馬酔木の花   作:あばちみゃかむ

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第7話

 眼前まで持ち上げることで掌は漸く視界に入る。地面を踏みしめる確かな感触で地に足をつけていると理解できた。濃厚な霧によって己の身体すら存在しているか酷く不明瞭な錯覚に陥る。

 頭上を見上げれば、陽の光はもちろん、月明かりさえ届かないだろう灰色の霧が果てしなく広がっていた。時刻の判別などもちろん不可能だったが、濃霧と馴染み深い過去から一つの確信を抱いていた。

 今は朝だ、そして朝に霧が出る世界はかつて生まれ育った場所。

 両の掌を開き、握りしめる動作を繰り返す。普段は腰に差すお守り、即ち斬魄刀の重みが消失していることに気づく。

 成る程、この夢みたいな世界に呼び寄せたのはお前なのか。未だに名を知らぬ斬魄刀へ言葉にならない呻き声を挙げる。斬魄刀の狙いも自ずと想像がついた。先ほどから手を引くように風が肌を撫でる。誘う鈴の音色が響く方向は、風が手を引く先と同じ。

 霧の世界で探し出して見せろ、斬魄刀から与えられた試練なのだと。

 

「今日こそはお前の名前を聞き出すからな」

 

 鈴の音色は命を示し、風は命を運んでくるもの。導きに従い朝霧の姓を名乗る少年は一歩を踏み出した。

 地面の感触がぬかるんでいく。風の勢いが強まり肌を叩き付ける。

 祐輝は忘却していた。夢の世界で命を示す存在は斬魄刀のみではない。心に焼き付いた過去という記憶の中に、かつて寄り添った小さな命の残滓があると。

 いつしか霧が晴れ、だが雷鳴轟く豪雨が視界を覆う。無意識のうちに駆けだしていた己の身体は泥にまみれ、前方へと腕を伸ばし続ける。果たして探している存在は斬魄刀なのか、或いは茜雫なのか、もはや祐輝には分からない。

 誘う鈴の音色は雷鳴が轟くごとに儚くなってゆく。眩い光に一瞬だけ視界を奪われ、次に現れたのは死神の影と、幼い己の姿。

 

「お前が忘れない限り、心の中に残り続ける。いいか、弱い自分を許せないってなら、死神になれ坊主」

 

 黒髪の死神が残した言葉と共に、世界が砕け散ってゆく。幼い己の姿のみがいつまでも原型を留め、されど背中を振り返ることは決してない。

 世界の破片に少女の背中を垣間見たのは一瞬だった。

 

 

 ▽

 

 

 夜風に当たりたい気分が生じた祐輝は寮の屋上で胡坐をかいていた。眉を顰めながら見つめるのは、膝の上に置いた斬魄刀。

 無銘の斬魄刀、浅打が貸与されて以来、祐輝は同調と対話を幾度も試みていた。命の存在を鈴の音色として認識し、風によって伝えられる独特の知覚は斬魄刀と同調した結果によるもの。しかしながら名前を知ることはなく、祐輝は斬魄刀の姿を掴んだことはない。

 一向に名を教える気配のない斬魄刀へ向けてこれ見よがしに溜め息をついてみせるが、からかうようにそよ風が頬を撫でてゆく。

 

「今日はお月様が出てないのに、夜空を眺めてるの?」

「月の無い夜も風情ってあるだろ」

 

 浅打の柄で傍らを叩いて見せれば、膝を立てて雛森は腰を下ろした。薄い寝間着の上から厚着を羽織り、普段と違い髪は結わずに下ろしている。

 

「良い子は寝る時間だろ、わざわざこんなところに何の用だ」

「祐輝くんの霊圧を感じたから来たんだよ、それだけ」

「授業はもう抜け出さないよ」

「うん、知ってる。言ったでしょ、祐輝くんがいたから来ただけなの」

 

 一回生の学年末、祐輝は留年の危機に陥ったが雛森が勉強の面倒を見てくれたおかげで無事に進級を果たした。それ以降、雛森への恩義も相俟って祐輝は苦手な座学の授業も抜け出すことなく参加し続けている。

