「はー、せっかくなんでも作ってあげるって言ったのにさ」
「なんだ、不満だったか?」
「そうじゃないけど」
俺と並び歩く花琳は先ほどからこのような、文句とまでは言わないまでも、俺に対する不満めいたことを言い続けている。
今、俺たちは昼食を終え、目的のショッピングモールへと向かう最中だ。
「でもさぁ、よりによってうどんだなんて。おじいちゃんかっての」
「いや、ちょっと食欲が失せる出来事がな……」
あんな物を見た後では、とても食欲など湧いてくるものではなかった。
結局俺は、それでなんとか入りそうなものとして、素うどんを花琳にリクエストしたのだ。
これには妹も随分な肩透かしを食らったようで、昼食を食べている間、ずっと仏頂面を崩すことはなかった。
「なにそれ。――ま、いいや。それより、なんでまたあんな遠いとこまで行こうっての? 別に学校の近くにある店でいいじゃん」
「あの店小さいからな、品揃えがイマイチなんだよ。あそこのモールの中にある店ならデカいしな。それにせっかくの休日なんだ、他の店も色々見て回ろうぜ。それともなにか、勉強が忙しくてんなことしてる暇なんかないか?」
「んっ……そんなこと、ないけど」
「なら――ん? お前、まだそのバッジ付けてんのか」
「えっ? あ、うん……まぁね」
妹が肩から下げている鞄を見つつ、俺は言う。
彼女の鞄には、大小様々なバッジが取り付けられている。
その量ときたら、下の生地が見えないほどだ。
俺が目を止めたのは、その中の一つ――大量のそれらの中で、一際異彩を放っているものに対してだ。
表面に描かれている塗料が所々剥げ落ちた、一目で古いものと分かるそれは、俺がその昔、何かがきっかけで妹にやったものである。
もはやそれがいつだったか、やった本人でさえ記憶にない。
「ていうかお前、どんだけ鞄にバッジ付けてんだよ」
「しょーがないっしょ、今どきの女子中学生の間で流行ってんだよ。それに、あたしはほとんど買ってないし。後輩の子たちがやたらくれるんだよ……断るのも悪いしさぁ」
「そりゃあなんとまあ、随分とおモテになることで」
「うっさい!」
ヤンキー然とした外見とは裏腹に、花琳は勉学、そして部活動にも真面目に邁進するタイプである。
その才は、二年の時点で所属する女子陸上部の部長という肩書きを得たほどだ。
三年生の今、既にその部活の方は引退しているが、にもかかわらず学校内での花琳の人気は高いようである。
告白された経験は両の指では足りないほどだそうだ。
しかし、にも関わずこれまで妹に彼氏が居たなどという話は聞かない。
詳しく聞いてみると、どうやら告白してきた者たちというのは殆どが女子生徒であったらしい。
「ほんっとにさー……何考えてんだろうね。同性同士でどうしようっての」
「俺にはとんと分からない話だな」
「兄貴はぜんぜんモテないもんね~」
「やかましいわ! 俺だって――……」
彼女はいないが、仲のいい女子くらい居る。
俺はそう言いかけたが、すんでのところで思いとどまった。
それら女子が誰かと言えば、鈴埜――はそう言うには微妙だし、だとすると残ったのはラピス、それにミナの二人しかいない。
……たった二人、それも幼女が。
自信満々に口にするにはあまりにも情けないというか、言うだけ自分の恥にしかならぬような情報である。
「どしたの、兄貴。なんか言いかけた?」
「……いや、なんでもない。そうだ、それより花琳、この山ん中に神社があるの知ってたか?」
若干自分の情けなさに気落ちしかけたが、俺は気持ちを切り替えて話題を逸らす。
ちょうどタイミングのいいことに、例の場所に差し掛かったこともある。
果たして俺がど忘れしてるだけなのか、妹にも聞いておきたかったところだ。
「――へ? いやいや、そんなのなかったっしょ」
「……だよなぁ、お前もそう思うよな。けどほれ。見ろよ、これ」
がしかし、やはり花琳の記憶にも無いらしい。
俺は例の神社へと続く山道を指差すと、花琳は驚いた風でそこを見た。
「あれ、こんなとこに道なんてあった?」
「だろ? 俺も同じこと思ったよ」
「ええ~……なんなんだか気持ち悪いなぁ。どこに繋がってるんだろ? 兄貴、確認してみた?」
俺は数日前に見たことについて、その凡そを語る。
「マジなの、それ……? 怖すぎるでしょ。どこのホラー映画だっての」
「ああ、正直俺も二度と行きたくないな」
