「おにいさん、こっちこっち!」
「おい、ホントにいいのか?」
「だいじょうぶだよっ!」
嬉しそうに声を弾ませるミナは、俺の手を引き先へと誘う。
いつものように顔を合わせた後、前のようにどこかに出かけるかと俺は提案したが、ミナには他に案があるのだという。
彼女曰く「今日は他に誰もいないところでおにいさんと遊びたいのっ!」とのことである。
まあ別に、それはそれで構わない。
駄菓子屋程度であれば出ていく金は微々たるものだが、それでもここ最近の出費を考えると、あまり金を使うことはしたくない。
ミナが自分の分は自分で払うなら別なのだが、あのことを思い出すにどうもそれはありそうにない。
もっとも、彼女自身はそうするつもりではあるのだろうが。
「ミナお前知ってるのか? この先に何があるか」
「うん! いつもそこで遊んでるの!」
「……マジか」
俺がそう言って息を吞んだのも無理からぬこと。
ミナと俺は今、例の神社へと続く山道を歩んでいるのである。
俺が彼女くらいの年なら、あんな場所を見つけたら夜も眠れなくなること請け合いだ。
それを遊び場にしているとは、意外と肝が据わっている。
……いや、逆にこのくらいの年のほうがワクワクするものなのかもしれない。秘密基地的な。
「着いたよー!」
随分と早く着いた気がするな。
前はもっと長く歩いていたように思うが。
俺の目の前には、例の朽ち果てた神社がある。
相変わらずまだ日は高いというのに辺りは薄暗く、まるでこの空間のみが隔離されているかのようだ。
正直あまり長居したくないと言わざるを得ないが、期待と興奮に満ちた様子のミナを見ていると、とてもそんなことは言い出せない。
「ああそうだな。でもよ、遊ぶったってどうすんだ? 鬼ごっこでもやんのか」
「それもいいけどね、まずは中で遊ぼっ!」
「は? 中ってお前、どういう――おいっ!?」
からころと足音をさせ、ミナは神社に走り寄っていく。
どうするつもりなのかと様子を伺えば、なんとミナは建物の入り口――小さな神社だ、恐らく本殿に当たる場所だろう――に手をかけ始めたのだ。
いくらこんなボロボロの状態とはいえ、罰当たりにもほどがある。
「ミナ、おまっ」
「おにいさんもはやくー!」
止めようとするも既にミナは入ってしまっており、中から俺を呼ぶ声がする。
仕方なし、俺も彼女に続き中に入らんと、立て付けの悪くなった扉を左右に開いて中を一瞥する。
「おうっ……」
短く一言、俺はくぐもった声を上げる。
中は六畳ほどの広さで、この部屋がひとつだけという構造のようである。
薄暗い中で、祭壇らしきものがまず俺の目を引いた。
何らかの木でできたそれは簡素な三段重ねの構造になっており、一段目二段目共に草花が備えられている。
そして三段目には、黒い桐箱がひとつ置かれていた。
「……ミナ、やっぱ外にしとかないか?」
声が若干震えてしまったことを責めないでほしい。
内部も外観に負けず劣らず――いや、それ以上に不気味過ぎだ。
俺は幽霊やなんかを信じていなかったクチだが……なにしろ死神という超常の存在を目にした俺だ、考えを改めざるを得ない。
そうして明らかに狼狽する俺に対し、ミナはきょとんとした顔を見せた。
「どうして?」
「どうしてもこうしても……こんなうすらおっそろしい場所じゃなくてさ、それこそどっかの公園とかでも――……ミナ?」
「むううう~っ」
何故かミナは頬を膨らませ、これまで見せたことのない拗ねた表情をする。
……なんだか、朝にもこれと似たような顔を見た気がするな。
「どうしてそんなこと言うのおにいさん! ここはね、わた……じゃなくて、すっごく偉い神様が守ってくれてる場所なんだから! 全然こわくなんてないのっ!」
「え、ええと……う~ん……」
途中どもることはあれど、ミナは口早に捲し立て続ける。
「確かに
「わ、分かった分かった……けどミナ、なんだお前がそんな必死でここを庇うんだ。なんかあんのか?」
「んっ……、う、ううん。そういうわけじゃないけど……」
