拾った死神様は豆腐メンタルのヤンデレ幼女でした   作:針塚

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闇の衣を羽織って

 俺たちのいる場所、その地面から巨大な火柱が上がったかと思うと――そのことに気をやる(いとま)も無しに、俺の――俺たちの意識は溶け、混じり合った。

 炎に巻かれる俺の脳内に、死神の記憶が流れ込む。

 ――孤独と痛苦、そして屈辱に(まみ)れた、その一切の記憶が、雪崩のように。

 

 混沌の中で俺の内部に生まれし感情は、彼女に対する哀れみでも、同情でもなかった。

 ただ一つ……俺を取り巻いている炎の如く、心身を焼け焦がす程の怒りに、俺は支配される。

 どこからか、そんな俺を諫める――聞き覚えのある声がしたように思うが――それを確認するより先に、俺の意識は一度、完全に断ち切られた。

 

 一体どれほど意識を失っていたのかは明瞭でない。

 だが、この後のことを鑑みるに、ややもするとそれは、数秒にも満たぬ間であったのだろう。

 ――再び意識を取り戻してみれば、それまで身を包んでいた炎はすっかり立ち消えてしまっていた。

 腕に重みを感じれば、果たして気付かぬ間に――見覚えのある鎌が。

 右手に、握られていたのである。

 

 視線を落とした俺の視界に映るのは、それだけではなかった。

 まず、鎌を持つ自分の右手が、かつての自分のそれではない。

 記憶にあるよりも1.5倍ほどに膨れた手は筋骨隆々とし、指先には獣の如く尖った、長い爪が伸びている。

 更に、氷の地表に映る、全身像は。

 全身――足先まで、漆黒のローブに包まれていたのである。

 しかし、ひとつ奇妙なことがある。

 自分の顔が――全く見えないのだ。

 フードを被っているから、その陰になっているせいで――では説明にならない。

 それならば、何故?

 両目にあたる部分だけが、不気味に発光しているのか。

 まるでペンキを塗りたくったかのように、目以外の部分は全て、黒で覆い隠されている。

 

 さらに付け加えることに、自分の体が宙に浮いていること、また身体の節々からは黒い瘴気が立ち上っていることにも気付いたが――そんな些末なことは、視線を前にした瞬間、すっかり頭から抜け落ちてしまった。

 

 視界に映るは、腰を引かせたじろいで(・・・・・)いる、数人の人間たちの姿。

 さらにその奥に位置する『その人物』を視認した俺は――またも、気が触れるほどの怒りに――支配される。

 と同時に、己が成すべき使命が。

 それが何であるか、はっきりと――自覚した。

 

 俺は鎌を前に突き出すと、前方の人間たちに対し、宣告する。

 その声は、まるで自分のものとは思えぬ――いや、全く別のものであった。

 地を這うような、低く重い声。

 

 ――それは、『死』そのものであった。

 

『汝ら――』

 

 そう。

 あいつ(・・・)ならば、こう言うに違いない。

 神らしく。大上段に――居丈高に。

 まるで彼女が代弁するように、流々と言葉が流れ出でる。

 

『汝ら外道が過ぎる(ゆえ)、穢れ捧げしとて赦されぬ。そのうす汚れた禍魂(マガツヒ)ごと――滅し尽くしてくれよう』

 

 男たちは、仮面をかぶっているゆえ、その表情までは伺い知れないが――腰を引かせ、一歩下がる様子を見るに、明らかに狼狽の呈を見せている。

 がしかし、俺はそんなことには構わず――右手に持つ鎌を、一振りしてみせる。

 

 すると一陣の風が、前方に舞い――

 その緩やかな(なぎ)を受けた人間たちは皆――糸が切れた人形のように、崩れ落ちた。

 

「……ッ! ……くっ!」

 

 ――しかし、あの女だけは。

 男たちの様子から何かを察知したようで、すんでのところで空中に逃れ、事なきを得る。

 俺は同じく空中に位置する女に向け、微笑を含んだ言葉を発する。

 

『……いいぞ、いいぞ。よく避けた。元より貴様にはこの程度で済ますつもりはない。こんなもので終わってくれては拍子抜けもいいところだからな』

 

 俺は何をすべきか。

 今の俺には、何ができるのか。

 俺は今、全てを把握していた。

『こうあれ』と望めば――すべて、そのようになる。

 こんな力を持っていて……だというのに、あいつは――

 

「……お前っ……!」

 

 またも自己の世界に没入し始めた俺の意識を、女の声が引き戻す。

 それまでの小馬鹿にしたようなうすら笑いはすっかり剥げ落ち、憤怒の形相でもって俺を睨めつけている。

 だがその様は、今の俺にはまるで――脅威とは映らなかった。

 

「ふざけるな……! お前如きが死神の力を……それは、わたしのものだ!」

 

 女は残った剣を、一本を残し全て、俺に向け奔らせる。

 ……だが。

 

『……なんだ、これは?』

 

 あまりにも、遅い。

 まるでスローモーションのようだ。

 先ほどとはまるで違う。

 乱雑に剣を、手に持つ鎌にて叩き落とした俺は、この期に及んで手を抜かれているのかと思い、更なる怒りに震える。

 どこまで俺を――あいつを、愚弄すれば気が済むのか?

