ルナを出た俺たちは、ナラクを先頭に並び歩いている。
「で、その場所ってのはこの町中なのか?」
「ああ。そんな遠くもないぜ」
「罠じゃないだろうな。俺たちがそこに行ったらお前らの仲間が……」
「おいおい疑り深ェな。俺がんなことするヤツに見えんのかよ?」
「女の子を人質にするような奴を信用できるか」
こいつ、自分がしたことを覚えていないのか?
あんな真似をされて信用しろと言う方がおかしい。
俺が言うと、ナラクは意外にもすまなそうな顔をして頭を掻く。
「それを言われると辛ぇとこだが、ありゃ俺も反省してんだぜ。それに嬢ちゃんにも謝ってる。その際一発お見舞いされたがね」
「一発お見舞いって……鈴埜が、お前にか?」
「おおよ、俺も驚いたぜ。ほれ、ここにバチンとよ」
言って、ナラクは自分の頬を指差す。
「よっぽど怒ってたんだな。まあそりゃ自分を攫った奴がのこのこ自分ちに来りゃ腹も立つか」
「いやいやァ、嬢ちゃんが怒ってたのはそこじゃねぇみたいだったぜ。俺がサナトラピスと……ついでにお前さんも殺すつもりだったっつった瞬間、平手を一閃よ」
「え……あいつ、俺のために怒ってくれたのか」
驚いた。
まさかあの鈴埜が……。
「いつも無表情だし、顔を見りゃすぐ毒舌ばかりだしで誤解してたが、あいつそんな先輩思いのいいヤツだったんだな……ん?」
「……」
「……」
横を見ると、ナラク、そして何故かラピスまでが似たような目つきで俺を見ている。
その視線は哀れんでいるというか、呆れているというか……とにかく好意的なそれではないことは確かだ。
「なんだよ。ラピスまで似たような目で見やがって」
「なぁ小僧。お前、それわざとやってやがんのか?」
どうも後者の方だったらしい。
ナラクの声色は呆れの色をたっぷりと含んでいた。
続くラピスも、
「いいやナラクよ。こやつはこういう男なのじゃ」
同じような口調でして言う。
「たまげたな……俺もそういう機微にゃ疎いほうだが、こいつのはちと度が過ぎてんぞ。あの嬢ちゃんも不憫なこった」
「もし分かった上で振る舞っておるならわしが許しておらぬところじゃ。……まったく、無自覚というのがまたタチの悪い」
「???」
一体この二人は何を言っているのか。
俺が怪訝な顔をしていると、つんつんと背をつつかれた。
振り返った先には不安げな顔をしたミナの顔がある。
「ん、どうしたミナ」
「……ご主人。この人、だれ? なんだか怖い雰囲気があるの……」
おずおずと言うミナ。
耳はぺたりと座ってしまっており、相当にビビッている様子である。
動物の感なのか、ナラクの危険性を本能で察知しているようだ。
「ああそうか。お前は初対面だったな。こいつは前に俺とラピスを殺しに来た奴でな。まあでも、一応今は」
「――ッ!!」
「うおっとぉ!」
それは、まさに一瞬の出来事であった。
ミナはあっという間に俺の目の前から消えたかと思うや、いつの間にか手にした鉈でナラクに斬りかかったのだ。
それを避けた奴も流石といったところだが――ともあれ。
「ちょ、おいミナッ!」
まずは凶行に及んだミナを止めねばならない。
「……ま、大方そんなとこじゃねェかとは思ってたがよ。随分喧嘩っ早いじゃねェか。好きだぜ、そういうの」
「フーッ……!!」
身一つ分後ろに飛び下がったナラクは、愉快そうに言う。
対するミナは耳、そして今しがた発現した五本の尻尾その両方の毛を逆立て、ナラクに向かい唸り声を上げている。
俺は慌ててミナを後ろから羽交い絞めにする。
「待て待てミナっ! 落ち着け!」
「どうして止めるのご主人っ! ご主人を殺そうだなんて絶対許さないっ……バラバラにしてやるっ!」
「いいから話を聞けって! つーか台詞が怖すぎるぞ!」
その後の必死の説得により、ようやくミナは矛を収める。
「――てなわけだ。俺も完全に信用しちゃいないが、今んとこは危害を加える気はないらしい」
「それにこやつはわしの力である穢れの供給元でもあるからの。勝手に殺されては困る」
「まったく、人を勝手にメシ扱いとはねェ。ま、こちとら負けた身だ。暫くは言うとおりにしてやるさ」
言葉を聞いても、ミナは敵意の視線を向け続けていたが。
しかしとりあえず争うことは止めにしたようで、手にしていた鉈を懐に仕舞い込む。
「……ご主人がそう言うなら、我慢する。けど、もしまた同じことをしようとしたら――」
「安心しなよお嬢ちゃん。第一俺の元々の狙いはそこの死神だったんだ。小僧はついでさ」
「へ? そうなの? それなら好きにするといいの。むしろ今すぐでもいいよ?」
「くおらぁー!! なんじゃその言い草はーっ!!」
先ほどまでとはまるで打って変わり、きょとんとした顔で言い放つミナ。
そして反射的に今度はラピスが叫ぶ。
「くっくく……まったく面白い連中だな。しかし獣人とはねェ。こっちの世界にも存在してんだな」
「こっちにもって、お前んとこにも居るのか?」
「おおよ。こっちじゃんな珍しくもねェな。パッと思い付くだけでも――……」
何故かナラクは急に苦虫を噛み潰したような顔になり、言いかけた言葉を途中で止める。
「どうした?」
「……いや、ちっとウゼェ奴のことを思い出しちまってな。……ま、そっちの嬢ちゃんもなかなかの力を持ってるみたいだな。お前とその嬢ちゃんらが一緒に居ればそのへんのカスどもにはそうそう負けないだろうさ」
どうも話をはぐらかされた気がする。
それからは特筆すべき会話もなく、ただ歩き続けること数十分。
地元でありながら、一度も足を踏み入れたことのない地域に差し掛かってきた。
随分とうら寂しい場所で、辺りには放棄された商店やビルが立ち並んでいる。
「おう、ここだ」
ナラクは、そんな立ち並んだ廃ビルの一つの前で立ち止まる。
「ここって、この中ってことか? またなんでこんな場所に」
「俺が知るかよ。座標を合わせた奴に聞きな。んじゃ行くぞ」
言って、ナラクはさっさと中に入っていってしまう。
仕方なく俺たちも続くと、湿ったコンクリートの匂いが鼻をつく。
同時に漂うカビくささは、このビルが放棄されて相当になることを思わせた。
ミナなどは動物ゆえ嗅覚が鋭いのか、不快げに顔をしかめている。
「暫くはそのまま寝床にしてたんだがな。最近はもうちっとマシなとこを見つけたんでね。ここは久しぶりだよ」
蜘蛛の巣が張った階段を登り、4階に到達した時点でナラクは横の廊下へと出る。
「この階なのか?」
「ああ。ここの部屋だ」
「ふぅむ。確かにこの先から僅かな力の残滓を感じるぞ」
ラピスが言う。
そしてナラクは並ぶドアのうち一つに手をかけ、開けた。