馬酔木の花   作:あばちみゃかむ

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第13話

 差し込んだ陽光に照らされ、眩し気に片手を持ち上げて陰影を創り上げる。心地の良い微睡みを名残惜しく感じながら、上体を起こした。

 盛大に欠伸をしながら両の手で瞼を擦った。首を回すことで意識の覚醒を促す。抱き締めるように掴んでいた斬魄刀が布団の中に潜り込んでいるのを確認する。

 霊術院の寮で寝起きしていた頃から変わらず、緩慢な動作で身支度を整える。くたびれた死覇装に袖を通し、微妙に緩い帯を締めなおすこともせずに己の獲物を腰差した。

 傍らに面倒見の良い少女はいなかった。大胆に着崩している訳でもなく、祐輝の身だしなみに注意を払う者は十三番隊に存在しない。

 それは単に思いついたことだった。服装に頓着しない傾向のある祐輝にとっては珍しく、帯を締めなおした。跳ねたくせ毛を姿見で認めれば、若干の手間をかけてそれをなおした。

 日常から外れた行動をするだけの確かな動機があった。

 備え付けられた食堂で取る朝食は常に独りだったが、祐輝は既に慣れたものとして気にしない。それどころか、鼻歌を口ずさんでいた。

 自宅で朝食を済ませてから隊舎に姿を現したルキアと合流し、そうして一日の課業を開始する。

 

「今日はえらく上機嫌だが、何か吉報でもあったのか?」

 

 連れだって廊下を歩く最中、引き攣った表情を浮かべたルキアは上目遣いに訊ねた。即座に悔いの色を滲ませるのだが、眼中にないため気づくことはなかった。

 

「吉報、そうだな。俺にとっても喜ばしいことだよ」

 

 日常に混じった小さな異物が具現化していた。朝を苦手とする祐輝にしては精気に満ち足りていた。傍目に見ても分かる程度には軽やかな歩調で、纏う雰囲気が心地よい涼風のようだった。

 欠伸を噛み殺しながら飄々と笑顔を浮かべる器用な真似を披露し、朝霧祐輝が吉報の詳細を口にする。

 

「藍染隊長から昨日きいたんだが、雛森が学年主席になったんだと。あいつのことだから兎みたいに飛び跳ねてるはずだよ。くそっ、直接この目で見てからかってやれないのが残念だ」

 

 祐輝は脳裏に霊術院での光景を描いた。定期試験を終え、成績上位者が掲示板で発表される度に雛森と足を運んだ。大勢の生徒で溢れかえる掲示板を前にして、小柄な雛森が懸命に背伸びをすることで自身の成績を把握する姿は小動物のそれだった。

 そうして最後には困ったように頬を掻くのだ。わざとらしくため息をついてみせ、仕方がないと雛森の手を引いてやる。幼子のような扱いに不満を覚えて頬を膨らませる仕草がまた面白かった。

 今回はどうしたのだろうか。自力で人の波を掻き分けたのならばたいしたものだ。褒美に大福でも奢ってやらねば。

 

「そ、そうか、それはめでたいな」

 

 硬さの滲んだ声音に首を傾げるが、新たな人の気配を感じることで疑問を追及する暇はなかった。

 

「朝っぱらから惚気る余裕があるのか朝霧、えぇ?」

 

 さも愉快だとばかりに海燕は口元を歪め、肩に手を載せて来た。足首の違和感。途端に視界が揺れる。身体に染みついた癖で反射的に受け身を取ることで転倒を免れ、足払いを仕掛けた相手を見遣る。

 誇らしげに清々しい表情を形作る下手人に対し、抗議の意も兼ねて恨みがましく睨み付ければ軽く受け流された。

 くそ、折角の気分が台無しだ。からかい癖をどうにかするつもりはないのか、この人は。

 もちろん、学年主席にまで上り詰めた少女に対して同様の態度を取っている事実を祐輝は棚に上げている。

 

「まっ、そんくらいの余裕があれば俺としても気が楽だ。二人とも、流魂街を荒らしてる虚の顔を拝みに行くぞ」

 

 現世を彷徨い続ける魂魄は多い。それらは基本的に無力な存在であり、虚にとっては格好の餌だった。現世を荒らす虚から魂魄を護り、更には尸魂界に送ることで二つの世界の均衡を保つ調停者が死神の役目だ。

