虚を突かれる、とはまさにこのこと。
俺がわざわざラピスを今日に限り呼び出していたのも、鈴埜を避けて素早く学校を出る目論見からだった。
それを果たして彼女は読んでいたのだろうか。
直接会ってしまえばもはや断ることもできず、俺たちは部室へと連行されていき、そして今に至る。
部室代わりに使っている図書室にて、三者はそれぞれ椅子に座り向かい合ったまま、皆一様に押し黙っている。
俺とラピスは隣同士、そして鈴埜は対面に、という状態だ。
鈴埜は俺とラピスの二人へ視線を行き来させながら何をか考えている様子だが、元々表情の変化に乏しい彼女である。
何を考えているのかを彼女の表情から伺い知ることはできない。
さりとてこのまま重苦しい空気に晒され続けるのは耐え難く、俺から口火を切ることにした。
「ええと、その……鈴埜。もう体調はいいのか?」
「ええ、おかげさまで」
「……」
返ってきたのは一言のみ。
再びの沈黙が訪れる。
いつもはやかましいくらいのラピスも、何故かこんな時に限って一言も発しようとはしない。
「ふう……そうですね。なにはともあれ――」
ようやく鈴埜から口を開いた。
座っていた椅子から立ち上がると彼女は、
「先輩。それにサナトラピスさん。お二人とも私を助けて頂きありがとうございました。それに……父のことも」
言って、深々と首を垂れる。
「鈴埜……やっぱりお前、覚えてたのか」
「ええ。本当に驚きました。自宅の前で先輩が血を流しながら大きな男の人と向かい合っていたんですから」
……まあ、そりゃそうだよな。
あの時彼女はナラクによってすぐさま気絶させられたとはいえ、それまで見たものを忘れているはずがない。
こちらに都合のいい記憶だけ忘れていると期待するなど、そもそもが甘い考えだ。
「ナラクという名前でしたね、あの方は」
「ああ。あのアホのせいで俺たちもお前も随分迷惑かけられたよな」
「そうですね。でもですね先輩。私としてはあの方には感謝もしているんですよ」
「へ?」
と、俺は間抜けな声を上げる。
拉致監禁されて感謝とは、いったいどういうことか。
「彼から聞きました。先輩とあなたの関係も」
鈴埜はラピスを見る。
……あの野郎、一体どこまで話しやがったんだ!?
意を向けられたラピスは仏頂面のまま返答する。
「……それで? 話をどう持って行くつもりなのじゃ。まさか礼を言ってお終い、などと言うつもりもあるまい」
「もちろん。彼から聞いたところによると、あなたは持てる力の殆どを失っているとか。そのために元の世界に帰ることもできずにいる――と。違いありませんか?」
「うむ。おおまかなところではその通りじゃの」
「そこで先輩は、サナトラピスさんの力を取り戻すお手伝いをしていると」
「うーんまあ……そういうことに、なる、のかな?」
正直言って形ばかりの約束だ。
力を取り戻した暁には大人しく元の世界に帰るなどと、どう考えてもラピスは言いそうにない。
とはいえ否定するほどの大嘘というわけでもなく、俺は曖昧に頷く――と。
「わかりました。では私もそれに協力しようと思います」
「はあっ!?」
「……ほほう?」
この言葉にラピスは興味を引かれたのか、やや身体を前に乗り出した。
しかし俺はそう安穏とはしていられない。
「い、いやいや鈴埜。手伝うったって、どうするつもりなんだよお前」
「それはお聞きしないと何とも。ナサトラピスさん、あなたの力を取り戻すには具体的にどうすれば?」
「なに、簡単なことよ。わしの糧となるに相応しい魂を持つ人間を用意すればよい。こむすめよ、貴様にそれが可能か?」
「それはつまり、父のような方を探せということですか?」
