暇つぶしに丁度いい分量なので、お茶うけにどうぞ
初めましての方でも全然大丈夫です。
*三人の妖精*
だいちゃん ♂ 謎の生き物 身体の大きさ ちょっと太めの猫ぐらい
柿ただちゃん♀ 埼玉秩父の渋柿の妖精 〃 柿一個ぐらい
風すっか ♂ 新潟寺泊の風の妖精 〃 スズメぐらい
妙チクリンな名前ですみませんが、あまり気にしないで楽しんで頂ければ、幸いです。
シリーズの他のお話は、ホムペの方で公開しています。
~狐と泉~
小さな谷で日が暮れてしまって、歩き疲れた三人は、そこいらの草むらで夜営する事にした。
風すっかが焚き火を起こし、柿ただちゃんはチャパティをこねている。
水汲みに行っていただいちゃんが帰って来た。
「随分、時間かかったね。水場、遠かった?」
「ううん、すぐそこだったけれど……」
「どうしたの?」
「うん、ちょっと色々あって。あっ、頼まれ事されたんだけれど。そこで会ったこの谷のヒトに。どうした物かと。一緒に考えてくれる?」
二人は頷(うなず)いて、それぞれの仕事をしながら、だいちゃんの話に耳を傾けた。
***
水を汲みに谷に降りただいちゃんは、途中で清水の湧き出る小さな泉を見つけた。
近寄ると脇から咳払いがした。
そちらを見ると、耳の大きな狐のおばあさんが、岩の上に座布団を敷いて座っている。
「こ、こんにちは・・」
こういう水場は、そこに住む住人さんにとっては大切な場所の筈。
人見知りなだいちゃんだが、頑張って挨拶をした。
「こんにちはだって! こんにちはだって! こんにちはだって! まあ!!」
狐が突然スイッチが入ったように喋り出したので、だいちゃんはビビった。
何かいけなかったのだろうか?
もしかしてこの泉は、自由に水を汲んではいけない場所なのかな?
でもそれなら、そう言われる筈だ。
だいちゃんは動きを止めて、狐の次の言葉を待った。
しかし狐は黙ってしまった。
しばらく待ったが、狐はだいちゃんから半分目をそらして黙っている。
困ったなあ、水を汲んでもいいんだろうか?
こんな時、風すっかなら、山から湧きだしている水は誰の物でもない! と、自信たっぷり堂々と、狐なんか気にしないで水を汲むだろう。
柿ただちゃんなら、初対面の狐と苦もなく会話して、和やかに水を汲めるだろう。
自分には、どちらも出来ない。はてさてどうしよう……。
悩んでいる内に、この谷の住人らしいキノコの妖精が、小さな瓶を抱えてやって来た。
キノコ妖精は狐を見ると、赤い傘の下にスッと顔を隠して、小さく会釈した。
「あらあらまあまああらあらあらあら」
また狐が声を発した。
もしかしたら意味のある言葉を喋れないのかもしれない……と思ったが、次にやっと意味のある文章を喋った。
「随分久しぶりね、ほらアナタ、昨日来なかったじゃない、あらあら、どうしてたの? 珍しい、でも、ほら、あの、あのヒト、どこだったかの、あのヒトも来ないのよ、私心配でねえ、あらアナタもう行くの? おとなしいヒトねえ、損よ、ほら、どこだったかのあのヒトもおとなしいけどねえ……」
……いや、意味があるとは言えないか。
だいちゃんは話が途切れるのを待って、キノコさんに水を汲んでもいいか聞こうと思った。
しかし、どうも一部の隙もなく、狐の一方的なお喋りが続く。
だいちゃんの方を横目でチラチラ見ながら、単語の羅列でブロックするかの如く、とんがった口から甲高い声を発射し続けている。
それでだいちゃんは仕方なく、そこを離れた。
谷に降りれば流れのひとつもあるだろう。
あそこで訳の分からない一方的な攻防戦に巻き込まれているよりは、早いし楽な気がした。
少し下って茂みを潜(くぐ)ると、さっきのキノコの妖精が横から出て来た。
追ってきたのか、息を弾ませて、自分の瓶を突き出す。
戸惑っていると、進み出て、だいちゃんの水筒に水を注いでくれた。
けれど小さな瓶なので、水筒の半分にもならない。
「もう一杯汲んで来るから、ここで待っていて下さい」
「え? 僕・・僕いいです」
「いいから待っていて下さい。泉に来ちゃいけませんよ」
