馬酔木の花   作:あばちみゃかむ

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第16話

 飾り気のない黒一色に染められた着物へ袖を通し、汚れの見当たらない純白の帯を強めに締める。姿見に映し出された己の身体に異常がないか確認し、雛森桃は満足気に頷いた。

 白を基調として、朱色に染め抜かれた震央霊術院の制服ではなかった。死覇装を身に纏った雛森の姿は、護廷十三隊に所属する正式な死神だという紛れもない証だった。

 二つに結った黒髪を下ろし、半身として馴染み深い浅打を腰に差す。着物の色を除けば霊術院の生徒であった頃と大差はなく、それ故に経過した時の長さが顕著だ。

 小動物を彷彿とさせるほどに愛らしく、子どものように幼い顔立ちは爽やかな微笑を刻んでいた。名残惜し気に寮の自室を見回す様は外見に反して酷く落ち着いたものだった。

 備え付けの布団と机、そして姿見の他は何もない質素な部屋だ。それでも六年も寝起きした我が家との別れを迎えるのだから、寂寥に彩られるのは仕方がない。

 

「今までありがとうね」

 

 入隊式までは幾ばくかの時間が残されており、それは流魂街出身者に対する細やかな配慮だった。

 死神となれば与えられた隊舎の一室で生活を送る。気軽に流魂街へ出かける暇もなくなるため、家族と別れの挨拶を行うのは入隊式までの空き時間に済ませねばならなかった。

 むろん、貴重な時間を存分に活用させてもらう。

 故郷の潤林安は祝福するように蒼穹が澄み渡り、小鳥の囀りが鼓膜を震わせる。治安も良好で瀞霊廷に隣接する位置ではあるが、死覇装を着た雛森の姿に住人たちの視線が吸い寄せられる。

 嬉し気に、それでいて寂しさを覗かせる様子は雛森の心情を表現していた。

 慣れ親しんだ風景を噛み締めるように脳裏へ刻む。緩やかな歩みで故郷を堪能しながらも、やがて雛森は一軒の小さな家に辿り着く。

 風雨に打たれ、色褪せた木造家屋には所々に補修の痕が見受けられた。圧巻されるような立派な造りではないけれども、幼少期を過ごした大切な想い出の詰まった場所だ。

 視界の片隅で人影が揺れ動き、俊敏な動作で雛森の下へ駆け寄って来る。他に人の気配はせず、どうやら家には一人しかいないらしい。

 白髪と浅葱色の瞳が目を惹く特徴的な少年は、その表情には微妙な色合いが滲んでいた。

 

「お前、死神になるんだな」

 

 手を伸ばせば届く、なんとも微妙な間合いを保ちながら日番谷冬獅郎は呟いた。雛森と空いた心の距離を体現するかのようだった。

 

「ううん、違うよシロちゃん。あたし、もう死神なんだよ」

 

 死覇装の袖を持ち上げ、更には腰に差した浅打の柄を叩いて見せた。だが幼馴染みにとっては些細な事らしく、重ねるように言葉を発した。

 

「シロちゃんってのやめろ。死神になったら、その、もっと格好つけろよ。お前は泣き虫で寝小便するから、だから頑張れ」

「ちょっとシロちゃんっ! 女の子に向かってそれは酷いよっ!」

「うわ、ちょっ、離せよ……っ」

 

 日番谷の構築した心の柵を容易く乗り越えた雛森は、心の家族をその両腕に抱き締めた。言葉による抗議と裏腹に、その存在を掴み、離さんとする力強さが二人にはあった。

 胸中の温もりは矛盾するように冷たい鼓動をしていた。霊力の脈動が両腕を通して伝わってくる。かつて祐輝が独り言のように呟いた、日番谷に眠る力だと雛森は気づいた。

 同時に、祐輝の持つ霊圧探知能力の高さを実感する。生活を共にした雛森ですら、日番谷の奥底に宿す霊力の強さを見抜けなかったのだ。

 

「シロちゃんが死神になったら、名前で呼んであげる」

「誰が、死神になるかよ」

 

 日番谷は死神に快い感情を抱いていない。こうして雛森が死神になった今もそれは変わらないらしい。

 

「そっかぁ、残念。シロちゃんはあたしよりも強い死神になれると思うんだけどなぁ」

 

 両腕を離せば、面食らった日番谷が上目遣いに訊ねる。

 

