「――はっ!?」
開けた視界には、見知った部屋の天井があった。
辺りに充満していた桃色の霧の姿はすっかり立ち消えており、入口に視線をやれば、消えていた扉も復活している。
次に右手に目をやるも、傷の一つも負っていないどころか、その痕跡さえなかった。
「ああああもおおおーっ!! あと少しというところでぇ!!」
「……」
頓狂な声の元を確認すべく目を向けると、地団駄を踏みながら悔しがる死神の姿がある。
無論その外見は夢でのそれとは大違いの、小さな子供に戻っていた。
寝起き直後だというのに、俺の頭は冴え渡っている。
よってこのラピスの狂態の理由も、すぐさま思い至ることができた。
……本当にギリギリだった。
まさに掌がラピスの胸に触れるその瞬間、俺は夢から目覚めたらしい。
「い――いや、わがき――いやリュウジ! まだ遅くはないぞ!? 汝も満更でもない様子で――」
「さーて、着替えて朝飯食うかぁ」
「こりゃ! 聞こえてないふりをするでない! ほ、ほれ、汝だってあのままでは収まりが……」
「えーっと、今日の授業はっと……」
「わしを無視するなあああ!」
焦って声をかけてくるラピスを無視し、鞄の中身を確認する俺に向かい、更に大きな声が浴びせられる。
面倒くさげに振り返れば、真っ赤に顔を茹で上がらせたラピスが俺を睨みつけている。
「……んだよ、あんまりでかい声出すんじゃねえよ。家族に気付かれるだろ」
「なんじゃその冷静な対応は! 夢の中ではあのような醜態を晒しておったくせに――い、いや、そうじゃ。汝の弱点は既に把握しておるのじゃった。……ふふん。つ、続きじゃ。……ほーれ、好きに触れてよいのじゃぞ?」
「……」
ラピスは両腕を頭の後ろに回し、チューブトップを巻いた胸を突き出すポーズを取る。
本人は恐らく妖艶なものを演出しているつもりなのだろうが――悲しいかな、その殆ど膨らみのない胸部にあっては、強調すればするほど、滑稽さどころか、
「はあぁぁぁ~……」
「こらあああ!! 溜め息をつくとは何事かーっ!」
どうしても俺は元の姿での
この俺の態度にはラピスも憤慨しきりな様子を見せるが、どうも本人も無茶な行いだとは薄々分かっているようで、顔には僅かに羞恥の色を浮かばせている。
「ほれ、お前も着替えとけ。飯から戻ったら行くぞ」
「……」
その後も塩対応を続ける俺にようやく諦めたらしいラピスは、俺が見ているにも関わらず服を脱ぎ、制服に着替え始める。
こんな姿であっても一応は女なのだし、もう少し隠すなりなんなりしろと思わなくもない。
……まあ、一緒に風呂まで入っている仲なのだから、何を今さらと言われればその通りなのだが。
そう思いながら俺はラピスの着替えを眺め続けていたが、どうもこの行動は俺への当てつけめいた抗議の面も含んでいるようだ。
その証拠に、着替えながらもぶちぶちと何やら文句を垂れ続けている。
「……今に見ておれ。いずれ元の姿に戻った暁には……」
ラピスがショーツを履くところを視界に入れつつ俺は、実際のところ何らかの対策を講じる必要があると、ひっそりと心に留めた。
今回のことで改めて実感したが、俺のように月並みな男子高校生にとり、この状態ならば兎も角、元のラピスにあんな形で迫られては為す術がない。
これについては俺の自制心の無さを責めるのは酷というものだろう。俺だって男の子なのだ。
それも、ただ美人であるだけでなく、あんな胸までも備えているときては……
「――はっ!?」
「……どうしたのじゃ、妙な声を出しおって」
「い、いや、なんでもない」
頭の中が若干ピンク色に染まり始めた矢先、俺はあることに思い至る。
俺の持つ――いわゆるその、少々いやらしい本やらなにやらの種々諸々。
あれらをラピスに見つかるようなことになれば――何故だか分からないが、ただ俺が恥ずかしいというだけではなく、なにやら大変なことになるような気がする。
……しかも、それらは大体が――あまり自分のこういう性癖めいたことを語りたくはないが――胸の大きな女性が載っているものが多い。
今は机の最下段の引き出しに仕舞ってあるが、そのうち何かもっと巧妙な隠し場所に移動させる必要があるだろう。
その後は言った通り朝食を済ませると、俺一人だけで家を出た。