「無論それが一番よい。しかし汝の父などは例外中の例外よ。あれほどの穢れを身に有する者を探すのはちと現実的ではないの」
確かに。
この力を得てから色々な人間を目にしてきたが、ひと目でそれと分かったのは惣一朗さんだけだった。
そういえば鈴埜の周囲にも見えていたはずだが、今はもう消えているな。
「そもそも
「一言で表せるようなものでもないが……そうじゃの。ひとつは汝の父の如く人ならざる者と関りを持った人間であること。しかしこれは先に言ったように容易に見つかるものでもない。そこでじゃ、代案は二つある。まずひとつめ。これは己が生を軽んじておる者」
「どういう意味だ? ラピス」
「簡単に言えばな、自殺を試みんと思うておる人間じゃ」
「……」
さらりとラピスは言ってのけるが、この発言には流石に鈴埜も押し黙ってしまう。
「己が生を切り捨てようとまで思う者ならば、相当な量の穢れを得ることができようぞ。もしこれも難しいとあらば、二つめじゃな。神に近しき者――いわゆる聖職者と呼ばれるような連中でもよい。その種類は問わぬぞ」
「おい鈴埜、本気にするなよ。他にきっと何か」
「わかりました」
「おい!?」
確かに前者に比べれば可能性はありそうだが、それにしても即答とは。
だいたい、鈴埜にはそんな義理など無いはずだ。
困惑する俺をよそに鈴埜は続ける。
「しかしですね、もしそうしたお眼鏡に叶う人を連れてきた場合、どうするつもりなんですか? まさか……」
「安心するがよい、殺しはせぬ。この世界にもわしと同じような神がおるのかは知らぬが、勝手に定命の者どもの生死を弄んだとあらば、そ奴もいい顔はせぬじゃろうからの」
「……本当に、神様なんですね。あなたは」
「そうじゃとも。ほれ、我が威光にひれ伏せひれ伏せ」
「ところで先輩」
すぐ調子に乗り出すのがこいつの悪いところである。
しかし鈴埜はあっさりとそんなラピスをスルーすると、今度は俺に話しかけてきた。
「ん、なんだ」
「これもあの方から聞いたのですが、先輩たちは今や命を狙われる立場だとか。これも本当のことですか?」
「……ああ、本当だ」
「なら先輩。そちらの方も私がお手伝いしますよ」
「は? どういう意味だ?」
「言葉の通りですが」
相変わらず鈴埜の表情に変化はない。それこそ微塵ともだ。
俺はそんな彼女に対し、頭を掻きつつ言った。
「……なぁ、遊びじゃねーんだぞ。俺は既に二回くらい死にかけてんだ。大体……こう言っちゃなんだが、お前じゃ」
「――役に立てないと? お忘れですか先輩。私の母が人ではないことを。……なかなかにショックな出来事ではありますが、とすれば私もまた、人間ではないということ。そんな私だからこそ出来ることもあるはずです」
「そうは言ってもな……具体的にどうするつもりなんだ」
「それはまだなんとも。しかし
その後もなんとか思い止まらせようと彼女を説得したが、結局鈴埜の首を縦に振らせることはできなかった。
「というわけなので。その心当たりの件で私は今日のところはこれで」
話はひとまずこれで終わりだとばかり、彼女はさっさと荷物をまとめて帰り支度をし始めた。
そして扉に手をかけた彼女の背に向け、俺は最期にもう一つ質問をする。
「なあおい、鈴埜。最後にひとついいか」
「なんですか」
「あの時のこと隠しとく必要も無くなったし、ちょっと聞くんだけどよ。お前、俺が倉庫でお前を見つけた時さ、俺のこと変な呼び方してなかったか? 確か、りゅ――」
この瞬間の彼女の様子をどう例えたものか。
ボンと音がしそうな勢いで顔を真っ赤に染め上げた鈴埜は、つかつかと俺の座る机まで歩み寄ると。
彼女は俺の目の前で、両手で思い切り机を殴打した。
ドンという音と共に机が大きく揺れる。
「おおっ!?」
