「ふっざっけっんなよ、てめぇ!!」
「くかかっ! 今日はまた、昨日にも増して激しいのう! どうしたどうした」
三日目。
俺はもはや目覚めていきなりの光景に驚くこともなく、出会い頭から自称死神に怒号を上げていた。
それを受ける死神といえば、からからと笑い、まともに取り合う気など微塵も無さげである。
「どうしたじゃねえ! てめえ分かって俺をおちょくってやがるな!? 何のつもりであんな――」
「何をそう激高しておる? これも下界で人間どもの様子を窺っていて知ったことなのじゃがの。下界の男は誰もかれも女の裸体をなんとか見んとして、それはもう滑稽なまでに様々な工夫を凝らしておった。それとも何かの、汝の次元では珍しくも無いのかのう?」
「だから、俺が言ってんのはそういうことじゃ――」
「おお、ではあれか。わしの肢体が気に入らなんだか? ……いや、それはすまぬの。この世界での基準でものを考えてしもうた。汝には見苦しいものに映ったか。彼奴らの物差しからすれば、わしのそれは中々に悪くないものだと思っておったのじゃが」
俺の脳裏に、昨日の記憶がフラッシュバックする。
既に意識を失いつつあった瞬間であったので、記憶にある映像もボヤけてはいるのだが……。
下腹部にある鎌のせいで、そこから上までは確認できなかった――いや、別にそれが残念だとか言いたいわけじゃない……本当だぞ?
――あの艶のある、肉感的な小麦色の肌は、忘れようったって忘れられない。
悪くないどころか、それこそ金を払ってでも――じゃない!
脚を閉じていたため、股の
「――って、ちっがあああう!!」
「まこと、面白い男じゃのう。……おっと、そういえば汝の名を聞いておらなんだの。汝よ、名は何という?」
この状況でそんな話題を出すこいつの精神構造を疑いたくなったが、なんだかこのまま続けていても、俺がダメージを受け続ける羽目にしか
「……夢野。夢野竜司だ」
「ふむ? 姓はユメノ――でよいのかの。珍妙な名じゃな」
「お前の世界ではそうなのかもな。だけど俺のとこじゃそんな珍しくも無いぞ」
「ふむふむ。では人間よ、もそっと汝が世界のことを話すがよいぞ」
聞くだけ聞いといて、俺を名前で呼ぶことはしないらしい。
まあ、別にいいけどな。
「ところでお前のことは何て呼べばいいんだ」
「ん、わしは既に名乗ったはずじゃが? まさかわしの高貴なる名を忘れたとは言わぬじゃろうの?」
確か――なんとか……サナトラピスだっけか。
……うん。
「じゃ、ラピスで」
「きっさまー!!」
怒髪天を衝くとはこのこと。
それまで飄々としていた死神は、目に見えて憤慨し出した。
「神たる我が名を略すとは、な、ななな……なんたる不埒! 無作法! なんたる傲慢!! たかが人間の分際で、そのようなことが許されるとでも――」
なんだか急に早口になったな。
これはいいチャンスかもしれない。
この、人を舐めくさった態度の自称死神に灸を据えるまたとない機会だ。
「ああ、それでな、ラピス。俺の世界では――」
「☆!!%+@ーッ!!!」
狂声を上げるラピスを無視し、俺はなんの面白みも無い、普段の生活について話を続けていく。
最初のうちは俺の話など耳に入っていない様子だったが、そのうち諦めたのか、黙って俺の話に耳を傾けるようになった。
随所で相槌なども見せ、割合興味を引かれている様子である。
その様はあまりにも受け手として理想的であり、話す側としては、もっと話してやりたくなるものだった。
しかし、平凡な男子高校生にできる話など、多寡が知れている。
ついに話のタネが付きかけた俺は、そろそろ話を終わらせにかかる。
「……とまあ、こんなとこかな」
「え、も、もう終わりか? も、もそっと、もそっと話すがよいぞ? 遠慮するな、ほれ」
