深山さんちのベルテイン/the Great Ultimate One 作:黒兎可
「いや、僕の水着まで買う必要あったのかな、理々さんや」
「う、うるさいわねっ。必要あんのよ。大体私にビキニ薦めといて嫌味!?」
「ちょっと、何に激昂してるかちょっとわかんないや……」
「ははは、まあ言ってやるなよ、ほれほれ」
週末の沖縄旅行に向けて、理々と琥太郎は水着を買い出しに行っていた。当然部活はサボりである。何もそんなに急がなくても、というか学校のを使えばいいんじゃ、という琥太郎の意見に有無を言わせない理々と、ひらひら手を振りついてくる耕平という絵面が中々に連携がとれていた。
時刻はまだ夕方。いつかのように理々を送る琥太郎であったが、もっとも今回は二人きりというわけではない。琥太郎の背中にひっついて、ベータがひょっこり顔を出していた。ベータは半眼で琥太郎の頬をつつく。
「コタロー様とて、ブーメランパンツは嫌なはずであります。ブーメランは嫌なはずであります」
「うっ、それはそうだけどさ……。でも、似合うと思って…………」
「ころ太のスケベっ」
「いい趣味してはいるわな」
「そ、そういう意図があったわけじゃ――――」
「っていっても、仕返しに女物の水着を着せる理々も理々だと思うけど」
「だ、だって私ばっかり損してるじゃない!」
「そ、損!?」
「そういうところ、押しが足りないであります。足りないであります」
「あー、もう話がややこしくなるの、ベル助っ」
しかし琥太郎からすれば、ただただ純粋に、空手だの何だの色々と学んでる彼女のスタイルには合っているという、彼個人の率直な意見だった。ちなみにそれを受けて色々と妥協した結果であるが、おおむね次話か原作2巻をご参照あれというところであった。筆者も最近ようやく物理書籍を手に入れられたとか、そういう余計な話はおいておいて。
「しっかし何ていうかアレだよなー。ホント、よくまた仲良くなったよなお前らも」
「?」「別に、ずっと仲良しじゃなかった? 私たち」
「いや、そうだけどそうじゃねぇって。俺も詳しく知らねぇけど、小学何年生くらいの頃だったか忘れたけど、大ゲンカしたことあったじゃん。あれからよくもまぁここまで回復したもんだなって思って」
「あれ、そこまで酷かったの、私たち……?」
「正直、琥太郎が男らしくなっていったのってアレ以降だと思ってる。まあそれでも女の子っぽいけど」
「あはは……、撤回を要求できない自分が悲しいなぁ……」
「そんなに大ゲンカだったでありますか?」
ベータの言葉に、耕平が二度頷いた。大切なことなので二回主張したいのだろうか。
「ふむ。さすがにそのあたりは深山博士のデータにもないところでありますね……。バルテルミー博士もすでに帰国していたであります」
「「バルテルミー?」」
「お母さんの同僚さんで、当時天才少女だった人。理々は覚えてない? 今でもたまーに遊びに来てるけど」
「あー、なんか金髪さんだったかしら……?」
「ちなみに、私たちの開発協力者の一人でもあるであります」
「完全に公私混同してるじゃん、お母さんたち……」
困ったように笑う琥太郎。やはり頭を抱える理々。よくわからないけど楽し気な耕平と、そして琥太郎と理々にじろっと半眼を向けるベータ。視線に気づき思わずたじろぐ二人に、ベータは「で?」と催促した。
「でって?」「何よ」
「だから、いったい何があってケンカしたでありますか」
顔を見合わせる琥太郎と理々。と、ふと理々が「あっ」と面倒そうな顔になった。どうやら何かに思い至ったようである。
「あー、あれよね、たぶん。思い出したわ。ちょうど話題にあがってた、バルなんとかさんが来てたときの話じゃない?」
「んー? ……ああ、あれね」
苦笑いする琥太郎とばつが悪そうな理々。
「俺もちょっと興味あるけど、なに、何か大変なことだったりするか?」
「そういうわけじゃないけど……、まぁ、単に行き違いしてたって感じよ」
「いや、ちょっと違うかなーと。うん、僕、あの時の理々のことは格好良いなーって思ったかな」
「………………っ!」
顔を真っ赤にして琥太郎をにらむも、にこにこ笑顔の彼の前にすぐさま意気消沈する理々。琥太郎は苦笑いしながら空を見上げ、そして口を開いた。
※
深山琥太郎、当時は小学一年生。
その頃はもうすぐ二年生、春休みのほんの少しの時期のうちのいつかが、母親の一周忌だった。
大体、三月の中ごろか。いまいち理解していない様子のまま、彼は黒い喪服のまま、仏壇でダブルピースする母親の写真を不思議そうに見ていた。
「お母さんはいつになったら帰ってくるの?」
ただただそれを父親に聞き、何も言わず彼は琥太郎を抱きしめるばかり。彼女の親友だった理々や耕平の母親もまたそれに涙し、子供たちはやはりどこかわからないといった顔をしていた。
いや、違う。唯一、理々だけは三人の中で、何かを察したように目を伏せて、写真をちらちら見ていた。決して「もっと良い遺影なかったのかしら」とかそんなことを思っているわけではなかったろう。遺影とイエーイみたいなおやじギャグめいたアトモスフィアを醸し出していることと無関係なはずだ。
