「姫様遅いな~、晩御飯冷めちゃうよ」
「静かにしてよ、私だって早く食べたいんだから」
「それにしてもどこで道草食ってるんでしょうね、我が家の姫様は」
はじめまして。月の兎こと
台詞の順番で言うと真中が私です。上が私の部下の
下が私のお師匠様、
そんな私達は今晩御飯を迎えようとしているんですが、本来ここに居るべき人が一人来ていません。
私達の食卓は皆が揃うまでは勝手に食べてはいけないという決まりがあって、そのために私達は待ち惚けを食らっているというわけです。
言いだしっぺの姫様が遅刻なんて面子が丸つぶれですよ……。あ、一番重要な人の説明を忘れていました。
その遅刻している張本人こそが私達の主、蓬莱山輝夜様です。
今日は人里の方へ周遊しに行かれたそうです。
かつては師匠の言いつけで姫様は外出を許されていませんでしたが、『異変』を起こして以降はちょくちょく遊びに出ていくようになったんです。
「そういえば、姫様が晩御飯に遅れるって珍しいよね~」
「……そういわれてみればそうね。前まではここで引きこもっていたから」
「たぶん、例の藤原妹紅との殺し合いではないですか?」
私の考えに二人は、納得したというように呆れた表情を浮かべた。
あの二人は仲がいいのか悪いのか本当によくわからない。
気が付けば二人で部屋にこもってゲームをしてたこととかありましたし。
『ただいまー』
玄関の方から戸を開ける音と姫様の帰宅を知らせる声が聞こえてきた。するとてゐが「すぐ連れてくる」とだけ残し、目の色を変えて玄関へ向かって駆けだしていった。
お腹が空いているからと言って気がはやり過ぎだろう。とは思ったものの、私もお腹が空きすぎて背中とくっ付いてしまいそうな気がしていた。
もう少しでごはんにありつける。そんなささやかな思いは一瞬のうちに消え失せてしまう。
『うぎゃあぁぁあああ!?』
玄関先から聞こえてきたのは、たった今この部屋から出て行ったばかりのてゐの声。
突然すぎるあまり、私は間の抜けた声を出すことしかできなかった。
「え、なに?」
「はぁ……鈴仙。 動揺してないで様子を見に行きましょう。 どうせ姫様が変なものでも持ち込んだんでしょう」
鬱屈そうにため息を吐きながら師匠が立ち上がり、私もそれに続く。
部屋を出て玄関まで急ぎ足で向かうと、玄関前に腰を抜かしているてゐと姫様の姿が見えた。
その姿はいつものような美しい姿ではなく、着物は既に黒みがかっている大量の血と煤にまみれていたり所々が引き裂かれたり焦げていたりと酷いことになっていて、姫様本人も血みどろであった。
予想通りに妹紅さんと殺し合いでもしてきたのでしょうか。
しかしなぜでしょう。この程度であれば時々起る事態なのに、てゐは先程絶叫を上げていた。
私が訝しがっていると、開かれた戸の奥、屋敷の外に何かが立っているのが見えました。
それを見た私は背筋が凍ったような錯覚を覚えた。
今まで生きてきた中で感じたことのないような、悪寒。
なるほど理解できた。てゐが絶叫したくなる理由が今分かった。
これほどまでに圧倒的な威圧感を感じたのは初めてだ。ついここから逃げ出してしまいそうになるほどの違和感をそれは発していた。
「てゐ、鈴仙、大丈夫? 気分が悪そうだけど」
「あ、あわわわわ。ひ、姫様、なんなのそいつ?」
「ん、こいつ? ええと……竹林で偶然会ったのよ。 どうやら外来じ……じゃなかった、外来妖怪らしいわ」
「外来妖怪って……」
姫様はそいつを屋敷に上がらせる。玄関の蝋燭の明かりで全貌がよく見るようになりましたが、なんといえばよいのでしょうか。
全体的に昆虫の様な甲殻と長い触覚、そして頭部の
禍々しく歪んだ人型カブトムシ、といった体でしょうか。
私は師匠の方を横目で見ると、師匠も困惑した様子でそいつを見ていました。
月の英知である師匠でも知らない妖怪なのでしょうか。たしかに外の世界から来たのであれば、長い間幻想郷で過ごしている師匠なら知らなくて当然でしょうけど。
姫様はいったいどんな理由でこの妖怪をここに連れてきたのでしょうか?
