翌日、模擬レース最終日。
学園内の野外練習場は本物のレース場に比毛をとらない広さがあり、六つのコースがあるトラック型トレーニングコースが設備されていた。
主に授業等で使用するのは一周約2000メートル、走路が芝生で構成されたAコースと。
一周1600メートル、走路がダート(砂)で構成されたBコースだ。
今までの模擬レースはBコースの短い距離を走らされていたが、最終日はAコースの芝2000メートル、出走人数一組二十四名による本番さながらのレースが行われることになっている。
「やっぱ、今日はギャラリーも多いな」
茜色が空を覆う放課後、集められた模擬レース参加者達が芝生の状態を確かめたり準備運動に勤しんでいるが、誰一人として落ち着いてはいなかった。
何故なら、スタンドには過去五回の模擬レースの比では無いくらいに溢れんばかりのトレーナーや報道陣、そして学園のお偉いさんが観戦していたからだ。
誰かが走る順番を決める
「ま、どんな状況だろうと今日は絶対に勝ってやるけど」
だがしかし、私はそんな観客達に動じてない、私にはもう後がないから気にしていられないからだ。
今まで散々サボりまくってきた自業自得といいますか、このレースで負けたらトゥインクルシリーズに出られない。
普段からヤル気のない私でも、トゥインクルシリーズに出場してG1を勝つことは物心ついた時からの夢だった。
その夢をこんな下らない理由で終わらせたくない、今日こそは本気でぶっちぎってやるって、私は心に決めていた。
「あら、今日は珍しくヤル気満々ですこと、シンザン?」
「ウメか、茶化すならレース後にしてくれ、集中してんだから」
「あらあら、もう後が無いからって必死ですこと」
ウメめ、私の状況を知っててからかいに来やがったのか。本当に性格悪い奴だな。
「ウメには関係ないだろ、邪魔するならどっか行ってろよ」
「邪魔だなんてそんな、ワタクシは次の模擬レースで一緒に走る貴方に、ひとつ忠告をしようと思っただけですわ」
「忠告?」
「えぇ、貴方が私に勝てるかは置いておいて、あそこにいる緑帽子の彼女に注意したほうが良いですわよ」
緑帽子の彼女って、あの内ラチでニコニコしてる彼女のことか。あれ……でもあの娘って。
「なぁウメ、あんな娘うちの学年にいたっけ?」
「だから忠告に来たのです。あの方はきっと上級生、私達の実力を見定める為の審査員に違いありませんわ」
「審査員って、まさか──」
二人でその娘の話をしていると、私の視線に気付いたのか目線を合わせてニッコリと微笑んできた。
うわぁ、なんだろう、思った以上に不気味な人だな。
「とにかく、レース中にもあの方に気を配っておくことをオススメしますわ」
「あ、あぁ、そうしておくよ」
「では、お互いに残念な結果にならないよう頑張りましょう、シンザン」
「あぁ……ん? もしかして、その忠告の為だけにわざわざ私のところに来たのか??」
「えぇ、ワタクシは貴方を模擬レースではなくトゥインクルシリーズで堂々と倒したいですもの、つまんないことで脱落されては困りますわ」
そう、ウメは髪を整えながら言った。
なんだウメの奴、こんな友情に厚いウマ娘だったっけ? それに今日は嫌みもないし、これはあれか。
「緊張でおかしくなっちまったのか、可哀想に……」
「なっ!? 失礼ですわね! ワタクシは至って平常ですわ!!」
「あ、すまん声に出てた、忘れてくれ」
「まったく失礼な人ですわね、大体ワタクシはその態度が──」
と、普段通りガミガミと嫌味を垂れ流してきた。なんだ、いつものウメで安心したよ。
『ではこれより、第六回模擬レースを始めます、第一走者はスターターの前に並んでください』
ウメの嫌味が続くかと思いきや、メガホン越しに模擬レース開幕を告げられ、場内のざわつきが一層大きくなった。
私が走るのはウメと同じく一番最初の組、例の緑帽子も私達と同じ組のようだ。
「呼ばれましたわね、先に行きますわ」
ウメが早々とスターターの方に歩き出し、不意に私は満員のスタンドを見つめた。
(アイツ、来てないのか)
一通り観客の顔を見渡したがトレーナーの姿は見えなかった。
別にアイツに応援されても嬉しくないけど、てか見られてないほうが本気で走れるか。
「よしっ、行くぞ」
一呼吸置いて、私もスターターの所に駆け出した。
「あれがトレーナーの担当するシンザン君、確かに良い眼をしてるわね」