 そうして二回生は何事もなく過ごし、無事に三回生へと進級を果たした。

 いや、正確には変わったことが一つだけ存在する。祐輝がこのように独りで過ごしていれば、何処からともなく雛森が現れて傍らに腰を落ち着けるのだ。

 かつて寄り添った存在の面影を重ね、束の間の心地良さを思い出す。傍らの雛森は手の届かない場所へ離れて行かない、根拠のない安心感を抱いていた。

 心の内を零してしまうのも、雛森に信頼を抱くからこそ。

 

「なぁ雛森、斬魄刀の声って聴いたことあるか」

「ううん、ないよ。もしかして祐輝くんはあるの?」

「あぁ、声っていうか、命の鼓動みたいな鈴の音なんだけど」

 

 名前を教えてくれない意地悪な奴だと零せば、口元を抑えながら雛森は上品に微笑む。

 

「意地悪な所とか、祐輝くんにそっくりさんだねその斬魄刀」

「俺を何だと思ってるんだお前は」

「うん、意地悪で気分屋だけど、真剣な時はかっこいい人かな」

「最後に褒めればいいってもんじゃないぞ」

 

 不機嫌さを表現すべく口元をわざとらしく膨らませる。微笑みながらも気持ちの籠らない謝罪を口にする雛森の目は、優し気だった。

 吸い寄せられるように雛森を見詰めていた事実を悟らせぬよう、無理矢理に話題を、正確には悩みを続ける。

 

「俺がコイツの声を聞いたのは一回生の時だぞ、それがもう三回生。いつになったら名前を教えてくれるんだかさっぱり分かんねぇ」

「あたしはもう斬魄刀の声を聞いてるだけで充分凄いと思うなぁ。だってあたしは全くできないし、阿散井くんや吉良くんも同じはずだから」

「けど名前は教えてくれない」

「焦る必要はないよ、教本にも寝食を共にして練磨を重ねなければならない、って書いてあったじゃない。祐輝くんなら頑張り続ければ、いつか斬魄刀に認めてもらって名前を教えてくれるって、あたし信じてるから」

 

 照れくさそうに頬を桃色に染めながらも、確信に満ちた雛森の声を聞いて悩みが和らぐ。

 そうだ、時間は沢山ある。霊術院に在学中の生徒が斬魄刀の名を聞き出し能力を解放するなど、数十年に一人の割合と言われている。通常はある程度の歳月をかけて斬魄刀を解放するものなのだ。

 焦る必要はないと言い聞かせる。

 

「ありがとな雛森、なんだ、のんびりと付き合っていくさ」

「力になれたなら良かった。でも斬魄刀かぁ、あたしの斬魄刀はどんな感じなんだろう?」

 

 斬魄刀は所有者自身の魂を写し取るとされる。根が真面目で心優しく、しかし阿保みたいに抜けたところのある雛森を思い浮かべ、きっと斬魄刀も同じ心の持ち主なのだろうと推測する。

 可愛らしい音が聞こえた。傍らを見遣れば、肩を縮こませ鼻をすする雛森の姿。

 

「冷えて来たな、そろそろ部屋に戻らなきゃ風邪ひくぞ」

「じゃあ祐輝くんも戻ろ?」

「本音を言えばもう少し風に当たっていたいんだよなぁ」

「もうっ、祐輝くんが風邪ひいちゃうよ。それに明日は朝から藍染隊長の授業なんだからねっ!」

「はいはい、分かったから俺を引っ張るなって。部屋まで自分で戻るから」

 

 

 ▽

 

 

