掌大の小噺   作:サクウマ

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ルーミア一人称です。


第一編 登場:ルーミア

 

 

    【ものぐさのはなし】

 

 

 

 かつて外来人と、一晩限りで語り合ったことがある。

 外来人の男は自殺をしようと山へ入ったのだと言っていた。生きていくことに疲れたのだと。

 ならばその死後の屍は私にくれてはくれまいか、そう尋ねると好きなようにすればいいと返ってきた。きっと面倒だったのだろう。

「しかしお伺いをたてるなんて妙なことをするね。さっさと襲えばそれで終わりだろうに」

 男の言葉に、あーと間の抜けた声を出して私は首を傾けたように思う。

「でもそれは面倒だもの。牡丹餅の降るのが分かっていたら、いくらでも待つ性分だから」

「ものぐさだね」

「よくそれでからかわれる」

「褒めているのさ」

「ふうん?」

 男は確か、そこで懐かしむような目を見せたのだったか。

「我々の業界ではね、怠惰であることは美徳とされている」

 私は横目で続きを促した。

「横着は技術の母。水車だって、人が粉挽きを苦にしないならそこで使われることはなかっただろうってね」

「素敵なところね」

 私がその言葉を口に出したのか否かは、ぼんやりとして判然としない。

 翌日の朝に男は首を括り、私はそれを余さず食した。残った骨はいつの間にやら無くなっていたが、その言葉は今でも頭にこびりついている。

 

 

 

 異変を起こしたことがある。紅い霧の異変の、その数年ほど昔のことだ。

 綺麗な満月の日であった。それを覚えているのは、巫女に地に叩きつけられた時に、そのまま夜空を見上げたからだ。

「あんたは平和主義だったように思うんだけど、勘違いだったかしら?」

 それを虚空に浮かんで見下ろす巫女は、今の彼女の姿と殆ど同じような姿かたちであった。ああ、今宵が月喰む夜であれば、彼女はひどく映えるろうになあ。そんなことをぽつりと考えた記憶がある。

「勘違いだよ。私は単にものぐさなの」

「ならますます腑に落ちないわね。どうして異変なんか起こしたのかしら」

 その通りである。今の私とてそう思う。少なくとも当時から私は、先の怠惰のために今の怠惰を犠牲にするような、そういう性分ではないはずなのだが。

 けれど、私はそのとき確かに言ったのだ。

「退治されて、封印されたら、今よりもっと楽なんじゃないかなって」

 巫女は、深くため息を吐いた。

 そのため息が、私への呆れから来たものなのか、或いは封印を施すことへの億劫さから来たものだったのかは、私には未だに判然としない。

 

 

 

 閻魔さまに言われて、私の狩りを見せることになった。

 花の綺麗な、ある日の夜のことである。

 見せる、とは言ったものの、私の狩りというものは行き当たりばったりで受動的なのだ。うまく今夜のうちに獲物が見つかるかは、私にも分からないことである。そのことは閻魔さまにも伝えたのだけど、それなら獲物に出逢うまで待ちましょうなんて言われてしまったのでどうしようもない。音は出さないでと頼んだから足音とかはしないけど、でもずっと視線を向けられるのは居心地が悪くて仕方ない。

 早く獲物が見つからないかな、なんて思いながら林をうろつくこと3時間。しかし今日の私は運がよかったらしかった。

 つまり、迷子の人間がいたのである。

 私は人間に音もなく近づいた。と言えば高尚な技術でも使っているようだが、実際は日頃と変わらない。宙に浮かんで、枝に当たらぬよう移動するだけ。こういうときは、私が小柄で良かったと思う。

 そして人間を闇で覆って、ついでに首筋に噛みついておく。そうすれば、私の狩りは殆ど終わりなのである。

 半狂乱になった人間は私を振り払って逃げ出した。ややあって、ぐしゃりと嫌な音が響く。その後に絶叫が響かないということは、息絶えたのか、気絶したのか、瀕死なのか。どれにしたって、今日はつくづく運が良い。

「それが、あなたの狩りですか」

「うん、いつもこう上手くいくとは限らないけど」

 なにしろ、偶然近くに崖があって、さらに偶然そっちへ逃がすのだから、よほどでないとこうはいかない。普段ならば、猟師の罠にかかったり、それか石に蹴躓いて転んだりする程度である。そういうときは、気を失うまで待つ必要があるのだから、まったく面倒なことこの上ないのだ。

