馬酔木の花   作:あばちみゃかむ

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第3話

 雷雨によって泥濘と化した道を必死に駆け抜ける。身体の至る所が泥まみれになり、雨に打たれ続けることで熱と気力は既に限界を迎えていた。

 それでも足を止めはしない。生存本能に突き動かされ、繋いだ手の存在を強く握りしめる。

 水だけで生きていける者達とは違い、食べ物を必要とする霊力を備えた身体は特別だった。しかし所詮は無力な幼子であり、捕食者にとっては美味を期待できる獲物でしかない。

 泥の中に潜んだ石に気づかず盛大に転んでしまう。顔を拭う暇も惜しいとばかりに離した手を引き掴んで身体を起こす。

 脚を止めれば、喰われてしまう。生き抜くために走り続けねばならない。

 悲しくもそれは終焉を迎えつつあった。健気に逃げ続ける獲物を追い立てた狩人は数歩の距離がある所へ降り立つ。

 振り返れば恐怖に竦み脚が固まる。それを理解していたからこそ前を向き続け、僅かな間でも二人で生き延びようと足掻く。否、足掻こうとした。

 掴んだ手の先が離れてゆく感触。震えながら紡がれた感謝の言葉。

 振り返るな、前を向き続けろ。生存本能の欲求に心で押し込めて瞳に映ったものは、供物を捧げ許しを請うように虚へと向かってゆく小さな背中。

 引き戻そうと伸ばした手は届かない。雷鳴が轟き、虚もろとも眩い光に覆われた。

 

 

 ▽

 

 

 掌に伝わる違和感。目を覚ませば、柄と鞘を両手で保持された浅打の姿。寝る前は確かに立て掛けてあった筈のそれを、無意識に抱き枕として利用したことに苦笑する。

 上体を起こし、軽く肩を回す。窓の外は陽と陰の境界を示し、徐々に闇が白んでいく空が垣間見えた。

 二度寝をするには充分な時間が残されているが、夢の続きを見るかもしれない恐怖を感じ、逃げるように寝間着から制服へと着替えて身支度を整える。教材を包んだ風呂敷はそのままに、浅打を片手に寮の裏庭へ向かう。

 夢ですら、逃げ続ける。虚構を恐れ、斬魄刀という力を求める。

 瞳を閉じれば視界は闇に包まれる。風の齎す道筋だけに気を配る。木の上に作られた巣で眠りにつく鳥や、地面を這い出る蟻などの小さな虫、日の出と共に増えてゆく草木の鼓動。それら命の息吹が鈴の音として存在を示し、風によって伝えられる。

 風が揺らいだ。澄んだ鈴の音色と共に背後で脈動する一つの命。

 振り向けば夢と同じく手の届かない箇所へ消えてしまう。心の奥底に根を張る恐怖に縛られた身体は動けない。背後の命はやがて風に乗り、何処かへ去ってゆく。この手で掴むことのできない場所へと。

 

「いつになったら教えてくれるんだ、お前の名前」

 

 祐輝の問いは虚空に響くのみだった。

 教材を取りに自室へ向かい、寮の食堂で朝食を済ませて校舎へ向かう。

 ふと、斬魄刀を携えた姿が妙に目につく。真央霊術院には六の学年が存在し、相応の生徒が在籍している。しかし、祐輝のように普段から斬魄刀を携行する者は少数派だった。

 何処かしらの学級で実戦形式の合同授業でも行われるのだろうと結論付け、二組の教室へ足を運んだ。途端に聞こえてくる、日常と化した級友の喜劇。

 

「全く、恋次の癖にいつも一組ばかり贔屓される。ええい、そんなに恋次が偉いのか、恋次の癖に、恋次の癖にっ!」

「へっ、その俺に成績で負けたからお前は二組なんだろうが、悔しかったら見返してみやがれ」

「ふん、伸びきった天狗の鼻をすぐに叩いてやるわっ!」

「すぐっていつだよ、お前はそう言って昔から胸も変わって――ふぐぉっう!?」

 

 何やらよからぬことを口走った途端、電光石火の早さで掌拳がのめり込み不甲斐無い声を上げて頽れる赤髪の長身。友人の優男が苦笑しながら手を差し伸べ、惨状を作り出した張本人は満足気に鼻を鳴らしている。

 幼馴染みである二人の喜劇は日常であるため何事もなく傍らを通り過ぎてゆこうとし、気づくのが遅れた。優男の長身に隠れていた小柄な存在を。

 