 三回生ともなれば、授業内容は大きく様変わりする。必修科目以外は生徒が各々受講したい科目を選択するのだ。

 身体を動かすことが得意な生徒は実技科目を中心に、護廷十三隊ではなく隠密機動を目指す生徒は、歩法や暗器の扱い方など関連する授業を選択する。

 必修科目以外は特進学級たる一組と、それ以外の学級の生徒も選択科目は同じものを受講できる。

 祐輝は選択科目を受講する際、雛森に誘われる形で可能な限り同じ授業を選択していた。座学の授業は抜け出さなくとも、眠気を誘われてしまうのは変わらない。そのため真面目な雛森がいれば、いざという時に勉強を教えてもらうつもりだった。無論、半分は冗談のつもりで飄々と言ってのけたが、嬉し気な表情が一転して怒りに染まった雛森に頬を叩かれもしたが。

 選択科目の一つに、五番隊の藍染隊長が行う授業が含まれていた。

 護廷十三隊の現役の隊長が教壇に立つ、それだけで授業は莫大な人気を誇っていた。教室内の座席は全て埋まり、尚且つ廊下に溢れてまで講義を聞こうとする熱心な生徒が何人も見受けられた。

 未だ死神ですらない生徒たちにとって、隊長は雲の上よりも高い存在だ。故に直接その話を聞ける機会は滅多にない。

 最前列の座席、それも教壇の目の前という誰もが羨む場所を確保したのは雛森の意地だった。憧れる藍染の話を間近で聞くためならば労力を惜しまず、瞬歩で教室に一番乗りしたほどだ。

 傍らには祐輝が腰を下ろしていた。居眠りしても目立つことのない後方の座席に腰掛けたいのが本音だが、雛森に呼ばれたのだから仕方がない。そう、他の授業でも雛森の隣に腰を下ろしているのだからある意味で当然なのだ、と誰に宛てたか分からない言い訳を作る。

 

「楽しみだね祐輝くんっ」

「お前の楽しそうな声が唯一の癒しだよ」

 

 子どものように瞳を輝かせ、小躍りしそうな勢いで雛森は待ちわびている。

 やがて、白い羽織をはためかせて眼鏡をかけた穏やかな物腰の男性が入室した。本当に隊長なのか、と思わず勘繰りたくなる程度には貫禄といったものが感じられない。学者か、それこそ教師と言われたら納得してしまいそうな雰囲気を漂わせる、それが祐輝にとっての第一印象だった。

 

「やぁ、これほど多くの将来有望な若者が受講してくれて僕も嬉しく思うよ。これから短い間だが君たちに教鞭を執らせてもらう、五番隊隊長の藍染惣右介だ」

 

 洗練された物腰で黒板に己の役職と名前を書いた藍染は教室内、そして廊下にまで伸びる人影を見渡したのち、最後に感極まる表情を浮かべた雛森に笑いかけた。

 もはや人生に悔いはないと昇天しかける雛森に、さりげなく肘をつついて現実に引き戻す。すぐさま表情を引き締める、かと思えばそれは数秒もせずに崩れた。

 この授業、寧ろ雛森はまともに話を聞けるのだろうか、と真剣に考えてしまう。

 

「さて、一つだけ残念なことを言わねばならない。僕は隊長としての業務もあるから、霊術院に足を運べるのは週に一回、この時間だけだ。授業で疑問に思ったことがあれば、霊術院にいる間は遠慮なく尋ねに来なさい」

 

 それではさっそく授業を開始しよう、藍染は達筆で二つの文字を黒板に書く。

 

「死神……?」

 

 思わず口ずさんだ雛森に応えるように藍染は説明する。

 

「尸魂界と現世の均衡を保ち、虚から現世を護る役目を与えられたのは他でもない死神だ」

 

 現世で彷徨う魂魄を尸魂界に送り、魂魄を糧とする虚を退治して現世と尸魂界の均衡を保つ。それは一回生の教本で習う基礎的な教養だった。

 

「斬魄刀という力を持ち、虚を退けることは出来る。それは現世の、流魂街の人々を救うことに繋がる。だけどね、僕たち死神は決して天から物事を見下ろす神ではないんだ」

 

 心の在り方次第では死神の力は虚と変わらない。私利私欲のために振るえば弱き命を傷付けることすらあり得る。力だけを求め、道を踏み外す者もいる。己の正義に酔いしれて、相容れない存在を悪と断言するかもしれない。