「こいつの名前はJOKER。 今日からここに住むことになるから、皆も仲良くしてあげなさい」
「「「はい?」」」
わけのわからない訪問者と、姫様のとんでもない発言に私達はただ驚愕するしかありませんでした。
♠×××
光に連れられ、竹林の中で出会った2人の人間。
ただ聞かれるままに覚えている名を答えた。あの鉄の塊は俺のことをそう呼んでいたから、きっとそういう名前だったのだろう。
見た目から想像するに、2人ともそれほどまで歳を重ねているようには見えない。
たかだか20年程しか生きていないのだろうか、いやそれにしてもこの少女達から感じるものは何だろう?
少なくとも見た目ほど幼いというわけでもないのだろうか。見た目に反して幾年もの時を過ごしてきた風格を感じるのだ。
「JOKER……あなたの名前なのね。 それじゃあJOKER、あなたは何者なの? 見たところ妖怪というわけではなさそうだけれど」
「なに言ってんの。 こんな悍ましい見た目してる奴なんて妖怪って言わずになんていうのよ?」
「……妹紅も気づいているのでしょう。 JOKERから感じる不可思議な力と気配を」
憮然とした表情で妹紅は頷いた。
こいつ等はいったい何を話しているのだろうか。別段言葉が理解できないわけではないが、言葉の内容の意図が掴めない。
俺から発せられているという気配とはいったい何なのだろう。
まぁそれは置いておくとして、ともかく一言だけ言わせていただきたいことを言わせてもらおう。
「俺は自分の名を名乗った。 今度はお前達が名前を教える番じゃないのか?」
「あぁ、そういえばまだだったわね。 私は蓬莱山輝夜、月の姫にして許されないただ咎人よ」
「私は藤原妹紅、この竹林で案内役をしている」
蓬莱山輝夜に藤原妹紅か……。
お互いに名乗りあったところで、俺にも聞きたいことがいくつかある。
一番気になっている疑問を蓬莱山にぶつけてみる。
「ここはどこだ。 なぜ俺はこんなところにいる」
「ここはどこって、幻想郷に決まって……なるほど。 見たことのない奴だと思ったけど、あなた外来人ね」
「……幻想郷、外来人」
蓬莱山から発せられた聞いたことのない2つの単語。
俺の戸惑いに気が付いたのか、藤原が補足説明を始めた。
幻想郷。
日本の一角に存在する、最後の楽園。
世の中から忘れられたものが最後に流れ着く場所。
故に外の世界では忘れられた異形の者……妖怪や神もここでは暮らしている。
幻想郷の賢者、スキマ妖怪『
「……大胆こんな感じかな。 もしあのスキマ妖怪が関わっていないのだとすると、正規の方法で入ってきたんだろうね」
「忘れ去られること……か」
確かに的を射ているかもしれない。
何せ俺は忘れ去られて当然……俺以外の生命体が全て滅び去った世界にいたのだから。
生き物が死に絶えたことで俺を覚えている者がいなくなり、
なんだろう、少し、やるせない気分になっている自分がいた。
しかし、どうしたものか。
俺は食事をとる必要がない。生きることに栄養を必要としない体なのだ。
先程の話でも出てきた妖怪に襲われたとしても、俺であれば別段恐れる必要はない。
だが、いきなり勝手の効かない世界に放り込まれたとあっては、この世界においての俺の立ち位置を決めておかなければらない。
「ねえJOKER」
「なんだ、蓬莱山」
突然、蓬莱山が嬉々とした声を上げた。
俺を見る目は夢見がちな少女の様であり、新しい玩具を得た子供の様な目をしていた。
先程までの警戒心は何処へ放り投げたのか、蓬莱山は俺の方に駆け寄り、躊躇いなく俺の手を取って一言告げた。