「いつもはヤル気無さそうな面なんだけどな、今日は本気みたいで何よりだ」
スタンドの最上階、トレーニングコースを一望できる場所に
「噂は聞いてるよ、かなり手を焼いてるようね」
「ま、出会って間もない頃のアンタ程じゃ無いがな」
「ハハハ、そんな時期もあったわね。あー懐かしい懐かしい」
眼を細めて老人の如く昔を懐かしむ彼女は何を隠そう、このトレセン学園の生徒会長を勤めるウマ娘・セントライト会長だ。
俺は模擬レースの視察に訪れる予定だった彼女に頼み込んで『昔のよしみ』ってことで特別に同伴させて貰っていた。
「それにしても、トレーナーが突然生徒会室へ顔を出したから驚いたよ。私が生徒会長になってから避けてるように感じていたからね」
「避けてるっていうか、アンタが生徒会長になって忙しそうだったから距離を置いただけだよ」
「ハハハ、それを『避けてる』って言うのよトレーナー。寂しいからもっと生徒会室に遊びに来てくれて良いんだよ?」
「やだ、俺には遊んでる暇なんて無いからな」
「なんなら、日課の早朝散歩に付き合ってくれても良いんだし」
「朝の三時に起きて登校まで散歩するアレに付き合えって? 寝言は寝てから言いなさい」
「ハハハ……つれないなぁもう」
セントライトのサラリと澄んだ黒髪が風で揺れる。
前と変わらない髪型にお日様のような香り、中身も含めて何も変わってないな、本当に。
「さて、ここで結果を出せるかしらね、あの娘は」
「ダメならその程度、その時は来年に向けてみっちりトレーニングするだけだ」
「ハハハ、匙を投げるって選択肢が無いとか、よっぽどシンザンって娘に惚れてるのね」
「当たり前だ、アレはアンタ以上の素質がある。他のトレーナーに奪われてたまるか」
「その言葉は私も聞きたかったけどなー、妬けちゃうなー」
会長がプーと頬を膨らませる。
「でも、今回ばかりは相手が悪いんじゃないかしらね」
「だな、久々のレースが吉とでるか凶とでるか。アンタはよく『あの娘』の出走を許可したもんだが」
「彼女が「どうしても」って言うから仕方なく、ね。怪我明けだから無茶しないと良いんだけど……ちゃんと約束は守ってあげてね」
「わかってる、勝ったらちゃと面倒見るさ。昔みたくな」
なんて他愛もない会話をしていると、下では枠順が決まったのかスタートラインにウマ娘が並び始めた。
シンザンは大外枠、緑帽子は最内の絶好枠だ。
「さぁ、『足並み』拝見、ね」
セントライトが笑むと同時に、スターターによって模擬レース開始の合図が鳴らされた。
「うげぇ……一番大外かよ……最悪だ」
差し出された箱から
だが、私は一番不利の大きい大外枠からの発走となってしまった。
「ワタクシは10番、可もなく不可もなくといったところですわ」
「で、気になる緑帽子は最内枠……これってイカサマなんじゃないのか?」
「運も実力の内ですわ、それに本当に強いウマ娘は枠なんて関係ないのではなくて?」
「うぐっ、まぁその通りなんだけど……」
ぐうの音も出ない正論、ウメに言いくるめられるとは不覚だ。
まぁ、決まったものは仕方ない、私のレーススタイル的に内枠の方が良かったが、大外からでも十分勝機はある。
『枠が決まりましたので、ウマ娘は其々のスタートラインに並んでください』
「精々ワタクシの走る邪魔をしないでくださいね、シンザン」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
話はそれだけ、私もウメも無言でスタートラインに立つ。
大丈夫、この五戦で同期メンバーの走りは頭に入ってる、私の脚なら余裕で差せるはずだ。
『位置について』
勝負は1コーナー、レースが始まれば良いポジションを取るべく全員が内ラチに殺到するだろう、これだけ大勢だと前目のポジションを取らなければ掲示板はあれど一着は難しい。
『よーい……』
だから、無理矢理にでも先手を取って有利な位置で直線を迎える。
『ドンッ!!』
と、皆は思ってるだろうから、私はその逆を突くだけだ。
「あれ、
スタートと直後、最内枠の緑帽子の娘が抜群のスタートでハナに立ち、好スタートを決めた二十二名が一塊で内ラチに凝縮、ただ一人、シンザンだけが僅かに出遅れた。
差は余りないが、1コーナーに入るまでに内ラチ沿いは完全に塞がれ、シンザンは前回と同じように最後方を追走して勝負の1コーナーを曲がっていった。
その光景を真上から観戦するセントライトが顔をしかめる。