「お前を守れるくらいに、か?」

「そこは頑張り次第だよ。あたしを守るつもりなら、祐輝くんよりも強くならないと駄目だよ?」

「あんな奴が、強い訳ねえだろ」

 

 祐輝が霊術院を去って以来、日番谷の中では好感度と呼べるものが最低に近いらしい。詳しい理由は雛森も知らず、それとなく探りを入れてもはぐらかされ続けた。

 休日に祐輝を連れてくれば、決まって不機嫌となりながらも本心から嫌った様子ではなかった。心境の変化なのか、或いは、もっと別の深い何かがあるのだろうか。

 

「でも、うん、大丈夫だよシロちゃん。あたしは虚に負けないし、いざとなれば祐輝くんもいるから。あたしの代わりにお婆ちゃんを守ってあげて」

「莫迦かよ、んなこと言われなくても分かってる」

「当り前のことでも、それは尊くて大切なものなんだよ」

 

 家族の温もりを、彼は遠い過去に置き去りにしている。雛森や日番谷にとっての日常は、祐輝から欠けた存在だ。

 

「一つだけ約束して。誰かの為に頑張れる、素敵な男の子になってね」

 

 胸中を占め、脳裏を過ぎるのは二人の死神だ。尊敬と憧れが同居する命の恩人は多忙であるにも関わらず、授業のために霊術院に訪れると生徒たちの相談を快く受けていた。

 そしてもう一人、風に乗せられて遠く離れた場所に赴く少年の背中が目に浮かぶ。

 

「もう時間だから、あたし往くね。お婆ちゃんを頼んだよ、日番谷(・・・)くん(・・)

 

 家族との別離で感情を揺さぶられる雛森は思った。今生の別れによって抉られた祐輝の傷は、容易に想像できるものではないと。

 飄々と意地の悪い性格になるまで、如何ほどの時間を必要としたのだろうか。僅かに垣間見た固い決意に満ちた表情と、普段の面倒くさがりな言動、矛盾を孕んだ掴み所のない人柄は決して後ろ向きの姿勢ではない。

 身近な者の死に触れた経験があるからこそ、人を気遣う優しさの持ち主なのだ。仲間を助けるために躊躇なく単独で虚に立ち向かうなど、誰にもできる芸当ではなかった。

 善性を体現した生真面目な性格が災いした。雛森が照らした祐輝の影は浅い局面に限られていた。

 祐輝の心は過去に囚われ、現在(いま)に至るまでその身を蝕んでいるなど雛森には知る由もなかった。

 

 

 ▽

 

 

 視界は全てが黒塗りの影だった。男女の違いはなく統一された漆黒の服装に身を包み、正式に己のものとした斬魄刀が腰へ差してある。むろん、その全てが無銘の浅打であるのは一目瞭然だった。

 雛森と同じ学年で銘のある斬魄刀を所持するのは、一人しか存在しないからだ。

 入隊式が行われる場所は隊舎に備え付けの道場だった。緊張によるものか、静寂が場を支配している。落ち着きなく周囲を見回し、或いは手近な同僚(・・)に話しかける死神もいた。

 仲の良い友人たちが同じ隊に配属されるとは限らない。同級生として見かけた記憶がある、という程度の間柄が大半なのだろう。

 その点、雛森はある意味で幸運だった。むろん、鬼道の天才として名が通っていたから、他の同期からすれば知らない存在ではない。

 雛森にとって幸運なのは、互いに頂点を目指して練磨を重ねた級友たち(・・)が同じ隊に配属されたことだった。運勢に恵まれた差配(・・)であると考えられた。

 

「良かったぁ、二人とも同じ隊で。あたし、独りぼっちだったら緊張で固まってたよ」

 

 先んじて談笑を交わしていた友人たちの下へ駆け寄った雛森は苦笑と共に漏らした。

 出来の悪い冗談を訊いたように、体格に恵まれた赤髪の青年が口元を歪めた。阿散井恋次は入隊式を控えても常と変わらぬ様子だ。

 

「ここは五番隊だぞ? お前、藍染隊長を追っかけに来たのか?」

「阿散井くんこそ、十一番隊の入隊式に行かなくていいの? ほら、ここは五番隊だから」

 