程なくして瓶を満たして戻って来たキノコさんは、水筒に水を注いでくれながら、ポソッと呟いた。
「すみませんねぇ」
「えっ? あっ、こちらこそ、有難うございますっ」
キノコさんに謝られるような事は何もないのにと、だいちゃんは恐縮してしまった。
「あの木の横の道を登ると、泉を通らないで上の道に出られます」
キノコさんは親切に道まで教えてくれて、その後、瓶の底に残った水を自分の足にかけた。
だいちゃんが見ているので、独り言のように、
「また水を汲みに行く言い訳しなきゃいけないから。明日の夕方には、二回も水をこぼした粗忽者って噂が、谷中に広まっているわ」と呟いた。
「すみません、なんだか」
「あら、貴方は悪くないの、何も悪くないのよ。気にしちゃいけませんよ、じゃあね……」
だいちゃんは教えて貰った道を登った。
上の道に出た所で、またさっきのキノコさんに逢った。
「あら……」
キノコさんは更に疲れた顔をしていた。
あの単語の羅列に、二回も余分に付き合わされたからだろう。
「あの、せめてその瓶を運ばせて下さい」
***
「ふーん」
風すっかは、いつもはたっぷり沸かす食後のお茶を、きっちりカップに注ぎきる分しか入れなかった。
水を節約して、明日の朝食まで保たせるつもりだろう。
何故かって? 明日の水汲み当番は、風すっかだから。
「それで、それで♪」
柿ただちゃんは脳天気に話の続きをせがんだ。
野次馬気質は、たまに話している側の心を軽くしてくれるんだけれどね。
***
「あの、貴方は新しくここに来られたの? それとも旅の方ですか?」
「僕は旅をしています。友達と三人で」
だいちゃんは瓶を運びながら、道々キノコさんと話をした。
「じゃあ、通りすがり? すぐに何処かへ行ってしまうの?」
「そうですね、ここにはあんまり長居しないと思います」
水が汲めないから・・と、続ける言葉は飲み込んだ。が、キノコさんには分かったのだろう。
「すみませんねぇ」
キノコさんは、赤い傘の下で、溜め息まじりに呟いた。
「あの……時間があったら、ちょっとだけ話を聞いてくれませんか?」
***
「うわぁ、それで、話を聞いちゃったの?」
基本、困っているヒトは助けよう気質の風すっかでさえ、すんごい嫌な顔をした。
「あら、まだ話も聞いてないのに」
柿ただちゃんが、カップの底のお茶をチビチビ飲みながら言った。
「だいたい予想つくよ」
「すみませんねぇ」
だいちゃんは肩をすくめた。
***
泉は、昔は、この辺りの住人の憩いの場だったらしい。
ある日、谷に狐の一家が引っ越してきた。
夫婦と子供三匹、そして大きな耳のおばあさん。
谷の住人は、狭い所に住む者特有の排他的な警戒心がなかった。
幸い、というか、外界の者に酷い目にあった経験がないのだ。
皆、親切で人懐っこく、好意的だった。
新しく越してきた狐の家族は、子供が三匹もいたのもあって、優しく迎えられた。
その頃の泉の周りは皆の社交場で、誰かしらの置いてくれた椅子やテーブルがあり、花なども植えられていた。
水を汲みに来た住人達は挨拶を交わし、新しい料理だの、野菜の育て方だの、文字通りの井戸端会議に花を咲かせた。
子供達はここで、年上の子に色んな事を教わり、年下の子を庇う事を覚えた。
親切な住人が、まず狐のお母さんを、この社交場にいざなった。
お母さん狐は、皆に礼儀正しく挨拶し、軽やかに仲間入りをした。
水を汲みに来る度、皆と二言三言笑い合い、時には狐のお父さんや子供達も一緒に訪れた。
近しい友人も出来た。だいちゃんに話をしたキノコさんがそうだった。
そうだったと過去形なのは、狐のお母さんはもうこの谷にいないのだ。
お父さんも子供達も、もういない。
***
「なんか……すんごい聞くのが怖い話。この後、重~くなるんだろ?」
「まあね、・・やめとく?」
「いや、聞かなきゃ知恵も出せないからね、ちゃんと最後まで聞くよ」
柿ただちゃんも珍しく黙って、真剣に聞いている。
***
「でもね、みんなちょっと、不思議に思っていたの。狐のお母さんは、一度もおばあさんを伴っては水汲みに来なかったの。それは、多分、みんなの為を思っての事だったんだけれど。みんながそれに気付いたのは、ずっとずっと、ずっとずっと、後だった」
