拾った死神様は豆腐メンタルのヤンデレ幼女でした   作:針塚

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決着の時 後

 完全に日が落ちた黄昏の中、二人の男女が空を見上げていた。

 片割れである女の名は、エリザベート・シュルディナー。

 かつてかの地よりこの世界にやってきた、人ならざる者である。

 そして彼女の隣に立つ男は、それまで頼っていた杖に頼ることなく、しかと二本の脚で直立した姿勢で声を上げた。

 

「……いやまったく、驚いたね」

「本当ですねぇ~……まさかこんなことになるなんて~」

「寿命を延ばしてくれただけで有難いことだというのに、まさしく神の御業だね……これなら老人扱いされずに済むだろうか?」

 

 言いつつ彼女に顔を向けた男――惣一朗の姿は、依然と比べれば歴然たる差を生じさせていた。

 皺だらけであった肌は年相応の張りを取り戻し、一様に真っ白であった頭髪は、多少白髪混じりではあるものの、若々しい黒髪へと変貌していたのである。

 

「はい~! もちろんですよぉ~! はあぁ~……やっぱり若い惣一朗さん、素敵すぎます~!」

「若い、とは言いすぎだろう。しかし……やはり心配だ」

 

 彼は俯きつつ、深い溜息をつく。

 

「お二人のことですね~……私も心配ですぅ……」

「確かに神と呼ばれし者が付いているとあれば、そう心配することでないのかもしれないが……やはり親である僕たちがじっとただ待っているというのもね……君はどう思う」

 

 意を向けられたエリザは、全てわかっていると言いたげな微笑を湛えながら、彼を見つめる。

 

「……惣一朗さん、もう決めちゃっているんでしょう?」

 

 彼女の微笑みに、惣一朗もまた微笑でもって返す。

 

「流石、お見通しだね。娘の同級生、それもあんな良い若者を見捨ててはおけないよ。十年以上のブランクがあるが、また頼めるかな、エリザ」

「もちろんです。初めてお会いした時から、この命は全て貴方様のものなのですから。どうかご命令を、惣一朗さん」

 

 

 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

 俺は今、男が告げた埠頭へと、民家の屋根から屋根へと飛びながら、一直線に向かっている所である。

 俺の住む町は海に面しており、この町で生まれ育った俺からすれば、具体的な場所は言われずともある程度の予想はついた。

 

(――リュウジ)

 

 俺の脳内に、ラピスの声が届く。

 

『……なんだ』

 

 今の俺の声は常よりやや重く、そして低くなっている。

 

(奴と再び相(まみ)える前に、今一度説明しておくぞ)

 

『分かった。だが手短に頼むぞ』

 

(よいか。我等はあの男、そして惣一朗の二人分の糧を得てはおるが、それでもまるで十分とは言えん。かつてのように消費の大きな能力を無暗に乱発することはできぬ。今の姿がそのいい証拠じゃ)

 

 そう。

 俺は今、かつてそうしたように――ラピスと、いわば合体している。

 がしかし、いざそうした姿は、以前の記憶にあるものではなかった。

 例の黒いローブもなく、肉体も――多少筋肉質になったような気がするくらいで、殆ど何の変化も生じていない。

 唯一変わった所といえば、瞳が黒からラピスのような赤へと変化していたこと、それに髪色が所々銀に染まっていることくらいだ。

 まるでシルバーメッシュに髪を染めようとして失敗したような不格好さで、これで人目に出るのは勘弁してもらいたい。

 俺は右手に鎌を携え奔りつつ、中の(・・)ラピスに向かい返答する。

 

『……そう言われても、具体的にはどうすればいいんだ』

 

(基本は肉弾戦に徹せよ。能力の使用が必要じゃと感じたなら、わしの判断で発動する。よいか、我らの勝利条件は単純明解じゃ。どこでもよい、この鎌を奴に突き立てることさえできれば、その瞬間に勝負は決する)

 

『お前の時みたいに抵抗される恐れは?』

 

(それは有り得ぬ。安心するがよかろう)

 

『そうか……』

 

