I wanna make a rainbow with you   作:old777

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「サヨリったら、だいぶとダメージを受けているみたいね」
「この調子なら、文化祭が始まる前にケリをつけられるかも?」
「というか、それまでにケリをつけないと物語が終わっちゃうんだけどね」
「やるなら素早く、徹底的にやるしかないわ……」



HEAVY DAY

こんなに胸が苦しい理由はわかってる。

頭ではわかってるつもり

でも心では理解したくなかった。

冗談だって言ってほしかった。

冷え切った心にはドアノブの冷たさすら温かく感じる

扉を開ける。

 

 

色を失った玄関が出迎えてくれる。

ぐらり

眩暈がする。

 

存在意義がなくなったように感じる。

寒さが骨身に染みる

 

温かいのは頬を伝う涙だけだった

 

玄関に膝をつき、嗚咽を漏らす。

二度と止まない雨が降る。

 

 

止まない雨はここにあった。

しばらく動けなかった、海の底に重りをつけて沈められているような

息ができない、助けてくれる人もいない。

 

 

極寒の海で一人きり。太陽の光はもう届かない。

 

 

嗚咽を漏らしながら階段を上がる

足は鉛をつけているかのように重く

階段に何度も躓く。

階段を登りきるころには四つん這いで這うように上っていた。

涙のお池が点々と続いている

 

部屋の扉をガチャリと開ける

木製の扉がやけに重い

 

布団に潜り込む

体と心は冷え切ったまま。

それでも考えるのは彼の事。

ただ一つ違うのは。

 

 

考えていたのは、ユリちゃんと一緒にいる彼の事。

今まで一緒にいてくれていた。

彼を沈めていた重りは、断ち切れて、ユリちゃんの元に向かっていく

十数年物の重り。どれだけの負担になっていたんだろう。

 

 

吐き気がこみあげてくる。

ユリちゃんと一緒に帰るタチバナ。

一緒にお買い物をするタチバナ。

一緒に隣で小説を読むタチバナ。

一緒にデートをするタチバナ。

ユリちゃんと……一つになるタチバナ。

 

 

考えるたびに心から熱が奪われていく。

考えても仕方ないのはわかっている。

それでも考えてしまう自分がいる。

考えるたびに心は沈んでいく

だれの手にも届かないところまで。

 

ポケットに入れていたスマホが振動する。

タチバナからの着信なのかもしれない。

できるだけ涙をぬぐって、声を作る努力をする。

スマホをポケットから取り出す。

 

画面には「モニカ」の三文字

振動と一緒にLEDがちかちかと点灯する

文化祭に関する打ち合わせなのか。

でなければ、彼女に迷惑がかかる。

出て、話だけ聞いてすぐ切ってしまおう。

まともに会話できる状態ではなかった。

 

「あっ!サヨリ!」

電話口からモニカちゃんの明るい声が聞こえる

「……」

口を開いても声が出ない。

泣き疲れて喉がつぶれたわけでもない。

ただただ息を吸っていた。

喉から空気が漏れているかのようにヒューヒューと音がする。

 

「サヨリ、大丈夫なの?」

モニカちゃんが心配している。

何とか声を振り絞る

「うん、ちょっと寝てて……」

眠れたのならどれだけいいのだろう。

羊をいくら数えても眠れる気がしないや。

 

「うん、文化祭の事でちょっとね」

「伝えるだけだけだから、そのまま聞いてくれてるだけで構わないわ」

モニカちゃんは文化祭のことについて私に伝えてくる。

その声は海底までは届かない。

モニカちゃんの話は続く。

 

「でね、タチバナ君にはね……」

彼の名前だけはっきりと認識できる。

必死に耳を傾けたくなる。

「タチバナ君には誰かの作業を手伝ってもらおうと思っているの」

まだ決めていないということは、おそらく明日タチバナに決めさせるのだろう。

 

私は選ばれない。

きっとユリちゃんを選ぶだろう。

沈み切った心に有刺鉄線が巻かれていく。

私の心は傷を負う。

彼に近づくために動こうとも。

彼から離れようと動こうとも。

 

「ナツキにはカップケーキを作ってもらおうと思ってるの!」

「ユリは……今はまだ思いつかないわね。彼女から提案があるかもしれないし!」

「それで、サヨリには私のお手伝いをしてもらいたいの!構わないかしら?」

 