俺のこの質問に、何故か急に彼女の勢いがトーンダウンする。
こうまであからさまにしょげ返られると、まるで俺が虐めているようで気分の収まりが悪い。
仕方なし、俺は覚悟を決めた。
「はー……しゃーねーな。まあ子供が平気にしてんのに高校生の俺がいつまでもビビってるわけにもいかないか」
「!」
「よ――……っと。なんかギシギシいってるけど、ここの床大丈夫なのか、ほんとに」
二歩ほど中に足を踏み入れた俺は、木張りの床へと腰を下ろす。
すると、次いで俺の目の前に同じように座ったミナが、元気一杯に歓迎の言葉を述べてくれた。
「ようこそおにいさんっ! ゆっくりしていってね!」
「へいへい、どうもお邪魔しますよ」
適当に返事を返した俺は、改めて辺りを見回す。
光源が一切無い内部は薄暗く見通しが悪いが、それでもおおよその様子くらいは分かる。
随分と殺風景な本殿だ。あの祭壇以外、あるのは目の前にある小振りな机くらいだ。
「しかしあの祭壇の他に何も無いぞ、ここ。 一体何して遊ぶつもりなんだ」
「待ってておにいさん。今持ってくるの!」
言って、ミナは立ち上がり祭壇の方へ足を向かわせる。
そして手慣れた所作で祭壇に置かれた桐箱の蓋を開け、なにやら中をごそごそとやりだした。
「ええとぉ、確か奥の方にあったはずなの……これじゃなくて……」
「……ん?」
箱を探っているミナから一旦視線を外すと、部屋の隅に何か白っぽいものが見えた。
丁度そこは机の陰になっており、我ながらよく気付けたものだと感心する。
腰を移動させ近付いてみれば、それは平坦な白い皿であった。
皿の上には草や木の実、それに何らかの虫の破片らしきものが混ざった残骸が載っていた。
最大限良く言えばおままごとの後、正直に見た目通りの感想を述べれば単なるゴミの山である。
それだけならば、俺もそこまで興味を引かれることもなかったかもしれない。
それらゴミの中には、いくつか人工物らしきものが混じっていた。
「あれ、これ……」
俺はその中の一つを拾い上げる。
それは何かの包装紙――駄菓子の袋だった。
この袋には見覚えがある。
そう、これはついこの間、彼女が買っていたものと同じ――
「あーっ!!?」
背後から絶叫が響く。
振り向けば、何かを手に持ったミナが驚きの表情と共に立っていた。
「おっ……おにいさっ、こっ、これは違うのっ!」
「おおっ!?」
手に持っていた袋を投げ出したミナは、俺の手に持っていたもの、次いでゴミの乗った皿をひったくる。
彼女の顔は真っ赤に上気させ、汗をダラダラと流したその姿は、まるで隠し持っていた物を親に発見された子供のようだ。
「ミナ、えーっと……」
「これはなんでもないのっ! 偶然落ちてただけなの! おにいさんも忘れてほしいのね!」
「え……あ、ああ、うん」
互いの鼻先が触れるほどにぐいと迫って捲し立てる彼女の勢いに飲まれ、俺はつい首を縦に振ってしまう。
ミナはそれを持って一旦部屋から出ていった後、暫くしてまた戻ってくる。
「はい、じゃあ今度こそ遊ぼうなの!」
「おお……」
笑顔を作ってはいるが、彼女の顔には少しばかりの焦りの色が混じっているようにも思えた。
殊更に大声を出しているのも、どうもいつもの調子に比べると少し演技めいて聞こえなくもない。
しかしそんな俺の疑心を知ってか、あるいは知っていて無視しているのか、ミナは先ほど放り投げた袋を再度手に取る。
唐草模様の袋が彼女の手によって開けられると、いくつかの雑貨らしきものが姿を現す。
「これなら部屋の中でも一緒に遊べるの!」
と、ミナはその中の一つを手に取りながら言う。
彼女が手に持っているのは、小石程度の大きさに丸められた布製の球。
俗に言う、お手玉というやつである。
「おにいさん、これは嫌い? ほかのにする?」
改めて確認すれば、袋の中に入っていたものはすべて、子供用の玩具の類である。
それらは総じて古めかしく、相当の年月が経っているであろうと思われる代物ばかりだ。
第一、おおよそ今どきの子供が遊びそうなものではない。