(最後に。基本的に奴の攻撃は全て避けよ。一撃たりとも貰わぬ心構えでゆくのじゃ。……まあ、恐らくは杞憂に終わるじゃろうがの。我等が一つとなった今、敵などありはせん。我等にその時(・・・)を与えたこと、十分に後悔させてやろうぞ)

 

『そう上手くいくかね……ま、出たとこ勝負だな』

 

 以前合体した時であれば、それも余裕で可能だったろうが。

 今の俺たちに、果たしてそれほどの力がまだ残っているかどうか。

 

 不安を残しつつ、やがて俺は海沿いの埠頭へと辿り着く。

 海沿いに暫く歩くと、例の男はすぐに見つかった。

 呑気に煙草を手に持ち、ぼんやりと紫煙を吐き出している。

 俺が指を食い千切った右手には雑に包帯が巻かれていた。

 奴が気付いていないならば、ここは不意打ちをすべきか――などと考えているうちに、奴に姿を捉えられてしまった。

 

「――お? ……おぉ。早かったじゃねぇか、小僧。……ん? どうした、随分風貌が変わっちまってるな。それに死神の方はどうした?」

『無駄なお喋りに興じる気はない。……貴様、鈴埜をどうした』

「あの嬢ちゃんなら、ほれ。そこの倉庫の中に放り込んであるぜ。安心しな、何もしちゃいねぇよ」

 

 男は手に持つ煙草でもってして、少し離れた場所にある倉庫を指した。

 

『信用できるものか。あの腐れ天使の仲間が言うことなど』

「――はん? おいおい、どうも勘違いしてるみてえだな。俺はあのクソガキと直接の関係はないぜ。――ま、確かにサナトラピスを連れ帰れ、とは言われてるがね。しかしんなこたどうだっていいんだ、俺は強いヤツと闘いたいだけだからな」

 

 男は煙草を足元に捨て、靴でそれを踏み消しつつ言う。

 

『……単なる戦闘狂ならば、貴様の世界で思う存分やればいいだろう。何故わざわざ俺たちを? 戦いたいなら向こうの神連中と戦え、俺たちを巻き込むな』

「あァ――……ダメだダメだ、あっちの連中はよ。一回だけ別のヤツとヤったことがあるが、まるで相手にならねぇ――いや、どうも人間相手だとまともに戦えねえみたいだったな、拍子抜けもいいとこだ」

『……』

 

 やはり、他の神と呼ばれる者たちもまたラピスと同じく、人相手に危害を加えることはできないというわけか。

 神を捨て、半分人間に堕ちた状態の彼女であればこそ、先刻のような戦いが可能であったのだろう。

 

「まっ、てなワケでよ。お前らにゃ期待してるんだぜ。やっとオレを楽しませ――っと、おお、そういやァ名を名乗ってなかったな。オレの名はナラクっつーんだ。よろしくな」

『貴様の名などどうでもいい。やるならとっとと始めよう』

「せっかちだねぇ……でもキライじゃないぜ、その意気込みはよ。おっし、そんじゃ――ほれ」

 

 男は、頭を僅かにくいと上げ、顎先を無防備に晒け出す。

 

『……何の真似だ?』

「何だじゃねえよ。お前に一発先に打たせてやるってんだ」

『貴様、馬鹿にしているのか?』

「ああ?」

 

 男は眉を(ひそ)めつつ、面倒くさげに続ける。

 その表情は、分かり切ったことを聞くな、とでも言いたげだ。

 

「違う違う。――小僧、出会い頭のアレはすまなかったな。不意打ちなんて卑怯な真似をしちまってよ。興奮しすぎてたんだな」

『……』

「勘違いするなよ小僧。俺はな、ただ勝ちたいんじゃねぇ。真剣勝負を楽しみたいだけだ。勝負の前に負い目があっちゃァいけねぇ。だからよ、ほれ、遠慮するな。おっと、その鎌ではやめてくれよ?」

『……分かった。では行くぞ』

「おう、どんと来いや!」

 

 静かに返答した俺だが――その実、臓腑は煮え上がっていた。

 勝負を楽しみたいだと?