当時からすでに父親が女装をはじめるという謎の言動を行っていたりもしたのだが、そのことについてもいまいち理解していなかった琥太郎である。当時六歳の彼は、しかし今だ情緒の面においてその事実を処理しきれないでいたのだ。
そしてある日、事件は起こった。
「おとーさんが、おかーさんみたいなかっこうしてて、それがなんかおっかしいの! だからわたし、おかあさんがかえってきたら、たくさんはなすんだ!」
「………………いつまでも、おかーさん、おかーさんて言ってたらだめよ、ころた」
「りりさん?」
「しんじゃうっていうのは、そういうことなのよ」
「?」
「もう、かえってこれないってことなの――――もうあえないってことなの!」
それは、彼女の遺体を直に見たわけでなかったことも理由の一つかもしれない。
実験場での事故だか台風だか、いろいろ要因が重なった結果亡くなったというレベルの情報であり、彼女の遺体は損壊状況がひどく、肉片すら残っていない。結果的に遺品くらいしか帰ってこなく、葬式においても納骨などをしたことがなかったせいもあるだろう。いまだに母親がどこかで生きているような――――そんなふわふわした感覚が、琥太郎の中に存在したのだ。
だからこそ、母親の実在を前提に話していた琥太郎に、理々は耐えきれなくなった。
彼女は知っていたのだ。親類の死を。その際に、明確に死というものの恐怖を、正面からとらえたのだ。
それ故に、琥太郎の言葉に我慢できなかったのだろう。
真実を伝えることが正しいことだと。わからないままにするのはいけないことだと。
だからこそ――――その死の気配というものを明確にとらえてしまった琥太郎は。彼女からディティールを語られるまでもなく、彼女の言葉をもとに葬儀の際も、それ以降の母親がいない時期も、すべてひっくるめて記憶が連鎖し、それを知ってしまったからこそ、泣いてしまった。
理々もそうなってしまうと気づかず泣かせてしまい、そしてそのショックでわんわん泣いた。二人そろって大泣きである。
理々は母親に話すことができなかったものの、琥太郎はたどたどしくも、母親に二度と会えないのかということを、父親に聞き始めていた。父は何も言えず、ただただ抱きしめるほかなかった。
「――――琥太郎君、危ないですよ」
「あ、シアおねえちゃん」
2階のベランダから星空を眺める琥太郎に声がかけられる。長い亜麻色の髪を適当にまとめた、碧眼の少女。当時はまだ、あまりおしゃれなど服装に頓着してる雰囲気はないが、目鼻立ちはすっきりとした、化粧っ気のない彼女。母親と一緒に働いていたらしい、オルテンシア・バルテルミーである。
彼女は「乗り出したら落ちちゃいます」と彼を抱えると、そのまま膝の上にのせて両腕を組んで作ったシートベルトで腰のあたりをロックした。
「琥太郎君、空を見るのが好きですね」
「うん。すきー」
「なんで好きなんですか? シアお姉ちゃん、琥太郎くんのことが気になります」
「んとねー。わたしも、よくわかんない。わかんないけど、こう、すごい! すごいの。だからすき」
子供らしく言葉にはうまくできていないが、それでも琥太郎は必死に言葉にしようとする。それをほほえましく見ながら、彼女は琥太郎の頭をなで。
「深山博士――――琥太郎君のお母さんは言っていました。琥太郎君が小学校にあがったら、できればずっといてあげたいと」
「――――――――えっ」
「だから、できる限り頑張ると。お父さんとも相談して、色々手をつくすと」
「…………」
お母さんの嘘つき、と。
小さくつぶやいた琥太郎。震えながら、涙が流れる彼を、やはり彼女はそっと抱きしめて。
「男の子は、泣いちゃいけないんだそうです」
「わたし、よく、わかんない……、」
星空の下、小さく琥太郎は涙を流していた。
※
「すまん、そこから仲直りできるビジョンが全く見えないんだけど」
「あはは……」
琥太郎の話を聞き、ばつの悪そうな理々と、困惑した様子の耕平。一方ベータは普段通りというか、冷静に話を聞いている。
「で、そのまま四月入ってからしばらくもぎくしゃくしてたのは事実なんだけど、アクションを起こしたのは理々さんのほうだったんだよね」
「…………」
「で、何言ったんだ?」
ちらりと理々のほうを見る琥太郎。彼女がしぶしぶとうなづいたのを見て、少しだけ微笑み。
「――――――理々のおばあちゃんが亡くなったときの話をされたの」
ベータと耕平は、二の句が次げなかった。
「昔、理々はお祖母ちゃん子だったってさ。だから亡くなったとき、すごくショックが大きくて。でも、だんだんとそれを忘れようとして、忘れないと辛くて仕方がなくって。お母さんが家にいてくれるようになったけど、それでもお祖母ちゃんがいなくなってしまった分を埋められなくて、だから必死で忘れようとしたって。
でも――――」
『――――でも、それじゃダメ! おかあさんがいなくなっちゃったことから、にげちゃだめなの! たいせつだから、かなしいのはころただけじゃないの! ころたのおかあさんも、わたしのおかあさんも、わたしだって!
