私は走るのが嫌いだ。
「はぁ……ダルい」
私は無駄に重い両足で練習場の芝を踏み、気だるく溜め息を吐いた。空は憎いまでに雲一つない晴天、風は私の焦げ茶色の髪がなびく程度に吹いている。
私は練習(トレーニング)が大嫌いだ。
汗水流して運動することが、暑い日差しを浴びながら走ることが、無駄に全力で走ることが大嫌いなウマ娘だ。
「たく……こんな暑い日に模擬レースとかダルいにも程があるっての」
今日は六日連続で行われる模擬レースの五日目。
私達世代の
ここで良い走りをすれば有能なトレーナーに指導してもらえるうえに注目度も上がるとあってか、周りの娘達はヤル気に充ち溢れていた。
(絶対に勝たないと──)
(全力で走らないと──)
(結果を出さないと──)
なんて呟きが四方八方から聴こえてくる。
ま、誰が見てようが私には関係無い話だけど。
『次の組はスタート用意を』
私の番、係りの人に促されて私を含め六人程のウマ娘が白線の前に立つ。
チラリと左右を見れば全員が真剣な顔で
多分私だけだろうな、走りたくないって思ってるウマ娘は──
『位置について』
係員の声と共に皆が姿勢を正し。
『よーい……』
スタートの体制を整えて。
『ドン!!』
合図と同時に走り出した。
スタートを勢いよく飛び出したウマ娘達が激しい先頭争いを繰り広げ、三番手以降のウマ娘達は先頭を見るようにジッと脚を溜めている。
「たく、本気で走ってんなぁ」
私は集団の最後方を追走しながら、前を行く背中にただ呆れていた。
所詮は模擬レース、所詮は練習(トレーニング)。
本気出して走るような場所じゃないだろうに、みんな必死で走っちゃってまぁ。
「勝手にやってろってんだ」
四コーナーを周って直線、態勢は変わらず、皆残り200メートルを過ぎて一斉にスパートした。
《負けないっっ!!》
先行勢が粘り込みを計り、差しウマ娘が見計らったように鋭い末脚をみせる。それぞれが自分に合った最適な走りで鎬を削った本日三回目の模擬レースは、五人横並びの大接戦で幕を閉じた。
「ゴールゴールと」
そして、私はその二馬身後ろで悠々とゴール板を通過した。
息も絶え絶えな周りのウマ娘を横目に、軽く出た汗をタオルで拭き取っていると。
「おい、お前! やる気あんのかっっ!!」
レース後、私の元に《やかましい奴》がやって来た。
このレースに乗り気じゃない理由のひとつであり、客席のトレーナーに頑張りを見せる必要がない理由のひとつ。
ぼさっとした髪型に冴えない風体、このみすぼらしい野郎が私の専属トレーナーだ。
「なんだ今の走りは!? そんなんでレースに勝てると思ってんのか!!」
「うるさいなぁ、いきなり来て耳元で叫ぶなよトレーナー。それに私なりにちゃんと走ってたって……」
「嘘つけ! 明らかに手を抜いてただろ!!」
「いやいや、抜いたのは手じゃなくて足だろ? 走ってんだから」
「変な揚げ足とるな! てか手加減したのは認めるのかよ!」
「いやだから、手加減じゃなくて足加減……」
「言い訳するなっっっ!!!」
トレーナーからの怒濤の怒声にうんざりする。
つーかコイツのせいで周りから変な目で見られてるよ、なんの羞恥プレイだよまったく。
「はぁ……もうすぐデビュー戦だってのに、俺の相棒はいつになったらやる気を出してくれるのかね」
「ま、レース本番になったら本気だすから安心してなよ、私のトレーナーさん?」
「だと良いがな」
なんて、いつも通りにトレーナーが肩を竦めたタイミングでチャイムが学園内に響き渡った。
太陽は真上を向いていて、ウマ娘の大群が慌ただしく食堂へと押し寄せている。つまりは……。
「模擬レースも終わったことだし、私はお昼にするからこの辺で失礼するよ、またなトレーナー!!」
「あ、ちょっと待て! まだ話の途中っ……!!」
トレーナーの制止を振り切り、私は食堂を目指して駆ける。
待ってて私のお昼御飯! 今行くからね!!
「…………って、もうあんな遠くまで行きやがった、アイツ」
食堂に消えていった教え子に対して、俺は特大の溜め息を吐いた。あの逃げ足を練習で発揮してくれたら彼女の評価もあがるのに、勿体ない奴だ。
「ハハハ、ナカちゃんも大変だねぇ」
すると、俺の同僚であり先輩トレーナー『ヤマモト』が話し掛けてきた。先輩といっても、俺の一つ年上なだけだが。
「ナカちゃんの担当してるあの娘、これで模擬レース五連続最下位だよね? あんだけ走るのが嫌いな娘を見たことないよ」
「しかもすぐに練習サボるしやる気ないし……まったく、指導怠慢で理事長に叱られる俺の身にもなってほしいぞ」
「アリマ理事長の説教は長いからなぁ、御愁傷様だよ」
そう、ヤマモトがケラケラと笑った。
「そういやナカちゃんって今はあの娘一筋なんだっけ? ナカちゃん程の優秀なトレーナーなら他の娘からも
「俺は優秀じゃないし、今の俺にはアイツを指導するだけで精一杯なんだよ」
「ハッハッ! かつては伝説のチームを率いた名トレーナーが翻弄されるなんて、あのウマ娘はとんだ強者だね」
「あんまりからかうなよ、本当に大変なんだからさ」
「すまんすまん、でもなんであの娘のトレーナーをやってるのかは謎だよ、そんなに手を焼いてるなら諦めて他の娘の指導をすればいいのにさ」
ヤマモトの疑問はよく皆から言われる、真面目に走らない彼女に何故そこまで拘るのかと──だけど。
「いつもサボっててやる気のない奴だけど、少しだけ他の娘と違う気がするんだ、アイツは」
「と、言うと?」
「何となく雰囲気ってか、アイツはこれから大きなことを成し遂げてくれそうな、そんな気がするんだ」
俺が他の娘を指導しない理由はそれだ。
見た目も平凡で真面目に走らなくてレースに集中してないダメな奴なのに、アイツの時折見せる力強い末脚に惹かれている自分がいた。
「不思議な奴なんだ、アイツ……『シンザン』ってウマ娘はさ」
暑い日差しの中、俺はあの小さくなったあの背中にほんの少しだけ淡い期待を抱いていた。