 控えめに祐輝のことを訊ねる恋次に対して、雛森は軽口を叩いて応じた。

 敬愛する藍染の五番隊に配属されたのは雛森にとっての希望が叶った形ではある。尤も、密かに残念な気持ちが生じたのも事実だ。祐輝を五番隊に迎え入れることが出来なかったと、霊術院時代に隊長から直接訊いていたのだ。

 

「へっ、俺は斬術だけが取り柄の猪じゃないって、きっと藍染隊長も理解してたんだろうよ」

「祐輝くんは縛道が駄目なだけで、他の部分は頑張ってたんだけどなぁ。阿散井くんと交換してくれないかな」

「まるで俺を物みたいに言いやがって。オイ吉良、お前も何か雛森に言ってやれよ」

 

 その一角だけは霊術院の頃と変わらない和やかな雰囲気を醸し出した。凍てついた緊張という枷も、雛森たちの談笑によって穏やかに雪解けの様相を見せる。距離を置いた他の同期生たちの表情に精気が戻り始めた。

 可憐な少女の華が咲く笑顔は、周囲の誰もが目を惹かれる魅力を放っていたのだ。

 不運なのは、僅かでも近づいて交友を深められない点だった。柔和だが影のある面持ちの吉良イヅルは時折周囲へと視線を走らせており、渦中の華へ何人も寄せ付けない気配を漂わせていた。

 もっとも、雛森桃という少女の気を惹こうと本気で考えるならば、遥かに手強い存在が控えていた。

 娯楽が少ない霊術院では、他人の恋路は貴重な話題の一つとして提供された。当然のごとく、可憐な容姿を持ち、学業も優秀で多くの生徒に好まれる人柄の雛森も名前が挙がった回数は少なくない。

 下級生を中心とした噂であれば、学年主席の座を争う吉良イヅルとの関係が逞しく妄想された。

 一方で、上級生の間で流れた話題は別だった。現世で虚を撃退し、その功績が評価されて護廷十三隊に引き抜かれた朝霧祐輝の存在が大きかったのだ。

 学年の問題児と鬼道の天才が傍目に見ても仲睦まじい様子であったのは日常だった。体調が芳しくない状態で授業を受けた雛森を、両腕に抱きかかえて強引に救護室へ運んだ逸話が残るほどだ。

 人格者である五番隊の隊長に勝る部分を持たない男子生徒たちは、必然的に問題児の後釜を夢想したが、逞しい漢気を発揮した彼らの恋路はその全てが無惨にも斬り伏せられた。

 そうした次第で、友人関係を築いた男子生徒は非常に少ない。

 

「君たちの緊張をどうやってほぐすか悩んだのは杞憂だったかな」

 

 穏やかな声が木霊し、室内に集められた新任隊士たちの視線が出入り口へと殺到する。

 折角の雰囲気を自身の登場で台無しとなった事実に軽い後悔を滲ませながらも、藍染隊長は朗らかに笑った。

 軽く首をうごめかし、雛森と視線が交差した際に僅かながら口元が緩んだように思えた。

 

「うん、どうやら皆が集まってるようだね。ははっ、僕のせいで緊張してるかもしれないが、気にする必要はないよ。そうだね、退屈な授業の延長とでも思ってくれた方が僕としては嬉しいかな」

 

 しかし、正直に藍染の言葉に従う素振りを見せた者は誰一人としていなかった。恋次ですら、背筋を正していたほどだ。

 問題児が紛れていれば、遠慮なく常と同じ態度を取ったのかもしれないと雛森は思った。何故ならば祐輝は、藍染の授業でも居眠りをしないだけで受講態度は褒められたものではなかったのだから。

 

「さて、まずはおめでとうと言っておくよ。君たちは霊術院で研鑽を重ね、尸魂界と現世を守護する魂魄の調停者へと至った」

 

 朗々と藍染の声が響いた。それは演説と呼ばれる部類のものであり、訊く者の心を掌握する不可思議な魅力を伴っていた。

 

「だが勘違いしないでほしい、僕ら死神は力を持つだけの個人であり、天から全てを見下ろす神ではないのだと。力に驕らず、それでも高みを目指して励んでくれることを願うよ」

 

 ふと、聞き覚えのある内容だと感じた。確か、はじめて藍染隊長の授業を受けた時にも同じような話をしていたはず。本当に、授業の延長みたいなものだ。

 

「そして、護廷十三隊はそれぞれに隊花がある。五番隊の隊花は馬酔木、花言葉は危険と犠牲、そして」

 

