馬酔木の花   作:あばちみゃかむ

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第2話

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた一閃は僅かに重心を傾けることで躱す。傍らをすり抜けた相手の斬撃は虚空を薙ぐに留まり、大きく隙を見せる形となった。

 足払いをかけて態勢を崩した相手の首元へ木刀を当てる。同時に判定役を務める教師の声が響く。

 

「一本! 朝霧の勝ちっ!」

 

 負けたというのに相手は清々しい笑みを浮かべ、祐輝の肩を叩く。次いで現れたのは体格に恵まれた、頭一つ分大きい少年。

 瞳に闘志を滾らせ、獰猛な笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「流石に連戦となれば消耗してるはず、お前の連勝記録は俺が止めてやる。そしてっ、雛森さんを振り向かせてみせるっ!」

 

 木刀の切っ先を祐輝に向けて吠えるように宣言すれば、周囲で観戦する級友たちが野次馬紛いの声援を送る。

 どうしてこうなったのか、頭を抱えたくなる程度には悩みの種と化している。

 元々、授業内容としては一対一の試合形式だった。勝者はその場に残り、新たな対戦者と試合をするというもの。

 連勝を続けていると、何を血迷ったのか祐輝に勝てば一組の雛森桃と親密になれると勘違いした野郎共が続出した。

 学年で一番の鬼道の使い手、小柄で可憐な容姿、これらの要素が相俟って男子の間で雛森の人気は非常に高い。だが特進学級に在籍するため、一般的な男子の間では高嶺の存在でもあった。

 些細なきっかけで祐輝は雛森と交流を持ち、廊下ですれ違えば挨拶や立ち話をする程度の仲だ。しかし朝霧祐輝と言えば気分次第で授業を抜け出しては補習が組まれる不真面目な生徒として、二組など通常学級では比較的有名だった。

 不真面目な祐輝と真面目な雛森の交流は傍から見れば不思議に思われても仕方がない。

 

「それでは、始めっ!」

 

 教師の号令と同時に対戦相手は距離を詰めて来る。上段からの振り下ろしを木刀で受け止めるが、体格差も相俟って徐々に押されてゆく。

 一瞬だけ力を抜き、身体を後ろへと引く。相手の木刀を受け流し、擦れ違いざまに一閃。手応えは浅く、教師の判定も出ていない。裾を薙いだに留まったか、相手が瞬時に身を捻って躱したか。

 位置を入れ替え、地を蹴り祐輝が仕掛ける。木刀を右下段に下ろした状態、視線を相手の腰から肩へと動かすように見せる。

 右下段からの斬り上げ、祐輝の行動を推測した相手は体格を活かした強引な振り下ろしで対応する。口元に弧を描き、勝利を確信した笑みが零れ。

 

「一本、そこまでっ!」

 

 鈍い音と同時に呻き声が漏れ、対戦相手が崩れ落ちる。

 静寂が場を包んだのも一瞬、何が起きたのか隣の者と囁き合う声が至る所から上がる。傍から見れば、振り下ろされた木刀は祐輝をすり抜けていた。にもかかわらず次の瞬間には相手が崩れ落ち、木刀を取り落としていたのだ。

 周囲の様子を気にせず、対戦相手へ腕を伸ばして身体を引き起こす。

 

「わるい、ちょっと力を込め過ぎた、大丈夫か?」

「あ、あぁ」

 

 手首を抑えながらも相手は純粋な疑問をぶつける。

 

「お前の身体、ちゃんとそこにあるよな?」

「こうしてお前を引っ張り上げてるだろうが」

 

 頭でもぶつけたのかと胡乱気に言えば、納得できないのか首を傾げている。

 

「最短で最小の動作をしただけさ」

 

 振り下ろされた瞬間に、迎撃するのではなく持ち手を弾くことで木刀を取り落とす。種を明かせばそれだけで、特別なことをしたわけではない。

 

「参ったよ、くそ。流石、実技だけは真面目に受けてるだけはある」

 

 座学を抜け出す祐輝への皮肉を込めながら退場してゆく。次の相手は一転して小柄な背丈に猫を彷彿とさせる瞳が特徴的な女子、ルキアだった。

 

「おい祐輝、流石に女子に負けたら雛森さんに嫌われるぞー」

「けど女は優しくするんだぞ」

 

