陽だまりな彼女
仕事。仕事。……仕事。家に居る時間よりも仕事場に居る時間の方が長いことは火を見るよりも明らかだ。……いや、もしかしたらそれが働くってことなのかもしれないけれど、それでも不満がないわけではないからね。
払いは悪くないし仕事内容も決してブラックとは言い難い。そんな中でこんな愚痴を言うのは贅沢かもしれないけれど、僕にだって愚痴る権利くらいあると思う。……こんなことを上司に聞かれたりしたら、苦笑されると思うけどね。
いつも通り仕事を終わらせ、趣味の音楽が響く車で家に帰る。少し仕事場まで長い時間運転しないといけないからか少し疲れる。運転はあまり適当だと注意がおろそかになって事故を起こしてしまうからね。
それで失うのは他でもない自分自身の命なんだから、気をつけて運転しないと。
……家で待ってくれている
重い体をどうにか車という名の棺桶から動かし、家の玄関へと向かう。……今の言い方だとまるで僕が車で事故を起こして最期を迎えるみたいだね。縁起でもない。
そんなことはさておき、朝より少しばかり重く感じる扉を開ける。実際は重さなんて変わるはずないのに。
扉を開けば一人暮らしのような冷たい暗闇は見えず、誰かが居るような温かみのある光が出迎えてくれる。出迎えてくれるなんて言ったけれど、玄関に光が灯っているわけではないからどうやら奥に居るみたいだ。
重かったはずの足取りはいつの間にか軽くなり、いつもは靴を整えて入る時間すらも、今は惜しい。
「おー。おかえり~☆」
「ただいま。リサ」
彼女の名前は今井リサ。僕の数少ない女友達で、幼馴染で……大切な恋人だ。
「あー!また疲れた顔してるじゃん!無理しちゃダメだって、いつも言ってるよね?」
「……ごめん」
余談だけど、僕は体が弱い。病室で寝たきり、というような弱さではないけれど、季節の変わり目には体を壊すのがお約束になっている現状、強くないのは間違いないと思う。だから彼女は僕を心配してるんだろうね。
「また倒れたらアタシ……」
「……」
一度だけ、リサの目の前で倒れたことがあるんだけど……たしかあの時は疲労が原因の眩暈だったかな。それでリサに心配かけちゃって、泣かせたりもしちゃったんだよね。あの時反省して無理をしないようにしていることは彼女にも言ってあるはずだけど、心配性な彼女はどうにも納得してくれない。
……僕の話はどうでもいいね。それよりも彼女を心配させないようにしないと。
「……大丈夫。僕は倒れるかもしれないけど、本当の意味ではまだ倒れられないから」
「うーん……倒れないでほしいんだけどな……まあいっか。あなたはそういう人だもんね」
どこか諦めたように苦笑交じりの笑顔を向けてくる彼女を少し愛おしく感じてしまった。相手は至って本気だっていうのに僕がこれじゃあいけないよね。
「そういえばご飯出来てたんだった!食べるでしょ?」
「うん。せっかくだしいただこうかな」
「じゃあ、用意するね!」
そう言って立ち上がるリサを追わずに自分の部屋に行ってスーツの上を脱いでついでに鞄も置いておく。この前リサに手伝うと申し出たら……
『いいから休んでて!』
むしろ怒られてしまった。彼女なりの気遣いなのだとしても、少し理不尽じゃないかな……。そんなことを思い出しながら部屋に戻ると箸を並べてくれてるリサの後ろ姿が見える。どうやらちょうど料理を運び終えたところみたいだ。
「今日はかつ丼にしてみたよ~♪あ、お味噌汁はおかわりあるからどんどんおかわりしてね!」
「うん。ありがとう。じゃあ……」
食べる時の定型文を口にする。
「「いただきます」」
*
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末様でした~♪」
彼女が片付け始める決して小さくはない、でも僕よりは小さな背中を眺める。……スタイルいいよなぁ。
「おいしかった?」
「えっ……あ、うん……」
危なかった……。彼女にこんなこと考えてるって知られたら怒られちゃうからね。少し挙動不審になったけど、なんとか誤魔化せた……かな?
