扉をくぐれば、果たして元の山道に出ることができた。
先に到着していたラピスは、俺が妙な顔をしていることに言及しようとしたが、俺は膀胱の限界を理由になんとかその追求から逃れた。
山を下り、最も近いコンビニで用を足した後、俺は元の場所へと足を急がせる。
生理現象ゆえ仕方がないとはいえ、あれらを二人だけにしておくのはまずい。
……そして案の定。二人の間には険悪な雰囲気が漂っていた。
俺は二人に見つからないよう山へ一歩入り、手頃な木の後ろから遠巻きに様子を伺う。
「こむすめ。扉から出てきた我が君の表情が優れなかったように思えたが。まさか貴様、またぞろ小賢しい真似を仕出かしたのではなかろうな?」
「ええ~? ふふ……なんのことだか分からないのね?」
「……言うておくがな、わしは貴様を許したわけではない。我が君の天より高き慈悲の心あってこそ、今貴様は生き永らえていることを忘れるな。態度には気を付けるがよかろうぞ」
「ふぅん、随分と上から目線なの。ミナよりずっとお子様のくせに……くすくす」
「なっ……! 貴様、いい加減に――」
「はいはいそこまでそこまで!!」
たまらず俺は二人の間に割って入り、今にも戦闘を再開しそうな両者を止める。
……ちょっと目を離しただけでこれである。
この分では、この先も随分と気を揉むことになりそうだ。
「ミナ、お前もこいつを煽るのは止めとけ」
「う~ん……分かったの。ご主人の言うことだもんね! ミナはおりこうさんだから!」
「よしよし、いい子だぞ」
頭を撫でられ、ミナはご満悦の様子である。自分からもぐりぐりと頭を擦り付けるその様子は、まるで犬のようだ。
さらには猫のように、ぐうぐうと喉までも鳴らさせている。
全く、犬なのか猫なのか、それとも狐なのか……。
もっとも神様なのだ、そういった括りにすらないのかもしれない。
「むむむ……!」
ラピスは一人、面白くもなさそうな顔をしていた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
その後、俺たちは例の神社へと到る。
「なるほど、ここで汝はわしに隠れてこむすめと密通しておったというわけじゃ」
手始めに俺に対する嫌味から入るラピス。
しかし返す言葉もなく、俺はただ黙っているほかない。
「しかし解せぬの。確かにこの場には人ならざる者が発する力が漂っておる。わしともあろう者がこれまで気付かなかったとは……」
「やっぱそうだよな。お前もあの時、この場所どころかここへの入口すら気付かなかったもんな」
「うむ。いくら我が力が弱まっておるとはいえ、かようなことがあろうはずがない」
「ミナもね、それはずっと不思議に思ってたの」
ミナが言う。
「いままでずっと、ここは他の人の目には映らないようになってたはずなのに……。この場所だけじゃないよ。ミナ自身だってそう。だからあの時ご主人がミナを見つけてくれたこと、本当に驚いたの」
「見つけて?」
「うん。ミナはね、人間さんたちの目には映らないの。おかあさんが
俺は彼女からこれまで何度か、母という言葉を耳にしていた。
どうも口ぶりからするとかなりの力を持っていたようだが、当の本人は今どこにいるのか。
彼女がこうもみすぼらしい格好をしているところから察するに、今はここに居ないだけのか、あるいは……。
「ふぅむ、なるほどの」
とここで、ラピスが口を開く。
「ラピス? 何か気付いたのか?」
「憶測に過ぎぬがの、まあ凡そは外してはおるまい。恐らくはそれもまた術者の細工の一つであろうな。こむすめの命が危機に瀕しておったことが引き金となり、この場を覆っておった結界が薄れたのであろう。誰ぞがこむすめを助けることを期待して、の」
「そんなタイミングで俺たちが通りかかったってわけか。えらい偶然もあったもんだな……」
「しかしそうだとするなら、あの時より結界は既に破られておるはず。わしもここのところ何度もこの場を往復したが、ついぞ気付かなかった。じゃというに、我が君には視認出来ておったという。こは如何なることじゃ?」
「それはね、ご主人覚えてる? ミナがご主人に渡したお米のこと」
「――ん? ああ、あれか」
もちろん覚えている。
飲んだ瞬間、とてつもない吐き気に襲われたことも。
「あのお米にはね、ミナとの繋がりを強くするおまじないがかけてあったの。全部食べてくれた?」
「ああいや、まだ一粒しか……」
「やっぱり。だめだよご主人。そのせいで助けに行くのが遅れちゃったんだから。強めのおまじないだから一日ひとつぶって言ったけど、ご主人は普通の人間さんじゃないっぽいし、大丈夫かな。後で残りも全部食べるのね」
「あー……うん、いや、それは……」