 藍染の語る言葉に、己が求める力は何だろうかと自問自答する。斬魄刀の名を聞くべく刃禅を繰り返すのは、力を求めるためだ。

 

「死神を目指す理由は個人によって異なるはずだ。僕はその理由や原動力そのものを否定はしない。例えば、そうだな。君、名前は?」

 

 教壇の目の前に座る雛森、ではなくその隣に腰掛ける祐輝へと眼鏡越しに柔和な笑みが浴びせられる。まさか指名されると思っておらず、思案中だったこともあり名前を告げるのに僅かな間が生じた。

 

「朝霧祐輝、です」

「では朝霧君、君が死神を目指す原点を聞かせてもらってもいいかな」

 

 かつて一度だけ、雛森にも聞かせたことがある。幼い頃に死神に憧れた、だから死神を目指すと。

 それは理由であって、藍染の訊ねる原点とは違うように思えた。

 記憶に蘇る、流魂街時代の思い出。腹が減るという同じ境遇の少女と盗みを働き、共に少ない水と食料を分け合った。幸せとは程遠いにせよ、日々を懸命に生きていた色褪せない記憶。

 茜雫という少女が生きていた確かな証であり、憧れの死神と出会った原点。

 

「俺の手が届く限り、誰かを護れる力が欲しかった。だから、死神を目指そうと思って」

 

 この場にいない、生意気な少年と交わした言葉。雛森を護ってやるという、確かな約束。

 

「朝霧君、君の言う誰かを護るための力は、君の在り方次第で暴力にも変わるんだ。皆も覚えていてほしい。僕たち人は誰もが地に足をつける平等の存在だ。決して、力を手にしても特別だと驕ってはいけないよ」

 

 

 ▽

 

 

「浅打はちゃんとあるっと。あ、帯が少し緩んでるよ。だらしないなぁ全く」

「お前は俺の保護者かよ」

 

 帯をきつめに結びなおす雛森へ呆れながら告げた。

 三回生二組は、現世での実習に出発する。特進学級の一組はこれまでにも何度か現世での実習を行っているたが、祐輝たち二組は三回生になって漸く現世での実習が執り行われる。待望の現世実習に級友たちは興奮を抑えきれず、祐輝もまた、初めての現世に密かに心が躍動している。

 見送りに来た雛森は真面目な性格を発揮して、持ち物から身だしなみに至るまで祐輝の全身をくまなく確認していた。

 傍から見て世話を焼く姉とだらしない弟、もしくは祐輝が尻に敷かれる光景だった。

 

「現世でもちゃんとしてね、霊術院に戻るまでが実習だよ?」

「それ、確か俺がお前に言ったよな」

「それじゃ、気を付けてねっ!」

「おう、すぐに戻って来るわ」

 

 何ら気負うことのない軽々とした返事はいつものこと。ただ、祐輝の背中を見送る機会は滅多にないものだと雛森は思った。

 ふと、忘れ物でもしたのか遠ざかる背中は歩みを止めて振り返る。

 

「そうだ、今度の休日にでも甘味処に行くか?」

 

 特に深い意味もなく、偶々そう考えついただけ。しかし淡い期待を雛森に抱かせるには充分過ぎる誘いの言葉。

 

「ほんとにっ!? 絶対に行こうっ、約束だよ祐輝くんっ」

 

 

 ▽

 

 

 固く舗装された道を、黒煙を噴き上げながら走る鉄の馬。洋服という見慣れぬ格好をした人々。流魂街の家屋や霊術院の校舎とは明らかに設計思想の違う高層建築物。

 はじめて目にする現世の光景はその全てが新鮮だった。

 雛森が現世の実習から帰って来る度に目にした光景を話す気持ちが、今ならば理解できる。確かに尸魂界と文化そのものが違う異世界、それが祐輝の抱いた現世の印象だった。

 くじ引きによって三人一組の班が幾つも組み分けられる。班一つに引率の上級生が付き従って実習は開始する。かつて雛森たち一組は一回生の段階で虚の模造品を相手にする実戦的な内容だったが、二組が行うのは現世の魂魄を尸魂界に送る魂葬というもの。