 そんな下らないことの為に鈴埜を攫い、さらにはラピスに――あいつに危害を加えようとしたと?

 

(こっ、こりゃ! 落ち着かんか!)

 

 ……とても許すことはできない。

 然るべき報いを、この男に与えねば。

 俺は鎌を持たぬ左手を握り締め、十分に溜めたこの怒りを離すべき時を窺う。

 

(ああもう……この姿になるとすぐこうじゃ……まったく、気が短こうてかなわぬわ。仕方ない、局所的に能力を向上させるぞ!)

 

 身体ごとぶつけるように。

 自分でも信じ難いほどのスピードでもってして奔った拳が、男の左頬を貫いた。

 

「――ぐはァっ!!?」

 

 一瞬、男の巨体が宙に浮くほどの威力。

 さしもの男もたたらを踏み、たまらず片膝をついた。

 

「くっ……かはははっ、やるねェ……想像以上だ。んじゃ改めて勝負開始と――」

 

 地に膝をついた姿勢で尚も笑いつつ振り向いた男は、俺の姿を再び目にした瞬間、やにわに焦りの表情へと変わる。

 視界に捉えた俺が既に鎌を振りかぶり、振り下ろさんとしていたからだ。

 

「……おいっ!? そりゃねェだろ、ちょっと待っ……」

 

 クズめ。

 この期に及んで正々堂々と、正面切っての戦いなどを望んでいたのか?

 己が目的のため女を攫うような外道の言うことなど――

 

『聞くかバカがッ!!』

「――くっ!」

 

 間一髪、男は転がるようにしてその場から飛び退き、俺の攻撃を避けることに成功する。

 

『ちぃっ……!』

 

 今のが命中していれば、その瞬間にも終わっていただろうに。

 口惜しさに舌打ちをする間にも、俺から距離を取った男は既に体勢を立て直している。

 

「いやァ~小僧……、初めて会った時とはマジで別人だな。ド汚ぇ手も平気で使いやがるたァ、ますます期待できるってもんだ。……しかしよ、ちっと今のはムカついたぜ。――今度はこっちの番だなァ!」

 

 瞬時に距離を縮めた男は、すかさず俺に向かい回し蹴りを繰り出した。

 身を引いて避けることは不可能と判断した俺は、左腕一本でその蹴りを正面から受け止める。

 衝撃が体を突き抜ける中、この行動は悪手であったかと思いかけたが――

 

『……ッ』

「――なにっ!?」

 

 以前の俺を、遥か後方まで吹き飛ばしたその蹴りを――今の俺は、ただの左腕一本で、完全に受け止め切っていた。

 身体は僅かにも揺れること無く、更には痛みすらまるで感じない。

 男の方も、まさかこの結果は予想外であったと見え、驚きに目を見張っている。

 俺はその隙を見逃さず、返す刀で蹴りを見舞った。

 

『……ううおりゃ!!』

「ぐっ……うがはっ!!」

 

 かつてとはまるで逆。

 今度は男の方が、俺の蹴りの衝撃に耐えきれず吹き飛ばされる。

 同じように数メートルも吹き飛んだ男は、その先にあった資材置き場へと、派手な音を立てて叩き込まれた。

 

(ばっかもーんっ!!)

『おわっ!?』

 

 土煙が辺りを包む中、やにわに頭の中でラピスの怒鳴り声が響く。

 

『馬鹿、頭の中で大声を出すな!』

(わしが言うたことをもう忘れおったのかこのたわけ!! 先ほどの攻撃を無効化したせいで、優に百年は我等の寿命が縮んだぞ!!)

『そう言われてもなっ! あんなのを完璧に避けるなんて無理だ! こちとらお前みたいに身体が小さいわけでも素早いわけでもないんだよ!』

(まったくぅ……ならば早々に勝負を決めい、長引かせるな!)