主人に餌をねだる犬――。
仮にも神と名乗る者に対して浮かばせるイメージとしては、あまりといえばあまりなものだが、それが頭に浮かんでしまったのだから仕方がない。
しかし、いくら異世界の話だとしても、なんの面白みも無い内容だと思うのだが――
「――な? な? 汝よ、ほれ、はようせい」
この顔を見ていると、自分の話術がとてつもなく優れているのではと勘違いしそうだ。
とはいえ、そう急かされてもすぐに話のネタが浮かぶはずもない。
ならばと俺は、今度は向こうにボールを投げることにした。
「俺ばっかじゃなくお前の話も聞かせてくれよ」
「――む? わ、わしか?」
俺の言葉を受け、女は呆けたような表情を作る。
「おお。何だっけ、冥府の王様とかなんだろ? そりゃもう俺なんかとは比べものにならないくらい、すっげえ話がいくらでもあるだろ」
「……」
何故か黙り込むラピス。
「おい?」
「……そんなもの、ありゃせんわい」
ぶっきらぼうに、吐き捨てるように言う。
「おいおい、数万年以上も生きてんだろ? ――あ、いや、ずっとここに居たならまあ、その間のことはいいとしてもだ。それまでにいくらでも――」
「……何も、無いよ。わしは、単なる管理人じゃ」
ラピスは。
『冥府の王』、サナトラピスは――静かに、語り始めた。
「人間。わしがこれまで――それこそ言葉にできぬほどの長き刻――悠久の時を如何に過ごしてきたか、想像できるか?」
「え――そう言われても、な……。まあ、死神っつーんだから、生きてるやつらの魂を刈り取ってたんだろ? それこそ、お前に刺さってるその鎌みたいな……って、おい。まさか――」
「くく、まあその話は後ほどしてやろう。――で、汝が最初に言った方じゃがな、ハズレじゃ」
「ん、じゃあどうしてたんだよ」
「言ったであろう? 何もしておらなんだ、とな」
「何もってこたないだろ。王様って自分で言ってたじゃないか。王なら何か、やることもあんだろ?」
「そうじゃな。わしは冥府の王じゃ」
ラピスは、自虐的な笑みを浮かべる。
「誰もおらぬ世界での、ただ一人の王じゃよ」
言葉を失う俺に構わず、ラピスは続ける。
「驚いたか? わしは生まれてこの方、他者と関りを持ったことがない。どころか、他者と実際会ったことすらない。争う相手がおらぬのじゃ。王と名乗っても誰も文句などあろうはずがなかろうて。わしはそんな、閉じた世界で――ただ一つのことを、ひたすらこなしておった」
かつての、在りし日を思い出すように。
死神は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「『穢れ』を浄化すること――と言っても分からぬか。人の魂というものはな、常世での生を重ねるうち、大なり小なり必ず穢れる。肉の衣が朽ち、魂のみとなったものどもは皆、一度わしの元へ至る。わしはな、そのような物言わぬ魂どもの穢れを我がものとし、真っ新となったそれらを輪廻の流れに送り出す――そのようなことを、ひたすら続けておった。それがわしにできる、ただ唯一のことじゃったからな」
一通り説明を終えた後、今度は自身に突き立てられた鎌へと視線を落とす。
「察しの通り、この鎌はわしのものじゃ。じゃがな、実際にこの鎌を振るったことなどない。何のためにあるのか、わしすら分からぬよ。……いや、もしかすると、こうすることが唯一の、こやつに与えられた役割なのかも知れぬのう。――くかかっ、これは実に笑える話じゃ。のう?」
死神はそう言って笑いを促すが、とてもそんな気持ちにはなれない。
さりとて、ただの人間である俺が、一体何を言えばよいのか。
どう反応すればよいのか。