「――それは先輩の気のせいです」
彼女の目は完全に据わっている。
人殺しのそれだと言われれば、この時ばかりは俺も信じてしまったことだろう。
「い、いやでも」
「気のせいです。幻聴です。思い過ごしです。気の迷いです。……いいですね?」
「……」
俺は勢いに飲まれ、強引に首を縦に振らされてしまう。
そして、彼女は心なしか早足気味で部室を出て行ってしまった。
取り残された俺は、苦々しげに横のラピスを見る。
「……なあおい、何でお前も一緒に止めてくれなかったんだよ」
「どうしてそんなことをする必要があるのじゃ。こむすめはわしらのために働くと言うておったではないか。確かにわしの力はまだまだ少ないでな。協力するというなら願ったりというやつじゃろ」
「そっちのことじゃねえ。……いやそっちもだが。鈴埜は俺たちみたいに何か特別な力を持ってるわけじゃないんだぞ。危険すぎる」
「……いやいやぁ? それはどうじゃろうなぁ?」
どうも何か含みを持たせた言い方だ。
何か、俺が気付いていないことをラピスは察知しているのだろうか。
「はぁ……まあいい。このことはまた明日鈴埜と話をしよう。んじゃ行くぞ」
「行く? どこにじゃ?」
「本当は惣一朗さんのとこの予定だったけどな。鈴埜が先に行っちまってるから中止だ」
そう言って、俺は惣一朗さんにスマホで連絡を取る。
ことの次第を話すと、また明日以降でよいとの返事をもらった。
そして俺は、ラピスを連れ目的の人物と会うためルナへ足を向ける。
聖さんにではない。
……要らぬことまで鈴埜に喋りやがった、あの男に一言申すためである。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
校門を出た俺をラピスが呼び止める。
「我が君よ。そっちは我等が家の方向じゃぞ。どこぞへ用があるのではなかったのか?」
「ああ、そうなんだけどな。もし遅くなるとミナが心配すんだろ。一回戻ってあいつに伝えてからだ」
そう遅くなるとは思っていないが、もしもということもある。
それにミナは今日が初めての留守番なのだ。少しは気を回してやらねば。
……ま、10年20年じゃきかないくらい一人でいたんだ、たった数時間くらい彼女にとってはなんでもないかもしれないが。
家に到着した俺は、玄関の扉を開ける。
てっきり出迎えに飛び出てくると予想していたが、そのようなことはなかった。
「おーいミナ―。帰ったぞー」
少し大きな声で彼女を呼ぶも、やはり出てくる様子はない。
「……おかしいな」
「どこぞの変質者に飴玉あたりで釣られていったのではないか?」
「縁起でもないこと言うな」
茶々を入れてくるラピスに苦言を呈しつつ、一階を隅々まで探すも彼女の姿はない。
俺の背に嫌な汗が流れ始める。
足早に階段を駆け上がり、自室の扉を開ける――と。
果たして彼女はそこにいた。
「すぅ……すぅ……」
ベッドの上で、朝と同じように背を丸めた姿勢で寝ているミナ。
「はあああ~……」
安堵から、俺は大きく息を吐き出す。
「なんと無礼な奴じゃ。仮にも己が主人と呼ぶものを出迎えもせず眠りこけておるとは」
ラピスはそう言って彼女に白眼視を向けるが、俺はそれに付き合わずミナの元へ歩み寄る。
と、近づいてよく見てみると、彼女は体の下に何かを敷いているようだった。
布団でもなく、それは――俺が朝方脱いだ衣服であった。
洗濯機の中に放り込んでいたはずなのに、何故ここにあるのか。
よくよく見れば、その中には下着までもある。
「ミナ。……おい、ミナ」
「ん……」
ぺちぺちと彼女の頬を叩きながら俺が言うと、ミナの双眸がゆっくりと開き始める。
「……――あっ!?」
