一月某日。
ようやく世間から正月明けの弛んだ空気が消えて、寒さがますます厳しくなってきた頃、ボーダー上層部から正式に大規模侵攻に関する通達があった。
概要はこうだ──
《本日から月末にかけて大規模な侵攻が発生するおそれあり。各員は防衛任務等のスケジュール確認を密にし、非番であっても三門市内または三門市近辺に居るのが望ましい。遠出の際はボーダー本部に行先を届け出ること。侵攻に先立ちゲート発生が頻発する危険性もあるので、C級隊員はみだりに警戒区域に入らないこと……》
いつ、どのくらいの勢力で攻めてくるかはあちらと神のみぞ知る話ゆえに、ありきたりな注意文に終始しているが、
「『なお、有事の際C級隊員は人命救助や避難誘導に限りトリガーを使ってもよいものとする』
……なンだこれ」
「我が愛弟子、三雲くんの功績さ」
「ぅぎゃっ!」
わしゃわしゃと髪の毛を撫で回され、火乃音は飛び上がった。
振り返りざま、犯人の手を払いのける。
「ソレ止めろっての、迅!」
犯人──迅 悠一は悪びれたふうもなく笑うと、「いやー見事な金髪でつい」と言い訳にもなってない言い訳を口にした。
「関係ねーからっ! ……んで? オサミンがどーしたって」
「ああ」
迅は火乃音の手元を覗き込むと、例の一文をつついた。
「先日、イルガーってトリオン兵が出たの覚えてるか?」
「爆撃型トリオン兵……だっけ? キトランが倒したヤツだよな」
木虎 藍は数少ない同い年のA級隊員だ。初めて遭遇するトリオン兵を見事打ち倒し、川に沈めたということで、二、三日話題になっていた。
「そうそう。そん時な、三雲くんはまだC級だったんだけど、訓練用トリガーを使って爆撃を受けた街の人たちを助けて回ったんだよ。
そこからルールが見直されて、C級でも人助けのためなら使っていいってことになったんだ」
「へえ……」
火乃音は感心した。生真面目な修のことだ、訓練生は基地外でトリガーを使ってはいけないことくらい知っていたはずだろう。
にも関わらず、人々を助けるために使い、かつその功績が認められたというのは、なぜだか我がことのように嬉しかった。
風間戦での引き分け方や、緑川とのいざこざの収め方など、どうも修は見ていて飽きない。
「いいことするなあオサミン」
呟きに、迅が目を光らせた。
「お? かのんにもとうとう春が来たか?」
「くるかっ!」
火乃音が赤い顔をして迅の尻を蹴飛ばした。
迅のおふざけはともかく、今後の動き方について仲間と打ち合わせておいた方がいいだろう。
火乃音は作戦室に足を向けた。
A─9と銘打たれた扉を開く。中はがらんとして人気がない。
作戦室は各チームごとにだいぶ様子が異なる。綺麗好きが多い嵐山隊はいつ行ってもスッキリしているし、反対にだらしないのが多い太刀川隊はいつ行ってもごちゃっとしている。
諏訪隊には麻雀卓すら置いてあるが、東さんも楽しんでいるそうなので問題なし。影浦隊にはこたつが常備されていて羨ましいことこのうえないが、提案したらすげなく却下された。
いわく。「お前は絶対こたつで寝て風邪をひくから」だそうだ。言い返せないのが腹立たしい。
その代わり、ここにはどの隊よりも沢山の本があった。小説、実用書、絵本に辞書、写真集、エッセイ、図鑑……本の形をしていれば合格らしく、それこそ即売会で買った同人誌すらある。
一部の隊員から「図書館」と揶揄される所以であるが、火乃音はわりあい気に入っていた。
すう、と深呼吸すれば、紙の匂いが鼻腔を満たしてくれる。どんな香水よりも火乃音の心を落ち着かせる、最高のかおりだ。
久しぶりにファーブル昆虫記でも読もうかと手を伸ばしたところで、チームメイトが帰還した。
「あらっ、ま〜珍しい」
「お帰り」
源 康平が驚きの声を上げ、藤島 薫は眉をほんの少し上げた。
「おつ〜」
火乃音が手を振る。メンバー全員が揃ったのは年末以来だろうか。といっても、しょっちゅうメールのやり取りをしているので、久しぶりという感覚は全くない。
部屋の奥、畳を置いたスペースに三人が腰を下ろした。自分とほぼ同じサイズのテディベアによりかかりながら、火乃音が口火を切る。