 だが無力な魂魄が存在するのは現世だけではない。死神たちが住まう瀞霊廷の外側、即ち流魂街は現世から流れ着いた魂魄が集う場所だ。死神の中には流魂街出身が存在するように、霊力を保有した魂魄も少なくない。

 それ故に上質な餌を求めて流魂街を荒らす虚は少なからず出現した。瀞霊廷という死神の本拠地が目と鼻の先でありながら構わず姿を現すのは、総じて知能が高く危険な個体であることが多い。

 討伐隊が編成されるのは必然的だった。基本的には実力者である上位席官が討伐隊の指揮を執り、配下には経験を積ませるべく新任隊士が含まれる場合もある。

 

「海燕殿、それは実戦ということでしょうか?」

「寝ぼけてんのか朽木」

 

 後ろ手に髪をかき回しながら海燕は続ける。

 

「この先ずっと半人前でいるつもりかお前は。今すぐとは言わねえが、一歩先を進む頃合いだと俺は考えたんだよ。戦いの空気を嗅ぐだけでもな。朝霧はどうだ?」

「流魂街の虚を斬るんでしょ」

 

 常と変わらぬ飄々とした声音だったが、祐輝は両手の拳を強く握りしめていた。虚の恐怖は鮮明に刻み込まれているし、決して気楽な記憶とは言い難いが流魂街は幼き時分の故郷だ。

 

「行かない理由なんて俺にはないですよ」

 

 例え死神として赴く地区が治安と食料に恵まれた場所であろうとも。虚を前にすれば体格で偉ぶるだけの大人、対抗すべく知恵を働かせる幼子は等しく無力なのだから。

 それだけではなかった。掌から零れ落ちてゆくなにか、心に巣食う後悔の名を持つ病魔が囁きかける。

 

「はっ、一丁前の口を叩く。いやでも連れ出すつもりだったからな。それじゃお前ら、今すぐ支度を整えろ、出発は半刻後だ」

 

 そうした次第で、副隊長が直々に指揮を執る討伐隊の一員として祐輝は平原を歩いていた。傍らには緊張した面持ちのルキアが並ぶ。

 祐輝よりも先に入隊したが、訓練で出動したことはあれども本物の戦闘は今回が初めてとのことだった。

 周囲の、二人からは若干距離を置いた討伐隊の面々を祐輝は観察した。ある程度は経験を積んでいるらしく、緊張感を孕んだ様子は見受けられない。各々が談笑を交わすが、時折探るような視線を感じた。

 露骨な不満を示してはいない。副隊長の海燕が直々に連れ出しているからだ。彼らにとって十三番隊の副隊長は無条件で信頼するに足りるものを持っている。

 しかし誰もが抱く感情の波は穏やかではないだろう。朽木ルキアという未熟な隊士が掠り傷でも追えば、その責を追及されるのではないか。そう考えてるに違いない。

 権力や後ろ盾を持たない隊士にとって五大貴族の養女は重荷に他ならないはずだ。

 面倒事は嫌いだ。互いの領分を守り、適度に距離を置く。うん、平穏の代償は孤立だ。けれども今回は丁度いい機会じゃないか。

 仲間であると認識させる。いきなり上手くいかないだろうが、虚という明確な敵がいるんだ。足手まといとは違う、それだけでも示せればいい。藍染隊長の言う通り、こちらから歩み寄る。その最初の一歩だと思えば。

 

「情報じゃ森の中に巣を作ってるらしい。遊びに出かけた子どもが帰らず、探しに来た大人が命からがらに逃げ出したんだそうだ」

 

 陽光を遮るほどに高く重なる森林は不快な陰影を作りだしていた。昼間だというのに薄ら寒い風が頬を撫でる。腰に差した鈴葬が煩わしい感情を醸し出すことに祐輝は気づいた。

 空を打つだけで重みを持たない音が鳴る。鼓動を喪った鈴の破片だ。風が運んでくるものは既に命の形を成していない。

 海燕の話が確かならば、子どもだ。間に合わなかった。事前に情報があるのは誰かが虚を目撃したからだ。討伐隊が派遣されるよりも先、つまりそれは流魂街の住人であると容易に察せられた。