キノコさんは寂しそうにうつむいて、地面を見つめた。
狐のおばあさんが泉にやって来たのは、越して来てから季節がひとつ過ぎた頃。
気まぐれに散歩して、たまたま迷い込んだらしい。
その場にいた親切な住人が、お母さんと同じように皆の中にいざなった。
しかしお母さんの時と違った。
憩いの場は、たちまち重苦しく、言いようのないおかしな空気に包まれた。
体験した事のない、ブラックホールに吸い込まれるような不安に見舞われ、辟易してその場を離れた住人同士が帰る道々確認し合って、自分だけではないと分かってようやく安心出来た。
狐のおばあさんは、まず、ここを教えてくれなかったお母さん狐の悪口を喋った。
それくらいなら、年寄りにはよくある事。
ここの住人は、過ぎた悪口が続くと、するりと話題を転換する上品さを持ち合わせていた。
言った方も、それで何となく気付いて、言い過ぎたかなと反省したものだ。
しかし狐のおばあさんは、避けても避けても悪口を蒸し返した。
その頃はまだ、そういう話はハイその辺でと、軽く止めてくれる住人がいた。
おばあさんは一時黙るが、その住人が水瓶を持っていなくなると、眉間にシワ根を寄せて、まあ、あのヒトの知ったかぶりな事……と、全員に聞こえるように呟くのだ。
みんな基本、水汲みに来ているのだから、長居するものでもないのに、それではおちおち立ち去れない。
誰だって、去った直後にあれこれ言われるのは嫌な物。
相手にせずに別の所で楽しい会話をしても、いや私はこうだと、無理に会話に押し入って、自分の愚痴を話し出す。
そして、例の隙間のない単語の羅列で、他の者同士の会話を許さないのだ。
それでも、まだ親切心を失わない住人が、それより貴方の事が聞きたいわ、と振ると、自慢話と自分が可哀想だという話のオンパレード。
「自慢話くらいは誰でもするし、聞いていて楽しい自慢もあるわ。でも、おばあさんの自慢話は……」
どういう角度から聞いても、凄くもないし、羨ましくもない、どーでもいい自慢だった。
要するに、自慢出来る素晴らしい物は、何も持ち合わせていないのだ。可哀想話も同様だった。
それでも愛想で、凄いわね、まあそれは大変ね、と言ってくれる住人がいたのがいけなかった。
おばあさんは社交辞令を知らなかった。世間の百万の同調を得た気持ちになるのだ。
水汲み場はそういう種類の者にとって、格好の猟場だったのだ。
次の日からおばあさんは、水瓶も持たずに泉に来ては、不快なお喋りをするようになった。
「それに、悪口って恐いのよ。聞き流しているつもりでも、繰り返し聞くと、頭のどこかに残るのね。住人の間も何処となくギスギスして、皆それに気づいていたから、おばあさんに悪口を言い振らされるのが恐かったの」
気の毒なのは、最初におばあさんに何がしか意見をした住人達だった。
水を汲みに行くと、必ずおばあさんがいて、ツンとそっぽを向く。
先客がいると、おばあさんはわざと先客とヒソヒソ話をする振りをして、横目でねめつけるのだ。
水は必要な物なのに、彼等は泉に行く度に、いや~な目に遭わねばならなかった。
もっとも、もともとヒトに意見の出来るような人種は、体も大きく快活だったりする。
彼等は泉をスルーして、下の沢に水を汲みに行くようになった。
下の沢に行く体力もない、弱い小さい住人達は、快活な彼等との楽しい交流を失った。
そんなんだから、おばあさんと親身に会話をしようとする者は皆無になった。
会釈か、生返事がいい所。
それではおばあさんの欲求はますます満たされない。
自分は会話をする気はないのに、相手には受け答えを要求するのだ。
そしてとうとう、おばあさんは座布団を持ち込んで、朝から晩まで泉に居座るようになった。
そうなると、泉はもう憩いの場ではない。
まず、椅子とテーブルを提供していた住人が、ごめんね、うちで使う事になったからと、引き揚げた。あんなおばあさんに1日座られているのが忌々しいのだ。
花を植えていた住人も、こっそり持ち帰った。花が可哀想に思えたからだ。
