拾った死神様は豆腐メンタルのヤンデレ幼女でした   作:針塚

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冒涜せし者、昇華せし者

 俺たちの視界の先には、一体いつ出現したのか、十数人もの人の姿があった。

 男たちは皆、全く同じ衣装に身を包み、顔は全て、これまた同じ仮面を被り隠している。

 そして、それら男たちの集団より一歩前に佇む人物――ただ一人の、その女は。

 明らかに、他者と一線を画していた。

 

 女の姿を一言で例えるならば、『天使』という言葉が相応しいだろう。

 薄い青を帯びた銀の頭髪をツインテールにしている、その部分だけを取れば、俺と同じくらいの年の少女に見えなくもない。

 だがしかし、白を基調とした衣服に身を包んだその女の背には、目に痛いほどの純白の翼が――翻っていたのである。

 更には、女の周囲――如何なる力によるものか、空中で静止している六本の剣が。

 ただの(・・・)人ではないことを、容易に理解させしめていた。

 

 しかし――何故(なにゆえ)か?

 神々しいはずのその姿が、こと俺にとり――とてつもなくおぞましいものに映るのは。

 

 女は、飄々とした態度でもって、言葉を発した。

 

「おひさしぶり、サナトラピスちゃんっ☆ 元気にしてたかナ?」

 

 わざとらしいほどに明るく、溌溂(はつらつ)な少女然とした声である。

 ラピスからの返答はない。

 俺が彼女の様子を窺えば――ラピスは、見て分かるほどに脅えていた。

 

「何万年ぶりだろうね? ずっと遊んであげたかったんだケド、ほら、わたしも色々忙しかったしさ☆ 寂しかったよねぇ~、ごめんね~?」

「……誰が、貴様などを待っておったものか」

 

 脅えを隠しきれずとも、気丈にラピスは言い放つ。

 がしかし、そのような虚勢は、対面の女にはまるで効果がなかったようだ。

 にやにやとした笑顔を張り付けながら、͡小馬鹿にしたような態度を崩そうともしない。

 

「ん~? なになに、よく聞こえなかったナ~? サナトラピスちゃん、わたしに――エデンちゃんに、いつからそんなおクチ、聞けるようになったのかな? あっ、なるほど! わたしにまた遊んで(・・・)もらえるの、待ちきれないってことだねっ☆」

「……ッ!」

 

 ラピスの顔面が蒼白に変わる。

 それでなくとも、この女――エデンというらしいこの女の、酷薄な笑顔を見れば、とても言葉通りの意味だとは到底思えなかった。

 

「ところでさ、そこの人間クン」

 

 女の視線が俺に向く。

 

「もしかして、あなたがこのコを解放したのかな? ってことは、わたしと同じ?」

「ふざけるな! こやつは――こやつを、貴様などと一緒にするでない!!」

 

 俺が答えるより先に横から割って入ったラピスの態度は、不運にも女の気分を僅かに害したようで、やや方眉を吊り上げると、声の調子を落とす。

 

「……ふぅん……随分とそのコの前では威勢がいいね? ――ねぇね人間くん。面白いお話、してあげよっか」

 

 ――かと思えば、またも口角の端を上げ、先ほどよりもさらに下卑た笑みを形作る。

 

「わたしがサナトラピスちゃんと初めて会った時のことなんだけどね――」

「だっ、黙れ! それは――」

「あっ、サナトラピスちゃんは静かにしといてね。そうしないと、そのコすぐ殺しちゃうからね」

「……!」

 

 わざとらしく片目を瞑りながら物騒な台詞を語るその姿は、いっそ冗談にも聞こえるものであったが、それが冗談などではないことは、ラピスの態度を見れば明らかである。

 

 ――そして同時に、この時、俺にはある予感があった。

 こいつは、この女は――この後、俺を間違いなく――殺す。

 確信に近いものがあった。

 

「懐かしいなぁ~、サナトラピスちゃんと初めて会った時のこと☆ 人間くん、初対面でこのコ、私たちになんて言ったと思う? サナトラピスちゃんは覚えてる? 私はしっかり覚えてるよ! 『よく来たな人間ども! わしこそは冥府の王にして至高の神、タヒニスツァル=モルステン=サナトラピスである』っ! だったよね!」

 

 ラピスが言っていた、侵入者とはこの女のことだったのか。

 だとすれば……

 

「その時のサナトラピスちゃんがあんまり偉そうだったもんだからさ、わたしちょっとカチンときちゃってね~。まだ何か言いたそうなサナトラピスちゃんのお腹に、剣を一本叩き込んであげたんだっ☆ きゃははっ、あの時のサナトラピスちゃんの顔ったら、今思い出しても笑えるよぉ~!」

「……」

 

 ラピスは……血が滲みそうなほど拳を握り締め、歯を食いしばり……侮蔑と嘲笑に満ちた女の言葉を、ただ耐えている。

 俺は、臓腑の奥より生ずる熱を必死に押し留めていた。

 ひとたび口を開けば――俺は恐らく、自分を制し切れない。

 それがどんな結果を招こうとも。

 