少し歩みを進め、先回りをして待っていたラピスと合流すると、俺たちは並び歩いて学校へと向かう。
歩き始めてすぐ俺は、
というのも、俺が寝ていた時間は7時間ほどだったのだが、どう考えてもあの夢の中での出来事は、体感でせいぜい数十分かそこらのことだ。
計算が合わない。
これに対するラピスの回答は単純で、ああいう次元の中では流れる時の速さが数倍以上になっているということだった。
確かに普段見る夢でも、覚えているのは断片的だったり、ごく僅かな記憶しかないものだからな。さもありなん。
「いやしかし、驚いたな」
「ん?」
「ほれ、これのことだよ」
俺は言いながら、左手に持つ包みを掲げてみせた。
中身は花琳の作った弁当が入っている。
本当に驚きだった。いつものように花琳から今日の分の弁当を受け取る際、二つ分の包みを渡された時は。
昨夜はあれから追及されるようなことはなかったものの、昨日の妹の機嫌からすると、下手をするば今日の弁当は無し――ということすら覚悟していたのだが。
それとなく理由を問うてみれば、妹は何食わぬ顔で「昨日兄貴が逃げた後、一ノ瀬さんに電話して確かめた」と言ってのけた。
この時の俺の心境を、なんと例えればよいか。
――本当にタッチの差であったのだ。あの後、何よりも先に一ノ瀬との口裏合わせに走った俺を表彰してやりたい。
とはいえ、これで当面の間、金銭的な問題は解決したことになる。
しかし当然これをいつまでも、というわけにはいかない。いずれ何かバイトでも探さないとな。
「つーわけだから、今日からはこれ食っとけ」
「うむ、よかろう」
「……で、絶対にそれ持って俺の教室には来るなよ」
「何故じゃ?」
「分からねえのか? この上二人で全く同じ弁当なんぞもってた日にゃ、何言われるか……」
考えただけで頭が痛くなる。
そもそも昨日の誤解だって全然解けている節は無いのだ。
「一体何を案じておるのか知らぬが、それはつまり、わしに一人で食事を済ませよと、そういうことか?」
「ああそうだよ。それ以外に何があるってんだ」
「ならばお断りじゃ。絶対にな」
「てめっ――」
「授業とやらの合間の時間に汝に会いに行かぬというのは、まあ百歩譲って良しとしてやろう。時間としても僅かな間であることじゃしの。じゃが昼休みの長い間をも、というのは決して了承できぬ! 汝はわしに、一人きりで寂しく食事を済ませよと?」
なぜそこまで意固地になる必要があるのか、俺にはさっぱり理解できない。
大体、こいつには今、他に新入生としてやるべきことがあるはずだ。
気付いていないのであれば、俺から言ってやろう。
「……お前な、んなのクラスの連中と一緒に食えばいいだろうが。お前は新入りなんだ、早く溶け込めるように努力しろよ」
「――はんっ! あのような他愛もない連中に媚を売る必要などありはせんわ」
「あのなぁ……」
ラピスのこの態度に呆れつつも、俺は少し心配になる。
この大上段に構えた不遜な態度を、クラスの皆の前でも崩していないとすれば、それが
まあ、何万年も生きているこいつと、小学校から上がったばかりの連中とでそりが合わない、というのは無理からぬことなのかもしれないが。
しかしそれを言ったら俺だって同じだ。13が17になったって、万という単位から比べれば微差でしかない。
なんとか仲良くやってくれないものだろうか――というか、そうしてくれないと俺が困る。
せめて学校の中くらい、平穏な日常を送らせてくれよ。
「あーもう……なら今日はあそこ、中庭で待ってろ。お前んとこの中学棟との間の渡り廊下にあるとこだ。分かるか?」
「ん、小さな池がある場所のことか?」
「そうそう、そこだ。あそこのベンチで集合だ。いいか、絶対に教室には来るなよ」
「……まあ、そういうことならば……」
一応納得はしたらしいラピスへ弁当を渡した俺は、そろそろ学校に着く頃だなと気付き、ラピスに声をかける。
「じゃ、先行ってろ」
「む、何故じゃ? 別れるのは別に着いてからで良かろう」
「お前な――ああもう、いいから。先に行けって」
「……?」
納得がいかぬ顔をしながらも、渋々俺の言うままに歩を進めるラピス。
歩きながら途中何度も振り返り、その度に寂しげな顔で、名残惜しそうに俺を見てくる。
早く行けよ……。
