部活といっても単なる図書室での雑務でしかないそれは何事もなく終わり、俺と鈴埜は共に校門を出る。
「どうすっかな……遠回りになるけどとりあえず家に寄って、それからラピスを迎えに行けばあいつのバイト時間的にも丁度終わるくらいになるか」
「先輩。もしかしてもう一人というのは花琳さんですか?」
「ん、いや? なんでそう思うんだ?」
「だって先輩の家にいらっしゃるのでしょうその方は。今の言い方だと。まさかご両親でもないでしょう」
「あーいや……そうか、確かにそう思わな。まあ着いてから説明するよ。話すと長いからな」
「……?」
怪訝な顔をする鈴埜を従え、俺は自宅へと向かう。
もちろん言うまでもないことだが、この時には既に鈴埜は例の帽子を外していた。
流石に往来では恥ずかしいということなのだろうが、しかし部室は図書室なわけで、そうすると当然他の生徒たちにも魔女帽を被っている姿を見られることになる。
実際一年坊主と思しき輩や、初めて鈴埜を見たであろう生徒たちは訝しげな顔をするのが通例である。
がしかし、どうも当の本人は全く意に介していない様子で、このあたりの機微が正直俺にはよく分からない。
……と、そんなことを考えながら歩いていると、気付けば目の前に我が家の姿が鎮座していた。
「ここだ」
「先輩のご自宅に来るのは久方ぶりですね」
「えっ?」
「えっ──……あっ」
オウム返しに短い声を上げた後、鈴埜は手で口を押さえ、しまったと言わんばかりの表情をする。
「あれ? お前ウチ来たことあったっけ?」
「いいえ勘違いです。忘れてください」
「……? まあいいけど、んじゃ呼んでくっからちょっと待っててくれ」
やけに早口になっている彼女を軒先に待たせ、少し進んで玄関のノブに手をかけようとしたその時。
家の中からドタドタという音が近付いてきたと思うや、バタンと大きな音をたてて扉が開け放たれる。
次の瞬間、俺の目の前に文字通り
「ご主人っ!! おかえりーっ!!」
「どぉわっ!?」
軽快にジャンプしながら抱き着いてきたミナの勢いを抱き留めることで殺すこと叶わず、俺は彼女によって地面に押し倒される形となった。
「今日は早かったのね! ミナも今日は眠っちゃわないでずっとご主人のこと待ってたのね! えらい? ね、ね、ミナえらいっ!?」
俺の上に乗っかった姿勢のまま、満面の笑顔で捲し立てるミナ。
「おっ……」
喉より出かかった言葉は、彼女の背中側、そして頭上に見えるものを視界に入れたことで中断された。
狐耳そして、五本の尻尾も。全く隠すことなく
急いで首を回し後ろを振り返ると、なんとも例えようのない表情をした鈴埜と目が合う。
驚きはもちろんのことだが──その表情には、何故だか怒りの色が多分に含まれているようでもあった。
……まずい。何故だか分からんがこれはまずいことになりそうな気がする。
「──ミ、ミナっ!! お前、その姿で外にいきなり出てくるんじゃねえっ! 俺じゃなかったら──それこそ花琳やオヤジたちだったらどうするつもりだったんだっ!」
「? なにいってるのご主人。ミナがご主人の匂いを間違えるわけないのね」
慌てふためく俺の気を知ってか知らずか、ミナはいつも通りの調子である。
「……先輩」
呪詛のような声色で呼ばわれ、自分の体が瞬時に硬直するのを感じる。
俺は恐る恐る再び後ろを振り返る。
……予想に反し、彼女は笑顔だった。
「え、えっと……な、何かな?」
「この方は? ご紹介頂いてもよろしいでしょうか?」
表情こそそのままだが、発される声はあまりに低く冷たいもので、そのギャップは言いようのないそら恐ろしさを聴くものに感じさせる。
とはいえそのことを悟られると尚のこと不味いことになりそうな予感がし、俺は努めて平静を装わんとした。
