もう一度、あのひと時を   作:ろっくLWK

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エピローグ
〈Terzavolta.〉


 

 開け放たれた窓の向こうから一片(ひとひら)、舞い込んだのは桜の花びらだった。

 

「どうしたの?」

「ん。何でもない」

 ふつりと会話が途切れたのを不自然に思ったのか、麗奈が訝しげな顔つきでこちらを見据える。久美子は首を振ってみせ、麗奈へと視線を戻した。

「また、一年が始まるんだなあって」

 ほう、と吐いた息はもう、白くはならない。ついこの間まで陰鬱な灰一色の空模様だったのが嘘のように、お日さまはぽかぽかと穏やかな陽気を湛えている。生命の息吹を取り戻した草木は青々と繁り、それらに照り返される学び舎の廊下もまたキラキラと眩い光に満ち満ちていた。

 この一年で、すっかり見慣れた光景。なのに胸の内には、見たことも無い世界に飛び込んだ時のような、不安と期待をない交ぜにした瑞々しさが溢れている。この気持ちを言葉にするのが何だか勿体なくて、そうっと一人で頬張るように、久美子は口元を緩ませた。

「今年はどんな年になるのかな」

「今年こそ絶対、全国で金賞獲る。去年、優子先輩ともそう約束したし」

 答える麗奈の瞳には決意の灯が揺らめいていた。昨年、コンクール全国大会の舞台で味わったその悔しさを、麗奈は勿論のこと久美子も未だ忘れてはいない。三年生が仮引退し新体制が発足してからもずっと、北宇治吹奏楽部の一同は厳しい練習に明け暮れ、自分たちの音楽を磨くことに費やして来た。今年こそ。その悲願を果たすために。その場所へと至るために。

 そして今日はまさしくその門出となる日だ。年度が替わり、新たな一年の始まる日。これからの自分達は本当の意味で、この吹部を導いていく立場となる。昂揚と同時に抱く緊張。その責任を、自分は果たすことが出来るだろうか。そんな考えが頭の隅をよぎった途端、久美子の身体はぶるりと震えた。

「頑張ろう」

 麗奈に頷きを返し、久美子は音楽室へと続く廊下に歩を刻む。思い返してみるとこの一年、様々な事があった。泣いたり笑ったり、何気ない日常の繰り返しの中で肝を潰すほどの衝撃に見舞われたり。そんな中でも最も印象深かったのはやはり、田中あすかの事だ。

 あすかとの思い出は今も鮮烈に胸の内に灼き付いている。彼女が残してくれた、あの温かくて優しい音色も一緒に。

 けれどそれはもう、北宇治には無い。この三月をもって彼女は卒業してしまい、そして久美子は進級し、また今日もこうして音楽室の戸を開けようとしている。

 去年のコンクールが終わってから、久美子はずっと部室の中に、パート練習の光景の中に、あすかの姿を探していた。もしかしたら彼女がひょっこり姿を現すのではないか。そんな思いに駆られ、楽器室の棚に収められたあすかの楽器ケースをこっそり見に行ったことも二度三度ではない。

 けれども卒業と同時に彼女のユーフォニアムは姿を消し、その日もとうに過ぎ去り、もうどこを探してもあすかの存在しない日常を受け入れざるを得ない日が、こうして来てしまった。

 正直今でも、とてつもなく寂しい。またあの日のように、すぐ隣であすかの演奏を聴きたい。そう思えどあの日々は戻っては来ない。そんな現実を噛み締め、飲み下して前を向くのに十分なだけの時間を、自分は過ごして来た筈だ。

 今日からは気持ちを新たに。そう自分に言い聞かせながら鍵穴に鍵を差し込み、久美子は音楽室の戸を開けた。

 

 

『おっはよー黄前ちゃん。さあ今日も練習がんばるよん』

 

 

 幻を、見た。

 もうある筈が無い。ここに居るわけが無い。そんな彼女の、けれどハッキリとした、幻を。

 それだけではない。みぞれや希美、夏紀に優子に友恵、そして調。彼女達は皆、この学び舎を巣立っていってしまった。部室のあちこちに、彼女達の存在は今でも息づいている。声を掛ければいつものように挨拶をしてくれる。そんな気さえするのに、部室の中はがらんどうで人っ子ひとりいやしない。

 もう一度、あのひと時を。そんな望みが叶うことはあり得ない。それも、二度も。そんな事はこの戸を開ける前からとっくに分かっていた筈だ。

 

 分かって、いた、筈なのに。

 

 急速に込み上げる何かを必死で堪え、久美子は楽器室へと飛び込んだ。開いた楽器ケースからユーフォニアムを引き起こし、それを抱いて廊下を駆ける。見慣れた筈の景色はぐにゃりと歪んでいて、幾度も何かに躓きそうになりながら、それでも久美子はひたすら走った。

 向かった先は三年三組の教室。ここは沢山のひと時をあの人と過ごした場所。あまりにも沢山の思い出が詰まり過ぎていて、直視するのがたまらなく辛いと感じられるほど愛しく思える場所。肩に背負った鞄を投げ出し、一冊の古ぼけたノートを引っ張り出す。傷み切った表紙の内側、毎日眺めた音符の羅列。そこにしたためられた題名を今一度、久美子はその眼に焼き付けた。

 

 

『響け! ユーフォニアム』

 

 

 それを見た途端、もう駄目だった。激流のように押し寄せる感情が自分という殻を打ち壊し、そこから嗚咽を、涙を、想いを、ありとあらゆるものを吐き出していく。ひくつく喉を手で押さえ、久美子は息を整えて、マウスピースにそっと口を付けた。

 あすかのこと。あすかからもらったもの。あすかにあげたもの。そして、あすかへ抱くこの想い。それら全てをひっくるめて、このメロディがあすかの元まで届くことを願いながら。

 花弁のように広がる美しい音色が、まだ目覚めも迎えぬまどろみの校舎に響き渡る。その曲を吹いている間中ずっと、久美子は止めどなく涙を流し続けた。止めようとも思わなかった。ただあすかのことを想い、今はもういない先輩達のことを想い、これからの北宇治を想い、そしてただひたすら理想とし続けるあすかの音色を、心から想って。

 力いっぱい抱き締めたユーフォに、紡ぎ上げる一つひとつの音に、全ての感情を託して。

 

 

 四月一日、新年度の始まる日。

 久美子の音楽は、これからも、どこまでも、続いていく。

 

 

 

 










 この物語はフィクションです。登場する人物、団体、その他名称などは、実在のものとは関係ありません。
 また、この作品は「宝島社」刊行の小説「響け! ユーフォニアム」およびこれを原作としたTVアニメの二次創作物であり、全ての権利及び許諾等は、原作者である武田綾乃先生、宝島社、響け!製作委員会に帰属します。
 

「響け! ユーフォニアム」に心からの愛と感謝を込めて。  
 二〇十ハ年 十二月某日  わんこ(ろっく)
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