最初こそまだ意識が覚醒し切っていないのか、眠そうな目で俺を見ていたミナだったが。
ようやく目の前の人物を俺だと認識したようである。
飛び起きたミナは、怒涛の勢いで謝罪を始めた。
「ごっ、ご主人っ!? えっ、あっ! ご、ごめんなさいなの! ミナ、ちょうど今寝ちゃったところで……!」
「いや別にそりゃいいんだが。それより何だ、その……お前の足元にあるもんは」
「え……えっと。……怒らない?」
ミナはバツが悪そうに俺を上目遣いで見る。
耳もぺたりと座ってしまっており、心から悔いているようだ。
「別に叱ろうってわけじゃない。なんでか聞きたいだけだ」
「あ……あのね。ミナ、最初は玄関のところでご主人の帰りを待ってたんだけど」
「玄関でってお前、俺が出て行った後からずっとか?」
「うん。……でも、そのうちにお腹がすいてきちゃって。お姉さまの作ってくれたご飯を食べたの。でも、お腹がいっぱいになったら……もしかしたらご主人、このまま帰ってこないんじゃないかって思い始めてきちゃって……」
彼女は俯きながら続ける。
「そう考え始めたらどんどん怖くなっちゃったの。だけど、ご主人の匂いがするものが近くにあったら少しは安心できて、それで……」
「そのまま寝ちまったってワケか」
「うん。……ごめんなさい」
頭を垂れる彼女を前に、俺は頬を掻きつつ言う。
「……ま、別にいいんだけどな。でもな、下着はやめろ下着は」
「でもでも、これが一番ご主人の匂いが強くて」
「やめろ言うな!」
俺は最後まで言わせず、彼女の前に片手を突き出し制止する。
そんな俺たちの元に、ラピスから声がかかった。
「ふん、なんとも情けない。たかだか数時間程度、なんだというのじゃ」
あからさまに見下した顔をしているラピスに対し、俺はやや呆れながら、
「ほほお? それをお前がよく言えたもんだな?」
小馬鹿にした感じで言う。
「置いていったら俺を殺すとかなんとか抜かして無理やり付いてきたのはどこのどなたでしたかねぇ?」
「わしはいいのじゃ」
別段悪びれもせず、ラピスは言ってのける。
こいつの面の厚さは一体どこから来ているのか。
「それでそれでご主人! 今日はもうずっとおうちに居るんだよね!」
「あーいや……実はまたこれから用事が」
「え……」
一瞬明るくなったミナの表情が瞬時に曇る。
「……そ、そうなんだ。わかったの。ミナはいい子で待ってるから、行ってきていいよ?」
「……」
俺に余計な気を回させまいとしているのか、ミナは平気な風を取り繕うが。
それが空元気であることは明白である。
なにより耳がまた座ってしまっており、それが言葉以上に彼女の落胆ぶりを物語っていた。
俺は暫く考え込むと。
「……はぁ。仕方ねえか。……ミナ、お前も一緒に来るか?」
「えっ!? い、いいのっ!? うん、行く行くっ!!」
そしてこの豹変ぶりである。
耳をせわしなく動かし、尻尾もまたわさわさと揺れさせている。
「でもな、もちろんそのままってワケにゃいかないぞ。狐の姿だと……飲食店だしまずいよな。しょうがねえ、ラピス。頼めるか?」
「こむすめの耳と尻尾を隠せばよいのか?」
「ああ。できるか?」
「ご主人ご主人。それなら別に頼まなくても、ミナできるよ」
俺の袖をくいくいと引きつつ、ミナは言う。
「へ? そうなのか?」
「驚いちゃったりしたらその拍子に出てきちゃうかもだけど」
「んー……。まあ、それならそれでいいか。ラピスの力だって安定した供給元があるわけじゃないしな」
「あのこむすめに期待、というところかの」
「あんまそれ頼りにはしたくねえもんだがな……」
とまあそんな塩梅で、俺はミナとラピスの二人を引き連れ、改めてルナへと向かうことになったのだった。