「そっかー……!なら良かったよ!」
……僕は、彼女の浮かべる陽だまりのような笑顔が好きだ。誰よりも優しく、抱きしめるような温かみのある笑顔。そんな笑顔を見ると、心臓がうるさいくらいに警笛を鳴らしてくる。それ以上行けば彼女に溺れてしまうと。……いいじゃないか。好きな人に溺れられるなら、それほど幸せな事はないんだから。
……自分で考えて恥ずかしくなる僕には、彼女に直接言うなんて、当分先のことになるとは思うけれど。
「そういえば髪少し伸びた?」
「うん、髪、伸びちゃったね~。あなたが長い方が好きだっていうから伸ばしてたんだけど……」
彼女の髪は長い。髪の後ろで結わえるくらいには。どうやら僕のために伸ばしてくれてたらしいね。そんな事実に思わず口元が緩んでいた僕の気持ちは、次の彼女の言葉で揺さぶられてしまう。
「……切っちゃおうか?」
「え!?」
あまりの衝撃に思わず立ち上がってしまう。そんな僕に彼女は苦笑している。あまりの恥ずかしさに、ショートしそうな頭を抱えてなんとか座り込む。一度、しっかりと深呼吸をする。このままだと絶対に余計なことを口走ってしまうから。
……幾分か血のめぐりが収まってきた頃、なんとか顔を上げる。まだ顔は熱いままだけど……。
「えっと……出来ればそのままでいてほしい……かな……」
「オッケー☆じゃあもうこのままにしとくね!」
いつも通り返事をしてくれる彼女は、いつもより機嫌が良さそうだ。……なにかいいことでもあったのかな?……そういえば、明日は……
「リサ、スーツの準備ってしてくれた?」
「え、スーツ?」
そんなこと聞いた覚えがないといったような反応をするリサ。えーっと……これはまさか……?
「明日、会議があるからって言ってあったはずなんだけど……覚えてない?」
「え!?明日だっけ!?やば、クリーニング出してない……」
「だよねぇ……」
どうやらリサは少し前にクリーニングに出すように頼んでおいたことを忘れていたみたいだ。……とはいえ、そもそも僕がクリーニングに出しておけば良かったんだ。彼女を責めるのはお門違いというものだと思う。
「……たしかほとんど汚れはなかったはずだよね?」
「あ……うん……ほとんど汚れてないと思うけど」
「なら問題ないね。それを着ていくよ」
「……本当にごめん!アイロンだけかけておくから!」
そういって頭を下げてくる彼女。でも、実際は彼女に一切の非がないからのだからそうされても困るのだけれど……。とはいえ、彼女は外見に反して、こういったことを気にするタイプの人だ。仮に僕が今、「顔をあげて」と言っても聞いてくれないと思う。うーん……。どうしたら顔を上げてくれるかな……。
「いやいいよ。リサがやったらアイロンで焦がしそうだし」
「焦がしそう!?アタシそんなにポンコツだと思われてるの!?大丈夫だって!スーツくらい。……たぶん。たぶん……」
「なんでそこで不安そうなの……?」
ともあれ、なんとか顔を上げてくれた。彼女にはできるなら笑顔でいてほしい。無理をしたような影が差す、歪な笑顔じゃなくて、照らしてくれるような陽だまりのような笑顔で。
「とにかく、元々はクリーニングに自分で出しにいかなかった僕が悪いんだから、リサはなにも気にする必要ないよ」
「うーん……わかった……。スーツを用意するだけにしておくよ」
どうやら納得してくれたみたいだね。……良かった。これで納得してくれなかったらどうしようって思ってたよ。そもそも彼女は他人を尊重し過ぎだ。自分を蔑ろにしたとしても、それは尊重とはまた違う。そんなの……ただの自己犠牲だ。
「あのさ……好きだよ」
「……え?」
リサが急にそんなことをいうものだから、僕は固まってしまう。突然どうしたんだろう……。いや僕も好きだけど。好きだからこんなに愛おしいんだけど。それを言われて嬉しくないわけないんだけれど。
「……えっと、急にどうしたの?」
「たいていのことはこれを言っておけば許してもらえるかな~って」
「えぇ……」
そんなことしなくても怒ってすらいないのに……。よし、なら少しいたずらをしよう。
「じゃあ僕のどんなところが好き?」
「え、どんなところが好きか?うーん……全部っていうのはなし?」
「それはそれで嬉しいけど、それはなしで」