 現世で命を落とせば、その魂魄は全て自動的に尸魂界へ昇天するわけではない。未練によって現世に縛り付けられ、或いは死を自覚することなく、現世を彷徨い続ける魂魄がいる。

 死神はそれら現世を彷徨う魂魄を尸魂界に送ることで、二つの世界の均衡を保つ役割が与えられていた。

 実習で魂葬する魂魄は模造品ではなかった。正真正銘、現世を彷徨い続ける魂魄たちだった。

 当然ながら自力で見つけ出し魂葬せねばならない。

 

「おっと、向こうに一人いるぞ。多分これ、子どもだな」

 

 雛森曰く、祐輝にそっくりで意地悪な浅打を風の吹く方向に向ければ、弱々しい鈴の音色が聞こえた。先導すれば、訝し気な表情で二人の班員と引率の上級生が付き従う。

 魂魄を見つけ出す方法は特に指定されていない。持ち前の霊圧探知能力を活かし、或いは鬼道を用いてもよい。ならば、と祐輝は考えた。別に斬魄刀を使っても構わないのだろう、と。

 坂道を登り何回か角を曲がれば案の定、現世の格好をしたおかっぱ頭の少女が一人、物憂げな表情で佇んでいた。胸元から似つかわしくない鎖を垂らしていた。

 因果の鎖と呼ばれる、肉体と魂魄を結びつけるものだった。この鎖が千切れると肉体は死亡し、魂魄のみの存在と化す。更に鎖は切れた部分から消失が開始し、それが魂魄まで到達した時点で虚へと堕ちる。

 死神の魂葬は善なる魂魄を虚化させない側面も併せ持っていた。

 

「え、えっと、お兄ちゃんたち、だぁれ?」

 

 電柱と呼ばれる柱の陰に隠れ、怯えながらも問いかける幼子。対するは、現世の住人にとって見慣れない霊術院の制服を着こみ、刀を携えた正体不明の四人組。

 怯えるのが当然、寧ろ逃げ出さない少女は肝が据わった部類だった。

 視線を背後に向ける。級友二人は任せると頷くのみ。引率の先輩は余程のことが無い限り手出しは禁じられていた。

 

「尸魂界、は分かんないよな。あ~、空の上の世界からな、お前みたいな迷子を迎えにきたんだよ」

 

 我ながら語彙力が酷いと自虐する。

 

「えっ、じゃあお兄ちゃんたちは天使様なのっ!?」

「いや、まぁ、現世の言葉ならそうなるの、か……?」

 

 もし死神だと告げれば一転して泣き喚くのだろうかと首をかしげるも、信用を得たのか少女は因果の鎖を垂らしながら祐輝の足元まで近寄る。

 

「じゃあ、天国に連れてってくれるの?」

「地獄じゃない世界に、な。じっとしてろよ」

 

 ちくしょう、朝霧みたいな場所は気安いと言えないがそれでも地獄よりは恵まれた世界のはずだ。

 斬魄刀の柄を魂魄の少女の額に当てる。虚ならば刀身で斬り伏せることで魂葬が可能だが、善なる魂魄には柄を当てることで魂葬を行う。

 

「ん……っ」

 

 目を瞑り、震えながらも少女は息を吐く。やがて足元から霊子の粒子となって身体は消失してゆく。どこぞの流魂街に流れ着くはずだが、願わくば雛森の暮らした潤林安のような平和な地区で暮らしてほしい。

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

「元気でな」

 

 初の魂葬にしては上出来だと上級生から告げられる。普通なら緊張などで力が入りすぎ、魂葬の際に魂魄は悲鳴を挙げる程の痛みに襲われるらしい。

 程なくして祐輝は上級生の言葉を目の当たりにする。

 

「あナぁルぅぅぅっ!?!?」

 