 野次馬の間から下品な笑い声が巻き起こり、鬱陶しさを露に眉を顰める。

 

「気にするなよ、俺は手を抜かないしお前も本気でやる、それだけだろ?」

 

 唇を噛み締めていたルキアの心中は決して穏やかでないはずだ。言葉遣いはともかく、野次馬の口にした内容は女子であるルキアを格下として見ている証だった。

 

「元よりそのつもりだ」

 

 正対し、教師の号令がかかるのを待つ。

 

「それでは、始めェっ!」

 

 

 ▽

 

 

 木陰の隙間から暖かな光が差し込む。

 腰掛けるには充分な太さを備えた枝の上で、行儀悪く胡坐をかいた祐輝は木漏れ日を堪能しながら穏やかな午後を過ごしていた。

 小鳥の囀り、蟲の鼓動、風に吹かれる木葉の囁き、聴覚が拾ったものが脳裏に描かれてゆく。視覚で直接認識したものではない。風の筋道に導かれ、音が祐輝に存在を教えてくれる。

 新たに混じる、草を踏みしめる規則正しい複数の音。それは人の気配だった。

 

「あぁっ、朝霧くんそんなところで何してるの?」

 

 腰掛ける枝の下から馴染みのある声が届く。

 背中に浅打を背負った雛森が腰に両手を当てながら祐輝を見上げていた。雛森の傍らにはルキアの幼馴染みという阿散井恋次ともう一人、長身の優男の姿もあった。どうやら特進学級は校舎外で授業があるらしい。

 

「何って、刃禅」

 

 ほら、と祐輝は片手で己の斬魄刀を掲げて見せる。事実だと主張するように、浅打が風に揺さぶられた。

 死神は誰もが真央霊術院で無銘の浅打を渡され、寝食を共にし練磨を重ねることで唯一無二の斬魄刀を創り上げていく。そうして所有者自身の魂を写し取った斬魄刀の存在を認識し、その名を知ることで秘められた斬魄刀の能力が解放される。

 尤も真央霊術院在学中に己の斬魄刀を創り上げ解放した者は数十年に一人の割合でしか現れていない。

 

「そういう問題じゃなくて、今は授業中でしょ?」

「昼寝をしたくて抜け出した」

 

 午前に行われた試合形式の授業でかなりの体力を消耗した。故に午後の座学を抜け出し、こうして木の上で優雅に過ごしていたのである。

 無論、雛森にそのような言い訳など通じるはずもない。

 

「ちゃんと授業に出なきゃ、留年しちゃうんだよっ」

「補習は受けてるから大丈夫なはず、多分」

 

 そもそも今は授業中なのだろうと自分を棚に上げて問いかければ、雛森は小言を幾つか残して二人の男子生徒と去ってゆく。

 根が真面目な雛森は、顔を合わせる度に授業を抜け出していないか訪ねて来る。シラを切っても嘘だと見抜かれるのだから、女の勘は鋭いと妙な所で感心するほどだった。

 

「取り敢えず明日は授業に出るから今日は勘弁してくれ」

 

 姿が見えなくなってから独り呟く。自業自得ではあるけれど、何度も注意を受ければ罪悪感の一つ二つ沸いてくるのだ。

 

「雛森って真面目だよなぁ。お前もそう思うだろ?」

 

 鞘から抜いた浅打の刀身に移る影。それは祐輝を写し取った正真正銘の半身だった。

 

 

 ▽

 

 

「雛森さん、朝霧って人には関わらない方がいいわよ」

「えっ、どうして?」

 

 授業の合間に設けられた休憩時間、親切心に駆られた数名の級友たちが雛森を取り囲んでいた。

 鬼道の天才の肩書を持つ雛森は学年中の男子にとって様々な意味で憧れの存在だ。故に、同じ特進学級の阿散井恋次や吉良イヅルならば兎も角、一介の生徒でしかない朝霧との交流は避けるべきだと。

 

「朝霧って流魂街でも治安の悪い地区の名前よ、座学に出ないのもまともに勉強してないから読み書きが苦手って噂があるし」

「昨日も斬術の授業で同じ組の奴らを痛い目に遭わせたらしい。死神になりたいんじゃなくて、人を傷付けたいだけの奴なんだよ」

 