「ていうかさあ! そんなことがあったのになんでまたここ通るのさ!? 下道行けばいいじゃんか!」
「いやぁ、まあ下道だと遠いし――それに」
「それに?」
俺がわざわざこの道を選択したのは、ミナの存在の有無を確認することにあった。
いつもここを通る時間帯からは大分早いが、何故だか俺には、あの少女が今この瞬間でもここで待っているような気がしたからだ。
とはいえそれは流石に杞憂に終わったようである。
俺はそのことを確認し、つい花琳にミナのことを口に出しそうになってしまった誤魔化しをしようと、更にきょろきょろと辺りを見回す。
「……あーいや、えーっと……おっ?」
「どしたの兄貴?」
「なんだお前、まーた降りてきたのか」
例の神社へ続く道、その奥から、一匹の獣が姿を現す。
もちろんそれは言うまでもなく、例の狐である。
歩みに若干の躊躇が感じられるのは、隣に花琳がいるためだろう。
だが結局、狐は俺の足元にまでやってきた。
「ほーれほれ、いい子だいい子だ」
俺は先日のように、そいつの頭をぐりぐりと撫でる。
狐の方ももちろん拒否するような素振りなど見せず、されるがままになっている。
そして、そんな俺たちの様子を見る花琳は。
「あ……兄貴。なんなのそれ」
一歩足を引かせ、当惑した声を出した。
「この山に住み着いてるみたいでな。やけに人懐っこいんだ、お前も触ってみるか?」
「ええ~……噛まない? てか大丈夫なの、病気とかさぁ」
「ちゃんと手を洗やへーきだろきっと」
「適当だなぁ……でも、確かにちょっとカワイイかも」
先日のように腹を見せて、とまではいかないまでも、狐は目を閉じながら喉を鳴らし、いかにも気持ちよさげにしている。
その様子を見た花琳も、少なくとも噛まれるといった危険はないと判断したのだろう。
花琳は恐る恐る手を伸ばす。
すると、狐は一瞬ビクリと身を竦ませると、こちらに伸び来たる指に視線を向けた。
この素早い動作に、花琳も伸ばしかけた手を止める。
「ちょっ、ホント大丈夫なの?」
「うーん……ほら、こいつは俺の妹なんだ。噛みついたりすんなよ」
言葉が通じるはずもないが、俺はそう口に出す。
狐は中空で留まったままの花琳の指先まで鼻先を持っていくと、ふんふんと匂いを嗅ぎだした。
この次の瞬間にも、いきなり噛みついたりはしないだろうか。
俺も花琳も、同じような心境であったろう。
――が、しかし。
「ひゃっ」
そのような悪い予感は見事に外れた。
狐は舌を出し、軽く彼女の指を舐めたのである。
この行動に花琳は軽く声を上げたが、そのまま指をぺろぺろと舐め続けている狐の様子に警戒心も薄れたようだ。
「なんなのこいつ~、超人懐っこいじゃん!」
「だろ?」
打って変わって黄色い声を上げる妹は、先ほどの俺のように狐を撫でている。
狐の方もやはり先ほどと同じように、喉までも鳴らしつつされるがままになっていた。
そしてそのまま暫く、俺と花琳はこのオレンジ色の毛玉を撫でることに熱中していたが、この途中あることを思い出した俺は、気を見計らい花琳にそれを聞いてみることにする。
「なぁ花琳、お前さ、こいつを俺が飼ってみたいっつったらどうする?」
「えっ? う~ん……あたしがどうこうっていうか、母さんたちが何て言うかじゃない? あたしは別にいいよ?」
「だってよ。聞いたか? どうなんだお前の方は?」
そう悪くない返答を貰った俺は、次いで本人の方に聞いてみる。
言葉をかけられた狐は顔を上げ、俺をじっと見つめていたが。
「あっ、おい」
不意に狐は踵を返すと、山の中に戻っていってしまった。
「お気に召さなかったみたいだね」
「単に飽きたんだろ。あいつに俺たちの言ってることがわかるわけもねえ」
ま、別に俺も無理強いする気はない。
ただあいつ、いつもこうして頻繁に山から道路まで降りているとなると、またいつ以前のように怪我をすることやら。
そうした心配からきた俺のこの考えであったのだが、本人がお気に召さないのならば、それは仕方がないことだ。
野良としての矜持か何か知らないが、まあ何かあいつにも考えがあるのだろう。
俺たち二人は、元の歩みを再開することにした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「はー、久々に来たけどやっぱ人多いね」
「そりゃ土日だしなぁ」
モールに付いた俺たちは、ごった返す人の多さに若干の辟易を覚える。