 一瞬、眼鏡の奥に垣間見える眼光に射抜かれた錯覚を覚えた。否、雛森を通して更にその背後、何処か別の人物を視てるような感覚だ。

 

「清純な愛、この三つを心の片隅にでも留めてほしい。将来、危険な任務に就くかもしれない。或いは、自らを犠牲にする局面が訪れるだろう。それでも、君たちが抱く信念や愛といった存在のために、果敢に立ち向かって欲しいと僕は願うよ」

 

 あぁ、祐輝くんのことを言ってるのかな。独りで虚と戦う危険、大怪我を負って友だちを助けた犠牲。うん、馬酔木の花言葉が似合ってる。

 やがて、茶目っ気の溢れる口調に転じて藍染は付け加えた。

 

「退屈な話を訊くと昼寝をしたくなる子もいるからね、これくらいにしておこう。僕ら五番隊は新たな死神を歓迎するよ」

 

 こうして、入隊式という大層な名に反した短い行事が終了した。藍染の細やかな配慮であるかもしれなかったが、雛森にとっては都合が良かった。

 退出する藍染の後ろ姿を追いかけた雛森は控えめに、しかし単刀直入に切り出した。

 

「あのっ、藍染隊長。祐輝くんの所属する隊をご存知ないですか?」

 

 一介の霊術院生には教えられないとかつて語られた。表向きは虚を撃退した功績による引き抜きだが、始解を修得した事実に関連して雛森には想像もつかぬ動きがあったらしい。

 面倒事に巻き込まれない配慮であるとは察せられたが、それでも辛抱強く問いかければ、五番隊に引き抜けなかったと告げられたのだ。

 雛森は正式な死神として、最低限の立場は得たと言える。

 

「相変わらず、朝霧君にご執心だね」

「そっ、そんなことないですっ! 祐輝くんは意地悪で面倒くさがり屋だから、誰かに迷惑をかけてないか心配、そうっ、心配してるだけですから……っ」

 

 嘘だ。不真面目な授業態度を注意してもどこ吹く風で、愉快だとばかりにからかう意地悪な祐輝。整えた髪を撫でまわす手の温もり、掴み所のない表情から僅かに垣間見えた刃のように鋭い瞳、その全てが懐かしく、そして。

 

「ならば君に入隊祝いとして、ささやかな贈り物の代わりとして受け取ってもらいたい。彼は、朝霧君は十三番隊に席を置いている。確か今は――」

「ありがとうございますっ、藍染隊長っ!」

 

 善は急げ、思い立ったが吉日という。年単位で顔を合わせていない祐輝の下へ駆けつけるべく、雛森は慌ただしくも瞬歩でその場を後にする。

 粉塵が巻き起こり、藍染の眼鏡だけが自己主張するように鈍い輝きを発していた。

 

「――現世に駐在してる、のだけれどね。全く、彼女を視れば愛とは僕にとって理解から程遠い感情だとつくづく思い知らされるよ」

 

 

 ▽

 

 

 路地の曲がり角から様子を窺えば、隊舎の入り口には守衛の姿が見受けられない。門も開け放たれており、堂々と中へ入ることが可能だ。

 人に逢いに来ただけで果たして他の隊舎に足を踏み入れても良いものだろうか。仕事でもないのに、他の隊舎に遊びに来るのが五番隊の隊士、そう思われるかもしれない。

 或いは目的の人物は今も仕事中で、突然押しかけたならばかえって邪魔なのではないか。

 根が真面目な性格が災いして、些細な事でも真剣に悩んでしまう雛森は結論を見出すまでに幾ばくかの時間を必要とした。

 そうして漸く決心が固まった雛森が路地から姿を出そうとしたときのことだった。

 

「ってなわけで、朝霧が――」

 

 複数人の気配と陽気な声が隊舎の内側から響いてきた。何よりも雛森の耳は敏感に反応を示した。

 半ば無意識のうちに鬼道で霊圧と姿を遮断しながら、隊舎から出て来た一団を観察する。遠征でもするのか、複数の死神は荷物を背負い込んでいた。女性の姿も見受けられた。

 見送りなのだろう、長身の男性は呑気な様子だった。遠征要員であろう小柄な女性の肩を叩きながら、快活に口元を動かしている。

 もっとも、雛森が注目したのは隊士の様子などではなく会話の内容だった。確かに訊いたのだ、朝霧という単語を。

 