だって、それじゃ、おかあさんがかわいそう! わすれられたら、さみしいもの!』
空を見上げ、遠い目をする琥太郎。普段、子供っぽいというか、かわいらしい女の子めいた雰囲気であることも手伝って、その横顔は妙に大人びて見えた。
「泣きながら、強がって叫ばれちゃ、ね。でもあれは、ホント、かっこよかったなーって」
「……私も、色々、考えるところがあったのよ。まあ、そういうこと」
「誰に言い訳してるでありますか」
「う、うっさいっ。っていうか、そもそもなんでこんな黒歴史みたいな話になってるのよ、やめなさいってば!」
ぎゃーぎゃーと殴りにかかる理々と、買い物袋でガードする琥太郎と耕平。「おいおいおい!」とほほが引きつる耕平と違い、琥太は苦笑いしながら「まあまあ」と止めた。そして夕暮れの空を見上げ。
「ほら、顧問の、更科先生も言ってたよね。絵を描くことは魔法だって。だったらさ。僕もいつか、お母さんとちゃんと向き合って、描くことができるかなーって」
「……その前にころ太はちゃんと、描けるようになってからじゃない」
「だな」
「え、ちょっと二人とも酷くないかな!?」
わいのわいのと仲の良い三人を前に、ベータもまた空を見上げてから。
「――――なるほど、だからなのかしらね」
らしくないように、口調を崩して頷いた。
※
「――――でも、それじゃダメ! おかあさんがいなくなっちゃったことから、にげちゃだめなの! たいせつだから、かなしいのはころただけじゃないの! ころたのおかあさんも、わたしのおかあさんも、わたしだって!
だって、それじゃ、おかあさんがかわいそう! わすれられたら、さみしいもの!」
理々の言葉に。夜の公園でうずくまっていた彼に。理々は泣きながら、肩をつかんで正面から向き合っていた。
時々、家に帰ってくるのが遅いと。父親とオルテンシアとが探してるのをたまたま理々が目撃。私なら場所がわかるからと走り、そして公園のアスレチックのぶらんこを漕ぎながら、じっと空を見上げる琥太郎。それを見て、なんだか理々は泣きたくて仕方がなかった。
彼女の涙が伝播したように、琥太郎もべそをかきはじめている。理々も悪いわけではない。ただそれでも、彼女が自分に直視させたということから苦手意識めいたものが生まれてしまっていたというだけで。実際のところ、理々もまた向き合わなきゃと。そうじゃないといけないと涙ながらに話されては、琥太郎も逃げられなかった。
「だけど、わたし、わすれられないよ――――おかあさんの、おはかって、いみが、わかったけど……! だって、おはかまいりなんて、できないよ!」
「わたしだってできないもん! おばあちゃんのおはかまいりなんて! でも、もうおばあちゃんもいないもん! だからわたしがこなかったら、おばあちゃんも、わたしにあえないもん!」
「りりちゃん……」
「だから……、だから、わたしだって、わすれられないもん。わすれられないから、でも、だから、すこしずつ前をむかなきゃいけないんだって。だから、ころたも……、そのときは、いっしょにきてくれる?」
泣きながら、しかし声を荒げず。
琥太郎に必死で笑いかけようとする理々に、そして、琥太郎は夜空を見上げる。
「おかあさん、ひこうきにのるはずだったんだって」
「…………」
「てんごくとかさ、あるか、わからないけどさ。あえないんならいっしょだって。でも、おかあさんにあいたいって、わたしがしんだら、おとうさんともあえなくなるし、りりちゃんとも、こーへーともあえなくなるから。それも、いやだなって」
「ころた……」
「だけどさ? おかあさんも、このそら、みてるのかな――――」
自分の中にあるそれを消化しきれないまでも。琥太郎は涙をこらえながら、理々の目を見つめる。両手も震え、体の感覚も薄く。それでもなお、理々と目を合わせて。
「だったらさ。ぼくも、おかあさんも、さみしくないのかな?」
「ころた――――」
「りりちゃん……! でも、
抑えきれないように、理々に抱き着く琥太郎。声も涙もこらえて、ふるえる。
そんな琥太郎を、泣きながら理々も抱きしめ返す。
「ころた……、じゃあ、がんばろ? ちょっとずつさ」
「うん……」
「ちょっとずつ、いまはむりでも、いつか、おかあさんのさ。おはかまいり、いこ?」
「うん……、うん……」
「ころた……」
「りり
琥太郎も、理々も、どちらも泣きはらしながら。
それでも、それでも立ち上がろうと。
公園の入り口で、オルテンシアが泣き続ける二人を見つけるも。それでも涙ながらに、そっと、泣き止むまで見守っていた。
いまだに琥太郎は、母親の墓参りには行けてない。
次回、水着回