「JOKER、私の家で暮らさない?」
「…………」
「……はぁ!? 何言ってんの輝夜!」
「別に何もおかしなことは言ってはいないわ。 ただ、私はJOKERのことを気に入った。 そして彼にはこの世界に身を寄せる場所がない。 だから私の所に住む、いったいどこが変だっていうのよ?」
「何から何まで全部おかしいさ!」
藤原と蓬莱山が言い合っているなか、俺はただ茫然としていた。
今日会ったばかりの俺を気に入り、尚且つ住む場所がないからと生活の場を提供すると言っているのだ。
こんな化け物でしかない俺に、だ。
蓬莱山は妹紅の静止をはぐらかすようにして、再び言葉を続ける。
「拒否はさせないわ。 なにより、あなたは私の提案の断る理由もないでしょう? 合理的に判断してもここは提案を飲むのが最善の手だと思うのだけれど」
「…………」
蓬莱山の言うことも最もだ。
俺にはこの世界の知識はない。そして、俺の存在は彼女たち以外には認知されていない。
この世界には彼女達のほかにも多くの人が生活しているらしい。
誰もかれもが彼女たちのように俺と普通に接することはできないだろう。
最悪、敵対などということもあり得る。ここはやはり蓬莱山の提案を飲むのがよいのかもしれない。
俺は蓬莱山に頷きという行動で彼女の問いに答えた。
頷く俺を見て、満足そうに蓬莱山は微笑み、すぐに憮然とした表情で呟く。
「あと、蓬莱山って呼ぶの止めにして。 輝夜でいいわ。 こんごともよろしくね、JOKER」
「こちらこそよろしく、輝夜」
この時、俺はこの世界で初めての友人を得た。
いや、一緒に暮らすのであれば家族なのだろうか?
久しぶりに感じる『嬉しい』という感情を、俺はこの時、思い出せなかった。
♠×××
「で、そのあと藤原の娘と別れて帰って来たと」
「まぁそういうことになるかしらね~。 う~ん、美味し~♪」
「ズケズケと上がってきてすまない。 迷惑だっていうのなら……」
「いえいえ気にしなくても全然平気ですから!」
「……はぁ、姫様は気楽でいいよね」
いつもだったら4人だけの食卓。
それが今日は5人となっています。
JOKERさん……突然の同居人に私達は動揺を隠せませんよ……。
チラリとJOKERさんの様子を窺うと、晩御飯の石焼ビビンバを箸を上手に使って食べていました。
箸を随分上手に使えるということは、もしかすると以前に使ったことがあるのかもしれません。
視線を変えて、今度は
姫様はなんとか冷めずにいたビビンバを美味しそうに頬張っている。
師匠はなんだか訝しげな顔をしてJOKERさんの方を見ていて、てゐは明らかJOKERさんに怖気づいています。
かくいう私も、JOKERさんの見た目にはまだ慣れていないのですけど。
「ねえ、鈴仙」
「もぐもぐ、なに?」
突然てゐがこそこそと話しかけてきた。
その表情は恐怖とも嫌悪感とも言えない微妙な表情をしていた。
「ちょっといい?」
「べつにいいけど……」
3人を残して部屋をでると、てゐが不満そうな顔で話しかけてきた。
「鈴仙はあいつのことどう思う?」
「どうって……見た目は怖いけど、悪い妖怪ではないと思うよ?」
「本当に
「……どういう意味?」
てゐはいったい何を言っているのだろうか。
確かに初めて会ったときはおかしな感覚に襲われた。悍ましいような、空虚というか、見ていて悲しくなるような感じでした。
けれど、少し話したら案外礼儀正しい人みたいだったけれど。
てゐはいったい何が気に入らないんでしょうか?