ようやく彼女の姿が視界から消えた後、念のためにもう1、2分ほどその場で待機した俺は、ようやく歩を進めると、校門の前まで到着する。
「……ん? あれは――」
俺の視界前方には、先行したラピスの姿が見える。
多くの生徒でごった返している中でも彼女の姿は一際目立っており、すぐにその存在を確認することができた。
俺がつい声を漏らしたのは、目に映る彼女の様子が少しばかり変に映ったからだ。
ラピスの左右には二人の同年代と思われる女子の姿があり、その二人はラピスへ話しかけているように見えた。
それだけならば別段気に病むようなことではない。
どころか、友達が出来たであろうことは、先ほどの俺の予想が外れたということであり、むしろ歓迎すべきことだ。
……なのだが、当の本人――それを受けるラピスの表情が変……というか、妙なのである。
そのどこかぎこちない、引きつった笑顔は、俺には決して見せぬ
いつものように大口を開けて笑う様子も、偉そうにふんぞり返っているような素振りも見えない。
というか、あの必要以上にオドオドした様子は……まるで、そう――いじめられっ子のそれに似た……
………
……
…
「……」
朝のSHR、そして一時間目の授業が終わった、最初の休憩時間。
俺は、朝に見たあの光景が忘れられず、悶々として授業も全く耳に入らなかった。
「おい、どうした夢野。朝からずっと難しい顔して」
座ったまま腕を組み、朝から体勢を崩さぬ俺の様子を訝しんだのか、一ノ瀬が声をかけてくる。
本来俺は
「……悪い、一ノ瀬。ちょっと俺、行くわ。」
「はっ? 行くってお前、どこに――お、おい、夢野?」
立ち上がった俺は、一ノ瀬の声にも振り返らず教室を出る。
気付けば俺は中学棟に移動し、ラピスがいるはずの教室の前に立っていた。
……一体俺は何をやっているのか。これではまるで子供を心配する、お節介な母親か何かではないか。
とはいえ、ここまで来たからにはそのまま帰るというわけにもいかない。
俺は廊下に面した教室の窓を音をさせないよう僅かに開けると、教室の中を覗き込む。
「……誰だ、ありゃ」
視線を教室のあちこちに移動させた俺は、ややあって目的の人物を目に入れる――が。
俺の口から出たのは、そんな言葉だった。
結論から言えば、先の悪い予感は取り越し苦労に終わった。
――それはいいのだが。
俺の目の前に映る光景を見ていると、それとは別の問題が持ち上がってきたように思える。
未だ声変わりが終わっていない一年生たちの声はよく通り、それらは廊下から覗く俺にも届いてくる。
「サナトラピスちゃん、昨日の朝はどこ行ってたの?」
「なぁラピス、今日は俺たちと昼飯食べようぜ!」
「ちょっと、男子は黙っててよ」
「んだよ――な、なぁなぁ! 今どこに住んで――」
男女入り混じった数人が取り囲む中、ラピスは質問攻めに遭っている。
彼らの言葉には悪意など微塵も感じられず、突如として現れた謎の新入生に興味津々といった様子である。
「……なんかさぁ、あの転入生、生意気じゃね?」
「わかるわかる、調子乗ってるよね」
「大峰くん……昨日からずっとあの子ばっか見てる……」
……まあ、そればかりでもないようだが。
少し離れた場所では、2,3人の女子が何やら不穏な会話をしている。
とはいえ、周囲の人間全員に好かれるなど土台無理なことだ。多少は仕方の無いことだろう。
そもそも12やそこらの小僧や小娘連中など、万を越える時を生きている死神にとれば問題にもならぬはず。
――と、そう思っていたのだが。
「ね、ね! 今日帰りどこか寄っていこうよ! 色々案内したげる!」
集団の中でも一際声の大きな女子が、元気よく声をかけるも。
「あ、あの……えっと……そのぅ……」
机に小さくなって座るラピスらしき少女は、その女子に目を合わすこともせず、下を向いてしどろもどろな声を上げるばかり。
敢えて俺が『らしき』と表現したのは、その様子があまりにいつものあいつの様子とは似ても似つかぬものだったゆえ。
事実俺は一瞬、別人かと錯覚しかけた。
がしかし、あんな特徴的な風貌をしている人物が二人といるはずもない。
間違いなく、あの縮こまる小動物めいた女子は――ラピスに違いなかった。
「あ、ええと、ちょ、ちょっとそれは……わしは放課後……」
