「なあ」
「なんじゃ、我が君よ」
「……暑いんだが」
俺に抱き着くラピスは、可能な限り身体を密着させようとするように、べったり俺にくっついている。
その拘束ぶりときたら、寝返り一つまともに打てないほどだ。
「なんじゃなんじゃ、迷惑とでも言うつもりか?」
俺の胸に頭を埋めるラピスが顔をこちらに向ければ、その表情には僅かに非難の色があった。
「いや……そっち側にもっとスペースあるだろうが」
「だからなんじゃ? 第一汝は昨日一昨日、寒い寒いと抜かしておったろうが。我慢しきれず妙な機械で温もっておったくせに。わしはな、本気であれを叩き壊してやろうかと思ったぞ」
「う~ん……いや……」
そう言われると弱い。
本格的に冬の深まりつつあるこの季節、エアコン無しで夜を明かすのは辛くなってきたところだ。
そこへいくと、外見通りと言うべきか、子供特有の高い体温を持つこいつが抱き着いている今、布団の内部は適温を保っていて実に快適だ。
本当にどうでもいいことばかり覚えてやがるな、こいつ。
ていうか壊すつもりだったのかよ……
「むむ……」
有効な反論が思い浮かばず、ただ唸ることしかできない。
そんな俺をじっと見るラピスは、何故か段々と悲しげな表情に転じていった。
「……のう、我が君。本当のところ、こうしていては迷惑じゃろうか?」
それまでに無いほどしおらしい声で言う。
「いや……んん~……」
暖かさを得るという意味では何の文句もないのだが……
いくら幼いとはいえ、女に抱き着かれて寝るというこのシチュエーションが、果たして健全な男子として正しいと言えるのだろうか。
正直、この瞬間ばかりはこいつがこの姿になっていて助かったと思わざるを得ない。
これが元の姿であったのなら、自我を保っていられるか自信がないところだった。
「……わかったわい。そこまで苦しげな顔をされては無理にとは言わん」
「お、おい?」
「すまなんだの。迷惑じゃというなら汝の言うとおり、別々に寝ることとしよう」
俺の唸る姿をどう勘違いしたのか、ラピスは俺の布団から出ると、床に敷いていたもう一つの寝床に入り込む。
彼女が出ていく際に捲れた布団の隙間から冷たい外気が入り込み、俺の肌を撫でる。
ラピスはそれから何も言わず、こちらに背中を向けたまま微動だにしない。
その背中は――見覚えがある雰囲気を
最初にこいつを見た、あの時の。
「――おい」
「……なんじゃ?」
こちらを振り向かぬまま、短い返答のみを返すラピス。
俺は言うべきかどうか一瞬躊躇ったが、その寂しげな背中を見かね、つい口に出してしまった。
「あの機械を動かすのにも結構金がかかんだよ。あんまり電源入れたままにしとくと母さんがうるさいんだ。だからな、その……」
「……?」
要領を得ぬ俺の言葉の真意を測りかねたのか、ラピスは顔だけをこちらに向ける。
その瞳は、僅かに潤んでいた。
――本当に情けない死神だ。
たかがこんなことくらいで、涙目になるほど悲しむとは。
こんなの、とても見ちゃあいられないよな。
俺は先ほどこいつがしたように、布団を持ち上げ、言った。
「……別に迷惑じゃねえよ。でもあんまりくっつくなよ。そうするなら――ほれ」
「え……」
ラピスは目を丸くする。
大きな緋色の瞳を、これ以上ないほどに見開いて。
「勘違いすんなよ? 迷惑じゃねえってだけで、俺はあくまで――」
俺はその吸い込まれるような瞳を直視し続けることができず、つい目を逸らしながら言葉を続けてしまう。
それが悪かった。
「――ぐふっ!」
みぞおちに凄まじい衝撃を感じ、危うく食ったものをリバースしそうになる。
腹にぶつかってきたものの正体は、案に違わず、頭から一直線に突っ込んできたラピスであった。
「まったく、悪いお人じゃのう我がご主人様は! そんな
瞬く間に俺の上に馬乗りになったラピスは、興奮してなにやら勝手なことを宣っている。
「ええいやめろ! 頭を擦り付けるな足を絡ませるな!! 人の話を聞いてたのかてめえ! ――あ痛っ! つ、ツノ、角!」
胸に顔を埋めたままグリグリと頭を動かすせいで、その度に角が当たる。
