馬酔木の花   作:あばちみゃかむ

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第15話

 縁側に腰掛けた二人の間には呑気な空気が漂っていた。互いに饅頭を頬張り、熱茶で胃袋へと流し込む。常ならば憎まれ口を叩き合う間柄であるから、珍しい光景だった。

 穏やかに息をついたのは祐輝だった。午後の暖かな陽射しも相俟って絶妙に心地良い一時を堪能していた。熱茶を一口含み、思う。これで隣にいるのが雛森ならばよかったのに。

 

「平和っすねぇ」

 

 呑気に祐輝は呟いた。

 庭先から恥ずかし気な声が漏れ聞こえた。素っ頓狂な悲鳴が挙がる。副隊長の奥方がまた祐輝の同期に世話を焼いているのだろう。

 

「そうだな、いやぁ今日も尸魂界は平和だ。朽木の悲鳴が聞こえるのも普段と変わらない日常だ」

「いやぁ心地良くて俺もう尸魂界で骨を埋めますわ」

 

 手元の熱茶が空になっていた。傍に置かれた急須へ手を伸ばせば、既に海燕の手元にある。

 おう、副隊長が注いでやるから有り難く思え。いやいや海燕さんの手を煩わせるわけには。部下の面倒を見るのが良い副隊長なんだよ。だったら上司を立てるのが部下の仕事ですよ。

 互いに抜け目なく気配りを示し、自らが善意を行おうとする。祐輝は一向に湯呑みを手渡さない。それが良き部下であらんとする姿勢の表れだった。

 

「うん、実に謙虚でよろしい。だが上司の面子を潰すのは良くないぞ朝霧。だから現世に行け」

「いやぁ俺って本来なら霊術院を卒業する年頃ですから現世なんて荷が重いですよ。それにほら、先任隊士とかで相応しい人いるじゃないすか」

「お前の同期生たちはあと少しで卒業だろう。ほら、立派な先任隊士だぞ、喜べ。そして現世に行け」

「俺よりも真面目で優等生な連中が入ってきますね、なら問題児が現世に行っても先任としての示しがつきませんよ」

 

 交わされる言葉の論点は変わらない。つまりは現世に駐在しろという命令に対し、のらりくらりと躱しているのだ。

 流石に本人の意思を尊重するはず、祐輝の甘い目論見は藻屑と化した。病弱な隊長に代わって隊を取り仕切る海燕は他隊の副隊長よりも多忙なはずだが、こうして優雅に茶を酌み交わしている。

 己の上官がどのような人柄なのかある程度は心得ている。面倒見がよく、それでいて気さくで奔放な性格は多くの隊士からも慕われている。だからこそ、と祐輝は思う。

 どうして現世へ駐在させることに拘るのだろう。席官入りこそしていないが、経験豊富で相応しい先任隊士は幾らでも存在する。

 

「あぁ、そうだ。霊術院でお前や朽木と同期の連中が入隊してくるな」

 

 相変わらず呑気に熱茶を啜っていたが、声はつめたく、ほとんど抑揚が認められなかった。

 味の分からなくなった饅頭を胃袋へ流し込んだ。これが格の違いか。死神になって数年の自分と、五十年以上も大先輩との間に広がる絶対的な差。

 

「お前は虚の討伐任務でも順調に戦果を挙げ続けてるな。力量も、なんだ、始解を含めても同期生の中じゃ一番手だと俺は踏んでいる」

「こりゃ驚いた、海燕さんが俺を褒めてくれるなんて。明日には卍解まで修めてみせますよ」

「そう、俺は珍しくお前を認めたんだ。だから胸張って現世に行ってこい」

 

 入隊したその日のことを思い出す。半人前だから霊術院の教官に代わって直接この手でしごいてやる、ありがたく思え。あの時もこの人は熱茶を啜りながら呑気に言ったな。

 

「嬉しくない、とは言わないっすよ」

 

 拗ねるように祐輝は応じた。幼き時分に命を救われた恩人の背中が、こうして現在の立場を形作る礎なのだから。

 

「でも、本当にどうして俺なんすか。始解ができる、それだけの理由で霊術院を」

「そうだな、数十年に一度の割合で現れる才の持ち主だと相場は決まっているが、お前は本当に始解ができるだけで他は、まぁ」

「精々が斬術と他の実技科目、それしか誇れるものはありませんよ」

 

