「その、今日はありがと。おかげでクレイン兄ちゃんに会えたよ」

「これも風の導きだろう。ただ次からは地図を失くすなよ?」

 妹の引率役としては痛い所だったのか、「気をつけるよ」と少し落ち込んだ様子で目を伏せた。

「あと、その、僕たちまだ……自分の名前を言ってない」

 ああ、そういえば知らない人には教えないと言っていたか。

 二人は顔を見合わせて、互いに小さくうなずくと――

「僕の名前は――」

「あたしのなまえは――」

 どうやら俺は、もう知らない人ではないらしい。

 ようやく教えてもらった名前を改めて呼んでから、俺は二人に別れを告げたのだった。

 

 

 ――19:00

 やっと寮に帰ってこれた。長い一日だった。

「あら、お帰りなさいませ、ガイウス様」

「シャロンさん。ただ今戻りました」

 ラウンジでシャロンさんが出迎えてくれたが、何か二階が騒がしいような。

「リィンの部屋か? 何か騒々しいようだが」

「さあ? どうしたのでしょうか。うふふ」

 不要な詮索はしないでおこう。俺はそのまま自室へと向かった。

 部屋に入ると、出たときと変わらない真っ白なキャンバスが置いたままだ。

 だが構わない。もう題材は決まっているのだから。

 キャンバスの前に座ると、俺は迷いなくペンを手にした。

 俺らしく、というのは未だに分からないのだが、今は描きたいものがある。

「うむ、下書きはできた。次の絵はこれにしよう」

 キャンバスには高原で戯れる四人の兄弟の姿。ほんの少し前までの、自分の日常の風景。

 遠い地に暮らす弟妹達に思いを馳せながら、俺は絵の具を手にしたのだった。

 

 

 ~FIN~

 




またお付き合い頂きありがとうございます。今回はガイウスの一日でした。
前半はラウラとの特別カリキュラムですが、主はラウラサイドなのでやや断片的な視点となっております。
どちらかというと後半がメインの迷子探しという構成でした。
クレイン先輩の弟妹は終章で初登場でしたが(違ってたらすみません)名前がなかったのでこのような形となっています。ガイウスとクレインはしっかりもののお兄ちゃん同士気が合いそうな感じですね。
さて次でようやく折り返しです。次回はⅦ組の一日はエマが主役となりますが、うん、コメディ回です。お楽しみにして頂けたら幸いです。
ご感想もお待ち致しております!

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