『言われずともそのつもりだよ!』

 

 俺が走り出すのと、男が立ち上がったのは全くの同時だった。

 男の目は憤りに燃えており、走り来る俺に応えるように、吠えながら拳を振り上げる。

 

「く……そったれがァ!」

 

 その後、同じような展開が幾度となく続いた。

 俺は男の攻撃を全て避けるか、先ほどのように完全に無効化し――逆に俺の攻撃を男は防ぎきれず、その度に深いダメージを負い続けながらも、それでも男が攻撃を止めることはなかった。

 

「ふぅー……ふぅー……」

 

 気付けば男の方は体の至る所から血を流し、息も上がってしまっている。

 しかしながらその目に宿る光は潰えることなく、むしろその輝きを増してさえいるように思えた。

 

(まったく、つくづく驚かされるの。なんなんじゃ、あやつは)

『本当にな……タフとかそういう次元を超えてるぞ。あのクソ天使の数倍はやっかいだな、こりゃ』

 

 男に対し、俺の打撃は何度も当たっているが、肝心要、鎌の一撃は未だにかすりもしていない。

 先の経験から一撃食らえば終わりだということを、男の方も重々承知しているのだろう。

 逆に言えば、男が鎌に気を取られているおかげで、その他の攻撃が当たりやすくなっているとも言えよう。

 

(とはいえいい加減に彼奴も限界に近いはずじゃ。我等の力も結局ほぼ元通りになってしもうておるがの……そろそろ終わらせぬとまずいぞ、リュウジ)

『ああ、分かった。いい加減奴のクセも分かってきたところだ』

 

「いいやァ――……まいったね。まさかこのオレがここまで一方的にボコられるなんてな……」

 

 血の混じった唾を吐き捨てつつ、男は悔しそうに、だがどことなく楽しげに、そう口から漏らす。

 

『……俺たちに敵わないことが分かったなら、この辺りで終わりにしてはどうだ? 鈴埜を返し、元の世界に帰れ。そうするならトドメは刺さずにおいてやる』

「はっ、お断りだね。それによ……大ピンチからの逆転こそ燃えるんだろうがっ! ――いくぜ!!」

 

 そう言い、またも男は俺への突撃を敢行する。

 もはや見慣れた、右の打ち下ろしである。

 

『芸のない奴めっ!』

 

 俺は余裕からか、男の攻撃には既に目が慣れてしまっていた。

 それに加え、積み重なったダメージによるものだろう、明らかにそれまでに比べスピードがない。

 俺は突きを悠々と避けつつ、がら空きの横腹へと蹴りを放つ。

 深々と脚がめり込み、次いで感じた感触から、男の肋骨を砕いたことが知れた。

 

「ぐっ――……くっ!」

『……何っ!?』

 

 ダメージのため動きが鈍っている――というのは、男の罠であった。

 

「くっ……ははァ! 油断したなっ! ――おらァ!」

『うおおおっ!』

 

 伸びきった俺の脚を、もう一方の腕で回し掴んだ男は、そのまま俺ごと前方に倒れ込む。

 

「あー……肋骨がメチャクチャだ。随分好き勝手してくれたなァ、ええ、おい?」

『ぐっ……ぬっ……! ――ラピスッ!』

 

 しまった、油断した……ッ!

 完全に馬乗りになられている今、さしもの俺の怪力をもってしても、上に乗る男を跳ね除けることは容易なことではない。

 俺は堪らずラピスにこの場を脱するべき能力使用を求めるも。

 

(まっ、待て! 今汝の能力を――お、おいリュウジッ! あれを!)

『……?』

 

 ラピスの意に沿い、俺が視線を向かわせたのは――俺を見下ろす男でなく、その遥か先の空中にあった。

 

「おい、どこを見てやがるんだ? ふぅー……好きなだけ殴りやがって、ようやくこっちの番だな」

『……いいや、お前の番など来ないさ』

「あ……?」

『――構うなっ!! 俺ごとやれっ!!』

「なんだと? ……まさかっ!」

 

 男が何かに気付いた様子で振り向こうとするも、一瞬遅かった。

 目の前の巨体、その右肩を突き抜け、青白く光る刃が伸び来たる。

 やがて刃の切っ先は、俺の顔面のすぐ横をかすめ地に至り止まった。

 