この勢いだといつかそのうちブスリといってしまいそうで恐々とする。
「いいかげんにしろ!」
ひとつ頭をはたくと、ようやく動きが止まる。
大人しくなったかと思ったのも束の間、今度は俺の胸に顔を埋めたまま思い切り深呼吸を始め出し、生ぬるい風が当たって気持ち悪いやら、くすぐったいやらで堪らない。
たっぷり三つほど呼吸を続けた後、今度は多少力を入れて平手をかましてやろうかと思ったその時、やにわにラピスの顔が上がった。
「しかしな、我が君よ」
その表情は至って真面目で、今自分が何をしていたのかまるで自覚していないような素振りである。
「汝がいくら女心の機微に聡いとしてもの、今後は他の
「お前な、何を勝手なことをペラペラと――」
「もし汝がそんなことをすれば」
緋色の瞳から光が消える。
「わしは、その女を殺してしまうかもしれん」
またぞろ悪い冗談かと思ったが、あまりに真剣な眼差しで言うので、俺は一瞬息を吞んでしまう。
「殺すって、お前、しかしお前……そんなことをしたら――」
「死神としての制約を破ることになるの。じゃがな、そんなことは知ったことではない」
その物言いの冷やかさは、これもまた、俺が以前のこいつに感じたものだった。
「汝はわしに抱き着かれて
「ああ……」
正確には『暑い』だが。
ここでいちいちそんな事を指摘するほど、俺は愚かではない。
「汝にはそんなつもりはなかったのじゃろうが、わしはな、わしは……その言葉がたまらなく嬉しかった……」
ラピスの表情が、自虐的な笑顔、それへと変わる。
「こんなわしでも、汝に温もりを与えられると分かってな。……単なる管理人として、淡々と役割をこなし続け、ただ無為に時を過ごしてきただけのわしにはな、汝との他愛のないやりとりの一つ一つが、珠玉の宝石の如く映っておる」
淡々と、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を続けるラピス。
「悠久の時を生きてきたわしじゃがな、そんなものは無価値じゃ。塵芥じゃ。これまでの数千年、数万年よりも、汝と過ごしたこの二日あまりの方が余程価値がある。じゃからな、もし汝の心を奪う輩が現れたその時、わしは自分を制御できる自信がない」
「……」
「勝手な願いだとは百も承知じゃ。そも、わしは汝に救われた身。奴隷の分際で分を超えておるとは重々分かっておる。それでも、あえてわしは汝に頼みたい。いつかわしが力を取り戻し、かの地へ戻るまででよい。わしだけを見続けては貰えぬものじゃろうか……」
僅かに光の戻った瞳を向け、まるで親に哀願する子供のような表情で訴えかける。
死神としての誇りなど、今宣言したように無価値だと。
俺と関係を持ち続けること以上に大切なことなど無いのだと。
――そしてその言葉が真実であると、言葉以上に、俺に向け続ける瞳が雄弁に語りかけていた。
……俺は、わざとらしく溜息を一つ吐いてみせる。
「……全く、ふざけたことばかり言いやがる」
「我が君よ……」
「言っとくがな、自慢じゃねえが俺は生まれてこのかた、女にモテたことがないんだ。だからお前の言う心配なんぞ、するだけ無駄ってもんだ」
ラピスの目を見ながら――は、無理だった。
俺の言葉は、彼女のそれと比べ――あまりに薄っぺらな、その場しのぎのものであったから。
「まあ……こうなったのは俺のせいでもあるんだ。帰るまで世話は焼いてやる。お前を見放したりはしねえよ」
殆ど口から出まかせの俺の言葉を、こいつはどう受け止めているのか。
その表情は、戸惑いとも、喜悦とも取れる、複雑な表情を見せていた。
何故かばつの悪い思いに襲われた俺は、無理やり会話を打ち切る。
「もう寝るぞ。疲れてるって言っただろ、おしゃべりは終わりだ」
「うん……」
ラピスは小さく、そう呟いたのみだった。
……元々こいつと俺とは神と人、次元そのものが違うのだ。
凡そ力を失いすぎたせいで、未だ錯乱状態にあるのだろう。
そう何度も自分に言い聞かせているうち、いつもより早く睡魔が襲ってくる。
ラピスの言葉が熱を帯びすぎていたせいなのか。
まどろみの中で俺は、この死神と初めて会った時のことを思い返していた……