「おはよう朝霧くん、今日は朝から授業に参加するんだね」

 

 黒髪を二つに結った雛森が感心とばかりに手を振って来る。その可憐な姿に似つかわしくない、背中に背負った斬魄刀。

 見遣れば未だ腹を抑えている阿散井恋次や、友人の優男も斬魄刀を携えていた。

 

「あぁおはようさん。浅打を片手にした奴が多いと思ってたけど、特進の連中だったか」

「その通りだぞ朝霧。なんでも現世で実習らしい。全くいつも恋次ばかりが私より偉そうに先に行くのだから腹正しい、恋次の癖に、恋次の癖にっ」

 

 死神の役目は尸魂界の守護だけではない。現世で彷徨う魂魄を尸魂界へ送ることや、時には現世に出没する虚の退治も含まれる。

 故に死神を養成する真央霊術院で現世での実習が行われることはなんら不思議ではなかった。

 成績上位者の集められた一組は授業内容が二組より一歩も二歩も進んでいると聞く。現世での実習が行われるのも、将来の護廷十三隊を担う若者たちへの期待を示した優遇措置なのだろうと推測する。

 二組は未だ、現世と尸魂界の関係について座学で受ける段階だった。

 

「現世の街並はお伽噺みたいって聞くから、今から楽しみなの」

「遊びに行くんじゃないだろうに」

「もちろん真面目に取り組むけど、楽しみにしたっていいじゃない」

 

 屈託なく微笑む雛森の姿は、手の先から零れ落ちた小さな存在と面影が重なる。朝に見た夢の内容を想起し、無意識に言葉が紡がれる。

 

「それでも、だ。ちゃんと霊術院に戻ってくるまでが実習だからな?」

 

 遠ざかってゆく雛森たち三人の姿を見送る。傍らでは未だに特進学級が優遇されることに腹を立てたルキアが不機嫌そうにしていたが、瞳だけ真摯な色であると気がついた。

 言葉と裏腹に、阿散井恋次のことが心配らしい。素直になれば良いのだが、と無責任な感想を祐輝は抱く。

 

「見送るだけってのは、慣れないもんだな」

「む、何か言ったか朝霧?」

「いんや、何でもない」

 

 背中に手が届かないのも、あの日を思い起こさせる。

 

 

 ▽

 

 

「そっちに行ったぞ雛森っ!」

 

 恋次による大上段からの斬撃を喰らって傷ついた虚が跳躍した先には、斬魄刀を抜かず両手を突き出した雛森の姿がある。

 切迫した表情で吉良イヅルが斬魄刀を構えながら駆け寄るが、明らかに虚の牙が雛森に喰い込む方が早い。

 しかし三人で最も小柄な少女は動じることなく、突き出した両手へ霊力を集中させながら言葉を紡ぐ。

 

「君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ」

 

 両手の先に掻き集められた霊力が炎へと置換される。恋次と吉良は詠唱から授業で習った赤火砲を放つのだと推測するが、鬼道の天才たる雛森が続けた詠唱は異なるモノ。

 

「真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ」

 

 炎の色が空よりも濃い蒼へと変わる。それは未だ授業で習っていない鬼道。

 

「破道の三十三、蒼火墜(そうかつい)っ!」

 

 今にも雛森へ襲い掛かろうとしていた虚は蒼炎に呑み込まれ足を止める。その隙を逃すことなく抜刀した雛森は虚を斬り裂き、恋次と吉良も追随する。

 連続した攻撃に耐え切れず虚は断末魔を上げながら消失してゆく。

 

「ふぅ、良かったぁ上手くできた」

 

 安堵のため息をつきながら浅打を鞘へ戻す。気丈に振る舞っていたが、骸骨のような仮面を纏った異形が迫り来る様子は慣れが必要だと実感した。

 加えて、かねてより練習していた蒼火墜を上手く発動できたことに喜びを噛み締める。

 

「凄いじゃないか雛森、今の鬼道、まだ授業で習ってないヤツだろ?」

「えへへ、教科書を見ながら練習してたの。赤火砲と違って、まだ詠唱しなきゃ完全に発動できないんだけど」

 

 流石は天才だと恋次が褒め称えているところへ、吉良が実習の終わりを告げる。実習生たちは引率者の六回生の下へ集まるようにと。

 各々が反省点や実習を終えたことへの安堵について語らいながらも、雛森はやおら浮かない様子だった。

 

「うぅ、街並を楽しみにしてたのになぁ」

「まっ、いいじゃねェか。死神になっていつかまた現世に来ればいい」

 