 奇声と共に痛みから逃れるべく尻を向けて消え去った中年の男。

 

「あっ、あぁっん……んっ」

 

 全身を悶えさせ、痛みを堪えるように口を噤ませながら光となった同い年らしき少女。

 同じ班の二人が行った魂葬はどちらも肩に力が入りすぎていた。見ていて魂魄が哀れに思えた祐輝の気持ちは上級生も共有していたようで、魂葬のコツと共に次に活かす言葉を並べている。

 その後も、魂魄を見つけ次第に魂葬をしてゆく。時には祐輝たちの持つ斬魄刀を見て逃げ出す魂魄もいたが、特別な力を持たない為に逃げられるはずもなく、最後には尸魂界へ旅立ってゆく。

 夕陽が差し、現世の街並が茜色に染まる。複数の班が町全体を回っているからか、魂魄が見つかる気配がない。引率の上級生も潮時と判断したのか、一足早く集合地点へ向かおうと提案する。

 慣れない現世で魂葬を続け疲労の溜まっていた祐輝たちは反対するはずもなく、四人は集合地点とされた自然公園へと足を運んだ。

 

「朝霧君も初めての魂葬なのに、どうしてそんなにうまくいったの?」

「雛森さんから手取り足取り教わったんだろ、なっ祐輝?」

「うるっせ、偶々だよ偶々」

 

 手近な木の陰に腰を下ろし身体を休める。木々が茜色に染まり、疑似的に紅葉が出現する。電柱や、空に伸びる現世の建物が若干風情を乱しているが、却って新鮮な光景だと目に焼き付ける。

 現世の風に身体を預け、暫しの休息に微睡む。

 

「しかし他の連中は遅いな。もう大して魂魄もいないはずなんだが。お前たち、少しここで待ってろ、様子を見て来る」

 

 引率の上級生は訝しみ、瞬歩で何処かへと消える。

 祐輝たちは魂葬すべき魂魄が見つからないため、魂葬を諦めて集合地点へとやってきた。それには身体の疲労も理由に含まれている。祐輝たちの見逃した魂魄を他の班が魂葬してるにせよ、班の一つや二つは集合地点に姿を見せてもおかしくない頃合いだった。

 風に乗って伝えられる鈴の音色は一つもない(・・・・・)。祐輝の消耗も関係しているのだろうが、この街に魂魄が存在しないのは確かだろう。

 

「もしかして私たちが集合地点を間違えたとか?」

「なわけあるかよ、俺たちが最初に降り立ったのはこの公園だぞ」

「だったらどうして私たちの他に誰も現れないの?」

「二人とも落ち着け、どうせ現世でも観光してんだろ。雛森はいつも現世の街並がどうのって俺に話してるしな」

 

 様子を見に行った上級生も一向に戻る気配を見せず、二人の級友は徐々に不安を隠せなくなる。いつしか茜色の空は群青色へ変貌しつつあり、肌を刺す風が吹いていた。

 尚も木の影に腰を下ろし続けた祐輝は同じく敢えて飄々と口笛を吹く。まるで気にしていない、というように。

 異変、と呼べるものは薄々勘付いていた。だからこそ普段通りに振る舞うことで級友二人を僅かばかりでも安心させようとする、不器用ながらの優しさだった。

 柄へ手をやる。現世の風は静寂そのものだった。祐輝たち霊術院の生徒が街の中に散らばるならば、それらの命を示す鈴の音色が風に乗るはずなのだ。

 

「おっ、この霊圧は先輩のものじゃないか?」

「でも一人だけよ?」

「土壇場で集合地点が変更になって俺たちを呼びに来たんじゃないのか。ほら祐輝、お前も寝てないで行くぞ」

 

 立ち上がる。肌を刺す風の痛みは変わらず、されども確かに霊圧は引率の上級生のものと寸分違わない。だが、妙なざわめきを感じる。

 不安、それとも違和感か。言い知れぬ感情の正体を探ろうとし、それは斬魄刀によって瞬時に解決した。霊圧の持ち主は、深淵を覗くように深い音色の命を発する。

 