「妖怪のあたしだから分かるのかね……とにかくあいつはやばい。 あんまり信頼しない方がいいね」
「一応、聞いたことにはしておくけど……」
「そうかい、じゃ晩御飯食べなおすとしますかねぇ」
てゐは言うことだけ言って再び部屋に入っていった。
一人残された私はただ、てゐの言葉を頭の中でぐるぐると混乱させることしかできなかった。
姫様はいったいどうして、彼をここに招き入れたんでしょうか。
♠×××
「姫様、少しいいですか?」
「なにかしら……って、一つしかないか。 JOKERのことでしょ」
永琳は周囲に誰もいないことを確認してから永琳は部屋に入ってきて障子を閉める。
畳の上に座る永琳に向き合う。
永琳はただ無表情に、いつものように毅然としている。こんなんだから長い間恋愛沙汰に巻き込まれないのよ。
「永琳でもわからない? 月の英知と言われ、月の都の設立当時から永久に等しい時を研究に費やしたあなたでさえ?」
「……私が彼のことで分かったことはただ一つ。 さっぱりわからないことがわかったわ」
「なんとも頼もしい言葉だこと……」
しかし予想外ね。まさか永琳でさえ彼が何者かわからないなんて。
確かに永琳は月で過ごしていた間も、幻想郷に逃げ来てからも外の世界にはあまり興味を示してはこなかった。
とはいえ、情報収集を怠っていたわけではない。
永遠亭専属の情報屋が日夜情報収集のために幻想郷を含め、外の世界を調査しているのだから。
永琳はその情報を自ら閲覧し、真偽を調査し、知識として蓄えてきたのだ。
その永琳が匙を投げるとなれば、世界中の誰も知らないのと同義だ。
……いや、永琳って常識ないから言い過ぎかしら。
「彼のことに関しては私なりに調べてみます。 けれど、彼はいったい何者なんですか」
「あなたに分からないことが私に分かるはずがないじゃない」
視線を窓の外の月に向ける。本当に今日の満月は綺麗ね。
さすが穢れとは無縁の地といったところかしら。
永琳は目をそらした私に構わずに話し続ける。
「それにしても姫様……あなた、もちろん気づいているのでしょう?」
「なんのことかしら? ……て言ってもわかりやすすぎるわね。 ええもちろん気づいているわ、気づかない方がおかしいわよ」
ふと、月にいる2人の姫のことを思い出した。
穢れを拒み、蔑み、恐れている2人の姫。
あの2人がJOKERを見たとしたら、いったいどんな反応をしてくれるのかしら。
驚き慄くのか、それとも彼の存在を認めようともせずに消そうと躍起になるのか……。
とにかく彼女たちにとって、彼の存在はどうしようもないイレギュラーであることには変わりがない。
彼の存在は、彼女たち価値観を根底からひっくり返してしまうような、そんなものなのだから。
「彼は非常に興味深いです。 是非とも研究対象としたいところですけれど……」
「私はあまりお勧めしないわね。 なんだか碌なことにならない気がするわ」
それにこれから暮らす仲間だもの、と付け加えて私は彼の姿を思い出す。
その様相はただの怪物だ。見たものによっては嫌悪感を示してしまうような、そんな姿をしている。
けれども、彼にはそんなものを霞ませてしまうほどの特徴を持っていた。
それはかつて、月に逃げ延びた者たちが躍起になって求めていたもの。
高度な科学力を有している月の民が未だに開発することが敵わない、圧倒的なまでの奇跡。
彼はその奇跡を体に宿しているのだ。
「実に面白いとは思いませんか? 何せ彼は……その身に一切の穢れを持ってはいないんですから」