 実習場所は鉄の塔が遠目に見受けられる、倉庫やコンテナと呼ばれるもので溢れた一角だった。現世の街並を楽しみにしていた雛森は残念極まりないと肩を落とす。

 せめて現世の夜空だけでも目に焼き付けておこうと顔を上げる。膜に覆われたような夜空は尸魂界よりも濁って見える。対象的に銀月は爛々と輝いていた。

 月明かりに肌を刺す冷たさを錯覚した雛森は首を振る。幸い、会話に花を咲かせていた恋次と吉良にその様子は気づかれなかった。

 程なくして集合場所へ近づいた時、ふいに影が差す。夜空は変わらず、されど君臨していた銀月のみが忽然と姿を消失した。否、夜空が揺らめいた。

 

「え、実習は終わったんじゃなかったのか?」

 

 間の抜けた声が何処からか上がる。

 現世での実習に際し、将来を担う若者たちを傷つけないよう安全面は念入りに配慮される。

 雛森たち実習生が相手にするのは訓練用に作られた虚の模造品であり、万が一本物の虚が乱入した場合に備えて六回生の特進学級が引率として周囲の警戒に当たっていた。

 それ故に、姿を現した巨大な虚を訓練用の模造品と勘違いする者がいてもおかしくはない。警戒に当たる六回生からは、本物の虚が侵入したと報告されていないのだから。

 惨劇に気づいたのは誰だったか。虚の持つ爪に付着した血痕、そして警戒に当たった六回生は誰一人として応答しないことに。

 

「に、逃げろっ! コイツは本物の虚だ!」

 

 声を上げたのは引率の長を務める六回生の首席、檜佐木だった。同時に虚の爪が振り下ろされ、足元にいた四名が同時に血飛沫を上げながら倒れ伏す。

 

「俺たちが巨大虚(ヒュージホロウ)の相手をする! 一回生は尸魂界へ戻り次第、すぐに救援要請をっ!」

「逃げるぞ雛森! 先輩たちが時間を稼いでくれるんだ、今のうちに早く!」

 

 恐慌状態に陥った一回生たちが我先にとその場から離れる。三名の六回生は巨大虚との体格差を逆手に取り俊敏な動きで翻弄するが、頑丈なのか致命傷を与えられていない。

 

「くそっ、これだけ図体がデカい割にどうして霊圧を探知できなかったんだよ! それに他の先輩たちは!」

「多分、霊圧と姿を消せる特別な力を持ってるんだと思う! だから他の先輩たちは、多分……」

 

 否定するように言葉尻を呑み込む。どちらにせよ、先輩たちが命懸けで逃がしてくれるのだから今は一刻も早く尸魂界へ撤退すべきだ。

 己を落ち着けるべく拳を握りしめ、雛森は駆け抜ける。

 そして首の消えた胴体が後方から飛んできた。最後まで抵抗した証か、その胴体は全身血塗れであり、腹部には大きく抉れた痕が見受けられた。

 やや遅れて、二つの霊圧が消失する。一つは後方で戦ってくれたはずの六回生であり、もう一つは巨大虚のもの。

 犠牲を出したが仕留めたのかと自問する。振り返れば血を流した六回生の主席が斬魄刀を振り上げながら何かを大きく叫んでいる。

 脳内を警鐘が鳴り響き、全身を悪寒がひた走る。

 

「逃げてっ!」

 

 突風によって身体を吹き飛ばされたのは叫ぶのと同時。力強く地面に打ち付けた背中の痛みに呻き声をあげる。

 視界に映る景色が揺らめき、血に塗れた巨大な爪が振るわれる。たったの一振りで級友たちが倒れ、或いは錯乱したのか無謀にも立ち向かってゆく姿もある。

 加勢しなければ、理性に反して身体は重い。身体を吹き飛ばされた痛みによるものではない。多くの命を奪った虚への恐怖が、雛森の全身を支配する。

 

「何してんだ雛森っ」

 

 怒声と共に恋次は頭から血を流し気絶した吉良を背負い、小柄な雛森を脇に抱えて遁走する。

 

「お前たち、こっちだ!」

 

 声をかけたのは六回生の首席だった。出血で片眼が見えていないのか、ふらつきながらも雛森たちを誘導する。

 

「三人だけか、他の奴らはっ!」

「散らばって逃げたはずだが、これからどうするんすか先輩!」

「尸魂界からの援軍が来るまで自力で凌ぐしかあるまい! お前、名前は!?」

「阿散井恋次っす、檜佐木先輩」

 