電話口から音が途切れる。

聞いていなかったわけではない

聞こえてなかったわけでもない

理解ができなかっただけだった

 

「もしも~し、サヨリ?」

「うん、大丈夫。手伝うよ」

精一杯の声だった。

こう言うしかなかった。

今の私にはタチバナと一緒に何かしたいなんて思っても言えなかった。

 

彼の負担になりたくなかった。

ユリちゃんとの仲を邪魔したくなかった。

でもその一言を告げるために

私の心に有刺鉄線のとげは刺さり続ける。

 

刺さった先から冷たい水が流入してくる

このまま、朝になって体が冷たくなってしまえばいいと思う

「タチバナ君はだれを選ぶかしらね?」

モニカちゃんは明るく言う

 

「やっぱりユリかしら!最近彼のお気に入りだもんね!」

モニカちゃんは深海めがけて剣を投げつけてくる

そして私の心に突き刺さる。

出血多量で心が死んでしまいそうだ

 

「美人で、賢いから私も納得しちゃった!」

「ねぇ、サヨリ今日見た二人本当にお似合いじゃなかった?」

「文学少女にドキドキしてるタチバナ君、見ててきゅんとしちゃったわ」

「あなたたちでは、あり得ないシチュエーションよね」

「雪の降る夜に、ユリとタチバナ君二人同じブランケットの下で」

「暖炉の火にあたりながら、一つの本を一緒に読むのよ」

「でも、暖炉の温かさより、隣にいる人の温かさのほうが温かくって……」

「ってしゃべりすぎちゃった!」

「ごめんね、友達と恋バナすることってあんまりなくって!つい興奮しちゃったわ」

 

無慈悲に何本も投げつけてくる。

正確に、私だけを狙い撃ちして。

終話ボタンに手が伸びる。

終話ボタンを指でスライドする。

もう、これ以上聞きたくなかった。

 

何も感じたくない。

「私や、あなたじゃ到底太刀打ちできないわよね!」

「幼馴染だってことを加味してもね」

何度も終話ボタンをスライドさせる。

それなのに通話は終わってくれない。

 

「幼馴染って地位にあぐらをかきすぎてたのかもね」

「それだけじゃ、彼はなびいてくれないわよ」

スマホの電源ボタンを長押しする。

電源は切れてくれない。

 

「モニカちゃんの恋愛アドバイス!」

「時には、あきらめも肝心よ!」

「タチバナ君を諦めて、ほかの人でも探したらどう?勝ち目ないわよ?」

「やめて!!!」

 

必死に声を張り上げる

モニカちゃんの声が聞きたくなかった。

だから代わりに私の声で上書きしようとした

でも、私の叫びを聞いてなお、モニカちゃんは続ける。

 

「どうして?自業自得じゃない?」

「あの関係が心地よかったのかしら?」

「でもタチバナ君はそれじゃ満足できなかったみたいね」

「ユリのほうがもっと魅力的だったってだけじゃない?」

「私は間違ったこと言っているかしら?」

 

もはや、声を出す元気すら残っていない。

ただただ、負の感情が体の中を駆け巡る。

行き先は涙腺だった。

 

大粒の涙がいくつもこぼれ

枕を濡らす。

電話が通じていることもお構いなしに泣き叫ぶ

 

泣いて

 

泣いて泣いて

 

泣いて泣いて泣いて

 

泣き疲れるまで、泣き続けた。

かれこれ1時間は涙が止まっていないだろう。

いつの間にか、スマホの画面は暗くなっていた。

 

消えてしまいたい。

このまま海の泡となって消えてしまいたい。

ベッドのシーツを力強く握りしめる。

 

血が出るんじゃないかってほどに力いっぱい握りしめる。

その手に何もつかめないとわかっていても。

それでも何かをつかんでいたかった。

 

思い出だけはきれいに。

頭のビンの中にそっとしまい込む

タチバナといた思い出。

小さいころの大切な思い出。

私の唯一の心のよりどころ。

 

 

ふらふらと立ち上がる。

真っ赤に染まっていた部屋は

今は真っ暗な闇に包まれていた。

 

力なく階段を降りる。

このまま前に向かってこけてしまえば……

 

キッチンへ向かう。

冷蔵庫から食材を取る

ご飯と、鶏肉、玉ねぎとニンジン

今日もオムライスの予定だった。

まな板と、包丁を用意する。

これで刺してしまえば……

 