「ね、ね? 面白いでしょ? しかもね、連れて帰った後はわたしが暫く遊んであげてたんだけどっ! サナトラピスちゃんたら、ちょっと肌を切られただけでもう、赤ちゃんみたいに泣き叫んじゃって! 情けないよね! 偉い王様なのにさ! あははははっ!」

 

 ――自分を……制し――

 

「でもねー、あんまりやりすぎちゃってさ、最後の方はもう、全然反応してくれなくなっちゃってぇ。殺し尽くすのにもまだまだかかりそうだったし、わたしも飽きちゃったからさ、ここでゆっくり弱っていくのを待つことにしたのね。――でもでもっ! そろそろいい時期だしっ! これからはまた一緒に――」

「――やめろ!」

 

 自制を求める心の声を無視し、俺は叫び――

 そして、不快な口上を並べ立てる女に向かい、続けた。

 

「それ以上、口を開くんじゃねえ。何も喋るな」

 

 俺は怒りに満ちた目でもって睨めつけるが、女はまるで気にしない風で――いや、むしろ興味を無くしたように。

 笑顔を消し、言った。

 

「生意気ぃ~。……んじゃ、もういいや。色々聞こうと思ってたけどさ、面倒くさいしね☆ 死んじゃって☆」

 

 ……やはり、悪手であった。

 言うや、女の後方に位置する剣の一本が、俺に向かい一直線に奔り来る。

 そのスピードは、人間の反射神経を遥かに凌駕していた。

 真っ直ぐに奔るそれは、次の瞬間にも俺の胸を刺し貫くだろう。

 

「リュウッ――ぐっ!」

 

 ――が。

 すんでのところで腕を伸ばし、俺の代わりに剣の一撃を受けたラピスにより、俺は一命をとりとめた。

 彼女の二の腕に刺さる剣は、柄にかかる部分にまで深く刺し貫いている。

 しかもその傷は、杭の時のように癒える様子が見えない。

 俺は慌てて、たたらを踏むラピスの背を支える。

 

「――ラピスッ! おいっ!」

「へぇ~……そこまで大事な人間なんだ?」

「――ぐっ……くっ……!」

 

 苦しげに喘ぐラピスを、それまでとは違う、妙な目でもって眺める女は、何をかを思いついた様子である。

 

「なんだか妬けちゃうなぁ。――あっ!」

 

 女の、おぞましい笑顔が復活する。

 

「じゃあさ! サナトラピスちゃんが寂しくないように、そのコも一緒に遊んであげよっか! ただの人間じゃないなら、けっこう()つはずだよね!」

 

 この言葉を聞いた瞬間、ラピスはそれまでにないほど取り乱し、必死の懇願を始めた。

 

「まっ……待て!! それは、それだけは――」

「でもさぁ、どっちかだよ? ここで死ぬか、後で死ぬか。どっちがいいの? サナトラピスちゃんに決めさせてあげる☆」

 

 慈悲を乞うことは無意味。

 それはラピスだけでなく、事ここに至っては俺ですら、即座に理解していた。

 この女は――狂っている。

 まともな話し合いなど、到底通じる相手ではない。

 暫しの沈黙の後、ラピスが再び口を開く。

 

「……この人間を助ける代わりに――貴様があの時、ずっと言っておったこと。わしの力を、貴様に授けるというのは、どうじゃ」

 

 女はわざとらしく手を上げ、吃驚したようなポーズをとってみせる。

 

「ええ~っ! びっくり! あれだけ嫌がってたのに……。どれだけ死んでも、それだけはぁ~っ! って言ってたのに、いいの、サナトラピスちゃん? 確かにさ、こんなザコ天使なんかより、サナトラピスちゃんの方がいいけどさぁ~……」

「ああ……構わん。じゃから――」

「でも、ダメだねっ☆」

「きっ――」

 

 更にラピスが何をか言うのを待たず、女は続ける。

 

「だってさぁ、サナトラピスちゃん、もう残った力も殆どないでしょ? だったら別に、今すぐに貰わなくてもいいじゃない? それにさ、私、それはもっと遊んでからにしたいし! ――どうしよっか? なにする? 痛いことは大体やったし……まだやってないこと……人間の男の子たちは使い物にならなかったからぁ……そうだ! ワンちゃんとかと交尾させよ! 豚さんとかもいいよね!」

「いや――ま、待て! た、頼む――畜生と交わることになろうが構わぬ! どんなことでもする! じゃから、こ、この男だけは! 見逃してやってく――」

 

 この、およそ人間味のない、おぞましい台詞を受けても――この期に及んですら、ラピスは俺を庇おうとする。

 ……何故だ。

 なぜ、そこまで、お前は――

 

「もう、しつこいなぁ……はいはい、終わり終わり」

 