俺は、ただの一言も、発することができずにいた。
「なんじゃなんじゃ、黙り込みおって。ここは笑うところじゃというのに。……まあ、これまで人を笑わせる機会など無かったからの。人とのやり取りなど、全て下界を覗き込んで見てきたのみに過ぎん」
黙りこくる俺を尻目に、ラピスは一連の話をまとめに入る。
「まあ、つまりじゃの。わしは生まれてこの方、
言葉を向けられるも、俺は曖昧な返事すら返すことができず、ただ立ち尽くすのみだった。
ラピスはそんな俺を黙って見ていたが――。
やがて、諦めたように言った。
「……そろそろ、時間じゃの。――人間」
「……そうか」
今さら確認するまでもない。
時間とは、俺が夢から覚める時が迫っているということ。
俺はこのとき明日、どうこいつに接するべきか――などと、呑気にも考えていた。
しかし。
「汝との出会いは全くの偶然じゃったが、まこと、楽しい時間であったぞ。しかし、わしの正体を知った今、これ以上つまらぬ神とのお喋りに興じる気にもならぬじゃろう。難儀であったな」
聞き捨てならぬ台詞が発せられる。
まるで、今日が最後とでも言いたげではないか。
俺は息巻いて、言葉の真意を問い詰めんとする。
「おい、お前――」
「約束は果たされた。これ以上、汝を拘束するのも気が引けるでの。汝を開放してやろうぞ。初めて他者と関わることができて、わしも満足じゃ。思い残すことも……ない」
――嘘だ。
満足だというなら、何故――そんな顔をする?
自分で自分が今、どんな顔をしているか、こいつは分かっているのだろうか?
こんなもの、子供だって騙されやしない。
俺はラピスの顔を見つめたまま、ふうと一つ、溜息を吐き。
「……ま、時間だってなら仕方ないか。おい、それなら早くしろよ」
「……うむ。では――」
「おうそうだ。明日までには何か面白い話の一つも思い出してきてやるからよ。お前もんなこと言わないで、頑張って捻りだしとけよ」
「――はっ?」
それまでずっと顔を伏せがちなままであった死神の頭が、ぴんと跳ねる。
俺はそのことには触れず、いっそわざとらしいほど、普段通りの調子で続ける。
「下界の様子をずっと盗み見てやがったんだろ? なら下世話な話の一つや二つ、あんだろ」
「お、おい、貴様、何を言って――」
「勝手に決めんなよ。神様との話なんて、そうそうできるもんじゃない。それに、生憎俺はまだ全然飽きてねえ。それともなにか、下等な人間とのお喋りなんぞもうお断りか?」
「なっ、ばっ、そんなわけが――」
「だろ? まあ、だから、その、だからな……」
くそっ。
最後まで調子を崩すまいと決めたというのに。
自分の言っている台詞が、何故だかとてつもなく恥ずかしいもののように思え、つい奥歯に何か物が挟まったような物言いになってしまう。
がしかし、ここまで言ってしまった以上、撤回はできない。
俺は死神の目を見つめ、言うと決めた――あの台詞を、言う。
「――また、明日だ。ラピス」
「……」
ラピスは何度も瞬きをしながら、じっと俺の目を見つめ返し続ける。
やがて二、三回ほど頭を振り、様々に表情を変えた後、ようやくいつもの雰囲気に戻った死神は破顔し、ことさら大上段に構える。
「し、仕方がないのう! そこまで言われては、わしも神のはしくれ、人間の切なる願いをそう無碍にも出来ぬわ! ふふん、待っておれ、とっておきの話を披露してやろうぞ!」
そうとも。
こいつは、この調子じゃないとな。
「ああ、楽しみだ。――じゃ、時間なんだろ?」
俺も、笑顔を返す。
「ああ、またの。……そう。また――」
……今までと同じように、急激に意識が薄れてゆく。
今回、その中で最後に映りしものは。
死神の笑顔と、
『――また、明日じゃ――』
『――リュウジ。』