 それでも子どもが虚に喰われた事実は変わらない。

 

「捜索は二人一組だ。互いの死角を助け合え、虚を発見しても逸るな。近くの組を呼ぶんだ、移動せずに巣を作ってる虚だ、充分に警戒しろ」

 

 手慣れた様子で指示を出す海燕。討伐隊の面々は互いに気心の知れた仲で組を作る。

 当然のごとく、祐輝はルキアと組んだ。個人的な事情を抜いても妥当な判断だった。始解を修得していない者を組み合わせても、無駄に犠牲を出す可能性が高まる。ならば片方は経験豊富な、そうでなくとも己の斬魄刀を解放した者でなくてはならない。

 例外は海燕だった。副隊長の動きに合わせられるだけの実力者が討伐隊にはいなかった。しかし誰も異論を唱えない。その必要がないからだ。

 護廷十三隊の席次は隊によって若干の差異はあれども実力を優先して任じられる。

 

「それと朝霧、朽木、お前らは特に無茶をするんじゃないぞ。今日は実戦の空気を嗅ぐだけでいい、なるべく前に出るな」

 

 名指しの注意に対し、当然だと同意する気配が感じられた。煩わし気な視線も注がれる。

 

「何の為に稽古をつけてもらってるんですか。俺たちを連れて来たのも、経験を積ませるためでしょう」

 

 傍らの同期は滑らかに口が回る性格じゃない。ならば役割を引き受けるのは己だ。

 

「あぁん、たかが一回だけ虚から生き延びた程度で自分は特別だと思ってるのか朝霧」

「まさか、それと一つだけ訂正を。俺は一度だけ貴方に命を救われている。まあそれは置いときますよ、今は関係ないから。つまりですね」

 

 沈黙して成り行きを見守る周囲の視線を意識する。

 

「俺も、ルキアも、十三番隊の死神ですよ。そりゃあまだ半人前もいいところの未熟者ですけどね、少しは信じてください俺たち(仲間)を」

 

 海燕の、普段は人好きのする瞳が細められた。言葉の意味を吟味し、そのうえで覚悟を問いかけるような色合いを発する。

 祐輝は刃のごとく鋭い瞳で応じた。二度、左手で腰に差した鈴葬の柄を叩いた。銘を持つ斬魄刀に共通する、この世にただ一つしか存在しない形を見せつけた。

 永遠とも思われる沈黙の果てに、海燕の表情が和らいだ。周囲に言い聞かせるように口を開いた。

 

「泣きべそ欠いたガキが随分と偉くなったもんだ。忘れるなよ、お前の心にあるものを」

 

 続けて、祐輝が死神を目指すきっかけを作った男は茶化すような口調で付け加えた。

 

「女の一人も守れないようじゃ男が廃るぜ朝霧」

 

 護ってみせるさ。それが茜雫にしてやれる贖罪なんだよ。

 

 

 ▽

 

 

 その森林の情景は上品な表現を用いれば豊かな自然だった。空を窺い知れぬほどに逞しく育った木々に見下ろされ、足元には虫や草が群れている。

 人が踏み入った形跡が微かに見受けられるのは、流魂街の子どもたちが遊び場として活用していたからだろう。林の節々に印のような傷がつけられている。文字の形を成しているものもあった。

 幼子が振り絞った知恵の結晶を目にした祐輝は感心の声を漏らした。この印を辿れば、遊び場に迷わず辿り着く。

 子どもらしい理由で帰りが遅くなること、例えば遊びに熱中して夕暮れの闇で身動きが取れなくなっても面倒を見る善良な大人たちが迎えに来てくれるだろう。

 朝霧のような地区に流れ着く貧乏くじを引いたとしても、発案者は持ち前の頭脳を発揮して上手く立ち回ったに違いない。

 だろう、違いない、全ては仮定に終始する。確かめる術はなかった。死して尸魂界に送られた魂魄が再度の死を迎えれば、身体を構成する霊子が世界の一部となる。

 虚の胃袋に収まることがなければ、という注釈がつくけれど。

 

「貴様、どういう風の吹き回しだ」

 

