馬酔木の花 作:あばちみゃかむ
それまで、座学の授業を抜け出す問題児に補習が組まれていたのは教師の僅かばかりの温情によるものだった。実技科目の成績は申し分なく、斬術では特進学級たる一組に劣らない実力を発揮していたからだ。
「お前、このままだと留年するぞ」
放課後、呼び出しを受けた祐輝が教官室の扉を潜れば開口一番に教師からそう告げられた。
元々、授業を抜け出す癖が一向に改善されないため補習を取りやめる話が持ち上がっていた。成績不振者ならいざ知らず、授業に参加する意欲を持たない者に構う暇は無駄でしかないと。
親善試合で一組に唯一勝ち星を挙げた結果を惜しまれて補習は今も継続して組まれている。
では何故、留年の危機に陥ったのか。
「縛道の四、
霊子で構成された縄は目標の的を拘束し瞬時に爆発した。何度目か分からない見慣れた結果に虚しいため息をつく。
初歩的な縛道だが、祐輝は一度も成功した試しがない。這縄に限らず、発動した縛道は対象に接触すれば必ず爆発していた。そのため、申し分ない破道の成績を縛道で相殺することになり、総じて鬼道の成績は充分と言えなかった。
惨々な座学を実技科目で補っていたのだ。鬼道の成績が振るわず、結果として進級に必要な基準の成績が不足していた。
残る三つの実技科目で座学、鬼道の成績を補うことも難しい。斬術は満点に限りなく近いため、これ以上の結果は望み薄。白打も二組では上位の成績を誇るまでになっていた。一方、歩法は諦めの境地に達している。
高速移動を行う瞬歩は霊力を消耗する。鍛錬を重ねて安定した制御を行えるようになったが、保有する霊力の限界で長時間の瞬歩や、これ以上の高速移動は不可能だった。結果として歩法の成績は頭打ちになった。
せめて霊力さえあれば、無い物ねだりは仕方がないと首を振る。
斬術に秀で、座学と鬼道が惨々な阿散井恋次が一組に在籍するのも、祐輝を大きく上回る霊力を保有していたからだ。
「座学の成績を上げるか、縛道をまともに発動できるようになるか」
留年を回避する選択肢、腰を落ち着かせるのが性に合わない祐輝は必然的に後者を選び、授業以外では滅多に足を運ばない鬼道の鍛錬場で縛道を何度も的に向けていた。
変わらぬ結果を否定するべく努力するも、遂に発動すらできなくなった。それは霊力の限界が訪れた照明だった。
九十九まで存在する破道と縛道は、数字が大きくなるほど難易度が増す。
それが補助を目的とした縛道に限れば一番台であろうとも攻撃専門の破道と化す。理由は全くもって不明。ちなみに、治療を目的とした鬼道の一種として回道が存在するが、二組は未だ授業で取り扱っていないため当然ながら祐輝は発動できない。
実のある結果を出せず、消耗した身体で足取り重く祐輝は鍛錬場を後にした。
▽
「祐輝くん、それで本当に成績を上げたいの? 真面目にやってる?」
両手に腰を当てた雛森の表情は、虚無だった。瞳に影が奔り、声に普段の朗らかさは込められていない。
視線の先には、縛道の詠唱で的を攻撃し続ける頭一つ分大きい少年、即ち祐輝の姿があった。
縛道の稽古をつけて欲しい、一組の教室に赴いた祐輝は雛森に向かって頭を下げた。普段の掴み所のない態度と違って真摯な物言いで、加えて頼りにされたことが嬉しく雛森は快諾した。
そうして放課後に二人は鬼道の鍛錬場に赴いた。
真剣な表情で縛道を詠唱する姿は、斬術に打ち込む雛森の好きな祐輝と変わらない。霊力を込め、一番台とはいえ完璧に這縄を放った姿は流石だと思った。
その思いはすぐさま打ち消された。的を拘束した這縄は次の瞬間に爆発を起こす。黒煙が立ち昇り、的には焦げ付いた跡が残る。
最初はからかってるのかと笑いながら抗議した。もう、縛道が破道になってるよ祐輝くん。日頃の行いを思い返せば、また意地悪をしたのだと。
「ねぇ、祐輝くん」
詠唱、発動、接触、爆発。
「ちゃんと座学の授業に出れば進級できるんだよ?」
足音もなく雛森は祐輝の傍らに近づき、華奢な細腕で胸倉を掴み上げる。