泉に近寄るのもはばかられるので、誰も掃除や草刈りをしなくなった。
かくして泉は見る影もなく、草ぼうぼうの廃墟となる。
ここで、キノコさんは一拍置いた。
「貴方だったら、どういう対策を考えます?」
「家族のヒトに訴えます。何とかしてくれって」
「そう、狐のお母さん。もう、その頃には肩身が狭くなって、誰に会っても顔を伏せるし、気の毒なくらいだったけれど。私がね、近しい友人だったから、言いに行く役目になったの。それで……行ってみたらね、子供達はとうに家を捨ててどこかへ行ってしまってた。お父さんも見えなかったわ。聞けなかったけれど……」
狐の家族が引っ越して来たのは、前に住んでいた所でも、同じような事になったからだった。
その前に住んでいた所でも……その前も……。
「狐のお母さんは、もう慣れっこみたいな、覚めた顔をしてた。それで……いなくなったの、次の日……」
***
風すっかは鉛のような溜め息を吐いた。
柿ただちゃんも、いつもならとっくにお眠(ねむ)の時間なのに、眉間にシワを寄せて考え込んでいる。
「ボク達は、二十メートルの水の触手を擁するヒト喰い湖と闘った。火を吐く大猫とも闘った。それらが可愛く思えるね」
「風すっかは、どういう所がそれほど恐ろしいと思う?」
「たかがお喋りなんだよ? 暴力で薙ぎ払ったり火を吐いたりもしない。たった一人のたかがお喋りが、家族を離散させ、仲良く暮らしていたひとつの集落の平和をいとも簡単に破壊する……怖すぎるよ! しかもその最凶のウエポンを擁するばあさんは、おそらく多分、まったく自覚がないんだろ? 自分がトンでもない凶器を持っていて、それを振り回しているって事の」
「うん、キノコさんもそれ、言っていた。悪意のある相手になら、こちらからも対抗して、撃退する事が出来る。悪意があるヒトは、悪い事やってるから嫌われるんだって、ちゃんと理解出来るから。悪意がない相手は、対抗されたらただ自分が可哀想あのヒト酷いで完結しちゃって、ますますこじらせちゃうんだって」
「まあ、それで、恨まれても明日にはいなくなる僕らに、ズバリ言ってくれって事か」
「そういう事です。ごめん」
「高い水一杯だね」
「風すっか!!」
柿ただちゃんが沈黙を破った。
「は、はいっ」
「お茶入れて!!」
「え・・うん、……はい」
「大丈夫! 明日の朝一番、ただちゃんが水を汲みに行く!」
「…………」
「虎穴に入らずんばバターを得ずよ!!」
***
翌朝、柿ただちゃんは、だいちゃんのでっかい水筒を頭に乗せて、谷へ降りて行った。
だいちゃんと風すっかが物陰からそっと着いて行く。
泉に降りると、朝っぱらから……もしかしたら一晩中いたのかもしれないが……大きな耳の狐のおばあさんが、どっしりでん! と、居座っていた。
座布団の周りは何やらの食べかすが散らばっている。
「おはようございます!」
軽いジャブだ。
「まあまあまあまあ、おはようだって、おはようだって、へえ~」
スウェーされた。
「この泉の水を汲みたいの、よろしいかしら?」
ジャブ。
「へえ~、そんな事言ったって、アンタそりゃアンタ、アタシはここは古いですけどね、ここにずっと座ってて、もう腰が痛くて痛くて」
またスウェー。
「この水筒、私には大きいの、手伝って下さらない?」
スウェー返し。
「アンタ、常識で考えなさい、アンタ、普通違うでしょ、普通。いいとも、いいともさ、腰が痛いけれども、足も冷えてるけれども、アンタが手伝えと言うなら哀れなアタシは体に鞭打って手伝ってやるともさ」
おお、いきなりカカト落としだ。
「無理に手伝ってくれなくてもよろしくてよ、半分だけ汲みますわ」
「おや、おーおー、その水筒は、昨日の無礼な生き物が持っていたねー」
「無礼? 友人が何か失礼をしましたか?」
「無礼も無礼! 機嫌が悪いのかずっと黙ったきり、あれじゃこっちだって気分悪いよ。アレは、アレだね、頭の回転が悪い上に、性格がひねくれてるんだよ」
だいちゃんは木陰から飛び出しそうになった。
アンタが黙ってたから僕も黙っちゃったんじゃないか!