 噂には尾ひれがつくものだ。直接関係がなければ尚更その傾向が強まる。相手の頭に内容を刻み込むべく、無意識のうちに誇大して伝えてしまうのだ。

 親切な級友たちにとって朝霧祐輝という男は、雛森を誑かす悪鬼羅刹に等しい存在なのだろう。彼ら彼女らにとってはそれこそが真実として映っている。

 

「朝霧くんはそんな人じゃないよっ」

 

 数少ない例外、それは祐輝という人物を多少なりとも目にしたことがある者たちだ。

 雛森にとって祐輝は級友たちの口にする噂通りの人物ではない。確かに気分屋で授業を抜け出しては補習を組まれる不真面目な側面もある。しかし一つだけ断言できるのは、人を傷つけるのを好む性格ならば決して自分を助けはしなかっただろう。

 

「治安の悪い地区出身で、座学が苦手、斬術は得意、俺にも当てはまるな」

 

 会話へ割り込んだ男の声は、僅かながら怒りが込められていた。

 

「あ、ゴメンよ阿散井、お前のことを言ってるわけじゃ」

 

 祐輝と同列に扱われて不機嫌なのだろう、そう思い込んだ男子は言葉を続けることが出来なかった。恋次の眼光に全身が硬直し、逃げるようにその場を後にした。

 飛び火してはたまらないと、一人、また一人と蜘蛛の子を散らすように離れていく。恋次はその様子を眺めてから、重いため息をついた。

 

「噂ってのはあんまり気にしない方がいい。朝霧がどんな奴かは、実際に話したことがあるおめえが分かってるだろう」

 

 霊術院に入学して日も浅い頃、特進学級の恋次がルキアを訊ねに二組へ赴くだけで一時期話題になったことがある。その時を思い出してか、噂だけで語る輩に恋次は複雑な気分を抱いていた。

 

「うん、そうだね。ありがと阿散井くん」

「なぁに、吉良の奴も心配してたからよ。ま、友だち付き合いは当人たちの自由って俺は考えてるしな」

 

 柄にもないことを言ったと、恋次は照れくさそうに離れてゆく。

 授業が始まり、壇上に立つ教師が板書をしていくが雛森は上の空だった。

 尾ひれのついた噂通りの人物ではないと否定したが、思い返せば祐輝のことはあまり知らない。

 昨日も昼寝をしたいからと午後の授業を抜け出して木の上で休んでいた。廊下で会うたびに座学の授業へ出るよう注意すれば、飄々とした態度で誤魔化す。それは祐輝を構成する側面であるが、祐輝の全てではない。

 好きな食べ物から趣味、果ては死神を目指す理由まで、雛森は何も知らない。会話らしい会話は挨拶と、決まって祐輝に対する注意ばかり。

 

(朝霧くん、気分屋さんだけど優しい人)

 

 記憶に蘇るのは暖かな肌の温もりと、耳朶を叩く鼓動の音。全て初めての経験だからこそ脳裏に強く刻み込まれ、今でも鮮明に思い出してしまう。

 知らないならば、これから知っていこう。祐輝という人物への好奇心が胸の内に燻っていた。

 

「あ~、来週には現世で実習もあることだし一旦ここで復習といこう。まず現世には――」

 

 

 ▽

 

 

 翌日、放課後が訪れると雛森は二組の教室へ向かった。目的はもちろん気分屋の問題児だ。過去に伺ったときは教室に顔を出していなかったが、果たして今回はいるだろうか。

 

「どうしたんだ雛森?」

 

 件の人物は脇に教材を抱え、片手で浅打を携えた格好で教室から姿を見せた。縁があるのか顔を合わせる機会は比較的多かったが、雛森がこうして訊ねて来るのは記憶している限り初めてだった。

 それは雛森も同様で、つい二組へ訪れてしまったがよくよく考えてみれば異性と二人っきりになるのは殆ど経験がない。

 正直に祐輝のことをもっと知りたいと言うべきか、否か。何かしらの用件をでっちあげるべきか。

 碌な言い訳を考えて来なかった自分を恨めしく思っていると、助け船は相手から出された。

 

「この後は補習もないし、散歩でもしようと考えてたんだけど付き合うか?」

 

 迷わず首を縦に振った。緊張で頬が熱くならないよう、普段通りの笑顔を浮かべてみる。

 