「逃げろお前らっ!」

 

 過去は手が届かなかった。現在(いま)は、言葉が間に合わなかった。

 

 

 ▽

 

 

 刀を彷彿とさせる一筋の爪が振るわれ、空気を裂く振動と共に迫り来る。

 身体の軸をずらし、躱す。得意とする最短で最小の動作ですぐさま斬り返す。だが斬撃は浅く皮膚を裂いたのみであり、瞬時に傷跡が塞がる光景に舌打ちをする。

 細身に反した二つの剛腕から生える鋭利な爪を一撃でもこの身に受ければ、即座に致命傷となり得る。

 一旦距離を取るべく後方へ跳躍し、真正面から追撃して来る虚の顔面に向けて斬魄刀を保持しない左手を向ける。

 

「破道の三十一、赤火砲(しゃっかほう)っ!」

 

 正確無比な一撃は顔面へと叩き込んだ。黒煙が立ち昇る。確かな手ごたえを感じながらも、虚とは(・・・)異なる(・・・)霊圧(・・)を感知して斬魄刀を構える。

 黒煙から飛び出す影。仮面が虚の急所だという教本に則った祐輝の攻撃は、仮面の眼前に置かれた爪によって見事に防がれていた。

 馬鹿正直な突進だが、速度は侮れない。交差は一瞬、甲高い音が響き合う。祐輝の影は軸がずれ、虚の攻撃は虚空を過ぎったのみ。対して祐輝の浅い斬撃は虚が持つ超速再生によって瞬時に回復する。

 

「その回復力、少しでいいから俺に貸してくれよ」

 

 肩で荒い息を吐きながらも虚を視界に捉え続ける。

 現世の建物、その壁面を地面の代わりとして空中で強引に態勢を変える。追随する虚は祐輝の正面を位置取り、決して背後を見せることはない。

 仮面が急所であると理解し、また死角を晒す隙も見当たらない。知能を持った、或いは戦闘経験の豊富な虚だと容易に察せられた。

 元より慣れない現世、魂葬によって体力は消耗している。虚の一撃をのらりくらりと交わし続けるが、決定打を与えるべく仕掛けることはしない。自ら虚の懐へ潜り込んで斬撃を叩きつけようとすれば、二振りの鋭利な爪の餌食となり得る。

 再び振るわれる虚の爪。風の様に捉えることのできない祐輝の影。

 

「ってえな、くそっ」

 

 引き裂かれた左袖からは、血を流す二の腕が垣間見れる。虚は絶妙に間合いを調整し、祐輝が躱した先に攻撃を置いていた。それは過去に親善試合で対峙した恋次も取った手口だが、虚が持つ攻撃手段、即ち長く伸びた爪は二つある。置かれた攻撃に対処する極一瞬だけ祐輝の意識は片方の爪に集中し、その結果として左腕に傷を負ってしまった。

 対峙する虚は手に余る。だが祐輝は斬魄刀を構え続ける。決定打にならない斬撃を加え続け、注意を引き付ける。

 

「そもそも死神と(・・・)同じ霊圧(・・・・)を持つ虚(・・・・)なんて聞いたことないぞ俺は」

 

 細身で肋骨らしきものが浮き出た上半身と、獣並みの剛腕から生えた鋭利な爪を持つ姿は、まだ虚のものだ。しかしその身から発せられる霊圧は虚特有の、泥を思わせる濁りきったものではない。純粋な死神の、付け加えるならば複数の死神の霊圧が絡み合っていた。

 馴染み深い霊圧が幾つも感じられる。それは二組の級友であり、今日一日中行動を共にした引率の上級生だった。

 

「俺はお世辞にも頭は良くないって自覚してんだ、お前の霊圧をあれこれ考えたって無駄だってな」

 

 言葉が通じると思ってはいない。だが燻る感情の奔流を吐き出さずにはいられない。

 

「勝てないかもしれない。けどな、俺の力が、手が届く限り、這い蹲ってでもお前を止めるんだよっ!」

 