「ぐうおおおおっ!!」

「ぬうううう……!」

 

 絶叫を上げる男の背中に剣を突き立てる彼――それは紛れもなく、ラピスの力により若返った惣一朗その人であった。

 

「くっ……おおおっ!!」

「むうっ……!」

 

 苦し紛れに繰り出した男の裏拳を避けた彼は、後ろに飛び退きそれを避ける。

 立ち上がったナラクは、突然空中から、文字通り降って湧いて出た男に向かい吠える。

 肩には剣を突き立たせたままで。

 

「……なんだ手前ェは!」

「無法者に名乗る名など無いね。僕らの娘を返してもらおうか」

『惣一朗さん、あんた……』

 

 自由になった俺は起き上がると、惣一朗さんに向かい声をかける。

 

「うん、迷惑かとは思ったが、やはりじっとしていられなくてね……上手く避けられたようだね、良かった良かった」

『いや……っていうか惣一朗さん、そもそもどうやって空から――』

「竜司くぅん、大丈夫ぅ~? ごめんなさいねぇ遅れちゃってぇ~」

『その声、エリザさ――』

 

 後ろからの声に振り向いた俺が目にしたのは、確かに予想通りの人物ではあった。

 だが――……その姿が、あまりにも強烈に過ぎ、命の奪い合いの途中だというに、俺は一瞬頭の中が真っ白になった。

 

 背に四枚の翼――巨大な蝙蝠のそれに似たものを生やした姿、それはまだいい。

 よく見れば頭からも小さめの翼を生やしているが、それもこの際どうだっていい。

 ――なんだ、この破廉恥な格好は。

 エグい食い込みのレオタード一枚のみを纏ったその姿……。

 まさかその姿でここまで来たというのか?

 

 大体一応衣服を纏っていると言っても、布面積があまりに小さすぎる。

 胸部分など、上半分は完全に丸出しだ。

 

「いや~ん竜司くん、見過ぎですぅ~! もぉーエッチなんだからぁ~。私だってこの歳でこんな格好は恥ずかしいんですからね~!」

『あっいや、その、すんませっ……』

 

(リュウジ……帰ったら話があるからの)

 

 地を這うような声が脳内に響き渡り、俺は寒気に身を震わせる。

 

「三対一か……いよいよ追いつめられたってわけだ。こいつはナメてたな、サナトラピス――それに、この世界の連中をよ」

 

 緊張感が急激に崩れ去ろうとしたのを止めたのは、再び発されたナラクの声によってであった。

 俺は気を取り直し、男に向かい言い放つ。

 

『ならば降参しろ。もはや勝ち目はないのは分かるだろう』

「はっ、そいつは御免だね。……仕方ねぇな、こいつはとっておきなんだが、出すしかねえか」

 

 言って男は、肩に刺さった剣を抜く。

 よくよく見ればその剣は、とてつもない異様さに満ちていた。

 全体的に黒い瘴気を立ち昇らせていることも勿論だが――柄の部分全体が鋭いトゲで覆われており、まともに握ることすら叶いそうにない。

 事実、剣を引き抜いた男の手はあっという間に血だらけになっていた。

 

「ぐむっ……ん? こいつァ――なんでこれ(・・)がこんなところにある? お前、こいつをどこで手に入れた?」

「……その剣の持ち主を知っているのか」

 

 惣一朗さんの目が、急激に鋭さを増す。

 ……彼は、どうやってあの剣を持っていたのだろうか?