 背後を歩くルキアからの問いかけ。

 目標とする虚は巣を作り、森林の中に迷い込んだ魂魄を餌として捕食すると予測されていた。ならば足を踏み入れた瞬間から既に敵地であるという認識を持つのは当然だった。

 奇襲を受けても即座に対応できるよう、斬術に秀でた祐輝が先頭を突き進む。その背中を鬼道でルキアが守る形だった。

 

「いつまでも半人前でいるわけにはいかないだろ。出発前に海燕さんも言ってたし、それに」

 

 視界が開けた場所に出た。そこだけ森林から隔絶されたかのように陽光が届いていた。腰に届く程度の岩が入り口と呼べるところに屹立している。黒ずんだ苔が特徴的だった。

 ふむ、遊び場はここだな。巣を作るにしては随分と目立つ場所だ。待ち伏せにも向いてない。

 

「俺たちは十三番隊の一員なんだ。それを他の隊士たちにも認めてもらう。お前も、いい加減にお客さん扱いは嫌だろ、同じ仲間なんだから」

 

 道中で虚の霊圧は感じられなかったし、奇襲を仕掛けるには絶好の機会だったはずだ。この近辺に巣を張っていない。そして辛気臭い森の中を隈なく探す必要がある。

 

「藍染隊長に言われたんだよ、俺たちから隊の仲間に歩み寄ってみたらどうかってな。だから、昨日の今日で実践してみた」

「ええい、ならば事前に一言声をかけておけばよいだろうっ!」

「だってお前、口下手だし」

 

 我慢ならないと喚き立てるルキアを適当にいなす。虚に勘付かれる危険性を懇切丁寧に説けば声量は小さくなるが、代わりに拳が飛んでくる。煽るように大袈裟な動作でそれを躱した。

 霊術院が懐かしいな、昼寝をしたり授業を抜け出せば雛森にいつも小言を貰っていた。

 

「勢いよく啖呵をきったからには虚を見つけるか、他の連中の援護くらいはしなきゃならん」

「しかし闇雲に彷徨うだけでは埒があかぬぞ? 子どもの遊び場を目指すのは手掛かりを探す意味もあったが、当てが外れたではないか」

 

 瀞霊廷から死神が駆け付ける危険を考慮に入れたうえで流魂街を荒らすからには相応の知恵を持つ虚だ。

 見通しの悪い森林地帯は奇襲に向いた場所だ。そこに巣を張り、確実に餌となる魂魄を捕食する。一見すれば合理的な判断だが、どうにも奇妙な引っ掛かりを祐輝は覚えた。

 敢えて場所を曝け出してるようなものだ。現世ならばいざ知らず、尸魂界にいる間は必ず討伐隊が派遣される。その危険性に気づかない莫迦ならば、これほど知恵が回るはずもない。

 死神を相手にしても確かな勝算があるのか、或いは別の目的に沿っての行動か。

 

「一応、まだ手はあるんだけど」

「むっ、それは妙案か」

「物は試しだ。あまり期待しないでくれよ」

 

 鞘から鈴葬を引き抜く。瞳を閉じ、視界に入る世界を遮断することによって霊子の流れを知覚する。風に運ばれる形を喪った命を認めたのも束の間に、あらゆる存在が暴風と化して祐輝に命を鳴らす。

 森林の全域に散らばる木葉が、折れた枝が、果ては足元の土に至るまで全ての霊子が流れ込む。それらは尸魂界を構成する霊子。本当の意味で、世界に還元されたかつて命を持った存在だ。

 精神世界を荒れ狂う暴風の中で鈴の音が鳴る。それは生ある命だ。脈打つ鼓動の数は討伐隊として派遣された仲間のもの。

 

「くそっ、わるい。無理だった」

 

 肩で息を吐きながらも、納得したような表情を祐輝は浮かべた。

 

「今のは、貴様の斬魄刀の能力か?」

「そんなところだ、霊圧探知を極限まで高めたようなもの。俺がまだ未熟だから、霊子で構成されるものは石ころ一つでも認識しちまう」

 

 鈴葬の名を知る前は、不完全な形で能力が発現していた。霊術院にいた頃の祐輝は霊圧探知に便利なものとして扱い、現世の実習では大いに役立てた。虚の襲撃を探知できたのもこの能力による恩恵だった。