 卒業を控え、更には護廷十三隊の入隊が確定している檜佐木は歪んだ笑顔を浮かべる。複雑な色が絡み合ったその表情に雛森は見覚えがある。

 死神を目指すきっかけを話してくれた祐輝と同じ表情だった。

 

「誰かがアイツを引き付けなきゃ、他の仲間が死んでしまう」

 

 虚の霊圧は、出現と消失を繰り返していた。他の仲間たちを追い続けているのだと容易に察せられる。

 多くの仲間を喪い、自身も傷を負いながら檜佐木はまだ生きる仲間を救うために死地へ赴こうとする。斬魄刀を握りしめる腕の震えは傷によるものでも、まして武者震いでもない。

 

「阿散井、すまないが俺に付き合ってくれ」

 

 負傷した吉良や、動けない雛森の二人を担いだ恋次ならば戦力になるという判断。傷だらけの檜佐木が尚も戦意を喪失していないこと、そして戦えない二人の仲間を抱える恋次も、震えながら吠える。

 

「二人と言わず、他の奴らも俺が助けてやりますよっ!」

 

 目立ちにくい場所で雛森と吉良を下ろした恋次は、檜佐木と共に虚へ向かってゆく。刹那、振り返らずに告げられた別れの言葉。

 

「ルキアによろしく言ってくれ」

「あ、阿散井くんっ!」

 

 充分に遠ざかった二人の霊圧が、途端に跳ね上がる。巨大虚の注意を引き付けるために敢えて霊圧で存在を誇示したのだ。

 

「助けなきゃ」

 

 虚の霊圧が消失した。一方で、恋次と檜佐木の霊圧は移動を続ける。少しでも多くの仲間を生かすために、自らの命を捧げるつもりなのだ。

 

「助けなきゃ、二人じゃ、二人だけじゃ死んじゃうよ! だからねぇ動いて、動いてよ、あたしの身体っ!」

 

 斬魄刀を杖代わりに立ち上がろうと試みる。だが恐怖に竦んだ身体はそれを拒み、震えのあまり斬魄刀を手放す。尚も雛森は斬魄刀を掴み、己の命令を拒否する身体へと叫ぶ。

 

「動けって――言ってるでしょ、雛森桃っ!」

 

 生存本能が、心に屈した。湧き起こる恐怖の衝動を、心の内で燃え滾る熱き感情で抑え込む。

 振り返る。額を切ったのか、頭から血を流す吉良は苦悶の表情を浮かべながら雛森を見詰めていた。

 

「ごめんね吉良くん。一人にしちゃうけど、でも、先輩や阿散井くんが頑張ってるのに、私だけ隠れるわけにはいかないもん」

 

 制服の袖を破り、即席の包帯として吉良の額に巻いてから手を当てる。青白い霊力の奔流と共に、僅かに出血の勢いが和らぐ。医療用の回道という鬼道だった。独自に練習しているためか効果は弱いが、今の雛森にできる最善だった。

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

 震えは尚も続く。しかし、恋次と檜佐木の霊圧が健在な事実に安堵し、更に雛森の心を叱咤する。

 友人は皆、鬼道の天才だと評する。それは学年中に広まり、気分屋の少年も耳にしていた。

 巨大虚を相手取るのは特進学級でも一二を争う斬術の使い手と、六回生の首席。ならば雛森の為すべきことは、鬼道による二人の援護だ。

 雛森より頭二つ分以上も大きい恋次ですら小粒と見紛う巨大虚だが、脅威なのはその体格ではなく姿と霊圧を消す能力。この特殊能力さえ封じ込めれば勝機が見いだせるはず。

 二つの人影は縦横無尽に動き、時には立ち位置を入れ替えることで攻撃の感覚を変化させ虚を翻弄する。その戦いを観測しながら、虚の姿が揺らぎ始めたことに雛森は気づく。

 

「縛道の四、這縄(はいなわ)!」

 

 縄状の霊子が虚の腕に纏わりつくが、詠唱破棄、加えて雛森の力では巨大虚の拘束には至らない。それを理解しているのか、嘲笑うように巨大虚は姿を消した。

 尤も、端から雛森は虚の拘束を目的としていない。

 

「なっ、雛森お前っ!」

「二人とも、虚は確かに見えるはずですっ!」

 