 

『本気で――かかって来い!』

 

 俺は言うや、空中を滑空し、女の元へと奔る。

 

「……ッ!」

 

 同時に、女はその場から飛び退き、俺から距離を取ろうとするが。

 俺は空中を奔りつつ、鎌を持たぬ腕を前に向け、掌を広げる。

 

 女が飛び退いた、その空間。

 その、既に女の姿がないその空間に向かい狙いを付けた俺は、広げた掌を握り込む。

 

「――なっ! え、そんなっ……こんな、ば、バカなこと……!」

 

 女の錯乱した声が響く。

 俺がやったこととは、見たままの通りである。

 すなわち――空間を、握り潰したのだ。

 

 凝縮された空間の位置に向け、女はこちらに引き寄せられ――俺は逆に、よりスピードを付けて接近する形になる。

 互いの距離が目の前まで縮まった時、ようやく女は残った剣を手に持ち、迫る俺に振り下ろすべく構えたが。

 その動きもまた、あまりに鈍重で、まるで勢いがない。

 いっそこのまま、隙だらけの胴を真っ二つにしてやろうかとも思ったが――思い止まった俺は、代わりに、渾身の力をもってして握り込んだ拳を、女の鳩尾(みぞおち)に叩き込む。

 

「げっ……!」

 

 女の体は面白いように後方に弾け飛び、洞窟の壁に叩きつけられる。

 俺は、殴りつけた際に女が落とした剣を拾うと――壁にまで突進し。

 

「がっ……! ――っあああああ!」

 

 剣を、女の下腹部に突き込んだ。

 その位置は――そう。

 あいつが、そうされていた箇所である。

 

 壁に磔になった女に向け、俺は言う。

 

『貴様はあいつを――あいつの叫びを、赤子のようだと抜かしたな? だがお前のそれは……まるで豚のようだぞ? ――いや、それは豚に失礼というものだな』

「てっ……てめえ……!」

『さて――お前は、これまであいつに――俺の奴隷を使って、随分と楽しい思いをしたようじゃあないか? どうかな、今から俺も、お前を使って(・・・)試してみてもいいかな?』

「……ッ」

 

 女の顔が、この時初めて――恐怖に歪んだ。

 そうだ。

 その顔だ。

 貴様には、あいつが受けた全ての苦痛と同じ――いや、それ以上の報いを受けてもらわねば。

 これからのことを思うと、自然と笑みが零れる。

 

『く……くくく……』

「……ひっ……!」

 

 嗜虐をそそる女の表情は、俺をより一層の闇へと導く。

 己が身体を包み込む漆黒に似た、深い暗黒へと堕ちそうになった俺を(とど)めたのは――

 

(――愚か者っ! 調子に乗るでないわ!)

『――ッ!?』

 

 これまで幾度となく聞いた――あの声。

 

(まったく、黙って見ておれば……残り少ない力を好き放題使ってくれよって)

 

 彼女の――声であった。

 俺は目の前の女のことなどすっかり忘れ、辺りに向かって叫ぶ。

 

『ラ――ラピス!? ……ど、どこだっ!』

(どことはないじゃろう、我が君。わしと汝とはもはや一心同体にある。汝はもはや、わしでもあり、また汝そのものでもある)

『……分からん! まるで分からん……た、頼む、ラピス……! 姿を、姿を――』

(全く、本当に……仕方のない主じゃことよ。甘えよって……まあ、この状態であればよかろう)

 

 やにわに右手の感触が軽くなる。

 不思議に思った俺が目を向ければ、それまで握っていたはずの鎌が、忽然と姿を消していた。

 

 ――代わりに、俺の目の前には。

 腕を組み、偉そうにふんぞり返る、あの死神の姿があったのである。

 ……しかし、何か違和感がある。

 どこがとははっきりとしないのだが……何というか、見た目がこう……少し幼くなっているような……?