「留年しちゃうかもってあたし言ったよね? ばかっ、祐輝くんのばかっ」
「だから雛森に縛道を教えてもら――ぐふおゥっ!?」
鳩尾に一発、拳骨がのめり込む。額に青筋を浮かび上がらせ、肩を震わせながら、祐輝の首根っこを引っ掴むと引き摺りつつ鍛錬場を出ていく雛森。
「もう縛道は諦めてっ! あたしが座学の勉強を見てあげるから、いいっ!?」
霊力を安定してこみ上げ、縛道を発動させるまでは雛森の目から見ても充分な出来だった。それでも的に接触すれば爆発するのは意図的としか思えない。だが祐輝は真摯に雛森に教えを請い、そして持ちうる限りの知識と経験を伝授しても一向に改善されなかった。ならば理由は不明ながら適性がないと判断せざるを得ない。
鬼道の成績も改善できないのなら、座学の成績を伸ばすほかに留年を回避する術はない。
「ほらっ、これから放課後は毎日あたしと勉強することっ」
寮の雛森の自室。備え付けの勉強机を前に、引き摺られて連行された祐輝は乱雑に手を離される。物音を立てて机の上に置かれるのは雛森の持つ教本。
そもそも座学を抜け出す祐輝が悪いのだ。何度も注意してるのに、留年すると言い続けたのに聞く耳を持たず、そして留年が現実的となった。
流石にお人好しが過ぎるだろうか。うん、普通ならもう知らないと放っておくはず。それでも見捨てずに勉強を教えようとするのは友だちだから。そう、友だちなら助けてあげなくちゃ。
心の奥底では祐輝と共に過ごす口実ができたと喜ぶ己の気持ちに、雛森は気づかない。
「まっ、毎日、か……?」
「祐輝くんの自業自得なんだからね、ちゃんと反省するようにっ」
「そりゃまぁ、腰を落ち着けるのは性に合わないんだよ」
悪びれながらも反論するように祐輝が言うと、雛森の中で何かの線が切れる。
「もうっ、それで留年しちゃったら元も子もないんだからねっ! ほんとに祐輝くんはどうしていつもいつも授業を抜け出すのっ!」
怒りを発散するように勉強机に手を叩き、前のめりに詰め寄る。言い訳は許さないと睨み付ければ居心地が悪そうに祐輝は目を逸らす。
数瞬、或いはもっとそれ以上の静寂が訪れる。やがて観念したのか、重い口を開いて祐輝は語った。
「昔からの、あぁ、流魂街にいた頃の癖なんだよ。毎日そこらじゅう走り回ってたからなぁ、ゆっくり腰を落ち着けるのが本当に慣れなくて」
寂寥に彩られながら笑いかける祐輝を見たのはこれが初めてじゃない。確か、死神を目指す理由を聞いた時も同じ表情を浮かべていた。
そう言えば、祐輝の流魂街時代の話は一度も聞いた記憶がない。どの地区出身で、どのように過ごしていたのか、怒りこそ醒めていないが興味が沸き出る。今ならば、或いは答えてくれるのではないだろうかと。
「納得してくれたか?」
「全っ然、これっぽっちも納得してません。それで授業を抜け出していい理由じゃないんだよ」
だから、と続ける。
「祐輝くんの昔の話をしてくれたら、許してあげる」
▽
東流魂街七十四区の住人にとって、朝という単語は昼と同義だった。日没と共に夜闇が空を支配する。太陽が顔を見せるのは、早朝から立ち込める濃霧が晴れた昼過ぎから日没までの僅かな間だけ。
番号が大きくなるほど、流魂街の治安は悪化してゆく。七十四ともなれば、窃盗や喧嘩は日常的であり道端に死体が転がることも珍しくない。
故にこの地区では、濃霧によって一寸先の視界を確保できない朝を出歩くことは自殺行為に等しく、日没後も同様だった。
それでも太陽の恵みを受け取る僅かな間を、住人たちは懸命に生きている。貴重な水を巡った争いは各所で頻発する。大人たちは疑心暗鬼から少人数で行動し、絶対的な弱者である幼子は搾取されるか、或いは同じ幼子たちで群れることで糧を得る。
地獄の苦しみを味わうことはなくとも決して気楽な場所ではない。その地区の名前は住人にとって忌々しい存在の象徴である
「このクソガキがァっ! どうせ野垂れ死にすることはないんだ、さっさと水を返しやがれっ!」