「大規模侵攻、くるってさ」
「聞いたわ」藤島が頷く。康平も後に続いた。
「いまエンジニア総出で市街地防衛のためのトラップを造ってるわ。あの子達徹夜になりそう」
お肌が荒れちゃうわね、と康平がジェルネイルばっちりの手で頬を撫でた。
康平は、五年前までオカマバーを経営していたれっきとしたオカマだ。近界民に自分の店を潰されて、怒りもあらわにボーダーに入った。残念ながら戦闘員になるにはトリオンが足りなかったものの、目端が利くことを買われてオペレーターに配属された異色の男である。ボーダー唯一の男性オペレーターである上に派手な化粧と服装から、名物オペの一人に数えられている。
ボーダートップクラスの洒落物だが、筋トレにハマりすぎて筋肉がつきすぎ、シャツのボタンが弾け飛ぶのが目下の悩みである。
「あんたのトリガー、改良するなら今のうちね」
言って、藤島は緑茶を啜った。
ベリーショートの髪にピアス、身長百七十八センチの高身長で、いわゆる王子タイプの女性である。女にモテること数知れず、女子高に通っていたときは学年ごとにファンクラブが設立され、毎日ファンが後ろをついて歩いたという。
彼女は県外の生まれだが、スカウトされて三門に越してきた。そのときのファン達の嘆き悲しみは推して知るべし、である。
最初は弧月使いのアタッカーとして入隊し、新人王をも獲るほどの腕前だったが、一年前にエンジニアに転向した。現在は火乃音の専属エンジニアとして彼女をサポートしている。
オペレーター1にエンジニア1、実戦隊員1の、やや変則ではあるが、これがA級9位 平隊の全員だった。
「なんか改良案ある?」火乃音の問いに藤島は無言でホルダーを差し出した。
「銃型トリガーを改良したわ。すこし重たくなったけど威力はお墨付き。玉狛のガトリングにも引けを取らないはず」
「やりっ♡」
ホルダーを指先でくるくる回し、満面の笑みを浮かべた。
「ちょーど火力が欲しいと思ってたところでさ〜。さすがカオルンだわ」
「奴らが来たらいい試し撃ちになるじゃない」
クソッタレの近界民なんかぶっ殺しちゃって☆
マスカラばちばちの睫毛でウインクしながら康平も笑った。
「任せな」
火乃音の瞳が剣呑な光を帯びる。
ホルダーを握る手に力が篭もった。
「もう二度と、この街で好き勝手はさせねえよ」
しばらくは、何事もなく過ぎた。
噂によると、さる協力者のおかげでどの国が攻めてくるか、かなり正確なところまで絞れているらしい。ただ、いつ来るかという点になると、これは相手の計画と思惑次第、予測は憶測でしかなく、考えるだけ無駄というもの。火乃音はモヤモヤしたものを一旦脇に置いて、ひとまず鍛錬に集中することにした。
射撃訓練場でアイビスを構える。重低の発射音が轟き、弾は的から3メートルほどズレて着弾した。
「……あたんねえなあ」
遠い目でボヤく。
四年前に入隊してから、火乃音は数々のトリガーを使ってきた。弧月、スコーピオン、レイガスト。弾丸トリガーの四種も銃手や射手としてならばかなりのレベルで扱える。
だが、狙撃の腕はからっきしだった。
ボーダーただ一人のパーフェクトオールラウンダー・木崎 レイジの歴史を変える! と鼻息荒くアイビスを手にしたはいいものの、いまのところ狙撃成績は新入隊員も入れて完全ドベ、情けないほどのビリッケツである。
なにしろ当たらない。よくて数十センチ差、悪ければ何メートルもどっ外す。当然、実戦での投入など夢のまた夢だ。
ちなみにチームメイトにこの成績を見せたら、立板に水のごとく喋る康平を絶句せしめ、氷の女王ともあだ名された薫を青ざめさせた。
酷い。あまりにも酷すぎる。
「レイジさんて凄いんだなァ〜……」
床にうずくまり、うごうごと蠢く火乃音の背中を、誰かがそっと叩いた。
「聞くぞ、悩みがあるなら」
「ダルそーな顔してますね」
「ホカリン……! ザキちゃん……!」
火乃音の顔がぱああと輝く。
そこに居たのは全員スナイパーの超変則チーム、荒船隊の穂刈と半崎だった。
マスターランクに到達している彼らのことだ、きっと何かしらアドバイスをしてくれるはず……!