 黄色い燐光を放つ霊子が不自然に虚空へ浮かんでいる。それは雛森が姿を消した虚の所在を把握するために放った這縄の輝きだった。

 

「ハハっ、こいつは有り難い!」

 

 荒い息に喜色を滲ませ、檜佐木は鬱憤を晴らすように虚空へ斬撃を放つ。鈍い音と同時に確かな手ごたえを感じた。

 姿を隠す必要性が消失し、咆哮をあげながら虚は闇雲に両腕を振り回す。一撃でもその身に受ければ致命傷となり得るが、雛森による援護もあって二人を捉えることができない。

 

「畳みかけるぞ阿散井! コイツも虚なら、教本通りにやれば倒せるはずだ!」

「りょ、了解っす!」

 

 霊術院の教本によれば、虚にとっての急所は顔を覆う仮面とされる。故に致命打を与えられない場合は、仮面への攻撃が推奨されていた。

 恋次と檜佐木はそれぞれ左右から巨大虚の身体へと飛び乗る。振り払おうともがけば、雛森の破道と縛道によって拘束される。

 瞬く間に仮面へと駆け上がり、二振りの刃が突き立てられる。仮面の欠片が舞い散り、一際大きい虚の絶叫が響き渡る。だが、その巨体は未だに健在だった。

 

「君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ」

 

 突き出した両手に集束してゆく霊子が炎へと転じる。

 

「情熱と争乱、海隔て逆巻き南へと歩を進めよ。真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ」

 

 二重詠唱、二種類の鬼道の詠唱を行うことで鬼道の連発を可能とする高等技術だが、途中まで詠唱が同じ二つの鬼道で雛森は行使に成功した。

 蒼と紅、二色の炎が巨大虚へ止めを刺すべく放たれる。

 

「破道の三十一、赤火砲(しゃっかほう)! 破道の三十三、蒼火墜!」

 

 間髪入れずに放たれた二色の炎は頭部へと、仮面の割れた箇所へと吸い込まれてゆく。

 緊張状態が続き、加えて初めての二重詠唱を行使した負担もあって雛森は浅い息を繰り返しながら片膝をつくが、その瞳は巨大虚へと向けられていた。

 咆哮を続ける虚の巨体が揺らめき、霊子の塵と化して消失してゆく。断末魔が木霊し続けるが、その全身は確かに消滅した。

 

「勝った、の……?」

 

 茫然と呟く。

 

「あぁ、やったぞ雛森! 俺たち勝ったんだ!」

 

 汗を拭き出しながら恋次が雛森へ手を刺し伸ばす。

 

「お前のおかげだ、後輩にこんな天才がいるなんてなっ!」

 

 乾ききった血を煩わしそうにかきながらも、檜佐木が激励するように肩を叩く。

 酷使した身体の節々が痛み、霊力も極限まで使い果たしたのか意識が朦朧とし出す。それらは雛森の命があると示す確かな証拠だった。

 安堵する。それは生の実感であり、恋次や檜佐木、他の仲間たちが行き残ったことに対してである。

 もう一つ、雛森の心を占める実習に向かう前に祐輝からかけられた言葉。

 

「朝霧くん、あたしちゃんと帰るよ」

 

 霊術院に戻るまでが実習、その言葉を噛み締めて雛森は立ち上がる。

 

 

 ▽

 

 

「なぁ先輩、虚ってこんなに出て来るモンなんスか」

「あり得ない、巨大虚がどうして大量に出現する!?」

 

 周囲を取り囲む、仮面の数々。全てが先ほどまで命懸けで戦った虚と同じ巨体を有している。

 

「そん、な……こんなのって、ないよ」

 

 見渡す限りでも両手の指よりも多い虚を目にし、雛森の心が絶望に折れた。膝を折るように崩れ落ち、瞳から光が喪われてゆく。

 束の間の勝利の余韻を噛み締めていた恋次、檜佐木も斬魄刀を構えているが、既に進退窮まったと諦観の色を浮かべている。

 満身創痍の三人でこの窮状を凌げるはずもない。だが、三人の奮戦は無駄とならなかった。

 

「待たせたね」

 

 不思議と聞く者を安心させる優し気な声。

 

「射殺せ、神鎗(しんそう)

 

 一撃で巨体を消滅させる莫大な霊圧と刃。

 

「よく頑張った、あとは僕らに任せたまえ」

 

 たった二人の救援。だがその姿を捉えた檜佐木は何者にも勝る援軍だと歓喜する。

 

「五番隊の、藍染隊長と市丸副隊長!」

 

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