キノコさん達の気持ちが分かった。これは、ひとかけらも関わり合いになりたくなかろう。
「私の友人は無礼じゃありませんわ。遠慮深いだけです」
だいちゃんが柿ただちゃんをこんなに抱きしめたくなったのは初めてだ。
「アンタ、あれだね、ヒトの言う事を聞かない子だね、アタシャずっとこの谷にいてね、何でも知ってるさ、なーんでも、別に凄かないけどね」
「そうですか、別に凄くはないんですね」
「言葉をそのままとるんじゃないよ、いい? アンタ、そんな事じゃイケナイよ、みんなに嫌われるよ、アンタ、まあ、幸いアタシは寛容で物知りだからぜーんぜん、気にしないけどね、ここはね、みんなの憩いの場、わかる? 憩いの場、みんなが楽しく過ごす所だよ、情報交換なんかしてね、ここのヒト達はみんな大人しいからアタシがね、明るく取り仕切ってあげないとね、みんな感謝してるんだよ、アタシがね、いいんだけどね、腰も痛いし足も冷えるけど、アタシがね、身体に鞭打ってみんなの為に明るくね、アタシがね、あ――言ってる事わかる?」
柿ただちゃんは澄ました顔で水を汲み終えた。
「では、ご機嫌よう、『アタシがね』サン」
まだ何か喋っているおばあさんに背を向け、スタスタスタと泉を後にした。
だいちゃんが水筒を受け取って、柿ただちゃんをはぐはぐした。
「あれ?」
よく見ると、柿ただちゃんは白目を剥いて、耳から煙を吹いている。
***
「相当難解だわ」
柿ただちゃんは、オーバーヒートした前頭葉を冷やしながら、目を閉じて考え込んでいる。
「あれで悪意がないですって? 水一杯汲むだけで、こんなにダメージ食らうのに」
「やっぱボクが行く?」
確かにシビアで口が立つ風すっかなら、どうにかなるかもしれない。
「それは駄目」
「どうして? 柿ただちゃん。毒舌戦なら風すっかにも勝機がありそうだけれど」
「狐のおばあさんの毒舌と、風すっかのスパイシートークは、肝心な所が違うのよ」
「なに?」
「おばあさんはどんだけ喋っても喋った瞬間忘れてしまうけれど、風すっかは言った言葉に責任を持つから。人を傷つける言葉を喋ったら、自分も同じだけ傷付くのよ。勝負になる訳ないわ」
「…………」
「あのおばあさんを打ち負かす程喋ったら、風すっかは病気になって倒れてしまうわ」
風すっかは黙ってしまった。
柿ただちゃんは時々サラリとこういう事を言う。
戒律厳しく気難しい風の精が、種族の違う柿ただちゃんとずっと一緒にいられるのは、ここいら辺が理由なんだろう。
一人旅が好きなだいちゃんが、この二人と旅をしているのは、一人では経験できないそういった事を教わるからだ。
「あのおばあさんの中身を変えるのは無理ね」
「キノコさんの口振りでは、あの泉に居座るのをやめて欲しいだけみたいだよ。ボク、思うんだけれど、泉の畔は、谷の住人にとって、失ってみて初めて分かった大切な場所だったんじゃないかな。キノコさん、本当に寂しそうだった」
「じゃあ、目標は、泉の畔を住人の皆さんに返すって事だね。一時凌ぎではなく」
「うーん……」
「取りあえず朝ご飯にしましょう。脳に栄養送らなきゃ、良い考えも浮かばないわ」
柿ただちゃんは、昨日のチャパティの残りとチーズで、熱々のパンスープをこしらえた。
「わーい、こりゃ温まりそうだ」
「いただきます!」
「お?」
「柿ただちゃん、これ……?」
スープを食べるだいちゃんと風すっかの手が早まった。
「ふ・ふ・ふ♪」
「美味し~い~! 何? このくにゅくにゅしたの」
「初めて食べる~。まったりとして、それでいてしつこくなく……何だろ? これ」