さすがに一切の不満がないなんてことはないと思う。僕だってリサに不満のひとつやふたつあるからね。そうたとえば……かわいすぎるだとか。気が利きすぎるとか。女子力が高すぎるとか。
「そうだね。それじゃあ……アタシのことを好きでいてくれるところが一番好きかな!」
「っ……!」
あまりの恥ずかしさにまるでスチームポットみたいに顔が熱くなっていく。頭が真っ白になっていく。こんな答え方されるなんてまったく思ってなかった……。
「あと、甘えさせてくれるし。アタシに甘えてくるところもかわいくて好きだけどさ……あと、なんだかんだで優しいし。…ときどきドSだけど。やっぱり、アタシは全部好きかな!」
「……僕のこと、好きになってよかったって思ってくれる?」
ダメ押しと言わんばかりにそんな質問をする僕。どれだけ彼女が想ってくれるかなんて、僕自身も分かっているはずなのに。本当に、自分勝手だな、僕は。でも、そんな僕にも彼女は笑って……
「うん、あなたを好きになってよかった!だって、今こんなに幸せなんだもん!……って、普段こんなこと言わないからなんだか恥ずかしくなってきちゃったじゃん!」
「あはは……ごめん……」
少し無理を言いすぎてしまったね……。少しふくれっ面になってしまった。大変可愛らしいからやめてほしい。
「もう……あなたもアタシのこと好きって言ってくれなきゃ許さないからね」
「あ……えっと……す……好きです……」
「ん、よろしい」
ちっとも男らしくない、それどころかむしろ女性なんじゃないかというほどのハッキリしない返事でも、彼女は納得してくれたようだ。満面の笑みを向けてくれる。それだけで胸のあたりが温かくなる。
「あなたに好きって言われると、なんだか安心するよ~!」
「そっか……」
「愛してるよ」
「えっと……急にどうしたの?」
先ほどの熱が冷めていない頭に追い打ちをかけるのは出来ればやめてほしいんだけどな……。
「ん、なんとなく、言いたかっただけだから。深い意味はないよ?深い想いはあるけど」
「……そっか」
「あれ、あなたは私のこと愛してくれないの?ひどい、傷つきそう……」
……これはあれだろうか。僕にも同じことを言えって言っているのかな。
「えっと……どうすればいい?」
「んー……そうだね~……」
猫みたいな口元を緩ませる彼女。……どうやら僕の予想通りになりそうだね。こういう時の彼女は普段より輝いて見える。
「じゃあ今度は愛してるって言ってみようか!」
「……愛してる」
「んー?聞こえないな~?ちょっと耳が遠くなっちゃったみたいで~」
「……」
この恋人様は……。よし、それなら僕にも考えがある。思い付いた行動を実践すべく、彼女の耳元に顔を寄せる。驚いた顔をしている彼女だけれど、もう遅いよ。
「あいしてる」
「ひゃっ……み……耳元でささやくのは反則でしょ……!アタシ怒ったからね!」
いくらなんでも理不尽じゃないかな……。この前されてみたいって少女漫画を読みながらつぶやいていたから実践しただけなのに……。また頬を膨らませて今度は涙目でこちらを睨んでくる。
「よ……夜寝るときに、耳元でずっと愛してるってささやき続けるから!許してほしければ、アタシの耳元で愛してるってささやき続けてね?」
これが幸せな拷問というやつだろうか?いや、僕は明日仕事だから是非とも寝かせてほしいんだけれど……それよりさっきのやつ気に入ったんだね……。
「あ、ところでこのあと買い物行こうとしてたんだけど、付き合ってくれないかな?」
「今から?」
切り替えが早いことで……。時計を確認すると、幸い、買い物が出来そうな時間ではある。断る理由もないし、断ったらあとが怖いから行こうかな。……リサと少しでも一緒に居たいし。
「いいよ」
「ありがとう!それじゃあ今の時間は……駅前のスーパーでいっかな!」
「荷物持ちくらいにしかならないと思うけど」
「うん、荷物持ちよろしく~♪それじゃあ、行こう!」
先ほどまでの疲労感がなくなった体を動かして、玄関を出る。少し座りすぎたかな……。体が少し痛い。学生の時のようにはいかないね……。
「あ、お財布忘れた……」
「僕の財布から出すから大丈夫だって」
「そう?じゃあお願いしよっかな!じゃあ今度こそ、行こっか!」
「うん」
今度は……筑前煮をつくってもらおうかな