おはじきや千代紙、あやとりに加え、あの日本人形は人形遊びにでも使うのだろうか。
カードらしきものは、どうやら花札のようだ。
携帯ゲームの類など一切見受けられない。
「そこまで服の印象と揃えなくてもよさそうなもんだ……」
和服に下駄といういで立ちの彼女には、ゲームなどより余程しっくり来るのは確かだが。
「へ? どうしたのおにいさん?」
「いいやなんでもない。それでいいぜ。でも俺はお手玉なんてやったことなくてな、ミナは上手いのか?」
「もちろんなの! ずっと一人で遊んでたからすごく上手なの! ミナがおにいさんに教えてあげるね!」
ずっと一人で、という言葉が妙に引っかかったが――ともあれ。
俺はそれからミナと、それら様々な玩具を使って遊んだ。
言うだけあって実際ミナの腕は確かなもので、あやとりなどは某国民的アニメの主人公を思わせるほどだった。
そうして遊び続けて約一時間半ほど。
小休止がてら俺とミナは部屋から出て、神社の軒先に腰かけている。
「たのしかったーっ!」
「俺もだよ。意外と面白いもんだな、ああいうのも」
人間慣れというのは恐ろしいもので、ミナと遊び続けているうち、中の不気味さもそう気にならなくなっていった。
なにより、彼女がまるで恐れないのだ。俺にもそれが伝播したのだろう。
「しかしよ、お前いつからここで遊んでんだ? あのおもちゃも、あそこにあったのか?」
「うん、そうだよ」
「そうか」
勝手に落ちてるものを使うのはどうなんだとか、そういった説教くさいことを抜かす気はない。
が、これだけは年長者として言っておかねばならないだろう。
「けどな、やっぱ女の子が一人でこんな深い森の中でってのはやっぱダメだと思うぜ。来るにしても次からは誰か友達でも誘えよ」
「……」
そこまで言ったところで、ミナからの返事が途絶える。
視界に映る彼女の表情には、それまでになかった影が足を下ろしていた。
「ミナ?」
「いないの」
「……え?」
「仲のよかった子たちはみんな、遠い所にいっちゃったから」
……どういう意味だ?
学校でハブられてるとか、虐められているとか、そういう風ではない。
仮にそうであるならば、『遠い所へ行った』などという言い回しはしないはずだ。
「それよりおにいさん、ミナもいっこ、聞いてもいい?」
「うん? なんだどうした」
「おにいさん、前にこの山で狐に会ったって言ってたよね」
「ああ」
「それに、飼ってあげようかなって」
「ああ、言ったな」
「……」
再びの沈黙を挟んで。
「おにいさん」
「なんだ」
「もしその子を飼うことになったら、おにいさんは大事にしてくれる?」
「そりゃ――まぁな。一度飼うってなりゃ、もちろん責任ってもんがある」
「……途中で飽きて、捨てたりしない? その子を置いて、どこかへ行ったりしない?」
彼女の目は真剣そのもので、場合によると今にも泣き出してしまいそうな雰囲気すら漂う。
単なる話のタネのひとつ――という雰囲気ではない。
不思議に思いつつも、俺もまた真剣な表情になり彼女に応える。
「ミナ、俺がそんな奴に見えるか?」
「……ううん、見えないよ。けど、その子も不安だと思うの。せっかく寂しさに慣れたのに、もし、また……」
「安心しろって。まあまだ親の了解も取ってねえけど、そうなったら死ぬまで面倒見てやるさ」
「……ほんと? ほんとに?
「随分疑うんだな、そんなに信用ないか」
「じゃあ、ミナと約束しよ? その子と
どうしてここまで必死になるのか。
実は無類の動物好きだとか、そういうことだろうか。
ミナは片手を上げ、小指を一本立ててみせた。
「約束。指きり」
「……おう」
――まあ、そんな気にするほどのことでもないか。
互いに小指を絡ませ、俺たちは約束を交わす。
すると、ミナは小さく笑い声を上げる。
「……ふふっ」
「どうした」
「なんでもないよ、おにいさん。じゃ……戻って続き、しよ?」
「いいけど、もう遅くなるしあとちょっとだけだぞ」
ミナは、今日一番の喜色に満ちた声で。
「はいなの!」
聞きなれた返事を返したのだった。