背丈の半分を占める樽を抱えた盗人は返事の代わりに速度を上げた。
貧相なあばら屋が建ち並ぶ朝霧の一角は、太陽が出ているため住人の姿が多い。水をはじめとする貴重な生活用品を並べた露店では、店主と顧客が値段を巡って口論を交わす様が沢山見受けられた。
貨幣を持たない幼子も、糧を得るために知恵を巡らす。口論の隙を突き、或いは商品を運ぶ台車から直接盗みを働く。
盗人は小さな背丈を活かして大人では通れない道筋を使い、逃亡に成功した。
足を緩め、息を整える。継ぎ接ぎが目立つ衣服の袖で額の汗を拭い、水の蓄えられた樽を抱えなおす。
大人から盗みを働き、捕まればどのような仕打ちを受けるか。その危険性を理解している幼子もまた知恵を巡らせる。大人同士で相争う朝霧の住人が、幼子同士で争うことは不思議でない。
油断も一つの隙だ。小柄な盗人の戦利品を猫のように掻っ攫う影が忍び寄った。
「これは俺んだ」
「あれっ、あれれれっ!?」
尤も、伊達に大人から盗みを働いていない。逃げ切った後に漁夫の利を狙う同じ子どもたちが寄ってくることも一度や二度ではなかった。
勢いに身を任せて飛び出した影は樽を掴むことなく盛大に転んでしまう。盗人は悠々と樽を肩に掲げ、仰向けに転んだ影の背中へ腰を下ろす。
雅な髪色を持つ、背丈が幾分か小さな少女は抗議の声と共に足掻く。
「重い~っ! ちょっと女の子に酷くない!?」
「他に仲間は? お前一人?」
「教えて欲しかったらその水を――わわわっ、ちょっと肩に乗らないで、一人、一人だからあっ!」
周囲の様子を探るが、助けが現れる気配は感じられない。本当に一人なのだろうと判断するが、警戒は解かずにどうするか思案する。
「えっ、どいてくれないの!?」
「どいたら俺の水、取るだろ」
「喉乾いてるんだから当たり前じゃん!」
包み隠さず正直に打ち明けられたところで、一滴であろうと水を渡す気はなかった。
大多数の流魂街の住人は喉の渇きを潤すべく水を求め、その結果として殺傷沙汰が起こり、或いは虚という化け物に襲われて死を迎える。しかし、飢えて野垂れ死ぬことはない。
だから盗人の持つ飢餓と無関係な存在に水を与える義理などないのだ。空腹を満たせない以上、喉の渇きくらいは。
気の抜けた盛大な音が漏れたのはその時だった。音の発生源は下敷きにしている泥棒猫。
「食べ物がないんだから水くらいちょーだい! どうせお腹空いてないんでしょっ!?」
「お腹空いてんの?」
「その辺に生えてる草を食べてもお腹いっぱいになると思ってるわけ!?」
草よりは木の枝を拾った方がまだ腹の足しにはなる。
同じ境遇の幼子を目にするのは初めてだった。盗人の中に仄かな同族意識と呼べるものが芽生えたのはある種必然的と言える。大人も、同じ幼子も、周囲の全てが飢餓と無縁である癖に水を狙う敵という状況は盗人に孤独を与えていた。
懐をまさぐる。取り出したのは、皺の寄った草で束ねられた乾いた固形物。
「露店から盗った最後の一個。不味いけど、食い物だから」
腰をどかして差し出せば、固形物と盗人の表情を交互に見る。恐ろし気に手に取り口に含めば顔を歪ませるが、余程空腹だったのか勢いよく食してゆく。
今度は盗人から盛大な音が漏れ出た。
「もしかして、アンタもお腹空いてたの?」
「草を食べても腹は膨れない」
言葉を真似ると気まずそうに眼を逸らされる。心なしか、高い位置で結った髪の毛がしわがれたように見えた。
「ごめんなさい、他の人たちお腹空かないから、てっきり」
「いいよ、また盗ればいいから」
樽を揺らして水も飲むかと訊ねる。大きく喉を鳴らしながら、食料を貰った罪悪感から逡巡し、けれども最後には頷かれた。
結局、最後の食料と樽に入った半分の水を手放したが盗人は気にしていない。また盗めば良い、その程度に考えている。
「あたし
飢えと渇きは依然として残る。だがそれ以上に、孤独を埋める同胞と出会った。
▽
「腹は減る、喉が渇く。水を盗んでは大人から逃げる毎日だった俺にとって、腰を下ろして人の話を聞くのは全然慣れないんだよ」
