その後。
俺のことを名前で呼び始めたラピスと、ほぼ毎日――というか、本当に毎晩会い続け、様々な話をした。
興味深かったのは、やはり互いの世界の違いについての話題だろう。
話を聞くに、ラピスが『見てきた』世界は、丁度俺たちが想像するところの中世ファンタジーに似ているようだ。
いわゆる、剣と魔法の世界というやつだな。
ラピスの方も俺の世界の話に夢中――まあ、どんな話であっても食いついてくるのだが――で聞き入り、特に食事関連についてはいやに食いつきがよかった。
「いいのう……わしも一度は汝の次元における食物を口にしてみたいものじゃ。こちらではロクなものがないでのう」
「その口ぶり……お前、下界に行けるのか? んなに寂しかったなら適当にその辺の人間と喋れば――」
「いいや、実際に降りることはできん。直接口にせずとも、見るだけで通り一遍の情報を得ることはできるでな。これが死神の目というやつじゃ。凄いじゃろ?」
「そんな御大層な能力を、食いモンにしか使ってこなかったってのが何より驚きだよ」
――とまあ、こんな感じで、俺たちはとりとめのない話をひたすら続けていた。
その間、ラピスの腹には例の鎌が埋まったままで、何度か抜くことを俺は提案し続けたが、その度に固辞されていた。
あの杭のことを思うに、そんなに無茶な話じゃないと思うんだがな……
「――ん、ん……そろそろか」
「なに、もうか?」
こいつと会い続けて、そろそろ一週間になる。
眠気が襲ってくるのは、現実世界で俺が起床するというサインだ。
最初こそラピスに知らせてもらっていたが、緊張が解けたおかげか、最近は俺の方から口にするようになってきていた。
「ふわあ……しっかし、寝たと思った瞬間に目が覚めるってのも妙な話だよな」
「リュウジ……も、もう少しよいのではないか?」
「ん……いや、別に急がなくてもいいだろ。また明日だ、また明日」
「そ、そうじゃな……。また、明日じゃ」
また明日、というのは俺たちの中で別れ際に言う決まり文句になっていた。
言うのは決まって俺から。
この台詞を言うだけで、何がそんなに嬉しいのか、ラピスはまるで子供のような屈託のない笑顔になる。
その様は、まるで散歩前の犬か何かのようだった。
しかし、ここ数日はその笑顔にも陰りが見えてきていた。
その原因が何なのか、俺には全く心当たりがないだが、恐らく気のせいではない。
……そういえば、日が経つにつれ、この夢の中で過ごせる時間が減ってきているような。
――関係があるのか分からないが、合わせてそのうち聞いてみよう……
………
……
…
それは、十五日目のことだった。
いつものように夢の中で目が覚めた俺はすぐに、違和感に気付く。
ラピスからの声がない。
普段ならば、俺が声をかけるより先に喜色溢れる挨拶を飛ばしてくるはずだというのに。
訝しげにラピスがいる氷塊に目を向ければ、なにやら塞ぎ込んだような表情をしている彼女の姿があった。
「よう、ラピス。なんだ、寝てたのか?」
「……」
俺はあえて、普段より声量を強めて言う――が。
ラピスは目線を伏せたまま、何をも発そうとはしない。
「おい。何か言――ん……あれ……おかしいな、まだ……」
おかしい。
ここに来たばかりだというのに、既に眠い。
いや――実のところ、十日目あたりからその兆候はあった。
睡魔が襲ってくるタイミングが日が経つにつれ、段々と早まっていることに気付いたのが、丁度そのあたりだった気がする。
日に日に短くなる会話に、ラピスが明らかに気落ちしていたことが申し訳なかったが、自分でもどうしようもない。
昨日などは、ラピスに悟られないよう随分無理をして話をしていた。
……もっとも、こいつがそんな俺の違和感に気付いていなかったかは怪しいものだが。
「……限界、じゃの」
目を伏せたまま、ラピスは一言漏らす。
「限界? どういう――」
「リュウジ。汝は思い違いをしておる」
言って――今日ここで初めて、彼女は俺の目を見た。
その目には、何か覚悟を決めたような色がある。
「わしの前に現れた時から今までずっと、汝は夢がどうこうと、そう言い続けておったな」
「ん――いや、まあ……」
「わしとしては、その方が余計な説明もせずに済みそうじゃったしの。それに、ここまで長期間に渡るとも思わなんだ。よってつい後回しにしてしもうたがの……そろそろ汝の勘違いを正すべきじゃろう」
俺の目をしかと見つめたまま、ラピスは告げる。
「リュウジ。これは夢などではない。れっきとした現実じゃ」
「……」
「汝の意識が今朦朧としておるのもな、話は簡単じゃ。汝はこの十五日間、殆ど寝ておらぬのじゃ。それも当然のことよ」
「い、いや、でもな……」
「おかしいとは思わなんだか? いくらなんでも、ここまで現実味があり、その上連日同じ夢を見続けるなど、あろうはずがなかろう」
薄々分かってはいた。
だが、俺は今に至るまで、そのことを口に出せなかっただけなのだ。
もしひとたび口にしてしまえば、全てが壊れてしまうような気がしていたから。
「このままでは汝の体が壊れてしまう。……じゃからな、リュウジ」
一呼吸おいて。
静かに、ラピスは宣言した。
「――今度こそ、お別れじゃ」
俺はその言葉を聞いた瞬間、殆ど半狂乱になって喚き散らす。
これが夢かどうかなど、もはや問題ではない。
――こいつと、もう会えない?
「ばっ、馬鹿野郎! 結論を急ぐんじゃねえ! なら、ここに来るのは数日おきとかにすれば――」
「それができれば良かったのじゃがな。……なに、そうでなくとも、ここらが潮時ではあったのじゃ。汝にかけられている呪いじゃがな、命に関わる様なものではないが、そろそろ解呪しておかねばまずい。無理やりわしの力を追加したせいで、この先どう変化するかわしにも想像がつかぬでな」
「おい、ちゃんと説明を――」
「呪いを施したのが誰ぞか知らぬが、そやつには感謝せねばの。……では、解くとしよう」
ラピスは片手を上げると、一つ指を鳴らす。
するとたちまち、今まで感じ続けていた胸の違和感が、綺麗さっぱり取り去られた。
「これでわしとの
ラピスは。
見るに堪えぬほどの笑顔でもって、そう言ったのだった。