食材を切り、フライパンに入れる。

ガスのつまみを回して食材に火を入れる。

この火が燃え移ってくれれば……

 

ある程度炒めて、火を止める。

ガスだけがこのまま出続けてくれれば……

 

皿に盛り、口に運ぶ。

味はない。

まったく。

まったくおいしく感じない。

苦みも、甘みも、塩っ辛さすら感じない。

いつもならおいしく感じられるオムライスがまずい。

 

私の得意料理なんだよ。

彼にふるまうことはなかったし

これから先二度とないだろう。

彼がこれから食べるのは。

 

ユリちゃんの手料理に。

ユリちゃんの淹れたお茶。

私の作ったものは何一つ彼に届かない。

こんなことなら、もっといっぱい作ってあげればよかったな。

 

モニカちゃんの言葉が頭の中に響く。

この関係が続いてほしかった。

この関係が壊れるのが嫌だった。

この関係に甘んじていたかった。

この関係から一歩踏み出すのが怖かった。

 

明日もタチバナは変わらぬ笑顔で、私に接してくれるのだろう。

彼がしたくてそうしているのか、それともただの旧友のよしみなのか。

私にはわからなかった。

恐らく二度と分からないだろう。

 

彼の笑顔はもう二度と見れないかもしれない。

少なくとも、私の為だけに向けた笑顔は二度と見れない。

その笑顔はユリちゃんに向いている。

 

食器を乱暴に片づける。

いつもの寝る時間を過ぎてしまっている。

だからと言って眠れる気もしない。

 

シャワーでも浴びたら落ち着くのかな

浴びても変わらなかった。

私の心には雨雲がかかり続ける。

これからもずっと。

 

一生重く曇天の空が続いていくのだ。

この重みに耐えられる気すらしない。

いっそ、死んでしまえば楽になれるのだろう。

何も考えなくてよくなるのだ。

 

これほどの幸福はないだろう。

その時、タチバナはどんな顔をするのだろうか。

 

悲しそうな顔をするのだろうか?

私が彼にそんな顔をさせるわけにはいかない。

私の曇天が彼の心にかかってしまう。

 

スマホを充電器につなぎ

ベッドにもぐりこむ。

静かに羊を数える。

 

何匹数えても眠れる気がしない。

静かにただ静かに夜は更けていった。

眠れるわけない。

そう思っていた私の意識も闇に沈んでいった。

 

そして、寝坊した。

 

朝起きた時にはすでに時計の針は真上に差し掛かりかけていた。

このまま、サボってしまおうと思う。

同時に彼が家に尋ねてくる光景が浮かぶ。

彼に心配をかけて、ユリちゃんとの時間を邪魔する方が……

 

急いで身支度を済ませる。

朝ごはんは……食べなかった。

生まれて初めてかもしれない。

 

元気が出ない体を引きずりながら、学校へ向かう。

いつもは騒がしい通学路が嘘のように静まり返っている。

学校に近づくたびに増える生徒も

お昼に差し掛かりかけた今では、影すら見えない。

 

道路に一つ落ちているのは私の影だけだった。

隣にあった影は、これからはユリちゃんの隣に。

ずっと私の見る影は1つだろう。

 

半開きの校門を抜けて、下駄箱に手をかける。

教室からは先生の声だけがこだましている。

不意にチャイムが鳴る。

昼休みに入るなり、教室から生徒がぞろぞろと出てくる。

その波に乗り、私も食堂に向かう。

 

流されるようにして食堂に着く。

彼の姿をふと探してしまう。

こんなところにいるはずもないのに。

 

午後からの授業はとても長かった

一秒一秒を正確に認識させられているみたいだった。

 

彼に会えるから。

もし私に笑顔が向けられないと分かっていたとしても。

それでも会いたかった。

荷物をまとめて、三年生の教室へと向かった。

 

タチバナはおろか、まだ誰も来ていなかった。

日の当たる部屋の隅っこがふと目に留まった。

机をいくつも抜けて教室の一番後ろに向かう。

壁を背にして隅っこに座る。

 

ここが今の私の居場所。

いつの日にか文芸部にも私の居場所はなくなるのだろう。

頭は必然的に下を向く。

これからのことを考えると上を向いていられるわけがなかった。

 

扉を開けて誰かが入ってくる。

何も言わず席を引く音が聞こえてくる。

紙をめくる音。

 