俺たちの住む町は田舎――とまでは言わないまでも、決して都会と言えるほどの規模ではない。
そのような中堅都市にあっては、こうした巨大ショッピングモールというのは、休日に出かけるには絶好の施設なのだ。
……まあ、地元の商店街が寂れる原因にもなっているのだが。この辺は全国共通だな。
「しかしほんと、気が早いよな。まだ12月に入ったばかりだってのに」
俺は通りがかった店の軒先にある装飾を見ながら、花琳に水を向ける。
「ん? ああ、クリスマスね。そういうもんでしょ、こういうとこはさ」
気が早いもので、まだ二週間以上先だというのに、もうクリスマスイルミネーションがなされている。
見れば、それはその店だけの話ではなく、モール全体がそれらしい装飾で満ちていた。
そうした明るい装飾を見つつ、俺はぽつりと呟く。
「……あいつの世界にもあったのかね、こういうイベント」
全く同じものはなかっただろうが、似たようなものはあっただろう。
下界を覗き見れるあいつも、そうしたイベントの存在自体は知っていたはずだ。
だがそれらの楽しげな催しを、ただ見ていることしかできないというのは、一体どんな気分なのだろう。
……それも、ただの一人でだ。
愚痴を言い合う相手すらおらず、指を咥えて見ていることしかできないというのは――
「なに兄貴、なんか言った?」
「……いいや別に。それよりほら、着いたぞ」
妹の言葉に我に返った時、ちょうど目的の文房具屋に到着したところだった。
……ま、あいつも最近はそれなりに頑張ってるみたいだし、クリスマスに何かしてやるかね。
「なぁ花琳。最近の中学生ってよ、どんな文房具使ってんだ?」
「へ? 別にてきとーじゃない? なんで?」
「そうか。いや別に、ちょっと聞いてみただけだ」
ノートを見に行った花琳とは一旦別れ、俺は筆箱やシャーペン等が陳列されているコーナーへと向かった。
「……こういうのじゃないよなあ。あいつっぽくない」
キラキラとした星が描かれている筆箱を、俺は陳列棚に戻す。
あまり変なものや派手すぎるものを選ぶと、あいつが学校で馬鹿にされたりするハメになるかもしれない。
世のお父さん達はこうした悩みを抱えているのかと思いつつ、俺は次々と商品を手に取っていく。
長いこと悩んだ挙句、結局俺は合皮製の、どこにでもありそうなペンケースを選んだ。
「まあ別になんでもいいか。シンプルで使いやすそうなので――……ん?」
ふと横を見ると、今いるペンケース売り場の横は、ワッペンなどをはじめとした多種多様な雑貨売り場になっている。
そしてやはり、こういうものは専ら女子が買うものなのだろう。
売られている物々のデザインは、如何にも女子ウケがしそうなものばかりだ。
俺はそんなファンシーな雑貨の中で、あるものを発見した。
「まだあるのか、このアニメ」
俺はその中から、一つのキーホルダーを手に取る。
チェーンの先には、動物のようなキャラクターが描かれたアクリルが繋がっている。
そのキャラクターは、昔俺が花琳にやったバッジ、それに描かれているものと同じものだ。
恐らくシリーズ化して今の今まで続いているのだろう。
「……」
その後、取り急ぎ必要になりそうなものをまとめて購入した俺に少し遅れて、花琳もまた会計を済ませた。
一応の目的を終わらせた俺たちはそれから、特に目的もなくモール内を見て回っていたが、それもひと段落した今、フードコートで小休止をしている。
花琳はそこで買ったコーヒーを口にしつつ、俺に声をかけてきた。
「それにしても兄貴、随分一杯買ったんだね」
「ああ、いい機会だったからな。お前は結局ノートだけか? それにしちゃ時間かかってたじゃないか」
「いやー、あたしもさ、せっかくいつもと違う店にきたんだからいつものとは違うのにしよっかなー、とか思ったんだけどね。でもやっぱり同じのにしたよ。どうせノートなんてどれも大して違わないしさ」
「ま、それもそうだな。しかし俺に付き合わせてこんな遠いとこまで、悪かったな」
「ん? 別にいいよ。どうせ他に予定もなかったし、それに……」
「それに?」
「……ん、なんでもない」
花琳は何か言い淀んだ様子を見せたが、俺も別にしつこく食い下がるつもりはない。
「そっか。……で、まあ、それの礼ってわけじゃないんだけどな。――ほれ、これやるよ」
「へっ……? え、これ……」
「お前好きなんだろそれ。まだ俺がやったの付けてるくらいだもんな」