期待に胸を膨らませ、事情を話した火乃音だったが、彼女の狙撃成績を見た瞬間、半崎は「実家のおばあちゃんが危篤になった気がするので帰ります」とダッシュし、穂刈は無言でダッシュで帰った。
「うらぎりものぉーーーー!!!!」
血を吐くよな慟哭。床をだふだふと叩きながらしょっぱい涙が頬を伝った。
「アドバイスとか……っ なんか一言くらい……っ」
ぱたぱたと床に雫が散る。埃が浮いた。わあ、ボーダー(の床)ってちょっときたない。
そっと肩に手が置かれる。半崎が追い討ちをかけにきたのだろうか。火乃音は涙と鼻水で顔をでろでろにしながら怒鳴り散らした。
「なんだよぉっ! どうせ何も教えでぐれないんでしょおってあずまさああぁああ!」
「──どうした?」
困ったような笑みを浮かべた、東 春秋がそこにいた。
いろいろと言いたいことを飲み込んだであろう笑顔が、いまは辛い。
慌てて鼻水を拭ってから、アイビスを後ろに隠した。
「いえ、その、これは、ちがくて」
「狙撃の練習してたのか? 凄いな、スナイパーも会得しようとしてるのか。火乃音は頑張り屋だなあ」
ぐうっと熱い涙がこみあげる。それまで流していたゲロ味とは違う種類の涙だった。
「で、でも……ぜんぜん、あたんなくて……」
「ふん?」
東の長い指がデバイスを操作し、火乃音の成績を表示させる。
ざっと目を通してから、「……なるほど」と呟いた。
火乃音がぎゅっと目を閉じる。
東さんもきっと呆れているだろう。こんなひどいのは見たことない。悪く言わない、やめたほうがいい。お前に狙撃の才能はないんだよ──彼にそう言われてしまうことが、なによりも怖くて、辛い。
頭のてっぺんに手が置かれる。びくりと揺れる火乃音に、東の声がかけられた。
「教えてあげるから、おいで」
「……え」
ぱちり、と瞬く。大粒の涙がぼろりと落ちた。
「……お、教えてくださるんですか……?」
「ああ。だって上手くなりたいんだろう? 俺でよければ、なんだって協力するよ」
銃はアイビスか。俺と同じだな。
微笑む東はきらきらと輝いて。
火乃音は安堵から大声で泣きたくなるのをぐっと堪えて目元を拭い、彼の言うとおりに姿勢を整えた。
「いいか。狙撃するときは────」
東が的確に、明確に指導していく。
火乃音は一言一句に耳を済ませながら、狙いを定め、息を落ち着かせた。
「────そう。あとは、引き金を引くだけだ」
「はい」
く、と引き金に指をかける。銃口から飛び出たトリオンは、狙い過たず、目標のド真ん中を貫いた。
じん、と掌が痺れる。
「あ、たっ、た……」
心臓がうるさい。どくどくどくどく、と全力疾走のあとみたいに跳ね回っている。
振り向くと、東がちいさく頷いた。
「そう。それでいい」
「〜〜〜〜……っ!!」
首から上がかあっと熱くなる。
「あ、あのっ! もう一発、見ていてくれますかっ!?」
「もちろん。一発と言わず何発でも付き合うよ」
「ありがとうございますっ!」
火乃音はいそいそと目標に向き合うと、東の指示を脳内で反芻しながら丁寧に引き金を引いた。
命中。
命中。
命中。
命中。
撃ち抜かれた的が続々と積み上がる。
火乃音は、昼の鐘が鳴るまで夢中で撃ち続けた。
「──ありがとうございました」
火乃音が深々と頭を下げる。気がつけば昼の時間に食いこんでいた。東は嫌な顔ひとつせずそばにいてくれ、みるみる上達する火乃音を優しく褒めてくれた。
「いや、俺は何もしてないよ。それより、撃ちまくって腹が減ったろ? どうだ一緒に、うまいラーメン屋が」あるんだ、の言葉は声にならなかった。その瞬間、けたたましいサイレンが基地中に鳴り響いたからである。
落ち着いた、しかし硬い響きを帯びたアナウンスが流れ出す。
『ゲート発生、ゲート発生。大規模なゲートの発生が確認されました。各戦闘員は至急隊列を組み、警戒区域に向かってください。繰り返します──』
「大規模侵攻……!」
東が険しい顔で吐き捨てる。火乃音はすでに近接用の換装を終え、玄関へ走り出していた。
「火乃音!」
「先行します!」
力いっぱい床を蹴る。実働隊員一名の平隊はメンバーが集まるまで待つ必要がない。チームとしての身軽さが他にはない特長のひとつだった。
耳に嵌めた通信機のスイッチを押す。
「ゲンさん! いる?!」
『居るわよ! トリオン兵は西、北西、南東、南、東に向かってる! 西と北西は迅と天羽が派遣されたわ!』
「ならそれ以外だ! 最も数が多い方に行く! 指示を!」
『それなら南よ! トラップが作動してるけど長くは持たないわ!』
「間に合わせる──っ!」
外に出てすぐ、グラスホッパーの板を六枚、南に向かって浮かばせた。棄てられた建物の上を跳ね飛び、最初に目に入ったモールモッドへ降下する。
「旋空──弧月っ!」
モールモッドが振り向く間もなく、腰に佩いた弧月を一閃! 着地と同時に、両断されたモールモッドが断面を晒して転がった。
周囲に散らばったトリオン兵たちが、無機質な眼を回転させる。街に向かいかけていた脚をとめ、一斉に火乃音を見下ろした。
赤い舌がぺろりと唇を舐める。
「さあ……」
小太刀の長さに縮められた改造弧月を光らせて、火乃音が低く囁いた。
「斬ってやるから、かかってこいよ」
眼帯の奥、隠された右眼がぎらりと光った。
to be continued