 始解さえ修めることが無ければ、今ごろは卒業を控えている一介の生徒に過ぎないのだと祐輝は主張していた。尤もそれは留年することなく無事に進級を果たしていれば、という前提によるものだったが。

 

「だが悪いことばかりじゃ無かっただろうが。お前は他の同期よりも数年だけ死神としての経験を積んでいる」

 

 後ろ手に髪をかき回しながら海燕は続けた。

 

「経験だよ、お前にもっと色んなものを積ませたい。言ったよな、仲間を信頼して欲しいって。これが俺なりに示せる信頼なのさ」

「それだけじゃないでしょうが」

 

 ある程度は本人の希望が受理される事例も多い。戦闘が苦手であれば虚の討伐任務に赴くことも無く事務仕事が割り振られる。或いは医療が専門の四番隊に配属されるだろう。

 当然だ、護廷十三隊という組織から死神が離反しないためと表現しても過言ではない。命令のみを押し付けられて嫌気が差せば、人心というものは容易く風に流されてゆく。

 だから、特定の個人に対して命令が下る場合は何らかの理由を備えたものと考えられた。適性を考慮された、特有の能力が必要とされるなど

 祐輝はそのどちらでもないと断言できる。本気で信じ込んでいた。鈴葬の能力が必要とされる局面など、最大限に好意的な解釈をしても虚の討伐のみだ。適性に関しては相応しいと思える先任隊士の顔が幾つか思い浮かんだ。

 

「逆に訊くが、お前はどうして現世に行くのを嫌がる。副隊長が直々に頼み込んでるんだぞ、名誉なことじゃないか」

「質問に答えて下さいよ」

「はぐらかすな、真面目に訊け。お前は討伐任務でも率先して斬り込み役を務める。相方の朽木はまだ始解を修得していない、それに斬術の腕も劣る。確かに合理的な判断だ」

 

 十三番隊の管轄する流魂街に虚が出現した際、祐輝は率先して討伐隊に志願した。負けてられぬとルキアも便乗することが多く、結果として二人が戦列を並べた回数は既に二桁を超えている。

 前衛として虚の注意を惹きつけ、側面からルキアが支援する。討伐の際に繰り返してきたことだ。

 

「朝霧、お前なら現世に行っても大丈夫だと俺は思っている、いや、信じたいんだよ。誰かが、いや、理由がないと戦えない、今のお前はそうだろう」

 

 核心を突く一言に祐輝が取り乱さなかったのは幸運だった。とぼけた様子で熱茶を啜ることで時間を稼ぐ。

 その瞬間にも海燕へ効果的な反論に用いる語彙を探すが、畳みかけるように言葉は続いてゆく。

 

「二年前、はじめての討伐任務にお前と朽木を連れてった時だ。罠を仕掛けて待ち構えていた二体の虚、そして俺たちは分断された」

 

 とてもよく覚えている。森の中に巣を作った虚の討伐任務だった。奇妙なことに、一体の虚が自らを餌として死神を誘き出し、霊圧を遮断する特異な虚によって獲物を狩るという一種の共生関係にあった。

 当時の祐輝は虚に襲われていた仲間を助けるため、束の間ルキアから目を離した。鈴葬の能力によって一体は討伐したが、残るもう一体の虚によって霊圧が遮断され、そして討伐隊の面子は見通しの悪い森林内で孤立した。

 

「二体とも朝霧が仕留めたと知った時は驚いたぜ」

「あの時はその、俺も焦っていたから。傷ついた仲間を放っておくのは論外だし、単独で動き回るのは虚の思う壺だ」

「だが、お前は自分を餌にして虚を誘き出して斬った。今もだ(・・・)、虚を相手するときは前に出て注意を惹く。どうしてそうする」

 

 暫し祐輝は黙り込んだ。理由を告げるのは簡単だが、同時にそれは己の言葉と矛盾するものだと気づいていた。

 今まで目を逸らし続けた問題に海燕は容赦なく斬り込んでゆく。

 

「危険を背負い込めば、その分だけ他の誰かが死ぬ可能性は低くなる。そんな阿保らしいこと考えているんだろ。朝霧、それって仲間を信じてないのと一緒だぜ」

 

 今度は熱茶を啜らなかった。降参したように息をついて項垂れる。

 