恐らくユリちゃんだ。

部屋の一番隅っこに座っている私に気が付くはずもない。

ユリちゃんは自分の世界に没頭している。

すぐに、その世界にもう一人加わるんだ。

 

ナツキちゃんも扉を開けて入ってくる

後ろの扉から入ってきたナツキちゃんはすぐに私に気が付いた。

「サヨリ?なんかあったの?そんなとこで座って」

 

ナツキちゃんが近くによって話しかけてきてくれる。

ニッコリと笑ってナツキちゃんを心配させまいとする。

笑顔の仮面は昨日の涙でぐちゃぐちゃで

いつもの笑顔を作ることができなくなっていた。

「昨日よりひどいじゃない……ごめん、今日は何も……」

ナツキちゃんは必死に鞄の中を探っている。

 

皆に迷惑かけちゃってるな……

いないほうがやっぱりよかったかな

日向にあたってるのに、とても寒い

うつむく私の目の前にキャンディが差し出される。

 

「あったわ、こんなのしかないけどね」

ナツキちゃんはフィルムを両側に引っ張って飴玉をつまむ

冷え切った私の唇に飴玉があてがわれる。

吸い込まれるようにして飴玉は口の中で転がる。

 

いちごミルクのほんのりとした甘さ。

久々に感じた味だった。

昨日から、物の味がわからなくなっていた。

 

「何があったか、聞かないわ。思い出すのもつらいことってあるものだから」

「だけどね、何かある前に私に言いなさい。モニカでもユリでもいいわ」

「私たちはあんたの味方、それだけは譲らないから!」

ナツキちゃんはあえてタチバナの名前を出さなかったのだろう。

彼のせいで私がここまで落ち込んでいるのだと思っているようだ

 

口の中で飴玉を転がす。

日差しが温かい。

彼ほどではないが、確かに温かい。

ナツキちゃんが手を握る。

しっかりと温かい。

 

「ありがとうねナツキちゃん」

久々に声を出す。

今日初めて発した言葉だった。

 

そっと手をナツキちゃんの頬に添える

ナツキちゃんの顔が赤くなる

バッとナツキちゃんが私から身を引く

「勘違いしないで!でも……忘れないで、私はあんたの味方よ」

ナツキちゃんの目は私をしっかりと見つめてくる。

その目には一切の不安を抱かせない決意に満ちた目だった。

 

教室の前の扉が開かれる。

タチバナが入ってくる。

まぶしくて直視できなかった。

彼のそばにはもういられないのに

一緒にいたいと思ってしまう自分が憎かった。

 

モニカちゃんも後に続いて入ってくる。

ナツキちゃんは私の肩をポンポンと叩くと

モニカちゃんの方に向かっていった。

ピアノを練習していたと言っている。

文芸部より、大切なのかな?

それとも、もう、文芸部に興味をなくしちゃったのかな。

この居場所もすぐに立ち消えてしまうのかな。

 

口の中から飴玉が消える。

急速に視線が足元に落ちる。

口の中に残る甘さを最後まで感じ取ろうとする。

でもそれも、すぐに消え去ってしまう。

 

ナツキちゃんがモニカちゃんをからかっている。

壁を隔てたように、その声は遠く感じられる。

それでも、しっかりと聞ける程度には回復していた。

 

飴玉ってすごいんだな。

ううん、すごいのはナツキちゃんだよね。

私以上に皆を笑顔にしちゃうんだもん。

私に出来ることはナツキちゃんにも簡単にできちゃうんだもん。

部員も4人で部活に認められるんだから。

私のための部活じゃない。

 

 

問題ないよね。一人くらい消えたって。

期待されるような人でもないし。

 

「お~いサヨリ?」

 

 

死にたくなるよ……

なるだけだけど……。

 

今はまだ……。

 

「サヨリ!」

目の前で誰かの手がひらひらと振られている

すぐに顔を上げる

目がつぶれそうだった。

タチバナが心配そうに私を見下ろしている。

 

目と目が合う。

彼の瞳には私が反射しているが。

彼が私を見ているとはかぎらない。

太陽を直視してしまった目には

うっすらと涙がにじんでいた。

 

「あ、うんごめんどうしたの?」

崩れた仮面を必死に修繕する

いびつな笑顔が顔に張り付く

 

