振り返った俺の目の前には、珍妙な格好をした一人の少女の姿があった。
今時珍しい和服――分かりやすく伝えるなら、いわゆる巫女さんが着ているような小袖に似たもの――を上に羽織り、腰には赤い帯を巻かせている。
そんな上半身に比べれば下の方は幾分かまともな格好で、特にコメントするようなこともない、地味なスカートを履いている。
年の頃は十かそこら、といったところだろうか。
その少女は、くりくりとした大きな黒い瞳でして俺を見つめつつ、今一度声を出した。
「こんにちわ、おにいさん」
俺はすぐに返事を返す前に、一応周りをキョロキョロと見渡してみる。
がしかし、やはり周囲に他の人間の姿などは確認できなかった。
そうした後、俺はようやく口を開く。
「え~と……俺のこと?」
「他に誰もいないよ?」
そう言って首をかしげる少女の姿は、どこか小動物めいた印象を抱かせた。
またその動作に合わせ、結わえたショートツインテールが揺れる。
染めているのだろうか、俺は少女の褐色がかったオレンジ色の頭髪に目をやりながら言う。
「……俺に何か用かい?」
「うん、そうなの!
「
俺のこの言葉に、少女は顔を綻ばせる。
「あははっ! ちがうよおにいさん。わたしの名前だよ」
「ああ、そういうことか」
なるほど、ミナというのは彼女の名前だったか。
「ん、それでミナ。俺に頼みがあるって?」
「はいなの! あのねおにいさん、ミナね、行きたいところがあるの」
「ん、んー……」
またしても俺は返答に間を置く。
もしや、この少女も例の如くまともな人間ではないのでは?との考えが頭に浮かんだためだ。
……可能性はゼロ、とは言えない。
だがしかし、この目の前の少女に、エデンやナラクなどといった連中を初めて目にした時のような感じはない。
端的に言えば、敵意や悪意といったものがかけらも伝わってこないのだ。
「……ダメ? おにいさん。……迷惑?」
俺が返答を遅らせたことをネガティブな方向に解釈したのか、少女はそれまでの華やいだ声から一変、明らかに気落ちした風な声色になる。
その姿はまさに年相応の、ただの一人の少女の姿でしかない。
これには俺にも幾許かの良心の呵責が襲った。
「あ、いや、そういうわけじゃ」
「ううん、いいよ、おにいさん! 忙しいならだいじょうぶだから!」
「……」
声色こそ戻ってはいるが、顔色までは誤魔化せておらず、それが空元気であることは明瞭である。
これがもし奴等の仲間で、俺を言葉巧みに連れ出そうとしているならば、こんなにあっさりと引き下がるとは思えない。
やはり、単なる迷子か何かなのだろう。
しかし、だとしてももう一つ俺には懸念事項がある。
俺はスマホを懐から取り出し時間を確認する。
……まあ、道案内くらいならそう時間もかからないか。
「……うっし」
「おにいさん?」
ひとつ声を上げた俺の顔を、ミナは下から覗き込むようにして見つめてくる。
その目には不安の色が浮かんでおり、俺がまだ気分を害している、とでも思っているのだろう。
最初からそんなことは微塵も思っていないのだが、彼女を安心させるためにも、俺は言葉を続ける。
「で、どこ行きたいって? 言ってみな」
この瞬間の彼女の表情の変化を、俺はどう例えたものだろう。
陳腐な物言いではあるが、まさに花開く――とでも言おうか。
零れんばかりの笑顔となったミナは、身体ごとぶつかるようにして抱き着いてきた。
「ありがとうおにいさん!」
「おっ、おいおい……」
子供ってのは、どいつもこうして抱き着いてくるもんなのか?
……いや、あいつの方は見た目だけだったか。
俺は面食らいつつも、彼女の頭をポンポンと撫でる。
「ほら、行くならさっさと行こうぜ。ここから近いのか?」
「えっと……わかんない……」
抱き着いた姿勢のまま、俺の胸に顔を埋めつつ、ミナは言う。
「分からない?」
「あっえっと、そうじゃなくてね! えっとね、そのね……」
と、何故か彼女は声を落とし始め、さらに顔面を紅潮させる。
そして、ぽつりと一言、消え入るような声で漏らした。
「ミナ、おなかがすいてるの……」
「……メシ? ならコンビニでもどこでもあるだろ?」
「こんびにって?」
「――は?」
今度は俺が間の抜けた声を出す番だった。
いくら小さいとはいえ、コンビニという単語を知らないなどということが在り得るだろうか。
どこかの金持ちのご令嬢で、外の世界に無知……という可能性が頭を一瞬頭をよぎったが、その考えはすぐさま否定される。
もしそうなら、こんな――言葉を飾らず言えば、貧相な姿をしているわけがない。
こうして改めて近くで見るとよく分かるが、少女が纏っている衣服は、元々は上等な代物であったのかもしれないが、所々
こんなボロボロの服を平気で娘に着させているとは、親は一体何を考えているのか。
「……?」
じろじろと見られていることを不思議がっているのか、ミナはまたも顔をかしげてみせる。
虐待だとか、そういったネガティブな考えが脳裏に走りそうになるも、少女の顔には悲壮感だとかそういった雰囲気は漂っていない。
……まあ、いずれにせよただの他人である俺が詮索すべきことでもない。
俺は気を取り直し、彼女に向かい口を開く。
「えーっと……腹が減ってるってのは分かった。それで、何が食いたいんだ?」
「おかし! ミナ、おかしが食べたい!」
間髪入れず、彼女は答えた。
「菓子?」
「うん!」
「菓子……菓子ねぇ……」
それこそコンビニでも良さそうなものだが、たしか一番近いところは来た道を戻らなければならない。
あまり道草を食っているとまたあいつがうるさい。どうしたものか。
……そういえば、アーケードの中に子供の頃よく行っていた駄菓子屋があったな。
あそこならば道の途中だし、ちょうどいいだろう。
「いいけど、腹減ってんならもっと腹にたまるモンの方がよかないか?」
「う~ん……ご飯も食べたいけど……甘いもの、たべたい……」
「ま、それでいいならいいんだけどよ。よし、んじゃ行くか?」
「ほんとに連れてってくれる!?」
自分から言い出したことだろうに、彼女は目を見開いてそう念を押してくる。
「ミナが頼んだんだろ? それとも一人の方がいいか? それなら行き方だけ教えて――」
「ううん! おにいさんといっしょがいい! ――いこ、おにいさん!」
言って、ミナは手を握ってきた。
ひんやりとしたその手は、子供のものとしては冷えすぎているような気がした。
同じようにいつもくっついてくる
「あっそうだ。ミナ、金は持ってるのか?」
「だいじょうぶだよ! 昨日ね、お小遣い貰ったから! おにいさんにも買ってあげるね!」
「はっはは、そんなにたくさん貰ったのか。そりゃ良かったな」
――笑いながら並び歩く中、頭の中には何故かラピスの顔が常に浮かび続けていた。
俺は昨日、彼女がふいに見せたあの目を思い出す。
……いや、何を考えている。
これは道すがらの、単なるついでだ。
何もやましいことなどない。
そう、あるわけがない。
そう自分にいくら言い聞かせていても、頭に浮かぶ漠然とした不安は立ち消えることがなかった……