「俺は誰かを護るための力が欲しくて死神になった。昔、朝霧(故郷)で俺を助けてくれた海燕さんみたいな死神に憧れてね」

「あの時、俺が少しでも早く駆け付けていればお前の家族は救えたかもしれん。その逆もある、お前が死ぬか、そもそも二人して間に合わなかったか、だ」

「現実は俺だけが海燕さんに救われた」

「なぁ朝霧、人ってのは死んでもな、心を仲間の魂に預けるものなんだよ」

「聞きましたよ、俺が忘れない限り心の中に残り続けるって」

 

 忌まわしい惨劇の記憶は奥底へ鮮烈に刻み込まれた。茜雫と過ごした過去は全て残り続けている。

 家族を殺して生き残った。絶望に抗うだけの力が無かった。

 駆け付けた死神の背中が焼き付いている。命の灯火が風にかき消されなかった、圧倒的な力が欲しかった。家族を護れたかもしれない、永遠に叶わぬ希望を垣間見た。

 茜雫を心に遺す限り、後悔と贖罪、二つの深淵が泥濘と化して纏わりつく。生涯に渡って祐輝を蝕む呪いにも似た病魔だ。

 故に、己が持つ命に対しては無頓着だった。他者を救えるならば平然とその身を差し出す。

 祐輝の歪な姿勢は日ごろの鍛錬で既に片鱗を覗かせていた。寸分でも狂えば大怪我に繋がる、それ程までに紙一重の動きをする。敢えて隙を晒すことで相手の攻撃を誘引するのも厭わない。

 霊術院の実習で初めて現世に赴いた時も、仲間の命を護るために単身で虚を相手にした。その代償が己の命であると理解しながら躊躇はなかった。

 

「償いのつもりか、朝霧」

 

 へぇ、この人でも珍しいことがあるんだな。場違いな感想を抱きながら、悔いの滲んだ表情で口元を噛み締める海燕を見遣った。

 

「尚のこと見過ごせねぇな。俺にも責任の一端はあるってことだ、だから」

 

 続きを訊くことはなかった。重苦しい雰囲気を漂わせる二人の間へ申し訳なさそうにして第三者が闖入した。

 

「お取込み中のところ申し訳ないんですけど副隊長、朝霧君を借りてもいいですか」

「後にしろ虎徹、俺はこの莫迦と大事な話をしてる最中で」

 

 だが海燕はそれ以上の抗議を止めねばならなかった。第五席を務める虎徹清音の口から出された人物の名前を訊き、渋々ながら矛を収める。

 

「浮竹隊長が朝霧君に話がある、って」

 

 祐輝は気の抜けた表情を覗かせた。十三番隊は殆ど海燕が切り盛りするも同然で、わざわざ末端の隊士を病弱な浮竹が呼びつけることは珍しい。

 もちろん、身体の調子が良い時は溌溂とした姿を見せる。仲間を支え合う隊の気風も、全ては浮竹の存在によるものだ。代わりに隊を預かる海燕、団結する隊士たち。

 合わないのかもな、仲間という存在が。唐突に祐輝は感じた。背中を預け合う戦友よりも、命を賭して護るべき存在が傍に欲しい。

 犠牲と危険の渦中に身を投げることが己の望みかもしれない。途端に嗤いが込み上げてくる。恐怖に屈した記憶を拭うこともできない癖に。

 醜悪な部分を目の当たりにする気がして莫迦な考えを振り払う。それではまるで。

 

「失礼します、お呼びに預かり参上しました朝霧祐輝です」

 

 隊舎からそれなりに歩いた場所にその邸宅は建っていた。護廷十三隊でも地位の高い死神には個別に邸宅が与えられる。貴族の出である浮竹はそうして与えられた二つ目の邸宅を療養の為に用いていた。

 そうした次第で、畏まった口調で襖の向こう側へと告げるが、我ながら何ともまぁらしくない言葉だ。これから対面する人は砕けた物言いをしても気に留めないが、やはり隊長の存在は大きい。

 襖の向こうから入室を促す言葉が返った。これまたらしくないものだと思いながら、礼儀作法に則った形で足を踏み込む。

 広々とした室内を、贅沢にならない絶妙な安牌で調度品が存在感を示している。陽光の通りも良く、暗澹とした雰囲気は感じられない。

 

「ははっ、そこまで畏まらなくてもいい。肩が凝るんじゃないか」

 