「あ……ああ。も、もちろんだ。ええとな──」
「あれっ? ご主人、このひとは誰なのね?」
と、ようやくここでミナの方も眼前の人物の存在に気付いたようである。
「こんにちわ。私はこの方の後輩で鈴埜といいます。あなたは?」
俺に対してのものと比べると遥かに優しげな声で鈴埜は問う。
「こうはい? なんだかよくわからないけど、ご主人のおともだちなのね? わるいひとじゃない?」
「ええ、そうですよ」
……若干空気が弛緩した気がする。
いいぞミナ。その調子だ──と俺が思ったのも一瞬のこと。
「そうなの! ならミナとも仲良くなれると思うのね! えっとね、ミナはご主人に飼われてるペットなの!」
「──!!」
「……そうですか」
ミナへの返事もそこそこに、鈴埜は懐からスマホを取り出しなにやら操作し始めた。
「お、おい鈴埜。お前何してんだ?」
「いえ少し電話を──いや通報をと思いまして」
「おいおいおいおい!! ちょっ、待て!」
「きゃっ」
俺はミナを跳ね除けつつ飛び起き、必死の形相で彼女に食って掛かる。
「……なんですか。申し訳ありませんがあまり近寄らないでいただけますか」
無表情なのはいつも通りだが、発される声はこのうえなく冷たいもので、俺を見る目つきはまるで生ゴミを見るそれである。
「いやいや! お前は何か勘違いしてるぞ! ちょっ……いいからスマホを離して聞けって!」
「……」
無理やり彼女の手からスマホを奪い取り、俺はなんとか誤解を解こうとミナについての説明を始めた。
慌てていたため所々支離滅裂なものになってしまったが、兎にも角にもまずは鈴埜の誤解を解くことが先決であった。
馴れ初めに始まり、彼女がラピスと同じく人でないこと、そして敵ではなく味方であることなどをかいつまんで話す。
「──というわけだ。……おい、なんでそこで溜息をつく」
粗方説明が終わると、鈴埜は一際大きな溜息をついた。
そればかりか、彼女は呆れてものが言えないとばかりな表情になる。
「……あのですね先輩。私が言うのも何ですが貴方、ご自分が今どんな状況に置かれているのか理解なさってますか?」
「どういう意味だよ」
「文字通りの意味ですが。私はそれなりに先輩のことを思ってここ数日色々と考えを巡らせていたのですけど。それが当の本人はこの様なのですから溜め息のひとつも出ようというものです。なんなんですか、先輩には危機意識とかリスク管理とか、そういった言葉をご存じないので? いや無いんでしょうね。今はっきり理解しました」
「相変わらずお前は人の心を的確に抉ってくるなあ! すっかり元気になったみたいで俺も安心したよ!」
「それはどうも」
俺の精いっぱいの嫌味にも、鈴埜は全く動じることなく受け流す。
……一応俺は先輩という立場なんだがな?
「で、先輩。このミナさんも連れて行くと?」
「ああそうだよ」
「それは構いませんが、そのまま往来を行き来なさるおつもりですか? なら私は100メートルほど後ろを付いていくことにしますね。幼女にコスプレをさせて連れ歩いている変態のお仲間とは思われたくないので」
「いつもにも増して言い様が酷いぞお前っ!? 言われなくてもこのままで連れて行こうなんて思っちゃいねぇよっ!」
叫び続けて喉の調子が妙な塩梅になってきたぞ……。
「ねぇねご主人。お出かけ? お出かけするのね?」
「……ああそうだ。だからミナ、ちょっとその耳と尻尾は仕舞っておいてくれるか」
「はいなのっ! やった、ご主人とまたお出かけなのねっ!」
……お前が幸せそうでなによりだよ。
まだ鈴埜邸に付いていないばかりか、ラピスを迎えに行ってもいないうちからこれである。
俺はこれより先に何が起こるのかを想像しようとしたが、そうすると心が折れそうになったのでやめた。