またあのような体験をする羽目になると思うと、返事も濁したものになってしまう。
「ほっほぉ~う……?」
そしてまたもラピスは口を開くと、俺をジロリと睨み付けた。
「何処の誰とも知らぬこむすめに出されたものをホイホイと口に入れたと。そういうことじゃな?」
「あ、いやでもだな、あの時はまさかミナが――」
俺が言い訳を口にしようとした瞬間、ラピスは
「愚か者っ!! そういうことを言うておるのではないわっ! そなたは何度軽率な行いを繰り返すつもりじゃっ!! 今やそなたは人ならざる存在。
「……」
一言一句、ぐうの音も出ない正論である。
俺は身を低くしてラピスの叱咤を甘んじて受けるほかなかった。
そして、たっぷり五分ほどもお叱りの言葉を受けた後に。
まだラピスは言い足りぬ様子を見せていたが、
「はぁ……はぁ……まあよい。続きは帰ってからじゃ。ほれ、さっさと去ぬるぞ」
言って、俺の手を取り引き返そうとする。
――が。
「……なぜ貴様も付いてきておる」
俺のもう片方の手はミナがしっかと掴んでおり、ラピスは忌々しげに彼女を見た。
「ん? 帰るんでしょ?」
ミナはさも当然とばかりな顔をして言う。
「……
「な、なにかな?」
ラピスはミナから視線を外し、じろりと俺へ視線を向ける。
「そなたから言ってやれ。わしらの愛の巣に畜生など不要とな」
彼女の視線には甚だしい圧があり、ここで下手なことを言えば、全てはご破算になる予感をひしひしと感じる。
しかし、そうと分かっていても俺はこの言葉に素直に応じることはできない。
仮にそうしてしまえば、また違う方面での面倒が起こるであろうことは想像に難くないからだ。
それに、俺は既に約束をしてしまっている。
「えーっと、その……なんだ……。その、確かに飼うって言っちまった以上、それを反故にするってのは……」
「リュウジ?」
言い終わるのを待たず、ラピスは俺の名を呼ぶ。
「わしが今、どう思うておるか当ててみよ」
俺に問う彼女の表情は、深みのある笑顔を浮かべていた。
「……怒ってる」
「うむ、当たりじゃ」
さらに笑顔が深くなる。
「ならばこれ以上わしの機嫌を損ねることは双方にとり得策ではない。それも分かるな?」
「う……その、なんだ……」
言葉を濁しつつ、俺はうまい躱し手を模索する。
そして俺にしては珍しく、すぐにある言い訳が頭に上った。
「……ラピス。俺たちは例の連中に追われてる身なんだよな」
「……そうじゃが?」
「加えて、お前の力もまだまだ元に戻ってない。そうだよな」
「う、うむ?」
「そこでだ。さっきの戦いを見てても思ったが、そんな状態の俺たち的に考えると、ミナはいい助けになりそうじゃないか?」
「む、むむむ……」
即座に否定しないのは、ラピスも内心、ミナの力を認めているということだろう。
「それにずっとって訳じゃない。あくまで力が戻るまで、だ」
「……ご主人?」
この俺の言葉にミナは反応するが、俺は目でそれを諫める。
ミナは見た目から受けるイメージよりもずっと聡いようで、俺の意図するところを察したのだろう、それ以上口を開くことはしなかった。
「な、ラピス。これは俺たちの――いや、お前のことを案じてのことでもあるんだ。不満もあるかもしれないが、そこはなんとか我慢してくれないか?」
「……わしのことを思ってのことじゃと、そう申すのじゃな」
「ああ」
「……」
ラピスは無言で熟考する様子を見せる。
その間途中何度か頭を抱えたり、うんうん呻ったりと、様々な反応を見せていたが。
再び顔を上げたラピスは、達観したような顔になりつつ、いかにも渋々といった感じで口を開いた。
「ふぅ……仕方あるまい。確かにわしの力は未だ脆弱じゃ。こむすめ一人瞬時に滅せぬほどにな。……よかろう。――ただしっ!!」
語気を上げつつ、ラピスは続ける。
「そうするならば、いくつか規約を定めておく!」
びしりとミナを指差すと、ラピスは宣言する。
「こむすめ、貴様に対してじゃぞ! よいか、たとえこれより先共に暮らすことになろうと、序列はわしが上、貴様は下じゃっ! 自分の立場を弁えた上で振る舞うと誓うならば……本意ではないが、共に行動することを許そうぞ」
「んふふ、わかったの。ミナはおりこうさんだから、ちゃんと
「……」
どうも彼女の返答には、言外に含みがあった。
そのことはラピスも感じているのだろう、苦虫を噛み潰したような顔でミナを睨んでいる。
とはいえ、なんとかラピスの許しを得ることには成功したのだ。
ここは彼女の気が変わる前に行動を起こすべきだろう。
俺は二人を促し、帰路に付こうとするが。
「あ、ちょっと待ってなの! このままじゃミナ、山を下りられないのね。だから準備しないとなの」
「準備?」
「うん。それに
「……?」