 長い白髪を垂らした男性は朗らかに答えた。肌に艶がある。布団から上体を起こしていた。今日は身体の具合が良いのだと分かる。

 

「隊長がそう言うなら、お言葉に甘えて」

「朝霧の愚痴は時々聞かされていたよ、莫迦で生意気などうしようもない莫迦だとね」

「それ海燕さんでしょ、うっわ二回も莫迦って言ってるんすか。莫迦って言う人が莫迦だから莫迦な俺よりもあの人が莫迦ってことですねそれ」

 

 代理人として隊を預けた人物が罵倒されても、浮竹十四郎は痛快な様子で肩を震わせた。片手で膝を叩くほどで、業務を副隊長に任せて床に臥す病人だと誰が思うだろうか。

 しばらくのあいだ二人はどうということもない話題に興じた。虎徹清音の運んで来た、曰く健康に効くと評判の涼茶を呑み、茶菓子をつまんだ。

 つい先ほどまで海燕と似たようなことをしていたから、自然と手を付ける速度は緩い。やがて世間話の勢いもなくなった頃合いで、浮竹が本題を口にした。

 

「現世駐在が乗り気じゃないと聞いたが、深い理由でもあるのか」

 

 素朴な疑問だった。現世の駐在任務に就く死神は将来を期待された逸材だからだ。

 死神は基本的に単独で現世へ派遣される。管轄する一つの街に一人の割合だった。あまりにも多くの人数が駐在すれば、死神の存在それ自体が虚を呼び寄せる撒き餌としての役割を懸念された。

 必然的に単独で駐在しても問題のない実力を備えた死神が任命される。それらは席官入りを果たしていない一般隊士に限定された。

 席官は一般隊士を取りまとめる役割も担う。実力者が揃う上位席官に至っては現世の霊力ある存在にどのような影響を及ぼすか不明であり、二割までその霊力を封印される。

 それを逆手に取り、席官と同等の実力を保持する一般隊士が派遣される。形式上は霊力の限定封印対象とみなされることもなく、代替の効く存在であるからだ。

 現世で規定の駐在期間を勤め上げて尸魂界に帰還すれば、余程のことがない限り昇進は確実となる。

 

「そのことで海燕さんと話し込んでましたよ。どうも、意外と俺のことを買ってるみたいで」

「あいつは面倒見がいいからな。駐在の交代要員で朝霧の名前を口にしたのは驚いたが、それだけ認めている証だろう」

 

 その通りだ、海燕は信頼を示してくれた。祐輝は上官の心配りを裏切るに等しい理由で現世へ赴くことを躊躇する。

 

「怖いんですよ」

 

 あまりにも簡潔に述べられた一言は掴みようがない。

 

「現世か、確か朝霧は実習中に」

 

 眉根を寄せた浮竹を遮り、祐輝は首を横に振る。

 

「えぇ、虚に襲撃されて。始解できなきゃ俺は死んでましたけど、でも現世じゃないすよ俺が怖いのは」

「何を怯えているんだ。虚の討伐には率先して志願してるのだろう、報告書はこれでも目を通してる」

「俺がまだ子どもの頃、流魂街で海燕さんから命を救われたことは知ってますか」

 

 醒めた声音で祐輝は訊ねた。意図的に抑揚を抑え込んだ者に特有する、ある種の渋みを感じさせた。

 初耳だったのだろう、両目を見開いた浮竹は何やら口ごもり首を振った。

 

「よくある話ですよ、二人の子どもが遊んで(・・・)たら(・・)虚に喰われかけた。駆け付けた死神のおかげで虚は討伐され、俺はここにいる」

「子どもが朝霧、死神があいつか。だが、待て、二人だと?」

 

 ある種の予測を立てたらしい、確認するように浮竹は訊ね返した。

 

「もう一人は、既に」

「俺を置いて遠くに逝きましたよ」

「何が言いたいのか分からないな。虚や現世に怯えてるわけでもない、その過去が原因なのか」

「要約すれば」

 

 喉を潤すべく涼茶を一口含む。茜雫と暮らしていた頃では想像もつかない贅沢品だ。

 

「現世じゃ俺は独り、護るべきものは沢山。それが怖いんです」

「仲間がいないと戦えない、そういうことか」

「命を取り零す、そんな経験は一度で充分です」

 

 意味を解した浮竹は呻いた。

 