「のっけから厳しい展開ね、これはシンザン君もお手上げかしら?」
「いや、逆だな」
「逆?」
「そう、逆だよ」
端から見ればタイミングが合わず出遅れたようなシンザンのスタート、けれど、俺にはそう見えなかった。
「出遅れた後の対処がスムーズだった。これはあえて出遅れて後ろから最内を取りに行ったとみて間違いない」
「良いポジションより距離ロスを減らす方を選んだってことかしら? かなりのギャンブラーね、あの娘」
「無駄に走るのが嫌いな奴だからな、だから練習も真面目にやらないんだ」
「ハハハ、難儀な性格ね」
シンザンと出会って半年弱、今まで彼女を指導してきて性格とかレーススタイルがようやっと理解出来てきた。
いつもヤル気が無くてすぐにサボって、面倒くさがりで不真面目で、熱し難くて冷め易くて、でもトゥインクルシリーズにかける情熱は人一倍あって、何より天性のレースセンスを持つウマ娘、それがシンザンっていうウマ娘なのだ。
「今日はいつになく本気だ、これは面白いものが見れそうだぞ」
「そうね、シンザン君も、
先頭は変わらず緑帽子の娘、その真後ろに差がなく二番手以降が続き、依然最後方はシンザンという態勢。
一団は2コーナーを通過、レースは中盤に差し掛かっていた。
(スリップストリームだっけ、本当に引っ張られてるみたいだ)
前を走るウマ娘達を風避けにしながら、私は内ラチピッタリに最後方を追走していた。
2コーナーを曲がって向こう正面、先頭までは六、七馬身といったところか。先頭を走ってるのは例の緑帽子でペースはかなり速い、ウメは先頭集団に取りつき、想像してた以上に固まった隊列になっている、最後方を進む私からすれば理想的過ぎる展開だ。
(まだ出ちゃダメ、千メートルまで脚を溜める)
私より前にいるウマ娘は1コーナーの熾烈なポジション取りが終わって一息ついている。
レース中盤の向こう正面は気が緩みやすい、特に序盤の熾烈なポジション争いを繰り広げた後なら尚のこと、更に入学早々の授業で『レース中の息の入れ方』をこれでもかと言うほどに叩き込まれるのだ。まだデビューすらしていない私達なら無意識にそれを実践してしまう。
(ここを、狙う!!)
『10』と表示されたハロン棒が過ぎた瞬間、私は進路を外側に向けた。
ロングスパート、大外から一気に捲って4コーナーで先頭に躍り出る。
多分、このグラウンドに集まった人全員が『直線でバテる』と鼻で嗤うだろう。過去五回の模擬レースで全て最下位だった奴が最後の最後で乾坤一擲の賭けに出た、と。
(でも大丈夫、私の脚は必ずゴールまで持つ、絶対にな)
前の数人を軽く抜き去り、先頭を目指して大外一気に突き進む。やはりみんなの反応が鈍い、3コーナーに入る頃には先段まで押し上げ、先頭の緑帽子も目と鼻の先になった。
「あと、少しっっ!」
「行かせませんわよ、シンザンっ!!」
ガンッ! と、二番手に出たウメが私と身体を合わせた。
三、四コーナーの中間点、間もなく六百メートルの標識をきる。
「貴方にはだけは絶対に負けませんわっ!」
「こっちこそ、今日だけは負けられないんだよっ!!」
ウメと私、身体をぶつけ合いながらコーナーを回る。
私のロングスパートが引き金になったのか、後続も速めにスパートを開始していた。スタンドの時計に目をやれば千メートルの通過タイムは57秒のハイペース、私の狙い通り、このレースを消耗戦に持ち込んでやったぞ。
(最後の直線──まだ、私は走れる)
四コーナーを回って直線コース。
緑帽子との距離も縮まり、少し加速すれば追い越せる位置についた。本当なら四角で先頭に立つ予定だったのに、意外と緑帽子が粘りやがる。
「っ……!?」
負けじと並ぶウメの脚色が衰えた、そりゃあこのハイペースを前目で追走、息を入れられないまま私と同じタイミングでスパートすればバテるに決まってるよな。
「お先に失礼、ウメ!」
「ま、待ちなさい、シンザン!!」
私はウメを引き剥がすように加速した。
後三百メートル、後ろから伸びてくるウマ娘は皆無。このまま緑帽子を捉えて突き放してやる。
「あの娘、模擬レース三勝のウメノチカラに競り勝ったぞ!」
「なんだあの娘! 一体誰だ!?」
「ちょっと待ってくれ、今調べるから!」
風と共に過ぎ去るスタンドから戸惑いの声が聞こえる、有力視されていたウマ娘が全く伸びず、無名ウマ娘が最後方から追い上げ先頭に立とうとしているのだ。驚くなって言う方が無理だろう。
(よし、捉えた!)