 ――更に、三本の剣が、俺に向かい奔る。

 そして、ラピスは――なんと、今度は俺を覆うようにして庇ったのだ。

 

「――ぐうっ! ぐっ……がはっ……」

 

 俺の肩を掴むラピスは、痛みに表情を歪ませながら膝を折る。

 共に倒れた俺たちは、仰向けに寝る俺を、四つん這いになったラピスが押し倒すような形になる。

 俺を覆う彼女の胸部からは三本の刃が突き出ており、そこから滴る鮮血が俺の肌を濡らす。

 

「ラピスッ! ば、馬鹿野郎、無茶するな!」

「くふふっ……な、何が無茶なものか……汝だけは殺させん。絶対にな……」

「おまっ……」

 

 口の端から血を吐きつつも、俺を安心させんとしてか、気丈に笑いかけるラピス――

 そしてそこに、残酷な宣言がなされた。

 

「あーもう、面倒くさいなぁ~! これ以上わたしの剣で攻撃しちゃうと、本当に死んじゃうかもしれないし……しょうがないなぁ。それじゃみんな、その人間をさっさと殺して、サナトラピスちゃんを連れてきてね」

 

 複数の足音が近づいてくる。

 いよいよもって、万事休す。

 結局、俺は――何もできなかった。

 鎌を抜いたことも、こうなってみれば、無駄にラピスに更なる酷な運命を背負わせる結果に終わっただけだ。

 俺は――この上ない、深い絶望に落ちる。

 閉じた瞼からは涙がひとりでに溢れ出し、心に浮かぶは、ただひとつの言葉のみ。

 

 ……すまない。

 すまない――ラピス――

 

「阿呆! しっかりせんか! ――泣くな、馬鹿者!」

 

 一喝され、閉じた目を開けてみれば、俺と同じく、目に涙を溜めたラピスの顔があった。

 

「お前だって……泣きそうになってんじゃないか……」

「やかましいわい! ……リュウジ。よいか、安心せよ。汝だけは何としても助けてやる。死なせるものか。この冥府の王が誓おうぞ。だが、急がねばならん。……いいか、よく聞け。汝には二つの選択肢がある」

「なん、だ……選択、って……」

「一つは――今すぐ、わしの力で汝の意識を断つ。さすれば、汝だけは即座に元の世界に戻れるじゃろう」

「そんっ――」

「黙って聞け……! そしてもう一つは――わしと汝が、共に生き永らえるやも知れぬものじゃ」

 

 ――何だと?

 

「じゃがな、ひとたびこの手段を取れば、汝は――」

「うるせえ」

 

 何が選択だ。

 一つしかないじゃないか。

 俺は馬鹿で考え無しで能無しだが――馬鹿なのはこいつも同じだな。

 結局、似た者同士ってことか。

 

「おい、まだ説明は――」

「うるせえってんだ。さっさとやらねえか!! ……俺はマジで頭に来てんだ。こんなに腹が立ったのはな、生まれて初めてだ。その手を使えば、あのクソ野郎に一泡吹かせられるんだな? ――なら、やれ! ごちゃごちゃ抜かすな、どっちにしろ最初の手段は却下だ! そうするくらいなら……ああ、一緒に死んでやる! 俺を殺せばてめえも死ぬんだろ、ならそうしろ! あんな野郎に好き勝手されるよかマシだろ!」

「リュウジ……」

 

 俺を見つめるラピスは、言葉を詰まらせるが。

 それも一瞬のこと――これまでずっと見てきた、いつもの表情に戻った死神は。

 

「……やはり、汝との出会いは運命だったようじゃな。……よかろう。過去も――未来も。我が一切その全て、汝に捧げようぞ」

 

 吹っ切れた表情でもって――言う。

 

「人間――いや、リュウジ。一言……ひとことでよい。言葉にせよ。わしの全てを受け入れ、わしを――」

 

 しかし言葉の最後は、顔を赤らめ――恥ずかしげに。

 

「我がものとする、と……」

 

 言い終わるや、ラピスは顔を背けてしまった。

 ……なんだ、勿体ぶって。そんなんでいいのかよ。

 不安そうにしやがって――俺が、断るとでも思ってんのか?

 この馬鹿は、言葉にしないと分からないんだな。

 ――仕方ねえな。

 俺も恥ずかしいが、仕方ない。

 

「――ああ、分かった。ラピ――」

 

 いいや。

 こうじゃないな。

 

「タヒニスツァル=モルステン=サナトラピス」

 

 そう。

 思えば、俺は……初めて見た時から――

 ……この死神に、魅入ってしまっていたのだ。

 

『お前は、俺のものだ』

 

 再び顔を向けたラピスの表情を、俺はこの先一生、忘れることはないだろう。

 

『もちろんじゃ、わが愛しき(あるじ)――我が(きみ)よ』

 

 そして。

 

 俺は――俺たちは。

 

 人であることを。

 

 神であることを、捨てた。


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