 

「――ラピス、お前っ……」

「くかかっ! なんじゃなんじゃ、我が君。今回はまた、より愉快な面をしておるのう! その姿であれば猶更じゃ! 髪も真っ白になってしまいよって、まるで別人じゃの」

「は……?」

 

 かかと笑うラピスは、訳の分からないことを言っている。

 俺の顔は今や暗闇に閉ざされ、一切が視認できない状態であったはずだが……

 

「さて、積もる話は後にしよう。……こやつのことじゃがな」

 

 ラピスは、壁に磔にされたままの女に目を向ける。

 女は歯を食いしばり、俺たちを睨めつけていた。

 

「――そ、そうだ! お前――何故止めたんだ! こいつは――」

「……リュウジ。それ(・・)は汝がすべきことではない」

 

 尚も食い下がろうとする俺を、ラピスは手で制すると。

 

「こやつのことはいずれ、わし自身で始末をつける。それにわしは……汝に、人を殺めてほしくはない。倒れた男たちもまた、気絶しておるだけじゃ。汝は殺す気であったようじゃがの」

「……何を言ってる? こいつは人間なんぞじゃ――」

「いいや、こやつは人――正確に言えば、人であったものじゃ」

 

 この言葉を聞いた女は、より敵意を剥き出しにした目になり、言う。

 

「サナトラピス……お前……!」

「黙っておることを薦めるぞ。次に汝が我が君の機嫌を損ねることがあらば、今度こそわしは止めぬ。そこまでわしは慈悲深くはない」

 

 死神は宣告し、またそれが本気であることを女も理解したと見え、それ以上言葉を続けることはなかった。

 そしてラピスは再び、俺に向き直る。

 

「さて、我が君。話の続きじゃがな、こやつは――言うなれば我が君と同じ存在ともいえる。即ち――わしと似た存在を、その身に宿しておる」

「それは――」

「ただし、その根本は異なる。我らとは違い、こやつは強制的に――外法をもってして、神に連なる存在を取り込んだ。故に、今に至るまで生き永らえているというわけじゃ」

「……話を聞くほどクソ野郎じゃねえか。そんな奴をお前、見逃すってのか」

 

 ラピスは、悔しげに――そして同時に、悲しげに。

 目を落としつつ、言った。

 

「……こやつに取り込まれし者もまた、わしと同じであったやも知れぬ。わしは汝という幸運を得たが、こやつはそうではない。そう思うとな――わしは、このまま共に滅することに、幾許かの呵責を感じざるを得ぬのじゃ」

「しかしお前、そうはいっても、どうしようも――」

「いいや、手はある。こやつと、こやつに取り込まれしものを切り離せばよい」

「……そんなことができるのか?」

「現に、一体化したはずの我等がこうしておるではないか」

 

 ……確かに、言われてみればその通りだ。

 こいつの言う通りだとすれば、女に取り込まれたという存在を救い出す手も、もしかすると本当にあるのかもしれない。

 

「――しかし、残念ながら今はそれを試すだけの時がない。それに我が君よ、汝もそろそろ限界じゃろう」

「え……あっ……?」

 

 突如として、それまで忘れていたはずの眠気が、再び俺を襲う。

 激情によって抑えていただけのそれは、緊張が解けた今、とても我慢しきれないものであった。

 

「ほうれ見たことか。わしを置いて去ってみよ。その時はわしが汝を殺すぞ」

「……そりゃ、勘弁願いたいもんだな」

「そうじゃろうそうじゃろう。では、今度こそ行くとするか」

 

 再びラピスは、あの不気味な扉を出現させると、俺の手をしっかりと握りながら、扉に手をかける。

 

「サナトラピス……」

 

 ――その時、後方から再び、女の声が届く。

 ラピスは振り向くと、心底鬱陶しそうな表情を作った。

 

「……なんじゃ。まだ何用かあるのか。はっきり言うて、わしは二度と貴様の面など見たくないのじゃがな。……とはいえ、後一度は貴様と相まみえることになるじゃろうがの」

「あんた――これで逃げられると思ってるの? 絶対に許さない……どこに行こうと、お前は――お前らは、この世界を敵に回したお前らは――決して逃げられない。わたしを見逃したこと……絶対……必ず、後悔させてやるから!」

「くくっ……」

 

 ラピスは、不敵に笑い。

 ――そして、宣言した。

 

「――おお、構わぬとも。……何故かの? 今のわしは、力をほぼ失っておるはずじゃが――不思議と、誰にも負ける気がせぬわ。来るなら来るがいい。我が崇高なる主人とともに、如何なる嵐をも打ち倒してくれようぞ」

「おい、さりげに俺を巻き込むなよ」

「何を言うておるか。既に奥の奥まで巻き付いて、何人(なんぴと)にも解けぬほどに絡み合っておるわ」

「――ふっ……」

 

 ――そう。

 そうだな。

 

 俺たちは互いに笑いつつ扉をくぐり、俺が元居た世界へと――戻ったのだった。

 


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