 閻魔さまの質問に応えながら私は崖を降りた。人間は首が折れていた。続いて降りてきた閻魔さまに人間の腕を持ち上げて食べるか尋ねたのだけど、もちろん断られた。当然である。

「しかしその方法だと、効率が悪いでしょう」

 いただきます、と手を合わせたところで、閻魔さまはそう言った。

「まあ、悪いよ。運が悪いと逃げられるし」

「では、何故その狩りかたを選んだのですか?」

「私はものぐさなの。楽な方法を選ぶのは当然よ」

「本当にそうですか?その割に、徒労は厭わないようですが」

「徒労?」私は肉を噛み千切って首を傾げた。「もしかして、人間を取り逃がしたときの話?」

「ええ、その話です」

「でも逃げ帰れた人間は、私の噂を広めてくれる」

 妖怪にとって、噂になるということは、活力の源のようなものなのだ。私のような、種族のない妖怪には、特に。

「だから、徒労じゃない」

 私の言葉に閻魔さまは、満足そうに頷いた。

「それを分かっていなければ説教するつもりだったのですが、取り越し苦労でしたね」

「そうなんだ」

 私は黙々と食事を続けた。けれど閻魔さまは、それ以上はなにも言わなかった。

「……それだけ?」

「ええ。私から言うべきことはそれだけです。無論、疑問があるなら答えますが」

 本当に、それを言うためだけに来たようだった。

 閻魔さまというのは、存外、暇らしい。そう思いながら、ああそういえば、と私は閻魔さまに一つ尋ねた。

「ものぐさなのは、悪徳じゃないの?」

「怠惰の罪。西の思想ですね」

 閻魔さまの言葉はすらすらと並び立ち、まるで淀むことを知らないかのようだった。

「原典が手元にありませんから向こうの事情に確かなことは言えませんが、少なくともこちらでは怠惰は即ち黒、ということはありません。無論、己が職務に差し障りない範囲において、ですが」

「……そうなのか」

 私は食事の手を止めて、小さな声で呟いた。

 すると案外、あのものぐさであった外来人は、天国に行けたのやもしれない。そう思っての言葉だった。

 一応、男の白黒は、目の前の閻魔さまに訊ねればたちどころに答えは出ると思われた。しかし私はそれをしなかった。

 面倒だったのだ。

 

 

 

「おう、ルーミアじゃないか」

 声が聞こえたので闇を解くと、そこには魔法使いの人間がいた。

「あー。久しいね、……人間」

「あっこいつ名前思い出すの諦めやがった」

「そんなことないよ」私は言った。他人の名前など覚えようとしたことすらないのだから、当然である。

「まあいい、それよりお前はそんなところで何やってるんだ?」

「横になってるの」

「それは分かる」

 そう言われても、困る。元よりなにかしているわけではないのだ。

「気になるなら、来る?」

「食われそうな気がするぜ」

「食べないよ。抵抗されたら、面倒だし」

 実際、魔法使いの人間は、かなり強いのである。襲ったとしても、明らかに割に合わない。

「そのものぐさっぷりは相変わらずだな」

 苦笑しながら、魔法使いの、……もう人間でいいか。人間が、私の横に降りてきて、そして横になった。

 それを見計らって、私は再び闇を広げる。

「…暗いな」

「夜だもの」

「夜?今は昼間じゃないか」

「うん。でも、ここは夜だ」

「ああ、宵闇だからか」

 人間は笑った。私も、少し笑った。

「じゃあ、私は寝るよ」

「おいおい、それはさすがに怠惰が過ぎるぜ」

「怠惰というのは、一部の界隈では、美徳なんだよ」

「そいつは面白いな、転職したらどうだ?」

「やだよ面倒くさい」

「だろうなあ」

 呆れたような人間の声を聞きながら、私は目を閉じた。次に目を開けたときには、人間はもういないのだろう。そんなことを思いながらも、だからといって何かしようという気にもならず、そのまま私は意識を黒く塗りつぶした。

 

 

 




「『聖者は十字架に磔られました』っていってるように見える?」
「『面倒だったので抵抗しませんでした』って見えるな。」

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