「どうしようもない莫迦、確かにその通りだ」

 

 現世に駐在する死神の役割は二つに大別する。彷徨い続ける魂魄を尸魂界に魂葬すること。そして、現世を荒らす虚を討伐することだ。

 独りでこなさなければならず、そして街というものは広い。存在の希薄な魂魄ともなれば、霊圧探知に引っ掛からない場合もあり得る。

 虚の出現はその兆候を探知できない。つまり後手に回らざるを得ず、僅かな差で悲劇が巻き起こるかもしれない。

 己の身に巣食う恐怖の一端を祐輝は示した。手の届く距離にいながらも、茜雫の二の舞、その仮定に囚われた。酷く傲慢で、この上なく人としての恥を曝け出した。

 

「中央四十六室で選択を迫られたはずだ。斬魄刀を持ち続けるか、全てを捨てるか。朝霧、力を持つ者には相応の責任と誇りがある」

「誇り、ですか」

 

 掴み所のない表情を浮かべながら呟く。過去を振り返って嘲笑うような口振りだったが、言葉と態度は奇妙にもかみ合わない。

 

「朝霧にとっての力は()る為にあるんだろう。お前は今、現世の守るべき存在を斬り捨てたと分かってるのか」

「えぇ、そうです。こんな俺だから、現世に行っちゃだめなんだ」

「心の内に抱く誇りすら容易く捻じ曲げる、そんな死神が現世でも尸魂界でも、誰かを護り、命を救えると思ってるのかお前はっ!」

 

 浮竹は怒鳴った。腰が浮いている。無理が祟ったのか咳き込むが、もどかしいとばかりに口元を抑える。

 祐輝は何も言わない。温厚な浮竹の怒鳴り声を訊くのは入隊して以来、初めてだった

 

「朝霧、まず護るべきものは自分自身の誇りだ。誇りを守る為に戦えば、やがて命を守る戦いにも繋がる」

 

 微かに祐輝は喉をうごめかせた。教え子を諭す教師のような口調に変化したことへ、対応できていないのかもしれない。

 

「まだ若く、俺と違って健康だ。些細な失敗を恐れずに見聞を広める機会だと思えばいい。隊長命令だ、現世駐在の任に就け、いいな朝霧」

 

 祐輝は頷いた。幾ばくかの間を必要とした。もちろん、心の底から納得したわけではない。しかし、浮竹の言葉は理にかなっている。

 無意識のうちに安堵のため息が漏れた。驚き、間を置いて理解する。見限られて当然の言葉を吐いた。それを若さ故のものと断じて捨て置かれた。つまり。

 

「承りました、朝霧祐輝、現世駐在の任務を拝命いたします」

 

 流れに身を任せるだけだ。手の届く範囲なら諦めずに足掻き続ければいい。虚が出現すれば、被害が出るよりも早く仕留めること、容易いじゃないか。

 

「もういい、この話はここまでだ。次は、そうだな、現世から戻った時にでもまた顔を出してくれ」

 

 浮竹の邸宅を後にすれば、空模様は夕闇に(いざな)われていた。随分と長く話し込んでいたらしい。

 凝り固まった身体をほぐすように動かしながら帰路に着く。瀞霊廷でも上位席官に与えられる邸宅が並んだ一角だからだろう、路地を歩く人影は認められない。立場と言うものは終業時刻を迎えても個人を拘束する時がある。

 閑散とした路地を進んでゆく。曲がり角の向こうに、茜色の光が差し込んでいた。

 陰影に彩られた二つの瞳を祐輝は宙へ向けた。忌まわしい濃霧は元より、一片の雲すら瀞霊廷の空には見当たらない。夕陽が儚く姿を隠そうとしているのみだった。

 見聞を広める機会だと浮竹は説いた。天は祐輝に示された可能性を暗示するかのように果てしなく広がってゆく。

 

「やぁ、奇遇だね朝霧君」

 

 反射的に鈴葬の柄へ手を遣りながら、すぐさま己の莫迦さ加減に辟易とする。旅禍が侵入でもしない限り瀞霊廷で抜刀するなどあり得ない。深呼吸を挟み、背後から声をかけた存在へと振り返る。

 

「藍染隊長、お疲れ様です。隊舎から帰る途中ですか」

 