「えーっ、何でー!? ていうか『わし』って! あはは! サナトラピスちゃん、どこで日本語習ったの!?」
「あぅぅ……」
いつもの威勢はどこへやら。
ラピスの声は消え入るように小さく、耳を澄ませねば聞こえないほどだ。
あまりの変わりように、さては猫を被っているのではとも思ったが、どうもそういう風にも見えない。
であれば、これは一体どういうことなのだろう。
「うぅ……――あっ!?」
……やべぇ。
泣きそうな顔で周囲に視線を泳がせるラピスのそれが、俺のものと交差する。
俺は顔半分程度しか窓から覗かせていないが、それが俺であると、彼女ははっきりと理解したようだ。
「~~~~~っ」
みるみる彼女の顔は紅潮し、褐色の肌が赤く染まる。
ぱくぱくと口を開閉する様子は、金魚のそれを思わせた。
幾度かその所作を見せた後ラピスは、頭を下げ、完全に俯いた姿勢になってしまう。
……そして、何故かいたたまれない気分になってきた俺は、そのまま教室を後にしたのだった。
「……」
昼休み。
俺は約束通り、学校の中庭にあるベンチに座りながら、彼女の到着を待っている。
あいつの性格からして、先に着いて俺を待ち受けていると予想したが、中庭に俺以外の人影はなかった。
いい機会だから説明しておくと、俺の学校は二つの棟から成り、その間を2本の渡り廊下が繋いでいる形になっている。
分かりやすく例えるなら、アルファベットのHにおける横棒が二つある、そんな形状だ。
俺が今いる場所は、その二つの渡り廊下に挟まれた空間であり、小さな池や木々などが植えられた、ちょっとした庭園のような様相を呈している。
中にはいくつかのベンチもあり、食事を摂るには中々に悪くないスポットだ。
がしかし、どういうわけかこの中庭は生徒たちにあまり人気がなく、大多数の生徒たちはもっぱら教室、または学食で昼食を済ませている。
風流を理解するにはまだ若すぎる、ということだろうか。
……まあ、俺だって人のことを言えた立場ではないのだが。今回のことがなければ、俺もわざわざここで食べようなどと思い至ることはなかったであろう。
そんなことを思っていると、中学棟から渡り廊下へ、一人の少女が出てくるのが目に入る。
両手に持つ手提げ袋は、朝に俺が渡したものと同じ。
もちろん言うまでもなく、それはラピスだったのであるが、姿を現したラピスはいつぞやのように俺に突進することもせず、足取り重く俺の元までゆっくり近づいてくる。
顔を俯かせながらの表情は暗く、そうしていると、ただでさえ小さな体躯がさらに小さなものに映る。
……逆に、こうしている方が男子受けはいいかもな。
大人しく何ごとも発さぬラピスは、全面余すところなく美少女そのものである。
これは男なら誰でも騙されるだろうな。
そんなことを俺が思っていると。
「……」
黙ったまま、ラピスはすとんと、俺の横に腰を下ろす。
そしてそのまま暫く、お互いに何も言わぬ状態が続いたが。
しびれを切らしたのはラピスが先だった。
「……なぜ、何も言わぬ」
前を向いたまま、俺に顔を向けることなく、ラピスは一言漏らす。
横顔には僅かに朱が差しており、朝方の件を気にしていることが丸わかりだ。
そんな様子を見ていると、ふと俺に、ちょっとした悪戯心が湧いてきた。
俺はあえて
「……ん? どなたですかね? 私の知っているラピスという女性はもっと元気
「に゛ゃああああ!! 言うなああああ!!!」
ラピスは頓狂な叫びを上げつつ、わしゃわしゃと髪をかきあげる。
「忘れろ! 汝が見たこと全て、忘れてしまえ!」
「……いや、そういうわけにもいかねえだろ。何だよ、ありゃ。冗談じゃなく別人かと思ったぞ」
「う゛うううぅ~……!」
子犬のような唸り声を上げ、またも下を向いてしまったラピスであったが、やがてその姿勢は崩さぬまま、小さく声を上げる。
「……仕方ないじゃろ」
「――ん?」
「あんな……大勢の人と話す機会など、わしにはこれまで一度として無かった。じゃから……」
ははぁ。
なるほど、大方そんなところではないかと、そう思わないでもなかった。
もごもごと口を動かすばかりで、確とした言葉にしないこいつに代わり、俺が言ってやる。
「つまるとこ、照れてるだけか」