 

「よく分からない斬魄刀だな。鬼道系の能力を持つのは確かだが」

「俺がまだ全てを引き出しちゃいないんだろうよ。難しく考えなくても、鈴葬は」

 

 空気を震わせると錯覚するような絶叫が木霊した。疑問の余地がないほどにそれは明瞭な発音で意味を認識できた。

 

「朝霧っ!」

「あぁ、虚だ、往くぞルキアっ」

 

 膨れ上がる霊圧を肌で感じながら駆ける。人が通るには向かない地面を滑空する有り様だった。

 木々を掻き分け、眼前に立ちふさがる邪魔なものは文字通り道を斬り拓く(・・・・)。目まぐるしく変わる視界の片隅に、薄暗い森の中でも殊更に目立つ漆黒を認める。

 死覇装だ。剣戟の音。煌めき。火花が飛んだ、抜刀して戦っている。影は二つ。片方は虚だ、一騎打ちを演じるのは海燕の霊圧じゃない。

 視覚から獲得した僅かな情報を瞬時に処理した祐輝は追随するルキアを見遣る。半歩遅れている同期の斬魄刀は鞘に収まったまま。

 思案は瞬時に言葉となって吐き出された。

 

「俺が加勢する、お前は負傷者を頼むっ」

 

 果たして返答があったのか祐輝は知らない。有無を言わさぬ勢いで既に抜刀していた鈴葬を構えなおす。交差した影、その片割れが縮こまる。鈍色の物体が弾かれたのを確認した。

 斬魄刀を手放したのだ。内側に抑え込まれていた感情の枷を外した。瞬間的に膨れ上がった霊圧によって爆発的な加速を得た祐輝は影の片割れ、片膝をついた死神に止めを刺す虚の背後へ疾走した。捻りを加えて右腕を振り下ろす。一閃、痺れという形で伝わる手応え。

 

「なっ、お前は……っ!」

 

 驚愕はすぐさま苦悶へと変わった。死覇装が濡れている。帯が赤黒く染まっていた、いや、違う。引き裂かれた布の隙間が顕になり、とめどなく血が溢れでていた。

 

「加勢しますよっ、もうじき海燕さんたちも来るはずっ」

「莫迦野郎っ、くっ、朽木はどうしたんだよ、もしものことがあっても俺は責任を取らないからなっ!?」

 

 即座に祐輝は反論した。もちろん、虚から視線を外す愚は犯さない。

 

「あんたらがどう思ってようがな、俺もルキアも十三番隊の隊士なんだよ、死神なんだ、俺は雑用をするために」

 

 新たに現れた健全な死神を脅威と認定した虚は、軟体動物を彷彿とさせる気色の悪い動作で上空へと跳躍する。

 空を覆い尽くす木々の枝に絡まり、足場を形作ることで有利な位置取りを占位する腹積もりだろう。

 

「死神になったわけじゃないんだっ、よっ!」

 

 しなやかな動きに反して先端が硬質化した触手が全方位から叩き込まれる。その数は両手の指を足しても足りない。攻撃範囲は回避が無駄だと思われるほどに広い。仮に祐輝が何らかの手段で潜り抜けようと、負傷した隊士は逃れられない。

 つまり人質を取ったようなものだ。しかし祐輝に焦りの類は見受けられなかった。己の振るう力は命を護るために欲したものだからだ。

 それが、利己的な動機だとしても。

 

「響け」

 

 祐輝を基点にして巻き起こる霊子の奔流。朧気で儚い微弱な存在が集約されてゆき、蒼き旋風を形作る。

 

「鈴葬」

 

 澄んだ音色が沁みてゆく。

 名は存在を示す記号だ。鈴の音色が響いたその時、力を向けられた存在は葬り去る。

 右腕を振るう、ただそれだけの動作だった。迫り来る触手に刃は届かない。その必要性を祐輝は考えなかった。

 立ち昇った旋風は祐輝によって放たれた不可視の刃だ。全方位から射殺さんとする気色の悪い触手の群を散々に刻み込んでゆく。

 圧巻の一言に尽きた。先任隊士が手傷を負う程の虚に対し、解放した斬魄刀の一振りで決着がつくかに思えた。

 奇怪な咆哮をあげながら、歪な仮面の奥に潜む眼光が覗き見えた。怒りによるものか、それとも別の感情に突き動かされているのか定かではない。興味もなかった。

 幼子の身で流魂街に流れ着いた魂魄は殆どが生前の記憶を持たない。故に祐輝は知識として尸魂界が死後の世界と認識はしているが、同時に日々を過ごす今こそが唯一の人生でもあった。