以前、雛森に連れられて訪れた西流魂街一地区の
貴族と死神の住まう瀞霊廷より貧しくとも、祐輝の育った地区と雛森たちの育った地区は別世界だった。
「その、一緒に暮らしてた茜雫さんはどうしたの?」
「ちょっと遠くにな、俺を置いて先に
雛森は酷く後悔した。子どもが生きるには過酷な環境で、水と食料も満足に手に入らない。そして祐輝は一人で霊術院に入学している。少女の現在を推測するには充分だった。
「ごめんね、祐輝くんに辛いこと話させちゃって」
「気にすんな、自分の名前にする程度には、な」
幼くして流魂街に辿り着いた魂魄は、姓を知らないことが多い。故に育った地区の名前を姓として名乗る場合が多々ある。
「それでもだよ、誰だって辛いことを話すのは嫌なはずだもん」
留年するかもしれないと真面目に言い続けた雛森は悪くない。それを適当に聞き流し続けた自業自得なのだから。
ただ、それでもどうして雛森に話したのだろう。わざわざ勉強を教えてもらうから、それとも忠告を無視した贖罪のつもりか。或いは、過去を振り返った為なのだろうか。
不可解な感情を解きほぐそうとして、それは唐突に中断される。
「明日から、ちゃんと勉強しよ」
「どうしたんだよ、さっきまで俺に勉強教えるつもりだったろ」
「ううん、いいの。だって」
頬を熱いものが流れる。表情を歪ませた雛森を目にし、胸が酷く抑え付けられる錯覚に陥った。
「祐輝くん、哀しい顔をしてるもの」
▽
講堂に続く道のりをゆるやかな風が吹いていた。季節を象徴する桃色の花びらが何枚も舞い落ちる。それは進級し、死神へ一歩近づいた若者たちを歓迎するように見受けられた。
真央霊術院の進級式は、満開の桜が咲き誇る時期に行われる。後日には、新たな若者を迎える入学式が控えていた。
講堂では学院長が進級した生徒たちに向けて有り難くとも眠気を誘う言葉を長々と紡ぐ。勤勉で真面目な者たちは姿勢を正して静聴し、大多数の一般的な感性を持つ生徒は小声での私語、或いは欠伸を隠しもしない。
ごく少数の不真面目な者は存在しない。日頃の素行が悪ければ留年し、進級式の場に立つ資格が与えられない。
雛森にしては珍しく上の空で学院長の言葉を聞き流し、進級式は終了した。
その後は学級ごとに教室で担当教師からの注意事項や、今後の予定、行事、進級してからの授業の違いなどを説明される。一組の顔触れは見慣れた者たちだが、その数は入学式と比べ減っていた。
現世での実習中に
一年前を思い出し、雛森は一抹の寂しさを覚える。
「どうしたよ雛森、春なのに辛気臭い顔するもんじゃないぜ?」
様子を気にした阿散井恋次と吉良イヅルに何でもないと告げ、二組の教室へ向かう。
進級式で、霊圧は探知できなかった。寮で顔を合わせても、特別変わった様子が見受けられなかっただけに、仄かな不満が芽生える。
扉から教室の中を見渡せば、もはや見慣れた二組の面子。しかし、目的の人物は見当たらない。
二回生二組の教室に姿を見せず、進級式でも霊圧を探知できなかった。自ずと結論は導き出される。
「祐輝くん、まさか」
「おうよ、俺がどうかしたか?」
「ふわぁっ!?」
能天気な声がした背後を振り返る。浅打を肩に乗せ、器用に欠伸を噛み締める頭一つ分大きい少年の姿を見て、様々な感情が一挙に湧き起こる。
姿を見せなかったことへの不満、能天気な様子への怒り、無事に進級した嬉しさ、それらを綯い交ぜにしながらも、桃色に頬を染めて言葉を紡ぐ。
「進級おめでとう、祐輝くんっ!」
心配したせめてもの抗議として、強く祐輝の手を握る。それは風に吹かれてどこか遠くへ行ってしまわないように、強く握りしめて。
元々第6話は投稿済みでしたが、日を置いて改めて読むと個人的に納得のいく出来ではありませんでした。第7話は執筆していましたが、第6話を描き直したいとの思いが強く、大変身勝手ながら投稿済みのものを削除、新たに執筆した話を第6話として投稿しました
第7話は推敲が終わり次第に投稿します