 影の中でも眼鏡の煌めきが激しく存在を主張していた。両手を組みながら、常と変わらぬ穏やかで人を安心させる独特の微笑を藍染は浮かべた。

 

「そういう君は、浮竹隊長のお見舞いかな。久しく隊首会にも顔を出していないが、元気でいられたかい」

「えぇ、ほんと。少しばかり説教も喰らいましたけどね」

「ははっ、それが若者の特権だ。僕たち大人は失敗すれば責任を取る立場だからね」

 

 歩み寄った藍染は穏やかな物腰だが、眼鏡の奥から注がれる聡明な視線は全てを見透かされたように錯覚する。

 

「十三番隊では活躍してるそうじゃないか。訊いたよ、現世に駐在するのだとね」

「耳が早いですね。ついさっき、正式に隊長命令を貰ったところです」

「期待されているね、つくづく君が五番隊でないことを残念に思うよ。十三番隊は良き人材を得た」

 

 そうかな、本心を打ち明ければ貴方は見限るかもしれない。それとも浮竹隊長とは違った答えを示してくれるのか。

 だから莫迦なんだと海燕さんに言われるのだな。もうこの身は学生じゃないのに、求めれば答えが見つかると信じている。

 

「不安を抱くのは当然さ。寧ろ僕は諫める必要がなくて安心したよ。実力を過信して蛮勇に呑まれた命は一つの結末しか迎えない。あぁそれとも、君の場合は不満かな」

「漏らす不満はもう俺の中に残ってませんよ」

「嘘をつく男は女性から嫌われるよ朝霧君。霊術院の卒業式と日程が被ってるのだろう、駐在派遣期間と」

 

 卒業式の単語に眉が動いた。髭の生えてない顎を撫でさすり、感情の読みとれない顔色を浮かべる。能面ではない。飄々とした、掴み所の無い表情だった。

 

「しまったな、すっかり忘れてた。感動の再会が先延ばしになる、怒った雛森は面倒だ」

「どうだろう、今すぐにでも五番隊へ異動届を出さないかい。十三番隊とは僕が話をつける、そうすれば現世の駐在は無かったことになる」

 

 茶目っ気を含んだ声で藍染は便乗した。新たな一面を覗き見たことに驚きつつも、祐輝はわざとらしく応じた。

 

「藍染隊長に迷惑をかけたと雛森に知られたらどうなることか。それこそ俺は現世でほとぼりが冷めるのを待ちますよ」

「また振られちゃったか、京楽隊長を見習って口説き文句の一つでも考えた方が良さそうだ」

「やめてください、他の隊から多くの死神が五番隊に押し掛けますよ」

 

 海燕の使い走りで他の隊舎に赴く機会はそれなりにあるが、藍染は隊の垣根を越えて多くの隊士から慕われている。隊長が呑んだくれの八番隊や、業務を部下に丸投げする十番隊などからは本気で多くの隊士が異動を申請するだろう。

 割と真面目に釘を刺せば、傷ついたように藍染は苦笑した。本人の主観と他人の評価が一致しないのは致し方ない。

 

「雛森君に伝言があれば言付かるけれど、何かあるかい」

「なにも」

 

 祐輝は即答した。無情とも言える決断だが、歪な人間性を持つなりの誠意でもあった。

 

「祝言は直接あいつに伝えますよ、現世から帰った(・・・)後に」

「それは、無事に尸魂界へ戻って来る決意と受け取るべきかな」

 

 頼もしいと五番隊の隊長は頷きを繰り返した。やがて思い出したように付け加える。

 

「虚とは執着心の強い存在だ。いや、胸の孔こそが欠けた心だと言える。埋めることのできないものを永遠に求め続ける、理から外れた存在だ」

 

 沈黙で肯定を返した。藍染がいわんとしていることに興味をそそられ、続きを促す。

 

「ただの人には理解の出来ない行動でも、欠けた心を補う何かしらの意味があるものだと僕は思っている」

 

 夕陽の残光が儚く散り、藍染の全身を闇が覆い尽くした。

 

「君は、どうやら特異な虚と縁があるみたいだからね。現世では気を付けなさい朝霧君」

 

 鈴の音色が木霊するよりも早く、藍染の言霊が脳裏へ刻まれる。

 

「死者と対面するかもしれない、そのくらいの心構えをしておいた方がいい。人は目に見えたものを真実と誤認する弱い生き物だからね」

 

 

 

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