「安心してください副隊長、朝霧がいなくともお守りは俺たちが立派に努めますって」

「そうですよ、そりゃあ朝霧は先任の俺らよりもう充分に強いですけど、経験ってもんじゃ負けたつもりはないです」

 

 幾人かの隊士が口にする朝霧、それは間違いなく祐輝のことだろう。先任隊士すらも既に実力では凌駕していると知り、雛森は我がことのように喜びを噛み締める。

 だがそれも束の間、続く会話の内容は感情を凍結させるには充分過ぎるものだった。

 

「まっ、朽木としては朝霧と一緒じゃないのが残念かもしれないが」

「そうそう、二人が連携すれば虚なんかすぐに片付くもんな」

 

 小柄な死神が何やら慌てふためいた様子で両手を振っている。一瞬、横顔を窺う機会に恵まれた。見覚えのある顔立ちだった。

 先ほど隊士が口にしていた朽木という姓、そして祐輝が行動を共にするとなれば、必然的にある人物が浮かび上がる。

 霊術院では祐輝と同じ二組に在籍しており、そして護廷十三隊の中では今日まで同期に恵まれなかった人物だ。同じ十三番隊ならば、成る程、二人が行動を共にするのも頷ける。

 同時に、内心を不快な感覚が渦巻いた。狂おしいほどに脈動が強くなり、思わず胸元へと手を遣る。

 雛森は瞳を瞬かせた。祐輝の好意、或いはそれに準じた何か。それらが己ではない他の誰かに向けられたかもしれない事実は、感情を揺さぶるには充分な威力を秘めていた。

 

「おい朽木、あの莫迦がいないからって虚を目にしても泣き喚くなよ」

「海燕殿まで何を言うのですかっ!? 朝霧なんぞいなくとも、私は戦えますからっ!」

「どうだか、いつも莫迦が身体を張っていただろう」

 

 やがて喧騒は収まり、凛とした面持ちの女性に率いられて死神たちは流魂街の方向へ歩み去ってゆく。会話の内容から察するに、虚の討伐に赴くのだろう。

 隊舎の門前には見送りの副隊長らしい死神が佇んでいた。思案顔で顎に手を遣り、瞬時にして視界から消え去った。

 咄嗟の出来事に雛森は混乱し、同時に耳元から囁き声が響く。

 

「盗み聞きは感心しねぇな、その度胸は認めるけどよ」

「うひゃあっ!?」

 

 驚愕のあまり素っ頓狂な悲鳴を挙げながら背後を振り返る。尻もちをつく醜態だけは回避した。

 両腕を組み、呆れた様子で仁王立ちする十三番隊の副隊長は雛森を見下ろしながら呟いた。

 

「なんだァ、まだ子どもじゃないか。見たところ新任、けど十三番隊(ウチ)じゃねぇな。あれか、恋人にでも逢いに来た、ってか。この時期になるといるんだよなぁ、お前みたいなの」

「こっ、こここ恋人じゃないですっ! 友だち、そう、友だちに逢いに来たんですっ!」

「ほぉ、友だちねぇ。嬢ちゃん、そいつはどんな奴なんだ? あぁ、俺は十三番隊で副隊長をしてる志波海燕ってんだ、なぁ、副隊長の頼みは断れないだろ?」

 

 脅迫じみた言葉と違い、海燕は実に愉快な玩具だとばかりに笑って見せた。人の困った様子をからかい愉しむ人柄らしい、何故だかそれは祐輝を彷彿とさせるものだ。

 頬を膨らませながらも反感を抱くが、盗み聞きしていた手前、突っぱねる訳にもいかなかった。自信のあった鬼道を容易く見破った実力は副隊長が伊達ではない証拠で、つまりこの場からの逃走も不可能だろう。

 そもそもとして、目的は祐輝なのだから堂々と胸を張ればいいのだ。うん、別にやましいことはしてないはず。盗み聞きに関しては、弁明のしようがないけれど。

 

「あたし、あの、霊術院で友だちだった朝霧祐輝くんに逢いに来たんです」

「ひょっとしなくても、あの莫迦で面倒くさがり屋で不真面目な朝霧祐輝か?」

「ええっと、多分そうです。霊術院を卒業する前に引き抜かれたはずなんですけど」

 

 一転して現実を拒否するかの如く海燕は呆けた表情で呟いた。

 