「はっきり言うでないわ!」
やっと顔をこちらに向けたラピスは、歯を剥き、今にも食ってかかりそうな雰囲気である。
とはいえ、あの姿を目にした今、俺の目にはそんな必死な形相も、まるで迫力あるものとは映らない。
……まったく、大した内弁慶ぶりである。
「ま、それなら安心だな」
「……何がじゃ」
「いや、俺はてっきり、お前が周りのやつらに嫌がらせでも受けてるんじゃないかと思ってたんだよ」
「……そんなことはない。どころか、皆事細かにあれこれと世話を焼こうとしおる」
「なら問題ないじゃねえか。それが分かってて、なんであんな態度なんだよ」
「わしにも分から――いや。大方見当はついておる。わしは恐らく、かつての記憶から、多くの他者の群れを前にすると……つい構えてしまうようになってしもうたのじゃろう」
「……」
この言葉を受け、俺は思い出す。
今でこそ飄々としているこいつがその実、過去にどんな仕打ちを受けてきたのか。
言葉には出来ぬほどの苦痛と恥辱を、他ならぬ人間たちに与えられ続けた過去を持つこいつにとり、人の群れというのは恐怖の象徴と化してしまっているのだ。
――俺は、軽々しく茶化した先の行動を恥じた。
「ふん……自分でも情けないわい。汝もおかしかろうよ。さんざ汝の前では偉そうにしておるわしが、汝より年の若い連中を前に、あのような醜態を晒しておると知ってはな」
「いやでもお前、昨日の昼休みはそんなことなかったじゃないか」
「……それは、汝が傍におったからじゃ」
「――っ」
迂闊。
目を細めながらそんなことを言うラピスに、つい俺は一瞬、ドキリとしてしまう。
いつものラピスであれば、そんな俺の様子を見逃すはずもないのだが、今回ばかりはそんなこともなく、変わらず俺をじっと見つめるのみ。
それは、彼女の言葉が、飾り立てのない本心である証左に他ならないゆえか。
「……んっ……」
俺は、返す言葉の代わりに片手をラピスの頭に乗せ、優しく撫でる。
照れ隠しに他ならないこの俺の行動だが、ラピスは目を閉じ、されるがままになっている。
「……ま、おいおい慣れていけばいいさ」
「ふふっ、そうじゃの。それに今やわしは一人ではないしの」
「ああ。またあの手の馬鹿どもが現れたら、俺に任せとけ」
「くっく……なぁ~にを調子に乗っておるか。それも全て、わしの力あってこそじゃろうが」
「ちっ、それを言うなよ」
何だろうか。
ただ話しているだけというのに、この言葉にし辛い居心地の良さは。
これでは、まるで……
「さて。では我が君よ。そろそろ食事にするとするかの?」
「お、おお。そうだな」
妙な方向へ思考がぶれ始めた俺に向かい、ラピスは声を上げた。
言葉に従い、二人して包みを開ければ、果たして全く同じ内容の弁当が姿を現す。
しげしげと中身を眺たラピスは、うむむと唸り、言う。
「う~む、見事なものじゃ。あの小生意気なこむすめ、こと料理に関してはわしも認めざるを得んな」
「だろ。兄の俺もあいつのこの才能には舌を巻くよ」
「よし。では我が君よ。口を開けい」
「……は?」
玉子焼きをフォークに刺し持ち上げたラピスは、それを俺に向けながら言う。
にっこりと笑顔を浮かべながら。
「先日はわしのみが我が君の情愛を受けたのみであったからの。今度はわしの番じゃろ?」
「え、ええ……いやそれは……」
「あーん」
「いや、だからな……」
「……あーん」
表情は変わっていないが、有無を言わせぬ雰囲気がそこにはある。
俺は辺りを見回し、周囲に人の目が無いことを確認すると、観念したように口を開けた。
「……むぐ」
「どうじゃ、我が君。美味いか?」
「……まあ、な」
「そうじゃろうそうじゃろう! ほれ、次じゃ次じゃ。何がよい?」
作ったのはお前じゃないけどな。
……まあ、機嫌が直ったようで良かったよ。
俺はふと、視線を上に上げる。
「……あ゛っ……!」
視線の先には、中庭に面した窓から顔を出す、多くのクラスメイトの姿があった。
しまった。平面にばかり注意していたせいで、上までは気が回らなかった。
クラスの面々が浮かべる表情は様々で、更に何をか周囲と話し合っている様子である。
俺は恐ろしくて、その内容を知りたくない。
「――ほれ、何を呆けておるか。次はなにがよいのじゃ、我が君よ?」