「ふ・ふ・ふ・・今日のスープはスペシャル・サプライズよ」
「何? 何? 教えてよ」
「それはね……」
柿ただちゃんは一呼吸置いて言った。
「聞かない方がいいわっ♪」
「何だよ、それ」
「気になるよ、教えてよ」
「正体を知ると、食欲なくなるかもよ~」
「ええっ」
「何、食べさせるんだよ!」
「あら、ちゃんとした食材よ、栄養も満点なのよ」
柿ただちゃんは自分でスープをすすって見せた。
「ただ、ちょっと元の外見がアレな食べ物なの。だから、知らない方が美味しく食べられるわ。知っているただちゃんより、知らない二人の方が、絶対、より美味しいはずよ!」
「ん・ん~~? そういうもんか?」
「昨日通った沼で見つけたの」
「沼ぁ? おーい、気になるよお!」
「これだ!!」
風すっかが膝をポンと叩いた。
「何? このくにゅくにゅの正体分かったの?」
「違うよ、今の柿ただちゃんの言葉でピンと来たんだ」
「へ?」
「聞かない方がいい、知らない方が幸せ! これ、イケるかも!」
「なになに? 教えてよ――」
「うん、ちょっと待ってね」
風すっかはこめかみに指を当てて目を閉じた。
頭の中で、風の妖精の知識総動員で、すごい早さで計画を組み立てているんだ。
このモードに入った彼は、めっちゃ頼りになる。
「よし! キノコさんに、信頼出来て口の固い住人を集めて貰って」
「住民はおばあさんを恐れている。協力してくれるかなあ?」
「おばあさんの逆鱗に触れないやり方なら、協力してくれるよ。何より、自分達の事じゃん。それに、皆さんのストレスも、ちょっぴり解消出来ちゃうかもだよ」
***
狐のおばあさんの耳は、何一つ聞き漏らすものかと、アンテナのように左右に動かしているうちに、大きくなった。
特に、自分がいない時に自分の悪口を言われないように注意しなくちゃ。
いない者の悪口を言うのは世間のジョーシキですからね。朝から晩までここにいれば安心だわよ。
ふふふ・・と笑い声が聞こえて、赤い傘のキノコ妖精が、笑顔で道を降りてくる。
いつもは顔を伏せて無表情なヒトが、どうしたんだろう?
「おやおや、まあまあ、何笑ってるんだか」
キノコ妖精は、何を言われてもニコニコしながら、水を汲んで、おばあさんを見た。
「あら、狐さん、可笑しいのよ、あのね……」
「ちょーっと待ったあ!」
青い傘のキノコ妖精が、凄い勢いで駆け降りてきた。こちらも満面の笑みだ。
「言っちゃ駄目! 狐さんの楽しみを奪う事になるよ。なんせ、『アレ』は、あらかじめ知っていたら、面白さ台無しなんだから」
「そうね、ふふふ」
赤いキノコ妖精は、楽しそうに口を閉ざした。
「何だよ何だよ、アタシを仲間外れにしようってのかい? そんな事普通しないよ、嫌われるよ、社交場のルールってのはね……」
「駄目よ、口で言ってもあまり面白くないの、知らない方が幸せよ。『アレ』に初めて出くわした時の面白さを味わえるのは、知らない時の一度きりだもの」
「そうだね。ああ、まだ知らないなんて羨ましい。何せ『アレ』と来たら……ぷっくく・・」
「待って待って、思い出しちゃった、あははは」
二人のキノコ妖精は、喋り続けるおばあさんの声に被せて、自分達だけの会話をした。
やってみたら出来るもんだ。
「聞いている人不在の話は、頑張って聞いていなくていいんだよ。一人で勝手に喋っているだけなんだから、BGM的扱いでOK」
風すっかのスパイシーな一言が、住人達の肩の力を抜いた。
おばあさんは喋るのを途中で止めて、二人の会話に聞き入った。
何処か入り口はないかしら? 自分中心の話に持って行ける糸口は?