 つい俺は彼の左手に目をやるも、特に傷ついているような様子はない。

 

「はっ……まあ、どうでもいいか。死神に加えこいつを使える奴まで居るとくりゃ、いよいよ出し惜しみしてる場合じゃねえやな」

 

 男は剣を後ろに放り投げると、左手で右手首を掴み、何をかを起こすような素振りを見せる。

 

 ……そして、それを見る俺は。

 

「まさか今夜こいつを使えるとは思ってなかったぜ! だが――……」

「すまねえが、全然興味ないわ。つーか……もういい加減にしてくれよ」

 

 うんざりした様子で言う俺の声は、元のものに戻っている。

 そのことに男の方も気付いたのであろう。

 僅かな躊躇の後、男は弾かれたように辺りに目をやろうとするが。

 

「じゃらあああああ――ッ!!」

「ぐがっ――……ああああ!!」

 

 男の胸に、今度こそまともに、死神の鎌が突き立てられる。

 俺との融合を解除したラピスは、男が俺たちに気を取られている隙に男の背後に再出現し、この一撃を叩き込んだのだ。

 

「――馬鹿めが、四対一じゃ。貴様の助言通りにしてやったぞ。これで満足か?」

「ぐううっ……!」

 

 呻き声を上げつつ、四つん這いに倒れる男に鎌を刺し貫かせたまま、ラピスは勝利宣言を行う。

 

「手間取らせおって。今度こそ貴様の魂、全て頂いてくれようぞ」

「サナトラピス殿、それは少し待ってくれないか」

「……何故(なにゆえ)じゃ」

 

 惣一朗さんの横槍に、ラピスは不快げな目線を送る。

 

「君、先ほどの質問をもう一度するとしよう。あの剣の持ち主に心当たりがあるのかね?」

「……だったら……なんだってんだ……」

 

 今この瞬間にも、男の力は吸い取られ続けているのだろう。

 男の声はそれまでになく苦しげで、こうして喋るのもやっとという様子である。

 

「答えなさい。心当たりがあるのだね?」

「――交換条件だ」

 

 この場においてもまだ笑顔を見せる余裕があるとは、その精神力にはなはだ敬服する他ない。

 

「貴様、自分の立場が分かっておるのか?」

「はっ、だからこそだよ。その質問に答えてやる代わり――情けねえが、恥を忍んで言おう。――この勝負、また後日ってことにゃならねぇか? 今度はハナから本気でやってみてえ」

 

 なんという厚顔無恥さか。

 俺も流石に苛立ちを覚え、やや声を荒げる。

 

「ふざけてんのか、てめぇ」

「いやいや、大真面目さ。それにお前らからの質問にも俺が答えられることなら答えてやる。もちろんそれだけじゃねえ、こいつは借り(・・)だ。今後何かしらの形で借りを返すまで、お前らを襲うことはしねぇ。約束する」

「……その言葉を信じるとでも?」

「――まぁ、信じられねえやな。俺も期待しちゃいねぇよ。……なら、さっさとやりな。俺の負けだ、とっておき(・・・・・)を出せなかったのは残念だが……お前らをナメた罰だな、こりゃ」

 

 ふっと息を吐き笑った男は、今度こそ観念したと見える。

 その様子はどうぞ好きにしろ、と言わんばかりだ。

 

「……夢野くん、サナトラピス殿。ここは彼の提案を呑んでやってはくれまいか」

「貴様、本気か?」

「娘さんが攫われたんですよ、惣一朗さん。そんな奴を――」

「無論分かっている。だがこれは……どうしても聞きたいことなんだ」

 

 かつてない真剣な惣一朗さんのこの態度には、俺にも若干の迷いが生じてしまう。

 

「……ラピス、どうする?」

「どうすると言われてものう……我が君はどう思うておるのじゃ」

「……鈴埜の無事を確認できれば、まあ、聞いてやってもいいんじゃないか」

「甘いのう、我が君は。はぁ……仕方ないのう。(あるじ)の言うことには逆らえぬ」

 

 一連の話を耳にした男は、俺に視線だけを向けると、微笑を湛えた表情でもってして、言った。

 

「へっ……ありがとよ、小僧」

 

 ……が。

 そうは問屋が卸さぬとばかり割って入った者がある。

 それはもちろん、我等が死神様であった。

 

「おっと貴様、安心するのはまだ早いぞ?」

「――ん?」

「折角貴様と惣一朗から奪った力、その殆どを先の無駄な戦いで消費してしもうた。この件、この詫びはどうするつもりじゃ?」

「……オレにどうしろってんだ」

 

 瞬間、ラピスは――これ以上ないほど嗜虐的な笑みを、顔に浮かび上がらせた。

 