 手に余る虚と対峙し続けるのは二人の仲間を逃がすため。

 引率の上級生と誤認した二人に祐輝の警告は間に合わなかった。しかし、命を繋ぐことには成功した。

 即死には至らなくとも重症を負った二人の逃げる時間を稼ぐために自ら虚へ立ち向かい、注意を引き続けている。祐輝自身の命は勘定に入れていない。過去に命を取り零した己を許せず、だからこそ他者の命を護るために。

 出血と疲労が重なり、左腕の動きは意志に反して鈍い。すぐさまそれを見抜いた虚は狡猾に祐輝の左側面への位置取りを心掛ける。

 

「莫迦が、死角を放っておく自殺願望者じゃねぇぞ俺は」

 

 逆に言えば、虚の動きは祐輝の左側面を重点的に狙うものとなる。

 振るわれる爪を斬魄刀で抑え込み、動きは鈍くとも左掌を虚に向ける。

 

「縛道の四、這縄っ!」

 

 縄状の霊子が一時的に虚の剛腕を拘束し、爆発する。黒煙が立ち昇るが、拘束で稼ぎ出した僅かな時間を使い一瞬で虚の背後へ回り込むことに成功する。虚の首元へ向けて右腕で振るわれた斬魄刀は深々と刀傷をつける。だが片腕一本で振るわれた故か、首を落とすには足りない。

 咆哮と共に虚は身体を振り回し、祐輝をはたきおとそうと試みる。仕留めるには絶好の機会を逃さず祐輝は二撃目を振るう。

 

「ちく、しょう……っ」

 

 込み上げる液体を我慢できずに口元から吐き出す。口内は鉄の味で溢れ、白い霊術院の制服が鮮血に彩られた。

 大きく抉り取られた腹部からはとめどなく出血する。玉汗が噴き出、胴体から力が抜け落ちた祐輝は虚によって乱雑に放り投げられる。

 仕留めるには絶好の機会、それは虚にとっても同様だった。祐輝という獲物が動きを止めているのだから。

 下半身と左腕の感触が薄れてゆく。意地でも手放さなかった右腕の斬魄刀の存在を強く意識しながら、死神の霊圧を持つ虚を見据える。

 もはや祐輝に用がないとばかりに背を向けた虚の仮面が向く方向には、傷ついた仲間の霊圧が微かに探知できた。

 

「待て、よ……這い蹲ってでも、止めるって……言っただろうが……っ」

 

 斬魄刀を握りしめた右腕だけで身体を動かす。声を聞き咎めたのか、気まぐれか、無様に地を這う祐輝の姿を仮面の奥の瞳は嗤っていた。足音を立て、どのように弄ぶか思案するように鋭利な爪で祐輝の頬を薄く裂いてゆく。

 

「茜雫を見殺しにした、だからっ、弱い俺を許せなかった……っ」

 

 右掌は、柄を強く握りしめた反動で赤く染まっている。

 

「帰ったら甘味処に行くって、雛森と、約束……したんだよっ」

 

 面影が重なる、心安らぐ少女の笑顔が脳裏を過ぎる。

 

「いい加減に、お前の名前を俺に教えやがれっ!」

 

 己の斬魄刀に叫ぶ姿は、虚にすれば発狂したと捉えられるだろう。嘲笑うようにして祐輝の右腕に爪を突き立て、最後の希望たる斬魄刀を奪おうとして、それは叶わない。

 霊力の奔流が突風と化して吹き荒んだ。それは虚の爪を一瞬にして破損させるほどの威力を保持し、突然の事態に虚は慌ててその場を飛びのく。

 澄んだ音色が、全方位から響いた。

 淡い蒼の霊力を漂わせる斬魄刀の鞘が、柄が、鍔が、全て浅打から変じてゆく。

 祐輝が死に瀕したことで、意地の悪い斬魄刀は漸くその名を教える。

 荒い息遣いで厳かに放たれた、言霊。

 

「――響け、鈴葬(りんそう)っ!」

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