「今日はちゃんと授業に参加したんだ?」

「机に突っ伏して寝るのも案外悪くないって気づいたんだよ。昼寝は木の上でもいいけど、風が強いと困るときがあるからさ」

「もう、真面目に授業も受けようよ。少しでも見直そうとしたのに」

「最近は早起きばかりして、昼間はとても眠いんだ」

 

 昼寝は当然だろうと嘯く祐輝は普段と変わらず飄々とした態度で、雲のように掴み所がない。

 

「それじゃあ死神になれないよ。朝霧くん、死神を目指したから霊術院に入ったんでしょ?」

 

 掴めずとも、雲の中には入ってゆけるはず。まずは軽く疑問に思ったことから訊ねてみた。

 死神という目標は共通でも、目指す理由は人それぞれ何かしら抱いているはず。

 

「そういう雛森も死神になるんだろ」

「もう、質問に質問で返さないのっ」

 

 理由が知りたいと祐輝の顔を見上げれば、隠すことでもないと言葉を紡ぎ始める。

 

「大した理由じゃねぇよ。子どもの頃に死神に憧れて、それで霊術院に入った」

 

 流魂街よりも贅沢な暮らしや成り上がって栄光を求めるのではない。純粋に憧れが高じて死神を目指すよう決心した。

 

「だから、死神になるきっかけをくれた人にいつか言うんだ。俺、死神になりましたよって」

 

 遠い過去を見詰める眼差し。死神を目指すきっかけの出来事を思い返しているのだろうか。その割には懐かしさなどではなくもっと複雑な、寂寥に彩られた微笑みと形容すべき表情が浮かんでいた。

 何でもないように嘯く口調だったが、仄かに影が差している。普段の飄々とした態度から一変した、雛森が初めて見る祐輝の姿だった。

 沈んだ空気の流れを払拭したいからか、戯けた口調で言葉が続く。

 

「まっ、補習は真面目に受けてるし斬術は授業で十人切りしたから、成績は大丈夫だって」

「真面目に受けるのは授業にしようよ」

「斬魄刀の声を聞こうと四六時中真面目に努力している」

 

 だから実技科目がなくとも浅打を携帯するのかと納得する。

 

「休日は何をして過ごしてるの?」

「補習が組まれてなかったら気分次第。昼寝か素振り、あとは甘味処に行くかな」

「えっ、意外。朝霧くん甘い物が好きなんだ」

 

 会話が弾んでゆく。祐輝が口にした甘味処の名前は雛森も知ってる有名な場所から知る人ぞ知る隠れた名店まで及び、話題づくりではなく心の底から甘味を求め歩いたのだと想像がつく。

 かと思えば、やはり気分次第で店を選び、場合によっては入り口の目の前で気が変わって別の店へ向かう時もあるという。実に祐輝らしい一面も聞かされた。

 祖母と慕う人物と、弟のような幼馴染みがいると伝えれば神妙な顔で頷かれた。雛森が事あるごとに小言を口にするのは姉だからなのからと、口元を歪ませて。

 不満気に頬を膨らませてみせれば、何が面白いのか爆笑される。ますます拗ねてみせるが、内心で言い表せない感情が蠢いている。

 

(朝霧くんのこと、まだよく分からないけど)

 

 悪人でないのは確かだ。 

 

 

 ▽

 

 

 銀月は、不吉の前兆を示すように輝いていた。

 荒い息を吐きながらせめてもの抵抗を続ける。

 月明かりに照らされて夜闇に浮かび上がる異形の影は嘲笑うように大腕を振るった。空気が振動し、人の背丈を超える長さの爪が襲い掛かる。

 胸元に穿たれた空洞は心の喪失を意味する。骸骨の仮面は異形へ堕ちた本能を隠すためのもの。巨大虚(ヒュージホロウ)は己の心の飢餓を癒すべく、魂魄を必要としていた。

 

「くそっ、檜佐木たちに連絡を――」

 

 最後の足掻きとばかりに手を動かすが、虚しくも胴を半分へと引き裂かれる。

 血の塊が辺り一面に広がっていた。絶望や恐怖、困惑が入り混じった様々な骸が転がっている。霊術院の白い制服は鮮血で彩られていた。

 

 

 ▽ 

 

 

 現世で実習中だった特進学級は巨大虚に襲撃され、引率の六回生も含め多数の死傷者が発生した。

 

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