しかし『知らない方が幸せなアレ』の話では、知ったか振りも出来ない。
二人のキノコ妖精は、楽しそうに手を繋いで去って行った。
しばらく振りの、泉の畔の笑顔だった。
その日一日はそんな感じだった。
水汲みに来るほとんどの者が、何か楽しい事を抱えていて、ニコニコしている。
おばあさんが聞いても、『知らない方が楽しめる』という『好意』で、誰も教えてくれない。
自分が泉なんかに構けている間に、何処か知らない所で何か面白い事が繰り広げられているのだ。
おばあさんはたちまち自分の立場を『損』と考えるようになった。
自分の王国だった泉が、価値のないつまらない物に思えた。
***
キノコさんが、昨日とは打って変わった笑顔で、だいちゃん達の所へ水を持って来てくれた。
「お水ありがとう、キノコさん。もう、演技しなくていいのに、笑顔、張り付いちゃった?」
「うふふ、これは本心からの笑顔よ。ずっと笑う事なんて忘れていたみたい。久しぶりに、泉の横でお友達と笑い合って、本当に幸せだったって思い出したの。それにね、ちょっぴり卑しいんだけれど、狐さんのオロオロした感じが溜飲を下げてくれた。なんだか、前ほど怖くなくなったかもしれないわ」
風すっかの、『泉に張り付いている事をつまらなく思わせる作戦』に、『みんな笑顔で』と付け足したのは、柿ただちゃんだ。
「特に作戦的意味はないわ。ただ、笑っている事は力を生むのよ。おばあさんが今回、一時的に泉を離れたとしても、憩いの場を取り戻すには、やっぱり住人の皆さんの力が必要だと思うの」
「おばあさんの悪口と単語の羅列に振り回されない、強い力だね」
***
次の朝、ついに泉におばあさんの姿がなかった。
幻の『アレ』を探して谷をほっつき歩いているらしい。
「本当に『アレ』を見つけられればいいんだけれど」
「え、風すっか、『アレ』ってまったくのデタラメなんでしょ?」
出発の準備をしながら、だいちゃんが聞いた。
「ん、でも、おばあさんの中には存在するんだ。おばあさんが、ああこれだって納得いった物を見つけられたら、それが『アレ』になるんだよ。そうしたら、泉の横でくっちゃべってるだけの人生をつまらなく思えるんじゃないかな? まあ、それはボクの理想で、現実はそんな上手くいかないと思うけれど」
「風すっかの理想が叶うといいわね……」
柿ただちゃんが木立の間から、離れた岩の上を見やった。
狐のおばあさんが、ショールを風に揺らしながら、空を見上げてくしゃみをしている。
多分、久し振りに空なんて見たんだろう。
「さあ、行こう」
三人は荷物を担いで歩き出した。
「あ……?」
キノコさんが来た。
「あの、お礼を言いに。今朝、久しぶりにのんびりと水を汲んだの。泉に自分の笑顔が映るのも久しぶりで。今度こそ、あの場所を大切にするわ」
「うん、見ず知らずの僕に何回も水を汲んでくれたキノコさんなら、出来るよ」
「ありがとう、あ、それと……」
キノコさんは肩掛け鞄から何やら袋を取り出して、柿ただちゃんに渡した。
「これ、三人ともお好きだって言っていたから」
「あー、あれね。わあ、こんなに大きなの、ありがとう! この辺の沼にはよくいるの?」
「ええ、私も好きよ」
だいちゃんと風すっかは、その袋を凝視した。何やら、ばいんばいん動いている。
「あの……それ……?」
二人は声を揃えて聞いた。
柿ただちゃんは袋を素早く風呂敷に押し込んだ。
そして、キノコさんと声を揃えて言った。
「知らない方が幸せよ!」
ばいん。
~おしまい ~
おつかれさまでした
読んで下さってありがとうございます