「なんか元気ないからさ、大丈夫か?」

「大丈夫だよ~」

必死に作った笑顔も、いつも一緒にいた彼には見破られてしまった

やっぱり、かなわないなぁ。なんてあきらめる。

私なんかにかまってないで早くユリちゃんの方に行きたいんでしょ。

 

私がいなければ、ここに来ることもないし。

1秒でも長くユリちゃんと一緒にいられたんだ。

そう思うと胸が締め付けられる。

有刺鉄線が心臓に食い込んでいく

心臓が鼓動をするたびに血が、体温が、流れ出ていく。

 

「おい、本当に大丈夫か?」

タチバナが私の肩に手をかける。

暖かさが伝わってくる

……でも

私はその手を払いのけた

 

「私は大丈夫だよ……だからほら、ユリちゃんのところに行ってあげて?」

これ以上、彼とユリちゃんの時間を奪うわけには行かなかった。

私では彼とは不釣合いだったんだ。

彼はそれを我慢して、我慢して私についてきてくれてたんだ。

私には何も彼に返してあげられるものがない。

だからこれ以上、彼の時間を奪いたくない。

 

二人の間に沈黙が流れる

タチバナはかれこれ10秒近く動いていない

不安になり声をかける

「タチバナ……?どうし」

「そんなこと言うんじゃねぇよ!」

大きな声と共に、タチバナが私の両肩をしっかりとつかむ

 

さっきまでとは違う、本気で私を心配している目

いつもの彼とは違う。

まるで誰かが乗り移ったみたいに。

でも、本気で心配してくれているのがわかる。

 

深く沈んだ私の心を引っ張り上げるために飛び込んでくれようとしている。

「俺はお前のことが本当に……」

タチバナの動きが止まる。

まるで彼の時間が止まってしまったみたいに。

両肩をつかんでいた腕からは先ほどまでの力強さは感じられない。

 

彼の目がだんだんと濁っていく。

いつもの目に戻るといえば聞こえは良いが。

今の私は、彼の目が元に戻ることを望んでいなかった。

 

「ちょっと、タチバナ!あんたサヨリに何してんのよ!」

さっきのタチバナの声でナツキちゃんが気付いたみたいで

私とタチバナの間に入って

私たち二人を引き離す。

 

「ナツキちゃん……」

その後が言えなかった。

やめてほしいだなんて言うことができなかった。

これでいい。

これでよかったんだ。

さっきのは彼の気まぐれで。

ただの私の思い上がりで……。

 

「ああ、悪い。まぁ、サヨリが大丈夫って言ってるんだし大丈夫だな」

タチバナはナツキちゃんに頭を下げて謝った後、私に背を向ける

なんだか、今生の別れみたいな。

 

もう二度とあの背中に向かって手を振ることはない。

もう二度とあの背中に向かって走ることはない。

もう二度とあの背中に向かって声をかけることはない。

 

だんだん彼の背中が小さくなる。

いけないと分かっていながら手を伸ばす。

すぐに手を引っ込める。

私が望んでいいものではないのだ。

他人のものに手を出すべきではない。

私のものでもなかったけれど。

 

ナツキちゃんも離れてく

後ろから彼を追いかけて

さっきのは何と文句をつけてる。

モニカちゃんが割って入っている

そしてそのままこっちに近づいてくる

 

いつもの笑顔を貼り付けながら。

心の底から笑っているのか?

ううん、心の底から嘲笑ってるんだよね?

 

今度はその口からどんな言葉が放たれるんだろう。

どんなに鋭いナイフを突き立てに来るんだろう。

私はぎゅっと目を瞑る。

このまま自分がいなくなれと願う。

二度とこの目が開いてくれるなと祈る。

 

「サヨリ、どうしたの?文化祭の準備手伝ってくれない?」

モニカちゃんが私の手を取って立たせてくる

すっとひざが伸び、モニカちゃんに寄りかかるようにして立ち上がる

「大丈夫よ、安心して。ただ手伝ってほしいだけだから」

 

違う。

モニカちゃんは私の場所を奪いに来たんだ。

9×7メートルの教室のほんの隅っこ

1平方メートルにも満たない私の場所を

彼女は悪びれもせずに奪いに来たんだ。

 

「そんなに、怯えないで!ほらポスター一緒に作りましょう」

モニカちゃんに手を引かれて教室の前の方に来る

すれ違うようにしてユリちゃんとタチバナが教室の後ろに移動して

一緒にお茶を淹れようとしている。

 