 虚は生前の記憶を持つらしい。罪を犯した魂魄や、尸魂界に導かれなかった現世の魂魄の成れの果て。死して尚も己の欲望に忠実で、欠けた魂を補うべく永遠の渇きに苛まれる哀れな存在。

 だから座して死を受け入れねばならないのか。お前たち虚が僅かでも人であった頃の幸福を求める糧になれと。

 

「生きてたんだよ、茜雫は」

 

 刃を鞘に戻せば、全てが終わっていた。消滅してゆく虚の最期を見届けず、背後に蹲る隊士へと肩を貸す。

 

「大丈夫っすか」

 

 見た目以上に深手を負ったらしく、返答の代わりが血反吐であった。医療用の回道など修得すらしていない祐輝に出来るのは簡単な応急処置のみ。

 死覇装の袖を破り、出血箇所へとあてがう。僅かでも止血の足しになればそれでよい。

 

「く、朽木は……?」

「もう一人、負傷してるんでしょ? そっちの救護に回ってますよ。まぁ、回道の腕前は気休めになれば御の字って感じですけど」

 

 にしても、一言も声をかけないのはどうしてだろうか。虚の消滅は霊圧を確認すれば分かるはずだ。半歩後ろを追っていたのだから、巻き込まれないように距離を置くにしてもそう遠くないはずだけれど。

 

「俺のことはいい、止血くらいはできる。今すぐ朽木の所にっ……行くんだ」

「いや、放っておけないっすよ。それに言ったでしょ、同じ隊の仲間だって」

 

 どうしてルキアに拘る。まるで襲撃を恐れているような口振りじゃないか。虚は確かにこの手で仕留めた、それを見間違えるはずがない。

 そこまで考えて、急速に思考が明瞭化してゆく。つい先ほどの疑問を反芻する。知恵が回る割に、死神を招き寄せるような行動が似つかわしくない。仮に勝算を持っていたにしては、あまりにも呆気ない。

 始解のみで討伐される程度の虚ならば尚のこと知恵を働かせるはずだ。巧妙な罠を設置するなり、やりようはある。

 不可解な虚の動きに得体の知れない焦燥感を抱く。

 

「気を付けろ、虚はっ、もう一体いる……っ」

 

 

 ▽

 

 

 静寂を打ち破るのは、散らばる小枝や木の葉を踏み抜く祐輝の足音だった。油断なく周囲を、そして森林の全域にかけて鈴葬の能力を応用して霊圧探知をかける。

 意思を持たない霊子のみ、そして置き去りにせざるを得なかった先任隊士の鼓動のみが応えてくれた。つまり、ルキアや海燕、他の隊士の存在を祐輝は知覚していない。

 焦燥に突き動かされる。突発的な奇襲に対応すべく祐輝は鈴葬を常時解放させていた。始解しても能力が発現するだけで形状は変化しない(・・・・・)、地味な特徴を持つが故に封印状態との見分けはつかないが。

 斬魄刀を常時解放させるなど正気の沙汰(・・・・・)ではない。何らかの手段で封印する必要があるほどの膨大な霊力を保有するか、或いは斬魄刀が持つ本来の能力でもない限り始解を維持することは死神に絶大な負担を強いる。

 

「俺は本当に莫迦だな、霊圧を消す虚の存在は知っていたじゃないか……っ」

 

 現世での実習中に雛森たちを襲撃した巨大虚の群れは、霊圧と姿を消す特異な能力を持っていた。

 比較的珍しい巨大虚、その群れが持っていた能力だ。仮に獣と変わらない大きさの個体であろうと同種の能力を備える可能性は充分に考えられた。

 しかし二体の虚が共闘、いや、共生するなんて珍しいこともあるのだな。仕留めた虚が撒き餌で、霊圧を消す不可視の虚こそが本命の刃、といったところか。

 現世で戦った虚は死神の霊圧を喰らって自分のものにした。今回は共生する虚、しかもそのうちの一体は雛森たちを襲った虚の同類らしいときた。どうも教本に載ってた常識的な虚とは縁がないらしい。