「くっくく……――なに、簡単なことよ。殺しはせぬが、死ぬギリギリまで力を吸わせてもらえばよい。安心せい、貴様なら数か月もあれば元の力も取り戻せよう」

「なっ、数か月だと!? ちょ、おい、おまっ……! こっ、小僧! なんとか――」

 

 男の顔色が変わり、それまでになく慌てた様子で俺に泣きついてくるも。

 俺はその頼みを聞くほどには慈悲深くない。

 自分でも驚くほど無感情に男を一瞥した俺は、次いでラピスに視線をやり、言う。

 

「ちょっとは加減してやれよラピス。この後質問に答えられるくらいには抑えろ」

「ほいほーい、了解じゃよ~」

「おいおいおいおい!! ちっと待――」

 

 ――月の光の下、埠頭に男の叫び声が響き渡った。

 かくして、ようやく一連の騒動に、ここで一応の幕が下りる次第となったのである。

 

 

 ♢ ♢ ♢ ♢ ♢

 

 

「この倉庫だな」

 

 俺とラピスは、鈴埜が居るという倉庫の中に足を踏み入れた。

 例の男は気絶してしまったが、一応惣一朗さんたちが見張ってくれている。

 

 そう広くもない倉庫、というかコンテナの中には物もあまり落ちておらず、すぐに俺は目的の人物を視界に捉えることができた。

 小走りで駆け寄った俺は倒れる鈴埜を抱き起し、未だ目を開けぬままの彼女に向かい声をかける。

 

「――おい鈴埜、鈴埜。大丈夫か?」

「うっ……」

 

 ぺちぺちと数度頬を軽く叩きつつ呼びかけを続けるうち、彼女の口から小さな声が漏れる。

 次いで、瞳が僅かに開いたかと思うと――……

 

「……――くん?」

「え?」

 

 鈴埜は小さく何ごとかを呟くも、あまりに小さなそれはまるで要領を得ない。

 俺は顔を鈴埜に近づけさせ、その意を確かめんとする。

 

「すず――」

「……りゅーくんっ!」

「なーーーーーっ!!?」

 

 なんと鈴埜は、俺が顔を近付けさせた瞬間、両腕を俺の首に回し、そのまま抱き着いてきたのだ。

 ラピスの声が狭いコンテナ内に木霊する中、俺の鼻腔には、鈴埜の使っているシャンプーのものであろうか、微かに花のような香りが届く。

 

「お、おいおい!? 鈴埜!?」

「きっさまーーーー!! やはり殺す、今すぐ殺してくれるわ!」

 

 興奮したラピスはいつの間にやら鎌を手に持ち、滅茶苦茶に振り回し始めている。

 

「バッカお前、鎌を収めろ! おい鈴埜! す――」

「りゅーく……ん……」

「鈴埜……」

 

 首に回された腕の力がすっと抜かれたかと思うと、再び鈴埜は身体をぐったりとさせ、開き始めていた瞳を閉じさせた。

 

「ふぎぎぎぎ……!」

「……あーもう、とにかく無事なのは分かったから、鈴埜を二人のとこまで運ぶぞ」

 

 とても言葉にできぬような凄まじい顔つきになったラピスを宥めつつ、俺は気絶した鈴埜を背に負うと、そのまま惣一朗さんに彼女を受け渡した。

 その頃には既に時計の針は二十二時を回っており、男の処遇をとりあえず彼らに任せた俺は、妹への言い訳を必死に捻り出しつつ、ようやく帰路へと着いたのであった。




シリアス展開はここで完全終了となります。
今後の話の展開上どうしても必要であったとはいえ、皆さま長らくお付き合いいただき有難うございました。
次話からはお待ちかね、怒涛のラブコメの波動に塗れた展開が続く予定にございます

ちなみに!あらすじに読者様から頂いたファンアートを掲載してあります!
まだ未見の方は是非一度ご覧になってください!
なお本来のサプライズ規格である表紙絵はまた別の方に依頼中ですので、それもまた後日の公開をお楽しみに。

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