横目で見ながら机を動かしてモニカちゃんと向かい合うようにして座る。

あえて、黒板の方を向いて座った。

後ろにいる二人を見なくて済むから……。

 

真ん中にはA3サイズの大きめのポスター

こつこつと私たちだけで作ってきたものだった。

目の前には色とりどりのマーカーとクレヨン。

 

モニカちゃんは静かにポスターに色を塗り始める。

私も続いてクレヨンで絵を書く。

二人の間に沈黙が流れている。

 

何も、そう。

何も言ってこない。

昨日まで、私を容赦なく傷つけてきたその口は堅く閉ざされていた。

 

私から聞くことも出来ない。

絵を描きながらモニカちゃんを見る。

目が合っても、お構いなしといった感じで作業に集中している。

 

不気味だった。

なぜ彼女があれだけ私に攻撃してきたのかも。

なぜ今日になって不意にその手を休めているのか。

もしかしたらこれから私を二度と浮かび上がらせないような

鉄の檻でも用意できているから、もう攻撃しないのだろうか。

 

「ねえ、サヨリ」

来た……。

 

今度は何を言われるのだろうか。

身構えることしか出来なかった。

蛇ににらまれた蛙のように身をすくめる

「どうしたの、モニカちゃん」

手は休めない。

 

何かをしていた方が気はまぎれるから

「タチバナ君今何してるか見える?」

モニカちゃんはマーカーをおいて両肘を着く

両手を組んでその上にあごを乗せる。

そして、私の目をじっと見つめてくる

 

私もクレヨンを置いてモニカちゃんを見る。

彼女の目は嫉妬の色に燃えているように見える。

そんな気がするだけ。

私の頭を通過して、モニカちゃんはさらに後ろを見つめている

 

見たくないけど、見てみたい。

もしかしたら、今抱いている一抹の気持ちすら消え去って

もう二度と、彼とかかわることをなくそうと決心できるかもしれない。

そうなってしまえれば、どれだけ楽になるのだろうか。

そうなれば、もうモニカちゃんから攻撃されることもなくなる。

私は……

決意を固めた。

 

ただ振り返る。

ほんの数秒の動きのために

何十秒もの時間葛藤した。

 

壊れかけたカラクリ人形みたいにゆっくりと首だけを動かしていく

詩を書くナツキちゃんを目で横切って

真後ろに目を向ける。

体も一緒に後ろを向いていく。

 

さっきまでいた、私の居場所には

 

 

ユリちゃんが座っていた。

 

 

私の居場所は。

 

 

彼女が。

 

 

奪っていた。

 

 

日のあたる場所。

 

 

太陽の隣。

 

 

彼の笑顔。

 

 

全部。

 

 

 

ユリちゃんが見やすいように本を広げて彼の足に手をかけている

彼は彼女の隣でチョコレートを食べる。

二つ目のチョコレートに手が伸びる。

 

「ほら見てて、サヨリ。ここからが面白いところなの」

モニカちゃんの声が後ろから聞こえてくる。

 

チョコレートをつまんだタチバナの手は

ユリちゃんの口元で止まる。

ユリちゃんは当たり前かのように口をあけて待っている。

私は目を離すことが出来なかった。

これから先どんなおぞましいことが起こるのか

安易に予想することが出来たのに。

 

タチバナはそのままチョコレートをユリちゃんの口に押し込んだ

まるでカップルみたいだと素直に思った。

他人に食べ物を食べさせてもらうことなんて早々ない。

ユリちゃんの顔が見る見るうちに赤くなる

タチバナの顔も耳まで真っ赤だ。

私の顔は青ざめていた。

 

後ろからふふっと声が聞こえてくる。

知ってたんだ。

それとも仕組んだの?

タチバナまで巻き込んで?

私にあきらめさせるために?

タチバナも嬉々としてやっているの?

血が巡らなくなってきた。

目の前が真っ暗になってきた……

 




「ユリのイベント間近で見たせいでもうあと一歩ってところまで来たわね」
「ユリもなかなかやるじゃない!まぁ、できれば私にあーんしてほしかったんだけどなー」
「それはもっと後ででもいいわね」
「二人っきりで、チョコレートのお店を巡ったり……」
「って、なんだか恥ずかしいからやめにしましょ!」
「彼と二人っきりになれれば時間はたっぷりあるんだし~」
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