 

「結界の真似事するなんざ、本当に虚かよ」

 

 霊圧を消す能力の応用だろうと祐輝は当たりをつけた。ルキアたち他の死神の霊圧を覆い隠しているのだ。

 やがて祐輝を送り出した先任隊士の霊圧も朧気に消えてゆく。負傷して不安定になっていた霊圧だ、少しでも距離が遠ざかれば知覚すらできない。

 

「これじゃ顔向けできねぇな、くそっ」

 

 吐き出した罵倒が誰に向けたものなのか、祐輝には分からなかった。仲間の無事を祈るだけだった。

 仕留めた虚と繰り広げた戦闘の時間は長くない。短時間でルキアは忽然と姿を消した。不可視の虚に襲撃されたと考えるのが妥当だった。つまり祐輝が助けた先任隊士とその相方もまた、救援に駆けつける死神の撒き餌として扱われたのだ。

 負傷者を庇いながら小柄な身体で戦い、何処かへと逃げ延びたのだと願いたい。

 

「護るって、難しいんだな」

 

 意図的に己の半身が鳴らし続ける警鐘を無視する。常時解放の負担は背負い込む。霊圧を撒き散らしているのは、この身を以って撒き餌としているからだ。もちろん、祐輝が呼び寄せるのは不可視の虚だ。

 それに獲物が弱っていれば、狩人ならば必ず仕留めにくる。この程度の苦難は絶望とは言えない。

 

「響け」

 

 振り向きざまに背後へ刃を向ける。霊力の奔流がなだれ込み旋風を巻き起こす。

 霊圧を(・・・)遮断し(・・・)ようとも(・・・・)、風に流された霊子の残余は隠せない。空気をかき乱す音まで発していれば、祐輝には充分だった。

 意味を解することのできない奇声。森林という天然の死角から忍び寄った虚に加えた強かな反撃を緩めることはない。

 恐怖に屈し、無力を嘆いた。そうだ、自分の命を天秤にかけて茜雫の命を手放した。浅ましく、愚かで、後悔として巣食う病魔の記憶だ。

 過去を悔いて、現実に抗った。力が足りなくともこの手が届く限り、這い蹲ってでも虚に喰い下がった。力を求めた心の叫び、その果てに与えられた斬魄刀の力。

 目の前の仲間を助けるために、隣の仲間を生贄に差し出す。認められるか、ならば我が身を無能と貶められてでも仲間を救う。

 戦果を焦った愚か者がその命を引き換えにすることで二人が、それ以上が救われる。うん、そうすればルキアの奴も、他の連中も、朽木家に対して言い訳ができるだろ。

 本当にそれで満足なの。己の内なる存在が問いかける。

 どうしようもない莫迦ね、そして最低の屑。自分勝手で傲慢で、守るつもりのない口約束なんて虚しいだけよ。

 

「そうだな、俺は莫迦だよ。散々思い知らされた」

 

 雛森との約束を、破ろうとしたんだから。

 

 

 ▽

 

 

 鯉伏山(こいふしやま)は、西流魂街三地区の北端に位置する。斜面はなだらかで豊富な自然が鳥や獣に憩いの場を提供するが、所々に点在する断崖絶壁によって人が踏み入ることは阻まれた。

 治安も保たれているし、食料も恵まれた地区のため好んで山の道を拓こうとする気骨の住民も存在せず、餌となる魂魄も紛れ込まないために虚も出現しない。

 海燕が修行場として選んだのは絶好の条件を兼ね備えていたからだった。当初はルキアを連れて、そこに祐輝が加わり、今は三人で鍛錬を積んでいる。

 尤も、海燕が未熟な二人に稽古をつけているのが実態ではあった。

 蒼穹が心地よい春の風を運んだその日も、常と変わらぬ光景が繰り広げられていた。

 

水天逆巻(すいてんさかま)け、捩花(ねじばな)っ!」

「響け、鈴葬っ!」

 