俺はラピスのものとは別に、例のキーホルダーも一緒に購入していた。
無理を言ってここまで付き合わせたのだ、これくらいはしてやって然るべきだろう。
それにどんなものであれ、あげたものを長いこと大事にしてくれているというのは、それをやった者にとり気分のいいものだ。
「……やっぱバカだよね、兄貴って」
が、礼の代わりに花琳は、微笑と共にそんなことを言い出す。
その笑いがどんな意味を持つのかは謎ではあるが、喜ばれるとばかり思っていた予想が空振りに終わり、俺はむっとする。
「ああ? なんだよ、いらなかったのか」
「ううん、貰うよ。ありがとね」
「え……お、おう」
てっきり挑発的な返しが来るとばかり思っていた俺は、今度こそ素直に感謝の礼を述べた花琳を前に、少々戸惑ってしまう。
「あれ? 部長?」
と、どうも気まずいような、面はゆいような、そんな気分になってしまった俺の耳へ、聞きなれぬ声が届いた。
「ん」
「へ?」
「あー! やっぱ部長じゃないですかー!」
未だ声変わりが終わっていない、子供特有の甲高い色を残す声。
その音の主へと目を向ければ、そこには一人の女子の姿があった。
ショートカットの髪そして、日に焼けた健康的な肌色をしたその女子は、俺ではなく花琳の方を見ているようだ。
「あれ、杏奈じゃん。なに、家この辺だったっけ?」
「そうですよー! もう、忘れちゃったんですか?」
どうもこの二人は顔見知りらしい。
俺は訳知りらしい花琳に、突如として現れた彼女の仔細を問う。
「……花琳、この子は?」
「ああ、ウチの部――ま、あたしはもう引退してるけど。そこの後輩だよ。あ、杏奈これ、ウチの兄貴ね」
「あーっ! この人が部長がいつも言ってたお兄さんですねっ!」
……声がでかい。
目の前にいるのだから、なにもそこまで大声を張り上げなくてもよさそうなものだ。
それともこれが地の声量なのだろうか。
「あー……うん、こんにちわ。……って、ん? いつも?」
「はい! 部長ってば、学校では何かあったらすぐお兄さんの――」
「杏奈ちょっ、ストップ! ストーップ!!」
「もがっ!?」
目に追えぬほどの速さでもってして、花琳は椅子から立ち上がり彼女の口を塞ぐ。
花琳の顔には、いつの間にやら脂汗がじっとりと滲んでいた。
「……ちょっと兄貴、そこで待ってて」
「お、おお……」
そう言うと、花琳は杏奈というらしい後輩女子を、文字通り引っ張ってどこかに消えてしまう。
俺はといえば呆気に取られ、どうするでもなく手元の飲み物を飲んでいることしかできないでいた。
彼女らが戻ったのは、時間にして優に十分を越えたあたりであった。
そうして戻ってきた花琳の顔は優れず、代わりに後輩の顔は眩いほどに明るい。
「なんだ、随分長かったな」
「……あーうん、ちょっとね。それより兄貴、あたしこの後ちょっとこの子に付き合ってやんなきゃなんなくなってさ」
「うん?」
「部活で使う備品についてアドバイスが欲しくて! 丁度この中に店もありますしっ!」
「ああ、そういうことか。別にいいんじゃないか? 俺たちの用事も終わったしさ」
「ありがとうございます!」
この大声にも耳が慣れてきた。
きちんと礼が言えるあたり、どこぞの年だけ重ねた死神なんぞよりよほど上等である。
「ったくほんとに……。で、兄貴はどうする? 一緒に来る?」
「う~ん……長くなりそうか?」
「どうだろ……ちょっとどうなるか分かんないかな」
「そうか。だったらとりあえず俺は先に帰っとくよ。俺じゃ何の役にも立たないし、あんま俺を待たせるような形だとその子も気まずくなんだろ」
そう言い、俺と花琳はここから別行動を取ることになった。
別に彼女らに付き合ってもよかったのだが、俺にはこの後一つやることがある。
一度家に帰ってからにしようかと思っていたが、こうなってみれば、あの後輩ちゃんはいい機会を作ってくれたと言える。
「さって――と……」
時間は一六時ちょうど。
いつもの時間よりは少々早いが、一応俺は様子を見に行くことにする。
昼間は姿が見えなかったし、他に用事でもできたのかもしれない。
それならそれで構わないと思いつつ、例の山道へと再び顔を出してみれば。
なんとなくそんな気はしていたが、やはりそこにはミナの姿があったのである。
食当たりで二日ほど入院しておりました。
皆様もこれからの季節、よくよくご用心してください……