「嘘だろ、そいつは間違いなくあの莫迦じゃねぇか……」

 

 ねぇ、目を離した間に祐輝くんは何をしたの。副隊長さん、苦しそうに呻き声を漏らしてるんだけど。もしかして迷惑をかけてるのかな、ねぇ。

 

「くそっ、筋金入りの莫迦じゃねぇか。女の子を待たせるなんざ、男のやることかよ」

「あのっ、祐輝くんって何か迷惑をおかけしたのでしょうか……?」

「ん、なに、迷惑ってもんでもないさ。けど、あぁ、嬢ちゃんの名前と所属は?」

「今日から五番隊に配属された、雛森桃です」

「ってことは、藍染隊長のとこか」

 

 得心がいったと掌を叩いた十三番隊の隊長は、今度は困ったものだと呟きながら唸り始める。表情が良く変わる人物だと思ったが、感情が表に出やすい素直な人柄なのだろう。

 

「はぁ、莫迦の癖に隅に置けない野郎だ」

「莫迦、莫迦って言ってますけど、でも祐輝くんは」

「あぁ、朝霧は誰かの為に戦える、それこそ命を投げ出す優しい奴なんだろ。分かってる、アイツのことを貶めるつもりはないんだ」

 

 反論は瞬時に封絶された。冗談のような軽い口調だが、真摯な響きの籠った声音だった。

 

「嬢ちゃん、雛森だっけか。わりいな、朝霧は二週間前から現世にいるんだ。駐在の任期はまだ残ってる、当分の間はこっち(尸魂界)に戻って来ないぞ」

 

 暫し、雛森は無言を貫いた。俯き、両腕の震えを懸命に抑え込む。

 やがて面を上げた雛森は口元を綻ばせた。優等生らしい、相手を不快にさせることのない微笑を張り付けて謝意を示した。

 

「分かりました。祐輝くんが戻ってきたら、また十三番隊にお伺いします」

 

 眉をひそめた海燕は口ごもったが、頷きを返した。用件は済んだとばかりに手を振りかざし、雛森は礼を込めて頭を下げると踵を返す。

 

「朝霧の奴が戻ったら、労って欲しい。アイツは今、独りで現世にいるんだ」

 

 背後からかけられた声に歩みを止める。振り返れば、同じく背を向けた海燕は既に隊舎の中へ姿を消しつつあった。

 

「はい、祐輝くんの面倒を見るのは慣れてますから」

 

 

 ▽

 

 

 小気味いい音が店内に木霊した。善意で渡されたちり紙を有り難く受け取り、鼻孔へと当てる。粘着質な液体を包みながら、むず痒さに我慢ならず可愛らしいくしゃみが連続した。

 

「おや、風邪ッスか。死神に効くか分かりませんけど、現世の風邪薬なら揃えていますよ」

「んや、誰か俺のこと噂してるんだろ。それより駄菓子屋って薬も売ってるもんなのか……?」

「備えあれば患いなし、アタシゃ念を入れる癖があるんで何でも揃えてるんスよ。ほら、例えばこれは現世で健康器具として売られてるんスけど、男の悩みを解消できるから駐在任務の死神にもお勧めの」

「要らねえよ、そんな卑猥なもの普通の駄菓子屋が揃えるはずないでしょうが、浦原さん(・・・・)

 

 甚平の袖から取り出した扇子で口元を覆い隠し、気色の悪い笑い声で誤魔化す駄菓子屋の店主に溜め息をつく。

 見慣れぬ光景で溢れかえる現世は様々な意味で新鮮だったが、同時に単独での駐在任務は否応なしに孤独を強いられた。死神の存在を認知できるのは虚か、或いは現世を彷徨う魂魄のみだから当然だった。

 祐輝の任地である空座町は霊の数も多くはない。前任者が仕事熱心だったのか、着任した最初の週に魂葬した数は両手の指で事足りる程度だった。虚の出現に至っては数日おきの割合で、穏やかな平和を享受している。

 代償として、娯楽の欠乏が挙げられる。会話の相手が存在せず、現世の娯楽も大半が死神である祐輝にとっては意味を成さなかった。

 死神や虚の存在を理解する胡散臭い店主と知り合ったのは単なる偶然によるものだった。幼子の魂魄に駄菓子を恵んでいた現場へ、祐輝が通りかかったのがきっかけだ。

 それ以来、見回りのついでに駄菓子屋へと足を運んでいる。相手が死神であろうとも当然のごとく商売してくれる上に、怪しげな商品を宣伝する場合もあるけれど、祐輝にとっては貴重な話し相手だった。