 激突する波濤と旋風、楽し気に攻撃を捌き続ける海燕と手数の多さを駆使して渾身の一撃を打ち込む祐輝。

 二年と少しの歳月が経てば、間合いの呼吸から動きの癖に至るまでが把握されている。それ故に相手の思考を読み、裏をかくことが重要となる。

 

「この俺が持つ鋼の精神力を前にすればお前はまだ半人前ってことだなっ!」

 

 嫌味を込めて肩を組んでくる海燕の表情は清々しい。眉を一つ動かすだけで済んだのは成長の証だった。一年ほど前は掌底や足払いを仕掛けていた。

 入隊して一年も過ごせば普段の生活にも余裕が現れて来る頃合いだった。当時の祐輝は、虚を突けば海燕を転がすことができると本気で信じ込んでいたのだ。

 もちろん、それらは悠々と躱された挙句に丁重な反撃を貰ったのだが。

 

「二年っすよ海燕さん、それなのに一度も俺の攻撃が当たんない」

「なあに言ってんだ、俺は五十年以上も死神をやっている大先輩だぞ? 潜り抜けた修羅場が違うんだよ半人前」

 

 眉を動かし、両手を握りしめる。

 

「ぜってえにぶち転がすんで、勝手にくたばらないでください」

「あん? お前がそう言って何年よ、二年だぞ二年。俺が寿命でぽっくり逝くのが先だろ」

 

 額に筋を浮かべ、口元が歪んだ笑みを形作る。

 

「だったら今すぐぶち転がしてやりますよ、その拍子にぽっくり逝くかもしれませんけど」

「おう上等だコラ、やってみろよ朝霧、そう言ってまた俺に手が届かないんだろうが」

 

 この二年と少し、変わらずに繰り広げられた光景だった。

 それでも歳月が経てば変化を求められるものだ。些細な例を挙げるならば、祐輝やルキアは十三番隊の一員として迎え入れられた。何事にも平等の扱いを受ける。些細な失敗を犯せば朽木家の養女という肩書は関係なく叱責が飛ぶ。虚を討伐しても、始解を修めているのなら当然だと特別視をされない。

 

「しかし、私は未だに始解が出来ぬ身だ」

 

 稽古を中断し、三席が直接握った塩結びを頬張る最中に発せられたルキアの問いかけ。祐輝は傍らの副隊長と顔を見合わせ、示し合わせたように頷き合う。

 

「だってお前、霊術院生で考えたら俺らの同期が卒業するのは今年だぞ」

「あのな朽木、俺や市丸、それとこの莫迦は例外でお前は普通だからな」

 

 要約すれば言葉の内容に大差はない。さりげなく罵倒された側としては青筋を立てるに留める、実に寛大な態度を見せるだけだった。

 海燕がまだ口を付けていない塩結びを本業の盗人にも相応しい身のこなしで懐へ仕舞い込んでいるのは、誰にも気づかれていない。

 

「しかし、虚の討伐に赴いても始解を修めていない私が足手まといにならないか、それだけが不安なのです海燕殿」

「そんなこと気にするな朽木、仲間を支えるのが俺たちの役目だ。お前より先任でも、まだ自分の斬魄刀を解放してない奴は大勢いる」

 

 それと朝霧、おめえ都のお握り盗っただろ。いやはやなんのことかさっぱり、五十年も死神をしてたら呆けたんですね。なんだとお前。

 取っ組み合いにならないのは食事の礼儀を正しく心得ているからだ。祐輝のみならず副隊長の海燕でも、志波都という存在には頭が上がらない。説教というものは悪童にとっての天敵だった。

 

「二年前のことなら、あれは俺が悪いんだよ。傍にいるお前から目を離したんだからさ」

「そうだぞ朽木ぃ、全部この莫迦の責任だから気負う必要はない。まっ、どうしてもって考えるなら」

 

 いい加減に罵倒をやめないだろうかこの人は。にしても、今日はまたいつもより悪巧みをしている顔つきだな。新しい悪戯を考えた子どものそれだ。

 そして見つめる先はルキアじゃない。つまり被害者は今日も変わらず。なんと哀れなことか。

 

「朝霧が現世から帰って来るまでに始解を修めろ」

 

 なぁ雛森、甘味処に行くのはまだ随分と先になりそうだ。

 

 

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