粘りに粘る緑帽子に並びかけたところで私は勝利を確信した。
ウメはこの緑帽子を上級生の審査員だとか予測してたが、下級生相手にこのペースで飛ばすなんて自爆も良いところ、私の力を甘くみすきだったな。
「まさか追い付かれるなんて思いませんでした」
唐突に、真横で並走する緑帽子が呟いた。
「久々のレースで勘が鈍ってたみたいです、このレースは絶対に勝たないといけないんですが……」
「私も負けるわけにはいかないんで、一着は貰いますから」
「困りました、お医者様には全力を出すなと言われてましたのに……」
負け惜しみかと思った矢先、緑帽子は私の予想に反して涼しい顔で笑っていた。
「少しくらい全力を出しても──良いですよね?」
「────なっ!?」
それは刹那の出来事だった。
後少しで追い越せた緑帽子の背中が、一貫歩で手がギリギリ届く距離に、二貫歩目には夕日で伸びた彼女の影すら踏めぬ所まで差をつけられてしまったのだ。
「行かせるかっ!!」
緑帽子に負けじとラストスパートをかける。所詮は最後の足掻き、私にはまだ余力がある──はずなのに。
「くっ…………!」
ゴールまで二百メートル、私は歯を食い縛り、深く瞼を閉じた。
私の作戦は完璧だった。
スタートも、レース運びも、スパートのタイミングまで間違いは無かったはず、現に同期の奴等はバテバテ、誰も余力が残ってないはずなのに。
(なんで………なんでっ!!)
駆けども駆けども、緑帽子との差は詰まるどころか一方的に離されていく。まるで永遠に追い付けないかの如く、無慈悲なまでに私との力量の差を見せつけられていく。
「ちく……しょう……」
残り百メートル、その背は遥か彼方。最早追いかける気力も失っていた。
「ちくしょうぉ…………!!」
最後は流した緑帽子が悠々ゴール版を過ぎ、その五馬身後ろで私は悔し涙を浮かべた。
結果は二着入選。同期の中では最先着、レース内容も申し分なく、デビュー前の模擬レースならば上々なデキだ。
それでも、先行勢に不利なハイペースで最後方から追い上げた私と、その不利なペースを自ら作り、終始先頭で逃げ切った緑帽子との五馬身差はあまりにも大きすぎた。
「アイツは……?」
レース後、朧気な視界で辺りを見渡してみたがグラウンドに緑帽子の姿は無かった。結局アイツが何者なのか分からぬまま一人うちひしがれる。
この敗北で私のデビューも無くなってしまったのだ、と。
「やりますわね……見直しましたわよ、シンザン」
呼吸を荒らげる私の元に三着のウメが寄ってきた。互いの健闘を称えるかのようにウメが私に手を伸ばす。
「今日は負けてしまいましたが、次はこうはいきませんわ──」
「悪いウメ、ちょっと一人にしてくれ」
「え……あ……シ、シンザン……?」
「クソッ…………!」
「ちょ、ちょっと、シンザン……!?」
私はウメからの握手を無視して、足早にグラウンドを後にした。
生まれて初めてだ。同期からの握手を無下にする程に余裕が無くなったのは。
生まれて初めてだ。レースに負けてこんなに悔しいと思ったことは。