 

「しっかし、朝霧サンも不思議な人ッスねぇ。義骸を使えばもっと現世を堪能できるでしょうに」

「任期が切れたら尸魂界に戻るんだ、心残りを作りたくないだけだよ。それに、どうせなら誰かと休暇で来る方が楽しめるだろうさ」

 

 カフェと呼ばれる現世の甘味処を訪れるのも良い案ではなかろうか。今頃は雛森も霊術院の卒業式を迎えたはずだ。互いに休暇を合わせれば、現世への旅行も不可能ではないだろう。

 苦味を堪能する洋菓子の会計作業を見守りながら、現世の土産も何か趣向を凝らすべきかと考える。尸魂界に持ち込めば自動的に霊子の存在へと変貌するから、食べ物でも問題はないのだけれど。

 雛森、少しは背が伸びたのだろうか。学年主席になるくらい勉強熱心なのは良いけど、寝不足にならないよう気を付けていたのか。あいつ、一回生の頃みたいに階段で倒れたら洒落にならないぞ。

 

「おや、朝霧サンが真面目な顔をするとは何やら悩み事ッスか」

 

 代金を受け取った浦原は興味深そうにのぞき込んでくる。帽子の影で瞳の色は窺い知れないが、ふざけた口調は普段通りだ。

 

「別に、大したことでもないよ。それよりいつもありがとうな浦原さん、また来るよ」

「いえいえ、アタシはちょっと影あるハンサムエロ店主、死神にとって実用的なありとあらゆる商品を――」

「んじゃ、見回りに戻るわ」

 

 実用的であっても、実戦に耐えられる商品とは限らない。現世の霊的商品として押し売りされた物体は、振動で刺激を与えるだけで霊的存在には何の効果も得られなかった。虚に向けた当時の己は今でも阿呆であると断言できる。

 それ故に浦原の宣伝文句を適当に聞き流し、霊子で足場を塗り固めることで空座町の上空を散歩のように回る。

 霊的なものが集まりやすい重霊地であれば、祐輝は今も絶え間なく空座町を駆け回り、虚の討伐や魂葬に勤しんでいたことだろう。

 幸いにも空座町は重霊地ではなく、そして虚の出現頻度も低い。残りの駐在期間も、特に大きな事件が起こることなく全うできるだろうと考えていた。

 

「独りでも、案外どうにかなるものなんだな」

 

 焦げ茶色の硬い洋菓子を噛み砕きながら、足元の街並を見遣る。死覇装のように統一された洋装の制服を身に纏い、同年代らしい学生たちが学び舎へと向かう姿が目に入った。

 命のある人間でも、稀に霊力を保有してるため虚から襲われる場合がある。彷徨う魂魄がいなくとも、空座町の住人を守護することは祐輝の役目に数えられる。

 既に二週間が経過した。虚が出現しても、犠牲者が出る前に仕留めていた。決して命を取り零す真似はしない。無力な魂魄が、或いは人間が襲われていれば、文字通り己の身を挺して間に入り込むつもりだ。

 もっとも、それ程までに逼迫した事態は発生しなかったが。穀潰しと罵られる具合の平和が死神には丁度いいのかもしれない。

 

「藍染隊長の忠告も、冗談のつもりだったのかあれは」

 

 死者が蘇ることはあり得ない。尸魂界で命の最期を迎えれば霊子として世界に還元されるのだ。

 尸魂界に送られることも無く、現世を徘徊する魂魄たちは死者に分類される。まさか魂葬の対象者と顔を合わせるのに心構えも何もないだろう。

 このまま平穏無事に、しかし退屈な駐在期間を過ごして尸魂界に戻る。漠然とした予想図は、ともすれば楽観的なものによるものだ。

 その点、祐輝は胡散臭い駄菓子屋の店主を見習うべきだった。念を入れるか、そうでなくとも物事を悲観的に視た予想図を一度でも描いていれば、心構えの準備にはなったであろう。

 

『――いいかこの莫迦、耳かっぽじって訊いとけよ。死神を意図的に狙ったと見られる狡猾な虚だ、油断するなよ』

 

 翌日、隣町を管轄する十番隊の隊士が虚によって殺害された。

 





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